立て付けの悪い扉を押し開けると、埃がその隙間から外に出ていく。近々、大掃除だな……とクレスは心のメモ帳に書き加えつつ、何脚も置いてある長椅子の一つで船を漕いでいる初老の男性の下に向かった。

「ただいま、神父」

 軽く肩を叩く。

 神父と呼ばれた男は、一瞬ビクッと肩を震わせ、やがてのんびりと瞼を開く。

 寝起きでぼうっとしている目がクレスを捉え、だんだんと焦点が合ってくる。

「ふぁ……おふぁよう。クレス。今日の晩御飯はなんだい?」

 大きな欠伸をしながらそんなことを尋ねてくるこの人物こそ、この教会の主でありクレスの養父であるラス・リーベン神父だ。

 村人からはそれなりに慕われているラス神父だが、クレスからすればいつもぐうたらして手のかかる養父である。

「神父。そんなことより、お客さんだよ」

「そんなこととはなんですか。食べると言う事は、何者にも勝る喜びなのですよ?」

「ほらほら、入り口のところで待ってるから」

 クレスにせっつかれて、ラス神父はやれやれと重い腰を上げる。

 ゆったりと振り向くその動作は、見る人によっては落ち着きのあるものととられ、クレスからすればじれったいの一言だ。

「あ〜〜っと。どちらさまかな」

 寝惚け眼を擦る神父には、フィズの姿が良く見えていないようだ。

「……あなたが、この教会の神父か?」

 予想外の声に面食らった神父はしどろもどろになる。大方、村の人の誰かが来たとでも思っていたのだろう。

「は、い。そうです……が」

「そうか」

 やはり親子なのか、ラス神父はクレスと同じように固まった。片手で頭を押さえ、なにか懊悩している様子。

 それでもそこは年の功。すぐに立ち直ると、『少し失礼』と、クレスの元にツカツカと戻っていく。

「? どうしたの、神父」

 何も話さないうちに帰ってきたラス神父にクレスが不思議そうにすると、問答無用でその頭を叩いた。

「っで!? な、なにするんだよ」

「一体、このお嬢さんはどこのどちらさまですか? まさかとは思いますが、クレス。神の教えに背くような行為に及んだりしてはいないだろうね」

「なんの話だよ!」

 一体なにを想像したのか、顔を真っ赤にしながら反論するクレス。

「フィズは、旅の娘で教会に用事があるからって案内したんだよ。神父はさっさと話を聞いてくる」

「本当だね? 先週、町にお使いにやった時にゆきずりで孕ませた娘さんとかじゃないんだね?」

「神に仕える者なら、言葉に気をつけろ!」

 神父の足を蹴って、フィズのほうに押しやる。この神父、時々不穏当なことを口走る悪癖があって、クレスがラス神父に苦手意識を持つ理由の一つがそれだった。

 ラス神父は、クレスが『あれは偽善者の笑いだ』と断定する笑顔を浮かべながら、柔らかい物腰で再びフィズに近寄っていく。

「いやぁ、すみません。ちょっとした行き違いがありまして。ささ。何の御用ですかな? ここは神の家。なにか困ったことがあるのなら、我らが神の下僕であるクレスくんを手伝いに遣らせますが」

 クレスの突っ込みの声も無視して、ラス神父はさぁ任せろと言わんばかりに両手を広げてみせる。この調子でほいほいと仕事を引き受けるものだから、クレスは村中のあらゆる仕事に手伝いをする羽目になってしまったのだ。今では、畑仕事から機織り、建築までなんでもござれのスーパーアシスタントに成長している。

 そんな魅惑の労働力などに用はないらしく、フィズは神父の言葉を無視して、懐から何かを取り出した。

「これを」

 ちゃらり、という高い金属音を奏でながら神父に差し出されたのは、一目で高級品とわかる、レヴァ神の紋章をかたどった銀細工。本来は首からかけるアクセサリなのだろう、細い鎖が繋いであった。紋章の中心にはなにかの字が刻んであったが、クレスからはよく見えない。

 それを見たラス神父は、クレスが久方ぶりに見る真面目な顔で、

「これは……しかし、貴方のような子供が?」

「前任者が流行り病で死亡したので、早くに継ぐ羽目になった。だが、仕事に関しては、心配することはない」

 そっけなく言うフィズの台詞に、クレスは違和感を持つ。継ぐ……なにをだろうか?

「それで、恐らく約一期後には起こると思う。それまで厄介になりたいんだけど」

 また主語の抜けた会話。起こるとは、なにが起こるのだろうか。

 クレスにわかることは、それを聞いた神父の顔が、ますます険しくなったことだけだ。

「それは構いませんが……その、大丈夫なのですか?」

「当然。心配することはない」

 胸をそらし、そう断言するフィズの姿は、どう贔屓目に見ても子供が背伸びしているようにしか見えなかったが、ラス神父はその姿を祈るように見て何度も頷いて見せた。

「わかりました。そういうことなら、どうぞ存分にご滞在ください」

 恭しく言う神父に、クレスは気色悪いものを感じた。この神父がここまで他人にへいこらするのは初めて見るのだ。

「あ〜、クレス。こちらのお嬢様がしばらくこの教会にご逗留なされるそうだから、部屋を明け渡したまえ」

 まるでちょっとお使いに行ってきてくれ程度の口調で、ラス神父がそんなことをほざく。当然、クレスはわけがわからず反論する。

「なんなんだよそれ。一応、客室あるのになんで僕の部屋を使わないといけないんだよ」

「クレス。まさか君はこの――えーと?」

 ラス神父の視線での問いに、フィズは余り抑揚のない声で、

「フォルトゥーナ・ルヴィズス」

「そう。このフォルトゥーナ様に、あんな狭い客室に泊まれと? あんな部屋には君が布団持ち込みなさい」

「あんな部屋って、僕が普段から掃除してるから綺麗だよ! どっかの破戒僧の部屋みたいに酒瓶も転がってないし!」

 ラス神父は、なっ、と言葉に詰まり、クレスとフィズに交互に視線をやり、やけにうろたえる。

「く、クレス。なにを言うのかな? 私、ラス・リーベンは忠実なる神の僕。酒など飲みませんよ?」

「なにどもってんの。昨日も晩酌してたじゃない。『これだけが生きがいだねぇ』とか言って、貰ったばっかのぶどう酒の瓶一本空け……」

「だだだだ黙らっしゃい! それ以上でたらめ言うと、ご飯抜きにしますよ!」

「そのご飯作ってるの、僕なんだけど」

 そのやり取りを呆れたように見ていたフィズは、一つため息をつく。それだけの仕草に、ラス神父はカチカチに緊張した。

「神父。わたしは別に、貴方の行状を告発しに来たわけではないから、今のは聞かなかったことにする。これから神戒を侵さないよう、気をつけてくれればそれでいい」

 それを聞いて、ラス神父はあからさまに安堵した。まるで叱られている子供のようだ。見た目はまるで逆だったが。

「それと、わたしの部屋はその客室とやらで十分だ。前に住んでいる者を追い出すのも心苦しい」

「さ、左様ですか。では、お部屋にご案内します。……クレスくん、あの方の荷物をお持ちして!」

「……はあ」

 釈然としないものを感じながらも、クレスはフィズの荷物に手を伸ばす。荷物と言っても、小さな皮袋一つだ。持ってみると、思ったよりずっと軽い。これでは入っているのはせいぜい服とかくらいだろう。これで本当に旅ができるのか? と疑いたくなる。

 法術でも使えるのかもしれないな、とクレスは漠然と思った。

 神父とのやり取りから、フィズは多分教会の関係者……それもかなり身分の高い者だろう。外観からはまるで想像が付かないが、法術の達人は若くして教会の高い地位に就くこともあるという。フィズもそういった人間だと、クレスは当たりをつけた。

 法術とは、世界の運行をレヴァ神から任せられた精霊たちの力を借り受ける術だ。同じように精霊の力を操る魔術とはまた別の方法らしい。ちなみに、魔術の方はレヴァ教にとっては神戒――タブーだから、彼女が使うという事はないはずだ。

とにかく、そのような力が使えるならば、この荷物の少なさにも納得がいく。達人ならば、火を熾すことから襲撃者の撃退まで、大抵のことは法術だけで賄ってしまうからだ。

「もしかして、フィズは法術使えたりするの?」

 何気なくクレスは聞いてみた。フィズは、きょとんとして、

「ん? いや、わたしは使えないけど、なんでそう思ったんだ? えっと……クレス、だったな」

「だって、旅してきた割には荷物がずいぶん少ないからさ」

 明らかに年下の少女に呼び捨てにされたにもかかわらず、クレスは気を悪くした風でもなくそう返す。

「必要ないから。あと荷物くらい自分で持つから、返してくれ。わたしは別に小間使いが欲しくて教会に来たわけじゃない。雨露を防げる屋根があればそれでいい」

「まあまあ。どうせ、部屋に案内しないといけないしさ。旅してきたんなら、疲れてるでしょ」

 有無を言わせず、クレスはずんずん客室に向かう。ラス神父は言いつけを聞かないと、嫌がらせをしてくるのだ。しかも、それがやけに敬意を払っている様子のこの少女の世話となれば、嫌がらせレベルもぐんと上がるだろう。

 そんなクレスをフィズは困ったように追いかける。

 教会の奥にある扉を抜け、普段彼と神父が生活している母屋へ。二人しか暮らしていないので、家は小さいものだ。台所の他、神父の部屋とクレスの部屋。あとは宿のないこの村に立ち寄った旅人を泊めるための客室が一つ。

 しかし、そもそも何の特徴もないこの村に訪れる人などほとんどいない。物心ついた時からここで暮らしているクレスとて、この客室が本来の用途で使われるところをついぞ見たことがなかった。

「こっち」

 台所を抜け、その客室にフィズを案内する。

 ギギギ、と立て付けの悪いドアを開けると、涼しい風がクレスの頬を撫でた。

「窓、いつも開けたままにしているのか?」

「いや、そんなことはないけど」

 確か、今日の朝掃除したときは、きちんと閉めたはずだ。なのに、窓は全開。白いカーテンが外の風を受けて緩やかにはためいている。

「泥棒か?」

「うちにお金がないことなんて、村中の人が知ってる」

 言って、クレスは部屋を見渡す。夕方の赤い光が差し込み、部屋の様子を照らし出している。タンス、小さな本棚、机。そして、中央がこんもりと盛り上がったベッド……

それで、クレスは事情を察した。いつものことだ。

ベッドに近付き、かけてあるシーツを問答無用でひっぺがす。

小さな、せいぜい七、八歳くらいの女の子が、小動物のように丸まって寝ていた。だら〜と涎までたらして、実に気持ちよさそうに。

「……ホリィ」

 はぁ〜〜〜〜〜、と盛大なため息をついて、クレスはその女の子の肩を揺さぶる。

「ホリィ。ホリィ、起きて。この部屋、使うからさ」

「んにゅ?」

 そんなクレスをうざったそうに払いのけ、ホリィと呼ばれた女の子はシーツを手探りで探して頭から被る。徹底抗戦の構えだ。

「ちょ、ホリィ! お客さん来てんだって。どいてってば。そろそろお前んちも夕飯でしょ!?」

 シーツを奪い取ろうとするが、篭城したホリィは寝ているくせにとんでもない力でシーツを離さない。しばらく引っ張り合いが続くが、クレスはシーツが破れる事を恐れて本気でかかることができない。

 格闘すること数分。これは無理だなぁ、とクレスは頭をかいた。申しわけなさそうにフィズに目を向ける。

「フィズ、ゴメン。とりあえず、荷物そこらへんに置いといて。フィズが寝る頃には、こいつも目覚めてるだろうから」

「構わないけど。その子は?」

 穏やかな顔ですぅすぅと寝息を立てているホリィを見ながら、フィズは尋ねた。

「近くに住んでるホリィ。手が空いた時とか、遊んであげてる子でね。この部屋のこと、秘密基地みたいに思ってて、よく潜り込むんだよ」

「そうか。起こした方がいいのか?」

「そうなんだけど、無理でしょ」

 フィズは無言でベッドに近付き、おもむろにシーツに手をかける。クレスが止める間もなく、フィズは思いっきりシーツを捲り上げる。

 一体、どのような力の入れ方をしたのか、安物の布は破れることなく翻り、それにしがみついていたホリィは天井近くまで舞い上がった。

 どすん、とホリィの小さな体がベッドに落下し、弾力のあるベッドの上で二回、三回と跳ねる。

 流石に目が覚めたのか、ホリィは目を白黒させて、シーツを取っ払った姿勢のままでいるフィズを見上げた。

「お姉ちゃん、誰?」

「わたしは、フォルトゥーナという。フィズで構わない」

 フィズは、中背になってホリィと目線を合わせて自己紹介をする。

「フィズお姉ちゃん……?」

「まあ、好きに呼べばいい」

 なんか打ち解けている二人にクレスは割って入る。

「ホリィ。今日からこの部屋はフィズが使うんだから、出て行ってくれ」

「えー」

 いかにも不満そうに、ホリィは口を尖らせる。

「そもそも、僕はいつも入るなって言ってるだろ。ここはお客さん用の部屋なんだから」

「でも、いっつも空いてるじゃない。別に構わないでしょ」

「いやだから。今まではそうだったかもしれないけど、今日からはこのお姉ちゃんが使うんだ。な?」

 あやすように言うクレスに、ホリィは憮然となる。まだ自分と目線を合わせているフィズを睨んで、ぽつりと、

「ヤダ」

「ああ、もう。わがまま言わない。とりあえず、早くベッドから出てくれよ。シーツが皺になってるんだから」

「い〜や〜!」

 クレスがホリィの腕を引っ張ると、ホリィは激しく抵抗する。

 そこで、いきなりフィズがクレスの頭を軽く引っ叩いた。

「……フィズ、なにすんだよ?」

 別に痛くはなかったが、わけがわからない。事態を把握できていないクレスを尻目に、フィズはホリィの腕を掴んでいるクレスの手をやんわりと解いた。

「クレス。そんな言い方はよくない。事情はどうあれ、先にこの部屋にいたのは彼女なんだ。なら、ちゃんと頼むのが筋だろう」

「いや、筋って」

 そもそも、ホリィは不法侵入なのだが。

 わかっているのかわかっていないのか、フィズは大真面目な顔でホリィに頭を下げる。

「ホリィ、だったな。勝手なことだとは重々承知しているが、そこをなんとか頼めないだろうか。しばらく野宿ばかりだったので、ベッドで眠れると、とてもありがたいのが」

「ん〜」

 真剣な様子のフィズに、ホリィも考え込む。

「そうだぞ、ホリィ。フィズは、長い旅をしてきたんだ。ゆっくり休ませてあげないと」

「クレスはしばらく黙っていてくれ」

「そうそう。お兄ちゃんは引っ込んでなさい」

 ダブルで攻められる。僕は正しい事を言っているよなぁ、と、クレスは自問自答してみた。

「じゃあね。あたしと遊んでくれるならいいよ」

 おずおずとホリィは呟くように言った。

 この村で、子供はホリィだけ。普段、手の空いている大人がいない時は、一人で遊んでいるのだ。やはり、寂しかったのだろうか。

 だが、だからといってフィズはこの村に遊びに来たわけではない。詳しいことはわからないが、なにか教会の仕事か何かがあるのだろう。子供の相手をしている暇などあるはずがない……と、クレスは思っていたが、フィズはあっさりと、

「ああ、構わないぞ。どうせ、しばらくは暇だ」

「やた!」

 ぱぁ、と明るくなるホリィ。

「フィズ、いいの? 仕事とかあるんじゃ……」

「さっきも言った通り、しばらくはわたしがすることはない。それなりに時間は余るだろうからな。部屋を借りる条件に、一緒に遊べと言うのなら付き合おう」

「ならいいんだけどさ」

 クレスは釈然としないものを感じながら、なにして遊ぶのかを一方的に喋っているホリィを見つめるのだった。