早いもので、俺とリアが精霊になって、もう300年程が経った。
さて、ここで一つ問題が。
精霊王たちを見ていてもわかるが、精神というものは肉体に引きずられる面が大きい。いや、精霊は肉体じゃなく、霊体だという話もあるが、魔力を少し強めれば簡単に実体化できるので、問題なかろう。
話が逸れてしまった。
つまり、精神は器に引きずられる。不老になった俺たちは、ヴァルハラ学園に通っていた当時から、ほとんど外見は変化していない。結果、精神は若々しいままである。
いや、だからどうした、と聞かれても困るのだが……
ぶっちゃけ、暇なのだ。
することがない、と聞けば、ダメ人間とでもののしられるのだろうか?
子供でもいればいいのだが……いや、正確には、いたのだ。
だけど、元が人間なせいか、俺のリアの息子は、精霊の両親を持つにも関わらず、なぜか人間として生まれてきた。そして、人間としての生を全うして、天に召されている。
あの時、柄にもなく大泣きしたものだ。以来、子供が生まれても絶対に先立たれるので、作っていない。
……また話が逸れてしまった。
ちなみに、リアとの間柄は、すこぶる良好。精神が若いままなので、倦怠期、というものがない代わりに、小さな喧嘩は山ほどあるが、特筆すべきものでもない。むしろ、お互いの理解が深まって、良かったとも言えよう。
転生した直後はたくさんあった神々のちょっかいも、だいぶ収まってきているし、修行……といってもかなり前から、俺も成長がなくなっている。そういう時は、経験を増やすものだが、生憎、俺は元々、争いごとは好まない性質だ。……いや、本当ですよ?
そんなわけで、本格的にすることがなくなっているのだ。
「……もっかい、人間界に降りてみようかな?」
「なに物騒なこと言っているんですか」
独り言に、いつの間にか、お茶のセットを持って立っていたリアが答えた。
「物騒って……どこが物騒なんだよ?」
「だって、リオンの時を思い出してみてくださいよ。あの時、一体なにをやらかしたか、忘れたとは言わせませんよ」
リオンと言うのは、さっき言った、俺たちの子供の名前だ。人間として生まれたので、やはり人間界に住まわせたほうが良いと思い、俺たちの母校でもあるヴァルハラ学園に放りこんだ。その時、心配だったので俺も一緒に降りたのだが……
「わ、忘れた」
「ほっほう。言いましたね? リオンのお嫁さんに手を出した分際で、よくもまあ、そんなことが言えたもんです。不道徳にもほどがありますよ?」
「ちょっと待て! あん時はまだ、あの二人はそういう関係じゃなかったぞ」
「だからって、浮気なんてしてもいいと思ってるんですか?」
ああいえば、こう言う。大体、アレは俺の責任じゃないと思うんだが。大体、そんな280年も昔の事をほじくり返さないで欲しい。
「浮気じゃないってのに……」
「はいはい」
まあ、これはじゃれあいみたいなもんだ。不機嫌そうなポーズをしながらも、リアはテーブルに紅茶セットを並べていく。お茶請けのクッキーを二枚まとめて口に放り込むと、甘い味が口内に広がった。
「……で、なんで、人間界に行きたいと?」
「ん〜、最近、また生活がマンネリ化してきたからな。暇だ」
「かもしれませんが……ルーファスさんがあっちに行くと、決まって厄介なことになりますからねえ」
実を言うと、今までリオンのときを含めて、数回、人間界に降りて生活したことがある。時には違う世界にも行ってみたり。
理由は、やっぱり暇になったからだ。
そして、そのすべてにおいて、厄介なことにならなかった覚えがない。その点で、リアの言うことは正しいのだが、
「そりゃそうだがな……このままだと、痴呆症にでもなりそうだ」
「はあ。でも、ソフィアさんたちは私たちより長生きですけど?」
「あいつらは、毎日仕事に追われているからな。暇じゃないんだ。シルフィなんか、この平和なご時世に契約までしている」
そこで、ふと思いついた。
「……そだ。シルフィの契約者でも見に行こう」
俺は、この思い付きを、後で死ぬほど後悔することになる。
とりあえず、姿を消していくことにした。
リアは、ソフィアとなんか約束があるとかで、不参加。俺は一人で、面倒な手続きを経て、人間界に降りて、懐かしきセントルイスの町並みを眺めながら歩く。
……しかし、変わってない。
最後にこの町に来たのはいつのことだったか。2、30年は経っていると思ったが。
王都のくせに、ほとんど発展していない。
「……ま、いいか」
もう、現世にほとんど縁のない俺には関係のないこと。大体、今の独り言だって、普通の人の耳には届かない。
ゆっくりと、歩いて、やがて、ヴァルハラ学園にたどり着いた。
「………………ふっ」
目を閉じて、しばし顔を上に向ける。
落ち着け、落ち着け、と自分に言い聞かせ、ついでに、深呼吸をたっぷりして、おまけとばかりに『人』と言う字を掌に書いて飲み込んだ。
よし。
目をかっ、と見開く。
そこには50年ほど前に改築したという校舎があった。まあ、それはいいとして、問題はその校舎の二階部分の廊下が、外から見えている、ということだ。
わかりやすく言うと、二階廊下の壁が、全部吹き飛んでいる。
「………………………おいおい」
思わず、ツッコミを入れる。
見たところ、あの状態になってから、それほど時間は経っていない。にもかかわらず、ぜんぜん騒ぎになっていないと言うのは、どういうことか?
顔が微妙に引きつっているのを自覚しながら、校舎に近づく。
軽くジャンプして、問題の二階廊下に降り立つと、一人の少女が、教師に説教を食らっている現場を発見した。
「ルナ……頼むから、もう少し自重してくれないか? 最近、職員会議で、俺はお前の担任というだけで肩身の狭い思いをしているんだが」
「はあ、すみません」
「すみません、じゃないだろう……いや、マジで」
……もしかすると、この惨状は、あの女の子が引き起こしたものだったりするのだろうか? 状況から考えると、そうとしか思えないが、ちょっと無理がないか?
そういえば、シルフィの話で聞いたことがある。
今のヴァルハラ学園には、史上最凶の問題児がいると。その女子をひとたび怒らせれば、天地は怒り狂い、人は吹き飛ばされ、シルフィのマスターは泣くという。
魔界の悪魔もかくや、と噂されるその最凶の女子の名前は……
「『エクスプロージョン!!』」
「のうっ!?」
とっさに、飛びのいた。
ついさっき、俺がいた地点に、炎の魔力が収束していき、爆発。二階の廊下に、落とし穴を作った。
「こらっ!! ルナ、お前、一体何のまねだ!?」
「……なんとなく、あそこらへんで私へ悪意を送る存在がいたような気がしたんで」
「いたような気がしたんで、で校舎を破壊するんじゃない! 大体、誰もいないじゃないか!」
「いえ、一応、姿は見えないけど、私に悪口を言いそうな知り合いに心当たりがあるんで」
……お、恐ろしい。俺じゃなかったら、死んでるぞ?
そういえば、確かにシルフィの話に出てきた少女の名前もルナだった。……彼女と見て、間違いないな。絶対に。確信を持って、そう断言する。つーか、こんな真似をしでかす女の子が、そうそう何人もいるもんじゃない。
……シルフィのマスター、苦労してんだなあ。
「『ファイヤーボール!』」
「ルナァァァ!!」
教師の絶叫を聞きながら、次に飛んできた火球を右手で打ち払い、俺はその場を立ち去った。
俺がはじいた火球は、壁があったところから外に出て、破裂する。建物にはノーダメージ。よし。
「やっぱり、シルフィね!? そこにいるんでしょ! おとなしく出てこい!」
……別のところに行こう。うん。
次に俺が来たのは食堂。
今は昼時。ちょっと小腹が空いている。つまみ食いは、行儀が良くないが、勘弁してもらおう。
さて、と食堂内を見渡してみると、異様な光景を目にした。
男子生徒が、注文をしている。……いや、だからなんなんだ、と聞かれても困るのだが、
「あー、おばちゃん。カツカレーとキツネうどんと天丼とA〜Cまでの定食飯大盛りで」
……少々多すぎないだろうか。
「それ、全部五人前ね」
「ちょっと待て!」
声が届かない、とわかってはいるが、思わず声を上げてしまう。
「?」
声は聞こえずとも、なにかの気配でも感じたのだろうか、その男子生徒は首をきょろきょろさせた。
しかし、注文の品が届くと、わき目も振らず、そっちに意識を集中させた。心底うれしそうな様子で、山ほどのメニューを器用に持ち、空いている席に座る。
ああ、そうか、友達の分も一緒に注文したんだな。と思っていた俺の期待(てゆーか、願望)はあっさりと打ち砕かれた。
……恐ろしいことに、彼は一人らしかった。
「よう、アレン。今日はちょっと多めじゃないか?」
「ああ。ちょっと臨時収入があってな。多めに食っておこうかと」
その男子生徒と、通りすがりの友人らしき生徒との短い会話。……多め? 多めで済むのか、この量が?
「いただきまーす!」
行儀よく、手を合わせてから、猛然と料理をかきこむ。食べ物は舌で味わうんじゃねえ、のどで味わうんだ、とでも言いたげな速度だが、ちゃんと噛んでいるらしい。
……これが人体の神秘か。
しかし、これほどの神秘を目の当たりにしても、周囲が騒ぐことはない。当然のこととして受け入れられている。
「ワンダーランドか、ここは」
思わず呟く。
もはや、食欲なんてものはかけらほども存在していない。
このありさまを見て、なにか食べられる勇者が存在するなら、教えて欲しい。食堂にいる人も、みんな微妙に視線をそらしているのだ。
俺は、もういやだ、と食堂から逃げ出した。
さて、そもそもの目的はというと、シルフィの契約者というのがどういう人間なのか、確かめることだ。
人間界にくる名目、と言っても差し支えないが、こう立て続けに変なやつらをみると、がぜん興味がわいてくる。きっと名だたる変人に違いない。
と、廊下を歩いていくと、前方から女の子が歩いてきた。
それだけなら、俺はなにも気にしなかっただろうが、その子はかなり綺麗な部類に入った。有体に言って、美少女だ。
長い金髪に青い瞳。小柄だが、身にまとっている雰囲気からか、もっと年長に見える。
絶世の……といっても差し支えないだろう。
一瞬、目を奪われるが、すぐに我に返る。とたんに寒気が走った。
もし……もしだ。なにか人知を越えた方法で、さっき、俺が彼女に見惚れていたことをリアが知ったら……想像もしたくない。
慌てて左右を確認して、スパイがいないかチェック。
……右よし、左よし、上後ろその他全方位、問題なし。
ふう、とため息をつく。
この手のことで喧嘩になると、文字通り俺は手も足も口さえも出せない。
……さて、そこまで考えたところで、俺は妙なことに気が付いた。
さっきの少女なのだが……着ている服が豪華すぎ。見た目はそうでもないが、生地が最上級品だ。ついでに、何気なくつけているアクセサリーも、そんじょそこらの富豪では買えないようなもの。……学生の癖に、そりゃないだろう。
と、思っていたら、その少女は『演劇部』と書かれた部屋に入る。
きゅぴーんと、いやな予感。
よせばいいのに、俺はその部屋に突入。
「ねえ。僕、演劇部所属じゃないんだけど」
「そんなこと言いつつ、ちゃんと来てるじゃないか。そんな格好までして」
「まあ、暇だったから。ちなみに、この格好は、さっき昼ごはんを外に買いに行ったせいですよ。こーゆー格好だと、おまけしてもらえたりするんです」
さっきの女の子は、演劇部部長、と書かれた腕章をつけた男と会話している。外見からは楚々とした印象を受けるが、彼女は、どうやらけっこう活発な娘らしい。
「なあ、クリス。次の演目のヒロイン、お前のイメージにぴったりなんだよ。同じ国出身のよしみで、なんとか助けてくれ」
「その国の王子の僕に、よくもそんなこと頼めますねえ」
…………………なんか、今日は沈黙することが多い日だなあ。
「そんなこと、気にしてもないだろ。なあ、いいじゃないか」
「僕だって、色々忙しいんですよ、先輩」
「さっき暇だって……」
「たまたま、この昼休みだけです」
クリス、と呼ばれた少女……いや、少年は、かつらを取り、アクセサリをはずし、服を脱ぐ。ずいぶん、ゆったりした服だな、と思っていたが、下に男物の服を着込んでいた。
……詐欺だろ、おい。
俺は、一瞬でもそいつに見惚れた過去の俺を、絞め殺したい気分にかられた。
このヴァルハラ学園の生徒もずいぶん、変わったものだ、と思う。
よく食べ、よく壊し、性別すら超越する。
俺が在学していたときも、色々変な連中が多かったが、ここまでではなかった。……と思う。おそらく、いやきっと……多分。
言ってて自信がなくなるほどのあいまいな印象だが、まあ、それはいい。
変人には耐性がある、という妙な自信を持っていた俺だが、今日のことで修行不足(?)がよくわかった。
この分では、シルフィのマスターとやらに会うと、精神に異常をきたすかもしれない。なにせ、“あの”シルフィを従えたほどの猛者だ。準備をしっかりしておかないと、返り討ち(?)にあう恐れがある。
いつか、リベンジをかましてやる。
と、俺は間違っている臭い決意を胸に、人間界を後にするのだった。
「自分の事を棚に上げといて、よくもまあ」
「……リア。それは言わない約束だろ」
「そんな約束、した覚えありませんが?」