風月亭に帰ってきた。すぐにオリヴィアさんが俺の方に寄ってくる。

「あらら。ゼータさん。なんか、フィーが泣きながら帰ってきたんだけど」

 一応、家には帰ってきていたのか。とりあえず、あのままどっかに行ってしまうという危惧はなくなった。

「ああ、それがですね……」

「性犯罪者?」

 俺を指差しながら、オリヴィアさんが聞いてくる。……って、

「なんスかそれ!? 人聞きの悪い事言わんでください! 俺がそんなことするわけないじゃないですか」

「えー、むしろ今までよく我慢してましたねー? みたいな」

「うっわ、俺の評価低っ!」

 薄々感じてはいたが、まさか犯罪者予備軍にまで数えられていたとは。まあ、秘跡で拾ったガラクタを口先八寸で質屋に売り込んだりはしたが……

「それはいいんですが」

「いや、アンタ仮にも娘がどうこうされたって思ってるくせに……って、ぐえっ」

 いきなりオリヴィアさんに襟を掴まれて影に引っ張り込まれた。

「あの後ろのハンサムさん、誰?」

 アルのことを言っているらしい。

「誰って、あんたんとこの客ですよ」

「お客さん?」

「ええ。泊まるところを探してたから案内したんですが、まずかったですかね?」

 すでに俺の言うことは無視して、値踏みするような目でアルを凝視するオリヴィアさん。

 か、狩人の目?

「じゃあ、あの人はゼータくんの友達とかじゃないんですね?」

「いや、さっき知り合ったばかりですけど」

「なら安心」

「なにが!?」

 なにやら、ものすごく失礼な事を言われているような気がする。

「いらっしゃいませー」

 俺の声に答える事もなく、オリヴィアさんは営業スマイル百二十パーセントでアルに歩み寄っていく。

「風月亭へようこそー。お泊りですか?」

「あ、はい。とりあえず一週間ほどお願いしたいんですが」

 アルは背中に背負っていた荷物から皮袋を取り出す。その中から金貨を何枚も取り出して、オリヴィアさんに渡す。

「まあ。ちゃんとお金を払ってくれるなんて」

「え? 当然でしょう」

「いや、それがですね。お金を払わないまま三ヶ月も居座っている人が連れてきたのですから、てっきり」

 意味深な視線をこっちに送ってくるオリヴィアさん。

「ほう、三ヶ月も」

 それを聞いて、アルも微妙な視線をこちらに向けてくる。

 お、俺をそんな目で見るなぁーーー!

「オリヴィアさん! フィー、どこにいるんですか!」

「えー? いつものとこじゃない。こういう時はたいていあそこにいるんだから」

 それだけ聞くと、俺は二人の視線から逃げるように階段に向かう。後ろでは、アルと楽しげに談笑するオリヴィアさんの声が聞こえてきた。

 ……ケッ、未亡人が男漁りかよ。そう小声で毒づくと、

「ぬおっ!?」

 風切り音が聞こえたので、とっさにしゃがむ。一瞬遅れて俺の頭上をなにかが通り過ぎ、壁に突き刺さる。

 ……包丁だった。

「お、オリヴィアさん?」

 恐る恐る、それを投擲したであろう人物に目を向ける。

「へぇ、吟遊詩人さんなんですか」

「ええ。まあ、しがない自由業ですよ」

 アカン。後ろに回した手にもう一本包丁を持ってやがる。どうやら、アルの死角から手首のスナップだけで投げたらしく、アルの方はぜんぜん気が付いていない様子。

 これ以上逆らったら、殺られる……

 そんな確信にも似た思いに突き動かされて、俺は慌てて二階へと上るのだった。

 

 

 

 俺が間借りしている部屋から、窓へ。

 昨日、俺が突き落とされた屋上へと昇る。

「……む」

 屋根に腰掛けていたフィーは、俺を発見すると、やおら不機嫌な表情になりぷいっと目をそむける。

 俺は、何も言わずにフィーの隣に座った。

「……ゼータさんのせいで、とんだ恥をかきました。コレでしばらく、表通りを歩けなくなったじゃないですか」

「俺のせいか! 俺のせいなのか!?」

「もちろんです」

 事の成り行きを鑑みてみるに、どう考えても責任はフィフティフィフティなのだが。

 ……いや、待て待て。アルに言われたばかりじゃないか。所詮、フィーは餓鬼。ここは俺が大人な態度を見せ付けてだな……

「第一、    ただでさえ世間の最下層に位置してるんですから、もう少し肩身を狭くするべきだと」

「よーしフィー黙りやがれこん畜生。悪いのはお前だ! 今決まった」

「なに言ってるんですかね、この人は」

 ハッ、とせせら笑うフィー。『あら。社会的弱者が何か妄言を吐いていらっしゃいますわ』とでも言いたげなそのタカビーな笑みは、俺の殺意を喚起してやまない。

「てめっ……」

「追い出されたいんですか?」

「ぐぉっ!?」

 俺に対して、必殺のワードを放つフィー。確かに、今の俺の立場は、宿の一室を不法占拠していると言っても良いくらいの状態。当然、文句を言えるはずもないのだが……

「はっ! そ、そのくらいで引く俺だと思うてか! いつまでも、権力を笠に不当な弾圧を加えられると思うなよ!」

「いや、これでもかってくらい正当なんですけど。自警団の人呼ぶのがお望みですか?」

「ひ、卑怯だぞフィー。公権力に頼るなんて、まともな淑女のすることじゃない!」

「いやもお。そろそろ理屈が破綻してきてますね……」

 自分でもなに言ってるかわからなくなってきているのだが、それを気取られると一気に攻め込まれる。よって、俺は畳み掛けるように言葉を紡いだ。

「破綻なんぞしていない! 話を戻すが、あそこで世間の皆々様に奇異の視線で見られた元の原因は、お前が俺を殴ったからである! 俺に責任は一片もないし、最近日々のカロリーが生命維持ギリギリだし(?)! そろそろ俺の人生上向きにならないかなぁ具体的にはいきなり親の決めた許婚が押しかけてラブコメとかいいなぁ。だけど、所詮俺の周りにいる女は、色気ゼロの宿屋の娘と、やたら怖いその母親しかいねぇし、こりゃダメダナァあっはっは――」

「……………」

 心底呆れたような目で見てくるフィー。いや、俺もさっきの発言を猛烈に後悔している最中であるからして、そこら辺は突っ込まないでくれると嬉しいのですが――! 途中からまったく関係ない願望混じってたしっ!

「……で」

 氷の女王もかくやという冷たい声。

「よくわからないんですが、ゼータさんはこの宿を追い出されたいらしいなー、ってことでいいんですか」

「待てフィー。早とちりはいけない。俺はそんなこと一言半句たりとも発言してないですよ?」

 やけに低姿勢に出る俺。だから、一度攻勢に出られたら一気に攻め込まれるんだって……

「じゃあ、こうしましょう。アカウント貸してくれたら、許してあげます」

「待てコラ」

「駄目なんですか?」

「阿呆! んなことしたら、俺、アカウント剥奪されるわ!」

「そこをなんとか。だって、面白そうじゃないですか」

「それだけかよ!? それだけで、人の稼業を潰そうってか、おお!?」

 ちぃっ! 仕事の神聖さも分からん餓鬼めが。

「あ、ゼータさん違いますよ」

「あン?」

「お金を稼げない仕事は“稼業”とは言いません」

「…………」

「…………ゼータさん?」

「や、やかましいわ!」

 もっともだと、一瞬納得してしまった自分が情けない。

「……ほれ」

 もう、これ以上問答するのも面倒くさいので、さっさと渡すことにする。

 上の方に名前とナンバー。下のほうに、二行の古代文字の刻印されたカード。一般に、アカウントと呼ばれる、ハンターの免許である。

「あ、いいんですか? こう言っちゃなんですが、プロ意識に欠けてますね」

「なあ。お前、それは突っ込んで欲しいんだな? そうなんだな?」

「え? なんのことですか?」

 わかってないのか、わかっててとぼけているのか判断に困る表情で、フィーはアカウントを嬉しそうに弄っている。

 このアカウント。身分証明以外に、一つ特殊な機能が付加されており……

「えっと。登録してるの、なんでしたっけ?」

「……『ファイア』と『エイド』だけだ。パスは『火よ』と『治れ』。言っておくが、あまり使いすぎんなよ。ぶっ倒れるぞ」

「そのくらい分かってます」

 火よ、とフィーが小さく唱えると、ぽっとアカウントから小さな火が生まれる。火打ち石もなにもないところから火を出す。あたかも、魔術のようだ。

 だが、これは、魔術みたいに何十年も学ばなければ使えない類のものではない。

 秘術……そう呼ばれる古代文明の遺産の一つだ。

 原理的には、魔術と大差はない。生命力を魔力と呼ばれる力に変換。定められた術式に従い、その力を目的に沿ったものに変質させる。

 ただ、魔術が言霊と図形(シンボル)、儀式によって力を変質させるのとは違い、秘術は予め決めたパスさえ唱えれば、あとは勝手に施術者の生命力を吸って起動する。

 それを為すのが、アカウントに刻まれた古代文字の羅列『秘術式』である。現代の技術では、新しい秘術式を生み出すことは出来ない。必然、新しい秘術式を秘跡より『発掘』した者は、莫大な富を得ることが出来る。

「おい。火事になるから、建物に向けてファイアを使うんじゃない」

「……えー。まあ、一理ありますけど」

「一理だけかよ!」

 無論、制約もある。秘術文を刻むのは、ミスリルと呼ばれる特殊な金属でないといけない。さらに、一つの秘術に使う魔力は一定であり、適性のないものがむやみに使うと、すぐに生命力が空っぽになってしまう。逆に、どれだけの魔術的素養があろうとも、予め定められた以上の効果を得ることは出来ない。

「じゃあ、エイド使ってみましょう。ゼータさん。ごめんなさい」

「こら、待て。なんで謝る? それにその手に持った果物ナイフは何だ? まさかたぁ思うが」

「……嫁入り前の娘が、傷をつけるのはよくありませんよね?」

「断る! お前、人を実験台にするんじゃねえ!?」

 ミスリルは貴重な金属だし、秘術を犯罪に転用されては敵わない。よって、秘術を使えるのは、国家試験に通ったルインハンターと一部の許可を受けた者だけ。しかも、秘術を刻んでもらうには、それなりの金を積まなくてはならない。

 そう。アカウントの取得と、旅したりするのに必要な二つの秘術を買っただけで、俺の子供の頃からの貯金が全部吹っ飛んでしまうくらい。

 くそう。こんなに一所に滞在するくらいなら、買わなきゃ良かった……

「さぁて。大丈夫ですよ。ちょっとちくっとするだけですから。は〜い、痛くない痛くない」

「俺は注射を嫌がる子供かよ!? って、なに笑顔で傷をつけようとしてる!!」

 そして、当然のことながら……許可を受けてない一般人に、秘術を貸すのは犯罪だったりするのだが、その辺分かってんのかそこの猟奇殺人的少女!

「もぉ。なに本気で逃げてるんです。冗談に決まってるじゃないですか」

「……本当か? 本当なのか?」

 笑顔でナイフを引っ込めるフィー。しかし、まだ油断ならならないと、俺は腰が引け気味だ。

「もちろんです。ゼータさんを傷つけたナイフなんて、これから使えなくなっちゃいますし。なんてゆーか、腐敗? しちゃうから」

「……なあ。それは暗に俺を人間扱いしてないってことか? てか、そろそろ俺を扱き下ろすのもほどほどにしとけよ」

「ええ!? わたしのライフワークを、そんな!」

「なんでそんな意外なこと言われたような反応するかな! てか、ライフワーク? ライフワークつったかお前今!?」

 そんな風な扱われ方をするのは、不本意極まりない。

 つーか、ライフワークって一生かけてする仕事や事業って意味なんだが、ちゃんと国語辞典調べて喋ってるか小娘。

「いやいや。ゼータさんのツッコミも、そろそろ職人芸の域に達してきましたねぇ」

「お前のせいだよ!」

「“せい”じゃなくて、“おかげ”でしょう?」

「あーもう、一から十までなにもかもわかってねぇコイツ! つーか、アカウント返せコラ」

 まだフィーの手にあるアカウントを取り返す。……と、思ったのだが、弾いてしまい、屋根の上を滑り落ちていく俺のハンター免許。

「あっ……と、止まれって」

 手を伸ばすが、今一歩で届かない。その間にもアカウントは離れていく。

 据わっている上体では届かないと、中腰になって取りに行こうとすると、

「わっ」

 なんと、フィーの投げていた足に躓く。当然、屋根の上という不安定な場所でそんな事態に陥れば、俺も落ちていくのは明白で、

「ぜ、ゼータさん?」

 俺は二日連続で、風月亭の屋上からのダイブを敢行するのだった。

 

 ――ああ、エイド買っといてよかったなぁ。

 

 

「おや。なにやら表が騒がしいですね」

 オリヴィアとの会話をいったん中断して、アルは玄関の方を向く。

「ああ、大した事じゃないと思いますよ。この前の通りは、人通りも多いですし。喧嘩かなにかでしょう」

「喧嘩って……」

「よくあることですし、そうと決まったわけじゃ――」

「あ、私、ちょっと様子見てきます」

 と、オリヴィアのいう事を全部聞く前に飛び出していくアル。若いっていいわねぇ、とオリヴィアは微笑む。

「さて、あたしも見に行ってみましょうか」

 店の前で騒がれて、営業に支障が出たらかなわない。どうせすぐ沈静化するだろうが、様子を見に行っておくに越したことはないだろう。

 で、そんな軽い気持ちで外に出たオリヴィアを待っていたのは、昨日と同じく風月亭の前にある露天に突っ込んだゼータの姿だった。

「……あんちゃん。オレになんか恨みでもあんのか?」

 いつもここで果物を売っているおっちゃんが泣きそうになりながら言った。

「い、いやそんな。言うなれば、不幸なめぐりあわせと言うか、むしろフィーのせいと言うか!」

 必死になって言い訳するゼータ。責任転嫁しないでくださいー、と上の方で声がした。

「えっと。ゼータさん、大丈夫ですか?」

「ああ、アルか。平気。擦り傷程度だ。こんなん……“治れ”」

 アカウントを手に、ゼータがそう呟くと、僅かにあった傷がみるみるうちに治っていく。

 治癒系秘術『エイド』。軽い傷などなら、これですぐに治ってしまうという、なかなか便利な秘術である。

「それって――」

「ああ。俺、ハンターなんだ。まあ、三流だけどさ」

 驚いたように見るアルに、ゼータは軽く答える。

「ハンターのにいちゃん。片付けるの、手伝ってくれねぇかな?」

「はい、ただいま!」

 少々怒りの混じったおっちゃんの声に、ゼータは瞬時に反応して片付けに入る。弁償させられてはかなわない、とその動きはいつになく機敏だ。

散らばった果物類を神速で掻き集め、ちゃっちゃと並べていく。おっちゃんは店の方をなんとか組み立てなおそうと四苦八苦している。

 そんな風だったから、アルがなにやら考え込んでいるのに気付いたのはオリヴィアだけだった。

「どうかしましたか、アルヴィンさん」

「……ちょっと」

 そう答えるアルの視線は、ゼータに固定されている。珍しい生物だから、興味を持っているのかしら? と、オリヴィアは非常に失礼な想像をした。

「一つ聞きたいんですが、ゼータさんのファミリーネームってなんですか?」

「え?」

 オリヴィアは一瞬詰まる。

 最初に来た時、宿帳に記入してもらったはずだが、それもけっこう前の話だ。すぐに思い出せない。

「えーと、確か……」

 それでも、長年この商売をやってきて培った記憶力で、なんとか思い出す。

「エヴァーシン。たしか、エヴァーシンだったと思いますけど」

 

 

 

「ん?」

片付けをしていたら、なにやらアルがものすごい目でこちらを見ているのに気付いた。

「アル。どうかしたのか?」

「……いえ。お構いなく。ゼータさん。私も片付け手伝います」

「? そうか。サンキュ」

 やはり様子がおかしい。

 なんで、こんな敵意の入り混じった視線を受けなければならないんだ? コイツは、そう悪いやつじゃないと思ったんだが。美形だけど。

 もしかして、ルインハンターに偏見持ってる人? いや、しかし吟遊詩人もアウトローっぷりじゃ大差ないし。

「???」

 俺は、結局わけがわからず、そのまま片付けを続行するのだった。

 しかし、本当になんでだろう?