瞬く間に、一週間ほどが過ぎた。
この一週間は、アルと一緒に秘跡に通い詰め。アルとハーヴェスタの秘跡にある“モノ”を探し出す競争を始めたはいいが、まったく進展はない。アルが『お、これは!?』などと思わせぶりな事を言って、俺をからかう癖ができてしまっただけだ。
……くそう。初めて会った頃の紳士的な態度は擬態だったのか、アル?
いやまぁ、それはまだいい。
目下俺の頭を悩ませる一番の問題は……二日前、オリヴィアさんの発言から始まったのだ。
「アルさんとゼータくん、ここのところずっと二人で出かけてるわねぇ。帰りもいつも遅いし。……もしかして、二人はできているのかしら?」
この時、意味を理解するのに十秒。ナニを妄想したのか顔を赤らめ頬に手を当てているオリヴィアさんに文句を言おうと口を開いたら、フィーの『えええええええ!!!?』という悲鳴に遮られ、弁解することもできずに今に至る。
いや、正確には弁解はしたのだが、全く信用してもらえなかった。もう一人の当事者であるはずのアルは、はははと怪しい笑みを浮かべるだけでものの役にたたねぇし。
……いや、誤解されるだけならまだいいのだ。全然よくないけど。
それ以上に、ちょいと今は面倒な事態に直面している。
「……なぁ、アル。あいつ、どうかしてくれよ」
「おや。ゼータさんも気づいていらしたのですか」
「舐めんなよ」
視線だけを後ろにやって、ちょこまかと俺たちの後を付けてきているフィーを観察する。
一応は身を隠す気があるのか、それなりに距離をとって木の影や草むらの後ろを移動しているが、所詮素人の尾行。ちょっと注意深い人間なら、気付く程度のものだ。
「あいつ、店の手伝いあるはずのくせに」
「いやはや。ゼータさん、愛されていますねぇ」
さわやかな偽物の笑顔を貼り付けている偽善者が見当違いなことをほざいているが、無視する。
「この森、けっこう危険だからな。早く帰さないと」
「なら、そう言えばいいじゃないですか。なんで放っているんです?」
「……お前。あのフィーが俺に言われたからって、大人しく帰ると思っているのか? いや、帰ったとしても、間違いなく俺とお前のホモ疑惑を深めるぞ、絶対」
「いいじゃないですか。どんと来いですよ」
あっさり言うアルに、俺はとっさに距離をとった。
「なに逃げているんですか?」
「お前、まさか……その、本物?」
身の危険を感じて、ケツを隠す。
「なにが本物かは知りませんがね。どうせそんな噂になっても、割を食うのはゼータさんですし。見ている分には面白い見世物ですから」
「お前ともいっぺん決着をつけなきゃいけないようだな……」
殺意をこめて睨みつけるが、あっさりと流される。彼我の実力差を考えると、当然と言えば当然だ。現役エリート諜報員サマに、一介のルインハンターが太刀打ちできるはずがない。『決着、つけますか?』とでも言いたそうなその視線に、俺は返す言葉を持たなかった。
それでも気持ちだけは負けていられないので、不意打ちのプランを二、三個ほど頭の中にストックしておいて、本題に戻ることにする。とりあえず、夜討ち朝駆けは基本だよな。
「ま、お前がフィーに言うのが一番波風が立たないやり方だと思うぞ。そうだ。ついでにあいつ連れ帰ってやれ。一日くらいで、秘跡の調査は進展したりしねぇからさ」
「……ゼータさん。そんなことより、今何か不穏当な事を考えませんでした? 不意打ちとか」
「なななななんのことかかかか。わ、わかったもんじゃねぇですじょ?」
「あの……自分で指摘しておいてなんですが、そこまでわかりやすいのもどうかと思いますよ? 右の手足と左の手足、同時に出てますし……」
だが、自分を瞬殺できるようなやつに敵意を悟られたら、このくらいの反応は当然だと思う。……いや、しかし、どうして俺の考えていることがピンポイントでわかったんだろう。
「単なる当てずっぽうだったんですけどねぇ」
「……つまり、お前の中の俺は、日常そんなこと考えている危険人物ってわけか?」
そうでもないと、当てずっぽうでもあんな言葉は出てきたりはしまい。
「それはそうと」
「スルーかよ」
「フェアリィさんを説得するのは、やはりゼータさんの役目だと思いますよ。彼女が付いてきているのは、ゼータさんのせいですし」
わけわからん。
「俺たち二人のせいだろ?」
「……ゼータさん。まさか、フェアリィさんが、私たちの同性愛疑惑に興味を持って、好奇心でつけているとか考えていませんか」
「違うのか?」
「まぁ、好奇心には違いないでしょうが……」
やれやれ、とこれ見よがしに肩を落とし、ため息をついてみせるアル。なんだ、なんでこんな馬鹿にされんといかんのだ?
「なんだよ。言いたいことがあるならはっきり言え」
「いえ。私が教えたことがフェアリィさんにバレたら、きっと怒られると思うのでやめておきます」
「フィーが怒ること?」
確かに、それはあまり愉快じゃないことだろう。知らぬが仏というものだろうか? かなり気になるが……
「とにかく。早くフェアリィさんのところに行ってきてあげてください。これ以上森の奥に入ると、猛獣の類のテリトリーですよ」
「あ、ああ」
釈然としないものを感じながらも、俺は転進してフィーの元へ向かう。
俺が近付くにつれ、わたわたとした雰囲気が今フィーの隠れている木の影から感じられるが、気にせずひょいとフィーの首を捕まえる。そんな俺に、フィーはたははと誤魔化すような笑みを浮かべ、
「あれ? ゼータさん。ぐーぜんですね」
「偶然で片付ける気か、お前」
「いや、偶然ですよ。もう、不幸な事故。まさか、ウチで使う薬草を取りにきたらゼータさんに遭遇するなんて。わたしの人生でも五指に入る不幸なアクシデントです。今日は天中殺とかかしらん、タハハ」
聞いてもいないのにまくし立てるフィー。しかも、思いっきり不幸という単語を強調してみせる。俺と会うのがそんなに嫌なのか、貴様は。
「ほう。確か、風月亭で使うヤツは、森の入り口でも十分採取できるし、お前も普段はそうしてたような気がするが、これは俺の気のせいなのか」
「気のせいですよ〜。気・の・せ・い。全く、その若さで痴呆が始まってるんですか? ないのはお金だけじゃなく、頭もだったんですねえ」
「金は関係ないだろうが!」
聞き捨てならんことを口走り始めたフィーの頭をぐわしっ、と掴み、前後左右に振りまくる。『ああ゛あ゛〜〜!?』と情けない悲鳴が森に響き渡った。
しばらくそうしたら、俺は満足したので、フィーを開放してやる。
「な、なにするんですか。うぁ、髪の毛めちゃくちゃ……」
「あのなぁ。この森危険だから、入っちゃ駄目だってオリヴィアさんも言ってただろうが」
恨みがましい目で俺を睨み、手で自分の髪を撫で付けるフィーを叱咤する。
実際、この森の深部は大の男でも命の危険が伴う。俺やアルみたいな人種か、本職の狩人でもないと足を踏み入れるべきではないのだ。
それはフィーも十分わかっているのだろう。なにせ、生まれた時からハーヴェスタの町で暮らしてきたのだ。幼い頃から、この森に入ってはいけないと口を酸っぱくして言われてきたに違いない。
しゅん、となったフィーをどうするべきか、と俺は考える。
このまま帰せば問題ない、と思っていたが、すでにここは町からかなり離れている。一人では少々危険だろう。もう少し早く止めるべきだったと後悔するが、今更遅い。
「いいじゃないですか。フェアリィさんも秘跡に案内しては?」
「えっ!? いーんですかぁ?」
なにやら嬉しそうな声を上げるフィー。そういえば、前々から秘跡に興味を持っていたような気がする。
「は?」
だが、俺は思わず聞き返してしまった。
「問題はないでしょう? むしろ、このまま一人で帰す方が紳士として問題だと思いますが」
確かに、それはそうなのだが、連れて行くというのは飛躍しすぎというものだ。秘跡は夢もいっぱいだが危険もいっぱいなのだ。だが、フィーを一人で帰せないのは事実。
今から行くハーヴェスタの秘跡は、俺らが探しているブツを除けば、探索されつくして危険も全て排除された“死んだ”秘跡であることだし……
「ま、いっか。……でも、俺の言う事キチンと聞けよ」
「俺の言う事聞けッ! って、偉そうですねぇ。亭主関白?」
フィーが小首をかしげてこちらを指差してくる。
「茶化すな」
「はいはい。……あ、一応言っておきますけど、亭主ってのはものの例えですよ? 変に誤解して、期待しないように」
「しねぇよ!? 期待ってなんだ期待って!?」
きゃー、とはしゃぎながら、フィーはアルの背中に隠れる。
アルは困った顔で、それでもフィーを嗜める様子はない。
……はぁ。もう、どうなっても知らんぞ。
秘跡に着くなり、フィーは俺が止めるのも無視してはしゃぎ始めた。『これなんですかー?』と他のハンターに放置されるようなガラクタに眼の色を変えてはアルに尋ねている。……オイ、コラ。一応、俺の方が専門家なんだぞ? なぜアルに聞く。
「フィー。あんまりそこら辺触るな。危険だ」
「えー? ぜんぜん平気ですよ、ホラ」
つんつくとそこら辺に触れまくるフィーに、俺は頭が痛くなる。
危険は確かにほとんどない。この秘跡に住み付いていた獣も俺があらかた追い出した上で、獣の嫌がる香を焚いた。森の中に比べればこのハーヴェスタの秘跡はずっと安全だ。
だが、これを機に全ての秘跡が安全だという認識が生まれても困る。一般人であるフィーに、秘跡に入る機会が早々あるとは思えないが、ゼロとも言い切れない。ここは、プロらしく窘めてやろう。
「あのなぁ、フィー。この秘跡はもう“死んでる”から平気だけど、もし一般の秘跡でそんな無用心な真似したら、お前とっくに死んでるぞ?」
「え?」
死、という言葉に反応したのだろうか。フィーの気配が若干緊張したものに変わる。
「そもそもな。古代文明が滅んだ原因だって、行過ぎた兵器開発が原因だっていう歴史研究家もいるほど、秘跡にはわけわからんトラップやらガーディアンやらがひしめいてんだ。全部が全部、秘術理論を応用した魔術的なモンだからな。普通の人間は対処できなくて、死ぬ」
古代文明を栄華の極みに至らしめたのは、世の中ではツチノコよりも使い手の少ないと言われる“魔術”なんていう得体の知れないものを体系だった学問として確立し、秘術という形でパンピーにも使えるようにした……というところが大きい。人が使わなくても、燃料たる“魔力”さえあれば、条件付けで発動させることが可能。工業化までしていたっていうから、その技術力のすごさは想像の外も外だ。
そして、その文明が最も発展させたのが、兵器部門。一説によると、街を一発で灰燼と帰してしまうような爆弾や、大地を裂く剣などもあったらしい。眉が唾でベトベトになりそうな話だが、否定できないのが古代文明の恐ろしいところだ。
とまぁ、そんなわけで、未だ生きている秘跡では、現代の常識からは考えられないほど物騒で強力なセキュリティが施されている。昔の人は本当にこの施設を使っていたのか? と疑いたくなるような執拗振りだ。
このハーヴェスタの秘跡も、探索される前は熟練のルインハンターのパーティが裸足で逃げ出すほどのものだったらしい。
「はぁ、よくわかりました。つまり、秘跡は危険だけど、ここは大丈夫、と」
「待てぇ! 間違っちゃいないが、俺の伝えたい要点はそこじゃねぇ!」
秘跡と古代文明について訥々と言い聞かせたのに、フィーはそんな結論に達してしまった。なんでだ。俺の説明の仕方が悪いのか。
そんな俺の苦悩をよそに、アルは指を立て、子供に言い聞かせる教師のような口調で、
「はい。そういうわけですから、フェアリィさんも秘跡の中では十分注意しなくてはなりませんよ? おやつは五百円まで。バナナはおやつに入らない」
「はーい」
「こらお前ら。もしかして結託して俺を馬鹿にしてねぇか!? いや、そうだ。そうに決まっている。種は割れたから、とっととそこになおりやがれ畜生!」
うがー、と不満を爆発させる俺を、アルはまあまあと抑え、フィーはそのアルの背中に「キャー」と逃げる。くそっ、なんだこの二人のチームワークは!?
歯軋りしながら、言い知れない敗北感を感じつつ、俺はのっしのっしと秘跡の地下二階へ二人を置いて進んで行くのだった。
「ゴメンですって、ゼータさん。そう拗ねないでください。もう、いっつもいつもわたしを困らせて喜ぶんですから」
「喜んでねぇ!?」
……しまった。つい反応してしまった。
俺は今、断固ストライキ中なのだ。どうせフィーにはアルがついているし、この二人は無視して調査を進めるのだ。おお、もしかしてここは隠し扉がある? ……違った。
「まぁまぁ、フェアリィさんもその辺で。ゼータさんはしばらく放っておきましょう。どうせお腹が空けば飢えたケダモノのようになって、私たちにたかってくるんですから」
「お前、言うに事欠いて! 俺はそこまで落ちてな「そうですね」速攻肯定!?」
……いかん。口喧嘩では俺が圧倒的に不利だ。ああ、身に付いてしまったこのツッコミ体質が憎らしい……!
が、しばらく経つとフィーも俺につっかかるのに飽きたのか、一人でそこらへんを歩き回っている。まぁ、アルも、見えないところには行くなと厳命していたから、特に危険は無いだろう。
「ゼータさん。アカウント貸して下さい。暗くて良く見えないんです」
「……いいけどさ」
もう逆らうのも面倒くさくなってきた。
ほい、と投げ渡す。疲れているせいか、命の次の次の次の次の次の次の次くらいに大切なアカウントも、ぞんざいな扱いになってしまっている。
……なに? 順位が低い? 仕方ないだろ。俺にだって他に大切なものの一つや二つや三つや四つあるんだい。大体、ハンターの免許程度が命の次に大切ですって公言する奴の方が、よっぽど人間としておかしいぞ!
「ん〜? やっぱり良く見えない……」
フィーは、『ファイア』の秘術で明かりを灯して、壁を凝視している。
「なんか書いてあんのか?」
あそこら辺はすでに俺も調べたが、特になにもなかったような気がするのだが。
意外とフィーは目ざといところがあるから、なにかに気付いたのかもしれない。興味を引かれ近寄ってみる。アルも同様だ。
「……? これって、単なる傷だろ?」
フィーが熱心に見ているのは、長い年月で壁に刻まれた細かな傷だ。確かに、見ようによっては意味ありげな記号に見えない事もないが、特に意味なんてな……ん?
「ちょっと待て。このフロアの壁材、そう簡単に傷つくやつじゃないだろ?」
汚れは付いていても、ここの他は壁に傷なんて全然無い。現代の技術では解析不明な材質を用いているのだろう。加工も出来ず、持ち帰ろうにも一欠けらすら採取できない壁材……そんなものは、重要度が高かったと推測される秘跡に時折見られる。
……当然、現在手に入る最硬の物質でも傷を付けることなど不可能だ。
「抜かった……。なまじ慣れてっから、傷なんてスルーしてた……」
だが、通常の秘跡なんて、ぼろぼろになるのが常だ。ちょっとした傷くらい無視してしまうのも無理はないと自己弁護しておく。
「え? え?」
「大発見ですね、フェアリィさん」
「え? これってなんかすごいんですか?」
これがビギナーズラックというやつか……。俺は感嘆しながら、その傷が付いている箇所を慎重に剥がしていく。……予想通り、ここだけ材質が他のとは違う。
全部剥がしてみると、文字の羅列でできた文様が壁に出現した。大きさは高さ二メートル幅三メートルほどの幾何学文様だ。隠されていたのはこいつらしい。
「……これは?」
アルがこちらに視線を向けてくる。
「封印の秘術式の一種……だな。こんな複雑なの初めて見るが、なんとか解除してみる」
封印……古代人がなにかを隠したいときに用いる秘術の一種。定められたパスを入力すれば一瞬で開放されるが……そうでない場合、正確にこの文を削り無効化しなくてはならない。
通常の秘術式が俺達の使っている言葉とするならば、封印の術式は暗号だ。解くためには今まで多くのハンターが蓄積した知識とあとは勘の作業しかない。
どんなカウンターアタックがあるかわからないから、慎重に慎重を重ねる。
「……から、お前ら、逃げんな」
封印式の侵入者撃退機能について説明するなり俺から離れる二人。不正な侵入者には上位攻撃秘術が襲ってくるとなれば、仕方ないかもしれないが、俺をもっと信用して欲しい。
「さて……」
舌なめずり。
これだけの封印で隠すモノ……間違いなく、俺の求めるものがこの先にある。気分的には、宝箱の鍵を開ける盗賊って感じ。
作業用のナイフを取り出し、俺は封印式に向かった。