ルーファス・セイムリート11歳。
魔王を姉に持つという、数奇な運命の彼。その彼は、現在、精霊界で修行の真っ最中だった。
ゆうしゃくんとなかまたち(精霊界修行編)
5:00
ルーファス・セイムリートの朝は早い。五時にはもう起きている。
「ふあ……」
少し寝ぼけ眼で、着替えを済ませる。彼の精霊界における住居は、精霊王たちが用意した小さな小屋である。どうせ寝起きにしか使わない、ということで、内部はかなり簡素だ。ベッドとテーブルと本棚。家具はそれぐらいしか見当たらない。
それはそうと、その小屋から出たルーファスは、伸びをして体を起こす。
「っし、と」
屈伸運動の後、まず一日のメニューの始まり、ランニングに出かける。特に、何km走るとかは決めていない。なぜかというと、
「そろそろいいかな」
程よく体が温まった辺りで徐々にスピードを上げていく。すぐに、気功を使わない状態での全力疾走になった。
「ふっ! ふっ!」
あとは、これでいけるところまで行くだけである。つまり、動けなくなるまで全力疾走を続ける。
無茶な鍛錬方法だが、最初は1kmも走らないうちにばてていたのが、現在では1時間くらい全力疾走のままでいけるほどのスタミナを身につけたのだから、恐ろしい。
最初、あまりに短い距離しかできなかったので、精霊王たちが体力回復の秘薬を用いて無理矢理何度も走らせていたことを考えれば、すごい進歩である。
そんなこんなで、一時間半ほど全力疾走のまま精霊界の広い草原を駆け抜ける。
やがて、向こうにでっかい宮殿みたいなのが見えてきた。精霊宮という、精霊界の中心にして精霊王たちの仕事場でもある。
「はあっ! はあっ! はあっ!」
さすがに若干ペースが落ちているが、なんとか止まらずに精霊宮に到着。そのまま倒れこんだ。
そのまま手を振り上げ、ガッツポーズ。
「い、よし!」
初めてここまでノンストップで来ることができた。いつもなら、ここにたどり着く前にダウンして、飛行魔法で帰る羽目になるのだが。
ルーファスの自宅と精霊宮は真っ直ぐ行けば1kmくらいしか実は離れていない。こんなに遠かったのは、逆側から来たからだ。
精霊界というのは小さな星のようなものなので、逆走していけばいつかは目的地にたどり着く。コロンブスが西回りで黄金の国、ジパングを目指したのと理屈は一緒だ。
そんな下らない話はいいとして、
「あれ? マスター。おはようございます」
「あ、アクアリアス、か。おはよ〜〜」
「……ずいぶん息切れてますね」
「まあ、いつものランニングで、な。すぅぅ、は〜〜〜〜〜〜」
大きく息をつく。
もう息を整えているルーファスに、アクアリアスはでっかい汗を流す。一体、ここからルーファスの家まで、反対から走ったら何kmあるのだ。人間が休みなしで走ってこれる距離ではないと思うのだが。
そもそもあれをランニングと呼ぶべきかどうか。アクアリアスとしては、反対に一票を投じたいところであった。
「水飲みます?」
そんな心情を一切表に出さないまま、表面的にはにこやかに水を差し出す。
「お、サンキュ」
ルーファスは、コップを受け取ると一気に飲み干した。人間界のものとは比べ物にならないほど澄んだ水が、汗をかなりかいて水分不足の身体に染み渡る。
「ふぅ」
ありがとう、とアクアリアスにコップを返す。コップはアクアリアスの手に渡ると、氷で作られていたコップはすぐに蒸発した。
「さて、と。すぐ朝ごはん作りますから、ちょっと待っててくださいね」
「ああ」
本来、精霊は、花の蜜だとか水だとか、そういうものを食べていればいい。ていうより、食事自体、必要なかったりもする。
ただ、精霊界で唯一、人間の居候というルーファスが食べているのを見て、精霊王たちは人間界の味をしめてしまった。現在では、カオス以外の精霊王は、ルーファスと一緒に、三食プラス午後三時のデザートをきちんと摂取している。
……材料をどこから調達しているのか、ルーファスには今だ疑問なのだが。
そんな疑問も、アクアリアス手製の朝食を食べているうちに、『ま、いいか』と消えうせてしまったルーファスであった。
9:00
午前中は、剣術など、武道の訓練である。
銘はないが、かなり切れ味の良い愛剣を構える。そのまま黙々と素振りを30分ばかりしていると、不意に後ろから殺気を感じた。
「うらあぁぁ!」
豪快な叫び声とともに繰り出された鋭い一撃を、つい、と半身になってよける。
「……フレイか」
「てめえ、ルーファス! よけるな!」
「無茶言うな」
奇襲が失敗しても、めげる様子はない。右に左に、なかなかの威力の斬撃。が、一年前、当時10歳のルーファスにすらこてんぱんにのされたのだ。
あれからさらに腕を上げている彼に、勝てるわけもなかった。
「えっと……こう、して」
なにやら、ルーファスの手が怪しげな動きを見せる。
「なにやってやがる!?」
ルーファスは、すでに体捌きだけでフレイの攻撃をかわしている。おまけに、視線はフレイより、自分の動きのチェックに走っている。
「こう、かな?」
気の抜けた声とは裏腹に、凶悪なまでの気が、剣に伝導していく。それは、剣内部を竜巻のように駆け回り、
「っと、一応、これが死魔螺旋衝波、だ」
剣を振り下ろすと同時に、フレイの身体を吹っ飛ばした。きりもみ回転するフレイの飛距離は、ゆうに50mは突破し、そこにあった森の木々をなぎ倒した。
ぴくぴくと痙攣して動きのないフレイは完全無視して、ルーファスは今放った技の姿勢のまま、剣を見つめた。
「ん〜、本に載ってたやつ試しただけなんだけど、ちょっと武器にかかる負担が大きいな。も、少し改良の余地はあり、と」
なにやらメモを取り出し、技のコメントを書き込んでいく。
そして、今はじめて気が付いたように、森の中で屍となっているフレイに視線をやり、
「おーい、フレイ。そんなとこで寝てたら風邪引くぞ〜〜!?」
白々しく、そんなことを言った。
返事がないので、仕方ないなあ、とフレイのほうへ歩いていく。一応、少しは責任を感じていたりいなかったり。
「お〜い?」
「あーーーー!! いたぁ〜〜〜〜〜!!」
フレイを瓦礫から助け起こすとほぼ同時に、後ろのほうから大きな声が響いた。
声の主は、つかつかとルーファスの方へ来たかと思うと、フレイをひったくって、その襟をぐいぐいと親の敵でもあるかのように締め付ける。
「フレイさん! いないと思ったら、また仕事サボってマスターにちょっかい出してましたね!?」
「あ、あの、ソフィアさん?」
ルーファスの弱気な声は、頭に血が上っているソフィアには届かない。
「フレイさんのところで仕事が滞っているんですよ!? おかげで私の処理する仕事が大分遅れちゃってるんですから!!」
「うぐっ」
苦しそうなフレイ。意識は取り戻したようだが、取り戻さないほうが良かったような気がする。
「もしもし、ソフィア? 極まってるから、首。フレイ、死ぬよ?」
「大体ですねぇ!? いつもいつも偉そうな態度とってますけど、そーゆーのは自分のするべきことをちゃんとやってから……」
とうとう、フレイの口から泡が出てきた。
それを見て、さすがにソフィアも冷静になる……かと思いきや、そのまま、フレイの身体をガクガクと揺らし始めた。
「泡を吹いている場合ですかぁ!!? キリキリと起きて、さっさと自分の持ち場に戻ってください!!」
(だ、駄目だ。俺には止められない)
ルーファス、あっさりと敗北宣言。まあ、このくらいで死ぬほどフレイもやわじゃない……と思う。
(なんたって、一応、これで強いもんな。大丈夫だろ)
「なんとか言ったらどうですかぁ!?」
ガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガクガク!!!!(フレイを揺らす音)
ぶくぶくぶくぶくぶくぶく(泡の出る音)
「だ、大丈夫……のような、そうでないよな」
くるり、とその凄惨な光景から眼をそらす。類まれなる戦闘の才能を誇るルーファスだが、キレたソフィアの前では張子の虎も同然。まったくの無力だった。
だけれども、後ろの地獄絵図は無視して修行を続けると、ふと思った。
まあいいや、フレイだし。
ちなみに、後ろのことが気になって、いつもの半分も訓練できなかったルーファスである。
12:00
昼ごはんである。精霊王、全員が揃って昼食をとっている。その中で、フレイがぶちぶちと血管を浮かべながら文句を言っていた。
「ったく、殺す気か」
「何回も謝ったじゃないですか。しつこいですね。そもそも、フレイさんが仕事をサボるのがいけないんですからね」
「……それで、言い訳しているつもりか?」
いまだ剣呑な様子の二人。まあ、あれだけ首を絞められれば、文句の一つや二つ、言いたいのもわかる。
「ようするに、あんたが未熟なんでしょ」
シルフィが、グサリ、と一刀両断にした。どうやら、少しは情けないと思っていたらしく、フレイはぐっ、と詰まった。そして、今度はシルフィに向けて、敵意の視線を送る。
「ま、まあまあ。皆さん、落ち着いて」
「そうだ。もう、やめておけ」
アクアリアスとカオスが止めに入る。理性派の二人に止められ、なんとか場が収まる。まだ、フレイは納得いかない顔をしているが。
そんな様子を見て、ルーファスは、呆れる。毎日毎日、別件で喧嘩(らしきもの)が起こるのだ。静め役のアクアリアスとカオスは、毎日毎日、よくがんばるな、と思う。
「そういや、ガイアは? 朝から見ないけど」
「……あいつは、昨日から人間界行きだ」
「ある火山が噴火しそうなので、ちょっとそれを止めに。フレイさんに行ってもらっても良かったんですけど、噴火を『止める』となるとやっぱり、ガイアさんのほうが」
そーゆー、精霊王が直接出張る仕事がここ最近増えている。魔族の活動が活発化して、致命的な自然界の乱れが増えているから、らしい。ルーファスには良くわからないが、そろそろなんとかしないと、大陸の一つや二つ、海に沈んじゃうかも、とかありがたくない予想を聞かされていた。
「ふ〜ん……」
魔王と化した姉は、まだ別の事で忙しいらしく、人間界に直接攻めていくようなことをしていないようだが、その影響はこんなところにも出ている。
『因子』の影響下にある状態とは言え、実の姉の所業に胸を痛めるルーファスだった。
「……まあ、そう気に病むな。お前のせいじゃない」
「カオスさんはそう言うけどね。気にならないわけないって」
なにやら、重苦しい雰囲気で昼食の時間は過ぎていった。
14:00
「さて、ちょうど暇だし、午後からは私も手伝いましょう」
「……シルフィ。ありがたいことはありがたいんだが、なんだ、その木の棒は?」
午後は魔法の修行である。まずは瞑想して、魔力を高めるのだが、座禅を組んだルーファスの後ろに木の棒を構えたシルフィが立った。
「なにって、マスターの集中力が切れたら、こいつで肩をばーんって」
「するな!」
別に、悟りを開くわけでもなし。そんなことする必要はないのだが、
「え〜〜〜〜〜〜?」
シルフィはとても残念そうだ。
「お願いだから邪魔しないでね……」
釘を刺しておかないと『油断は大敵よ、マスター』とか言って、木の棒で打って来そうだ。
さて、1時間ほど瞑想を続けた後、夕食まで精霊界の図書館で魔法書を読みふけったのだが、退屈かつ単調な話なので割愛する。
19:00
「よー」
夕食後、ルーファスが精霊王たちと雑談していると、ガイアが帰ってきた。
それも、ぼろぼろの状態。衣服が、焼け焦げている。
「ど、どうしたんですか!?」
「ソフィア、そう心配すんなって。見た目より大丈夫だから」
ガイアは、よっこらせ、と腰を下ろす。
「いや〜まいったまいった。儀式魔法を使っても、噴火の兆候が止まないから、ちょっと見てみたら、火口にドラゴンがいやがんの。それも、ウォードラゴン。不意打ちで、一撃食らわされてな。そのまま倒しても良かったんだけど……」
ちらり、とルーファスに視線を向ける。
「お前の訓練の成果を試すにはちょうどいい相手だと思ってな」
「はい?」
ルーファスは、間抜けな声を出す。
「だって、お前。訓練ばっかで、経験が足りんだろ。少しは、実戦こなしとかなきゃな」
「ちょっと待った。俺、ウォードラゴンなんかに勝てる自信、ないぞ」
精霊界に来る前、一度だけだが、ドラゴンと戦ったことがある。それは、ウォードラゴンよりかなり弱い種族だったのだが、逃げるのが精一杯だった。
「ふふふ。お前、自分がどのくらい強くなったか、試したくないのか?」
「い、いや、でも」
「心配しなくても、俺が一緒に行ってやる。危なそうだったら、ちゃんと助けてやるから」
どんどん、と背中を叩かれる。
「……安心しろ。お前は、自分で思っているより、強い」
「カオスさん」
まあ、ガイアならともかく、カオスがそう言うなら間違いはないんだろう。そう思い、ルーファスは、愛用の剣を腰に差し、立ち上がった。
「わかったよ。で、どこなんだ?」
一般に出回っている世界地図の一番右上。そこにある小さな島、ヤーズ島は、中心に世界一巨大な火山があることで知られる。
その火山は、過去数度噴火し、その島を溶岩で埋め尽くしたという。
「……で、これがその火山。アポロンだ」
「誰に説明しているんだよ」
ルーファスとガイアはその島の上空にいた。
そして、眼下にある太陽神の名を冠した山は、今、不気味な鳴動を続けている。ガイアの予想では、あと一時間ほどで噴火するらしい。
一応、小さいけれど、人里もある。そして、この小さな島は一週間に一度の連絡船以外、島外に逃れる術は、ない。
「と、ゆーわけで、さくさく退治してもらおうか」
「できるかなぁ?」
ルーファスは自信なさげである。
「ま、やってみりゃわかる」
すぅ、と火口に下降していく。
「……洒落か? 今の?」
と、とにかく! 火口に入ると、むんっ、とした熱気に包まれた。
「うわ! すごい暑いな」
「まあ、溶岩がすぐそこまで来ているしな。ほれ、その溶岩の中にいるだろ。ウォー・ファイアドラゴン」
「ああ、確かに」
溶岩の中で生存できる生物なんぞ、世界にも数えるほどしかいない。その中の一種であるウォー・ファイアドラゴンが、自らの巣に近づいてきたルーファスたちを睨みつける。
「来るぞ!」
溶岩から飛び出したウォー・ファイアドラゴンには発達した翼が生えていた。通常、ウォー・ファイアドラゴンは空は飛べないはずなのだが、どうやら、突然変異種らしい。
「じゃ、がんばれよ!」
ガイアは結界を張って、火口の外に出る。
「ま、マジかよ!?」
いつの間にやら、ウォー・ファイアドラゴンはルーファスの目の前まで来ていた。
その爪の一撃がルーファスに襲い掛かる。
その一撃をかわしつつ、燐光で切れ味を高めた剣で、腕を斬りつける。鋼より硬いといわれるドラゴンの鱗を切り裂けるとも思えないが、ちょっとした傷くらいは……
『グアァァァ!!』
ドラゴンの叫び声がヤーズ島全域に響き渡る。
「あ、あれ?」
ルーファスがドラゴンの腕を切り落としたのだ。まさか、斬れるとは思ってみなかった。
「…………………えーと。えい!」
そのままドラゴンに接近すると、心臓のある位置に突き。あっさりと突き刺さった。そのまま、剣をぐりっ、と捻り、心臓をぐちゃぐちゃにしてしまう。
『ガ……ガァアアアア!!』
まだ死なない。
剣を抜き、いったん距離を置く。
「『水の精、今、怒りをその身に宿し、その流れは凶悪なる槍と化す。フラッドランス!』
火口という、水精霊のほとんど存在しない場で、水精霊魔法を使うのはかなりの力量を必要とする。それなのに、ルーファスはあっさりと使ってのけた。
六本の水の槍が、ウォー・ファイアドラゴンの四肢と心臓、そして頭を打ち抜く。
「終わり、だ!」
ルーファスが拳を握ると、水のやりはドラゴンの身体の中で弾ける。さすがに、その生命力にも限界が来たのか、ウォー・ファイアドラゴンは絶命し、死体が火口に落ちていった。
「ん〜〜〜、ウォードラゴンを瞬殺、か。かなり強くなったな。予想はしてたけど」
「あ……ガイア?」
「ご苦労さん。後始末は任せて、さっさと帰って寝てろ」
不思議そうに自分の手を見つめながら、ルーファスは精霊界への扉を開いた。
21:00
ルーファスも、まだ子供。学校も、初等部に通っている年齢だ。夜は早い。精霊王たちは、今、宴会の真っ最中。よく毎晩続くなあ、と感心する。
ウォー・ファイアドラゴンとの戦いを思い出す。まさか、自分があんなに強くなっていたとは。
ぎゅっ、と拳を握り締め、だんだんと力をつけてきた自分を実感する。
(だけど、まだまだ、だな)
史上、最大級の魔王を止めようというのだ。生半可な実力ではどうにもならない。
明日からは、訓練のメニューを増やそう、と考えていると、いつの間にかルーファスの意識は闇に沈んでいった。