クレスはお茶をした後、フィズと話そうと試みていた。グレースさんお手製のお菓子を食べて、そこはかとなく機嫌が良さそうな今なら、スムーズな会話を成立させることができるだろう。ありがとう、グレースさん。

 しかし、

「お茶、おかわりどうかな?」

「いや。もう結構だ」

「あー、クレスお兄ちゃん、あたしに頂戴」

 どうも、会話のきっかけが掴めず、当たり障りのないことを聞くばかりだ。しかも、ホリィが茶々を入れてくるので、一向に話す雰囲気にならない。

 とりあえず、無言でホリィのカップにお茶を注いでやって、クレスはフィズをじっと見つめた。

「……………」

今は、お菓子の大部分を子供の特権で独占したホリィを、微笑ましげに見つめていた。そもそも、クレスに興味がないようにも見える。いや、事実、ないのだろう。

「フィズ」

 いつまでも無視されているような状態に耐え切れず、クレスはとりあえず名前を呼んでみた。だが、居住まいを正すフィズに、話す覚悟もしていないうちに呼んでしまったことを後悔した。

 クレスの目を見て、用件はなんだ、と視線で尋ねてくるフィズに、クレスは慌てて話題を探す。

 ふと、口いっぱいに菓子を頬張り、それをお茶で流し込んでいるホリィを見て、

「その、ホリィが迷惑をかけなかったかな。コイツ、ちょっとお調子者だから」

 そんな発言に、聞き捨てならんとホリィがぎゃあぎゃあ文句を言ってくるが、それを適当に聞き流しながら、フィズの反応を見る。少し考え込んだフィズは、首を左右に振って、

「いや。とても楽しい時間を過ごさせてもらった。できれば、また相手をして欲しい」

「ほら、フィズお姉ちゃんはこう言ってるよ!」

「ああ、わかったわかった」

 クレスはため息をつく。やはり、うるさいホリィがいると、まともな会話は期待出来そうにない。

 ……いや、二人きりでも、それはそれでまともに話せるとは思えない。フィズと良好な関係を築き上げているらしいホリィが仲立ちにはいることは、むしろいい影響を与えることになるのではないだろうか。

 そんな風に自分を盛り上げつつ会話の切り口を探していると、ホリィがいつの間にかお菓子を食べ終え、フィズに擦り寄っていた。

「そういえば、フィズお姉ちゃんは、なんでここに来たの?」

 そして、クレスが聞くのを躊躇していた質問をあっさりと投げかける。

 きっと、教会関係の仕事だろうし、ラス神父がなにも教えてくれなかったことから、きっと聞くべきことではないだろう、と思っていたのだが、案の定フィズは少し困った顔になり、

「おつとめ、だ」

「なぁに、それ?」

「その、わたしは教会に所属していてな。その関係の仕事をしに来たのだ」

「仕事って?」

 ぐぅ、とフィズは言葉に詰まる。

 どうやら、そこから先は答えにくいらしい。無表情が僅かに崩れ、目が泳ぐ。

「あ、あのさ。そういえば、フィズが持っていたあの剣はなんなの? 珍しいよね、あんな大きな……」

 やや不自然かな、と思いつつも、クレスは話題を逸らすため、別の質問をしようとする。しかし、それはますます目が泳ぐフィズを見て、その質問は途中でしぼんでいった。

「それは」

「あ、いや。言いにくいなら、別に……」

 助け舟を出そうとして、さらに溺れさせてしまった。なにか、他にないか、と考えたところで、ホリィが身を乗り出す。

「えー、フィズお姉ちゃん、剣なんて持ってるの!?」

「ああ。一応」

「見せて見せて!」

「駄目だ。あれは、妄りに人の目に晒すものではない」

 断固として断るフィズ。不満そうに頬を膨らませるホリィにも、一切容赦なく、

「だから、駄目だ」

 と、さらに言葉を重ねる。

 その態度に、見せてもらうのは無理だと悟ったのか、ホリィは不満そうに口を尖らせる。

「ぶー、いいじゃない」

「こら、ホリィ。あまりフィズを困らせるんじゃない」

 クレスは、まだ諦めきれていない様子のホリィを諌める。

「別に、困ってはいないが」

「そ、そう」

「じゃあ、見せてくれてもいいじゃない〜」

 はぁ、とフィズはため息をついた。

「刀身は見せられないが、鞘に入れたままで良いと言うのなら、見せてやろう」

「うん、それでいいよ」

 仕方ない、といった風のフィズに、大喜びのホリィ。本当に良いのだろうか、とクレスは思うが、考えてみれば、あのような大きな剣、旅をしている間は人目につくに決まっている。クレスも、それでフィズの印象が強くなったのだし、鞘に入れたままなら問題はないのだろう。

 しばらく待っていろ、とフィズは自分の部屋に向かう。

 わくわくして待っているホリィに、クレスはおい、と呼びかけた。

「なぁ、ホリィ。なんで剣なんて見たいんだ?」

「えー、フィズお姉ちゃんが持ってる剣なんて、面白そうじゃない」

 どこらへんが面白そうなのか。

 ちらっとしか見ていないクレスだが、あのフィズの剣の威容は良く覚えている。まともに振るえるならば、という但し書きが付くが、それこそ伝説上の存在であるドラゴンでも真っ二つにできそうな大剣だった。

 物騒なことこの上ない。

 まるで赤ん坊を抱きかかえるようにして、剣を持ってきたフィズを見て、つくづくそう思った。

 よその国では、戦乱が絶えず、争い事がとても身近なものだと聞くが、少なくともこの村はそういったものとは無縁で、狩りをするための弓等の他は武器らしい武器はない。持つ必要もない。

 その剣が、フィズがこの村にとってどうしようもない“異物”であることの証明のように思えた。

「う、わぁ。本当に、おっきいね」

「うむ」

 さすがにビビったのか、ホリィの笑顔が引き攣っている。

「重くないの?」

「平気だ。これを自由自在に扱うために、厳しい訓練を積んできたのだからな」

 それを証明するように、フィズは鞘をつけたままで、大剣を一振り、二振り。屋内で、しかも相当な長さの剣にも関わらず、家具等には一切触れない。しかし、その威力は顔に当たる風圧だけでも容易に知れた。

 こんな華奢な少女のどこにそんな力があるのか。どうだ見たか、と少しだけ胸を張るフィズを、クレスは驚愕の面持ちで見る。どうやら、フィズの筋力は、クレスの想像をはるかに上回っていたらしい。

「ふあ〜」

 なにやら、ホリィが感嘆の声を漏らす。確かにすごいことはすごいと思うけれど、妹分に余り物騒なことに興味を持って欲しくないクレスだった。

「ねーねー、ちょっと触らせてよー」

「却下だ」

「いいじゃない、ねえねえ」

「ホリィ。これは、とても神聖なものなんだ。悪いが、教会に認められた者しか、触れることは出来ない」

 過去の聖人が持っていた武器かなにかだろうか、とクレスは適当に当たりをつける。

“侵食”に対する戦線において、多大な戦果を残した教会の法術士は、死後『聖人』として教会に認定される。聖人となることは、教会において最大の名誉とされ、その遺品は、勝利を約束するお守りとして、教会で管理されることとなる。

 しかし、このゴツイ剣は、フィズのような少女に贈るものではないと思うのだが。同じ聖人の遺品にしても、ブローチとか、腕輪とかありそうなものである。

 散々ねだってくるホリィをあしらうフィズの持つ剣に、視線が行く。

 一度だけ、クレスは、その剣が抜き放たれたところを見たところがある。スターニング村に着いたばかりのフィズを境界に案内していた時――今思うと、あの時フィズは、目的地に到着して気が緩んでいたのだろう――あの鞘の下にある、この世のものとは思えない輝きを目にした。

 あの時、クレスが感じたことは筆舌にし難い。それほど、あの剣は非現実的な魅力を備えていた。

 ただ、一つだけ言える事がある。

 あの剣が纏う雰囲気は、“魔法”と、ひどく似ていた。

 世界の在るべき姿が改変されているような違和感。そして、その違和感を塗りつぶすような、圧倒的な“力”。……言葉にすれば、そんなところ。

 あれが、噂に聞く、法術の発動媒体、なのだろうか。

 魔法とは違う、もう一つの精霊を従わせる技術体系を思い浮かべ、即座に却下する。フィズが、自分は法術士ではない、と言っていた。

「じゃあさー、フィズお姉ちゃん。この剣の名前はなんていうの?」

「名前?」

 ふと、ホリィが尋ねる声が耳に届く。

 フィズが、ちょっと戸惑ったように逡巡し、まあいいか、と呟いて、

「エレメンティア、だ」

 ……なぜか、その銘が、胸に深く残った。

 

 

 昼食の準備を忘れていた。

 普段の昼食は、大抵村のみんなと一緒に、当番の女性たちが作った食事を取るのだが、まだ村の人たちに慣れていないであろうフィズのために、今日は家で昼食をとることにしていたのだった。

 慌てて、調理を開始するクレスを、ホリィがやたらやる気で応援してくる。しかし、火を扱っている時にも容赦なく背中に抱きついてきたりするので、正直邪魔だ。

 それを悟ったのか、フィズがひょい、とホリィを摘み上げ、『再戦だ』と、戦盤を広げる。

 それぞれの駒を展開し、一進一退の攻防を繰り広げる二人。ちらり、と見やると、やけにホリィが強い。いや、フィズが弱いのか? どちらにしても、あまりにも一方的な展開に、クレスは見なかったことにするしかなかった。

 熟考した後、騎士を前進させるフィズ。ああ、そこは魔法使いを前進させるんだよ。ほら、切り込まれてる。……って、そこで法術士を動かしたら王の守りがなくなるじゃないかー!

 いけない、口を出したくて仕方がない。

 気もそぞろになりながら、なんとか昼食の仕上げにかかる。

 今日のメニューは、朝のパンに、特製のジャム、シャキシャキのサラダ。そして、メインは農作業の合間に捕まえた野鳥の香草焼きだ。野鳥を香草で包んで焼くと、実に良い匂いが染み込み、また肉が柔らかくなる。できれば、塩が欲しいところだが、海から随分遠いこの村では、貴重品なので、滅多に使えない。同じ内陸でも、大きな町なら流通がしっかりしているので、もっと気軽に使えるらしいが……

 地元に対する不満を飲み込みながら、出来上がった料理をテーブルに並べていく。どうせホリィも食べていくだろう、と思っていたので、ちゃんと三人分作ってある。

 ラス神父の分は必要ない。あの人の、村での仕事はお医者さんだ。今日も、三人ほど診る予定で、その家でご馳走になって来るだろう。

「できたよー」

「はーい。クレスお兄ちゃん、少し待って。もうちょっとで勝負が付くから」

「……大きく出たな、ホリィ。しかし、ここからわたしの反撃が始まるぞ」

 口だけは立派なフィズだが、クレスから見ればその一手一手が敗北への布石だ。自分から不利な状況を招き入れているとしか思えない。年少に花を持たせようとしている、と良い方向に受け取ろうとしても、その熟考している姿を見ると、それは無理な話だった。

 案の定、盤上が刻一刻と追い詰められていくにつれ、フィズの顔に焦りの色が見えてくる。見た目は無表情なのだが、口が僅かにへの字に曲がり、形の良い眉がしかめられている。

「勝ちぃ〜」

「くっ、今の手、待ってくれ」

「フィズ。もう四手前から、負けは決まってたよ。さぁ、料理が冷めちゃうから、早く片付けて食べよう。ほら、二人とも手を洗ってきなさい」

 ため息をつきながら、クレスが戦盤を片付けにかかる。その様子を非難するように見ていたフィズだが、結局何も言わずに手を洗い、食卓についた。

 レヴァ神に今日の糧の感謝を捧げるお決まりの聖句を唱え、全員食べ始める。クレス自慢の野鳥の香草焼きは、二人に好評だった。

「しかし、あの戦盤というゲームは思いのほか奥が深いな」

 食事後。午後の作業まではもう少し時間があったので、もう一度お茶を飲んでいると、フィズがそんな風に切り出した。

「そうだね。僕も、ラス神父と時々打ったりするんだけど、毎回新しい戦術が思いつくから、飽きないよ」

 正直、フィズはその奥深いゲームの第一歩をやっと踏み出したところだと思ったが、特に否定することもないと思い、調子を合わせる。

「ねぇ、フィズお姉ちゃん、午後からなにをする?」

「そうだな。いやしかし、午後からは仕事を手伝おうと思うんだが……」

「いや。今日はそれほど忙しくはないはずだから、ホリィの相手をしてやっててくれないかな」

「そうか?」

「うん。気にしない気にしない。クレスお兄ちゃんたちが、きっとやってくれるって」

「……ホリィ。言っておくけど、あと一、二年もすれば、お前も他の大人と同じように仕事するんだからな?」

 聞こえない振りをする子供に、拳骨を落とす。

「いたーい」

「お前も、もうすぐ九歳だろ。いつまでも、子供ぶっているんじゃない」

「ぶー」

 実際、ホリィは年の割りに子供っぽい気がする。クレスがこの年齢の時は、既にその才能を開花させており……ぶっちゃけると、いいように使われていた。そのときの経験から、クレスは意外と子供に厳しく当たる所がある。

 どちらかと言うとクレスの方が子供として早熟なのだろうが、他の子供がおらず、比較が出来ないので、その態度は今後も変わることはないだろう。

「ふむ」

「……フィズ、なに?」

「いや、お前達は、本当の兄妹のようなのだな」

 言われた二人は、思わず顔を見合わせる。なにか変なことを言ったのか、とフィズは不思議そうにした。

「なんだ?」

「いや。確かに、ホリィとは兄妹みたいなもんだけど……それを言うなら、この村全体が一つの家族みたいなものだよ。今更言われて、ちょっと戸惑った」

「そうなのか?」

 フィズは少し驚く。

 彼女の故郷であるセレナ島には、家族という概念が薄い。多くの子供は、幼い頃から親から引き離され、精神殿に預けられる。その子供達が家族と言えなくもないが、同時に彼らはライバルでもあった。

 少なくとも、こうやって一緒にお茶をして、のんびりおしゃべり、などという行為とは無縁である。

「小さな村だしね。助け合わないと、暮らしもままならないし。フィズがどんな風に生活して来たのかは知らないけど、他の集落もこんな感じじゃないかな」

「なるほど……都市とは違うのだな」

 大きな街になると、あまりそういった雰囲気はない。今までフィズが訪れた街というと、大抵戦乱続きでピリピリした雰囲気に包まれているのが常だった。

 確かに、サナリス王国の都市は、そういった雰囲気は薄かったが、それでもここほど暖かな雰囲気はなかったように思う。

 ふと、傍らの剣、エレメンティアを見る。これは、ある意味フィズの今までの人生の象徴のようなものだ。自分の役目は、絶対に必要なものだと思うし、誇りもある。しかし、もし、もしだ。

 こういう村で生まれ育ったら、わたしはどういう人間に育ったのだろう?

 一瞬、そんな疑問が、フィズの脳裏をよぎった。