クレスは、憂鬱な気分で夕飯の支度をしていた。

 作っている量は、いつもの三人前。とは言っても、一人、並を遥かに超えて食うのがいるので、実質は五人前近い。

 いつもの、という言葉が、特に意識することもなく浮かんできたことに気が付いて、クレスは今日何度目かもわからないため息をついた。

「これも、食べてもらえるかどうか」

 もし、フィズが食卓に顔を出さなければ、残りは自分と神父で片付けるしかないだろう。神父は、あれで年だし、そう多く食べられない。つまり、クレスが一人で都合四人前を食べなくてはいけないのだ。

 食べ物を粗末にしてはいけない、という考えが骨の髄まで浸透しているクレスだが、正直それだけ食べるのは無理だ。

 だが、当の本人の不安をよそに、手を動かしていれば料理は出来上がってしまう。

「……神父ー、できたよ」

 ラス神父の部屋に声をかける。中から、気だるげな声が聞こえたのを確認して、クレスはもう一つ先の部屋へと向かった。

「フィズ」

 返事はない。しかし、中で何かが動く気配はした。

「一応、晩御飯できた。もし、よかったら、だけど。その……食べてくれると、嬉しいな」

 なるべく刺激しないよう、言葉を選んで話しかける。やはり、フィズの返事はないが、ちゃんと聞いていることはなぜだか確信できた。

「あ〜、んとね。もし、フィズが来なかったら、大分余っちゃうし。この季節だと、すぐ腐っちゃうから……」

 しどろもどろになりながら、台詞を続ける。なんとか食卓に来てもらおうと必死だ。他に何か、説得できる材料はないかと普段は使わない頭をフル稼働させる。

 しかし、もともとそんなに機転の利くほうではない。すぐに種は切れてしまった。

 数秒。まるで、針のむしろのような沈黙が落ちる。ほんの数秒のことだったが、クレスにとっては何時間にも感じた。

「…………」

 ドアのはさんだ向こう側に、息遣いが聞こえる。

 向こうも、こちらのことはわかっているだろう。しばらく、逡巡するようにその場に留まっていたが、やがて観念したのかノブを回した。

 カチャリ、と、毎日聞いているはずのドアの開閉音がやけに大きく響たように思えた。

「フィズ……」

「食べ物を粗末にするのは、良くないからな。お前を許したわけではないが、仕方がない」

 素っ気無く言って、クレスの脇を通り過ぎる。その顔が、いつもより寂しそうに見えたのは、多分クレスの錯覚だろう。そう思うことにして、足を不自然なまでに急がせるフィズの背中を追った。

 台所に戻ると、すでにラス神父が座っている。

「やぁ、フォルトゥーナ様。どうやら、食事は取っていただけるようですね」

 笑う神父の表情が、どこかからかいを含んだものに見えた。

 それを見て、フィズがあからさまに顔を逸らす。ふんっ、と不機嫌さを演出する鼻息を漏らし、椅子に乱暴に座り込んだ。

「クレス。飯はまだか」

「あ、はい。ただいまー!」

「ふん。やはり、魔法士はトロいな」

 罵倒されるが、それでも相手をしてもらえるだけ良いと思う。顔も見たくないと言わんばかりに部屋に引っ込んでいった時よりは、フィズの気分も落ち着いているらしい。

 いそいそと、シチューを更に注ぐ。

 素材の栄養分を余すことなく摂取でき、しかも大抵の具を内包できる度量を持つシチューは、この教会のみならず、スターニング村全体の定番メニューだ。しかし、それだけに料理人の腕が問われる料理でもある。

 今日のは自信作だ。

 現実逃避気味に、料理に没頭したのがよかったのか、今までで最高とも言える出来になっている。

 いつもどおり、自分の分を大盛り、神父の分は並盛り、フィズの分をてんこ盛りによそおい、それぞれテーブルに並べる。

「ふん、魔法士が作ったものなんぞ」

 文句を垂れながら、フィズはスプーンを手に取った。

「全然、美味くもなんとも……」

「その、喋りながら食べるのは行儀が悪いよ?」

 注意したら、一睨みで黙らされた。

 そして、さらに食を進めるフィズ。

「う、美味くも、なんとも」

 なにやら、フィズが震える。

「……美味いじゃないかっ!」

「なんで怒るの!?」

 クレスは悲鳴を上げた。怒られる理由がさっぱりわからない。

 そもそも嘘がつける性格ではないらしいことはわかったが、やり場のない怒りをこちらに向けないで欲しい、とクレスは思う。

「くっ!」

 親の仇を滅殺するがごとく、皿の中身を征服していくフィズの目には、真っ赤に燃える炎があった。有体に言うと、燃え過ぎな感すらある。なにもそこまで、とクレスが思っていると、おもむろに皿が突き出された。

「お代わりだぁっ!」

「は、はい!」

 結局、フィズはそのまま合計四杯も食べてしまった。自分もお代わりしようと思っていたクレスの分すら食べてしまったフィズは、

「きょ、今日はこれくらいで勘弁してやる」

 と、状況的に捨て台詞にすらなっていない言葉を残して、部屋に引っ込んだ。

 食器を洗いつつ、後ろで泰然自若としている神父にクレスは尋ねた。

「ねぇ、神父」

「なにかな、クレスくん」

「……僕、どうしたらいいんだろう?」

「ふむぅ」

 神父は、無精ひげを撫でながら、考えるフリをする。長年の付き合いのクレスにはわかる。あれは絶対になにも考えていない。

「思うに、状況に流されつつ、適当に関係の修復を図ってみてはどうかな」

 案の定、神父は、仕草だけはそれなりの威厳を感じさせながら、毒にも薬にもならない忠告をクレスにくれるのだった。

 

 

 

 

 

 

 そして、どうにもこうにもフィズの機嫌を直すことが出来ないまま数日が過ぎた。

 食事には一応出るものの、仕事に行けば、絶対に魔法は使うなよ、釘を刺されつつ、監視される。ホリィと遊んでいる時も、クレスが傍に現れると、途端に不機嫌になる。家では、基本的にこちらを見ない。

 そんな風にして、フィズに嫌われた事を確認するたびに、クレスの心にはこれでもかというほど暗雲が広がるのだった。

 そして、今日。いつも通り、朝のパンを焼いて帰ってきたクレスは、帰る道すがらばったりとフィズに出会った。

 毎朝、彼女は村はずれで訓練をしているらしい。旅の最中すら欠かす事のなかった日課らしく、大抵クレスと同じくらいに起きて、朝食が出来る時間にまるで匂いに惹かれたように帰ってくる。

 いつもはそうなのだが、今日に限ってなぜか早かった。そういえば、同時に起き出すわけだから、当然起床したらすぐ出会ったりしていたのだが、今日はいなかった。

「お、おはよう」

 挨拶はすげなく無視される。

 朝から嫌なやつに会った、とでも言いたいのか、露骨に視線を逸らし、クレスをないものとして扱う。

 その態度に、クレスは憂鬱な気分になる。

 と、そこでふと気が付いた。

 フィズが、例の大剣――エレメンティアを担いでいる。

「ねぇ、フィズ。今日はその剣を使って訓練をしたの? エレメンティア、だっけ。随分大きい剣だけど、そんなに大きな剣、一体何のために持ってるのさ」

 はっ、として、フィズがこちらを睨んできた。なにやら、怒っているような、驚いているような顔だ。

すぐにクレスは後悔した。なんとか会話をしたいと思い、話題を振ってしまったが、考えてみればフィズはこの剣に関しては最初から厳しい態度を取っていた。間違ったかな……とうなだれる。

 しかし、フィズはなにやら考え込んでいる様子だった。

 上から下まで、まるで舐め回すようにクレスを観察し、難しい顔になって何事かを考え始める。

「な、なに?」

 その瞳があまりにも真剣だったので、ちょっと引きながらクレスは尋ねた。

 しかし、その問いは答えられない。

 黙ってろ、とフィズは手で制して、顎に手を当てて考え込む。そして、無造作にクレスに近付いて、腕やら腰やら足やらに手を這わせる。

「ふぃ、ふぃふぃふぃふぃふぃフィズ!?」

「ふむ」

 それで、なにかの結論に達したのか、フィズは一つ頷いた。一体、何の結論に達したのか。

「……そうだ」

 そんな意味不明のことを言った。

「な、なに?」

「お前が聞いてきたのだろう。確かに、わたしは今日、このエレメンティアを用いて訓練をしていた。少々、気が高ぶったのでな」

 ああ、さっきの質問か。

 クレスの顔に理解の色が広がる。しかし、随分遅い返答だったが、一体なにを考えていたのか。すごい悩み方だったし、それにいきなり撫でくり回したのは一体いかなる意図だったのか。

 それに、どうしていきなり話してくれたのか。嫌われたのではなかったのか。

「ときに、クレス」

「な、なに?」

 あまつさえ、向こうから話を振ってきた。

 どんな事を言われても、見事話を合わせて仲直りのきっかけを掴んでやる、とクレスは意気込んだ。

 しかし、次のフィズの台詞で、とことんまで困惑することになる。

「実戦経験はあるか?」

「……はい?」

 なぁにそれ、美味しいの?

 思わず、そう聞き返したくなるほど、唐突かつ意味のわからない質問だった。惚けた顔でぼーっと見つめてくるクレスに、フィズは苛立ったように再度質問を重ねる。

「だから、命のやり取りをしたことがあるか? と聞いている」

「えーーー、っと」

「別に人間相手でなくても良い。狩りで動物を仕留めるのも、立派に実戦と言える」

「そ、それなら。前に、狼に襲われて、追っ払ったことが……」

「十分だ」

 なにが十分なのか。

「一応聞くが、攻撃のための魔法は使えるな?」

「さ、さぁ? 使おうと思ったことがないから。でも、いつも使ってるのを攻撃に応用するのは、そう難しくないと思うけど……」

 そこで、クレスは唐突に気が付く。

 まさか、この娘。僕を訓練相手にするつもりではあるまいな?

 いや、相手をするだけならまだしも、決闘とか称して斬り殺すつもりでは? 一つの実戦は、百日分の訓練に相当するのだ、とかなんとかそれっぽいことを嘯きながら。

「ふむ、ふむ」

 クレスの内心の恐怖を見透かしたように、頷いて、フィズは意気揚々と教会に向かう。

 それをぼけーっと見送るクレス。

「どうした、クレス。とっとと帰って、飯を食わせてくれ」

「あ……」

 その時、クレスの見間違えでなければ、フィズは確かに微笑んでいた。

 単純極まりない、と自分でも思うものの、クレスはそれだけで嬉しくなって、まるで飼い主に散歩に連れて行ってもらう犬のごとく尻尾を振りながら、その後を追いかけるのだった。