重い荷物を背負い、えっちらおっちらと魔法の森を歩く。
 ……今日は妙に妖精が騒がしくて途中から降りてきたのだ。

 まあ、向かっているのは最近とみに通うことの多くなったアリスんち。特に迷うこともなく……あ、着いた。

「こんにちはー」

 ノッカーを叩き来客を知らせると、一分と立たずにキィ、と玄関の扉が開けられた。
 一見、扉を開いた人間の姿が見えず、ここが魔法使いの家だということも相まってどこかホラーな雰囲気が……ないない。

「よ、上海」

 単に小さいから、扉の影に隠れていた人影に、僕は手を上げて挨拶をする。ふりふり、と僕に手を振る上海人形はえらく可愛らしく、どう見てもホラー映画の主役を張れるタマではない。
 ……とは言いつつも、この愛らしい姿で、時にはランスを握りしめ、主人の敵を攻撃するアグレッシブさも持ち合わせているのだけれど。いや、武器持ったりビーム撃つのはまだ百歩譲る。でも、『私が死んでも代わりはいるもの』とばかりに自爆特攻するのは勘弁して下さい。あれはアリスの感性を疑うぞ。

「アリスはいるか? ほら、頼まれもの、持って来たんだけど」

 聞くと、付いて来いとばかりに家の奥に飛んでいく上海に、一つ嘆息して家に入り玄関を閉める。なんか……慣れられてんな。前はちゃんとドアも上海が閉めてたのに。

 まあ、それも仕方ないか。なんかここ数ヶ月、月にニ、三回くらいのペースで通ってるしなあ。

 なんて感慨を抱いていると、アリスの作業部屋に到着した。

「上海? 客は誰……ああ、良也か」
「おう、こんにちは。ほら、先週頼まれてた本と素材、持って来てやったぞ」
「ありがと。ちょっと待ってて。もう少しでキリのいいところまで行くから」

 了解、と返すと、アリスは机に向かい直した。
 どうやら、人形のメンテをしているらしい。数百体はいるんじゃねえの? とまことしやかに噂されているアリスの人形たちは、メンテナンスも大変なんだろう。

 手近にあった安楽椅子に腰掛け、作業が終わるのを待つことにする。アリス用にしつらえられた椅子は僕には小さいが、魔法の森を歩いてちと疲れた。

 ……しかし、サイズが合わないのに、やけにすわり心地がいいな、この椅子。アリスの手作りかね?
 人形作りを始めとして、工作系を得意とするアリスは、自分の愛用品は手作りしているという話だが。

「ふう、お待たせ。……って、なに私の椅子に座ってるの」
「いや、疲れたからさ」
「上海、椅子くらい持って来て上げなさい」

 アリスが言うと、上海はすぐさますっ飛んでいき、自分の身長の倍はある椅子を持ってくる。……相変わらず、見た目に寄らず力つええ。雪かきするくらいだから、そりゃそんくらいの怪力は当たり前だけど。
 ありがたく来客用らしき椅子に移り、アリスはというと作業机の椅子を引いて持って来た。

「んじゃ、これな。人形作りの専門書と、各種素材。後、人工知能の本」

 ――以前、外の世界の技術をアリスに伝えてからこっち。
 僕は月に一、二回くらいの頻度で、こうしてアリスから依頼された品を持って来ていた。

「ええ、ありがとう。確認させてもらうわ」

 リュックを手渡すと、アリスはひとまずプラスチックや金属などの素材は脇によけて、本をパラパラと捲った。無造作なように見えて、目が恐ろしい勢いで文字を追っている。一応ざっと内容を把握しているらしい。

「うん、大体要望通りね。感謝するわ」
「まー、お金ももらってるしなあ」
「そう? 一、二度宝石と、純金を少し渡したくらいだったと思うけど。また作るから渡そうか?」
「いらない」

 アリスレベルの魔術師が作れる貴金属なんざ、天然物とそう大差ない。『錬金術はあんまり得意じゃない』などと寝言を抜かしていた気がするが、元々万能系の魔法使いであるアリスは、賢者の石を作れるパチュリー程ではなくとも錬金も修めている。少なくとも、僕とは雲泥の差だ。
 んなわけで、外で積み立てた『アリス貯金』は今や八桁に乗っていたりする。いかに高価な専門書や素材類を仕入れても、到底消費に追いつかない。正直、これだけで一生食っていけそうな気がしたが、それを実行すると間違いなく堕落するのであんまり考えないようにしている。

「それより、また魔術書見せてくれよ」
「……まあいいけど。汚さないでよね」
「わかってるよ」

 パチュリー程の蔵書量はないが、アリスも中々のコレクターだ。この部屋にある、然程大きくもない本棚に詰め込まれた魔術書は、どれもこれも最上級のレア物。
 しかも、一部パチュリーの蔵書にもない本もあったりして、僕は最近、これらの本を読ませてもらっていた。

「それじゃ、私は作業の方に戻るから。部屋にいるのは構わないけど、騒がしくしないでね」
「わかってるわかってる」

 もう何度目かの忠告だ。いい加減覚えている。
 アリスはどうも、宴会や祭りでもない限り、静かなのを好むみたいだしな。まあ、それは僕にとっても望むところである。

 しばらくして、アリスが人形を弄る音と、僕が本のページを捲るだけの静かな時間が訪れる。
 やがてそれらの音も耳に入らなくなり、僕は本の内容に没頭し始めるのだった。























「ふう」

 一旦本から顔を上げ、首を回して凝りをほぐす。
 アリスの魔導書の内容は、やっぱりあまりわからない。魂とかそっち関連だってのはわかるんだが、そこまでだ。しかし、きっと僕が魔法を研鑽していけば、今日読んだ内容がいつか役立つ来る日があるのだろう。多分、きっと、メイビー。

 なお、ページはまだ二十ページほどしか進んでいなかったりする。それだけで、僕はもう割と疲労困憊なのだが。

「……ん」

 ふと、視界に真剣な顔で人形と向き合うアリスの横顔が写った。僕が見ていることに気付く様子もなく、まるで魔法のような手つき(比喩表現である、あくまでも)で、上海と同型らしき人形のパーツを手入れしている。

 ……つーか、

(美人だよなあ)

 今更のように、そんなことが脳裏をよぎった。

 白磁のような白い肌に金髪。ともすれば、今アリスが弄っている人形より人形然とした整った容姿は、外ではテレビの中くらいでしかお目にかかれない。
 なんか割と気安く接しているが、もし外の世界でアリス級の美人と相対したら、僕のような喪男はドギマギして喋れなくなることうけあいである。

 ……なに? 他にも美人はいるだろうって?
 なーんかなー。うん、いやそうなんだけどさ。確かに容姿が整っているって点で言えば、輝夜あたりに敵う奴はそうそういないだろうし、その他のもののけ共も顔だけはいい。

 でもさ。アリスはなんかこう……うーむ、言葉にし辛いが、『美人』って形容が似合うとでも言えばいいのかね?
 本人が自称する通り都会派……垢抜けてるし。それに、ほらアレだよアレ。

「ふう、おしまいっと。……あら、もう読み終わったの?」
「うえ!? い、いや。まだまだ。ちょいと目が疲れたから休憩中」
「? そう」

 いやに慌てる僕に、アリスが不思議そうにするが、ぼーっと見惚れていたなんて言えるわけがない。適当に誤魔化した。

「ん……ふう」

 細かい作業で流石に疲れたのか、アリスが伸びをし、安楽椅子に移動する。

「上海、お茶を頂戴。……良也も飲む?」
「じゃ、じゃあいただくかな」

 集中力が途切れたので、これ以上読んでも仕方ないだろう。と、僕は魔導書を本棚に収める。

「あら、もういいの?」
「また今度読ませてもらうよ。ちょっと読んだだけだけど、異様に疲れたし」
「まあ、貴方の位階じゃそうか。あ、言っとくけど、他の魔法使い……貴方の師匠や魔理沙には内容を教えちゃ駄目よ」
「わかってるわかってる」

 魔法使いにとって、知識は資産だ。本来なら、弟子にでもない相手にそうやすやすと開陳するものではない。
 ここの魔導書を読ませてもらっているのは、僕が幻想郷にいるとどうあがいても手に入らない外の本をアリスに提供しているから、その対価なのである。こういう本に触れられる機会は本当に滅多にないので、内容が高度過ぎて半分くらいイミフでも頑張っているのだ。
 ちなみに、パチュリーが魔理沙によく本を盗まれているが、あれでもパチュリー独自の研究成果は決して盗らせていなかったりする。

「あ、お茶が来たようね」

 その言葉とほぼ同時に、上海がティーセットを持って戻ってきた。芳しい香りは、紅茶のそれだ。しっかり人肌に温められたミルクも添えられている。

「んじゃ、いただきます」
「どうぞ」

 ミルクを垂らし、カップを口に運ぶ。なんとも優しい味がじんわりと広がり、安らぐ。
 アリスも、コク、コク、と味わうようにゆっくりと啜っていた。

「そういえば、次はなに持ってくればいい?」
「気が早いわね」

 アリスは苦笑する。

「まだ本は読んでないし、素材の研究もしていないわ。……でもそうね、今度はもうちょっと変わった素材を持って来てもらおうかしら」
「……そろそろ、個人じゃ手に入らない領域になりつつあるんだが」

 ホムセンで売ってるようなのは大体買ったしなあ。通販でも、金属の塊なんてなかなかない。それ系の法人に直接問い合わせるしかないのか?

「ふふ、まあ可能な範囲で構わないわ。外の世界の技術は興味深いし面白いけど、あまり私の求める方向性とは違うみたいだから」
「そうなのか?」
「ええ。外では完全に自立した人形よりは、人間の役に立つ絡繰が求められているみたいだしね」

 まあ……そうか。二足歩行のロボットとか凄いけど、アリスの研究とはいささか毛色が違う。

「それより聞いて頂戴。この前、魔理沙がいきなり夕飯時に来てね」
「……待て、名前を出したら前触れもなくやって来そうだから、あいつの名前は出さないほうが」
「ふふ、それもそうね。あの白黒、『私に飯を奢るか、弾幕ごっこか、どっちがいい?』って……」

 うわぁ。仲が良いのやら悪いのやら。しかし、アリスはまだマシな方だ。

「……僕の場合は、割と問答無用で里の飲み屋で奢らされるんだけど。しかも、ねだってくるのは丁度菓子の売れ行きが良かった時で」
「見計らってるのかしら」
「どうだろ。……あ、そうそう。この前冥界に言ったら変な幽霊がいてさ……」

 ミルクティーを飲みながら、他愛ない雑談に興じる。
 アリスのうちに荷物を届けた日は、帰る前にこうするのがいつの間にか恒例になっていた。

 こんな森の奥で一人暮らし、かつあまり外に出ないくせに、アリスの話術は上手く、楽しい。
 アリスもアリスで、一人を好みはしても、別に話すことが嫌いなわけでもないのか、僕なんかと結構楽しそうに話をしてくれる。

 結局、僕がお暇することにしたのは、ポットを二回おかわりするほどの時間が経ってからだった。

「っと、もうこんな時間か。僕はそろそろ帰るわ」
「夕飯も食べていけば? 一人分も二人分も、大して手間は変わらないし」

 ぐっ、み、魅力的な提案だ。……でも、今日は無理。

「……今日、博麗神社の料理当番僕なんだよ。すっぽかすと、霊夢が五月蝿い」
「それは大変ね。じゃあ、お見送りを……あら?」
「ん?」

 立ち上がると、なにやらアリスが僕に近付いてくる。
 な、なんだ……? ち、近いぞ、やけに。

「ここ。胸元のボタンが取れかけてる」
「え? あ、ホントだ」

 あー、来る時、魔法の森の中を歩いて来たからな。……そういや、一回藪に突っ込んだな。あん時か。
 まあ、安物のポロシャツだし、処分すれば――?

「あれ、アリス?」
「まったく、男ってこれだから」

 ブツブツ言いながら、作業机から裁縫針と糸を取り出すアリス。……は、はて?

「え?」
「繕ってあげる。すぐ終わるわよ」
「ぬ、脱ぐ?」
「必要ないわ」

 糸を通した針を持って、アリスが再び僕に近付いてくる。今度は、さっきより更に近い。胸元のところのボタンだから……ち、近い! マジ近いって! 鼻息がかかる距離ですよ!?

「こら、動くな。体に針が刺さるわよ」
「ひゃい!?」

 逃げようとして、釘を刺される。
 な、なんか髪の毛から甘いいい匂いが! 後、今肌に手が触れた!

 なんて、内心動揺しまくっている僕をよそに、アリスは服を軽く引っ張って作業できる空間を確保すると、あれよあれよという間にボタンを付け直してしまった。
 んで、歯で糸を噛み切……ぎゃー!? 今までで一番近い!

「はい、おしまい。……どうしたの?」
「な、なんでもないです、はい」
「そう? 顔真っ赤よ。熱があるなら、寝ていけば? 霊夢には取り成してあげるから」
「寝――!?」

 い、いかん。マズイ。なんかありえんほど動揺している。なんだ? どうして今日に限って。宴会とかじゃ女の子がこんくらい近付くことは、たまにあるのに。
 し、思春期の小僧か僕はーー!?

「だ、大丈夫だから! じゃ、アリス、また今度!」

 ドタバタとしながら、アリスの作業部屋を後にする。アカン、これ以上喋ると、すげぇボロ出してしまう予感がビンビンする。

「……なによ、もう」

 ……だから、僕の不審な態度にそんな言葉をアリスが漏らしても、無視して飛び去るのだ。


































 あれからまた一週間後。
 前の件で変な風に思われていないかな、と恐る恐るアリスの家に訪れた僕は、拍子抜けするほどいつも通りに出迎えられて、胸を撫で下ろしていた。

 この前持って来た物の研究は既に終わったらしく、家に上がるなりアリスは僕にメモ用紙を渡してくれた。

「これ、次にお願いしたいもののリストね。よろしく」
「あいよ、了解」

 手渡されたメモ用紙には、丁寧な字でアリスの求める物品が書かれている。少々入手に苦労しそうだが、なんとかなるだろう。

「でも、外の世界の技術に浮気するのもこれが最後ね。やっぱり、独自で研究したほうが近道っぽいもの」
「……あ、そうなのか」

 今のは、うまく演技できたと思う。アリスの家に来る口実がなくなって、ちょっとさみしいかな、なんて思ったのは漏らす訳にはいかない。

「ええ。良也にも面倒かけてるしね」
「いや、僕は別に……構わないんだけど」

 とは言うものの、あんまり強く言って、アリスに気取られても嫌なので、控えめに言うだけにしておく。

「それはありがとう。それじゃ、また外の技術を知りたい時はお願いするわ」
「わかった。いつでも声かけてくれ」
「うん」

 まあ、この程度が自然な関係なのだろう。たまに宴会や祭りで顔を合わせる友達、そのくらいの距離感が、僕とアリスに相応しい距離だ。
 それを縮めたい、とは思うものの、この家に来る口実がないならばそれも難しい。

 ……くっそ。

「そういえば良也。貴方、今日はこの後どうするの?」
「え? あ、ああ」

 アリスのところの本を読ませてもらえるのは、モノを持って来た時だけ。それがルールだ。
 と、すれば、この家に長居する理由もないので、早い所お暇する方がいいのだろうが、

「いや、ほら。この前シャツ直してもらったからさ。礼にクッキー持って来たんだよ。お茶でもどうだ?」

 アリスは一瞬キョトンとすると、

「あのくらいで律儀ねえ。そういうことなら、およばれしましょうか」
「ああ。なんだったら、紅茶も淹れようか? 少し練習してんだよ、実は」

 紅魔館では、小悪魔さん任せだけでなくたまには自分でも淹れる。そんなわけで、結構慣れていたりするのだ。

「そうね、良也の淹れるお茶っていうのにも興味あるし。食器の場所はこの子が教えてくれるわ」
「はいよー」

 いつもの上海人形に先導されて、キッチンに向かう。

 いちいち食器から鍋釜までお洒落なものを揃えられたキッチンで湯を沸かし、紅茶を入れる。
 腕時計できっちり時間を計って、と。

 茶葉によって最適な時間は異なるそうだが、僕の技術ではそこまではわからない。大体の時間で済ませ、アリスのいる作業部屋に持っていった。

「あら、良い香りね。本当に淹れられるんだ」
「そりゃどうも」

 お世辞だろうが、褒められて悪い気はしない。ニヤつこうとする顔面を抑えて、テーブルにティーセットを広げた。後は、リュックから外で買ってきたクッキーを取り出し、一緒に持って来た皿に広げる。

「それじゃ、いただきます」
「どうぞ」

 紅茶を口に運ぶアリスを見守る。
 じっくり味わうように目を閉じているアリスに、ドキドキして結果を待つと、

「……結構美味しいじゃない」
「そりゃよかった」

 はっはっは、レミリアなんかだと、勝手に僕の淹れた茶を分捕った挙句、ダメ出しするからなあ。いや、よかったよかった。

「ん……! こっちのクッキーは、凄い美味しいわね」
「ああ、それ外じゃ結構有名な店なんだよ」

 勿論、感動的には、プロの作ったものには敵わない。

「へえ。普段売ってるお菓子といい、やっぱり食べ物に関しては外には敵わないわねえ」
「そうかな。米とか野菜とかはこっちのが美味い気がするけど」

 やっぱり土が違うのかね。無農薬はあんまり味には関係ないと聞くけど。

「でも、色々種類があるんでしょう?」
「ああ。普通にお金出せば、世界中の料理食べれるから」

 日本の外食産業に感謝である。

「……あ、今度レシピ本をお願いしようかしら」
「いいけど、こっちで揃わない材料もあるだろうしなあ」
「そっか」

 んで、結局そんな感じで世間話を続ける。……結局、二時間はそうして過ごすことになるのだった。






























「あ〜〜」

 菓子売り中、だらけた気分がそのまま口から出て行く。

 駄目だ駄目だと思いつつも、止まらない。
 結局、あのお茶会からもう一度だけアリスのところに訪れ、それ以来、一ヶ月ほど会わない日々が続いている。

 ……前ならこれが当たり前だったんだけど、それが予想以上に僕の精神にダメージを与えていた。

「土樹さん、飴頂戴な」
「はーい」

 機械的に菓子売りをしながら、思い悩む。

 もういい加減に自覚したが、どうやら僕はアリスのことが気になっているらしい。……恥ずいが、まずそこは認めよう。
 でもなー、そうすっと、僕が足繁くアリスのところに通って、外の世界の本やらなにやらを買っていたのは、無意識の下心あってのことってことか?

「うー、あー」

 ……ん、まあ。自覚してみると、そういう一面もあったかなー、と思わなくもない。
 まあ、無償の行為なんて気取っていたつもりはないので、それはそれでいいのだが……

「マジでどうしよ」

 自覚はしたはいいが、さてそれでどうするという話である。
 もうアリスのところに行く理由はない。『会いたいから』で会いに行けるほど、僕は剛気ではないのだ。んな性格なら、このニ十数年の人生の中で一回位彼女が出来ていたことだろう。……多分、きっと、メイビー。

 まあ要は、チキンなわけだ僕は。好きな女の子に告白して断られたらどうしよう、なんて考えている駄目な男なのである。

「……あー、チキン美味しいよなあ。そうだ、今度ローストチキンにチャレンジしてみるか」
「おまえは何を言っているんだ」

 現実逃避しようとする僕を、即座に現実に引き戻す声がした。

「……よう、魔理沙。どこから聞いてた?」
「お前が『マジでどうしよ』って言ってたところからかな」

 ぐ、そこまで聞かれていたか。
 まあ別に、アリスの名前を出したわけでもなし。僕が多少奇妙な言動を取っていた所で、この幻想郷ではそれ以上に珍妙な連中は山ほどいるから、別に目立つわけでも……

「で、お前はアリスとのことどうするつもりなんだ? 聞かせろよ」

 ぐしゃ、と、僕は横向きに倒れた。

「おいおい、真昼間から寝ぼけてんのか?」
「……いや待て、魔理沙。一体全体、なんのことだ」
「お前がアリスにホの字だって話だ」
「ちょっ!?」

 こ、こんな往来でなにを抜かしてやがる!
 さ、幸いにも誰にも聞かれてはいなかったようだ。もしそんなことが世間の皆様に露呈したら、僕は逃げるぞ。

 声を潜めて、僕は魔理沙に問いただした。

「い、いきなりなにを言い出すんだ」
「え? お前がアリスに――」
「声がでかい!」

 しーっ! とジェスチャーで伝えると、魔理沙はやれやれといった感じでどうにか声量を小さくしてくれた。

 ……しかし、畜生。これは誤魔化せん。

「……なんで気付いた」
「いや、この前アリスんちに飯をたかりに行ったんだが……」

 お前こそなにしてんだよ。そういやいつかのアリスとの雑談でも出てたな、その話。もしかして割と頻繁に『突撃! 隣の晩御飯』してんのか。

「アリスが快くよそってくれたご飯を食べていた時、色々聞いたんだよ」
「嘘だ。快くってところは嘘だ」

 アリスの嫌そうな顔が目に浮かぶようだ。

「五月蝿いな、話の腰を折るんじゃない。それに、本当に歓迎されていたさ」

 しかし、魔理沙はその厚顔無恥っぷりを思う存分に発揮し、記憶を捏造しやがった。
 ……と、とりあえず置いとくか。

「それよりも。なんでもお前、暫く前までアリスのところに通ってたらしいじゃないか。それでピーンと来たね。良也、お前さんも意外に男だったんだな」
「……それだけでピーンと来るお前の勘の良さはどっから来るんだ」

 普通、それだけ聞いても、気付いたりしないよね? よね?

「ふっふっふ、まあ、私これでも乙女だからな」
「どの口が言うんだか……」

 普通、乙女は盗みを働いたり、ごん太ビームを放ったりしません。

「む、失礼な。確かに、私はアリスには女子力的に敵わないが」
「女子力て」

 どっから聞いてきた、その単語。……しかしまあ、アリスと魔理沙では、確かに比べるべくもないであろうが。むしろ魔理沙は男子力が強そうではある。

「まあいいや。とにかく、私が知っているのはそういうわけだ」
「理由になっていない気がするが……」
「言うなって。折角私がアドバイスしてやろうと思ってるのに」
「アドバイスだぁ?」

 うっさんくせえ。鼻が曲がりそうである。
 それでも、藁にもすがる思いで魔理沙に先を促してみると、自信満々にこう言われた。

「良也、お前今からアリスんちに行ってこい」
「よし、お前帰れ」

 それは僕がついさっきできねぇと思っていたことだよ!

「なんでだよ?」
「あのな。一つ教えておいてやる。世間一般のシャイボウイは、普通好きな女の子の家にノーアポで押しかけたり出来んのだ」

 なあ、みんな! と、僕は外の世界で画面越しに見かける諸兄に対して語りかけた。うむ、肯定の声が返ってきた気がするぞ。
 その力強い同意の声を後押しに、僕はガンとして魔理沙の提案を撥ね付け、

「ええい、面倒臭い。つべこべ言わず行け。行きゃわかる」

 本気で面倒そうに魔理沙が取り出したミニ八卦炉に、あえなく膝を屈することになるのだった。






























 通いなれた魔法の森の一軒家に辿り着く。

 ……ど、どうしよう。魔理沙に脅されて来たはいいのだが、物凄い帰りたくなったんだけど。
 でも、ここまで来て帰るのは、流石に負けた気分に……つーか、後で知れたら今度はいよいよ面倒くさくなった魔理沙の箒に括りつけられ、『良也一丁お届けだぜ!』とか言ってアリスの家に放り込まれそうな気がする。

 ……あ、なんかリアルに想像できた。

 なんて想像しながらまごまごしていると、アリスの家の扉が勝手に開く。

「?」

 中から出てきたのは、斧を持った上海人形。……絵面はアレだが、多分薪割りにでも出てきたんだろう。
 んで、その上海は、僕を見かけると小首を傾げてから、家の中に取って返す。

「……え、えーと」

 予想外の事態に硬直していると、今度はなんとアリス本人が出てきた。

「はあ。貴方、一体なにしているの?」
「い、いや、その……さ、散歩……かな?」

 ていうか、何気にアリスが出迎えてくれたのは初めてな気がする。応対は基本的に人形に任せてるのになあ。

「そ」

 ど、どういう意味の『そ』なんだろうか。
 ストーカー? キモーイ的なアレなのか、それともどうでもいいと思われちゃってんのか。

 流石に前者だったら嫌だな……

「それなら、ちょっと上がって行きなさい。丁度いいわ」
「……へ?」
「ほら、早く」

 袖を引かれ、アリスの家に引っ張り込まれる。
 抵抗なんてするはずもないが、一体何なんだ? 丁度いい?

 案内されたのは、いつもの作業部屋。アリスが日中の殆どを過ごすこの部屋は、人形の材料である布や木や金属、更にはニス、染料等の匂いが満ちていて、なんとなく落ち着く。ほんの一ヶ月来ていないだけなのに、変わっていないことにほっとした。
 まあ、それくらいの時間じゃなにも変わりはしないだろう。別段変わりは……あれ?

「ほら、座って座って」
「あの、アリス? これって一体」

 この部屋にある椅子は、作業机の前にある頑丈で無骨なものが一つ。アリスが本を読んだり休憩したりするときに座る安楽椅子が一つ。計二つだったのに、

 ……今は何故か、大きめの安楽椅子が一つ、増えていた。

 そこに強引に座らされる。
 なんというか、誂えたように僕にピッタリハマる椅子だ。……誂えた?

「アリス、これって」
「うん、ぴったりね。調整の必要は無さそう」

 その口振りからして、アリスの手作りか、これ。流石工作系魔法使い。

 すわり心地は例によって最高だ。外の世界の最高級品でもこうはいかないだろう。とても心地良い。
 しかし……

「……なんで?」
「さて、ね」

 アリスの作業部屋に、ぽっかりと出来た僕の椅子。……僕の居場所。

 そこに込められた意味を考えると、恐れ多いような、とても嬉しいような、不思議な気持ちが湧き上がる。

「そっか」

 なんとなく、言葉にするのは無粋な気がして、僕はそれ以上は追求しなかった。
 でも、一つだけ、

「なあ、アリス」
「なに?」
「……また、ちょくちょく寄ってもいいか?」

 正直、怖い。でも、勇気を出してそう提案すると、アリスは僕が今まで見たことない程柔らかい表情で笑って、

「いいわよ」

 と、頷いた。













 魔法の森の、魔女の一軒家。その中の、柔らかい光が差し込む作業部屋。
 人形の手によって配膳された香り高い紅茶を手に、僕とアリスはそれぞれに誂えられた椅子に座り歓談する。

 ……僕が自分の気持ちをアリスに伝えたのは、それが日常となってから丁度一年たったある日の事だった。



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