クレスを自室に放置して、ラス神父とフィズは二人、リビングのテーブルで向かい合っていた。

「それで……結局、クレスくんも務めに伴うのですか?」

「当然だ。それは、魔法士の義務でもある」

「義務、ですか……」

 レヴァ教の都合から、一方的に押し付けられた義務に、一体如何ほどの強制力があるのだろう。そも、本来義務とは権利に付随して発生するものだ。レヴァ教の人間が、一体どのような権利を魔法士に認めているのだろう。

 その答えも、神父は知っていた。

 彼らに言わせると、魔法は神を冒涜するものだが、神の敵を討つためならば、やむを得ない、らしい。逆に言うと、魔法を使うのならば、その敵……魔物と戦え、ということだ。

 フィズも、その通りにクレスを戦場に連れて行こうとしている。

 義理とは言え、彼の親としては到底看過できるものではない。……が、村を危険に晒すわけにもいかない。クレスが助力することで、この村が助かる可能性は僅かでも上がるのだ。

 賛成も、反対も出来ない。だから、判断はクレス自身に任せた。

「クレスくんは、なんと言いますかね。貴女の仕事を知ったら」

「さぁ。親である貴方がわからないなら、わたしにわかるわけがない」

「そうですかね?」

「まだ、クレスとの付き合いは一月足らずなんだぞ?」

 神父は苦笑を漏らした。

 確かに、ラス神父はクレスの育ての親ではある。クレスは自分のやらされることを知れば、まず間違いなく逃げるだろう……程度の予測は付く。

 しかし、今日、魔物と対峙したクレスは逃げずに、見事戦って見せた。この時点で、クレスの行動はラス神父の考えからは外れている。この短い期間で、性格がそうそう変わるはずもないから、恐らくそんな行動をとったのはフィズの存在が大きいのだろう。

 どうやら、神父が気付かない間に、クレスの中でフィズは随分と大きなものになっていたようだ。

「ただ、まぁ。腑抜けたことを言うのならば、ケツをぶっ叩いてやるが」

「……無理強いはしないでやってください」

 神父としては、そう返すだけで精一杯だった。

 それで話は終わったのか、沈黙が流れた。

 窓の外は既に大分暗くなっており、今頃仕事を終えた村人たちが家に帰っている頃だろう。

「……神父」

「はい」

 二人は視線を交わす。今になって、極めて重大な事態が差し迫っていることに気が付いたのだ。それぞれの瞳は、悲しみに彩られている。

 これは、そう簡単に解決できる問題ではない。少なくとも、二人にとっては。

「どうしましょう? 村人に頼りましょうか?」

「いや、迷惑をかけるわけにもいかないだろう」

「しかし、こうしているうちにも事態は進行しています。あまり長い時間は我慢できません」

 むう、と二人は唸る。

 村人の尊敬を一身に集める神父も、大の大人を軽々凌駕する膂力を誇るフィズも、今差し迫っている危機に対してはなんら為す術がない。

「晩御飯、どうしましょうか?」

 神父が尋ねると、くぅ、とフィズのお腹が可愛く鳴って、返事した。

「……肉はないか、肉は。丸焼きならば、わたしにもできる」

「今日は狩りには行っていませんし。クレスくんが備蓄している食材も……そのまま食べられそうなものはありませんね」

 台所を覗いて、ラス神父が肩を落としている。ある意味昼間魔物と遭遇した時より深刻な顔で、フィズは舌打ちした。

「何たる不手際だ。クレスのやつめ。食卓を預かるものとしての、配慮が足りない」

 クレスは、なまじっか自分が料理上手なので、出来ない人間に対する配慮なんてちーっとも思い当たらなかったのだ。

「仕方ありません。不肖、この私が挑みましょう」

「神父……。さすがだな。一教会を預かるだけのことはある」

「なぁに。前、調理を手伝った時、クレスくんに台所への立ち入りを禁止されて以来の料理ですが、なんとかなるでしょう」

 まるで根拠に欠ける自信が溢れている。フィズは、頭痛を抑えるように頭に手を当てて、はぁ、とため息に付いた。

「……貴方に任せるのはリスクが大きいようだ」

「そうですか? やってみせますよ」

「わたしがやる。なに、所詮、料理だ。肉だろうが、野菜だろうが、食材であることに変わりはない。火を通せば、なんとかなるに決まっている」

 とりあえず、火を熾すか、とかまどに立つフィズ。ラス神父は、慌ててそれを止める。

「待ってください。そのようなアバウトな方法では、到底美味しい料理はできませんよ。やはり私が」

「なにを言う。シンプルな料理が一番美味いのだ」

 睨みあう二人。どちらも、お互いが信用できない、と顔に書いてある。

「……では、二人で調理するということでどうでしょうか」

「……やむを得まい。そうするとしよう」

 結局、そういうことになった。

 二人とも、相手の料理が食べられなくとも、自分の分がある、と考えている。

 そうして、フィズとラス神父の料理が始まった。

「む、薪はどこだ」

「それなら、外にあります。……っと、材料がやはり少ないですね。貰いに行くにしても、もう遅いし……」

「よし、取ってきた。後は、火種だな」

「まぁ、適当に鍋にかければなんとでもなるでしょう」

「火がついた。神父、かまどが使えるぞ」

「わかりました。さて、野菜を切って……って、指切ったぁ!?」

「なにをやっているんだ。……む、火加減が難しいな」

「フォルトゥーナ様!? か、火事になりますよ!」

「そうだな……火が天井近くまで燃え上がっている」

「そうだな、じゃなくて! 水、水! って、血が、血が!」

 すごく騒がしい。どったんばったんと絵に描いたような騒ぎが続き、家が震動する。

 流石に目が覚めたのか、起き出したクレスが目を擦りながら台所に顔を出した。

「二人とも、なにし、て?」

 んがっ、とクレスの口があんぐり開く。目に入ったのは、己の領域たる台所の惨状。

 炭となった薪と共に、水浸しになったかまど。昨日貰ってきた野菜が細切れになって床に散乱し、まな板とともに汚れまみれになっている。愛用の包丁は柱に突き立ち、刃こぼれを起こし、鍋もひっくり返って取っ手が取れている。ふと上を見ると、かまどの真上の天井が黒焦げになっていた。

 思わず、眩暈がした。昼間の魔物に首を絞められたときのように、意識が暗黒に堕ちそうになる。

「な、なにしているんだよっ!」

 寸前で踏みとどまって、クレスは激昂した。

 これでは、片付けだけで一苦労だ。いや、それよりも自分の領域を破壊された怒りのほうが大きい。

「なに、とは異なことを聞く。台所ですることといえば、料理に決まっているだろう」

 まだぼーっとしているな、と失礼なこと言うフィズ。クレスは、涙が出そうになった。

「料理、って。これは、台所を破壊しているようにしか見えないんだけど」

「うむ。台所での火の扱いは少々不慣れでな。だが、安心しろ。もうコツは掴んだ」

 この惨状が目に入っていないかのように、胸を張って言ってのけるフィズに、クレスはとびきり苦い顔をした。なにをどう安心しろというのか。

「それよりクレス。わたしは寝ていろ、と言ったはずだが?」

「いや、あんなに騒がしかったら起きるでしょ、普通」

「消化にいいものを作って持って行ってやるから、まだ寝ていろ」

「……まだ料理する気なんだ」

 この状態の台所で、一体どのような料理をする気なのか。

「当然だろう。まだ、晩御飯は出来ていないんだから」

「……パンがあるから、今日はそれで我慢してよ」

 ビシッ、と部屋の棚を指差す。そこには、クレスが朝焼いてきたパンがしまってあるのだ。

 ポクリ、とラス神父が手を叩く。

「そういえば、パンがあるはずでしたよね。すっかり忘れていました」

「神父……」

 クレスがパンを焼きに行き始めて、何年経っていると思っているのか。そのくらい、覚えていて欲しい。

 第一……

「二度と、台所に入るな、って前に言ったよね」

「い、いや。今日は、仕方がないというか。あの時から、私も随分成長したしできるかなぁ、って。その、ごめんなさい」

 練習なんて少しもしていない身分で、偉そうなことを言うラス神父を一睨みして、クレスは再びフィズに向き直った。

 ……梃子でも動きそうにない。料理をするんだ、という力強い意志に溢れている。

「あのね、フィズ……」

「やっほー! こんばんはー」

 と、突然家に押し入ってきたのは、ホリィだ。なにやら、手にボウルを持っている。

「あのねー、お母さんがね、お裾分けに行ってこいって」

 ホリィは、有無を言わさず、ボウルをテーブルに置く。

 そして、クレス、フィズ、ラス神父と順々に視線を移していき、

「ねー、どうしたの? 新しいお遊び?」

 そう無邪気に尋ねた。

「ふむ。料理する必要はなくなった、か」

 貰い物の料理の味見をしながら、フィズは呟いた。

 クレスは、ホリィの手を取り、涙を浮かべ、何度も頷きながら彼女に感謝したという。