「ふぅ」

 夜。自室に帰ってきたラス神父がため息をつく。

 例の“侵食”の発生する場所は、川原の辺り。とは言っても、村の中にいるだけで十分危険だ。ならば一箇所に村人を集め、出現する魔物に対して、フィズ以外に唯一対抗策を持つクレスを守りに置くというのは、なるほど妥当ではある。

 ただ、その為に村人たちに納得してもらうのは、これがまた骨が折れるのだ。

 ……なにせ、聖女の任務は極秘。侵食が発生する村の住人にすら伝えることは許されていない。

 ここまで徹底的に秘匿する理由は神父には思い当たらないが、レヴァ教の上層部には様々な思惑があるのだろう。その理由が、せめて本当に務めのためであって欲しい。

 ともかく。

 そんな秘密主義のお陰で、当日教会に集めるための理由をでっち上げるのが一苦労だった。

 男だけならそう難しくはない。唐突に宴会を開いたら、勝手に集まってくる。ただ、村人を文字通り全員となると、それらしい説明を思いつかなかった。

 どうしようもないので、頭を下げて、どうかお願いしますと真正面から頼んでみた。

 結果、釈然としていない様子ながらも、村人全員の了承を得ることができた。

「ありがたいことです」

 クレス相手の時はおちゃらけた面を出すことが多いが、基本的にラス神父は村中の人々に信頼され、敬愛されている。そうでもなければ、いくら素朴な人柄の人間が多いこのスターニング村でも、一晩に村人全員を集めることなど不可能だっただろう。

 あとは、

「そうだ。クレスくんにも話しておかなくてはいけませんね」

 もう寝ようと思っていたが、クレスに村人の護衛役をするよう言っておかなくてはいけない。彼はまだ、聞いていないはずだ。心構えも必要だろうし、早めに言っておかないと。

 欠伸を噛み殺しながら、夜という事で足音をなるべく立てないようにしてクレスの自室に向かう。

 コン、コンとノックを二回。

『はい?』

 少し寝惚けたような声が聞こえる。クレスは、明日も野良仕事だ。早くに寝ようとしたところ起こしてしまい、少し悪く思う。

返事があってからややあって、ガチャリと扉が開けられる。

「……神父?」

「やぁ、クレスくん。ちょっと、お話いいかな」

「いいけど……なに、こんな時間に」

 部屋の中に神父を招きつつ、クレスは首をかしげる。

 まぁまぁと適当にあしらって、ラス神父は久しぶりの義理の息子の部屋に入った。

「綺麗に片付けられていますね」

「毎日、とはいかないけど、マメに掃除しているし。……神父も、自分の部屋くらい自分で掃除してよ」

「いや、あははは。でも、しばらく放っておけばクレスくんが気がついてしてくれるでしょう?」

「だから、それを当てにしないで欲しいから言っているんだけど……」

 彼から向けられるジト目からさりげなく逃れつつ、神父は椅子に腰掛けた。椅子は一つしかないので、クレスはベッドに座る。

「で、話って?」

「ああ、そうですね。クレスくんも眠いでしょうし、手短に済ませましょう」

 うん、と頷く。

 ラス神父は、そのまま無精ひげを撫でつけ、どのように話したものかと頭の中で整理する。

「実は今日、村の皆さんに、“侵食”の当日、教会に避難するよう伝えました。理由は告げませんでしたが、その日には村人全員が教会の方に集うことになります。もちろん、君も含めて」

「そう、なんだ」

 最後の辺りで、クレスは少し動揺する。それに気がつかないフリをして、神父は更に続けた。

「ここならば、比較的安全だと、フォルトゥーナ様からお墨付きも頂きましたしね」

「……え?」

「どうかしましたか?」

 言い辛そうに、クレスは恐る恐るといった風に尋ねた。

「その、比較的、っていうのは」

「言葉通りの意味です。侵食開始と同時に、想像を絶する数の魔物が発生するそうですから、いくら聖女とはいえ全てを押し留めるのは難しいそうです。貴方に協力を求めたのも、周りに被害を及ばないようにするためらしいですよ」

「へ、へえ」

 そうなんだ、となんでもないように見せているが、子供の頃からクレスを見ている神父の眼から見ると、動揺しているのが丸見えだ。

「ついては、君には教会の前で、フォルトゥーナ様が討ち零し、こちらにやって来た魔物を排除する仕事を与えます。村の人たちを守る役目ですね」

「……つまり、結局戦え、ってことだよね?」

 これは頷くしかない。ラス神父とて、出来るなら息子にそんな役目を任せたくはない。しかし、村人みんなの命と天秤にかけると、考える余地はなかった。

「教会に魔物は、来るとしてもかなり散発的で、数も少ないはずだそうです。むしろ、絶対にそうしてみせる、と意気込んでいましたよ」

「少なくても、変わらないよ。できれば、僕はあんなおっかない目は二度と御免なんだ」

「では……駄目ですか?」

「でも、そんなことを言える立場じゃないよね」

 諦めたように、クレスは嘆息する。

フィズ以外で魔物に実質的なダメージを与えられるのは、自分だけ。そういうことは、言われなくともクレスは把握していた。侵食の封印に直接参加しなくとも、こういう前線での仕事が割り当てられるのは元々覚悟していた。

 それに、村人――クレスがそれこそ物心ついたときからの付き合いの人たち――が傷つくのは、流石に黙って見てはいられない。危険がそれほど高くないのなら、別に引き受けることはやぶさかではなかった。

「わかったよ。その日の夜は、ちゃんと見張りに立つ。それでいいんでしょ?」

「すみません。私たちが手伝えればよかったんですが……結局、クレスくん一人に押し付ける形になってしまって」

 心底、申し訳なさそうに言う。

 神父としては、本来このような役割は、クレスに押し付けるようなものではないと考えている。彼は、肉体は大人になっているが、まだまだ精神的には子供な部分がある。村の中では一人前と認められていても、こういった過度なストレスがかかる仕事をやってもらいたくはなかった。

 本来なら、自分や他の大人たちがやらなければならないことでもある。

「でも、フィズは大丈夫かな。初めてだって言ってたし」

「初めてとは言っても、専門の訓練を積まれた上でのことです。いきなり魔物の前に放り出されたクレスくんでも、相打ちとは言え撃退することができたんでしょう? あの魔物は、それでも随分強い個体だったそうです。強力な武器も持っておられることですし、心配することはないと思います」

「そう……」

「どうかしましたか?」

 クレスは、なにかもやもやしたものを抱えているように見える。

 だが、自分でも、そのもやもやの正体が判断できていない。フィズは大丈夫だと、平気だと、そう何度も聞かされているのに、どうしても納得のいかない部分がある。

「なんかさ……もう少しで、答えが出る気がするんだけど、んー」

「まあ、若いうちは悩むのが仕事の一つです。大いに悩んで、自分なりの答えを出せば良いでしょう。クレスくんがどのようなことで悩んでいて、そしてどのような答えを出すのかはわかりませんが、私はそれを応援しますよ」

「うん」

 クレスは少し安心したように笑う。

 それを見て、ラス神父は、きっと彼は自身が納得できる答えを出せるだろう、と確信した。昔からそうだ。クレスは、大切なことはきちんと見据え、時間はかかっても、ちゃんとした解答を出す。

 信頼をこめた目でクレスを見て、神父は彼の部屋を辞去した。