「ほら、良也。血ぃ寄越しなさい」 「はいはい……」 紅魔館のテラス。月の光が柔らかく照らしあげるその場所で、僕はレミリアとティータイムと洒落こんでいた。 そんな中、いきなりのレミリアの要求に、僕は半ば諦めの境地で手を差し出した。 「失礼致します」 咲夜さんも心得たもので、レミリアのカップの上に差し出した僕の手を取り、手品のように虚空から取り出したナイフで小さな傷を付ける。 ぽたり、ぽたり、とレミリアのカップに満たされた紅茶に僕の血液が注がれる。 「ん……貴方、最近疲れ気味? 疲れた血の味よ」 「わかるのか、そんなもん」 確かに、ここのところ仕事が忙しくて、疲労が抜け切れていない感がある。 「ええ。不健康な血よりは、やっぱり健康的な人間の血液の方が美味しいの。養生しなさい」 せめて、こういう時くらい純粋に心配してくれても、と思うのは贅沢なんだろうか。……贅沢なんだろうなあ。 「ていうか、いつも思うんだけど、美味しいのか? 血液茶」 「まあまあ。上質の血ならもっと美味しいんだけど、まあ良也の血で我慢ってところね」 「あのなあ」 いつもちくっとするのを我慢しているというのに! 既に傷は塞がっているんだけどね。 「だったら、里の人の血でいいだろ。いつも僕の血取りやがって」 知ってるぞ。咲夜さんに里の人に献血を募らせているって。 なんか特殊な容器に入れてたし、鮮度の問題はないだろうに。 「だって不味いもの」 あ、言い切りやがった。 「……なんで。人里の人は、僕なんかより健康的な人ばかりだとおもうけど」 「あのね、確かに健康不健康は血の味を左右する一つの要素だけど」 レミリアが紅茶に入れた砂糖をかき混ぜていたティースプーンで人を指しながら、呆れたように講釈する。 「他にも味を決める要素はいくつもあるの。血液型、性別、年齢、その日食べたものに体質とか、霊力とか」 「ふーん」 いや、そんなこと知っても仕方ない。無駄極まる知識だ。 「なにより大事なのはね……感情よ」 言って、レミリアはくいっと紅茶を一口含む。 血のお陰で濁った茶を、レミリアは目を閉じて味わい、こくりと飲み下す。 感情ねえ……そう言えば、そういう話を聞いたことがあるような気もする。 「貴方は、こうやって差し向かいでお茶を飲んでても、なんだかんだで私に恐怖を抱いているでしょう?」 「まあ……否定はしないけど」 今日は上機嫌っぽいが、基本的にレミリアは妖怪。それも阿求ちゃんの求聞史記において危険度極高、人間友好度極低にランクされている奴である。 なにかの拍子に逆鱗に触れ、次の瞬間首を切り裂かれていてもなんの不思議もない。 ここニ、三ヶ月くらいは頻繁に吸われる割に、そんな憂き目に遭っていないのだけれども、例えば今『お前なんか全然怖くないもんねー!』とか言ったら多分危うかった。 「恐怖の感情が混じった血は極上なのよ。咲夜に集めさせた血は、所詮私のことをロクに知らない連中のものだし、安全な里の中にいるそいつらに、私に対する恐怖なんて望むべくもないわ」 「恐怖を感じた人間の血液を美味いと感じるとか……吸血鬼って、趣味の悪い一族なんだな」 「なにを言っているの。これぞ高貴な趣味というものよ」 いや、それは間違いなく高貴ではない。 「まあ、それに……」 「あん?」 「なんでもないわ。咲夜、おかわり」 「かしこまりました」 いつの間にかレミリアのやつは紅茶を飲み干していた。僕はまだ殆ど残ってるのに、飲むのはええな。 ポットのおかわりを要求するレミリアに、黙って背後に控えていた咲夜さんは一礼して踵を返す。 ……あれ? なんで時間を止めていかなかったんだ? 「……咲夜ったら。なにか勘違いしているようね」 「咲夜さんがなんだって?」 「貴方には関係のない話よ。さて、それより、つまらない話をしたわ。なにか芸でもして私を楽しませなさい」 こいつ、気まぐれのように僕をお茶に誘っては、暇潰しを要求する。 今まではまあそれなりに付き合ってやっていたのだが、もう色々しすぎてネタが尽きた。 ……と、言うわけで、僕のアドバンテージである外の世界の物品に頼ることにした。 「芸はないけど、一応持って来たものはあるぞ」 「あ、なによなによ? もったいぶらないでさっさと見せなさい」 はいはい、と僕は苦笑して、鞄を漁る。 こうやって、好奇心に目を輝かせているレミリアは、見た目相応に見えて、まあ可愛らしいと言えなくもないんじゃないかな。指摘したらキレると思うが。 「つっても、大したもんじゃないぞ。はい、百均おもちゃ詰め合わせ」 「へえ、ヒャッキンってのがなんなのか知らないけど、カラフルでかわいいじゃない」 「やるよ。二人でやるものもあるから、フランドールとでも遊んでくれ」 適当に目についたやつを買ってきた。スポーツ系は、こいつの運動能力でぶん回したら壊れること必至なので混ぜてないけど。 「ふふ、成る程、たまには気が利くのね。もらっといてあげるわ」 「せめてありがとうの一言はないのか」 まあ、そんなこと期待するだけ無駄だろうな、と思ってはいたので別に腹も立たないが。 案の定、レミリアは僕の言葉など無視して、がさごそと袋をあさってる。 レミリアが無理矢理破っていく包装を回収しつつ、彼奴の顔を覗き見る。 ……すんげぇいい笑顔だった。これだけなら、悪魔とは思えない、天使のもの。 「はあ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜」 「なによ、どうしたの」 「なんでもねえ」 一体、僕はどうしてしまったんだろうか。 空に浮かぶ三日月を見上げて、僕はもう一度だけ大きな溜め息を付いた。 皆さんは吊り橋効果というものをご存知だろうか。 色々細かいことをすっ飛ばして言うが、要は恐怖心なんかのドキドキを恋心を錯覚してしまうというものだ。 多分そういうことだと思っているんだが……なんだろう、何故か、本当に何故か、自分でもよくわからないことに、最近レミリアのことが気になっている。 ……いや、ねぇよ。うん、きっと、マジでアカンて。 だって、レミリアは……いや、もう言葉を飾らずに言ってしまおう。ロリだ。どんだけサバ読んでも、見た目は中学生にも届かない。 まあ、妖怪だからか、それとも西洋系だからか、モノホンの児童ともまた違った印象を受ける容姿をしているんだが……しかし、ロリだ。 いや、別に僕がそういう趣味を持っているというわけではない。そう、人間、大事なのは外見よりも内面。あいつは妖怪だけど。それは置いといて。 とにかく、僕が気になっているのは、あいつの容姿ではなく、性格というか中身というか……いや、それはそれで、僕が物凄い倒錯的な趣味をしているという誤解を招かないか? ……難しい。 理屈をつけようとすると、どうしても僕が変な趣味を持っているように聞こえてしまう。違うのに。 「うう〜〜ん」 「良也様、水差しを持ってまいりました」 「あ、どうも、咲夜さん」 紅魔館の客室の一室。深夜まではしゃぎまくったレミリアに付き合って、百均のゲームをやっていたのだが、あまりに遅くなったので泊めてもらうことにしたのだ。 現在、午前二時前。流石に、夜行性の生き物に最後まで付き合うのはつらいので、門番のシフトが終わった美鈴にバトンタッチした。美鈴は明日も早朝から門番しなきゃいけないらしいが……スマン。 「いえ、お客様なのですから。礼などは不要です」 あ、今日はレミリアの客人扱いなんだ。 しかし、なぜよりによって僕はレミリアなんだろう。恋人にしたいと思うんだったら、この咲夜さんなんてクールビューティなナオンなんだし、めちゃんこいいと思うんだけど。 ……メイドだってのは関係ないよ? まあ、自分の感情など、最もままならないものなのかもしれない。 受け取った水差しからグラスに水を注ぎ、一口飲む。 「時に、良也」 「ん?」 呼び捨てにされた。 これは、咲夜さんがプライベートモードに入った証である。紅魔館の中では結構珍しい。 「お嬢様とうまいことやったの?」 「ぶほっ!?」 何気なくかけられた爆弾発言に、僕は飲みかけていた水を思わず吹き出してしまった。 「ごほっ、ごほ――さ、くやさん? 一体、なんの話で……」 「隠すことないじゃない。お嬢様にホの字なんでしょ? ほら、私がわざわざ席を外してやったんだから、なにかあったでしょ」 「ないないない! というか、僕がレミリアに? アリエナーイ!」 「動揺しすぎよ。わかりやすい」 っていうか、紅茶淹れに行く時、時間を止めなかったのはそういうことか! 「だ、だいたい! なにを根拠に!?」 「お嬢様への態度や視線なんかでね、わかるわよ。乙女の勘を甘く見ないでもらいたいものだわ。色恋沙汰には鼻が効くのよ」 勘かよ!? しかし、当たっているから七面倒臭え! 「乙女……?」 「なにか文句でも」 ナイフが突きつけられる――が、ぃよし! 話が逸れた! 「ああ、侮辱的な言葉に傷ついたわ。賠償として、本音を言いなさい」 げっ。 く、くそう、誤魔化せなかった。っていうか、食いつきいいな、この人! 普段はレミリアと一緒にいて、その時は完璧に瀟洒なメイドをしているのだが、やはりそこは幻想郷の住人。面白いことには目がない様子。 逃げられ……ないよなあ。 観念するように、僕は手を上げた。 「あのですね、咲夜さん」 「はい。で、いつから? 告白はいつするの? それと、お嬢様に懸想ということは、やはり貴方はちょっと特殊な趣味を?」 ……この人、自分の主人に惚れた人間を特殊な趣味とか言い始めたよ。 「ぶっちゃけ、そういう諸々を含めて、自分でもよくわかってません」 「そういうつまらない答えは聞いていないの」 本音を言ったのに!? 「もっとこう、情熱的な言葉はないの?」 「……ないなぁ」 まだもやもやしてる段階なので。いや、はっきりしたとしても、僕という人間は情熱的な台詞を吐くような度胸はない。 「へタレめ」 「心外な。恋愛に真摯だと言ってください」 「あ、恋愛って言ったわね。言質取ったわ」 ……なにこの人こんなにはしゃいでるんだろう。本人の言うとおり、意外と乙女っぽいところもあるんだろうか。他人のコイバナにはしゃぐのは、確かにそれっぽいが。 しかし、それはそれとして、いい加減、脅迫じみた問い詰めにムカっときてる。 「咲夜さん、僕のことより、貴方はどうなんですか。幻想郷だと、そろそろ行き遅……」 今度こそ、ナイフを乱射された。 予想していた僕は、慌てず騒がず、真下の部屋にテレポートで逃げ出した。 さて、一旦は逃げたものの、しばらくはさっきの客室に戻るのは自殺行為だろう。 なんとなく目が冴えてしまったこともあり、僕はパチュリーの大図書館にやって来た。 「あれ? 良也! まだ帰ってなかったの?」 「おう、フランドール」 真っ先に僕を見つけたのは、フランドールだった。読みかけていた本をぽいっと捨てて、てててとこっちにやって来る。 「って、おいおい。本捨てるなよ。パチュリー怒るぞ」 ぽんぽん、と頭を撫でて、僕はフランドールが投げ捨てた本を取り上げて手渡す。 「あ、そうだった。うん、ごめんなさい」 ……成長したなあ、と実感する。 こういう風に注意するだけでいちいち命の危険は感じなくなった。まあ、相変わらず情緒不安定な時はあるし、その時は危ないんだけど。 「良也」 「ん?」 「ええと、ね」 もじもじしてる。 ……ははぁ、これはアレだ。 「……血なら、今日はレミリアにも吸われたから、ちょっとだけな」 「あ、やた!」 咲夜さんはいないので、風の魔法で指先を斬る。……自分でやるのは、ちょっと勇気がいるんだよね。下手したら指切り落とすし。三分でくっつくけど。 たらり、と零れそうな血を、フランドールは口を開けて受け止め、そのまま人差し指に吸い付く。 「……んー」 「あんまり飲みすぎないでくれよ。貧血になりそうだから」 そうした場合、咲夜さんに発見されても逃げられない。まあ元々、あそこまで言って逃げきれるとも思ってないが、時間っていうのは怒りを薄れさせるからね。捕まるのは後の方がいい。 しかし……ちうちう吸うフランドールに対しては、こうお兄ちゃん的な感情しか沸き起こってこないなあ。 うん、やっぱ僕は特殊性癖を持っているわけではないようだ。よかった、安心した。 「そういや、フランドール」 「んー?」 指先を吸いながら、目だけで『なに?』と聞いてくる。 「僕の血って美味いのか? なんかレミリアの奴が、感情によって味が変わるとか言ってたけど」 「んー、美味しいよ。私は別に、味でどんな感情を持ってるかなんてわからないけど、良也の血は……甘ったるい感じ?」 甘ったるい……うむむ、糖尿病と言っているわけじゃないのはわかる。僕のフランドールに対する感情は、そういう味だってことらしい。 どういう意味だろう……まあ、不味くないのならいいのか。 「でも、お姉さまが言うには、美味しいのは恐怖の感情を持った人間って話。言われてみると、良也は昔のほうが美味しかったかも」 「……そりゃなあ」 多分、それはレミリアも一緒だろう。なにせ、出会ったばかりの頃は今よりずっと怖がってた記憶がある。フランドールは記念すべき僕の初死をもたらした相手だし、レミリアも、今よりずっとツンケンしてた。 「あ、そういえば、もっと美味しいのがあるんだって」 「へえ? どんなの?」 何気なく聞いてみる。 そうすると、フランドールはなにが恥ずかしいのか、少し顔を赤らめて、言った。 「ええと、その吸血鬼に恋している相手の血は、なによりも極上、って言ってたよ」 なるほどなあ。そりゃ恋だとかそういうのはフランドールは恥ずかしい年齢なのかもしれない。精神年齢的に。 はっはっは、しかし吸血鬼に恋している相手の血、か。そりゃまたなんともロマンティックなお話で…… 「……え゛?」 「どんな味なのかなー」 呑気に言って、吸血を再開するフランドール。 「ふ、フランドールさん? あの、その話は本当?」 「嘘なんてついてないってば。本当」 吸血を中断されて、ちょっと拗ねた様子で、フランドールが言い切る。 へえ、成る程、恋した相手からの、ね。……ふ、ふふふ、ふふふふふ。 「あら、フラン、バラしちゃったの」 「どわぁ!?」 我を忘れているところで、いきなり後ろから声をかけられて飛び上がる。 「ぱ、パチュリー、か?」 「ええ。こんばんは」 こ、この不健康娘め。こんな時間まで本読んでやがったか。 「ぬ、盗み聞きなんて趣味悪いぞ」 「あら、ごめんなさい。だけど、この図書館は私の領域なんだから、ここで話している貴方が悪いわ」 ぐぬぅ、まあ、どんだけ声を潜めていても、この図書館にいる限りパチュリーから隠し立てするのは無理っぽいが。 しかし、それはそれとして、確認しておかないといけないことが。 「あの、その、パチュリーさん? もしかして、知って……」 「ええ。レミィに教えてもらった。半年くらい前から、すごく美味しくなったって、そりゃもう喜んでいたわ。勿論、食欲的な意味で」 ゲェー!? 「しかし、貴方も物好きね。もうちょっと付き合いやすそうな娘は、いくらでもいるでしょうに」 「……我ながら、どうしてこうなったのかと思うが」 「何の話ー?」 フランドールにはまだ早いので、やんわりと誤魔化す。 しかしどうしよう、どうしよう。 まさか咲夜さんが乙女(笑)の勘で気付いているのみならず、パチュリーとレミリア本人にまでバレているだとう? こ、これは―― 「ご馳走様」 「お、フランドール、よく我慢したな。あんまこぼれてないし」 「うん」 「じゃあ僕はちょっと用事があるから、あっちで本の続きを読んでいなさい」 「……どしたの良也。なんか声も動きも変だよ? カクカクしてる」 はっはっは……よし、フランドールは離れたな。 「……じゃ、パチュリー! 僕は帰る! そんで、ほとぼりが冷めるまでここには来ないから、レミリアにもそう伝えておいてくれ――!」 ダッシュで駈け出した。いや、飛び上がった。 駄目だ駄目だ駄目だ! パチュリーだけなら百歩譲ってよしとしても、レミリア本人に知れていると知って、それでも平然と滞在する勇気は僕にはない! 全速力で飛び、図書館の入口を開け放ち、 「あら、どちらに行かれるのでしょうか、良也様」 そんな、慇懃無礼な言葉とともに、腕が空中で取られ、投げ飛ばされる。 ぐりん、と飛行のベクトルを曲げられ、床に叩きつけられた。 「ふっ、見ましたか。これぞ瀟洒な空中一本背負い」 「しょ、瀟洒ってつければいいってもんじゃないと思います」 「あら、失礼。何分、行き遅れの身でして」 関係ねえ!? そして、ついさっきの話だから、やっぱりまだ怒りは収まってねぇ!? 「本来なら、スパン! としてしまいたいところですが……」 す、スパン……なにその恐ろしげな擬音。んで、チッ、と舌打ち一つすると、咲夜さんは優雅に頭を下げた。 「しかし、お嬢様がお呼びですので。付いて来てくださいな」 「!? い、いやああああ!?」 「ええい、暴れないでくださいませ」 抵抗する僕は、ずるずると咲夜さんに引っ張られる。 それを、図書館の扉の影で、パチュリーとフランドールが見送るのだった。……助けておくれよう。 「……あら、遅かったわね」 「ょぅ……」 我ながら憔悴して、レミリアの前に引き摺り出された。 「まったく、美鈴は弱くて困るわ。なので、ゲームの相手をしてもらおうと思ったんだけど」 「そ、そそそ、そうかかか」 あ、駄目だ。顔が赤くなってる。まともに口が利けない。 さて、そんな様子をレミリアはじっと見て、はあ、と溜息一つ。 幼女の姿をしていても、そこは五百年を生きる吸血鬼。五十も生きていない人間の感情の機微などお見通しらしく、こう言葉を続けた。 「パチェね。もう、おしゃべりめ。私が気付いていることを知ったら、こうなることは目に見えてたのに」 「……本当に味でわかるもんなのか」 「わかるわよ。人の感情で、最も強いものの一つ。ま、いいわ。そろそろ我慢も限界だったし」 と言って、レミリアが歩み寄ってくる。 「な、なんだよ……」 近付かれると、その、アレなんですが。 「そういう極上の血は、やっぱり由緒正しい吸い方をしないとね。チマチマとってのは、ストレス溜まってたのよ」 意外なほどの優しさで、抱きすくめられる。 カチン、とその瞬間僕の体は固まり、レミリアの舌が首筋を撫でる。 「ぅが」 ゾクゾク、と背筋を走る未知の快楽に身が震え、そんなことはお構いなしにレミリアが大口を開け、 「いただきまぁす」 躊躇なく、その発達した犬歯で首筋に噛み付いた。 痛みや忌避感はない。吸血鬼による吸血は、快楽が伴うという。そしてそれ以上に、レミリアに吸われるのは別に嫌じゃない。 ……しかし、頭がすぅー、と遠くなっていく。なんだこれ。 って、そう言えば、本日累計三回目である。しかも今は、レミリアは大量の血液を零して服を血で濡れさせながら、贅沢な吸い方をしている。 「ちょ、ちょっと待て! 気絶する、気絶するから!」 「あ、馬鹿」 ぶしっ! と何かが吹き出す音。 あれ? と目だけで横を見ると、噴水のように吹き出る、真っ赤な液体…… ああ、そうか。そりゃ吸血されている時に身じろぎなんかしたら、でかい血管の一つくらい裂けるよね…… 「勿体無い」 そう言いながら傷口を塞ぐように口をつけるレミリア。 僕は完全に意識を手放しながら、血に濡れるレミリアを見つめ続けていた。 ……その姿は、子供であるとか人間じゃないとか、そういう一切合財を忘れてしまうほど、卑怯なまでに綺麗だった。 ゆっくりと意識が浮上する。 ああ……この感覚は、一回死んだな。あの状況だと、恐らくというか、間違いなく失血死。 不思議なほど冷静に僕は意識を失う前の状況を思い返し、上体を起こした。 「あら、起きたの」 まだ時間帯は夜らしい。真っ暗闇の部屋で、月明かりが差し込む窓際に立っていたレミリアが、こっちを向いた。 ……血が足りていないせいか、それとも開き直ってしまったのか、もうさっき会った時みたいに動揺はしなかった。 「おはよう。僕、どれくらい寝てた?」 「一時間ってところね。なんだかんだで、再生早くなってるじゃない。そこだけなら私に追いつくのも遠くないかもね」 いや、そんなのに追い付くほど頻繁に怪我する人生は送りたくない。 ふと、自分の脈を取る。……鼓動は普通。貧血からか、体温はいつもより低いけど、でも常人の範疇。思考も正常。 グールになったりはしていない。 「……直接血を吸われるのも、少なくない回数になったと思うんだけど。吸血鬼化する兆候がいっつもないのはなんでなんだ?」 「そりゃ、私が吸血鬼にしようとしていないからよ。良也、貴方自分で夜の眷属にふさわしいとでも思ってる?」 「思ってないが」 「そういうこと」 まあ、そうか。物語みたいに吸った相手を片っ端から吸血鬼にしてたら、もう計算するまでもなく世の中は吸血鬼で溢れかえってる。 って、ああ、畜生。言いたいことは、本当はこんなことじゃないのに。 「……そういや、着替えは一体誰が」 また、関係ないことを言ってしまった。 ……いや、でも真面目に考えると、すごく気になる。いつの間にか、血塗れだった服が真っ白なシャツとズボンになってる。 「ああ、それなら感謝しなさい。私がやってあげたわ」 「お前がぁ!?」 「だって、咲夜はあれで男に免疫ないから断られちゃったし。美鈴も呆れたことに同じ。フランは論外で、パチェや小悪魔は私の従者ってわけじゃないしね」 妖精メイドは、主人のレミリアには怖がってあまり近付かない。 ……う、うわー、なんばしよっとね。 「まあ、血液の対価ってことで、貸しにはしないでおいてあげるわ」 「……そりゃどうも」 すげえ恥ずい。が、当のレミリアは今更そんなことで恥ずかしがるほど初心でもないのか、平然とした様子。 ……こ、ここで動揺したら負けだ。 すぅ、と深呼吸をする。 「それで、レミリア」 「あら、なにかしら」 「……その、知ってるん、だよな」 「知ってる」 ニィ、とレミリアの笑みが深くなった。 「身の程知らず、とは思うけど、別に咎めはしないわよ? 血の味が美味くなるなら、私に欲情するのも別に構わないわ」 「――っ、あのなあ」 「はいはい。だから咎めないって言ってるでしょ。本当にただの劣情しかないのだったら、流石に細切れにしてるわ」 「んな細かいところまでわかるのか」 ええ、とレミリアは頷く。 「こと、そっち方面に関してはね。昔、魅了の魔眼で片っ端から惚れさせて飲んでたことがあったから。ワインのテイスティングみたいなもの」 ……やっぱこいつ、ロクでもねぇな。僕よ、考えなおすのなら今のうちだぞ。 「人工だとやっぱり味気がないから、止めて久しいんだけど……まさか、この私が天然モノを飲むことができるなんて思わなかったわ。 念のために聞くけど、なんで?」 「わからん」 お手上げのポーズ。 そりゃレミリアは我儘で、見た目だけでなく言動も子供っぽくて、いつも偉そうで、乱暴者で…… しかし同時に、悪魔としての矜持は人一倍で、時々お茶目で、機嫌のいい時は付き合いがいい。 ……思いついたいいところが、悪いところより一つ少ないのはご愛嬌だとして。 「でも……まさか手に入るとは思ってないでしょうね」 「そりゃ、なあ」 女性はしばしば花に例えられる。しかし、レミリアが僕ごときに手折れるほど軟弱な花だとは到底思えない。手折るどころか、鋸を持ってきても茎を切れそうにない。 「そうね、私を自分の物にしたいというのなら、力を示しなさい」 「あ?」 何か今、変なこと言われたぞ。 「レミリア? それは一体どういう……」 「私を力で持って討ち果たしたら、アンタの女になってやってもいいわ」 ……なにその無理ゲー。 ていうか、着地点に、いささか違和感がある。 「あのな、レミリア。別に僕は、お前を屈服させたいとか、そういうことを考えているわけじゃあないんだが」 「わかってるわよ。でも、そうしないと私はアンタなんて認めないし」 確かに、レミリアが認めている『人間』は、タイマン張って勝ったことのある奴だけみたいだが。 「それに、少しは希望を見せておかないと。すぐ諦めて味が落ちてもね」 徹頭徹尾それか。 「それと」 「まだなんかあるのか。なんだよ」 呆れつつ先を促すと、レミリアは僕をじっと見る。 次に見せた表情は、こう、なんて言おうか。 「これ、自分でも意外だったんだけどね。初めて気付いた時、結構嬉しかったわよ。頑張ってみてくれないかしら」 ……レミリアのくせに、なんとも男なら立ち上がらないといけない気分にさせるような、そんな表情だった。 なお、吸血鬼には弱点がひっじょ〜〜〜に、多い。 日光、流水、十字架、ニンニク、炎、白木の杭、銀。日本の土に馴染んだからか、炒り豆や柊鰯や盛り塩も効くらしい。 「全部乗せだ!」 なので、僕はレミリアに発破をかけられた翌週、思いつく限りの弱点を揃えて戦いを挑んだ。 「ちょ、良也アンタ! 形振り構わないにもほどがあるでしょ!?」 「人間の力は知恵なんだよおおおおおおお!!」 「くっ、人間め! いいだろう、かかってこい! 勝てると思うなよ!」 で、三桁近い数蘇生を繰り返して、なんとかかんとか勝った。 ……今思うと、最後にレミリアを落とす時、『仕方ないわね』という表情をしていたような気がする。 まあいいか。 「なによ、良也」 「なんでも」 ソファに座って、体を預けてくるレミリアを撫でる。 ……さて、今日は二人でなにをしようか。 |
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