「ちょっと! 通してよ」

特に急ぐわけでもなく、依頼人の家へと歩いていた僕は、聞き覚えのあるその声に、おや? と、視線を向けた。声の主は、通りから少し外れたところの公園にいた。

「まーまー。そんなこと言わずに。ね? きっと楽しいって」

「だーかーら! 私は急いでるんです!」

「いいじゃん。どーせ、友達とでも遊びに行くんだろ? それなら、携帯ででも連絡とっときゃいいじゃん」

「ああ、もう! 勘弁してよ」

見るからに柄の悪い二人組に絡まれているのは……

「神楽さん?」

そう。ついさっき別れたばかりの神楽葵であった。学校に持ってきているのとは違った大きな鞄を脇に抱え、迷惑そうに二人組の包囲網を抜け出そうとしている。

だが、その二人も慣れているのか、なかなか隙を見せないようだ。剣術をしている関係上、それなりに人の動き方とかをわかっている真希から見ても、相手を容易には逃がさない絶妙なポジションを保っている。だからと言って、感心などするはずもないが。

あまりにも愛想のない(いや、彼女の性格からして当然なのだが)葵の態度が気にくわなかったのか、ナンパ男二人組の表情がだんだんと険しいものになっていく。

(あ……ちょっとやばいかも)

その態度を見て、即座に真希はそう思った。見た感じ、二人組は両方とも気の長い性格ではないだろう。いや、はっきり言って短気。いやいや、もっとはっきり言うなら馬鹿だ。京一とかとは毛色が違う。普段なら絶対に関わりたくない人種だ。なんたって、日本語が通用しそうにない。

いや、だがしかし、目の前でクラスメイトが困っているのを見捨てるのもどうか?

そんな葛藤で迷っていると、ふと視界のはしに公園の時計が目に入った。それを見て思ったこと。

まずい。遅れる。

クラスメイトのピンチをただぼけーっと見ていた彼が思っている以上に時間が経っていた。ここから一生懸命走らなければ間に合わないぐらいの時間だ。確か見習いの人も来るという話だし、先輩として遅刻するというのも決まりが悪い。急がなくては。いや、でも……。どうしようかと頭を抱え、そして結論。

神楽さんには悪いけど放っておこう。

薄情極まりないやつである。まあ、この公園は大通りも近いし、彼女はあれで要領のいい性格だ。なんとか自分で切り抜けられるだろうと根拠のない言い訳じみたものを思い浮かべながら本来の目的地に向かった。

タッタッタッタ。

「……」

ピタ。

立ち止まり、しばし、黙考。

「……はあ」

所詮、生来のお人好しで知られる真希に、あの状況を見て黙って逃げるという選択は不可能だったらしい。残り時間と依頼人の家までの距離を思い浮かべ、なんとかギリギリ捻出できる時間を計算。

「……二分だな」

それだけの時間で、チンピラ二人をなんとかして(この場合、実力行使も含む)速攻で葵をうまくはぐらかして、人間離れしすぎない程度のスピードでダッシュ。

……多少、無茶があるが、やってやれないことはない。

そうと決まったら真希の行動は早かった。まだ言い争っている三人に急いで近付く。

「ちょっと」

なんの芸もないセリフで、注意を引こうとする。興奮しまくっている三人は嫌になるくらい鋭い目でぎろりと真希を睨みつけた。

(う……!)

元来、気の弱いたちの真希は一瞬怯むが、必死になって気持ちを奮い起こす。正直、今すぐ回れ右をして逃げ出したい気分だった。なにより、葵の視線が一番怖い。

「ああん? なんだよてめえ?」

男の片方が真希の方に向きなおって一歩近付く。

「……美月くん?」

いきなり現れた真希に驚いたのか、目を丸くして葵が真希を見つめる。

「なんだよ。知り合いか?」

「ま、まあ一応……」

「で、そのお知り合いがなにしに来たんだ? まさか正義の味方気取りで困ってる女の子を助けるんだー、とかか?」

そう言って、げらげら笑う二人組。その笑いに、真希はうなだれたように肩を落とした。

「はあ……神楽さん。行こう」

「え?」

突然のセリフに、葵が呆けた声を出す。

「僕、ちょっと急いでるから。あんた達は、まあ適当にどっか行っちゃって下さい。んじゃ、そういうことで」

「……こら。待てよ」

真希の作戦、その一。相手がひるんでいるうちにとっとと逃げちゃうぞ作戦はあっさりと破られた。青臭い殺気が真希に向けられる。目の前の男はかなりご立腹の様子だ。しかし、真希としてはこうやって敵意を向けられた方がかえって落ち着く。退魔士の肩書きは伊達ではないのだ。殺気を向けられるのは慣れている。

「いきなりそれはないんじゃねえか?」

一人が真希の方に腕を伸ばしてくる。だが、当の真希はまったく別のことに気を取られていた。

(まずい。十秒もオーバーしちゃってる)

見ると、葵もそわそわと落ち着かない様子だ。そういえば、さっき神楽さんも急いでいるとか言ってたっけ……と、真希は思い出す。

そして、今にも自分の胸元を掴もうとしている腕を無造作に掴んだ。

「お?」

「ごめんね」

謝りながら、男を盛大に投げ飛ばす。学校で習った柔道の技を真希なりにアレンジした技だ。美月一刀流の皆伝レベルの使い手の真希は、体術を使わせてももちろん一流である。一応、下がアスファルトであることも考慮してあまり強く打ち付けないように気をつける。

これで問題ないと考えているあたり、少し問題ありだろうか。なんせ、こいつも根は凶暴だったりするのだ。

「が……がぁ」

悶絶中の男。もう一人は、いきなり優等生っぽい優男に投げ飛ばされた仲間を見て呆気にとられている。

「ほら、逃げるよ」

その隙を見て、葵の腕をとり走り出す。

「う、うん」

同じく呆気にとられていた葵は、それでもなんとか真希に手を引かれ走り出した。後ろからおってくる気配はとりあえずない。いきなり手を握られ、少し赤くなったりもした葵だが、毎日毎日綾音を相手にしている真希にとってはなんでもないことらしい。平然と走っている。

公園から出たところで、真希は手を離した。

「こっからは自分で逃げてね。じゃ、僕はこれで」

時間が押しているので、別れの言葉もおざなりだ。というより、最後まで言う前に真希は走りだしていた。

(〜〜! まずい! 本当にまずい!)

走りながら確認した時計で、今の時刻を見て、絶望的な気分になる。だんだんと、走る足にも力がこもり、ぐんぐん加速していく。道行く人が驚いて、真希に視線を送るが、無視だ。

荷物のことも考えたら、充分に人間離れしていることに真希本人は気が付いていない。

ふと、真希は自分の後ろにも注目が集まっていることに気付いた。スピードが落ちると思いながらも、好奇心には勝てず、ちらりと後ろを見る。

「んなっ!?」

ありえない光景に思わず目を見開く。なんと葵が真希の後ろにぴったりとつけて走っているのだ。彼女もそれなりに大きい荷物を持っているのに、今にも真希に追いつこうとしている。女子にしては異例のスピードだ。

真希は、いつの間にか併走している葵に思わず尋ねた。

「か、神楽さん? どーしてそんなに走ってるの?」

「私も急いでるって言ったでしょ?」

どうでもいいが、よく走りながらしゃべれるな、こいつら。

「いや、それは聞いたけど……」

「偶然同じ方角だったみたいね。そういえば、まだお礼を言ってなかったわね。あいつら、しつこいからうんざりしてたのよ。それにしても、美月くん、実は強かったのね」

真希がとっさにだした投げ技のことである。聞かれるとは思っていたが、それについての言い訳は明日する予定だったので、うまく誤魔化す言葉が出て来ない。

「ええーと。ま、それなりに」

「なんか、足も速いし。なんか色々謎が多いね、美月くんって」

「いや、それ以上に、どうしてその僕に神楽さんは余裕で付いて来れるのかな?」

大きい荷物を持って町中を暴走する男女。よく見なくても異常だ。一人だけでもそうなのに、二人もいることでさらに拍車をかけている。

「女の子は秘密が多いの」

「そ、そうなんだ」

綾音以外の女子とはあんまり親しくはないので、そんなものなのか、と納得してしまう真希であった。

そんなことを話していると、真希の目的地が見えてきた。

一応、都内なのに、いやに大きな敷地を持つ屋敷。お金ってあるところにはあるんだな、と庶民らしい感想を持つ。そうは言っても、真希の家も充分大きいのだが。

(確か……山城さんだっけ?)

依頼人の名前を思い出しながら、玄関――っていうより門と言った方が正しいか――へと急ぐ。

ずしゃああ! と、勢いを殺しきれずに滑りつつも、なんとか停止に成功。表札を確認すると、山城とちゃんとある。時計を見てみると、四時二十九分。まさにぎりぎりだった。

「「ふう、間に合った」」

数瞬の沈黙の後、お互い、同じセリフを言った人物の方をふり向く。

「「へ?」」

……実は、いいコンビなのかもしれない。