先週、スキマとのごにょごにょがあったものの、僕の生活が変わるわけではない。
 そも、好き合ってもいない男女がそういうことをすること自体、それほど珍しくないわけで。まあ、流されるままにやってしまったのは痛恨の極みであるが、あれ一回で僕が動揺などするわけがないのである。

「あの、土樹先生? 印刷枚数、間違ってません?」
「……うっわ、しまった!?」

 ……だから、プリントを刷る数を一桁間違って、慌ててストップボタンを押す羽目になったのも、単なる凡ミスなのだ。



















「はあ〜〜」

 ため息をついて、僕は帰路に付く。
 ミスプリントで、数十枚の印刷用紙を無駄にしてしまい、先輩教諭に軽く説教を受けてしまった。

 どうも、今週はこういうミスが多い。授業で前やったページをもう一回やりそうになったり、晩御飯の材料を買い忘れたり、朝寝坊したり。

 んで、そういうミスをする時は、大抵スキマのことで物思いに耽っている時だったりして、

「……やめやめ」

 うん。いい加減、先週のアレが尾を引いていることは認めることにしよう。スキマ個人がどうこうというわけではなく、あんなことになったら気になるのはそりゃ当たり前だ。重ねて確認するが、相手がスキマだというのはこの際一切関係ないのでその辺ヨロシク。

 ……で、なんでスキマが僕を誘惑なんて似合わない真似をしたのか、と考えると、

「気紛れ、以外のなにものでもないよなあ」

 フツーに考えて、あの妖怪が僕にゾッコンラブとかありえん。気紛れ、もしくは発情期かなにかに違いない。
 やれやれ、そういうのは僕に付き合わせずに、適当な男を攫ってくればいいだろうに。見た目だけはいいから、ホイホイ付いて行く人間もきっといるはず――いや、やっぱりこの案は却下だな。勿論、その被害者の男性が可哀想だからであり、他意はない。

「なにが気紛れなのかしら?」
「さて、今日はカレーでも作るかな……」
「カレーね。私はチキンカレーがいいわ」
「あー、玉葱あった、人参あった、じゃがいもは……どうだっけ」

 わざとらしく冷蔵庫の中身を呟きながら、僕は早足で歩き始める。

「こら」
「ぐえ!?」

 日傘の柄のフックを首に引っ掛けられ、僕はうめき声を上げる。

 ……観念するしかないようだった。

「……よう、スキマ」
「ええ、こんばんは。今日はお勤めはおしまい?」
「ああ。まあ、そんなに忙しくない時期だからな」

 ふぅん、とスキマが笑う。珍しく、底意地が悪いわけでも何かを企んでいるでもない、普通の微笑だった。
 ……逆に、だからこそ怪しい。なにを企んでいる、こいつ。

「それじゃ、今日も呑みに行かない?」

 くい、とグラスを傾ける仕草をするスキマ。

 酒かあ……確かに、このもやもやした気分を晴らすには酒が一番だが、もやもやの原因と一緒に呑んでもなあ。

「……今日はいい。ちょっと疲れたから、早めに家に帰る」
「そ。それじゃあカレーだったわね。スーパーに寄って行きましょうか」
「付いて来る気か」

 なんだかんだで、僕のマンションに現れたことは一度もないのにっ。僕の安息の地を奪う気満々だな?

「いいじゃない。この前は私の家に招待してあげたでしょ?」
「あれは半ば以上拉致監禁だったじゃねぇか!」
「あらあら。あれを拉致だなんて。私からお金をせびった挙句、押し倒した癖に」
「ちょっ、おまっ」

 こ、ここ通学路にも使われてんだぞ!? そうでなくても、天下の往来で人聞きの悪い事を口走っているんじゃない!
 僕は慌てて周囲を確認し、

「……お前、わざとだろ」

 幸いにも、誰も聞き咎めていなかった。
 絶対にこいつ、わかってて言ったに違いない。

「それはどうかしら?」

 クスクスと笑うスキマ。
 悪気のない笑顔が、不覚にも可愛い、だなんて、

「……ええい、行くぞ。スーパーでじゃがいもと鶏肉買ってかないと」
「あら、お邪魔していいの?」
「もういいよ。断っても無駄そうだし」
「なら、おつかいくらいしてきてあげましょう。貴方は先に帰って、玉葱でも炒めておきなさい」

 ……本当に、なにを企んでいるんだろうか。
 渋い顔をする僕に、スキマはさっさとスーパーの方角へ歩いて行く。アスファルトの道を歩くゴスロリ、秋葉原でもない限り中々お目にかかれない絵面だが相変わらず誰にも注目させていない。

 素直にスーパーに向かうその後ろ姿に不信を覚えながらも、僕は家へと急ぐのだった。
































 翌日、朝カレーの匂いを漂わせて幻想郷にやってきた僕を、珍しく箒を手に掃除に励んでいた霊夢は『うげっ』という顔で出迎えた。

「……なんだ、その顔」
「いや、良也さんこそ、なにその隣の」

 僕があえて無視していた事柄を、霊夢はあっけなく指摘する。
 ……まあ、お気付きの通り、昨日うちに泊まっていったスキマなわけで、

 僕の手製カレーを二回もお代わりした挙句、冷蔵庫のストックのビールを呑みながら趣味で集めている少女コミックを読み漁るという、なんというか好き放題に過ごしたスキマは、幻想郷に向かう僕に当然のように付いてきたのだった。

「……色々あってな」
「はあ、色々ねえ。紫、貴方なにか企んでないでしょうね?」

 霊夢がスペルカードをこれ見よがしに掲げて問い詰める。
 どうも、スキマが変な行動を取っているため、異変を警戒しているようだった。

「まあ、心外ね。男と手を組んで出たくらいで、やいのやいの言われる筋合いはないわよ」
「私も別にこんなこと言いたかないわよ。まあ、良也さんをからかうのも程々にね」

 それきり霊夢は興味をなくしたらしく、掃除を再開する。

 ……霊夢なら、このスキマに一言物申してくれるかと期待していたが、やはり無駄な期待だったか。

「つーか、いい加減離せ、スキマ。一体、なんのつもりだよ」
「失礼ねえ。ほらほら、こんな美人を侍らせて、いい気にならないの?」

 うりうり、とあからさまに胸を押し付けてくる。

 こ、この程度、度度、でで、こ、この僕が動揺する、わけ……ゴメン無理。

「だぁぁぁぁ!」

 恥ずかしさのあまり、思わず瞬間移動。僕の能力の派生なので、たかが数メートルが限度の短距離転移だが、スキマの腕組みから逃れることには成功した。
 離れて、ふーっ、ふーっ、と荒い息をつく。

「やれやれ、初心なんだから」
「わ、わかってるなら、からかうのは本当、やめて」

 最後、懇願になってしまったかも知れん。

「はいはい、やめるわよ。多少はその態度が解れるかと思ったけど、逆効果みたいだしね」
「ど、どういう意味だ」
「もうちょっと素直にさせてみたいなあ、と」
「何の話だ!?」

 と、文句を言う直前に、スキマは空間に亀裂を作って『ばいばーい』とばかりに姿を消した。

 ……んで、スキマの姿が見えなくなって、僕はあからさまに安堵する。

「……っはぁ〜〜〜」
「お疲れ様、良也さん」

 掃除を続ける霊夢は、別にどうでもよさそうに僕を労う。

「……なんなんだ、あいつは」
「ああいう紫は初めて見るわね。なんていうか、本気で楽しそう」
「僕は迷惑だ」

 うん、迷惑だよ。迷惑だよね?
 ……誰に聞いているんだ、僕は。

「良也さんの反応は面白いからねえ」
「なにしみじみ人聞きの悪いことを」
「まあまあ。
 それにしても良也さん。好きな女があからさまに誘っているのに、そういう態度はいかがなものかと思うわよ。嫌よ嫌よも、って言うけど、それ女の方の反応じゃなかったっけ」
「阿呆か。男女平等の時代、その手の反応に男も女もあるわけ――」

 待った。

「……霊夢、今なんつった?」
「え? 嫌よ嫌よも「そうじゃなく」

 僕は霊夢の言葉を遮る。その前の台詞、聞き捨てならんかったぞ。

「誰が、誰を好きだって?」
「良也さんが、紫を」

 と、霊夢はあっけらかんと言い放つ。別にからかうような響きはなく、本当に、心底、当たり前のようにそう思っているかのような口振りで、

「ひどい濡れ衣だ!」

 僕は、全力で反論した。

「ええ? もう、面倒臭いわねえ。良也さん、確かもうすぐ二十代も半ばでしょう? 子供じゃないんだから、このくらいで照れないの」
「あれ、なにこれ。僕喧嘩売られてる?」

 いや、タダでも買わないけどさっ。でも、霊夢さん? 貴方今、僕の名誉に関わる指摘をなさっておいでですよ?

「喧嘩を売るもなにも……良也さんの紫への態度が、本当に嫌っているかどうかくらい、私もわかるわよ。良也さん、前から紫にからかわれて、迷惑そうな口振りの癖に楽しそうだもの」
「ヘイ、霊夢。ユーのそれは勘違いだZE」
「誤魔化し方も下手糞」

 ぐ、うううう〜〜〜

「……もうなに言っても聞いてくれないから反論しないけど、誤解だとだけ言っておく。じゃ、僕は里で菓子売りに行ってくるから」
「じゃあ私は、全然誤魔化せていないわよ、と忠告しておくわ。いってらっしゃい」

 僕は反論を諦めて、人里に向けて飛び立った。





































「はーい、おつり三百万円……」

 機械的に金額を計算し、お釣りを小気味良いギャグを交えながら返す。
 我ながら、ぼけーっとしているとわかってはいるが、どうにも気合が入らない。

 ……原因は無論のこと、あのスキマだ。
 霊夢は僕が奴に懸想しているとかいう、憤懣やるかたない戯言を口にしていたが、それはそれとしてスキマとの距離感を微妙に見失っているのは事実である。

 どうしたもんかね。実は、昨日泊まっていったときも、またしても流されるままにやるこたぁやってたんだが。
 ……セフレ? いやいやいや。そんな、想像するだに恐ろしい。スキマとそんな関係に収まった日には、居心地が悪い事甚だしい。

 そんなんだったら、まだ恋人にでもなったほうが……いや、そういう関係になりたいというわけではなくてですね、

「もしもし」
「はい、なんでしょー」

 我ながら、気もそぞろな接客だった。お客さんの顔も満足に見ないで、適当に声を上げる。

「あの」
「今日はこれがオススメ、新作のポテトチップス」

 ふう、とお客さんが溜息を付く気配があった。
 ……うーむ、しまった、少し気を抜きすぎたか。
 ちゃんと応対しよう、と僕は顔を上げ、

「どうも、良也」
「ら、藍さん?」

 と、目の前にいたのは、かのスキマの式神である藍さんだった。

「おわ、ちょちょ、す、すみません。ぼーっとしてて、気付かないで!」
「いやいいよ。買い物帰りにちょっと寄っただけだから」

 そう言う藍さんの手には買い物袋があり、大根なんぞが覗いていた。
 うう……なんか、呆れられている気がする。

「それじゃあ、そのおすすめのポテトチップを貰おうかな。紫様は、意外とこういうスナックが好きでね」
「へ、へえ〜」

 そういやあ、居酒屋でもこういうの頼んでたっけなあ、なんて思い出しながら代金をいただく。

「ありがとう。……ときに今、少し時間いいだろうか」
「はあ、今日は客足も鈍いし、構いませんけど」

 うん、覇気のない僕の様子を勘ぐられているのかもしれない。まだ三分の一ほどの商品を残して、客足は途切れ気味だった。

「なんというか、まず謝っておこうとおもう。悪いね。最近、紫様が迷惑をかけているんだろう?」
「あ、いや……まあ、そんな感じです」

 否定しようにも、アイツを弁護する材料は一つもない。うん、迷惑……迷惑なんですよ?

「でも、式神として弁護させてもらうと、あれで君のことを相当気に入っているんだよ」
「……それはなんとなくわかります」

 いくらなんでも、嫌いな相手と寝たりしないだろ。いくら妖怪でも……いや、妖怪だからこそ、その辺の好悪ははっきりするはずだ。
 まあ、そんなこと藍さんに言えるはずもないけれど。

「でも、なんでかなーって思うんですけど。僕、スキマに気に入られるような要素ありましたっけ」

 折角なので、前々から気になっていたことを尋ねてみる。
 恐らく、幻想郷で最もスキマと付き合いの深い式神の藍さんなら、なにかしら僕の望む回答を持っていると思って。

 ――スキマから、妙な好意を受けている現状は、居心地が悪くて仕方がない。その気持ちの出処がわかれば、対処の仕様もあるというもの。
 どのように対処するか? ……いや、それは、その、あんまり考えていないわけなのだが。

「ああ、それは簡単さ」
「その心は?」
「君、この幻想郷が好きだろう? 紫様は、なによりこの世界を大事に思っていらっしゃるから。外の世界も知っている君が、なおここを好いてくれて、嫌なわけがないじゃないか」
「…………」

 それは――なんというか、僕のスキマに対する気持ちとほぼ同じで。
 ああ、僕とあいつは、意外と似たもの同士なのかもしれない、なんて、

「って、うわっ!? ちょ、これって紫様!?」

 突如、地面に現れた隙間空間に飲み込まれる藍さんを見て、やっぱり全然似てねえよ、と思い直したりした。

 半ば以上予想してはいたものの、相変わらずの神出鬼没ぶりに、僕は溜息をつく。

「まったく、躾のなっていない式神だこと。主人に対して、あることないこと好き勝手言ってくれちゃって」
「どこらへんがあることで、どこらへんがないことなんだ?」
「内緒」

 答えは期待していなかったので、別に落胆するわけでもなく、僕は後ろを振り向く。

「はぁい、さっきぶり」
「……ああ、さっきぶり」

 そこには、つい数時間ほど前に別れたばかりのスキマが当たり前のように立っていた。
 ……なんだろう、昨日の夜からこっち、ずっとこいつが傍にいるような気がする。

「で、なんの用だ? お買い上げか?」
「あら、"たまたま"見かけたから声をかけただけよ?」

 こいつ、もはや誤魔化す気ねぇな。

 しかし、なんだってこう、下手な言い訳をして僕ん所に来るんだろう。あれか? 僕の悩み事を察して、更に悩ませてやろうと目論んでいるのか? ならその目論見は大成功だよこの野郎。
 しかも、なんか威圧感とか物理的な攻撃だとかないせいで、どうにも調子が狂う。僕とスキマの関係はもっと殺伐としているべきだ。なにせほら、天敵だもんね。

 なんかこう、真綿で首を締められるような、そんな感じがする。
 まるで、僕が観念するのを今か今かと待ち構えているような……そしてその予感は多分正解だ。

「良也、菓子売りが終わったら、どこか出かけない? 悪いようにはしないわ」
「……その台詞が出てる時点で、悪いようになる未来しか見えないな」
「嘘ついてどうするのよ」

 あ〜〜、もう。
 こういうもやもやしたのは苦手だ! いい加減、はっきりさせとこう。

「なあ、もう聞いちゃうけど、お前一体僕になにしたいんだよ」
「別に、なにも。親交を深めたいとは思ってるけどね。まあ、昨晩はこれ以上なく深めたりもしてたけど」

 あ、あかん。こいつ自分から話す気全然ねえ。
 そして、さり気なく牽制するのはやめろ。

「別に、貴方になにを求めているわけでもないわ。でも、なにかしら一言あってもいいんじゃないかな、とは思っているけど」
「左様か……」

 さ〜て、どうしたものか。
 いい加減、不誠実な男と思われるのも……なんだ。あまり面白くない。

 場に流されただけでコトに及んだ、なんて、そんなわけはないわけで。

 ……一応、言っとくか。嫌だけど! とっても嫌だけどっ! つーか、恥ずいが!

「なあ、スキマ」
「なに?」
「お前って、性格は悪いし、胡散臭いし、なに考えているかわかんなくて怖いけどさ」
「……言いたい放題ね。で?」

 ああ、くっそ。
 理屈で考えると、僕がスキマに対してこんな羽目になるなんてまったく考えられないのに、どうしてこうなったのか。

「……その、なんだ。僕、お前のこと好きだよ、うん」
「そ」
「じゃ、そういうことで!」

 はい、言ったー! 言ったよ。はい終了!
 ええい、今日はもう店仕舞い! さっさと片付けて帰ろう! 博麗神社に……いや、もうどこでもいいや! この恥ずかしさを発散させるために幻想郷を適当に飛ぼう! 飛びまくろう! 適当に見つけた妖怪に喧嘩でも売るか!?




 慌てて里から飛び立つ僕。
 その直前、ちらっとだけ盗み見たスキマの顔は……

 ……なんというか、意外と乙女だった。














 ちなみに、あんなことを言ったからといって、実のところ僕とスキマが明確に付き合う、なんてことは勿論なく、
 ていうかむしろ、言わせたもん勝ちとばかりに、スキマはこの手のことで僕をからかい始め、ますます天敵度がアップしたりした。

 あの時見た顔は、やっぱり勘違いだったんだろう。うん。



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