今、リアは精霊になるための特訓の真っ最中だ。

……といっても、精霊王たちも忙しい。そうそう、リアのためだけに時間を割くことはできない。

というわけで、今は俺が基本的な知識について講義しているわけだ。

「……世界の根源的な話になってくるが、人間の魂ってのは……」

かつかつかつ、と黒板に書いていく。

唯一の机に座っているリアは、興味なさげにあくびなんぞをしている。……にゃろう。

「元となる核……起源魂(オリジン)が妊娠初期の女性に入る事で変化したものだ。そして、人間の体に入れなかった起源魂(オリジン)は時を経て下位精霊となり……って、本当に聞けよ、お前」

「つまんないです〜」

「つまんなかろうが、なんだろうが、自分がこれから転生するものについてだぞ。ちゃんと真剣になれって」

「はいはい。人の魂はオリジンが変化したものなんでしょー」

一瞬、チョークを投げたくなる。

しかし、投げたらその百倍の仕返しが待っているので、俺は泣く泣く講義を続けるしかなかったのだった。ご愁傷様、俺。

「……で、下位精霊が魔力をつけたのが、上位精霊っては、まあ常識だが。……つまり、精霊も人間も、霊的に見るとそう大差はないわけだ」

すでにリアの意識は夢幻へと旅立ち始めている。

半ば意地になって、俺は話を続けた。

「だから、魂の性質の誤差を修正して、人間の魂を精霊化するっていうのは不可能じゃない。この場合、必要になってくるのは、変化に耐えうる強靭な魂と、魂を変質させる儀式を行えるだけの力量を持った術士……まあ、精霊王たちくらいしかいないんだけどな。なぜかというと、儀式の性質上、変化後の魂の情報は不可欠で、つまり、儀式を行使するのは精霊、それもかなりの力を持ったやつでないといけないという……」

それから延々3時間。俺は意味のない講義を続けるのだった。説明的とは、言わないで欲しい。

 

第1話「エピプロローグ」

 

「はあ……」

重い、重いため息をついて、俺は自宅のベッドに転がった。

「マスター、疲れてますね」

「……ソフィア。お前、ノックぐらいしろ」

「はい、今度からそうしますね」

と、悪びれもせずに、部屋にある椅子に腰掛ける。

この家は例の家庭菜園……もう違うな。居住空間になってるし……の中に建てた家で、けっこう大きなものだ。別に、俺一人なら小ぢんまりしたやつでもよかったんだけど、人間でも精霊でもない中途半端な……てゆーより、ぶっちゃけ言うと浮遊霊と大差ないリアを置いておける場所が他になかったので、しかたなく家を大きめに作ってここに住んでもらっている。

「そういえば、リアさんは?」

「カオスさんが、訓練してくれてる。あの人なら安心だ」

「……まあ、ガイアさんやフレイさんよりかはマシでしょうが」

とりあえず、その二人はリアに近づけさせない方向で。

「で、なんでそんなに疲れてんですか? もしかして、精霊になって後悔してます?」

「別に、そういうわけじゃないんだが」

俺は、もともとがもともとなので、リアのような訓練は必要なく、儀式のみで転生ができた。神の連中は『人の分際で、理から外れるような事をするな』という趣旨の文句を言ってきたが、俺の一睨みで渋々引き下がった。

確かに、有事の際、対応できる人材は欲しかったらしい。

おかげで、することもない俺は、定年退職した老人のような生活を送っているわけだが……

「……ちょっと相談に乗ってくれるか?」

今、非常に有機的かつ厄介な問題を抱えているのだ。

「私でよければ、いいですよ」

「助かる」

さて、どう切り出したものか……。

「えーと、な」

「はい」

「実は、だな」

「はい」

「そのー……」

「早く言ってください」

落ち着け、と思う。実際、俺一人では解決できる問題ではないのだ。ここは人生経験がむやみやたらに豊富なソフィアに相談するのもいいだろう。

よし、単刀直入に、

「いい加減、俺も鈍くないから気付いたんだが、どうもリアは俺に惚れているらしい。どうしたらいいだろう?」

言った。

言ってやった。

恥ずかしくないといえば嘘になるが、ここは年長者らしい含蓄のある意見を聞いてみたい。

ソフィアは、どうやらリアの気持ちについて気付いてなかったらしく、目を白黒させている。まあ、俺も最近気付いたんだから、仕方ないだろう。

「まあ、共同生活を送っているわけだし。考えてみれば不自然でもないかもしれないけどな。まあ何分、俺はこの手の話にとんと疎くて……なにかアドバイスが欲しいんだ。……って、どうした、ソフィア?」

なにやら、顔をひくつかせている。怒りをこらえているかのようにも見えた。

「それを私に相談する時点で、自分から鈍いと宣言しているようなものだと、わかってますか?」

「はあ? なにを言っているんだ、お前?」

「わかってませんね……」

ソフィアは首を振った。

はあ、とため息をつきながら、顔を手で押さえる。

……妙に馬鹿にされた気がするのは、気のせいか?

「いいです。もう。ルシファー騒動のときの反応を見て、半分諦めてましたから。……でも、私はその相談にだけは答える義理はないです」

「え? なんだって?」

「好きなだけ、思う存分、これでもかというほど悩みぬいてください」

悪意にまみれた発言をかますと、ソフィアはくるりと背を向け部屋から出て行った。かなりその歩調も荒い。

「なんだったんだ、一体?」

あとには、ソフィアの謎な言動に首をひねる俺が残された。

 

 

 

 

考える。

俺はリアをどう思っているか?

嫌い、ではない。では好きか、と聞かれたら答えに困る。

いや、好きという感情があるのは、この際認めよう。……ただ、それが友人としての枠内なのか、異性としてなのか、判別がつかないのだ。

悩みながら、肉じゃがを口に運ぶ。

……うまい。

これを作ったのもリアだ。つーか、家事全般、こいつに任せっきり。訓練もあるし、大変だろうに。

ちらっ、と俺の正面に座って、夕飯を食べているリアを見てみる。

「? なにか?」

「いや、別に」

ぐわ、やばい。変なことを考えているせいで、妙に意識してしまう。

なにか話題を……

「そ、そういえば、そろそろ訓練も終わりじゃないのか? だいぶ、魔力も強まっているようだし」

「うーん、そうですね。あと一ヶ月くらい、でしょうか?」

訓練を始めて……『人間としての』リアが死んでそろそろ半年。才能もあったんだろう。日に日に、リアは力をつけていった。

「一ヶ月ね」

リミットはそれに決めた。

今から一ヶ月以内に、俺の中のリアに対する気持ちに、明確な答えを出す。

「本当にどうかしましたか、ルーファスさん。いつも変ですけど、今日は、いつにも増して変ですよ」

……やっぱり、やめようかと思った。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

「……はあ」

重いため息をつく。

庭に備え付けてある椅子に腰掛、これまた一緒においてあるテーブルに肘をつきながら、俺はなにをするでもなく、ぼーっと遠くを眺めていた。

駄目だ。これでは。

と、思うのだが、いかんせん時間だけは有り余っている。なにせ、不老になったのだ。こう時間が一杯あると、『まあ、あとでもいいや』とか思ってしまうのは致し方ないところだろう。

リアのように、ちゃんと目的というか、することがあるというのはうらやましい。

「そういや、俺も一応、することはあったんだっけ」

リアについて考える……と決めたはいいものの、自分の気持ちなんぞ、はっきり言って、自分が一番良くわかってないのではないかと思うほどに、考えが進まない。

思考は堂々巡りの一途を辿り、結果、こうやってぐうたらしているわけだ。

「は〜〜」

「なんですか。最近多いですよ、ため息」

「……リアか」

俺のため息の原因が現れた。

「ほっとけ。俺にも色々悩み事というものはあるのだ」

「どうせ、女性関係の悩み事でしょう」

持ってきたティーセットを並べつつ、リアはそんなことをほざきやがった。

確かに、まったくその通りなのだが、その悩みの張本人に言われたくはない。そもそも、

「なぜ断定する?」

「それ以外の問題なら、ルーファスさんはその非常識かつ反則的。そして、異様なまでの力を持って解決するじゃないですか。悩んだりする前に」

「こら、ちょっとまて」

「待てって言われても。実際、学生時代はそうでしたよ?」

「俺にも色々悩みはあったぞ。そうだな……」

リアの淹れてくれた紅茶を飲みつつ、思い出す。

「そうだ。なぜ、俺の事を普通の学生扱いしてくれなかったんだ。あの学園の連中は」

うん。これはかなりの悩み事だった。

「自業自得でしょう」

「で、でもでも。とても困ってたんだぞ?」

「自・業・自・得!」

「……はい」

なぜ、こうも逆らえないんだろう。てゆーか、リアはもう少し俺の意見を聞き入れてくれてもいいと思う。

……もしかして、一生このままなんだろうか?

「それも嫌だなあ」

「なにがです?」

でも、ありそうで怖い。

「ねえ、なにがですか?」

「いや、俺はこれからずっとリアの尻に敷かれたままなのかな、と」

「そんなことしていませんが?」

こいつは、客観的に見る、と言う事を知らないのだろうか。……知らないんだろう。そういうやつだ。

「なに笑ってんですか」

「いや、別に」

「別にっていう笑い方じゃないですよ」

リアさんは、納得いかないようで、俺の頬をむにーっと引っ張ってきた。

「ひゃにふんだ。ひゃめろ」

「やめません〜」

面白そうにぐいぐいと引っ張り続ける。やめろといいつつ、俺は力ずくで引き剥がすことはしない。そりゃ、それなりに痛いが、気にするほどのことでもないし、こういうやりとりを楽しく思っていることは事実だ。

できれば、ずっとこうやって馬鹿やっていけたらいいと思う。

「あっ」

なんだ、簡単なことだ、と唐突に思った。

ずっとこうやっていきたい、と思っているなら、一緒にいれればいいじゃないか。どうせ、リアに行くあてなんぞ、ないだろーし、転生した後でも、ここで暮らしていけばいい。

あいつがどー思ってようが、望むようにしてやろう。

「ふぁふぁふぁ」

ははは、と笑ったつもりが、頬をつかまれているせいで変な笑い声になってしまった。

「なにがおかしんですかー」

「ふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁふぁ」

いつでも蒼い、俺の亜空間の空に、変な笑い声が響き渡った。……しかし、俺もだいぶ崩れてきたな。

 

 

 

 

 

 

 

さて、そんなことがあってから一週間。

いよいよ、リアが精霊となる日が来た。

適性を検査したところ、リアの属性はソフィアや俺と同じく“光”とのことだから、儀式を施行するのはソフィアになる。

人間界の文献にはすでに破棄され、精霊界のごく一部にのみ伝わる魔法陣の上に立ち、ソフィアが真剣な表情で呪文を唱えている。

それとともに、リアの霊体が徐々に変換されていき“人間”としての枠が変化していく。

すでに、儀式が始まって2時間。そろそろ眠くなってきた。

「ふぁ……」

あくびを噛み殺す。暇だが、そろそろ終わりのはずだ。すでに、リアから発せられる気配は精霊のそれになっている。

「Ω!」

一際強いソフィアの声とともに、魔法陣が消失する。

「やっと終わったか」

「はい。終わりました。これで、リアさんも私たちの仲間ですね」

リアは不思議そうに自分の体をきょろきょろと見る。

まあ、感覚的には今までと変わらないのだから、戸惑っているのだろう。これで本当に終わりか、とでも思っているんじゃないだろうか。俺も、最初は変に思ったものだ。

「あの……ルーファスさん?」

「なんだ」

「いや、で色々お世話かけっぱなしでしたから、お礼を言おうかと」

「別に。お前が死んだのも、俺の責任といえなくもないから気にするな」

あの時、どうして守れなかったのか。俺は今でも後悔していたりする。

「いや、そんなことはどうでもいいんです」

どうでもいいときたか。

「こうやって一区切りつきました。つきましてですね、今の状況をどうにかして欲しいんです」

「は?」

「私も気付いてなかったんですが……今の私とルーファスさんの状況って、所謂、『同棲』というやつではないかと……」

……いやまあ……違うとはいわないが。

「誰の入れ知恵だ?」

「サレナさんです」

あいつか……。

「で、お前はどーしたいんだ? あの家、出て行くつもりか?」

「いえ、そんなつもりはないです」

「じゃあ、俺にどうしろと?」

「だから、きちんとして欲しいんです。同棲とか言われるのは、嫌ですから」

同棲→婚姻関係にない男女が同じ家に住んで生活を営むこと

……つまり、それは。

「えーと……」

いつの間にやら、リアの顔が真っ赤になっている。しかし、回りくどい言い方だ。

てゆーか、雰囲気とかTPOとかも考慮して欲しい。リアの後ろから、ソフィアがジト目で見ているのも心臓に悪い。こっ恥ずかしくてかなわん。

「べ、別に構わんが」

声が裏返った。自分では思っていないほど動揺しているらしい。

「よかったです」

……よかった、のか?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

そんなことがあったのが、二年前。ほんっとう〜に成り行き任せながらも、俺たちは慎ましやかな結婚式を挙げ、友人たちに祝福(のようなもの)をされながら結婚した……と思う。

なにせ、あまりにもあっさり決まったため当時は実感がなかったのだ。

しかし、今は実感せざるを得ない。

なにせ、俺の腕の中に俺たちの赤ん坊がいるのだから。

「で、名前、なんにします?」

一仕事終えた顔をして、ベッドに寝ているリアが尋ねてきた。

「そーだなー」

悩む。命名、という行為をするのは初めてだ。

結局、決まったのは二日後。

リオン・セイムリート。

それが、俺たちの子供の名前だった。

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