「……えぇと、こっちの字は偽装(ダミー)だろ。つーことで、これはこっちと繋がって」

 そろそろ作業し始めて三時間は経つ。徹夜の一つや二つ、いつもなら楽勝なのだが、さすがにこう集中力のいる作業が続くと、注意も散漫になってきた。

 万に一つも失敗しないように、手順を口に出しながら封印を解除していく。

 後ろでは、フィーがかすかな寝息を立てていた。

 用意のいいことに、薄手の毛布まで持ち込んでいる。フィーの持ってきた鞄にはその他にも、夜食代わりのおやつやら、温かい紅茶など、遠足と勘違いしているとしか思えない物品が収納されている。

 半ば強引にご相伴に預かった身としてはあまり強くも言えないのだが、深夜の森は、遠足気分で立ち入るような場所ではないとわかっているのだろうか。

「……すー……すー」

「………………………」

 しかし……なんだ。

 コイツも、危機感がないというか。あ、いや、猛獣やら秘跡がどうたらとは別の話で。

 こんな人気のない――どころかまず余人が絶対に立ち入らないような場所に、知り合いとは言え男と二人きりで無防備に熟睡するか普通。

 ここで俺が狼と化したら、ぺろりんと食べられるぞ。しかも、まず証拠は残らず、完全犯罪決定。

 後で、証拠などなくとも刑が下されるフェアリィ法廷で裁断されるのは火を見るより明らかではあるが、そんな後々のことなど持ち前の若さで見えないことにして、俺のハートフルな性が暴走する事を考えなかったのかコイツ。

 考えてないんだろうなぁ、緩いもんなぁ。

 セクハラだのスケベだのうるさいくせに、変にガードが甘い。お陰で、俺は虐げられて渇ききった生活に一滴の潤いを得られることが出来るわけなのだが……そのあと、さらに砂漠に一ヶ月放置されるようなカラカラの仕打ちを受けるのだ。

 そういうわけで、フィーももう少し女の子らしい危機感とか防御力とかを身に付けてもらいたいのである。そうすれば、

「っと、しまった」

 手が止まってしまった。

 思わずマジマジと見てしまったフィーの寝顔から視線を逸らし、作業を再開する。

 とは言っても、そろそろ終わりも見えてきた。

「これが、基点だな。っと、最後の最後でトラップかよ」

 ガリ、ガリ、ガリ、と三箇所を削り取り、最後に一際大きく浮き出た秘術文字に一角加える。

 目には見えないが、目の前の壁を守っていた力が抜けていくのを感じる。魔力の流れとかにはかなり鈍感な俺でも感じられたのだから、偽装されていたから気付かなかっただけで、ここの守りに使われていた力は相当のものだったらしい。

「……ふへ? ゼータさん? 終わったんですかぁ」

 ふぁ〜、と年頃の娘にあるまじき大きな欠伸をしつつ、フィーが目を覚ます。

 こしょこしょと瞼を擦りつつ、大きな欠伸。まだ寝足りないらしい。こんな場所で、よくもまぁそこまで眠れるものだ。

「おう。丁度、今終ったところだ。いいタイミングで起きたな」

 いや、本当。狙ったかのようなタイミングだ。まさかコイツ、ずっと起きてたんじゃなかろーな?

「ん〜。まぁ、寝ていたんですけど、なーんか終った気がして、ちょっと無理して起きました」

「なーんか?」

「こう、すぴゅるるるーー、って感じで」

「……いやわからん」

 フィー自身も、自分の感覚をうまく言い表せられないもどかしさを感じているらしく、その表現になんとなく納得いっていない風だ。

 しかし、はたと気が付いた。

 そういえば、この隠された秘術式に初めに気付いたのもフィーだった。

 秘術というのは、要するに使いやすくした魔術のこと。燃料たる魔力は、どんな秘術にも使われている。

 もしかしたら、フィーは魔力を感じ取る感覚に優れているのかもしれない。先祖に魔術師がいたのかもしれないな。もしかしたら、そのお陰で俺やアルが気付くことも出来なかった違和感を感じ取れたのかもしれない。

「ま、今はどうでもいいか」

「む。わたしのこと、どうでもいいと言いますか」

「うむ。俺の意図とは少々違うが、その指摘は間違いじゃあないぞ」

 なんなんですかもー、と両腕をガッ! と振り上げて不満の気持ちを露にするフィーだが、生憎と俺はそんなショートコントに付き合っている暇などない。

 いよいよ、俺がこの秘跡で求め続けていたものが発見できるのだ。冷静沈着な俺とは言え、さすがに平静ではいられない。

 守りの力を失った壁は、ゴゴゴゴ、と異音を発しながら上へとスライドし、いらっしゃいませご主人様と言わんばかりに開いた。

「ほう。なかなか見事な手際ですね」

「ったりまえだ。ウチが、何年この手のハントをやってると思ってる……」

 ハテ、なにやらこの場で聞こえるはずのない声がしたような。

「あ、アアアアアアル!?」

「ええ、こんばんはゼータさん。あまりにもベタ過ぎる登場だったので、失敗したかと思いましたが、よかったです。どうやら、まだまだこの芸風はイケるようですね」

 芸風言うな。

「なんでお前がここにいる!?」

「なにを異なことを。一人抜け駆けしようとするゼータさんを追ってきたに決まっているじゃあないですか。無論、先程からそこの影で潜んでいましたよ」

「おまっ! あんだけ酔い潰れててどうやったら気配隠せるんだよ!?」

 つーか、普通は朝までぐっすりだろうに。

「生憎、お酒には強いもので」

 ワイン瓶四本は強いとかいう次元ではない気がする。俺なら一本でダウンだ。

「ぐっ……」

「さぁ、ゼータさん、一緒に行きましょうか? この先に何があるか、説明してもらわねば」

「拒否権発動!」

「あるとでも思っているんですか?」

 と、いきなり会話に入ってきたフィーが突っ込みを入れてきた。

「待てっ! お前、話の流れ分かってないくせに、なにをいきなりっ!?」

「ゼータさんの権利というものは、限りなく小さいんです。あるかないか? くらいの曖昧な権利なら、ない、と断言できるでしょう」

「断言するなよっ!」

 アルとフィーは、お互いぐっ、と親指を立て合っている。

 ああ、もう、こいつら気が合いすぎだっ! もう結婚でもしちまえよ!

「なにか?」

 フィーが、怪しげな念波を送っていた俺に気がつき、こちらに向き直った。

「なんでもねぇ。とりあえず、お前はあいつから離れろ。ヤツは、優男風味だが、完全無欠の危険人物だ」

 さりげなく、フィーをアルの魔手から逃れさせる。

 と、フィーは自分とアルの間に割って入った俺のことをどう勘違いしたのか、にへら、と笑い、

「あっはっは、焼餅ですかゼータさん」

「ざけんなっ!?」

 あらぬ濡れ切れに、俺は全力で抗議するが、フィーは聞く耳持たない。

 ……まあ、いいだろう。とりあえず、アルとの間にあった妙な――悪戯の成功を喜び合う子供のような――空気は霧散したようだし。

「ったく」

 やばいやばい。アルに先に唾をつけたのはオリヴィアさんなのだ。さすがに実の娘に先を越されたとなると、オリヴィアさんがどのような暴走を繰り広げ俺に八つ当たりをするか知れたものではない。

 美人とは言え、オリヴィアさんも三十……ごほんごほん。

 お肌の曲がり角がそろそろ気になり始めるお年頃。ふっと沸いて出た、顔よし性格よし、しかも実は吟遊詩人でなく国家公務員なので収入も良い。こんな超優良物件を逃すつもりはないだろう。

 ちらり、と俺は秘跡の入り口の方に目を向けた。

「うおおおおおお!?」

 なんかわからんが、今にも殺されそうな怨念が、感じられたような、感じられないようなっ!

 くっ、折角オブラートに包んだ表現に言い直したのに、これでもNGなのかあのおばさんはぁっ!?

「あ、そうそう、ゼータさん」

「ななな、なんだ、フィー?」

「家を出る前に、お母さんから伝言を預かっているのをすっかり忘れていました。なんでも『帰ったら、覚えておくように』とのことです」

「予知能力者かよっ!?」

 あな恐ろしや。エルラント一家というのは、フィーといい、なにやら時々常人離れした勘を発揮するらしい。先程、フィーを、魔術師の血族かと思ったが、あながち間違いではないやもしれぬ。

「つーか、娘が深夜に出かけるの止めろよな」

「なんでも、朝帰りでもいいわよ、とのことです」

「あー、まー、今から帰っても、帰るのは日が出てからになんな」

「そういう意味ではないと思うのですが」

 冷や汗をかきながら、アルは突っ込みを入れた。

 ……なんだ? オリヴィアさんが、娘の夜更かしを許可しただけではないのか?

「まあ、その話は置いておきまして」

 アルが、よっこらしょ、と見えない荷物を脇にどける。その荷物は、なんだか俺を不幸にさせる嫌な空気を纏っていた。

「さっ、案内してもらいましょうか」

 アルの示す先には、先程開いた秘跡の扉が、ようこそいらっしゃいませと言わんばかりに口を開いている。その先は闇に閉ざされ、中様子はうかがい知れない。

「……………」

 めっさ嫌な予感がした。

 いらっしゃいませ、といいつつ、法外な値段を吹っかけるボッタクリバーみたいな空気を醸し出している。

 いやだなぁ、怖いなぁ。中にあるのが、本当に“あれ”だとしたら、俺生きて帰れんかもしれん。中にあるものの危険性もさることながら、アルに斬り殺されそうな予感が。

「わーったよ」

 しかし、ここで回れ右して敗走するわけにはいかない。それはあまりにも情けないし、仮に国の手に渡ったとしたら、大層ヤバイものが眠っているわけであるし。

 そうなった場合、ウチの実家にも検閲が入ること間違い無しだ。

「“火よ”」

 アカウントを取り出し、パスワードとなる言霊を口にして、火を灯す。光源に、種火にと、大活躍の秘術『ファイア』である。

「さって、鬼が出るか蛇が出るか……行ってみようか」

 

 

 

 

 

 キー、という機会音をかすかに響かせ、人型が襲ってくる。無論、明かりを持つため、戦闘を歩く俺に向けて。

「アル」

 とん、と軽くバックステップ。後ろを警戒しているアルを前面に立たせる。

 人の速度の限界を軽く突破して疾駆してくる人型だが、アルは慣れた仕草でその攻撃をかわし、カウンター気味にナイフの一撃を繰り出した。

 その一撃は、人型の装甲の隙間を正確に射抜き、足を断つ。

「おーおー、スゲェ。あのレベルのゴーレムを一撃かぁ」

 バチッ、とかすかな残留魔力を弾かせ、俺達を襲ってきたゴーレムが地に伏せる。それを、油断なく接近したアルが、今度こそ完膚なきまでに破壊した。

「これだけひっきりなしに襲ってくれば、慣れもします。ここの秘跡は、死んでたんじゃないんですか?」

「あー、メインの動力は落ちてるっぽいけどな。こういうゴーレムは、スタンドアロンでも動けるように、小さな魔力炉持ってるから。ここに侵入してくるやつがいないせいで、殆ど使ってなかったんだろ。だから、まだ壊れてないってとこか」

 がっ、と動かなくなったゴーレムを蹴りつける。

 あの扉から入って、まだ十分と経っていないというのに、コイツで四体目だ。しかし、一斉に襲い掛かってこないところを見ると、経年劣化で壊れてしまったゴーレムもかなり多いのだろう。この規模の研究施設なら、本来、ガーディアンの数も三桁近いはずだ。

「しかし、頼りになるボディーガードがいて助かった。こいつらの装甲、俺の銃でも至近じゃないと撃ち抜けないしな」

「人型で、動いているんです。関節はどうしたって装甲が薄くなりますよ」

 とはいっても、ただの人間が容易に斬ることができるほど薄くもないだろう。アルの技量もさることながら、ナイフ自体も、多分秘術で強化された特別製。柄に彫られた文字を、俺は見逃さなかったぞ。

 高ぇんだろうなぁ。こっそり盗んで、売り飛ばしてやろうか。

「フィーさん、怪我はないですか?」

「あ、はい。強いんですね、アルさん」

「ていうかな」

 いい加減、ツッコみたいツッコみたいとは思っていたのだ。

 それでも、自分から危険を察して、引いてくれるかな〜、と淡い期待を抱いていたが、それも無駄だったらしい。

 よぉし。ツッコむぞ? 心の準備は言いか、こら、

「フィーーーー! フェアリィ・エルラントっ! お前、なんでここまで付いて来てるんだよっ!?」

「わっ、びっくりしました」

「びっくりじゃありませんっ! おまっ、秘跡は危険だって、前あんだけ言ったろう!」

「ええ。でも、ここは大丈夫とも聞きました」

「うわぁーいっ、お前の目は節穴かい? 節穴アイズなのかい? さっきまで俺たちに襲い掛かってきた、ゴーレムたちの姿が見えなかったとは言わせないぞコラ」

 フィーを締め上げる。

 さすがに、ここまで来られると子供のお遊びじゃ済まない。

 引き摺ってでも、元の場所まで送らなければ。

「まあまあ、ゼータさん」

「お前のまあまあ攻撃にももう飽きた。言っとくが、今回ばかりは聞く耳もたんぞ」

「いえ、そうではなく。着いたみたいですよ、目的地」

 は? と聞き返そうとしたら、なるほど、確かに薄ぼんやりとだが少し先に通路の終わりが見える。

 ファイアの小さな明かりでは、遠くまで見渡せないが、もう目的地のすぐそばまで来ているようだった。

「ここまで来て引き返すのも時間のロスです。ゴーレムは、もういないようですし、フィーさんも連れて行ってあげては」

「……むぅ」

 仮に置いてきたとしても、こっそり付いて来る危険がある。ならば、目の届くところに置いておいた方がまだ安心というものか。

「フィー。この先にあるもの、口外するなよ」

「? なんでですか」

「なんというのか、世間に知れたらヤバイものだからだ」

「世間に知れたらヤバイもの……わたしが知っているのは、ゼータさんの家賃の滞納額くらいですが」

「それよりずっとヤバイんだよっ!」

 いや、滞納額もそれはそれで別方向にヤバイのであるが。

「……ちなみに、今いくらになってる?」

「えーと」

 フィーは少し悩んでから耳打ちしてきた。

 えーと、なになに、一、十、百……

「がっでむっ!?」

「わっ、びっくりしました」

 ヤバイなんてもんじゃなかった。まさにクライシス。俺、マジやばい。このまま風月亭に帰らず逃げ帰ろうと思ったくらいだった。

 具体的な金額は聞かないで欲しい。俺の年収は余裕で超えるとだけ言っておこう。

「つーか、どっかで割り増しとってねぇか?」

「それは言いがかりというものです。なんなら、明細をお出ししてもいいですけど」

「請求書は俺の実家に送ってくれ。王都のエヴァーシンっつったら、誰でもわかる」

 あの実家なら腐るほど金はあるはずだ。俺がこんな稼ぎのない仕事に身をやつしているのも、元はといえば妙な家訓が元凶。こんなときくらい、役に立ってもらわねば。

「うわ、その歳で親の脛を齧るなんて、最低ですね」

「知らないのか? 親の脛は齧るためにある」

 名言である。名言過ぎて、さすがにちょっと情けなくなってきた。

 なってきたのだが、胸を張る俺に、フィーはなにを言おうか考えあぐねている様子なので、前言は撤回しないでおこう。

「あの、そろそろ行きませんか? その、漫才は、帰ってから存分にすればいいでしょう」

「誰が漫才か。わかってるよ。ちょっと場を和ませるジョークだよ」

 申し訳なさそうにするアルに、俺は手をヒラヒラさせて歩き出す。

 目的の場所は、本当にすぐそこだ。

「うお」

 固く、狭い通路を抜けた先。

 そこは、本当に広い空間だった。

 少なくとも、俺の持つ小さな明かりでは、その全容をうかがい知ることは出来ない。幅は五十メートル以上。奥行きは……壁に遮られてわからない。天井に関しては、多分、秘跡の地下一階までは突き抜けていることだろう。

 俺達がさっきまでいた秘跡全部より明らかに大きい。つまり、こちらがこの秘跡の『本体』に違いない。

「さって、目的のモンもあったし、ちゃっちゃと破壊すっかぁ」

 俺の言葉に、アルは慌てたように詰め寄ってきた。

「な、なにが目的のものなんですか? ちゃんと教えてください」

「ヤだ」

 気付いていないのなら好都合。俺は、人知れずリュックの中から持ってきたあるものを取り出そうと……

「あ、アルさん。これ」

「フェアリィさん?」

 フィーは、前方の壁を指差している。……チッ、本当に勘がいいな。

「壁、がどうかしたんです……」

 アルも気が付いた。壁というには、これは明らかに凹凸が多すぎる。

 もう隠せないだろう。仕方なく、二人を促して共に歩み寄ってみると、その壁の前には穴がある。きっと、地下深くにまで続いているのだろう。壁は、そのずっと下の方まで続いている。

 いや、もう表現を誤魔化すのはよそう。

 俺達の目の前にあるのは、壁ではない。壁と見間違うほど、大きな……それこそ、何十メートルという大きさの……巨大なゴーレムだった。