さて、輝夜の難題をクリアしてからしばらく。 僕は輝夜との結婚に漕ぎ着けていた。 幻想郷でやった披露宴での狂乱は……いや、忘れよう。楽しくはあったけど、二度目は勘弁して欲しいってくらい盛り上がり過ぎてたし。 そして、職場のパソコンで作業をしている僕の左手の薬指には、キラリと光る指輪。 昔の常識で生きている輝夜には結婚指輪という概念はなかったのだが、僕の給料で買った結婚指輪を贈った時は、それなりに嬉しそうであった。 奴のコレクションには、二十代の若造のお給料では手も足も出ないレベルの財宝がゴマンとあるが、そういうのとはまた別らしい。 僕の贈った指輪を嵌めて飽きずに眺めている輝夜は、まあ、その、なんだ。いつもとはちょっと違う感じで、割と可愛かった。 「っと、そろそろ部活の時間か」 書類作成の手を止めて、僕は立ち上がる。 六時間目は担当授業がなかったため、書類作成に精を出していたが、そろそろ向かわないと。 「あ、土樹先生」 「はい?」 同じ英語教師の広沢先生に呼び止められ、振り向く。 「今日、部活終わったら仕事もないでしょ? 金曜ですし、どうです、一杯」 くい、とグラスを傾ける仕草を向けられる。 僕の酒好きは職場でもそれなりに広まっていて、よくお誘いを受けるのだが、 「あー、いや、すみません。今日はちょっと、その、嫁んとこ行かないと」 「っと、そうでした。失礼しました。新婚さんに、俺ってば」 「いえいえ。金曜以外の平日ならお付き合いできますので、是非また誘ってください」 「いやー、この歳になると、翌日に残りますからねえ。休日前じゃないと……その点、土樹先生は強くて羨ましい」 「はは……」 でっぷりした腹を叩く広沢先生に苦笑する。 「しかし、大変ですね。毎週、週末に奥さんの家に行くの。一緒に暮らせないんですか?」 「ちょっと、嫁の実家の都合で。まあ、結婚する前からほとんど毎週通ってたんで、別にこれといって変わりはないですよ」 「はぁ、お熱いですな」 「はは……じゃ、僕は部活行ってきます」 と、広沢先生に言って、僕は職員室から出る。 さて、ここまでの会話で察していただけたかと思うが……そうなのである。僕、ちゃんと外の世界でも結婚したことになっているのだ。 書類上も問題はない。なぜか現代社会のあれこれを熟知しているスキマが、なにをどうやったのか輝夜の戸籍をでっち上げており、婚姻届も提出済みである。 まあ、式は当然こっちではできなかったのだが……身内だけでやるって人もそれなりにいるし、問題にはならなかった。家族は幻想郷での神前式には呼んだし。 ……この辺り、スキマに借りが出来過ぎて、いつ返済を迫られるかちょっと戦々恐々としているのだが。 まあ、この件については本当に世話になったし、多少のことならなんとかしようと思う。多少のこと、ならな。 「はあ」 絶対、多少では済まないだろうなあ、と、嫌すぎる未来予想図を振り払うようにして、僕は辿り着いた部室のドアを開けた。 「あ、つっちーせんせ、どーもー」 中でパイプ椅子に腰掛け、のんびりと占いの本などを読んでいた女生徒に『おう』と返す。 「今日は水沢だけか?」 「うん。ショーコは塾で、ユウナは男とデートだって。私は、ソフトボール部の子と遊びに行く約束してるから、ここで時間潰し」 我が英文学部の部員は以上である。 まあ、僕が赴任した当時も似たようなもんだったが……これでなんで潰れないんだろう。今の部員も、校則で部活動が必須じゃなければここに来てなかっただろうし。 「せんせ。暇なんだったら占ってよ」 「はいはい」 部室に置いてあるタロットカードを手に取る。 市販の雑誌に付いていた大アルカナ二十二枚しかないチャチなやつだが、別にお遊びで占う分には問題はない。 僕がマジモンの魔法を使えることは水沢を含め現部員は知らないが、こういった占いとかが得意だってのは知れ渡っており、たまにこうして頼まれる。 まあ、僕がやれるのは基本のいくつかと、パチュリー式七曜占術だけなんだが。 「なんについて占う?」 「じゃー、恋愛運。前の彼氏と別れてしばらくだし。そろそろ別の男捕まえたい」 ……うちは結構固くて真面目な生徒が多いのだが、やはり全員ってわけではない。 不良って言うほどのレベルではないが、こう、水沢みたいにシュッとした感じの、イケイケっつーかイマドキというか、軽い感じの子もいる。 外見的にも、指導が入らない程度に制服を着崩していたり、ちょっと化粧したり。まあ健全な範囲でおしゃれをしている子だ。 教師が言うのも何だが、見た目可愛いし、性格も悪く無いんだから、別に占いに頼ることもなかろうに。 「……はいはい。じゃ、ちょっと待て」 いささか簡略化した作法の元、七ヶ所にタロットを三枚ずつ置き、最後の一枚を中央に配する。 それを決められた順でめくり、水沢の前に置く。 そして僕はカードの内容を吟味し、 「あー、そうだな。そう遠くない内に、望んだ未来が来る。身近なところを見落とさないようにして、頑張れ……みたいな結果だな」 「相変わらず、つっちーせんせはてきとーだよね。カード捌きはサマになってるのに。結構当たるけどさー」 「ほっとけ」 一応パチュリーから習ったけど、使う機会はそれこそここの学生相手にちょろっとやってやる程度なのだ。そもそも、運命とかあんま僕自身、影響しないっぽいし……適当でいいんだ、適当で。 「でも、身近なとこかー……もしかして、つっちーせんせ、変なこと考えてない?」 「変なことってなんだ」 「いやほら、男の先生ってあれでしょ?」 あれ、がどれを指しているのか。もしかして巷のニュースに話題を提供するようなケシカラン連中と同一視されているのか。 「……あのな。ねぇよ。大体、僕は新婚だっつーの」 指輪を見せる。 「知ってる。でも、奥さん、離れたところに住んでるんでしょ? 寂しくない?」 「……どこでそんな情報を仕入れてくるんだ」 「結構みんな知ってるよ」 学生とは言え、女の情報網は侮れんなあ。 「でも、つっちーせんせかぁ。うーん……微妙だなあ」 「微妙で結構。いくらなんでも、高校生に手ぇ出すわけないだろ」 「そう? よく駅前とかでおじさんに声かけられるけど」 「……どの辺だ」 水沢より詳しい場所を聞き出し、今後の見回りの範囲に入れるよう今度の職員会議で具申することを心のメモ帳に書き留める。 「念のため聞くけど、付いてったりしてないよな」 「当たり前。ウリはやる気ないし」 ならよし。 「でも〜? つっちーせんせも、ちょっとは気になってるんでしょ?」 「なってない」 「ええ? そう? 私これでも結構イケてると思うんだけど」 まあ、確かに水沢は客観的に見て可愛い顔立ちをしていると思う。スタイルもいい。 教師とて人間だ。もちろん、実際に行動に移したりするわけがないが、普通の男教師なら、邪な考えがちらっとも頭をよぎらないとは言い切れまい。 ……しかし、僕の場合は話が別だ。 「悪いけど、うちの嫁の方が万倍美人だから」 「うわ、惚気けられた!」 「本当だって」 大変失礼な話であることは承知の上で例えるが……ブランド和牛でも最も良い牛の一番美味い部位だけを集めたものを日常的に食ってる人間が、スーパーで一番高い肉位で満足できるかという話である。本当に、失礼な例えであるが。 ……割と女性の容姿に対する基準が狂っていることの自覚はある。 「じゃー見せてよ。スマホで写真の一つくらい撮ってるでしょ?」 「……撮ってるけど。なんで見せないといけないんだよ」 「いいじゃん、減るもんじゃないし」 むう。水沢は意外としつこいし、延々と絡まれるのも面倒だ。 はあ、と僕はため息一つ。スマホを操作して、何枚かの写真を確認していく。 見せるとしても宴会の写真は絶対NG。で、ええと……一応、何枚か輝夜と二人で撮ってるやつもあるはず…… これは駄目。これも。これは……うん、後ろに妖精が飛んでたり、人魂が見切れたりしてないな。この写真でいいか。 「ほれ。右のが、妻の輝夜だ」 「……………………」 見せると、水沢は固まる。 しばらくじー、っとスマホの画面を見た後、僕の顔を一度確認し、再度写真の方へ。 「……合成?」 「どこかで聞いたようなツッコミだなおい!」 確か、実家に報告したときも似たような声と言われたよ! 「……なんてな。滅茶苦茶疑われた」 「へえ。まあ、仕方ないわね。私、美人だし」 「否定はしないけど、もうちょっと謙虚になろうぜ」 仕事が終わった後。その足で永遠亭にやって来て、縁側で輝夜と酒を嗜みつつ、一週間のことを話す。 毎回恒例になりつつあるこの時間が、僕は結構好きだった。 「でも、良也の職場って若い女が多いのよね。念のため言っとくけど、浮気したら許さないわよ」 「大丈夫だって」 「そ。まあ、別に心配しているわけじゃないけど」 ほほう。 「まあ、本当に心配いらないって。つーか、浮気しようにも、僕じゃ相手してくれんのお前くらいしかいないし」 少し拗ねた感じになっていたので、輝夜の肩を抱き寄せる。 輝夜は特に抵抗することなく、そのまま身体を預けてきた。 「ふーん。とか言いながら、週一しかこっち来ないじゃない。いっそここに住めばいいのに」 「いやいや、ここから通勤するとけっこうかかるからな……」 まあ、東京とかだともっと時間かけて通勤している人もいるんだろうが、僕は通勤時間かかるのはちょっと困る。というか、住所の届けはどうすればいいんだ。 「別に働かなくてもいいじゃない。ここで私と遊びながら暮らせば」 「う……」 い、いや。その申し出自体は物凄く魅力的ではあるのだが、生来お姫様気質の輝夜と違って、僕がそんな生活になると物凄く堕落するだろうからなあ。 もうちょっと現世の生活にも未練があるし、いきなり仕事やめると方方に迷惑がかかるし……中々難しいところだ。 と、言うようなことを話すと、半分予想はしていたが、更に輝夜は拗ねた。 「要は、私といるより外の生活のほうが大切ってことでしょ」 「いやあ、そういうわけじゃないんだけどな。両立できなくなったら、こっち取るよ、勿論」 これは紛れも無い本音である。そりゃ、捨てがたいものも沢山あるが、一緒になった輝夜と離れるくらいなら仕方がない。 僕の本気が伝わったのか、ちょっとだけ輝夜は機嫌を直したようだった。 「ふん。そんなこと言って誤魔化そうったって、そうはいかないわよ」 「はいはい。こっちいる間はずっとお前に付き合うから、そうむくれんなって」 「当たり前でしょ。ほら、おかわり」 ぐい、と輝夜が盃を突き出してくる。僕は粛々と酒瓶の中身をそいつに注いだ。 「んぐ……ふう。良也はもう呑まないの?」 「あー。大丈夫、呑む呑む。だけど、この酒美味いからな。ゆっくり味わいたい」 外で買ってきた結構良い酒だ。あまり深酒にもなりたくないし、ペースは落としている。 「ふーん。ま、そうね。結構美味しいわ、これ」 「だろ」 膳に盛られたつまみを食べる。うむ、筍の含め煮が美味い。 「それで、明日はどうする? どっか出かけるか?」 「えー? 別に、家でゴロゴロすればいいじゃない。外出るの面倒だし、大体どこに行くって言うのよ」 「……いいけどな」 こう、デート的なものとか考えていたんだが、まあ予想できた答えではある。 だが、やはり家の中に篭ってばかりというのも、ちょっと思うところがある。 「でも本当、幻想郷ってカップルの出かけ先がないんだよなあ。輝夜は、近所の花畑にお花摘み……ってガラでもないし」 「花も嫌いじゃないけどね。でも、普通の花はすぐ枯れるから興味がないわ」 「左様か」 すぐに枯れるから、と来たか。 まあ、なんとなくその感性はわからなくもない。 「じゃ、やっぱ永遠亭の中でゲームでもするか。また囲碁か、将棋か、その辺りでも」 「んー、それもマンネリなのよねえ。……あ、そうだ」 輝夜が、とてもいいことを思いついた様子で、こうのたまった。 「出かけるんだったら、外の世界に行けばいいじゃない。ほら、ちょっと前、幻想郷の妖怪が外に行く異変があったでしょ?」 さも名案が浮かんだかのように言い切るが……いや、いきなり無茶を言うな、こいつ。 「……いや、あのな。それ、どうやったらいいか僕わかんないし。それに、あんまり良くないんじゃないか、そういうの」 「あら。妹紅とは、外の飲み屋で呑んだんでしょ。……考えてみたらムカついてきたわ。なんであいつとは外で一緒に遊んだくせに、私は誘いもしなかったわけ?」 あ、これマジで怒ってる。すっごく下らない理由だけど。 「……あー、その、だな。わかったわかった。どうやればいいのかわからんけど、明日霊夢とかに相談してみるから」 「言ったわね? 約束よ」 「はいはい」 輝夜が差し出してきた小指に、自分のを絡ませる。この年で指きりげんまんをするのはちょっと恥ずかしい。 「っとと、あら? もうちょっとしか残ってないわね」 絡めていた指を離し、輝夜が一升瓶を手に取って残りを確かめる。 ……あ、マジだ。僕、二合くらいしか呑んでないのに。 「あ、くそ。お前呑み過ぎだよ」 「ごめんごめん、っと」 とか言いながら手酌で自分の盃に入れてるし。 「おーい、その残りくらい、僕にくれてもよかったんじゃないか?」 「あー? もう、仕方ないわね」 仕方ない、とか言いつつ、なんのためらいもなく輝夜は盃を傾ける。 あー、もう。まあ、いいけどさ…… と、僕が若干恨めしげに輝夜を見ていると、突如として輝夜が僕の顔を掴んだ。 「んー」 「……おい、まさか」 輝夜の顔が近付いてくる。 やりたいことはわかったが、僕はどう対応すればいいのだろう……とか、悩んでいるうちに口付けられた。 酒精と共に、酔いで熱くなった輝夜の舌が口の中に侵入してくる。 負けじと僕も舌を絡ませ……たっぷり五分はそのやり取りが続いただろうか。 「……ん。運んで」 「はいはい」 んー、まあ。一応、ふーふだしな、うん。 僕は誰にしているのかわからない言い訳を内心こぼしてから、輝夜を抱き上げて褥へと向かった。 結局、今日も夜が明けるまでやっちまった…… 輝夜と付き合うようになったあの日以降、太陽が黄色いという表現が事実だということを、毎回噛み締める僕である。 そうして明け方に寝入り、昼まで寝てから風呂に向かうのがいつものパターンだ。 自分の理性の脆さに若干の自己嫌悪を感じるも、風呂で汗とかを流すと、あまりの心地良さにそういうのはフェードアウトしていく。 「ふう」 風呂上がりに井戸の水を飲むべく、永遠亭の庭に向かう。 と、そこには先客がいた。 「おはようございます」 「ええ、おはよう……と言うには遅いわね。もうすぐ昼食の時間よ」 庭の草木を弄っている永琳さんだった。 「庭の手入れですか。お疲れ様です」 「この一角は私の薬草園だからね。ここ薬草は取り扱いが難しいから、まだウドンゲには任せられないし」 僕の目には普通の花にしか見えないが、永琳さんがそう言うからには、なにかしらとんでもない植物なのだろう。……花粉とか吸っても大丈夫なんだろうな? 「しかし……毎回お盛んね?」 「……からかわんでください」 「純粋な感想よ。まあ、輝夜のことはしっかり愛してくれているようで、それは礼を言うべきなのかしら?」 輝夜にとっちゃ永琳さん、保護者みたいなもんだからなあ。……今更ながら、いくら広いとは言えそんな人が一緒に済んでいるお屋敷でああも励むのはちょっとどうかと思う。 「ああ、そうそう。先に起き出した輝夜が言ってたけど、あの子を外の世界に連れて行くんだって?」 「ええ。そんなことお願いされましたけど、どうしたもんかと悩んでいるところです」 実際、難しいのだ。 霊夢は迷い込んできた外の人間を送り返したりはするが、既に幻想郷の住人になっている者……しかも、どっちかっつーと妖怪寄りの元月の民を外に出すことはできるんだろうか。 ……普段からホイホイ行き来している僕が一緒に連れていけりゃ一番いいんだが。とりあえず、まずはそっちを試すべきかな。 「それなら、私があの隙間妖怪に話つけてくるわよ。なんだかんだ、結界についてはあいつに聞くのが手っ取り早いでしょ」 「え? いいんですか」 「まあ、このくらいはね」 そう軽く言う永琳さんだったが、本当に交渉を纏められるのだろうか。 まあ、永夜異変の時に永琳さんとスキマはなにかしらの協定を結んでおり、以降平和的敵対を延々と続けているようだから、なんとかなるのかもしれないが。 「お昼食べたら行ってくるから、その間にあの子に外の常識を教えて上げなさい。下手打って、外にいられなくなっても知らないわよ。まあ、輝夜はその方が嬉しいでしょうけど」 それはまあ、確かに。 空を飛ぶのを目撃されるだけでも、すわ鳥か飛行機かと大騒ぎになるに決まっている。オカルトが跋扈していた時代と、後は幻想郷でのことしか知らない輝夜が、何気なくそういうことをしてもおかしくはない。 「……ちゃんと言い聞かせときます」 「そうしなさいな」 そういうことになった。 それからはトントン拍子に話が進んだ。 何しろ、異変の最中のこととはいえ、前例があったのだ。いくつか約束事もさせられたが、スキマの協力を得られた。 そして土曜日は準備(主に輝夜への注意)に費やし、あくる日曜日。 スキマから贈られた洋服を着て、外の世界の博麗神社に降り立った輝夜は、それまでの満面の笑顔を若干曇らせた。 「う゛……なに、この臭い」 「……あー、そっか、忘れてた」 僕は、その反応で察した。 なにせ、幻想郷は現代日本ではありえないくらい緑が多く、空気も水も綺麗だ。 こっちの博麗神社も、山の中にあるから都会に比べりゃ相当マシなのだが、それでも輝夜の鼻につく臭いがあるらしい。 「穢れもダントツに多いわね。……これでこそよ」 「そっか。まあ、すぐに慣れるだろ。早く町行こう。スキマとは、今日中に帰るって約束したし」 「あんな妖怪にへいこらする必要ないのに。まあ、いいか。永琳も見て『やり方』はわかったでしょうし、次はもうちょっと楽よ」 既に次を考えてやがる。 ……ま、まあ。輝夜はこっちの戸籍もあるし、(偽造だが)身分証明証もある。問題はない……ないはずだ。 なお、こちらでの輝夜の身分は、蓬莱山輝夜二十一歳、長野にあるとある旧家のご令嬢であり、家庭の事情により学校は全て通信教育で賄っており、滅多に屋敷から出ない筋金入りの箱入り娘……という設定である。知り合いにはこれで通している。 公称年齢より少し年下に見えるが、年齢に関しては逆鯖にも程が有るので問題はなかろう。 「……で、ちゃんと自分のプロフィール覚えているよな」 「わかってるってば。そう心配しなくても」 「それで多少の常識外れなところは言い訳効くけど、多少だからな? 忘れるなよ?」 「しつっこいわねえ。何度も言われたんだから覚えているわよ。それよりほら、時間は有限なんだから、さっさと行きましょうよ」 この軽い返事が微妙に信用ならんが……いや、妻を疑ってどうする。 でもなあ…… 「……まあいいや。じゃ、飛んで行くぞ。最寄り駅までは飛んでいかないと、えらい遠いから」 「あんだけ外では飛ぶなって言ってたくせに」 「ちゃんと隠形かけるから。あと、町じゃそれ絶対に守ってくれよ」 隠蔽の魔術を行使し、自分たちの姿を見えなくする。 近くにまで来て目を凝らせば違和感バリバリだが、人気のない山を飛んで行くならばこれでも問題はない。 飛んでいく道すがらも、輝夜は周りを眺め、話しかけてきた。 「この辺はあまり幻想郷と変わらなくてつまらないわね」 「まあな。山ん中だし」 「あ、でもあの鉄の塔は見ないわね。なんなのかしら、あれ?」 「ああ、あれは電波塔だな。電波ってのは……」 と、話しながらも駅は近付いて来る。 駅施設を見た輝夜はあれなにあれなに!? と実にはしゃいだ様子だったが、なんとか落ち着くように言い聞かせた。 「で、ここで待ってると電車ってのが来る。電車は……そういや、スキマの奴が召喚してスペカって言い張ってたな。あの、でかい鉄の棺桶みたいなやつだ」 「ああ、あれ。攻城兵器じゃなくて、乗り物だったのね」 雑談をしながら、電車が来るのを待つ。 田舎の無人駅で、一日数本しか往来はないが、何度もここに通っている僕はちゃんと時間を把握している。 思った通り、十五分と待つことなく、二両編成の電車がやってきた。 「あ、本当に動いてる。あれに乗るのよね?」 「うん。あ、入るとき整理券……いや、いいか。僕がお前の分も取るから」 「聖利剣? 業物なの?」 ……なにかすごい勘違いをしている気がする。 なお、実際に整理券を取って渡してやると、酷く輝夜ががっかりしていたが……まあ、トラブルはそれくらいで、問題なく電車には乗れた。 「おお〜、凄いわね。地上の人間も、なかなかやるじゃない」 「……今は他のお客さんがいないからいいけど、そういう危うい発言は人のいるトコではなしな」 「意識を逸らす魔術くらい使えるでしょ?」 「使えるけどさ」 微妙に分かっていない様子の輝夜に説明をしてやることにする。 「あのな、ああいうのは基本、注目されていると効果は半減どころじゃないんだ。お前の容姿で、目立たないってのはまず無理で……要は、使いものにならない」 それを聞いて、輝夜は得意気にフフンと笑った。 「そっかー、そりゃそうよね。私みたいな美人がいると、そりゃあ衆目を集めるのは当然よね」 「……遺憾ながら、その通りだ」 「どう? そんな女を隣に侍らせて、ちょっと位優越感とか感じない?」 ……まあ、まったくないとは言い切れない。僕の嫁さんはこんな美人なんだぞー、と自慢したい気持ちもないではない。 この前、水沢に写真見せたのも、多分そういう感情の発露だ。 でも、その当人から言われるとスゲェ微妙な気分。 「……ハッ」 「あ、鼻で笑いやがったわね、こいつ」 ちょっと強がりでそんな態度をとると、むにー、と輝夜に頬を引っ張られた。 「ひゃめろ、いひゃい」 「お、よく伸びるわね。餅みたい」 ころころと笑いながら、輝夜が僕のほっぺたを玩具にする。 そんな風にして、輝夜との電車紀行は過ぎていった。 「おお〜」 僕の家の近所にある主要駅に降り立つと、輝夜は流石に驚きの声を上げていた。 電車から見る風景や駅の様子にも、都会になればなるほどびっくりしていたが、実際に降りて周囲に見上げるほどのビルが乱立しているさまをじっくり見るとなると、やはり別物らしい。 が、それはそれとしてだ。 「輝夜、立ち止まってると迷惑だから、早く行くぞ」 「そう急かすことないじゃない」 輝夜はのんびりとした様子で、んなことを言っているが……僕はそれどころではない。 電車の中で、輝夜の容姿が目立つ、というようなことを話したが……ちょっと、僕の見積もりは甘すぎたらしい。 注目を集めるどころの話ではない。老若男女関係なく、見える範囲の人間全ての視線が輝夜の元に集まっている。誰しも用事の一つや二つあるだろうに、駅前の人間の八割が立ち止まって輝夜をガン見する様子は、少々薄ら寒いものを感じさせる。 僕は慣れているからつい失念していたが……昔の貴族や帝を骨抜きにしたかぐや姫の傾国の魅力は、現代でもバッチシその効果を発揮しているらしい。 「輝夜ってば」 「もう、わかったわよ。はい、じゃ、案内して」 輝夜が僕の手を取り、先に進むよう促す。 なお、輝夜が僕に触れた瞬間、彼女に集まっていた視線が一気に僕に収束。一部、刺すような嫉妬の視線も感じる。 ……いや、アカンて。こんな針の筵にいたら、遠からず胃にくる。優越感? 輝夜を自慢? ごめんなさい、そんなこと考えていた僕が悪かったです。 「と、とりあえず、歩くぞ。うん」 「はいはい。旦那様に従いますわ」 おどけてそう言う輝夜に、軽口を返すことも出来ない。 僕は足早にその場を立ち去りつつ、意識を逸らす魔法を発動させる。 焼け石に水とはいえ、やらないよりはマシだし、輝夜の顔を見られる前なら、充分に効果がある。 輝夜の外の世界観光は、どうやら前途多難の様子であった。 「あ、ちょっと良也。そこの服屋見ていきましょうよ」 ……本人は、まるで気にしていない様子であったが。 「ああ、はいはい。ブティックね。……まあ、ちょい高いお店だけど、いいだろ」 「私をほっといて外で働いているんだから、そのくらいは稼いでいるわよね?」 「そんくらいの甲斐性は信じてくれよ。店にあるの全部、とか言われても困るけど」 「……わかってるわよ」 今一瞬、『え? 駄目なの?』みたいな顔しやがったな、こいつ。 輝夜の場合、マジで店丸ごと買ってお釣りがくるような財宝を山と抱え込んでいるから、そういう感覚になるのはわからんでもないが…… 「一着か、二着くらいな」 「もう、わかったわよ。じゃ、良也が見繕ってよね」 「……僕?」 「似合うやつをお願いするわ」 スーツは仕立ててるけど、それ以外の服は基本安さ最優先の僕としては、こういう店での買い物は素人同然なのだが。 ……店員さんと相談しながら、なんとかするしかないか。 そう決意して、ブティックに入る。 「あ、いらっしゃい……ま、せ」 「こんにちは」 輝夜が自分を見て固まった店員さんに挨拶をする。 「ちょっと見せてもらうわよ」 「は、はい! どうぞ、存分にご覧ください」 「ありがとう。さ、良也。私にはどれが似合うかしら」 声が上擦ってる店員さんのことは大して気にせず、輝夜が僕に話を振る。 しかし、ずらっと眺めてみても、こう、どれがいいのか僕には判断がつかない。流行りものも把握してないし……と、言うわけで、 「あー、すみません。妻はこう言ってますけど、僕はちょっとその辺よくわからなくて。いくつか、店員さんのおすすめを紹介してもらっていいですか?」 「ちょっと。選んでくれるんじゃないの?」 「選択肢絞ってもらわないと、僕にゃ決められないんだよ」 輝夜が脇腹を肘で突いてくるが、無理なものは無理なのである。 「あ、ええと……その、奥様ならどのような服もお似合いになると思いますが、そうですね」 輝夜に一瞬圧倒されていた様子の店員さんだったが、そこは流石にプロ。仕事の話を振ると、すぐにテキパキと動き始め、いくつかの衣装を紹介してくれた。 「うーん……これか、これだな」 見せてもらったやつから、直感で白っぽいのと花っぽい模様のついたのを選ぶ。 なんて呼べばいいんだろう、こういう服……わからん。 「ふぅん……あっちじゃ洋服はあまり着ないけど、これなら普段着にしてもいいかな」 「試着してみるか?」 「着ていいの?」 「サイズ合ってるか確認する必要もあるし。試着室はあっちだ」 店員さんが、ご案内します、と輝夜に付いてくれたので、僕は少し店内を見渡すことにする。 ……考えてみれば、バッグとかもないんだよな。後、財布と、時計くらいは。携帯は……いらないか。 「ちょっと、良也? なにボサっとしてんの。ちゃんと、自分で選んだ服がどんな感じか見なさいよ」 「はいはい、ちょっと待ってくれよ」 輝夜の声はそれほど大きくないのだが、よく通る声だ。 とりあえず、小物類は後で、と決めて、試着室の方へ。 「どうよ?」 「うん、似合ってる似合ってる」 「気のない返事ねえ」 んなことはないのだが。 「じゃ、次ね」 しゃっ、とカーテンが閉じられ、ごそごそと衣擦れの音がする。 ややあって、新たな装いの輝夜が、再度登場した。 「じゃーん」 「うん、こっちの方がいいかな」 「そう? じゃ、これもらおうかしら」 「おう。えーと、おいくらですか?」 店員さんに聞くと、告げられた値段はやはりそれなりの金額だった。 まあ、輝夜も気に入っているようなので、支払いに躊躇いはない。別にゴールドでもブラックでもないフツーのクレカで支払いを済ませる。 輝夜はそのまま着ていくらしく、さっきまで着ていた方を紙袋に入れてもらっていた。 「さあ、次はどこに行くのかしら」 「はいはい。いくつか考えてはいるんだ。じゃ、行くぞー」 そうして、妙な一日は過ぎていく。 ブティックを後にして、荷物をこっそり『倉庫』に入れ、しばらく。 少々早い時間帯だが、混む前に昼食を済ませることにした。 「で、輝夜はなにか食べたいもんあるか?」 「そうねえ。外の世界だと、なにが美味しいのかしら」 「んー、て、言っても、基本なんでもあるんだよな……」 こと食の範囲において、現代日本で食べられないものは早々ない。世界中のどこの飯でも、少し移動すればちゃんと店がある。 ふむ、と僕はちょっと考え、スマホで飲食店サイトを調べることにした。 「それ、たまに弄ってるけど、なに?」 「ええと、説明が難しいな……。これで、遠くの人と話が出来たり、手紙のやり取りが一瞬で出来たり、調べ物やゲームをしたりできるんだよ」 僕の要領を得ない説明に、輝夜は困惑顔だ。まあ、最近の携帯端末は多機能すぎて、出来ることを全部上げられる人はあまりいないだろうが。 「ああ、そういうことね。月でも似たようなのはあったわ。でも、こっちじゃ手で操作してるのね。思考操作の方がよっぽど楽なのに」 「……あるんだ」 「似たようなもの、ね。玉兎のネットワークを再現しようとしたやつだったと思うけど」 そういや、鈴仙は月にいるご同朋とよく話をしているんだっけ。 ……地上では考えられんレベルだな。普通の住民が月と地球間の通信ができるって。 「まあ、そういうわけで。口コミで美味いって評判の店を探しているわけだ」 「ふーん」 自分の中で解釈が済んだら、輝夜はもう興味がないらしい。 それはそれとして、立ち止まっているとまたぞろ輝夜へ注目が集まってしまうので、歩きながら調べる。 スマホのマップと照らしあわせて歩き、 「ここか。このビルの最上階のレストラン街」 「おー、高い塔ね。ばべる、だっけ」 「……不吉なこと言うな」 バベルの塔だったら崩れてしまうじゃないか。 まあ、この高さ程度でバベルなどと騒いでいたら、東京スカイツリーとかとっくに神罰が当たっているだろうが。 エレベーターで最上階へ向かう最中も、輝夜ははしゃいでいた。 「おー、勝手に登るのね」 「……飛んだほうが早いとか言うなよ」 小声で、なんか言いそうなことを先に釘を刺した。 「言わないわよ、そんな無粋なこと」 「ならいいんだけど……ほら、付いたぞ」 降りてすぐのところにあるこの階の案内図をを見て、目的の店へと向かう。 「ええと? これ、なんて読むの?」 「イタリア語だな。今日はイタリアンのランチコースだ」 人気店だが、開店間もない時間に来たのが幸いして、お客さんもまばらだ。 ウェイトレスさんの案内に従い、窓際の席に移動する。 「そ、それでは……ご注文がお決まりになりましたら、」 「ああ、シェフのおまかせランチセット、二人分で。後、グラスワインも一杯ずつ付けて」 「あ、はい。かしこまりました!」 輝夜を前に萎縮していたウェイトレスさんに、手早く注文を済ませる。 まあ、こんなどこの大女優か、アイドルか、って女が来たら仕方ないか。 ……いや、冷静に考えると、容姿だけでここまで圧倒するのはおかしな話である。普通、どんな美人とすれ違っても、ここまで反応はしない。もしかしてこいつ、魅了系の呪いでもかかってんだろうか。ありそうで困る。 「ちょっと、勝手に決めて」 「いや、これがおすすめらしいんだよ。輝夜、メニュー見てもどんな料理かわからないだろ」 なお、こんなオシャレ飯のことなんぞ僕もさっぱりだ。まあ、美味いことは美味いんだろう。 「そりゃそうだけどさ」 「はいはい、じゃあメニュー見るか? 別に追加注文してもいいから」 見本も少ししか載ってない、流暢な書体で書かれたメニューを手渡す。 しばらくそれを見ていた輝夜だが、やがてパタンと閉じて突っ返した。 「なにこれ、暗号?」 「分かる人には分かるんだよ。きっと」 さて、どんなのが来るんだろうか。 そう楽しみにしていると、いくらも待たないうちに料理が運ばれてきた。 「お待たせいたしました。前菜の盛り合わせです」 「お、来た来た」 大皿にいくつかの得体の知れない前菜が乗っている。一つ一つのメニューをウェイトレスさんが説明してくれたが、イマイチわからん。 まあ、いい匂いがするし、間違いはないのだろう。 いざ、とナイフとフォークを構え……輝夜がまごついてることに気がついた。 「……すみません、お箸貰えます?」 そうだよね、ナイフとフォークなんて使う機会なかったもんね。 ぷう、と膨れる輝夜にちょっと笑いが零れそうになるのを我慢しながら、僕はウェイトレスさんにそう頼んだ。 「……なによ、こんなの簡単じゃない」 「ああ、まあ器用なもんだな」 結局、輝夜は僕の使い方を見て、ナイフとフォーク、スプーンの使い方をすぐにマスターした。 まあ、そう難しいものでもないし…… 「ケーキ、僕の分も食べるか?」 「……もらおうかしら」 デザートに目を輝かせている輝夜に、仕方なく僕は自分の分を譲る。 まあ、僕はまた食べにくればいい。 「さて、僕はちょっと手洗いに行ってくる」 「はいはい、行ってらっしゃい」 僕は席を立ち、ウェイターさんにトイレの場所を聞き、向かう。 用を足し、この後の予定を考えながら席に戻ってみると……なにやら、輝夜の側に、一人の男が立っていた。 金髪、碧眼の若い男。背の高いイケメンで、服装を見るに、どうやらここのシェフの一人っぽいが…… 「貴女は本当に美しいデス。まるで天使のようだ! もうボクには貴女しか見えないヨ! 今夜、ヒマですか? どうでしょう、是非、貴女の時間をこのボクにいただけないでしょうカ」 ……仕事中の男が人の妻口説いてんじゃねえ。イタリアンの店のシェフ……ってことはイタリア人か。典型的すぎる! 『おいこら。そこのイタ公』 言葉一つ一つに霊力を込めて圧力をかけるようにして話しかける。 ビクッ、と男が震え上がった。 「あ、良也。おかえり」 「ああ、うん。『……で、そこの男。彼女の付けてる指輪が見えなかったか? 人の妻に粉かけてる暇があったら、仕事をしろ』」 言霊、というものがある。 要は、言葉には力があり、なにかを言うことは色々なものに影響を与えるという概念だ。 熟練者なら、言ったことがそのまま実現するようなトンデモも可能だが、僕だって普通の人間相手に威圧するくらいは出来る。 霊力、って力を知らなくても、無意識に感じ取っているはずだ。 「あ、いえその、スミマセーン!」 男が逃げ帰っていく。 ……ったく。つーか、マジで輝夜、なんか変な魔力でも出してんじゃないだろうな。連れがいることは彼もわかっていたはずなのに、構わず口説かれるとは。 「なぁに? 普通の人いじめるなんてらしくない」 「……別に」 「嫉妬? それとも危機感感じちゃった?」 まるで鬼の首を取ったように、輝夜がスゴイいい笑顔を見せる。 僕はぶすっとなって、運ばれてきていた珈琲を啜るのだった。 少々ケチは付いたが、食事は美味かったし、問題にはせず店を後にした。 そして、その足でツ◯ヤに寄ってとあるDVDを借り、完全個室制のネットカフェに入る。 店内で一番広い個室を確保し、輝夜と一緒に入った。 「ここ、なにするとこ? 出会い茶屋?」 「違う。まあ、色々出来るけど、今日の目的はこれだ」 さっき借りてきたDVDを見せる。 「……あら、その題名」 「うん、まあそういうこと」 これは、竹取物語をモチーフにした映画で、いつか輝夜のやつに見せてやりたいと思っていたものだ。 「動く絵巻物みたいなものでな。まあ、ちょっと待て」 備え付けてあるパソコンにDVDをセットして、再生を開始し、輝夜にヘッドフォンを付けさせた。 「へえ、私のお話が、今はこんな風になってるんだ」 「まぁな。僕、ちょっと飲み物取ってくる」 映画を食い入るようにして見る輝夜を置いて、僕はフリードリンクコーナーへ。 あの映画、僕はもう何回か見たので、輝夜が見てる間に読む用の漫画も確保し、戻ってきた。 「よ。お茶でいいよな」 「ん」 二人掛けのソファに座り、隣の輝夜の顔を覗き見る。 結構夢中になっているようだ。 持ってきてやったお茶に手もつけずに、輝夜は映画に熱中している。……当時のことでも思い出しているのだろうか。 まあ、妹紅と違って輝夜は昔のことにそれほど拘っているようには見えないが、しかし千年以上も生きていると、それなりにしがらみもあるだろう。 ……その辺り、理解してやれないのは、ちょっと情けない。 「…………」 隣に座っている輝夜の肩を抱き寄せる。 そうすると、そのまま輝夜は体重を預けてきた。 なにか話す空気でもないと、僕はぼけーと、輝夜と同じく映画の流れる様子を見る。 ……結局、持ってきた漫画は読まなかった。 まあ、こういうこともあるか。 「いや、よく出来てはいたけど、やっぱり当時の話とは全然違うわね。月からの使者を永琳が皆殺しにしたところは是非映像化して欲しいのに」 「あの人んなことしてたのか」 くわばらくわばら。 「せっかくだし、竹取物語の絵本でも買ってくか? 子供向けのやつだけど」 「うーん、いいわよ、そんなの。それより、次行きましょう、次」 元気だな、こいつ。僕が心配したのは超余計なお世話だったか? 「はいはい。一応、あそこにいる間に調べといた。今、この近くの美術館でエジプト展やってんだってさ」 「えじぷと?」 「……むかーしの王様のお宝とかを展示してんだと」 「お宝! いいわね。見に行きましょう」 元気だな、おい。 その姿からは、さっきの映画を見ていたしおらしい影は見えない。 ……気を使われたような気がするが、それには気付かないふりをするのがマナーかな。 「ちょっと、早くしなさいよ。そのお宝とやら、誰かに先に買われたらどうするの」 「!? ちょっと待て、お前買うつもりか!」 「当たり前でしょ。あ、盗みはしないわよ、一応ね」 こ、こいつ、めぼしい物があったら手元に置くつもりだ! 僕は美術館に行く道すがら、輝夜に展示品は買ったり出来ないこと、個人で所有するのは無理であること、つーか買えるとしてもんな金はねえってことをとつとつと言い聞かせる羽目になったのだった。 美術館では、いくつか気に入ったものがあったらしく、欲しい欲しいとずっとブーブー言っていたが、売店でポストカードとかを買ってやったらころっと機嫌を直してくれたので、その点はラッキーだった。 そして、美術館から外に出た頃には日も大分傾いており、 「……で、結局外に来ても呑むのか」 「いいじゃない。外の飲み屋にも興味があったのよ」 個室席のある居酒屋で、ビール片手に輝夜が笑う。 「帰りはどうする気だよ。今日中って話だったろ」 「ま、そこはね。ちょいと私の能力で」 どう応用するのかよくわからんが、なんとかなるのならまあいいか。 「しかし、今日は楽しかったわ。色々買ってもらって、ありがとうね」 「まあ、そう大した出費じゃない」 毎日これだとキツイが、初めての外デートに使った金額としては別に許容範囲だ。 「やっぱりいいわねえ、地上。穢れのない月とは一味も二味も違うわ」 「ま、あんま娯楽っぽいのはなかったな、月は」 一時期、月の都に滞在していたが、随所にとんでもない技術が使われている割に、そういう面では今ひとつだった覚えがある。 「まあ、幻想郷も大差ない気がするが……」 「そう? 私は好きだけどね。喧嘩相手には困らないし」 「それを娯楽に思えるほど豪胆な性質じゃないんだよ、僕は」 このお姫様、お綺麗な顔をしてるくせに、結構好戦的なんだもんよ。 「それに、貴方と睦み合うにも、こっちはちょっと空気が悪いわ。無粋な視線も多いし」 「…………」 僕は、無言でグビグビとビールを呑む。 「あ、ちょっと。ここは意外に健気な言葉にキュンって来る場面でしょ」 「自分で意外とか言うなよ」 つーか、ちゃんと気付いてはいたんだな、周囲の視線。それでまったく気にしていなかった辺り、僕などとは比べもんにならんメンタルを持っているようだが。 「まあ、僕も……僕よりイケメンで金持ちな奴にお前を取られないか、ちょっとビビってたかな」 「あ、失礼な話ね、それは。昼の男も、貴方が来なくても袖にしていたわよ、ちゃんと」 まあ、結婚までしといてアレだが、やっぱ不安なんだよ。普段側にいないし……ああ、本当に幻想郷に引っ越してしまおうか。 「でも、そういう不安は大切ね。ちゃんと長年かけて、そんな心配しなくても済むようにしてあげるわ」 そうのたまう輝夜は頼もしい。あれ、これって男女逆じゃね? という些細な疑問については、とりあえず気付かなかったことにして棚に上げておくことにした。 「はいはい。じゃあ末永くよろしく」 「私達はちょっと永すぎるけどね」 そう、僕たちは笑い。 もう一度、乾杯をした。 なお、これ以降。 たまに外の世界に来るようになった輝夜のおかげで、いくつか物凄く面倒なことも起こったりしたのだが。 ……このことについては、僕は口を噤みたい。 |
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