さて、少々釈然とはしないものの、僕は輝夜の難題をクリアし、彼女と結婚する権利を得たわけである。 ……少々どころじゃないな、かなり釈然としない。まあ、とりあえず目を瞑ろう。嬉しいのは確かだしな。さらに難を言えば、いきなり結婚も少しハードル高い。なにせ、現代は晩婚化が進んでいる。僕自身も、結婚なんて遙か遠い未来の話だと思っていたのだ。 ただまあ、そういう小さな不満はあれど、ここで文句を言うほど僕は贅沢ものではない。というか、文句を言ったら殺されそうだ、物理的に。 しかし、忘れてはいけない。輝夜と『結婚』(正確にはまだ婚約)するということは、当然だが家族に報告しないといけない。恋人ならまだしも、婚約者ができたことを報告しないのは流石に不義理すぎるだろう。特に、輝夜は昔の人間なせいか、結婚では家と家の関係を重視しているし。 ……気の重いことであるが。 なにせ、輝夜のやつはこっちに戸籍がない。しかも、幻想郷から出れない(ここは現在スキマと交渉中)。つまり、言葉だけで説得しないといけないわけだ。一応、天狗に頼んで輝夜の写真を撮ってもらって持ってきたが、果たしてこれで納得してもらえるだろうか? なんて重い気分を抱えながら、僕は夏休み、実家へと顔を出すのだった。 新幹線と鈍行とバスを乗り継いで約三時間。新幹線降りたら飛んだほうが早かったのに、と微妙にストレスを感じつつ、夕方くらいに僕は地元に辿り着いた。 「ただいまー」 懐かしの実家の玄関をくぐり、声を上げると、とてとてとお母さんが出迎えてきてくれた。 「あ、良くん、おかえり。疲れたでしょう、ご飯にお酒も用意しているから」 「ああ、うん。わかった。……それはいいとして、お母さん。もう僕も社会人なんだから、良くんはちょっと」 「あ、良くんは麦酒でよかったかしら? 日本酒も買ってあるけど」 「いや、お母さん?」 あ、無視された。 ……いいけどね、別に。うちのお母さんの耳が都合のいいことしか聞こえないのは今に始まったことじゃないし。 「っと、お母さん。ご飯貰う前に、大事な話があるんだ」 「? なぁに、彼女でも出来たの?」 お母さんが、まさかそんな訳はないだろう、という口調で言う。……まあ、孫の顔が見たいなあなんて言う割には、でもうちの息子にそう簡単に恋人なんて作れるわけないしなあ、と実に僕のことをよく知っている母なので、それもむべなるかな。 ……恋人から一足飛びに結婚とか、どんだけ驚かれるだろう。 「……そんなとこ。とりあえず、玲於奈と爺ちゃんも帰ってきてるんでしょ? そっちで話すから」 「え? ええー! まあまあ、良くんったら、いつの間に」 「いろいろあったんだよ、いろいろ。それも話すから」 しかし、お父さんとお母さんには僕が変な力を身につけたこと話してないんだよなあ。 爺ちゃんは昔幻想郷にいたという経歴を持ってるから話したし、玲於奈は……なんだ、まあ成り行きから話すことになったからいいとして。お父さんとお母さんを納得させるのは非常に面倒そうだ。 なんて、どう話したものかと今更シミュレーションしているうちに、居間に着いた。着くなり、お母さんは『良くんに彼女が出来たんだって―!』と、実に嬉しそうに話し、玲於奈以下、うちの家族が全員驚く。 今気付いたが、晒しもんだ、これ。 「おお、良也、おかえり! それに、めでたいな、お前に彼女が出来るなんて」 「ようやくか。これで死ぬ前に曾孫の顔も見れるかもしれんな。どうだ、美人か?」 お父さんと爺ちゃんの男連中ははしゃぎ出す。ちなみに、爺ちゃん、美人度で言えば歴史上トップテンには確実に入ると思います。 ちなみに、玲於奈はまだびっくりしているようで、口をパクパクさせている。 「ええと、それで、お父さんとお母さんには先に話しておかないといけないんだけど」 「ん? どうした、改まって」 「良くんのお嫁さん、連れてきていないの?」 いや、母よ。真面目に聞いて欲しい。 んで、僕は能力のことや魔法のことやらなんかを二人に話した。あと、幻想郷のことも。こっちは、一応スキマに話は通してある。輝夜はあんな奴の許可なんて必要ないって言ってたが。 最初のうちは『とうとううちの息子が二次元に逃避しだした』なんて勘違いしていた二人も、爺ちゃんと玲於奈のフォロー、なにより僕が飛んでみせたり霊弾撃ってみたりしたことで、ようやく信じてくれた。 しかし、この程度で信じてくれる辺り、二人も十分適応力高いと思う。 「なんともまあ。俺もそれなりに人生経験を積んできたと思うが、まだ世の中には知らないことがたくさんあるもんだな」 「お爺ちゃんの妖怪の出てくる武勇伝って、与太話じゃなかったのねえ」 「まあ、そんなところ。つっても、こっちでそんなに役に立つわけじゃないけど」 ちょっと冷暖房代を浮かせることが出来る程度だ。オカルト関係でたまに仕事が回ってきて、臨時収入が入ることもあるが、僕の本業は教師なのでそもそもそっちの仕事はほとんど受けない。 「で、今そんなことを話すってことは彼女ってのはそっちの関係者か」 「そう」 話が早くて助かった。お父さんの言葉に僕は頷き、そこで玲於奈からツッコミが入る。 「お兄ちゃん、まさか」 「いや、玲於奈の知り会いじゃないぞ? うん」 詳しい経緯は省くが、玲於奈が僕のことを知っているのも、こいつの友人関係に外の世界のそっち関係が混じっているせいで。 自分の知っている顔なのか、と危惧しているらしい。そりゃあ、玲於奈の友人も美人やら可愛いのが多いが、うちの輝夜には敵うまい。異論は認める。欲目が入っているのは間違いないし。 「で、その彼女なんだけど、ちょっとした事情――さっき言った結界のせいで、こっちに来れないんで」 「幻想郷、と今は呼んでおるのだったか。懐かしいのう」 射命丸に稽古をつけてもらったことのあるという経歴を持つ爺ちゃんは遠い目をする。多分、今だから昔懐かしい記憶として思い出せるが、当時はきっととんでもなく苦労していただろう。見ていたわけじゃないが、あの射命丸とスキマに関わっていた以上、間違いない。 「とりあえず、写真だけ撮ってきた。こんな報告で悪いけど……」 「ふぅん、とりあえず、見せてもらおうかな」 「そうね」 懐から一枚取り出すと、家族全員が我先にと覗き込む。 差し出した僕自身も見る。……うん、やはりいつも通りの美人っぷりだ。 『………………』 「……ん?」 家族が、変に沈黙している。 なんだ――? 「良也」 ぽん、となにか肩に手を置かれた。お、お父様? なぜにそんな優しげな目でみているんでしょう? 「可哀想に、あまりにモテないのだから、脳内に彼女を作ったか。お前が漫画やゲームが好きなのは知っていたが、まさかここまでとは思わなかったぞ」 「ええーー!?」 まるで信じてない!? さっきまで信じていたくせに! 「お兄ちゃん……このとんでもない美人、どこの女優さん? 日本人っぽい顔立ちだけど、海外の人? ちょっとチェックしてみたいから教えてよ」 「玲於奈まで!?」 「良くん……嘘をつくにしても、もうちょっと身の程を知りましょうね」 「あんたが一番辛辣だな!?」 ひでえ! うん、仕方ないとは思うよ? 僕も、例えば友人の誰かが輝夜と一緒になった、と聞いても妄想乙と言っているに違いない。それほど釣り合いが取れていない。月とスッポンとはまさにこのことである。 が、それはそれとして本当なのに! なぜ魔法とかをあっさり信じたくせに、こっちは信じようとしない!? こっちの方が突飛だとでも言うのか! 「ちゃ、ちゃんと僕と一緒に写ってる写真もあるんだけど!」 「合成だろ」 「最近のパソコンはすごいわねえ」 あ、この両親ってば中途半端に余計なIT知識を身に付けてる! 僕が大学行く前はプリンターもろくに使えないレベルだったくせに! 「じ、爺ちゃん! 爺ちゃんなら信じてくれるよね!?」 「む」 唯一沈黙を保っていた爺ちゃんが呻く。孫を信じてやりたい、でもこんな美人とうちの孫が? なんて葛藤しているのが目に見えた。 と、僕の真っ直ぐな視線から、爺ちゃんは微妙に視線を逸らした。 「……すまん」 「おおおーーい!? まさかの味方不在!?」 同じ教師であることだし、どこかの先生ばりに『絶望した!』と叫びたいところである。多分、ネタが分かる人はかろうじて玲於奈くらいだろうから言わないけど。 ええい、本当、どうしたものか…… と、悩んでいると、混迷の食卓に、ぴっ、と亀裂が入る。その亀裂は徐々に広がっていき、その向こうに見えるのは無数の目だったりして、 「あら、可哀想に。灯也、貴方自分の孫の言うことくらい信じてあげなさいな」 「す、スキマぁ!?」 「八雲紫ぃぃぃぃ!」 僕と爺ちゃんが同時に叫ぶ。主に恐怖で。特に爺ちゃんの形相ときたら、今にも天国の婆ちゃんのところに召されそうな勢いだった。いや、我が事ながら実に似た祖父と孫だと思います。 「あ〜〜、っと。貴方は確か、いつかのお盆の時にいらした。貴方も、良也の言う『お知り合い』ですか?」 「ええ、そんなところよ」 いきなりテーブルの亀裂から上半身だけで登場したスキマに少しびっくりしながらも、お父さんはそんな風に冷静に対応する。お母さんと玲於奈も、吃驚した以上の反応はない。 ……いや、おかしいだろ。どうしてうちの家族、こんなに適応力高いんだよ。進学した学校で『いろいろ』あった玲於奈はまだしも、ついさっき話したばかりだぞ、お父さんとお母さんには。 「……ところでお父さん、貴方はなんでそんなに怯えているんですか。『武神』とまで呼ばれた人が情けない」 「ゆ、ゆゆゆ、裕也! その女に気を許すな!」 「そ、そうそう! そこのスキマはスキマだから!」 「おいおい、良也まで。こんな美人のお嬢さんにそんなことを言ってはいけないだろう」 び、美人の『お嬢さん』。お父さん、多分、そいつ貴方より何倍だか何十倍だか年食ってます。 「それで、ええと、八雲さん? 本当とは、まさか良也の彼女だというのは本当に?」 「ええ、その蓬莱山輝夜は確かに良也と婚約したわ。それは私が保証します」 「婚約ぅ!?」 玲於奈が素っ頓狂な叫びを上げた。 「あら、それは言っていなかったの? いけないわねえ、男はもうちょっと堂々としないと。そう、昔私に情熱的な告白をしてきた灯也のように」 「ぬおおおおおおおおおおおお!!?」 今度は爺ちゃんが頭を抱えてぶんぶん首を振り出した。って、死ぬ! そんな首振ったら下手したら死ぬからそれ! その後はもう、てんやわんや。最終的には信じてもらえたから、『それじゃね』ととっとと帰ってしまったスキマには感謝すべきなんだろうが……してはいけない気がする。 主に、家庭での威厳を地に落とした爺ちゃんのために。 「あっはっは! なにそれ、随分と愉快な家族ね」 「笑い事じゃないぞ……いや、本当に」 幻想郷は永遠亭。 実家から帰ってきてから真っ先にやって来た僕は、向こうでの出来事を輝夜に話して聞かせ、そして大笑いされているのだった。 「いいじゃない、良いご家族のようで。それに、認めてもらえたんでしょう?」 「むしろ、『絶対逃がすな』って釘を刺されたよ」 「あら、私は一応既に逃亡の身なのだけれどね」 「当の追っ手はちょくちょくここに来てるけどな……」 綿月の姉妹は、定期的に月の目を誤魔化して永琳さんに会いに来ていた。輝夜とも昔の付き合いはあるようで、この前来たとき婚約の件を話すと、すごく驚いていたっけ。 「しかし、なんであの隙間妖怪だけ。私も良也のご両親に挨拶をしたかったのにね」 「……ま、それはなんとか頑張ろう。いざとなったら、僕が頑張って外に連れ出せるようにするって」 今でも僕一人なら幻想郷と外の世界を行き来できるのだ。一人くらい増やすのも、将来的には不可能じゃない……といいなあ。 「そう、期待しているわ。さて……それじゃ、今日は何をしましょうか」 「そうだな……」 永遠亭に来ると、気を利かせているのか、永琳さんも鈴仙も、てゐですら僕と輝夜が一緒にいるところには来ない。そんなわけで、ありがたく僕は輝夜と一緒の時間を過ごしているのだ。 で、一緒にいるだけで僕的には満たされているわけだが、輝夜を暇にさせるのもなんなので、色々と遊びをしている。えーゴニョゴニョは、その後で…… いや、ガツガツしてると思われるのも嫌だし。かと言って、もう輝夜に興味ないとか誤解されるのも……なので、これでも気を使っているのだ。 「良也も歌くらい詠めればねえ。教養のないやつはこれだから」 「……失敬な。現代では和歌は一般教養じゃないんだよ」 元は平安時代のお姫様。僕に恋の歌を期待していたようだが、速攻で無理ですごめんなさいと謝った。へんてこなものを贈って愛想を尽かされるのがオチだったし。 「そうね……今日は囲碁でもする?」 「絶対僕が負けるじゃないか……。まあ、いいけどさ」 そんなわけで、輝夜との遊びはたいていこういうのになる。 他には将棋とか百人一首とか。ただ、囲碁はこれまで打ったことがなかったので、輝夜に教わりつつだ。ちなみに、九子置いてもボッコボコにされる。 「相変わらず弱いわねえ」 今日も今日とて、始めてから五分も経たないうちに置き石分の差はあっさりと覆された。……僕が考えなしに打ち過ぎな気もする。 「お前、初心者ボコって楽しいか?」 「楽しくないとでも?」 コロコロとからかうように笑いながら、輝夜がこっちを見てくる。 ええい、すっごく楽しそうだな、おい。 「こういう遊戯に付き合ってくれるの、ここじゃ永琳くらいだからね」 あー、そりゃそうか。ここんちでは曲りなりにもお姫様だ。鈴仙なんて、する必要はないのにちゃんと敬意払ってるし。てゐは微妙だが。 ……んで、永琳さんといえば脳味噌の出来が人類の限界どころか妖怪の限界も余裕でブッチしていると専らの噂のお人である。 「……ちなみに、勝ったことあるのか?」 「双六くらい? ちょっとでも頭を使う遊びになると、手も足も出ないわよ」 「そりゃそうか……」 「だから、必ず勝てる勝負って楽しいわね」 性格悪くね? 投了した僕をひとしきり笑って、輝夜がもう一回もう一回と石を片付ける。 「まぁ待て。……囲碁は、僕が全く勝てないから、ちょっと勘弁してくれ」 「そう? まあいいわよ。じゃあ、なにか他に面白い遊びでも提案してくれるのかしら」 「そうだな……」 僕は格ゲーなんかは割と得意なのだが、幻想郷じゃ勿論出来ないしな。今度、PSPでも持ってきてやるか? ……うーん、娯楽の少ないここだと、モロに嵌ってしまいそうで怖い。輝夜、新しもの好きだしなあ。もうちょっと様子見てからで。 と、なると…… 「よし、せっかく碁盤出してるんだし、五目並べなんてどうだ?」 「五目並べ? へえ、また子供みたいな遊びを」 「別にいいだろ」 「勿論。私も昔はよくやっていたわ」 ……こいつの『昔』はスケールが違うけどな。 しかし……ふっふっふ、愚かな奴め。 「よし、じゃあ、先番は譲ってやろう」 「……なによ、偉そうに。はい」 なにか不穏なものを感じたのか、輝夜は若干引きながらも一手目を打った。 今日は、五目並べで一日が過ぎた。 我が事ながら、安上がりな休日である。まあ、輝夜と一緒にいるだけで僕としては文句などないのだが、今度デートでもしようか。 幻想郷じゃ、デートスポットなんてあんまりないけどな! まあ、もっと大きな問題として、誘うのが小っ恥ずかしいというのもあるが。 ……えー、とりあえずそれは今後の課題として。今は酒だ酒。 夜も更けて、僕と輝夜は、今日はちょうど満月とのことで、縁側で月見酒をすることにしたのだ。 台所から調達してきた酒とお猪口を二つ、それからつまみとして乾き物を持ってきた僕を見て、輝夜は隣を勧めてくれる。 「んじゃ、失礼」 「別に失礼なんかじゃないから、もうちょっとこっち来なさい」 やや離れて座ると、なんか文句言われた。 ……こう、距離が近いと動悸が早くなっちゃうんだけどなあ。 今更か。いい加減慣れないとな。 「よっと」 やや離れ気味だった距離を、拳一個分まで詰める。ふわり、と脳髄を直撃するような甘い香りが漂ってきて、僕は顔を顰めた。そうでもしないとだらしない顔になりそうだ。 「んじゃ、輝夜。まずは一献」 「その前に、私に酌をするわ。殿方に先に注がせるほど無作法じゃないわよ」 と、輝夜に取り上げられた。 いや、そんなの気にしなくてもいいんだけどな。今は男女平等、というか幻想郷はいっそ清々しいまでに女尊男卑の社会だし。 でも、態々逆らうこともないので、大人しく輝夜の酒を受け取る。 その後、徳利を受け取って、輝夜のお猪口にも注いだ。 「んじゃ、乾杯」 「はい、乾杯」 少しだけ黄みがかった液体を半分ほど飲み干す。口の中で広がる吟醸香が、なんとも言えず芳しい。いい酒だ。 ふう、と隣で息をつく気配がする。そっと輝夜の様子を伺うと、唇についた雫を舐めとっていた。エロい。 慌てて視線を逸らして、盃に目を落とす。空の月が写っていて、なんとも風流だった。……よしよし、邪なる煩悩よ、去れ。 「ところで良也。さっきのなによ。インチキでもしてたんじゃないの?」 「ん……? なにをいきなり人聞きの悪い。どの話だ」 「五目並べ。三十回もやって、一回も勝てないってどういうことよ……」 と、輝夜が悔しそうに文句を言う。 つってもねえ。何を隠そう、囲碁はルールすら知らなかったが、五目並べは大得意なのだ。一時期学校で流行ってたりして、当時の僕は無敗のチャンピオンだった。 もう腕も鈍っているかな、と思っていたが、まだまだ現役だった。普通の腕前だった輝夜に大人気なく連戦連勝。一回くらいわざと負けてあげようかな、とも思ったが、手抜きなんぞしたら烈火の如く怒るに決まってるので最後まで本気でやった。 「ま、これまでやった囲碁とか将棋じゃあ負け続きだったしな。おあいこってことで」 「ふん……今度は勝つから」 「楽しみにしてるよ」 こういう話になると輝夜は妙に子供っぽい。笑いながら、適当にあしらった。 『ほら』と、空になった器に、酌をしてくれる。 「ん……。それはそうと、今日の月はよく見えるな」 「ええ。地上からみると綺麗ね。あくまで地上から見ると、だけど」 その言葉に、どんな心情が込められているのか、僕には推し量れない。今までならば踏み込むことはなかったけれど、僕は敢えてその言葉の意味を聞こうとし、 「ああ、言っとくけど、特に深い意味はないわよ? 月の都は華やかだけど、ちょっと薄皮一枚めくると、クレーターばっかの荒野だったから」 「さ、左様か」 心読むんじゃないよ。 「前にも言わなかったっけ。私はもう地上の民よ。月について、思うところなんてないわ」 「うーん……どこまで本気か、僕には今ひとつわからない」 「あらあら、婚約者の言葉も信じられないの?」 いや、少なくとも本音ではあるのだと思う。でも、人の本音が一つとは限らないわけで。もしかして、月の都が懐かしかったりするのかなー、と小心者の僕は思うわけだ。 特に、ちょっと前から綿月姉妹が永遠亭に来るようになって、輝夜も満更ではなさそうだし。あの人達は、永琳さんに割と事あるごとに月に帰ってきてください的なことを言っているし。 ……いかんね、こういう真面目なこと考えるのは僕のキャラじゃないというのに。 「あーあ、らしくないわね。なに難しい顔してるのよ。……ちょっと膝貸しなさい」 「あ、おい」 止めるのも聞かず、輝夜は僕の膝に頭を預ける。 ……いや、いいけどな。 「ほら、髪の毛を梳く。気が利かないのね」 「……えろうすんまへんな」 なんか催促された。 櫛なんかないので、仕方なく手櫛で梳く。……全く抵抗なく指の間を通る髪の毛が、なんかこう、くすぐったいというか、なんというか。 「……私も、永琳も、鈴仙も、とっくに地上の穢れに侵されているんだから。穢れ無き月のことは懐かしくは思っても、もう帰りたいとは思わない。 その位、信じて欲しいわね」 「へーい」 「もし万が一、なにかの間違いで帰ることになっても……その時は、首輪をつけてでも引っ張っていくから、そのつもりで」 「SMかよ」 「興味あるの?」 「ねえよ」 ……実はSの方にはちょっぴり。とは言えない男の悲しさ。 まあ、とにかく、安心した……ってことにしておこう。口には出さないけどな。 しばらく、そうやって穏やかな時間が流れる。こうやって輝夜の髪の毛を梳るのは、なんというのか、気紛れな猫が撫でさせてくれたみたいな感じがして、なんとも和んだ。 「そういえば、次はいつ来れるの?」 「うーん、また一週間後だな。来週は普通に仕事だから」 と、輝夜の質問に、僕は頭の中でスケジュールを思い浮かべ答えた。 僕は外で働いている。こればっかりはどうしようもない。気分は単身赴任? でも、まだ結婚してないんだから別居は当たり前か。ちょっと興味あって調べたんだが、平安時代は夫婦が別居するのも割と当たり前の話だったみたいだし。 「仕事ねえ。いいわね、することがあって」 「そりゃ、そうしないと食べてけないからな」 もう食わなくても死なない身体とは言え、人の三大欲求を簡単に捨てるほど僕は人間を辞めていない。 それに、趣味の品々を買い揃えるにも金は必要だしね。 「ご苦労様」 「……生まれながらのお姫様にはわからんか。つーか、お前って妹紅と殺し合いくらいしかやっていないんじゃないのか?」 「そうね。盆栽は、貴方に上げちゃったし」 そういや、あの優曇華の世話が輝夜の数少ない労働なのだったか。……穢れを吸って咲くのを待つだけの簡単な仕事が労働と呼べるのであればだが。 「もうちょっとなんかしろよ。働かざるもの食うべからずと言ってだな」 「仕事、ねえ」 なーんか違うのよね、と輝夜はのたまうた。 「永琳曰くね。私は私のやりたい事を探す、ってことをやるべきなのよ」 「…………」 まるっきりニートの言い訳だ。 「じゃあ、お前はなにをやりたいんだ?」 だけど僕は突っ込まないで先を促した。どうだ、この溢れる優しさ。 「そうねー、良也、なにかやって欲しいこととかある?」 「……何故僕に」 「将来の夫に聞いてなにが悪いのかしら」 「おっ――!?」 なんでこう、こいつはストレートなのだろう。 しかし、輝夜にやって欲しいことねえ……。正直、僕としては好きに生きてくれればそれでいいのだが。どうせ、僕がなにか言っても気に入らなきゃ聞かないだろうし。 でも、言うだけ言ってみるか。 「ええーと、だな。ちょっと考えさせてくれ」 「うん」 すると……ええと、そう、僕の……その、えっと……つ、妻(予定)……と、いうからには、うちのお母さんを参考にしたらどうだ。 うん、悪くないだろう。 ええとうちのお母さんといえば……うん、まずは実家の家事関係を一手に担ってるな。 「……なによ、その目」 「いやあ」 出来そうにねえなあっ! ええと、それなら……そうそう、僕が妹の面倒見れるようになった辺りから、お母さんはパートで働き出したな。 働く……輝夜が? ……いや、普通の仕事はまず無理だ。ってことは、趣味の宝集めを活かして美術商とか……。いや、駄目だ。買い取るだけ買い取って一つも売らないという香霖堂の二の舞になるのが目に見えている。 ……いきなり詰まった。 うちのお母さんは剣を少し使うので、たまに出稽古にも出ていたが、それもどう考えても輝夜向きじゃないし。 なら…… うんうん唸ってふと思い出したのは子供の頃。お母さんの背中におぶわれていた頃の記憶だったりして、 「……子育て……とか」 ふと、口についたのはそんな言葉だった。 正直に白状しよう。言ってから、しまったと思った。 膝に頭を預けていた輝夜は身体を起こして、ニマァ、と実に嫌な笑顔を浮かべる。 「へえ〜〜〜」 「いや待て。今の言葉の綾というか」 「なるほどなるほど。そうね、将来的には確かにそれは私の仕事だわ」 でもね、と輝夜は続ける。 「当然、子供がいないと駄目よねえ」 「……ハイソウデスネ」 あ、なんかこいつスイッチ入った。目が、魅了の魔眼かってくらい色っぽい。思わず片言になっちゃいますよ。 「じゃあ、作らないとね」 「待て待て待て、生々しすぎっ! もうちょっと恥じらいをプリーズっ」 「それは床の上でね」 とびっきり魅力的な笑顔に打ちのめされる。 ガクリ、と僕は降参の意を示した。 もーちょっとなあ、ロマンティックさを求めるのは間違っているのだろうか? いや、ぶち壊したのは多分僕だけどさ。 とかなんとか思いながらも、僕ははいはいと立ち上がるのだった。 次の日。朝食の際に永琳さんがそっと精力剤を置いてくれたり、鈴仙が顔を真赤にして僕や輝夜と視線を合わせなかったり、てゐが実にいい笑顔でからかってきたりした。泊まった次の日はいっつもこうだ。 ……まあ幸せの中の些細な文句として、口には出さないようにしよう。 |
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