真希が、教室に来て席に着くと、いきなり京一が話しかけてきた。

「よう、真希」

「……なんの用だ」

「なんだ。機嫌悪ぃなあ。朝のアレのせいか」

「悪いか」

あの後。真希は生活指導の教師(三十五歳)に呼び出され、説教を受けた。普段からなにかと気難しいオヤジで、偏屈という言葉がぴったりの人物だ。独身だが、その性格が直らない限り、結婚は無理だろう、というのが生徒たちの見解である。

「悪いというか、俺が聞きたいのは喧嘩の原因だよ。なんでも、神楽と密かに付き合っていて、お腹の子供が三ヶ月だとか?」

「根も葉もないデマだ!」

一体、どこでどうこじれてそんな風な話になったのか。思わず、真希は頭を抱えた。よく見ると、クラスメイトたちが遠巻きにこっちを見て、ひそひそ話している。

「はっはっは。まあ、そんなこったろうとは思っていたが」

「神楽さんは……そう。うちの道場に通うことになっただけだよ」

「道場?」

「話してなかったっけ。僕んち、昔から続いている剣術道場なんだ。神楽さんが、剣に興味があるからって……」

まあ、嘘は言っていない。真希としては、剣術も少し覚えてもらうつもりだ。昨日考えた、『神楽さん特訓メニュー』の中にも、しっかりと剣術修行は項目に入っている。

「はあ。初耳だな。それじゃあ、なんだ。お前も剣道やっていたりするのか?」

「それは……」

真希は言葉に詰まった。少なくとも、真希のやっている美月一刀流は、現代のスポーツとして確立している剣道とは毛色が違う。そもそも、人間を相手にすることは想定していない。そういった意味で、剣道をやっているのか、と聞かれたら『違う』としか言いようがないのだが。

「まあ、それなりに」

だからと言って、ここで否定するのも不自然だろう。当たり障りのない返事を返しておいた。

「あっそう。そういや、お前って見掛けによらず、けっこう運動できるもんな。それでか」

「うん」

「そういうことなら、俺に任せておけ。昼休みまでに、美月×神楽の校内の声を鎮めてみせてやろう」

稲山京一。天城学園三年に所属する社会不適格者候補にして『人間スポーツ新聞』『歩く拡声器』『口から先に生まれてきた男』などなどの異名を誇る、天城学園きってのゴシップメーカーである。彼が流す噂は、必ずその日のうちに校内に浸透し、街の噂話の九割に関わっているとも言われている。

敵にすると、とんでもなく恐ろしい男だが、味方となるとこれ以上頼もしい者もいない。

「京一、助かるよ。ありがとう」

「今日の昼飯、お前の奢りな? カツ丼大盛りにジュースもつけろよ」

「うっ……わかったよ。わかったから」

「よし。契約成立だな」

にかっ、と人当たりのいい笑みを浮かべると、京一はゆうゆうと教室から出て行く。

「報酬は払うんだから、もっと急いでくれ」

「へいへい」

真希が小突くと、小走りに出ていった。

京一が教室から消えるのを確認した後、真希は一つの事実に気付いた。

「……もうすぐ、一時間目始まるのに、いいのか? あいつ」

予想通りというか、なんというか。京一は午前中の授業を全部エスケープした。

 

 

「で、結局どうなったの?」

「……学園の中の噂は、京一のおかげで沈静化した。けど、綾音はまだ疑ってるみたい。今、十メートル後ろの電柱に隠れてる」

放課後。学校からの帰り道。修行のため、真希と葵は連れ立って帰っていた。

「えっ? 嘘」

慌てて葵は振り返った。一瞬、影が路地に隠れるのが見えた。どうやら、あれが例の彼女らしい。

「なんでわかったの?」

「気配で」

「そんな、漫画じゃあるまいし」

葵の発言に、真希はそっとため息をついた。

「あのねえ。僕たちが相手しているのも、漫画みたいな連中じゃないか。悪霊やら妖怪やら……。漫画みたいな技術を身につけなきゃ、やってけないよ、実際」

「それもそうね〜」

「それとくれぐれも言っておくけど、綾音はもちろん、一般の人に退魔士だってこと、話しちゃいけないよ」

言うと、『ええっ!』という驚きの声が返ってきた。

「なんでなんで? 私の『葵ちゃんヒーロー化計画』が台無しになるじゃない。うーんと活躍して、テレビに出たりして。CD出したり、アニメになったりして、大金ががっぽがっぽ……」

やはりか。

真希は思わず心の中でツッコミを入れていた。

「退魔士免許規則第十七条第一項『退魔士の存在を不特定多数の人間に公開する行為は、これを禁じる』……今まで、架空の存在だと思われていた、妖怪とかが実在するってわかったらパニックになるでしょ。オカルト関係の情報公開は、慎重にいかないと」

「だから、私が先陣を切って……」

「却下。免許剥奪の上、懲役でも食らう羽目になるよ。そして、連帯責任で、監督役の僕にも罰が下ることになる」

絶望的な声が聞こえてきた。ちょうどいい。この業界、そんな甘いものじゃないということを教えるいい機会だ。

「大体、報酬はいいけど、それは命の危険が常に付き纏うからだし。年とると霊力が落ちて、ロクにやってけないし。退魔士なんて若いうちだけだよ、ほんと。まあ、たいていその前に殉職するか、一生ものの怪我を負って引退するけど」

まだ高三の真希は、世間一般的に十分若いのだが、その口振りはベテランのそれであった。

その後も、真希の退魔業界トークは続き、葵の妄想を木っ端微塵に打ち砕いていった。

「っと、着いた。ここが僕の家」

「……へえ、大きいんだ」

憔悴した葵は、声にも元気がない。ちょっと脅かしすぎたか、と真希は反省する。

「まあ、古臭さだけは筋金入りだし。じゃあ、僕は着替えてくるから、道場に行ってて。あの建物」

道場の場所だけ教えて、真希は家に入った。とりあえず、部屋に行き、動き回れる服装に着替え、いくらかの怪しげな道具を持ち出す。

「っと、クリフ?」

クリフに念を押しておくために、彼の部屋に行った。葵の血を吸わないように言い含めておかないと、あいつは勝手に『味見』してしまう恐れがある。

なにせ、性格はさておき、彼女は高水準の美少女だし、霊能者だ。それに、これは確認したわけではないが、その……経験はないだろうと思う。

そこまで考えたところで、真希の顔が真っ赤に染まった。横道にそれた思考を振り払うかのように頭を左右に振り、クリフの部屋をノックする。

「おい、クリフ。開けるぞー?」

クリフの部屋に入った。相変わらず、雑然とした部屋の中に、クリフの姿がない。出かけたのか、と思ったが、はっと気付いた。

「まさかあいつ!?」

大慌てで道場に向かう。扉を蹴破るように中に突入すると、馴れ馴れしく葵の肩に手を回したクリフがいた。

「な? いいだろ。ちょっとだけだから。痛くもないし……ってか、むしろ気持ちいいことだ」

「さっきから嫌だって言ってるでしょ。それと、この手をどけてってば!」

「ん〜、つれないな。よし、小遣いもやるから。な? あと、携帯の番号も教えてくれればなおよし」

「私は援交には興味ない!」

やいのやいのやりあっている。葵は嫌そうな顔をしているが、クリフはそれを気にかけるほどできた人間(?)じゃない。そして、真希は、それを見過ごすほど人でなしではなかった。

持ってきた数々の道具から、霊力処理を施した木刀を取り出した。

そして、大きくジャンプ。

「おのれは何をやっとるか!」

一撃。

これはかわされた。バック転しながらクリフは距離をとる。オリンピック選手のような動きに、葵は目を奪われていたが、攻撃を加えた人物を見つけるとそっちに話しかけた。

「あ、美月くん?」

「よお。真希。早かったじゃねえか。あ、さては俺と彼女の情事を覗き見する気だったな?」

「なにが情事だ。血吸う気だったろ」

葵は無視される形になった。彼女はあっけにとられて、二人を見つめる。

「なんだ、ばればれだったか。まあ、いいじゃねえか。ちょっとだけだよ。ほんのコップ一杯分くらい」

その返事は、木刀の一撃で返した。鬼のような踏み込みからの面は、軽く体をずらすだけでかわされた。続く連撃も、紙一重でいなされる。

最後の突きで、いったん距離が置かれた。

「っぶねえなあ。なんだよ。なに怒ってるんだ」

「お前、僕と契約したときの規則を忘れてないか?」

「忘れてないよ。だから、ちゃんとお前の見てないところでやってるだろ」

見つからなければ、いいと考えているらしい。まるきり小学生の理論だ。

「……ちょうどいい。あのときの決着、ここでつけようじゃないか」

「いいだろ。俺も、そろそろ他のやつの血が飲みたいと思っていたところだ」

二人の霊力がぐんぐん上昇していく。同時に、相手に対して牽制を加え始め、臨戦態勢だ。

「あ、あの〜。美月くん?」

「神楽さんは下がってて」

言われなくても、こんな凶暴な空間にいつまでもいる気はなかった。だけれども、いつもおとなしい真希の豹変振りに、葵は驚きを隠せなかった。なんとなく、凶悪になっている真希の瞳を見てしまう。

「いくぞっ!」

「来い!」

その掛け声に、はっと気がついた葵は慌てて道場から出るのだった。

 

 

男は、その家を見ていた。

いや、より正確に表現するならば『視て』いた。

彼の霊的な視覚は、あの小さな道場で行われている力のぶつかり合いをとらえている。あそこには結界が張ってあるらしいが、それがなければ、建物が壊れてもおかしくないほどの力だ。

「……これほどとは、な」

彼の目標はまだしも、人間のほうがこんなに強いとは予想外だ。『視た』限り、互角の戦いを繰り広げている。どうも、自分は彼を人間だと見くびっていたらしい。所詮、人間と過小評価していた自身を反省する。

しかし、これで計画の遂行は難しくなった。

あの二人のうち、一人一人の力は自分より下だ。しかし、満月の夜でも、二人で来られると、勝てる自信はない。

(これは、なにか計画を立てなければならんな)

あの悪魔を捕らえるには、それしかない。男は、この暖かいさかりに似つかわしくない真っ黒なマントを翻して、その場を離れていった。

余談だが、最近、この天城市では、ビルの屋上で美月家のすぐそばにある銭湯を覗いている黒ずくめの男の噂話が流れていた。モデルが誰、とは言わないが、彼がその噂を聞いたら、落ち込みまくるのは間違いないだろう。