「うむむ……」

 そわそわ、そわそわと、僕は貧乏揺すりしながら時計を何度も見る。
 腕時計の時間は九時三十分。場所は、人里の外れ。

 約束の時間は十時だから、三十分も早いということになる。遅刻しないよう早めに出たのだが、明らかに来るのが早すぎた。

 ……今日は、鈴仙と初デートなのだ。

「う〜〜」

 デートですよ、デート。逢引と言ってもいい。逢瀬でも可。
 とにかく、今日はそんな一大イベントなのだ。

 あまり気取るのもどうかと思って、服装はいつもと然程変わらない格好だが、一応新品。ついでに男性用の香水とか買ってかけようかな、と思ったけど、一応妖獣にカテゴライズされる鈴仙は匂いに敏感なので、やめておいた。
 まあ、外見に関しては凡人並の僕だから、あまり凝り過ぎてもなんだし。

 あとは持ち物にハンカチ、ティッシュ、ちょっと摘めるお菓子に、財布、幻想郷紳士の嗜みスペルカード、そんなものだ。
 今更なにか忘れているんじゃないかとすげぇ気になってきた。

 ……あっ、コンドーム忘れた!

「って、必要ないだろ」

 びしっ、と空中にツッコミを入れた。

 そんなものを使う機会が訪れることはありえない。
 大体、万が一隠し持っていることが鈴仙にバレたらどうなるか恐ろしい。いや、幻想郷にゴム製の避妊具があるとも思えないから、『これなに?』とか無邪気に聞かれるかもしれん。そうなったら僕はどうすればいいのだ。

「な、なにやっているの、貴方」
「はっ!?」

 突然、後ろから声をかけられて、ビクゥと僕は背中を跳ねさせた。

「え……あ、鈴仙? お、おはよう」
「おはよう。で、質問に答えて欲しいんだけど」

 後ろに立っていたのは、待ち人である鈴仙だった。いつものブレザー風の洋服に、片手に布製の鞄。腰に手を当てて、呆れたようにこっちを見てる。

「なにやってるって……その、ツッコミ?」
「……そ、そう」

 実に微妙な笑顔で、鈴仙が顔を引き攣らせた。
 そりゃあそうだろう。デートの待ち合わせをしていた恋人が、一人で佇んだままいきなり空中にチョップをかましたのだ。逆の立場だとしても、僕は反応に困ったに違いない。

 妙な沈黙が二人の間に流れる。

「そ、それじゃ、行きましょうか」
「あ、ああ。もちろん」

 お互い、さっきのことはなかったことにして話を先に進めることにした。
 僕としても、痛い腹を探られたくはないので、渡りに船だ。流石にコンドーム持って来てないことを気にした自分自身に対するツッコミなんて、説明しづらすぎる。

「でも……あれ?」

 時計を見てみる。待ち合せまで後二十分はあった。

「……鈴仙? 来るの早すぎないか」
「う、うるさいわね。私より早く来てたやつに言われたくないわ」

 それを言われると、言い返す言葉がない。
 でも、鈴仙も楽しみにしててくれたのだろうか。……よし、これは気合を入れないと。ツッコミなんて入れている場合じゃねぇ!

「オーケーオーケー。そんじゃ、行こうか」

 手を差し伸べてみる。

「? なに」

 意味が分からないらしく、鈴仙は小首を傾げる。

「ええと、その。手、繋がないか……と」

 言うと、鈴仙はまず目を白黒させ、ついで顔を真赤にさせる。
 僕が手を差し伸べたままで待っていると、意を決したように顔を上げた。

「〜〜! わかったわよ」

 鈴仙は、ちょっと手を彷徨わせてから、しっかりとその手を握ってくれた。





























 手を繋ぎながら里を歩くのは、とてつもなく難儀だった。
 娯楽に飢えている暇人どもが、ここぞとばかりにからかってくる。

「お、土樹っ! お前、今度は薬屋の娘にコナかけてんのか」
「手ェ繋ぐなんて、お前も"ぷれいぼーい"ってやつだなっ」
「ぁんれまぁ。良也くんってば、またこーんな綺麗なお嬢さんとっ」

 実にウザい。
 今更ながら、デートスポットに人里を選んだのは痛恨のミスだった気がする。もっとこう、静かで景色の綺麗な場所、探せばきっと見つかったはずだ。

 ……そして、からかい半分のおじさんおばさんたちの声に、鈴仙はジト目で尋ねてくる。

「そうなの?」
「……なにが」
「プレイボーイ」
「本当にそう思っているんだとしたら、鈴仙の目はとんだ節穴だな……」

 真相は、知り合いと一緒になっただけである。僕が好きなのは鈴仙だけだっ! 口に出して言うのは恥ずかしいが、心の中で大きく宣言してやるっ。

「そ。まあ、そういう意味なら、信用しているけど」
「お、意外に高評価」

 あっさり納得した鈴仙が、肩を竦めた。

「貴方みたいなのに靡く女が、そうそういるわけないもの」

 ぎゃぁ!? バッサリだ。

 く、くくく、しかし鈴仙。今の状態だと、その言葉は諸刃の剣だぞ。

「否定はしないけど……鈴仙が靡いてくれたから、僕的には満足だ」
「そ、そう」

 鈴仙が照れてそっぽを向く。ちなみに、言った僕自身もすげぇ真っ赤になっていることだろう。
 ま、まずい。これ、思った以上に恥ずかしいぞ。精神力がガリガリと削られていく感じ。このままの空気が続くと、僕は恥死する。なんて嫌な死に方だ。

 誤魔化すように僕も視線を逸らして、周りを観察してみる。
 気がつくと、いつの間にか周囲のからかいの声が途絶えていた。何事か、と思うと、さっきまでヒューヒュー言ってた人たちが、なんか生暖かい目で僕達を見ている。

 えーと……その、なんだ。

「れ、鈴仙! ちょっと走るぞ!」
「え!? ちょ、ちょっと!」

 鈴仙の制止の声を無視して、僕は彼女の腕を引っ張って里の中心部へと走っていった。

































 なんとか先ほどのやり取りを目撃した人たちを振り切って、里のお店が集まっているエリアに来て、
 僕と鈴仙は、ひとまず成美さんの洋風喫茶に足を踏み入れた。……走って、疲れたし。鈴仙は、妖怪なので余裕の表情だったが。

「はあー、いきなり走りだして、なによ」

 しかし、疲れてはいないが、困惑はしているようだった。紅茶とケーキを注文して、変なモノを見る目で僕を見ている。

「いや……その、恥ずかしくなって」
「そ、そりゃ私もだけどさ。だからっていきなり走りだすことないじゃない」
「だって、あの視線に耐えられるほど僕の防御力は高くないし……」
「視線?」

 はてな、と鈴仙が小首を傾げる。いや、めっちゃ見られていたじゃん。

「ああ、そういえば。なんか人間たちが見てたわね」
「……ぁー」

 そういや、鈴仙ってば、人間が苦手というか興味ないというか、そういう人だった。アレが永琳さんとか輝夜だったら、きっと恥ずかしがってただろうが、知り合いでもない人間だとこんなものか。
 ほとんど話そうともしなかった昔に比べればマシになっているんだけど、もう少し態度が柔らかくなればなあ。きっとモテるだろうに。

「……いやいや、駄目だろ」

 今更鈴仙に人気が出たら、僕が困る。簡単に乗り換えられると思うほど鈴仙を信用していないわけじゃないけど、自分には自信がない。強力なライバルは、出来れば出てきて欲しくないところだ。

「? どうしたの。ケーキ来たわよ」
「っとと。あ、どうも成美さん」
「こんにちは、良也くん」

 店主兼パティシエの成美さんが、自分で持ってきてくれた。

「可愛らしい恋人さんね。ええと、お薬屋さんだったかしら?」
「ええと……まあ。はい」

 からかわれている訳じゃないんだけど、やっぱ恥ずい。そのうち慣れるんだろうか。

「そしたら、良也くんももしかしてこっちに骨を埋めるのかしら?」
「……いや、僕、骨だけになってもすぐ復活するんですけど」
「そういう意味じゃなくて」

 成美さんが困った顔になる。
 いや、言わんとすることはわかるけどね。

「ま、気長に考えて頂戴。貴方は私と違って、色んな選択肢を選べるんだから。あ、今後もデートの時には、ご贔屓に」

 最後にちゃっかり営業トークをしてから、成美さんは厨房に引っ込んでいった。
 骨を埋める、ねえ。

「お店の人と仲いいのね」
「同じ外の世界出身だからな。まあ、なにかと良くしてもらってる」
「そうなの? そういえば、こういうお菓子は幻想郷ではあまり見かけないわね」

 パク、と鈴仙が一口ショートケーキを口に運ぶ。

「……あ、美味しい」
「だろ?」

 きちんと専門学校で学んだ成美さんのケーキは、里でも大人気だ。材料がなかなか手に入らなくて苦労しているらしいが、まあそこは僕も少しだけ協力している。
 鈴仙はここに……というか、人里の食べ物屋なんかあまり利用したことがないので、まずここに連れてこようと考えた僕の目論見は成功のようだった。

 安心して、自分の分のチーズケーキを食べる。

 しばらく、かちゃかちゃとフォークを動かす音が二人の間に流れる。

 さて……

「…………」
「…………」

 ……やっべ、なに話せばいいんだろう。

 考えてみれば、鈴仙とお付き合いを始めるようになって、完全に二人きりっていうのは初めてだ。何度か薬草の採取に付き合ったりしたけど、あれは仕事だったからちゃんとやることあったし。
 落ち着いてみると、どんな話題を振ったらいいのか全然わからない。

「…………」
「…………」

 それは鈴仙も同じなのか、ちらちらとこちらに視線を向けながら口を開きかけているが、話しかけてこない。あっちから見れば、僕も同じような感じなのだろう。

 ケーキを食べ、紅茶を飲む速度がゆ〜〜っくりになる。今やこのケーキとお茶が生命線。これがなくなると、間が持たないことうけあいだ。

 ……はあ、これまでは二人だけになっても、会話に困るなんてことはなかったのに。まあ、三回に一回は、僕がいらんこと言って鈴仙に弾幕を向けられていたのだが。ああいう失敗をするのが怖い……んだよなあ。

「ええい」

 ぐしゃぐしゃと、頭をかき回した。
 キョロキョロと周りを見て、他の客が殆どいないことを確認する。……よし。

「ど、どうしたの?」
「いや、うん。正直に言っておこうかと思って。鈴仙、僕は今すごく緊張してる。だからまあ、変なことを言ったりするかもしれないけど、勘弁してくれ」

 鈴仙はキョトンとしてから、苦笑した。

「なにそれ。そんなこと普通はっきり言う? 男って、そういう弱音とかは隠しておくものだと思ってた」
「いや、うん。実に情けないとは思う」

 とは言えなあ。僕の情けなさというかヘタレっぷりは、鈴仙なら十二分に承知しているだろうし。

「……まあ、安心なさい。あんたが変なこと言うなんて慣れっこよ」
「あ、やっぱり?」
「不本意ながらね」

 鈴仙が肩を竦める。……鈴仙自身もずいぶん肩の力が抜けたように見えた。

 よかったよかった。なんとかいつもの空気になった。
 んで、調子にのって僕は舌を滑らせる。

「いやー、そういえばそうだよな。うん、でも大丈夫。付き合い始めたからって、いきなりおっぱい揉ませてくれとかは言わないから」
「言ってるじゃない!」

 霊弾(弱)で額を撃たれた。
 じ、地味に痛い。

「なに? デートとか言って、本当の目的はそういうこと?」
「ち、違う違う! いや、本当に! そういうのは、ちゃんと同意を得てからにするって! さっきのは口が滑っただけっ」
「本当でしょうね……?」
「本当、本当!」

 思わずぽろっと本音が出たことは否定しないけどっ。

 なんか微妙に鈴仙が心の距離を置いた気がする! 襲わねえから! というか、襲いかかっても返り討ちにするだろっ。

「……はあ、早まったかしら」

 しみじみと言わないでくれ。本当に付き合って一ヶ月も経たないうちに捨てられそうで困る。
 そんなことになったら僕は泣くぞ。いい大人が恥も外聞もなく、わんわんと大声で泣くぞ。だから勘弁して下さい。

「まあ、そう言うなって。あ、こっちの一口食べるか?」
「そんなくらいで誤魔化せるとでも……」

 チーズケーキを一口分切り、鈴仙の皿に置いてみる。
 鈴仙はしばらく葛藤していたようだが、甘いものの誘惑には勝てないらしく、観念したようにそれを口に運んだ。

「んぐ……むう」

 鈴仙の頬が緩んでいく。妖怪とは言え、美味いものに抗うのは難しかろう。

「とりあえずさ。そういうエロいことは、将来的な課題ということで。僕も、なにも我慢を知らないわけじゃないし」
「将来的も何も――!」

 反論しようとして、鈴仙が途中で言葉に詰まる。
 『〜〜!』と声にならない悲鳴を上げているようだが、なんだろ?
 いやまあ、それはともかく、

「……えー、将来もダメ? 流石にそれは。僕もほら、若い男だし」
「知らないっ」

 あ、臍曲げちゃった。
 うーん、やっぱちょっと拙速気味だったか。というか、面と向かって言うようなことではないな、うん。こういうのはムードが大切なんだ、ムードが。そういう空気になるのを気長に待つか。
 ……この、僕の溢れる若さが何時零れ落ちるか、非常に危うい気がしなくもないが。まあ、その時は土下座でもしよう。うん。

「はいはい、じゃあ、この話は一旦これでおしまいってことで」
「……そうして」

 それから、僕と鈴仙は無難な話題で盛り上がった。

 僕の外の生活のこと、最近の永遠亭の事情から始まり、僕のスキマや霊夢への愚痴、鈴仙の永遠亭メンバーへの愚痴。
 僕がスキマの気まぐれな嫌がらせや、霊夢の丁稚扱いに文句を言うと、鈴仙は永琳さんの薬の実験体験や輝夜のわがままに振り回されていることを語る。

 日頃の不平不満をお互い何の憚りもなく語り合うのは、実に楽しい。途中、喉が乾いたので紅茶をお代わりしたほどだ。

 しかし、しかしである。恋人同士の会話にしてはえらく後ろ向きな気がしてならない。い、いかん、僕の想像していたデートとなんか違うぞ。

 なんとか会話の方向を軌道修正しようと考えていると、『そういえば』と鈴仙の方から話題を振ってきた。

「霊夢のこと聞いて思い出したけど……貴方、いつまで博麗神社に泊まるつもり?」
「そのことか……」

 いつツッコミが来るか、と思っていたが、意外と早かったな。

「そのことか、じゃないでしょ。今までは、気にしてなかったけど……。その、こ、恋人が、他の女のところに泊まっているって、いい気はしないわよ」
「うん」

 だよねえ。いや、鈴仙だって僕と霊夢がお互いに男女として云々なんてこと欠片も意識していないことはわかってる。でも、それとこれとは別問題だろう。
 僕だって、永遠亭に他の男が日常的に泊まり込んでいたりしたら、例え鈴仙との間になにもないとわかっていても、嫉妬に狂ってそやつの髪の毛を仕込んだ藁人形に夜な夜な釘を打ち付けてしまうかもしれん。

 拗ねたように、非難の目を向けてくる鈴仙に『あー、可愛いなー』なんて呑気な感想を抱く。

「そうだなー。解決策としては……いっそ、永遠亭に泊めてくれれば」
「なに言ってるの。私はあの家じゃ従者の立場よ? 貴方を泊める権限なんて、あるわけないじゃない」
「いや、輝夜に頼めば、割とすんなりオーケーしてくれそうだが」

 むしろ、奴は嬉々として屋敷に引っ張り込んできそうな気がする。あいつ、鈴仙と僕のことを、面白い見世物として見てるフシがあるし。
 まあ、多少のからかいくらいは宿泊費として甘んじて受ける覚悟はある。

「そ、それは確かに……」
「な? ついでに手土産の一つも持っていけば、問題ないって」

 話していて、なかなか良いプランに思えてきた。永遠亭は無駄に広いから、僕一人泊めるのになんの問題もないだろう。実際、たまにあそこの宴会に参加した後、酔い潰れて泊まらせてもらうこともあるし。

「だ、駄目駄目! やっぱり駄目! そういうのは早すぎるわ」
「早すぎって……」

 同棲なんかとは訳が違うと思うんだけどなあ。

「大体、そんなことになったら、貴方夜這いしに来るでしょ?」
「するか。いくらなんでも、あそこでコトに及べるほど、僕に度胸はありません」

 下手をしたら衆人環視の元でやることになってしまう。いや、まず間違いなく覗き魔は出没するはずだ。自重は期待できない。

「でも駄目!」
「じゃあ、永遠亭が無理だとして……そうすると、野宿くらいしか僕に選択肢はなくなるんだけど」

 頼めば泊めてくれそうな知り合いに何人か心当たりはあるが、オール女性である。本末転倒だろ。
 日帰りで幻想郷に通うのは地味にしんどいから、なるべくなら勘弁して欲しいところだ。最終的にはそれしかないんだろうけど。

「そうね……里に宿はないし」
「あっても使う人いないしなあ」

 需要がなけりゃ、そりゃ供給もあるはずがない。

 うーん、うーん、どうしようか……

「あ」

 ぽん、と手をあ叩いた。

「? どうしたの」
「いや、考えてみれば、僕もこっちに家を建てりゃ良いじゃないか」

 さっきの成美さんとの会話がヒントになった。というか、今まで思いつかなかったのが不思議なくらいだ。

「ぎゃ、逆転の発想ね」
「そうそう」

 二十代の若さで一軒家を持つことなど、外では余程運か実力がない限り無理だが、幻想郷だとそうでもない。

 まず問題となる土地は、一番簡単に解決できる。登記なんて必要ないし、そこらの原っぱを使えるようにすれば自分の土地って事に出来る。ここらは実に大雑把な幻想郷に感謝だ。

 大工さんに頼むお金は、本気で頑張れば貯められるだろうし。

 あ、いや。萃香に頼むという手もあるな。今の博麗神社を建てたのはあいつだし。
 外の世界のそこそこ良い酒を十か二十本くらいやれば嬉々としてやってくれそうな気がする。一万くらいのでいいか。そうすると約十万円。家を買うと考えれば破格にも程がある。

「でも……いいの?」
「なにが?」
「貴方、外の世界の人間ってところに拘っていたように見えたから。私のためにこっちに移住するなんて、本当に後悔しないかな、と思って」
「え?」

 はて、鈴仙は何を言っているんだろう。

「あの、別に家建てるからって今のところ生活の拠点を移すつもりはないんだけど」

 幻想郷に移住かあ……将来的には吝かではないが、今はまだ外の世界に未練がある。だったら、先行して家を建ててもいいじゃないか。その程度の話なのだが。
 やたら深刻に聞いてくる鈴仙に、僕は笑って答えた。

「そ、そうなの?」
「そうそう。ま、鈴仙がそうして欲しいって言うなら、僕は正直構わないんだけど」

 ……成美さんも言ったように、僕はこっちに住むことになったとしても、色々と取れる選択肢がある。たまに帰省したりも出来る。
 だから、他の人間より天秤が軽いこともあって……片方に鈴仙が乗れば、簡単にそっち側に傾いてしまうのだ。

「…………」
「っと、もう昼か。ついでにご飯も食べてくか」
「あ、うん」
「よっしゃ、すみませーん」

 ぼちぼちランチタイムだ。僕は成美さんを呼んで、本日のランチを注文するのだった。































 成美さんのお店を出た後は、まあ定番というか……
 それほど奇抜なコースを初デートで選ぶわけにもいかず、普通にご飯食べて、買い物して、路上でやってる手品とかのパフォーマンスを冷やかしたり。

 失敗……とまでは行かずとも、山も谷もオチもない無難なデートとなった。

 次はもうちょっと頑張ろう、と日が落ち始めた当たりでバイバイしようとしたのだが、そこで鈴仙に呼び止められた。

「……ねえ、ちょっと一杯付き合わない?」
「へ?」

 ……そんなこんなで。
 僕と鈴仙は、酒を一本買って、迷いの竹林の、ぽっかり開いた広場にやって来たのだった。

「ここ、私のお気に入りの場所でね。この時間になると、ちょうど真上に月が見えるのよ」

 広場とは言え、背の高い竹に囲まれており視界など効かない……と思いきや、鈴仙の言葉通り真上を見上げると、まんまるの月が柔らかく周りを照らしていた。

「……こりゃ、いい場所だな」

 お誂え向きに、腰掛けるのにちょうどいい岩まである。
 僕と鈴仙は、二人で並んでそこに座った。

 一応、その距離は、今までよりずっと近い。自然に近くに座ってくれるようになった。……僕は今すごく感激している。
 じーん、と一人悦に浸っていると、鈴仙ががさがさと、買ってきた酒瓶を包んでいる紙を剥がす。

「それじゃ、まずどうぞ」

 酒器は、ついさっき風の魔法で切って作った竹の盃だ。
 鈴仙からの酌を受けて、透明な液体が月を映す。

「ほい、んじゃ鈴仙も」
「うん」

 鈴仙に酌をして、竹の盃で乾杯する。
 くっ、と煽ると、キレのいい味わいが喉を通り過ぎていった。

「ん……ちょっと奮発して高い酒買った甲斐あったな。美味い」
「そうね」
「あ、鈴仙。つまみもないんだから、あんまり呑み過ぎるなよ。あんま強くないんだから」
「しょっちゅう二日酔いの薬をもらいに来る貴方に言われたくないわ」
「あー、そうかもしれんけど……あれ、鈴仙目当てってのもあったんだけどなあ。あ、もちろん他の患者さんがいるときは遠慮してたけどさ」

 その場合、すごすごと痛む頭を抱えて帰る羽目になっていた。

「……馬鹿ね」
「しみじみと言わないでくれ」
「何度でも言うわよ。本当に馬鹿」

 ……いや、その、否定出来ませんけどね?

「ねえ。ところで、昼間のあれ、どこまで本気なの?」
「……え、ええーと、あれって、どれ?」
「こっちに移住してもいいって話したこと」
「あー、そうだな。鈴仙はそのほうがいいか? なら、明日にでも、大工さんとこ行って見積もりもらうわ。まあ、色々外で始末付けることもあるから、実際こっちに来れるのは暫く掛かるだろうけど」

 どうせ、家を作るのにもそれなりの期間がかかるだろうから丁度いい。

 まあ、僕が一人暮らしするくらいだからそんな広くなくても……いや待てよ、将来鈴仙とかこ、ここここ子供? とかが増えた場合、それじゃ駄目だな。やはりそれなりの広さで……いっそ紅魔館や永遠亭と張り合って良也ハウスとか名付けたデカイ家を……流石に金がないか。じゃあやっぱり萃香の協力を取り付けるか?

「だからそうじゃなくて」
「ん……なんだ?」

 部屋の間取りを脳内で考えていると、なんかシリアスな空気を鈴仙が発する。

「知ってるでしょ。私、故郷を捨ててきたの。だから……その、私に言われたからって、簡単に向こうのこと捨てたりしないでって。それだけ」
「……いや、別に捨てるわけでは」
「多分、住んじゃえばすぐに変わるわよ。貴方、もうだいぶこっち寄りだもの」
「変わる、ねえ」

 正直、全然実感できない。こっちに移住しても、僕は多分、漫画やラノベの発売日には嬉々として外に買いに行くだろう。金をどうするのか、という話もあるが、そこはなんか気合っぽいなにかで。

 だっていうのに、鈴仙はじっと月を見上げて呟く。

「私は、いつの間にか帰りたいとは思わなくなったわ」
「うーん、僕、自分がそうなるとは思えない」

 まあ、月までの距離がある鈴仙と比べること自体おかしいのだけど。ちょっと足を伸ばせばすぐ帰れるからな。

「……そうかもしれないわね。貴方、そんななりで意外にタフだもの」
「そ、そうか?」

 僕、肉体的にも精神的にも、打たれ弱いと思ってんだけど。すぐ死ぬし、凹むし。

「そうよ。やっぱり男ってことかしらね」
「……まあ、鈴仙がそう思うんだったら、多分そうなんだろ」

 なにやら持ち上げられている気がするが、ここはあえてそれに乗ろう。

「私は駄目ね。今、幸せは幸せだけど、こうして月を見上げてると、ちょっと寂しいって思うこともあるわ」

 ……僕、こういう時どういう対応したらいいかわからない。
 だから、ちょっと明るく振舞ってみることにした。

「なんだ。寂しいなら、僕を頼れ!」

 ふふん、と胸を張る。
 いや、これは正直、『あんたなんか頼りにならないわよ』的な反応を期待していた。
 期待していたのに――

「……そうね」

 こつん、と鈴仙が頭を肩に預けてきた。

「…………」

 ピシリ、と僕はその場で固まった。

 え、えええええええぇぇぇぇぇっぇぇーーーー!?!?
 あれ? これ、なんかイケちゃう? イケちゃうの!? いや、なにがイケるのか自分でも訳がわからんが、しかしなにかこう追い風が吹いてる! きっと僕は今、地球で一番幸せ者だ! いや、鈴仙の故郷は月か……よし、そっちも含めて一番だ。

 人気のない、夜の竹林。周囲を優しく照らしている月光。そして、この場には若い恋人同士――

 や、やばい。客観的に見て、すごいいいムードだこれ!?

 カチコチに固まった僕は、ブリキの玩具みたいな動作で首を動かして、鈴仙を見る。体重を預けられている肩の重みが、非常に幸せな感じ。

 こ、こここ、これは行くしかないか?

「れ、れれれれ鈴仙さン。ちょっとよろしいでしょうか」
「……なに」

 僕の声に不審なものを感じたのか、鈴仙が頭を離して警戒の目でこっちを見る。……ぐぁ、幸せが逃げていった。
 い、いや、ここから巻き返そう! そうしよう。

「い、今は、実に、実に、い、いいムードなんじゃないでしょうかっ」
「そうね、さっきまではね」

 なにやら鈴仙が頬をひくひくさせているが、僕はその意味を考える前に口を開いていた。

「こ、ここは是非に、記念すべき初キスをば」
「嫌」
「なんで!?」
「そんなことする空気じゃないでしょこれ……」

 心底呆れた、という感じで、鈴仙が酒瓶を取って手酌する。空気? 空気はバッチシじゃん!

「そんなこと言わずに。僕は土下座でもなんでもする覚悟だぞ!」
「あー、もう。貴方、わざとやってるでしょ」
「なにを!?」
「はい、お酒」

 一瞬零しそうになるが、なんとか鈴仙の注ぐ酒を受け止める。鈴仙はフツーに酒を呑んでる。
 さっきまでの甘い雰囲気はなんかどっか行ってしまったということに、僕は今更気づく。……あれ、どこに迷子になった?

「な、なんでだ。鈴仙、僕のなにがいけなかったんだ!?」
「そうね、空気の読めなさかしら」
「空気読んだのに!?」
「誤読よ、それ」

 マジで!?

「……まあ」

 はあ〜〜、と実に嫌そうに鈴仙が溜息をついた。

「そのうちね」
「絶対だぞ? 言質取ったからな!」
「……私が月を見ても、寂しいって思わなくなったらいいわよ」
「それって、思い切り鈴仙の自己申告じゃん」

 鈴仙が黒と言えば黒、白と言えば白だ。……これは遠まわしにタイミングは私が決めると言われているなっ。

「そんなに遠い話じゃないわよ。……多分ね」

 つまり、僕はこれを本当だと信じて待つしかないという。

 ……ちぇっ。



















 ちなみに、一ヶ月だった。

「ひゃっほぅ!」
「そ、そんなに飛び上がって喜ばないのっ」



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