一部、誤解を受けているが、僕の幻想郷の知り合いはなにも女ばかりではない。 里の男衆とはそれなりに仲が良いのだ。 「だからさぁ、やっぱ鍵山様だろ、鍵山様。あの近付き難いところがたまらん」 「いや待て。十六夜さんはどうだ? あの異国情緒溢れる格好に垢抜けた感じに俺はぐっとくる」 「お前ら、上白沢様のことを忘れるな。里のことを一番に考えてくれるあの人を」 とかなんとか、女の話題で盛り上がりつつ、管を巻くこともあるのである。 昼間っから酒場で語り合う、特定の相手のいない男達の熱弁を聞き流しつつ、僕は冷酒をあおった。 「いや、それならお山の巫女さんは……」 「待て、そこの神様がだな」 「おっと、待て待て。竹林のあの人を忘れちゃいけないぞ」 三人の中の一人が出した話題に、ピク、と僕は眉を顰めた。 竹林と聞いて連想されるのは、ブレザーにうさ耳を着けたあの娘のこと。 あー、あれは正統派な感じの美少女で、しかも薬を売りによく里に来るからなあ。そりゃあ、話題に登っても仕方がない。 うん、気にしないでおこう。どうせこいつら、言うだけ言って声をかける度胸なんてないんだから。まあ僕も、度胸がある方とは言いがたいけど。 「そっか、そういえば八意先生のことを忘れていたな」 「そっちかよっ!?」 と、思わずツッコミを入れた。 僕の中で永琳さんと言えば、マッドな医者のイメージが強すぎて、こういう時に名前が上がる気が全然しなかったのだ。むしろ、それなら輝夜のほうが……って、アイツは里では殆ど知られていなかったな。文々。新聞とかにたまに出てくるくらいだ。 「どうした土樹」 「いやいや。永遠亭なら、永琳さんより鈴仙だろ」 わざわざあの娘に注目させることもなかったかもしれないが、なんとなく悔しかったので主張してみる。 すると、僕と一緒にテーブルを囲んでいる三人の男は、揃って微妙な顔になった。 「鈴仙って……あの薬売りの子だろ?」 「うーん……」 「いや、可愛いけどさ」 なに、この微妙な反応。 てっきり僕は鈴仙は里で大人気の一人だと思っていたのだが、勘違いだったのか? いやいや、そんなことないだろ。 「なんだよ、その反応は?」 「いやさ。なんていうかなー、近付き難い……ともちょっと違うんだけど、あの子は妙な壁があるし」 「置き薬の補充の時、話すこともあるけどすごい事務的なんだよ」 「いつも暗いし。遠くから眺める分にはいいけど、付き合いたいとはあんまり思わないなあ」 え? そういう評価? 僕はてっきり里はおっぱい至上主義者が多いから、胸がいまいちだからかと……いや、鈴仙は普通サイズだよ? 目測だけど。 「なんだ、土樹はあの子のこと気になってるのか?」 「……いや、そういうわけじゃあ」 ちょっと嘘をつく。 いや、ちょっとじゃない。かなり嘘だ。 ちょっと油断したら駄々漏れになりそうな感情に蓋をする。……なんか今、また溜まった。蓋を締めるとき抵抗が強かったぞ。 「ふーん……。あ、そうだお前。今度あの辺の人達とゴーコンをセッティングしてくれよ。仲良いんだろ?」 「合コンって……お前らのそういう語彙はどっから仕入れてくるんだ?」 たまーに流れてくる外の世界の雑誌とかからか? 幻想郷って明治くらいから外と切り離されたくせに、言葉とかは妙に現代的だ。まあ、会話に不自由しないから好都合なんだけど。 「あれだけ綺麗所と知り合いなくせしてケチんなよ」 「ケチとかじゃないけど……面倒くさいなあ」 「一人くらい紹介しろよ、こら!?」 「いたっ!? 叩くな!」 なんか理不尽な怒りで叩かれた。酔った勢いで、本気ではないが、ぽんぽん頭を小突かれるのも嫌だ。手を振り払って、一つ反逆してみる。 「よし、そこまで言うなら紹介してやろうじゃないか」 「お、ラッキー。でも、土樹が好きな子供っぽいのはやめてくれよ」 「言ってみるもんだな。だけど、ロリは勘弁」 「……お、俺は別にどっちでも。土樹の好みでいいぞ?」 「よし、お前ら全員そこにならえ」 誰がロリコンだ!? 「よーし……レミリア・スカーレット。西行寺幽々子。蓬莱山輝夜。八坂神奈子。古明地さとり。聖白蓮。以上六人、頑張って集めてやろう。男より女のほうが多いぞ」 『おい!?』 全員からツッコミが入った。 まあ、全員、各勢力のトップ。一同に介した場合、十中八九誰かがぶつかり合う。その場にいる哀れな一般人のことを考慮してくれるのは……辛うじて聖さんくらいか。でも、あの人も頭に血が上るとわからんところあるしなあ。 ちなみに、幻想郷の有力勢力のことは、直接会ったことがなくても里の人間にとっては半ば常識である。何故なら、その手の知識がリアルに生死を左右するため。 「ん? まだ足りないか。なら特別サービスでスキマも呼んでやろうか?」 「かんっぺき、死亡フラグじゃねえか!」 だからどこでそういう単語を覚えてくるんだ? 「大体、どうやったらそんな面子集められるんだよ!?」 「えー、誘えば暇潰しにみんな来そうだけどな」 さとりさんは微妙か? 地底から出てこないしな……でも、わざわざ言うこともないか。 「頼む、勘弁してくれ」 観念したように、三人が頭を下げる。 ふっ、勝った。 「んじゃーなー」 「土樹ー、また今度呑もうぜ」 「で、出来れば誰か女の子連れてきてくれると嬉しいなー」 「底抜けのザルで、勘定が二桁は違ってくる鬼なら連れてきてもいいぞ。もちお前らの奢りで」 飲み屋から出て、三人の男たちと別れる。 まだ日は高い。時計を見てみると午後三時だった。……昼間っから、なんという自堕落な生活を送っているのだろう、僕は。 まー、飲み屋が営業している時点で、幻想郷には需要があるってことなのだけれども。 「あー、しかし、酔いに任せて変なこと言った気がする……」 永琳さんの話が出た時、普通に流しときゃ良かったのに。 ……まあいいか。どうせ、酒の席での笑い話。すぐに忘れるだろう。言い触らされたらたまらないが、大丈夫だと思う。 ただでさえ、僕は鈴仙にセクハラ野郎と思われているフシがあるのだ。『そんな感情』を持っていることが知れたら、どういう反応をされるかわかったものではない。もうしばらくは隠しておきたいのが本音だ。 ……『しばらく』が経った後どうするかは……未定。 そして、その『しばらく』がどのくらいの期間なのかも。ぶっちゃけ、かなり危うい所まで来ている気がする。 ……あ〜あ、最初は本当に、リアルで二次元から出てきたようなキャラに萌えていただけなんだけどなあ。 「ちょっと」 「へ……って、うお!?」 声をかけられ振り向いてみると……何故か、件の鈴仙さんが当たり前のように立っていましたよ!? 「れ、鈴仙? な、なんでここに……」 「普通に置き薬の営業帰りだけど」 「そ、そうか」 なんという偶然。心臓に悪いぞ…… あんまりびっくりしたので、押し込めた気持ちが零れそうになった。 「それより、貴方、昼間っからお酒? 好きなのは知っているけど、自重しなさい。体に悪いわよ」 「う……ごめんなさい」 「言葉だけじゃ信用出来ないわね。ちゃんと実施しなさいな」 あ、辛辣。まあ、確かに僕は色々と飲み歩いていたりするので、反論はできないのだけど。 「でも、ありがとう。心配してくれたんだな」 「馬鹿なこと言わないで。貴方、二日酔いになるたびうちに来るじゃない。薬を調合するの誰だと思っているの?」 「え、えーと……。鈴仙さん、かな?」 難しい薬剤は永琳さんが作るが、そうでない簡単なものは鈴仙の担当だ。 「わかっているなら、負担を増やすような真似をしないで」 「はい……」 うわー、ばっさり斬られた。 ……しかし、なんだ。連中、鈴仙のことを事務的だとか壁があるとか好き勝手言っていたが、この態度のどこにそんなものがあるのだ。 いや、会話の好感度的にはむしろ事務的な方がマシな気がしなくもないけれど。 「そ。ならいいんだけど」 それじゃ、と背を向けて去ろうとする鈴仙を、思わず僕は呼び止めた。 溜め込んだ感情の発露だ。……まあ、時々は抜かないと、溢れてしまうので。 「あ、鈴仙。ちょっと待った」 「……なに?」 う……顔だけ振り向いてジロリと睨まれた。『早く帰りたいんだけど』という意思が透けて見える。 とは言っても、僕の方に何か用事があるわけでもない。このまま別れるのが惜しくて言ってみただけだ。 「え、えーと……だな」 「早くしてくれないかしら」 「いや……そう! 今日、これから時間あるか? これから酔い覚ましに茶でも飲みに行こうかと思っているんだけど、一緒にどうだ?」 聞くと、鈴仙はちらりと太陽の傾き具合を確かめる。 ちなみに、これは地味に成長している。前ならきっと、時間を確かめるまでもなく速攻でお断りされていたからだ。 表面上は冷静を装おうと努力しているが、心臓は現在バクバクと暴れ中。で、デートの誘いだよ、デート……初めてだ、女性をデートに誘うのは。 呑みに行こう、とかはよく言うけど、そういう気持ちが入っているのはこれが初めて。 酔っ払って、顔が赤くなっていてよかった。そうじゃなければ、なんの病気かと薬師の卵である鈴仙に見咎められていたに違いない。 いかん……ガス抜きをしようとして、更にガスを溜めてしまった感が否めない。 「……帰ってからの仕事は、お夕飯の支度くらいだし。別に構わないけど」 しばらく考えて、鈴仙はコクリと頷いてくれた。 僕は天にも昇る気持ち(おおげさか?)で、ぎこちなく近場のお店を指さす。 「よ、よし。じゃあそこの茶屋にでも」 「はいはい」 当たり前だが、鈴仙にとってこれは、そういう意味など欠片もない。飲みに誘われたのと大して変わらないレベルの話。 しかし、成り行きとは言え、好きな子との初デート。僕はカクカクとヘタなからくり人形みたいな動きで、店へと歩いていくだった。 「……貴方、真面目に阿呆でしょう。なに考えているの」 「い、いや……その、なにも考えたくなかった、の、かな?」 一時間後。 ちょっとお茶だけ飲むつもりだった僕は、テンパって注文しすぎた茶菓子のせいで重くなった腹を抱えて、うんうん唸っていた。 味は当然、まったく覚えていない。途中で鈴仙が止めてくれたのだが、なにか食べていないと間が持たなかったというか。 「はあ……仕方ないわね。胃薬調合してあげるから、永遠亭に来なさい」 「え? いいのか?」 「奢ってもらっちゃったし、このくらいはね。飛べる?」 「なんとか」 里の真ん中で空に躍り出る。里の人達も慣れたもので、騒ぎにはならない。 ……あ、今気付いたけど、飛び上がる時ちゃんとスカート見えないようにしているんだ。当然か、あんな短いのだから。危ういところまで翻ったスカートを見て、危ないなあ、もっと長いの履けばいいのに、と思う。 「……なに?」 「なんでも」 不埒な視線に気付いたのか、鈴仙が睨んでくるが、僕は華麗に躱す。こういう時の回避方法は、無闇に上達した。心の写真館には、ちゃんとコレクションしているけど。 「…………」 「な、なんでもないですよ?」 「…………はあ」 面倒臭くなったのか、鈴仙はそのまま飛ぶ。 ……ふー、よかった。今日は機嫌が良いみたいだ。 そこからは、途中、興奮した妖精が二、三匹襲ってきたくらいで、特に特筆することもなく迷いの竹林は永遠亭に到着する。鈴仙が速攻で落としたので、弾の一つも飛んでこなかったし。 永遠亭の垣根の外、表門の前に着地する。 住人なのだから、庭に直接降りればいいのに、鈴仙は妙なところで生真面目だ。 「ただいま戻りましたー」 「お邪魔します」 門を開けると、うさぎが何匹か寄ってくる。この永遠亭で飼っているうさぎたちだ。普通のうさぎと妖怪になりかけのやつと完全妖怪が入り交じっている。 「おやつなんかないわよ」 しっし、と鈴仙は寄ってくるうさぎを追い散らす。しかしうさぎたちは諦めることを知らず、すんすんと鈴仙の靴の匂いを嗅いだりしてる。 「あ、こら。それはお夕飯の材料! あんたたちはそこらの雑草でも食べてなさい……って、駄目だってば!」 シャー! と威嚇するように奇声を上げ、買い物籠を高くに上げて避難させる。 あー、相変わらず、地上のうさぎは全然まとめられてないな……。 「ああもう。良也、さっさと『診療所』に行くわよ」 「はいはい」 くく、と僕は笑いをこらえながら鈴仙の先導に従って『診療所』へ行く。 ぶっちゃけ、ただの離れだ。渡り廊下で繋がっている永遠亭の離れが、鈴仙と永琳さんの仕事場である。 永琳さんのチート医療術により、里の人達のいざというときの病院として機能している永遠亭だが、本邸に誰も彼もを上げるのを輝夜が嫌がったため、増築された建物だ。 「お師匠様、今戻りました」 「あら、お帰りなさい、鈴仙。遅かったわね」 診療所に入ると、お茶を飲みながら休憩していた永琳さんが振り向く。 「……って、ああ。そういうこと」 そして、僕の姿を認めて、訳知り顔に頷いた。 「そういうことって、どういうことですか? お師匠様」 「別に。さて、今日はどうしたのかしら?」 本気でわかっていない様子の鈴仙からは見えない角度で、永琳さんが僕にニヤリと笑いかけてくる。 嫌だなー、あのお見通しよって顔。実際、僕の隠し事などバレバレだろうとはわかっているのだが、それならそうで気付いていない振りくらいはして欲しい。 「この人間、食べ過ぎまして。胃薬くらい都合してやろうと連れてきたんです」 「へえ? 食べ過ぎ?」 「ええ、一緒に入った茶屋で、なにを思ったのかお団子を十個も食べて。その前に酒場でしこたま飲み食いしていたくせに」 「ええと……まあ、そういうことです」 実は、まだ腹が張り詰めていて痛い。 「そういう訳ですので、胃薬分けてやってもいいですか?」 「うーん、そうねえ」 永琳さんは少し考えこむ。 「いいえ、取り置きは使わないで、いつものように貴女が調合してあげなさい」 ちなみに、最近、僕は大抵鈴仙がその場で調合してくれた薬をもらう。どれだけ調合が難しい薬でもだ。鈴仙の練習台扱いである。 万が一失敗してちょっと致命的な副作用が出たとしても、僕は不老不死だから平気という理屈らしい。いや、その理屈はおかしいとツッコミを入れた記憶も今は遠い。 「……一応、奢ってもらった礼なので、ちゃんとお師匠様が処方されたお薬の方が」 「礼なら、貴女がするべきでしょ。はいはい、材料は勝手に使いなさい」 パンパンと永琳さんが手を叩く。 でも、と食い下がろうとした鈴仙を、今度は僕が押しとどめた。 「まあまあ。もういつも鈴仙の薬使ってるし、別に構わないよ」 「……まあ、そう言うなら」 釈然としない様子で、鈴仙が奥に引っ込む。 当然のように付いて行こうとする僕を、じろりと睨んだ。 「……ついて来なくてもいいんだけど」 「いや、見学見学」 「そんな何度も見て楽しい物なのかしらね」 うん、楽しい楽しいと誤魔化しながら、僕は恒例になりつつある鈴仙の調薬見学のため、後を追っていく。 「しかし」 ぼそっと呟く。 ……僕って、割と露骨だと思うんだけどなあ。気付かないものなのかなあ。いや、僕的には好都合なのだけれど。 乳鉢で得体の知れない材料をゴリゴリとしている鈴仙を、じーっと見つめる。 「…………」 調薬をしている最中の鈴仙は集中していて、どんだけ見ていても気がつかない。普段これだけじろじろ見ていると間違いなく怒られるので、この時間は非常に貴重な時間だ。 ぴちょん、ぴちょん、と心の中に感情という水滴が溜まっていく。お、今の表現、詩人っぽかった? さらさらの銀色っぽい髪。赤い瞳。若干幼く見えるものの、目鼻立ちも十分以上に整っており、十人いれば十一人は美少女と評するだろう。ん? 一票多い? それは僕が二票入れたからだ。 んで、どこかの漫画から出てきたような頭から生えているうさぎの耳……と。 確かに可愛いし、好みである。 しかし、美人度で言えば桁が違うここんちの当主には、僕は一向に惹かれない。 改めて考えると、なんで僕って鈴仙が好きなんだろう? うん、理由はいくつでも思いつくが、一つ一つ挙げていったら丸一日くらい掛かりそうなのでこの思考はここでやめとこう。 ……しかし、本気でどうするかね。 こんなもやもやした時間を過ごすくらいなら、いっそ玉砕しようと思わなくはないのだが、そうすると今のこんな時間すらもなくなってしまうというこのジレンマ。 ゲームや漫画ではよくあるシチュエーション。そういうシーンを見るたび僕は『じれったいなあ』とやきもきしていた。しかし、今はあの時の僕に土下座をさせたい。 いや、本当にパネェって。告白して、友達ポジからも振り落とされるっていう、このプレッシャー。 世の中のカップルたちはすごいな、こんなに勇気の必要な儀式を乗り越えて付き合っているんだから。リア充爆発しろとか某巨大掲示板に書き込んだ僕を許してください。 ……幸い、と言っていいかはわからんが、里で鈴仙はあまり人気ではないらしい。ライバルは少ない。 だからもうちょっと、先延ばしでもいいかなー、とちらっと思った。 「駄目だ駄目だ……」 小声で呟く。なんていうかこれは、負け犬の思考というか、駄目だろというか。 率直に言うと、先延ばしに出来るほど我慢出来ないというか。 「…………」 ちなみに、僕をこんなに悩ませるにくいアンチクショウは、僕の葛藤などまったく知らんぷりで調合に没頭している。僕の小さな呟きなど耳に入っていない。 あー、駄目だ。折角の至福の時間なのに、もやもやしてしまう。そろそろ本気で限界が近いのかもしれない。 「鈴仙、僕ちょっとトイレ」 「ん」 意味のある言葉はちゃんと届くのか、視線だけで頷かれた。 ありがたく、永遠亭の厠を借りることにする。いや、ぶっちゃけただちょっと間を置きたかっただけなのだけれども。 廊下に出て歩く。 勝手知ったる……って程でもないが、どこにどんな部屋があるかくらいは把握している。別に用を足すわけじゃないのだけど、一応ああ言った手前、トイレに向かう。 「ふう」 戻る頃には、鈴仙も薬の調合を終えているだろう。今日も、なんの進展もなし。順調に、限界点に近付きつつあるだけ、と。 「あら?」 「うげ」 とか考えこんで歩いていると、前から輝夜が歩いてきていた。思わず変な声を出してしまう。 「客の分際で家主の私に『うげ』とはご挨拶じゃない」 「あー、いや、悪かった」 正直、輝夜は苦手なのだ。付き合っていて嫌な相手ではないのだけど。でも、やっぱ苦手。 「今日もまた薬?」 「……まあ、そんなところだ」 今日は珍しく鈴仙に連れてこられたのだが、こいつに燃料を投下する趣味は僕にはない。 「それじゃ。僕はちょっとトイレ借りに行くところだから」 「ああ、ところで――」 んで、振り向きざま、輝夜は言い放った。 「うちのイナバ、そろそろ落としたかしら?」 「ぬお!?」 足が見事にもつれ転んだ。 ……いやいやいやいやいやいや!! 「ん、んんー! なんのことだ?」 何事もなかったかのように立ち上がり、努めて冷静に応対する。 「気付いていないの、当の本人くらいよ?」 んで、輝夜がダメ押し。 ……えーと。 「……なあ、それは分かっていても言わないのが優しさってもんじゃないのか?」 「そっちの優しさはもう品切れよ。それに、指摘してあげるのも優しさじゃない」 お前のそれは優しさからじゃなくて悪戯心だろ! 親切心も……まあゼロじゃないとは思いたいが、絶対誤差の範囲だ。 「その様子じゃまだなにもやってないみたいね。……奥手ねえ、恋文の一つもとっとと送ったら? いえ、むしろ夜這いかけなさい」 「よば――っ!? 出来るかぁ! 時代が違うわっ」 からかわれているのは分かるのだけれど、思わず声が大きくなってしまう。 「じゃあ、文はどうなの?」 「……ええと、僕、実は字が汚くてだな」 流石に、ラブレターをプリンターで印刷するのは……いや、それはそれでこの情報化社会ではありか? いや、やっぱなしだ。 「呆れた。やらない理由ばっかり探しているじゃない」 「……いや、どっちにしろ夜這いはないけどな」 しかしまあなんだ。輝夜の言うことにも一理ある。 なにせ僕は彼女いない歴=年齢の童貞野郎なわけだからして、どうしても一歩踏み出すのが怖い。だから、色々と理屈をつけては先延ばしにしているのだ。それこそ、限界ギリギリまで。 うーん……よくはない、とはわかっているのだけれど。 「その、な。きっかけがないというか」 「きっかけなんて、あったりなかったりするものじゃないわ。作るものよ」 「……その、正論なんですけどね」 正論を実行できるのは強い人間だけだということも考慮して欲しい。 「はあ、仕方ないわね」 「わかってくれたか」 「きっかけ、私が作ってあげましょう」 は? 「どんなのがいいかしら……いっそお見合いでもしてみる? それとも、求婚のために私が難題出してあげましょうか? ……うーん、むしろ私がとっとと貴方の気持ちを伝えて上がるのが手っ取り早いわね」 「待て待て待て待て!?」 な、なにやらスンゴイいい笑顔でとんでもない算段を始めてるぞこいつ!? 「楽しんでるだろ、お前!」 「そうよ。私の物語がこの時代まで伝わっているように、人の恋なんて最高の見世物だもの」 「やめろ!」 「ならとっとと自分で動きなさい」 ケツを蹴っ飛ばされた。 で、ちょっと思った。 もしかしてこれ……激励、されているのか? 輝夜も恋では散々苦労した身。せめてうまく行くようにと、後押ししてくれているのだろうか? 「あ、でも、間男を手配して見物したほうが面白いかしら? うん、三角関係か。いや、適当な妖怪兎でも当てがって四角形にするのも悪くは……」 「お前、やっぱり完全に楽しんでるだろ!?」 「? それがなにか」 もういい、こいつに掻き回されるくらいならやってやれ! ぶちまけてやる、ぶちまけてやるぞーっ。 と、のしのしと僕はUターンして調薬室に戻る。 「……こっそり付いてくんなよ!?」 「ケチケチしないでもいいじゃない」 勿論、尾行しようとする輝夜は牽制しておいた。 「ずいぶん遅かったけど……はい。胃薬。こっちは水ね」 と、帰った途端、鈴仙に薬を押し付けられた。 ……ヤバい。薬を渡される前に言ってしまえばよかった。変に冷静になっちゃったよ。ぐらぐら揺れていたコップが、なんとかバランスを保ってしまった。そんなイメージ。 「あー、いただきます」 「御飯じゃないんだから……」 鈴仙の呆れたようなツッコミを受けて、丸薬を飲み干す。 ごくん、と水で流し込むと、舌に少しピリリと来る苦味。良薬口に苦し、とは言うけど、鈴仙の場合、意図的に苦いように作ってる気がするんだよなあ。 「それで一時間もすれば大分楽になると思うわ」 「ありがとう。助かった」 「そう思うんだったら、あまり不摂生はしないようにね。ちょっと不老不死の肉体に甘え過ぎじゃない?」 「それは僕よりも輝夜とか妹紅に言ってやれ……」 あー、いかん。普通に話をする流れだ。色気のある会話など望むべくもない。 駄目だ駄目だ駄目だ。つい五分前の決意も、吹けば飛ぶような軽さだったか。輝夜にヘタレと蔑まれることは眼に見えている。そして僕はそんな仕打ちを受けて悦びを感じるほど訓練されていないので、んなこと言われたらただ不愉快なだけだ。 うむ。 「……? どうしたの」 突如黙った僕に、鈴仙が首をかしげて尋ねてくる。 いかんなあ、可愛いなあー。 あ…… 「うげ」 どっ、とそれまでとは比べ物にならない感情の渦が溢れてきた。 さっき、僕はきっかけが欲しい、と言った。 でも、特にそれらしいものもなく、ただ言葉が出てくる。 多分、僕の中にある感情のタンクの容量が、今ここで一杯になって溢れ始めた。そんな感じなのだと思う。よくもまあ、ここまで我慢したものだと自分でも感心する。 「鈴仙」 「な、なによ?」 鈴仙がたじろぐ。 そりゃそうだろう。僕がここまで真剣になったことなど、二十年あまりの人生で数えるほどしかない。きっと、良也クン真面目モードに見惚れて…… 「も、もしかしてまだお酒が残ってる? 変な顔よ?」 「…………」 「って、本気で今更酔いが回ってきたの!?」 僕が凹んで頭を伏せたのを、なにを勘違いしたのか鈴仙が慌てる。酔い覚ましの薬ー、と探そうとする手を掴んでみた。 「へ?」 「好きだ。付き合ってくれ」 ムードもへったくれもない告白。こんなん、冗談と受け止められても仕方がない。 しかし、鈴仙はちゃんと真面目に受け取ってくれたらしく、 「#%”#&cヴぃおじおtjまいおm!!?!?!?」 顔を真っ赤にして奇声を上げた んで、返事は……その日はもらえなかったわけだけど。 「土樹よぉ」 「うん?」 件の事件から一ヶ月後。 今日も今日とて、僕は里の男たちと呑んだくれていた。 「前言ってた合コンの話、もう一回考えてくれよー」 「……また振られたのか」 「いや、振られたっつーか……まずもって、里には男がいない適齢期の女が少ない」 なるほど……。だから見た目妙齢の妖怪や妖怪っぽい人間に人気が集まるわけだ。美人ってだけじゃないんだな。 「お前もさあ、知り合いどまりなんだろ? これを機に、一気に仲を進展させたい子とかいないのか?」 「いた……なあ」 「お、過去形!?」 男どもが前のめりになる。 その目は仲間を見つけたかのような目で、実にウザい。 「過去形は過去形だが――」 「ちょっとっ!!」 僕の言葉を遮るように、昼間から騒がしい酒場に怒声が響いた。 その声の主は、僕の姿を認めると、のしのしと歩いてくる。 「あれ? 鈴仙?」 「あれ? じゃないわよ。ったく、また昼間っから呑んで」 「鈴仙も呑む?」 「呑まない。ほら、行くわよ良也。薬草の採取、手伝ってくれる約束でしょう?」 「いや、まだ約束の時間にはまだ大分早――」 「んん!?」 痛い痛い、耳を引っ張らないでくれい。僕の耳は鈴仙みたく長くないんだから掴みにくいだろー? 財布を取り出し、やや多めにお金を置きつつ、男たちに別れを告げる。 「じゃ、そういうことでー」 男たちの驚きの声に、若干申し訳ない気分になりつつ、僕は彼女と共に店を出た。 「ほら、行きましょう」 「はいはいーっと」 ――結局あの後。 混乱の極地に至った鈴仙から返事は受け取れず(というか言語中枢が麻痺してた)、その日は帰ったわけなのだが。 一旦、開き直った僕は、自分でも予想外に情熱的で。 夜討ち朝駆けとばかりにアプローチを繰り返した結果……どうしてか、告白を受け入れてもらって、今に至る。 輝夜か永琳さんの後押しでもあったかな? とも思うのだけれど、あの二人に強制されたにしては鈴仙の態度はそういう感じじゃないし。 「? なに」 「いや、本当、なんでだろうなー、って思って」 主語を抜かして聞いてみる。なんのことよ、と返されると思っていたのだが、鈴仙は的確に意味を掴んでくれたらしい。 「なんでって……そりゃ、その……」 「ん?」 「別に、嫌いなわけじゃなかったし……えっと」 言葉にするのが恥ずかしいらしく、顔を真っ赤にする。……僕の中の鈴仙アルバムには、最近デレ顔が続々追加されている。 ……実に幸せなことだ。 「おっけおっけ。んじゃ、薬草摘みに行こう、薬草」 「な、なんか勘違いしてない!?」 がー、と怒っても迫力が全然ない。 「……本当に長いツン期だったなあ」 「なに!?」 僕はニヤつく表情を抑えきれず、ぷいっと視線を背ける鈴仙の後を追うのだった。 |
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