また、魔物を一匹切り捨てる。

 縦一文字に両断された魔物を一瞥して、フィズは次なる獲物を求めて視線を彷徨わせ――る必要もなく、周りは全て魔物で埋め尽くされていた。

 聞いていた通りだ、とフィズはレヴァ教の教えの正しさを再確認した。

 両断された魔物が塵と消え行く位置に歩を進め、真横にエレメンティアを振るい三、四匹纏めてぶった切る。フィズの死角となる後方と上方から同時に黒い爪が襲い掛かってくるが、慌てず一歩横に移動する。空振りをした二匹は、速攻で切り飛ばし、次へ。

 ……現在の戦力差は約百対一。数字の上では、フィズの圧倒的不利だ。いや、不利などという言葉を通り越して絶望的とさえ言える。

 ただ、いくつかの要素がフィズと魔物らの戦いの天秤を揺るがぬとしていた、

 魔物の一挙手一投足全てを視覚に寄らず把握する聖女独特の感覚。魔物に対して絶大な殺傷力を誇り、さらに持ち主の身体能力を補助するエレメンティアという聖剣の存在。あまりにも単純極まりない、魔物の攻撃方法。そして、エレメンティアに、まるで光に惹かれる虫のように群がる魔物の習性。

 どれか一つ欠けても、フィズは数に押しつぶされていただろう。しかし、欠けていないからこそ、歴代の聖女は今まで侵食を食い止めることが出来ていたのだ。

「しかし、ここまでお粗末とはな!」

 魔物の攻撃は、その全てが単純きわまりない動作だ。数が揃えば脅威だが、冷静に対処すれば普通の人間でも躱すのは容易だろう。しかも、普通の獣でも行う連携というものをほとんどしない。各自がバラバラに動いているだけだ。

 しかし、目的だけは同じ。こちらの持つ剣を奪い取ろうとしている。

 理由はわからない。これは魔物に対して致命的な武器だからなのかもしれないし、レヴァ神が魔物をこの剣に集めるようにしているのかもしれない。

「そうだとするなら、誘蛾灯ならぬ、誘魔灯か」

 結果、魔物たちは互いが邪魔し合い、一度に襲い掛かってくるのはせいぜい五匹程度。しかも、その全てがエレメンティアに向かうのだから、まとめて叩き斬るのは難しくはない。

 またもや時間差すらつけずに襲いかかってきた魔物の集団を切り伏せる。

「ふんっ!」

 既に、フィズの興味は次の敵に移っている。大剣の切っ先を真正面に向け、突撃。エレメンティアの後押しを受けた跳躍は、フィズの――いや、人間の限界を遥かに超えたスピードで、十メートルの距離を無にする。その間に存在した魔物を全て貫いて。

「……なるほど。こういう戦い方もあるな」

 できる、と思ってやったことだが、こううまくいくとは僥倖だった。

襲い掛かってきた脅威を払いつつ、得心したように呟く。

やつらは実体を持たない怪物だ。剣や拳など、普通の物理攻撃ではまずダメージを与えられない。そのくせ、あちらからは攻撃し放題。魔物とは、そういうズルい生物である。

 だが、聖女を相手取る場合、それが逆に不利に働いているらしい。

 例えば、魔物たちが普通の獣だった場合。

まず、いくら聖剣とは言え、何十もの獣を切れば、当然血がこびりついて切れ味は鈍る。また、切った相手から刃が抜けないこともありうる。つまり、相手に実体があればとっくに武器が無力化されているはずだ。

 さらに、斬られたら跡形もなくなる魔物と違い、獣は死体というものが残る。一匹、二匹ならともかく、こうやって百に届く数を相手取ると、それは大した障害だ。重量に押しつぶされるか、移動に障害が出るか。少なくとも、有利には働かない。

 向こうから攻撃してこない限り、魔物の体に人間は触れることすら出来ないのだ。

 つまり、

「はぁぁあああああああっっっ!!!」

 剣を持ったまま、魔物の体内を通り過ぎれば、それだけで斬ったことになる。あとは、エレメンティアの加護によるスピードで、縦横無尽に走り回ってやれば何十匹単位で魔物を屠ることができる。

 魔物は、なぜかエレメンティアを執拗に狙うので、移動し続ければ、当然混乱する。撹乱、殲滅を同時に行える実に手軽かつ効率的な戦術だった。

 聖女が、数多の侵食の封印に一度として失敗しなかった理由がよくわかる。

つまり、これはただの作業なのだ。聖女と魔物の命を賭けた闘争だ、と思っていたのはとんだ勘違い。聖女側は、圧倒的有利な立場にある。

 無論、それもレヴァ神から下賜された剣あってのことであるが……やはり、魔物とは所詮世界の害虫に過ぎないらしい。

「そろそろ、打ち止めか」

 “侵食”の証たる外側への黒い穴が徐々に縮小しだしていた。魔物を倒すごとに、外側への穴は小さくなり、ある一定まで小さくなればそれ以上魔物を吐き出さなくなる。あとは、残りの穴を、エレメンティアで斬ってやれば封印は完了、という按配だ。

 この調子だと、後十分ほどだろうか。それで、それ以上魔物が出現することはない。

 そうすれば、残りを掃討して、この村とはお別れだ。

 そう考えると、途端に寂しさが襲い掛かってくる。不愉快なこともあったが、楽しい毎日だった。別れるのは、いささかならず惜しい。

「言っても詮無いこと、だがな」

 特に思い出すのは、嬉しいことも嫌なことも、両方与えてくれた青年の姿。フィズが初めて遭遇した村の住人で、居候先の神父の息子で、レヴァ教徒にとって憎むべき魔法士。しかし、それとは関係なく、良い人間だった。つらく当たっても、こちらと仲良くしようとしてくれた。

 今も、本来なら受ける必要のなかった村人の護衛などという仕事をしてくれている。

 本当なら、こちらで魔物の殲滅を手伝って欲しかったが、所詮わがままだったという事は承知している。彼は、エレメンティアのような神具も持っていない、大量の魔物と戦えば十中八九死んでしまう、弱い人間だ。教会の中で震えていても、仕方ないことだろうと思う。

大体、これだけ魔物の殲滅が容易なら、彼は教会で待機してもらったのは結果的には成功だ。もしかしたら一匹くらいはエレメンティアを無視して人間を襲うことを優先する変わり者がいたかもしれない。

だが、数匹くらいなら、準備万端整えたクレスなら問題なく倒すことができるだろう。新しく開発したという魔法を見せてもらったが、あれは見事なものだった。だからこそ、安心してフィズは目の前の敵に集中することが出来る。

 だというのに、

 なんで、魔物の海の向こうに、その青年の姿があるのだろう?

 

 

 

 

 

 

 

 

 時間は、少し遡る。

 フィズの――正確には、彼女の周りにいる魔物の――気配を探っていたクレスは、もういてもたってもいられなくなっていた。

 既に、百は悠に越える魔物たち。フィズはよくやっていると思うが、いつ捕まるか。

 大体もって、これだけの数を相手に持ちこたえていること事態が奇跡的なのだ。やはり、今すぐにでも助けに行くべきなのだろうか? いや、しかし……

「……死ぬ、かもね」

 その言葉がクレスを縛っていた。

 死ぬのは怖い。嫌だ。それは、生物として当たり前で、だからこそ強い感情だった。

 ここから一歩を踏み出すのは、簡単なことではない。この一歩を踏み出すためには、それなりの理由が必要だ。

 例えば、フィズが恋人か何かだったら、クレスもその一歩を踏み出すことに躊躇はしないだろう。しかし、現実に彼女は、恋人でもなんでもない、ただ一月ほど前この村を訪れたばかりの、余所者。ある程度、特別な憧れのようなものはあるが、命を賭けるほどの関係には程遠い。

 遠い、はずだ。

 だから、最初、フィズが加勢してくれと請われた時断った。大却下した。

「それで、いつまでも迷ってるつもりですか」

「え?」

 振り向くと、ラス神父がいつのまにか立っていた。

「この炎の矢、立派ですね」

「え、ええ」

 いきなり別の事を言われ、少々肩透かしを食らう。

 ラス神父は、クレスが作り出した『フレイムランチャー』の炎の矢を見て、感嘆した。

「そうですよね。クレスくんには、このような素晴らしい才能がある。しかし、それを十二分に生かす環境を与えられなかったのは、保護者たる私の責任です」

「そ、そんなことはないです。ラス神父には……その、感謝してます」

 いつもは思っても絶対に口に出せない反論。

 なにか、ラス神父の空気がいつもとは違った。

「それで、神父。なにか?」

「いえ、クレスくんが迷っているようなので、神父らしく忠告を、と」

 神父は悪戯っぽく笑い、語り始めた。

「あのですね、クレスくん」

「はい」

「私は、君が死ぬのは真っ平ゴメンです。毎日食事を作ってくれる人がいなくなるし、掃除をしてくれる人もいなくなる。大体、君がいなくなったら誰が私の洗濯をするんですか?」

「僕の存在意義は家事だけですか」

「いいから聞きなさい。……ですから、これは、ただの年長としてのただの助言です。命令でも、忠告でもないですよ?」

 神父は、そう強調して言った。

「あんまり、難しく考える事はないと思います。もし、ああしていれば、って後悔するよりは行動する方が良いと思います。それと、クレスくんが思っているよりずっと、フォルトゥーナ様はクレスくんの中で大きな存在になっちゃってると思いますよ?」

 それだけを言って、ラス神父はくるりと背を向けた。

「そんだけです。ああ、もし向こうに行く理由がまだ欲しいなら、私たちを理由にしても構いませんよ。『村の人たちを助けるため』ってね」

「神父……」

「まぁ、こんだけ言ってなんですが、私は行って欲しくはないですねぇ」

 舌打ちと、ざっと駆け出す音。

 神父はしばらく待って、少し首を後ろに向ける。

 ……真っ直ぐ、フィズがいる川原へ向かうクレスの後姿があった。同時に、クレスが生み出していた炎の矢も、彼についていく。それはまるで、王に率いられる兵のように。

「やれやれ……。本当に、死なないでくださいよ、クレスくん」

 

 

 

 

 

 

 この場に来たのは、クレスの一大決心だ。とは言っても、はっきり言って、本人もなぜ来たのかわかっていない。ただ、いてもたってもいられなかっただけだ。

 そんな事情を知らないフィズは、思い切り悪態をついていた。

「あ、の、馬鹿!!」

 クレスは、炎の矢で魔物らを数匹仕留めているが、焼け石に水だ。案の定、炎の矢は一瞬にして撃ちつくし、あとは新しくニワーズほどの短い魔法を紡いで、魔物を攻撃していた。

 マズイ、とフィズの心は最大級の警鐘を鳴らしていた。

 魔物たちの注意は、殆どがフィズの持つエレメンティアに惹かれている。

 しかし、ここからクレスの位置まで目算で五十メートル。あんなところの魔物には、エレメンティアの誘惑効果も弱い。

 それでも、クレスが攻撃しなければ、無視したかもしれない……が、よりによってあの阿呆は、思い切り魔法を放った。

 思考する時間すら惜しい。

 しかしどうする? ここからあそこまで、どれだけ駆けようが数秒かかる。魔物が、人間一人切り裂くには十分な時間だ。というより、既に魔物の一匹がクレスに向けて爪を振り下ろそうとしているっ!

「ああああああああっっっ!!」

 そして、『どうする?』の答えは、とうにフィズは出していた。

 というより、勝手に体が動いたという方が正しい。冷静に考えたら理性がその行動を却下するとわかっていたから、肉体が独断専行で行ったとしか思えない無謀な行動。

 後で思い返したら、フィズは間違いなくこの行為を後悔するに違いない。というより、後悔さえできなくなる可能性が非常に高い。

 ――直線上の魔物を全て貫き、

 だというのに、なんでこんな真似をしたのか。後で考えても、フィズは絶対わからないに違いない。

 ――その存在を悉く消滅させながら飛翔し、

 当然だ。憎き魔法士のために、なぜレヴァ教の人間が、それも最重要の任務を背負った“聖女”が手を貸してやらなければならない。しかも、その切り札を与えてまで。そも、これで助けたとして、二人とも死んで、この村――のみならず、この国が滅んでしまうのがオチだ。あれは聖女しか使えないのだから。

 ――クレスに襲い掛かろうとした魔物の足を貫き、それを消滅させ、

「歴史上でも、前代未聞だろうな」

 やっちまった、と顔に書いて、フィズは呟く。半ば、諦めの色が入っていた。

「聖剣をブン投げた聖女というものは」

 ――エレメンティアが、クレスの足元に突き刺さった。