「ぷっはぁ〜〜〜。お姉さん、おかわりっ」

 麦酒の大ジョッキを一気して、僕は酒臭い息を吐く。
 今日は花の金曜日。明日は特に予定もなく、早めに起きれたら幻想郷に行こうと思っている、そんな夢の様な時間。

 僕はとある居酒屋で、存分に一週間の労働の疲れを癒していた。

「あら、早いわね。じゃあ、私も同じ物をもらえるかしら」

 心臓が跳ねた。

「あら、どうしたの、良也。お酒来たわよ」

 落ち着けー、深呼吸、深呼吸。よし。

「いやもう……お前、いつの間に来ていた」

 横から聞こえてきた聞き覚えのある声に、僕は項垂れる。
 ジロ、と隣を見ると、案の定、例によって例のごとく、ゴスロリ姿の金髪が当然のように麦酒のジョッキを傾けていた。

「ふう、おいし」

 妙に色気があるのがまたムカつくこの女は、いつものスキマだ。なんで酒呑むだけでこんなに絵になるんだろう。詐欺だ。

「……なんの用だ?」
「良也と呑もうと思って」
「なんの罠だ」
「大げさねえ。本当に、ただ呑みに来ただけよ。貴方のところに来たのは、こっちじゃ一緒に呑む相手がいないからってだけ。いい加減、無駄に警戒するのをやめなさいな。何度目よ」

 その言葉が本当か嘘か、表情からは相変わらず推し量れない
 まあ実の所、スキマが言うように、一緒に呑んだりするのは珍しいことじゃない。月一くらいで、外で遭遇するのだ。そのうち、数回は生徒や知り合いに目撃され、僕の周囲の一部では土樹良也謎の金髪美人の恋人という根も葉もない噂が流れているとか何とか。

 なんだかな、と思うが、他の人にアプローチしているわけでもなし、別に恋人がいると思われて困ることもないので放置している。
 本当、否定しない理由はそれだけ。面倒ってことだ。

 ……ま、気にせず呑もう!

「ってなわけで、鶏の唐揚げとポテトサラダ追加でー」
「それじゃあ私は串焼きの盛り合わせと枝豆とたこわさね」

 当然のように、店員のバイトちゃんは僕とスキマの注文を一緒に受け取る。……いいけどね。

「だけど、今日は奢らないぞ。割り勘だ、割り勘」
「えー」
「えーじゃねえよ」

 僕の懐も、そんなに豊かというわけではないのだ。毎月、給料から天引きで将来のために積み立てしているしね。
 見よ、この堅実さ。

「つまらない男。際限なく浪費しろとは言わないけど、こういう時くらい出さないとモテないわよ」
「こういう時……?」

 天敵と呑み交わしている時っていう意味か?

「女と、サシで呑んでいる時。貴方にそんな気はないでしょうけど、傍目からはどう見えるかしらね?」
「秋葉原帰りのコスプレ女とその友達のオタクってところじゃないか?」

 どげしっ! と後頭部を叩かれた。……いってぇ。

「……なにすんだ」
「誰がコスプレ女よ」
「お前だ、お前。別にあっちじゃ普通かも知れないけどな、こっちじゃその格好はどう見てもコスプレだ」

 ……いや、別に幻想郷でも、こういう格好が市民権を獲得しているわけじゃないけどさ。人里の服装は、ごく普通の昔の着物だったりするし。

「失礼ねえ。ほら、誰も注目なんかしていないじゃない」
「させていない、の間違いだろ」

 言っているうちに、注文の品が届く。
 スキマとの不毛な会話は一旦ストップして、料理を味わうことにした。

 味が濃く脂っこい唐揚げを豪快に口に含み、ゴッキュゴッキュとよく冷えた麦酒で流しこむ。……至福だ。

「良也。唐揚げにレモンかけてもいいかしら?」
「おーう。好きにしてくれ」

 僕はそこら辺全然気にしない方だ。なんでも好きにしてくれて構わない。
 レモンをぶっかけられる唐揚げを尻目に、僕は串焼きの攻略にかかる。

「あ、スキマ。砂肝もらうぞ、砂肝」
「じゃ、私はネギまをもらうわ」
「んじゃレバーは僕のだ」
「好きなの? 肝」
「砂肝と肝は違うだろ……」

 下らないことを言い合いながらピッチは進む。僕は麦酒の大ジョッキ四杯目。スキマはいつの間にかワインをデキャンタで頼んでいて、ワイングラスを傾けていた。

「あら、このポテトサラダ、辛子が入っているわ」
「へえ……ん、美味いな」

 ああ、こういうの好きだな、うん。いい店だ、今後贔屓にしよう。

「ちなみに、スキマ。ワインはどうだ?」
「安物だけど、なかなかよ。呑んでみる?」
「んじゃ、ちょっとだけ」

 スキマが差し出したワイングラスを受け取り、まずは香りを含む。
 ……一瞬感じた甘いっぽい香りは、ワインの香りではなく、これスキマの匂いだな。こいつも香水なんて付けてんだ。超意外。

「なに?」
「なんもない」

 絶妙のタイミングで声をかけられる。まさかまた心を読まれたんだろうか。
 でも、読まれたとしても今のは単なる気付きで後ろ暗いところはない。うん、全然ない。不覚にもいい匂いだなー、なんて思ったことは、とりあえず忘れることにして、

 無視しよう、うん。
 と、僕は決めてから、ワインを口に含んだ。

「あ、そういえば間接キスね」
「……っ、がはっ、がはっ!」
「汚いわね、貴方。まったくもう」

 おしぼりでテーブルを拭くスキマから顔を背けて、僕は何度も咳き込む。お、思い切り気管に入った……他のお客さんも何事かとこちらに注目している。
 なんでもありません、すみません、とジェスチャーで示し、僕はなんとか姿勢を正す。

 いかん、今ので顔が赤くなってる。勿論これは、むせたことによる苦しさのためだけれども。

「い、いきなりなに言うんだ、お前」
「いや、単にそう思いついたから言ってみただけなんだけど。まさかこのくらいで動揺するなんて、流石童貞は違うわね」
「もう突っ込まんぞ……」

 無視して麦酒を煽る。
 ええい、スキマのやつに妙な隙を見せちまったな。確かに、こっち方面は僕の大弱点とも言える箇所。しかしな、わかっていれば冷静に対応は出来るんだよ。
 次、なにかからかってきても、僕は泰然自若として反応せず……

「なんなら、私が筆下ろししてあげましょうか」
「ぶぅぅぅーーー!?」

 今度こそ、僕は完全無欠に吹き出してしまった。
 再び、他のお客の皆様方の注目が集ま――らない。

 その前に、スキマが扇子を広げて、ふわりと扇いで、なんか妙な力を働かせていた。

「もう、私も贔屓にするつもりなのに、変に騒がないでくれる?」
「い、いっ、今っ……のは……ゴホッ! ……僕のせいじゃ、ねえ」

 うが、今一瞬、勢いで吐きそうになったぞ。
 何度も咳払いをして、ようやく収まった。

 ……しかし、今ので一気に酔いが回った感がある。

「貴方のせいよ。まったく、ちょっと誘惑しただけじゃない?」

 ふふん、と呆れながらも、なんかいい気になっているスキマ。
 どうやら、僕がスキマの色香に迷ったとでも思われているようだが、

「……悪い。自分でもどうかと思うけど、今のは本気で怖いと思った」

 いや、うん。美人だよ? そこは認める。でもね、このスキマとベッドインするという事態を想像すると、寒気しか出てこない。
 寒気と同時に、妙な高揚が沸いてきた気もするが、それは気のせいに違いない。

「まっ、失礼ね」
「だから悪いって言ったろ」
「女としてのプライドを傷つけられた気分だわ。割と本気で」

 表情はにっこりだが、これは怒ってる。嘘でもわーいわーいと喜んでおくべきだったろうか。……駄目だな、僕の演技力のなさでスキマが納得するとは思えない。

「あー、その、なんと申しますか」

 本当に、スキマとそういう意味でどうこう、ってのはあんまり考えたくないのだ。
 いや、苦手な相手ではあるし、出会ったら速攻でまず逃げることを考える程度にはスキマは天敵なのだが、別にこいつのことが嫌いっていうわけじゃない。

 嫌いな相手とサシで呑めるほど僕は器用な方じゃないし、なんだかんだで悪いやつじゃ――いや、うん、多分、性根は本当はきっといいやつなんじゃないかなあ?
 ほら、スキマもいいところがある。ほら……いや、すぐには思いつかないけど、きっとあるはずなんだ。

 だけれども、恋愛関係に発展したい、という気はちっとも沸かない。
 我ながら男としてどうなんだろう? と疑問に思うこともあるが、なんか最近わかってきた。僕は、こいつとはこのくらいのぬるさで付き合うのが好きなのだ。

 スキマが突然出てきて、あじゃぱーと僕が反応する、そんな関係が心地良い。――いや別にMというわけではなく!

 ……とまあ、そんな風に考えているから誘惑とかが嫌なのであって、別にスキマが女性的魅力に欠けているというわけじゃないんですよ?

「というところでどないでしょうか」

 こんな感じで、僕の心情を説明した。ちょっとふざけたけど、本音に近い。いかん、こんなことぶちまけるなんて、結構酔ってるか僕。

「成る程ね」

 よかった、スキマも納得してくれたみたいだ。
 いいところが見当たらなかった辺りでぴくりと反応した気がするが、ツッコミが来ていないということは生き残った、生き残ったぞ、僕。

「まあ、貴方の言い分はわかったわ。確かに、今の関係は中々居心地がいい。うん、そうね。人間とこんな気安い関係になっているなんて、我ながら驚きだわ」
「……気安いかなあ」

 僕の方は一方的に常に緊張を強いられているような気がするんだが。

「要はオトモダチってことでしょう。ほら」
「うん、そうだ。……っと、どうも」

 いつの間にか日本酒に切り替わっていて、スキマから酌を受ける。ふむん……これも安いは安いんだけど、中々美味い酒だ。値段と味のバランスがいい。やっぱこの店、今後通うことにしよう。

「ほら、ぐっといきなさい、ぐっと」
「……急かすなよ」
「私、次このお酒頼みたいのよ。だから、早く空にしなさい」

 メニューの地酒一覧を指差すスキマに、仕方ないなあ、と思いながらピッチを上げる。
 ……その辺りから、記憶は微妙に曖昧だ。




































「あ〜〜、ったく」

 結局。
 あれから、更にボトルで頼んだ焼酎を二本空けて。

 そんなに高くない店なのに二人で会計が四万円近くいった。
 ちなみに、スキマのやつはいつの間にかフェードアウトしていて、会計は結局僕が払うことになった。……チクショウ。

 かなり酔いはしたものの、普通にマンションに帰宅した僕は、ベッドに身を投げ出してスキマに対して恨み言を述べていた。

「これは許さんぞー。割り勘つったのに……明日取り立てに行ってやるからにゃ」

 一応、帰宅の時の足取りはしっかりしていたのだが、口調が少し怪しい。

 まあ、それはともかく。
 ええと、スキマの住処っつうと……どこだ? 普段、神出鬼没だから、一体どこに行けば会えるのかわからない。幻想郷の中で悪口でも言えば出てくるかもしれないが、その場合金の徴収は望み薄になるため却下だ。

 ……考えてみると、僕ってあいつのことなんも知らないな。
 自称妖怪の賢者で、幻想郷でも最強クラスの境界の妖怪。基本グータラで、身の回りのことは式に任せっきり。そして胡散臭いながらも、幻想郷のことを大切に思っている、らしい。
 だが、こんな表面上のプロフィール、幻想郷縁起でも読めば誰でもわかることにすぎない。

 他の連中もとんでもない力を持っていたり、突拍子もない素性を持っていたりするが、ここまで正体不明ではない。ぬえ? あれの正体不明は自称だから無視。
 ……ってことで、得体の知れなさで匹敵するのはせいぜい霊夢くらいか。でも、霊夢は一応住居が明らかだしな。それに一応とは言え人間だから、やはりスキマには及ばない。

 なんなんだろうね、あいつ。全体的に。

「はあ……」

 気にならないと言えば嘘になる。なんだかんだで、幻想郷では付き合いの長い方だ。そして、あいつだけは外で会うので、ある意味特殊な関係だとも言える。
 今日、口走ったあれこれの感情も、本当だ。

 ……しかし、あのスキマのからかい方には参ったな。性に……というか、欲望に奔放な妖怪らしい台詞だったが、勘弁して欲しかった。まあ……

「せめてなあ、もう少しまともな性格なら……――!?」

 ギクリ、として慌てて口を閉じる。

 ……いないか? いないよな?
 もし、ついうっかりでもこんなことを口走ったとスキマに知れたら、どんな風にからかわれるかわかったもんじゃない。まともな性格なら……なんだと言うんだ。

 うん、重ねて自分に言い聞かせるが、あいつが美人だってことは認めるけど間違ってもスキマと付き合いたいなんて思っていない。言い聞かせる時点で語るに落ちている気がするが、それに気がついたらドツボに嵌りそうだから思っていないということにする。
 大体だ。見目麗しい女の姿を取って人間を騙くらかすなんてのは、これ妖怪や魔物の常套手段なわけで、今更僕がそんな見え透いた罠にかかるわけがない。既に罠にかかってる? いやいや、そんなことないんだってば。

「ふあ……」

 阿呆なこと考えてないで、寝よ……。
 明日幻想郷行くんだったら、早起きしないとな。



































「つーわけで、霊夢、おはよう」
「どういうわけかは知らないけど、おはよう、良也さん」

 んで、翌朝目が覚めてすぐに電車に乗って、博麗神社にやってきた。
 昨日、あれだけしこたま呑んだのに、今朝の目覚めは意外に爽快だった。

「おう、良也じゃないか。菓子売りに行くんだったら、その前に一つ売ってくれよ」
「……あ、そういや持ってくんの忘れた。悪い、今日菓子売りはなしだ」

 博麗神社の縁側で霊夢と一緒にダベっていたらしき魔理沙が不満の声を上げる。

「まあ、ちょい金欠だしな」
「ん? 良也さんって、ちゃんとお勤めしているんでしょ?」
「そうだけど」
「駄目よ、無駄遣いしちゃ」
「そうだそうだ」

 霊夢が物凄い正論を吐き、魔理沙が追従する。
 しかしだな、貯金なぞ一銭もしていないと思われる巫女と、宵越しの銭は持たないのが信条っぽい魔法使いが言うこっちゃねえな。

「まあ、反省してる。昨日、ちょっと呑み過ぎてな」
「へえ。外の世界のお店って、やっぱり高いの?」
「うーん、物価は簡単に比べられたりはしないけど……」

 それでも、幻想郷の飲み屋と外の飲み屋は、別に相場にそこまで極端な違いがあるわけではないと思う。

「よっぽど呑んだのね」
「いや、そうじゃないそうじゃない。昨日、スキマと一緒でさ。割り勘の約束だったのに、あいつバックれやがったんだ。
 あ、そうだ霊夢。スキマどこにいるか知らないか? 昨日の代金、耳を揃えて払ってもらわにゃ……」

 ……ん? なに、お二人さん、そんなびっくりして。

「……どうした? お前らなにをそんな変な目で見る」
「いや……良也? 確認するが、紫とお前、外の世界でも会ってんの?」
「たまにな。別に示し合わせてるわけじゃないけど、向こうから勝手に来る」

 いや、本当にそんだけだよ? やってることと言っても、酒呑んでるかお茶飲んでるかくらいだし。

「紫がプライベートでそこまで仲良くしてるの、珍しいわね」
「……そうなの? 霊夢、お前だってなんか色々教わってたりしてるじゃん」
「私、あいつと二人だけで呑んだことなんてないんだけど」

 え、マジで? 仲良さそうに見えるから、てっきり僕のいないところで二人で呑んでるのかと思ってたが。……そうなんだ。ないのかー。

「……あいつ、本格的に友達いない寂しいやつなんだな」

 本気で幽々子と萃香だけかよ。
 いかんな、今度会ったらちょっとだけ……ほんのちょびっとだけ、優しくしてやることにしようか。

「なんだ、お前ら……付き合ったりしてんの?」
「……恐ろしいことを言うのはよせ」

 魔理沙のからかうような言葉に、僕は震えながら返す。……昨日、うっかりそっちのこと考えたからって、蒸し返されても困る。多分、百年経っても僕にとってあいつは天敵のままに違いない。
 そういうわけだから、そんな誤解は困るのだ。

「……本気で怖がんなよ」

 マジに震えてる僕に、魔理沙が少し引く。うん、この震えは演技じゃない。だから余計にややこしいんだけど。

「……んで、それはそれとして、お金回収しに行きたいから、スキマの家、知ってたら教えてくれ」
「あいつの居場所なんて知ってる奴いるのか? 霊夢、お前は知ってるか?」
「まだ五つ葉のクローバーを見つけるほうが楽じゃないの? まあ、来て欲しくない時にはあっさり出てくるけど。待ってれば?」

 多分、この場で一番スキマのことを知っている霊夢が匙を投げる。
 言っていることはもっともなんだけどなあ……でも、スキマのことだから、僕が代金の件を忘れるまでずっと出てこないと見た。んで、完全に忘れた辺りにひょっこり出てくるんだ。

 ……くっ、タチ悪ぃ。

 その辺は、二人もなんとなくわかっているのか、

「まあ、なんだ、ご愁傷様。まったく、借りたものを返さないなんてとんでもないやつだぜ」
「まったく、お金を返さないなんて、酷いやつね」
「ありがとう、二人とも。……でもそういうことは、二人共香霖堂のツケを払ってから言おうな。魔理沙はパチュリーに本返してやれよ」

 あ、無視して縁側に戻りやがった。

「傷心の良也さんに、お茶くらいはご馳走してあげる」
「おいおい霊夢、さっき淹れたのは私だぜ」

 ……哀れ、森近さんにパチュリー。こいつらからツケが戻ってくることは、多分一生無いだろう。力及ばなくてごめんなさい。
 心の中で二人に謝って、僕はお茶に合流しようと一歩前に踏み出し、

「あれ?」

 僕の足は地面を捉えることなく、大地に開いた隙間にずぼっ、と飲み込まれた。

「……あら、紫、来たみたいよ。悪口でも聞きつけたのかしら」
「なんだ、良也。骨は拾ってやるから、安心して逝ってこい」

 魔理沙、違う字で言ってるだろ!? ニュアンスでわかるぞ!

「たっ……」

 あ、駄目だ。なんか足掴まれてる。空飛んで逃げようとしたけど、脱出できない。

「助けてくれぇぇっ!」

 我ながら情けない悲鳴をあげながら、一気に捕食するように広がった隙間空間に、僕は飲み込まれていった。



































「ずべっ!?」
「なに、その声」

 隙間に引き摺り込まれてやってきたのは……どこかの家の屋内だった。
 なにやらレトロな電化製品もあるし、どう見ても幻想郷じゃないんだが、妙に落ち着く雰囲気だ。なんとなく、田舎の実家を思い出す。

「……スキマ?」

 そして、僕をここに連れてきた元凶が、居間と思われる部屋の中央にあるちゃぶ台の前に座布団敷いて座っていた。

「はぁい。昨日ぶり。二日酔いで今日は来ないと思ってたけど、意外に復活早かったわね」
「ああ。うん」

 曖昧に返事をする。

 ……なんだろう、ここ。

「ここは私の家よ」
「……マジで?」

 思わずきょろきょろと見渡す。
 ……意外な程の生活の臭いに、僕は物凄い違和感を感じる。

 ちゃぶ台、テレビ、小物を収めていると思われる棚にポットにラ、ラジカセ? とにかく、そんな一昔前の昭和のおうちみたいな雰囲気。僕の想像するスキマとの乖離が激しい。

「とりあえず、いつまでも立ってないで座ったら? お茶くらい淹れてあげるわよ」
「あ、ああ、わかった」

 勧められるままに、一つ空いていた座布団に腰を下ろす。

 すると、スキマは立ち上がって、湯呑みを一つ持ってくる。ちゃぶ台の上にあった急須にポットからお湯を注ぎ、しばらく蒸らした後、茶を注いでくれた。
 お茶の芳しい香りが広がり、自然に手を伸ばす。

 飲んでから、まさか毒じゃないよな、なんて思考が掠めたのは秘密である。

「……ここ、本当におまえんち?」
「なによ? どこか変かしら」
「あえて言うなら、変じゃないところが変だ。普通に電気ついてるし……外の世界なのか?」
「幻想郷と外の世界の境界ってところね。ちなみに、電気は自家発電よ」

 すらすらと疑問に答えるスキマ。……なんだろう、こいつ。変なものでも食べたんだろうか。
 僕が聞いたことに対して素直に答えるなんて、スキマらしくもない。

「丁度、貴方と同じようなものかしら。半分現実、半分幻想。ちなみに、藍は幻想側の出入口からしか出入りしていないのだけれどね」
「そ、そうだ。その藍さんはいま何処に?」

 とりあえず、台詞の前半部分は意味がよくわからないのでスルーして、藍さんのことを聞いてみる。
 藍さんと言えば、スキマの式神。そして、本当に主がこれなのかどうかわからない程(妖怪の中では)常識的な人だ。

「……藍は買い出し」
「げぇー」

 つまり、このスキマのねぐらで二人きり? あれ、バッドエンドのフラグにしか思えないよ?

「っていうか、そこはいいから、ちゃんと話を聞きなさい」
「……はいはい、わかったわかった。ったく、お前、時々本当にわからんことを言い始めるよなあ」

 半分幻想だとう? 僕は地に足のついた極めて現実的な人間だっつーの。

「それは貴方の理解力が足りないだけよ」
「酷い言い草だ……。もう少し一般人にもわかりやすいよう噛み砕いて欲しいっていうのは僕のわがままなのか?」
「ええ、わがままね」

 言い切りやがった、こいつ。

「……んで? またぞろ、幻想郷に所属するか外の世界に所属するか決めろっていう話か?」

 以前から、何度かスキマから忠告はされている。
 僕は今、外の世界と幻想郷を定期的に行き来している。自分で言うのもなんだが、どちらでもそれなりに自分の立ち位置は確保できていると思う。

 だけれども、スキマが言うには、僕はもうだいぶ幻想寄りになっているとかなんとか。

「あら、別にそんなつもりはなかったのだけれど」
「それはよかった。どっちにしろ、僕はこの路線を変えるつもりは今んとこないからな」

 どっちにも捨てられないものはある。どちらか片方を選択などできない。そこ、優柔不断とか言うな。

「ええ、それもいいでしょう」
「……おかしなやつだな」

 今にそんなこと言ってられなくなるわよ、的な物言いが常套句なのに。

「もうそろそろ、信用してもいいかなってね」
「……はあ?」

 心底わけがわからず、間抜けな声を出すと、スキマはずず、と茶を飲んでから語り始めた。

「幻想郷が出来た経緯は知ってる?」
「まあ、なんとなくは」

 元々は、今みたいなとんでもないところはなく、普通に妖怪が多いだけの土地だったとか。
 その後、なんやかんやあってスキマが結界張って、文明開化以降は人間の勢力が強くなったりオカルトが迷信扱いされたりで弱体化した妖怪の駆け込み寺的なところになったとか。博麗大結界が出来たのもこの頃だとか。

 ……うん、考えると、本当になんとなくしか知らないな、僕。

「貴方が来始めて、今の外の世界の気風を吹きこんでくれるかも、と期待するのと同時に、外と行き来する貴方が幻想郷を潰す原因になるかもと危惧していたのよ」
「意味がわからない」

 僕ごときがどうやって並み居る猛者どもを退けて、幻想郷を潰すなんてことができるんだ?

「あら、そんな難しいことじゃないわ。ここにそういう里がある、ということを宣伝して誰もが幻想郷の存在に気がついたら……現代にそんなこと信じる連中は少ないだろうけど、絶対にないわけじゃないわ。
 そうしたら、幻想であれ、という幻想郷の結界は大きく揺らぐ。その後は想像もしたくないわね」
「へー……じゃあ今まで何人かに教えたことがあるけど、これからは絶対に話さない方が良いのかな」
「別に気にすることはないわ。本当に親しい人間にまで秘密じゃ心苦しいでしょう? 百人や二百人の認識で揺らぐほどヤワではないわよ」

 ま、そりゃそうか。
 でも、万が一ということもある。僕の行動が引き金で、幻想郷が潰れるなんて事態、想像するだけでも恐ろしい。なるべく、話す人間は絞ることにしよう。

「でもまあ、お前がいつも僕を監視している理由は分かった」
「監視なんてしていないわ」
「……まだ言い張るか」

 あれだけ絶妙のタイミングで登場しまくっておいて、今こんな話までして、その言い逃れが通じるとでも思っているんだろうか。
 まあしかし、監視よりもなにかしらもっと効率の良い手段で僕の動向を掴んでいたってことかね。

「はああ〜」

 怒るべきだろうか? 勝手に見張られていたことに。……今までも何度もそう考えたこともあるが、どうにも本気の怒りはまったく湧いてこない。
 不思議ではあったのだが、今話をしていて、なんとなく理由に思い至った。

 僕は幻想郷って場所をけっこう気に入っていて。
 その幻想郷を作り、育み、そしてなによりも大切に思っているスキマを、どうやっても憎み切れないのだ。一種、尊敬していると言ってもいい。

 いや、うん。逆らうと怖いから、という理由も、二割くらいは占めているかもしれないけど。

「その、なんだ。認めてくれたっつーのは、素直にありがとうとでも言っておけばいいのか?」
「その辺は好きにしなさい。私に感謝なんてするいわれもないでしょうし」
「そうなんだけどさ」

 だけど、なんとなく嬉しい気はする。
 こころなしか、スキマの態度も、今までよりなんか柔らかいような。

「ふふ」

 ……う、なんだこいつ。自分の家だからか、それともあんな話をしたからか、いつもの胡散臭い雰囲気が薄れてる気がするな。

 いかん、いかんぞ。なんか冷静になって考えてみたら、スキマと、奴の自宅で、二人きり。色んな意味で至極恐ろしいシチュエーションであることを、今更思い出した。
 なんか心臓がドキドキと言い始める。もちろんこれは、恐怖による動悸であって、間違ってもスキマ相手にトキメキなどを感じているわけではないことをここに明言しておく。

「あら、どうしたの?」
「な、なんでもない」

 スキマの顔がまともに見れない。
 当たり前だが、その理由は目線から僕の考えが読まれるかもという不安故であって、他意はないことを誓う。

「変な子ね。ああ、お茶のおかわりはいるかしら?」
「……もらおうかな。……っと」

 湯呑みをスキマに渡そうとすると、不意に指が触れ合ったため、思わずびくっとなって手を引っ込めた。
 無論、そのまま手を潰されるかもという恐怖が背中を走ったからだ。

 ……駄目だ、なんか全体的に調子が狂っている。

「はい、どうぞ」
「ああ、いただきます」

 なんでもないように装って、スキマからお茶を受け取る。

 ふーふー冷ましながら茶を啜り、ちらりとスキマを伺ってみる。
 湯呑みをゆっくりと傾けるスキマは、なんていうか、このシーンだけを切り取ってみてみれば、深窓の令嬢といった感じだ。金髪と日本茶がミスマッチだが、それはそれで異様にハマっている。

 ……いや当然、僕は今までのスキマの言動を知っているから、こんなのを見ても心動かされたりしないもんねっ。

「本当に変よ貴方。どうしたの」
「……人にモノを尋ねる時はちゃんと文末に『?』を付けような」

 ぜってぇこいつわかってる。
 僕のせせこましい心の動きなど、このスキマにはまるっとお見通しだ。

 確信を持って言えるが、こんなのは単なる心の迷い。野良犬に噛まれたようなもの。そうだそうだ、若い男が、女性の色気に惑わされたりするのは別に変なことじゃ――いや、僕は惑わされてなんかいないけどねっ!

「……意外と可愛い所あるじゃない」
「〜〜!」

 いきなり、スキマが艶然とした表情を浮かべた。それだけで、穏やかな居間の雰囲気が一気に淫靡なものに変化する。
 こ、このジェットコースターのような急転直下な空気に変動、僕付いて行けませんよ!?

 カチコチに固まって、どうしようどうしようと意味もなく焦っていると、ふと天啓のような思いつきが脳裏に湧き上がった。

「と、とりあえず、待て」
「なに?」

 ええと、ええと、あれが確かポケットに――あった!

「なんか、色々あって忘れてたけど……昨日の金出せよ。一万八千七百五十円」

 レシートを突き付け、ぴったり二等分の金額を告げる。
 ひくっ、とスキマが顔を引き攣らせた。

「こ、ここで金の話……。貴方、もうちょっと空気読みなさい」
「うっさい。なんかいい話とかエロ光線で誤魔化そうって魂胆が見え見えだ。ほら、割り勘だって言ったろ」

 勢いのままスキマにせっつく。調子に乗らせたらイカン。

「し、仕方ないわね……」

 ……よし、空気は完璧にブレイクした。後はスキマからお金をもらったら、とっとと退散するのみ。
 と、そこで終われば平和だったんだけど、そうは問屋が卸さない。隙間空間に手を突っ込んで、金を探していると思われたスキマが、なにも取り出さず手を引っこ抜き、

 あ、なんかヤバイ、とスキマの細めた目に、僕は直感した。

「……まあ、返してもいいけど。今、手元にお金がないみたいね」
「え?」
「さてはて、困ったわね。うーん」

 わざとらしく悩んだ後、スキマはこちらを見て、

「……そうね、男が心底喜ぶ払い方があるんだけれど、どう?」

 あ、待て僕の体。主人の命令をちゃんと聞け。

 ぬ、ぬおおおーーーーー!?



































「りょ、良也? おかえり……」
「ぉぅ、魔理沙か……」

 数時間後。
 肉体も精神もぼろぼろになりながら博麗神社に帰ってきた僕は、魔理沙に適当に返事をしながらどっかと縁側に座り込んだ。

「と、紫も来たの? ……? あんたなんかツヤツヤしてない?」
「久し振りだったからねえ」

 霊夢の質問に、のらりくらりとかわす、これは僕と一緒にやって来たスキマである。

「久し振り……? なんのこと?」
「霊夢にはまだ早……いやそろそろかしら」

 知らねー。
 あんまヒント与えすぎるなよ、この巫女は勘が鋭いからな。

「察するに、良也さんがひどく疲れていることに関係がありそうだけど」
「ああ、あれは気にしなくてもいいわ。喜んでいることを隠しているだけで、本音はひゃっほうと飛び回りたいはずよ」
「勝手に僕の本音を捏造すんな!」

 ツッコミを入れる。まさか僕がそんなはずあるまい。そうそう、はっきり言って、割と本気で後悔しているもんね。
 それがどういう後悔なのかはあえて黙秘する。

 まああれだ。犬に噛まれたと思って忘れるのが吉だ。

「……なあ、紫。良也はどうしたんだ?」
「そうね、まあ……これは所謂、ツンデレというやつなのだと理解しているわ」
「はあ?」
「男のツンデレなんて、本当誰得よね」

 ハテナマークが浮かびまくっている霊夢と魔理沙。ていうか、お前そんな語彙はリアルで使うなよ。
 あと、僕がツンデレだとう? なにを誤解しているのかは知らないが、僕にデレなんかないよー。

「良也さん?」
「霊夢……今の僕にはなにも聞くな」

 天敵とあんなことになった僕の心情を察してくれ。どんな心情かは……やっぱり察しなくていいや。

 まあ、あれだ。

 ……別に、天敵と好きな奴が、並列しても問題ないよね、って話。



 ――いや、やっぱり問題だ!



戻る?