「……は?」

 場違いなまでに間抜けな声が出た。

 フィズを中心とした、魔物たちの包囲網。その外側から、できるだけ彼女の助けをしようと、魔法を出来る限り放っていた。

 そんなクレスの猛攻も、もはや力尽き、あわや殺される、というところで、

 剣が。フィズが振るっていた聖剣が、一直線にこちらに飛んできた。

「え……?」

 途中にいる魔物らは、まるで障害になっていない。エレメンティアは黒い影を、まるで紙かなにかのように貫きながら飛翔する。少しでもその刃に触れた魔物は、すぐさま塵と消えていた。

 それは、まるで蟻の群れを踏み潰すかのように。

 時間にして、瞬きほどの間。

 しかし、その間に、進路上の敵全てを殲滅して、聖剣がクレスの足元に突き刺さった。

 最後、クレスを今まさに殺そうとしていた魔物を地面に縫いとめて。

 他の有象無象とともに消え行く影を見て、クレスは急速に理解する。今は小さな影としか見えない、あの少女が、なんで自分の武器を手放すような間抜けな真似をしたかを。

「フィズっ!」

 叫ぶ。

 声は届いただろうか。

 いや、この剣がなければ、フィズは魔物に対抗はできない。もしかして、既に――

 と、クレスが最悪な想像をしかけると、

「とっとと逃げろ、この間抜け――――!!!」

 先ほどのクレスの咆哮をかき消すかのような怒号が聞こえた。

 同時に、気が付く。

 事態は一向に改善していない。クレスの前面の魔物は倒されたが、周りの数えることすら億劫な魔物の群れから見れば、それは一部でしかない。彼らは、呆然としたクレスには目もくれず、先ほど地面に突き刺さったエレメンティアに群がる。

「―――!?」

 マズイ、とクレスは直感した。

「“火の精よ”“弾けろ”!」

 慌てて、二つの命令文(コマンド)を謳う。エレメンティアに触れようとしていた魔物をその魔法で吹き飛ばし、空いたスペースに強引に割り込む。

 この剣は、魔物に対する切り札だ、とフィズは言った。

 ならば、これが魔物側に奪われれば、もう勝算はなくなってしまう。

 無我夢中で、エレメンティアの柄を握り締め……クレスは、一瞬、自失した。

 

 

 

 

 

 

(あの、阿呆がっ!)

 胸中で罵りながら、フィズは魔物をすり抜けながら、一直線にクレスの元へ走っていた。

 すでに、魔物たちの興味は、フィズの手から離れたエレメンティアの方へ向かっている。こちらを攻撃もしてこないフィズのことなど、まるで気にかけていない様子だ。交戦していた数匹は、まだ攻撃の素振りを見せたが、既に振り切った。

 クレスは、もう逃げただろうか? 攻撃さえしなければ、平気なはずだ。魔物は、不自然なまでにエレメンティアに惹かれている。目の前にあの剣があれば、人間一匹、見過ごしてしまうほどに。

もし、この期に及んで、未だあの貧弱な魔法で抵抗しようとしていたら殴り飛ばす、と拳を握り、フィズはエレメンティアを再び手にするべくさらにスピードを上げる。

……心の中では、半ば以上諦めている。

エレメンティアを投げてから、既に何秒も経っている。魔物の手の内に、あの聖剣は落ちてしまっただろう。そうなると、もはや自分に魔物に対抗する術は残されていない。

聖剣を用いた戦闘しかフィズは教わっていない。魔法と並んで魔物に有効な“法術”の修行すら、禁じられていた。例え覚えていても、この状況ではいかほどの役にも立たないだろうが……

と、ふと違和感が押し寄せる。

「な、んだ?」

今、向かっている先。そこで、なにか強大な力が荒れ狂っている。

それは、いつもフィズが感じていたエレメンティアの力。だけれども、あれは自分にしか使えない筈……と、思った瞬間、それは裏切られた。

「“風の、精、よ”!」

 途切れ途切れに流れる命令文(コマンド)。圧倒的な支配力。付近の風の精全てがその一ワードの元に傅いた。全ての大気の流れがある一点に収束していく。それは、集まり集まり集まり集まり集まりそして限界を迎え、

「“切り……裂け”!」

 絞るような叫び声をキーに、破裂した。

 奔るのは無数の風の刃。それは、フィズを避け、正確に魔物を両断していく。

風が収まる頃には、数十の魔物が消えていた。

「な……に」

 先ほどの暴風の中心には、フィズもよく知る少年が、エレメンティアの柄を握り締めて、座り込んでいた。

「クレ、ス?」

「……は、ぁ! はぁっ! はぁっ!」

「どうした!? 今、なにをした!?」

 問いかけるも、答えは返ってこない。

 クレスは、荒く息をつくだけで、フィズの質問が耳に届いていないようにすら見える。

 ……いや、辛うじて片手を上げて、自分が健在である事をアピールした。

「くっ……全部、後で聞く! とりあえず、それを返せ!」

 ぐいっ、とエレメンティアをひったくろうとするが、クレスはまるで玩具を取り上げられそうになった子供のように、全力で抵抗してくる。

「なっ!? お前、なにをしているのかわかっているのかっ!」

 残りの魔物が、押し寄せてきている。すぐに剣を執らないと間に合わないというのに!

「ちょ、っと。待って。すぐ、掴める、から」

 その一言で、気温がぐっと上がった気すらした。

「なに、を……」

 恐怖とともに、フィズは問い質す。

 気付いた。気付いてしまった。

 クレスが握り、そしてフィズは未だ触っていないエレメンティアは“起動”している――!

「なにをしているんだっ! クレス・ノート!」

 

 

 

 

 

 

 

 

 例えるなら、自分の視界が三百六十度全方向の地平線の向こうまで見渡せるようになったようなものだった。もしくは、井の中しか知らなかった蛙が、突然大海原に放り込まれたようなものか。

 とにかく、クレスは、今までの自分が塗りつぶされるような、圧倒的な力の奔流に、必死で耐えていた。

(こん、なの。フィズは持っていたの!?)

 エレメンティアから流れ込んでくる力と情報は、クレスのような矮小な人間を満たして、容易に溢れ出す。それを少しでも零さないよう気をつけて、クレスは空中をにらみつけた。

「“風の、精、よ”!」

 最も基本的な命令文(コマンド)。周辺の精霊を活性化させるだけのそれは、いつもの数十、数百倍の精霊を叩き起こし、いつもの数十倍の意味が込められる。

 活性化した風の精霊は、まるで主君の下に馳せ参じる騎士のごとく、一点に凝縮していく。

 それが破裂する寸前、適当な命令文(コマンド)を叩き込む。

 すると、碌なイメージも浮かんでいなかったその魔法は、周囲の魔物を寸刻みに切り刻んでいった。ご丁寧に、クレスすらそこにいることに気が付いていなかったフィズを避けて。

 自嘲するような笑みを浮かべる。

 思えば、一番初め。この剣を見たとき、どこかで感じたような空気を纏っている、と感じた。

……正体はこれだ。どうも、このエレメンティアという剣は、魔法を極限まで増幅する効果があるらしい。

「クレ、ス?」

 なにか、声が聞こえる。

 それが、自分の大好きな少女の声だとわかって、しかしそれでもクレスは返事できなかった。

 普段精霊を捉えている感覚が無制限に広がり、下す命令文(コマンド)の意味が際限なく増加し、力の源たる魔力が底知れずに深まっていく。この妙な感覚は、魔法を使わない人には絶対にわからない。

 自分の認識を超える範囲まで広がった力は、混乱を呼び起こす。エレメンティアから注ぎ込まれる無制限の力を、なんとか自分が扱えるまでに卑小化し、強く掴みなおす。

 フィズが、なにやら剣を持っていこうとするが、それを押し留める。

 もうちょっとなのだ。もうちょっとで、この暴れ馬のような剣を制御できる。

 そうすれば、剣で斬りつけるなんて面倒な事をしなくとも、すぐに魔物を殲滅できる。

 そう、すぐだ。

 駄々っ子のように、フィズに剣を取られまいと我慢し続け、今やっとクレスは全ての感覚を掴んだ。

「“火の精よ”」

 告げる。

 魔物がいる空間中に存在する全ての火の精を呼び起こす。文字通り、“全て”だ。普段は、空間中に溶けている精霊のせいぜい数パーセントしか呼べない事を考えれば、全てなどというのは凄いを通り越して呆れ果てるしかない。

 言霊に意思を込める。設定範囲は魔物がいる場所のみ。自分や、特にフィズに毛先ほどの火傷もつかないよう、慎重に調整。威力制御。魔物を確実に倒せる威力なら、それ以上は不要。

 そんな風に微調整をしていると、魔物たちはトロトロとこちらに向かってきた。

 でも、遅い。こちらはたった二つの命令文(コマンド)を唱えるだけでいいのだ。魔物の爪が届く前に、三回は唱えられる。

「“焼き、尽くせ”!!」

 二つ目の命令文(コマンド)。

 付近の空間は炎上し、全ての魔物は、“侵食”の名残である黒い穴ともども、すべて焼失した。