冥界は白玉楼。
 僕が幻想郷に来ることとなったきっかけの場所。生霊時代、一ヶ月ほど世話になったが、生き返ってから足は遠くなった。

 しかし、それでもたまには足を運ぶ。というか、最近良く幽々子に茶に誘われるから、よく来る。なんだかんだで、僕が慣れている場所としては博麗神社に次ぐ場所だった。

「ん……んまい」

 そして、今日も今日とて、土産片手にやって来て、縁側でお茶を飲んでいるのだった。
 一口啜って、ほうと感想を漏らすと、隣に座っている幽々子が軽く笑う。

「そりゃそうよ。博麗神社と違って、うちは出涸らしなんて使わないからね」
「使えよ、勿体無い」
「あの、良也さん。ちゃんと使ったお茶っ葉はお掃除に使っていますから」

 後ろで控えている妖夢が、おずおずと言ってくる。
 ……ふむ、なるほど。この馬鹿広い屋敷を掃除するのに使うなら、相応の茶葉が必要か。うむ、そう考えると合理的かも……いや、でもやっぱり勿体無い。

「あら、この花林糖美味しいわね。外のものの中でも、これは上質なものでしょう?」
「一気に全部食うなよ。それ有名なお店の奴なんだから」

 いつも買って来る百円のものと同じ勢いで食べられても困る。
 『わかっているわよ』と答える幽々子を、僕は疑わしい目で牽制しつつ、菓子鉢に盛られた花林糖を一本取って口に運ぶ。上品な甘さが口の上で溶け、そこに妖夢が手ずから淹れてくれた茶を飲むと、もうこれは至福と言う他ない。

「でも、なんで今日に限ってこんなにいいものを? もしかして、これからは毎回期待してもいいのかしら」
「無茶言うな。僕の財布のことも考えろ」
「まあ。女への贈り物にケチケチするなんて、甲斐性のないこと」

 女への贈り物て……そーゆーのは、恋人とかにはともかくとして、友人相手にするこっちゃねえだろう。

「いや、単にさ。ほら、あれだよあれ」
「ああ、そういえば。貴方が生霊になってここに来たのは、何年か前の今日だったわね」
「……いや、自分で言っておきながらなんだが、よく気付いたなオイ」

 まあ、記念日というわけでもなかろうが、ふとそのことを思い出したので奮発したのだ。実際、思い出したのは偶然だ。去年とかはなんもしなかったし。

「ああ。そういえば、この時期でしたっけ。幽々子様、よく覚えていらっしゃいますね」
「まあ、ね」

 ぽん、と妖夢が手を叩き、感嘆する。『流石は幽々子様です』とか言ってるが、でもこの位でこのぐーたらな主を見直さなくても。

「びっくりしたからねえ。ちょっと私が春を集めて霊夢たちが冥界に殴りこんできたと思ったら、今度現れたのは生霊よ? いつから冥界は生者の国になったのかと思ったわ」
「前者はお前の自業自得だろうが」
「まあ。じゃあ良也はあの桜が咲いているのを見たくないとでも?」

 と、幽々子が扇子で指すのは西行妖という妖怪桜。しかし、馬鹿でかさはともかくとして、なにが妖怪なんだろう、あの桜。別に動いたりしないし、そんな危険なブツじゃないと思うんだけどねえ。
 でもまあ、幽々子がこう言うからには、咲いたらきっと変なことが起こるに違いない。そして多分そーゆー時に割を食うのは僕だ。……うーむ。

「うん、見たくない。見なくていい、とかじゃなくて、積極的に見たくない。だから幽々子も咲かせようとすんな」
「……そう」

 む? なんか今の『そう』は、不思議な響きだったぞ?
 ちらりと幽々子の横顔を見ると、なんだか笑ってるような泣いてるような変な顔だ。……なんだなんだ、こんな日常会話でなんでこんな顔を?

「それじゃあ、咲かないままでもいいかもねえ。咲かない桜、というのも、考えようによっては風情があるわ」
「そうそう、フゼーがあるフゼーが。だからやめとけ、な」

 そして、次に振り向いた幽々子の顔はいつも通り。……はて、気のせいだったか?

「ゆ、幽々子様……私にあんなに集めさせておいて、そんなあっさり」

 そして、その咲かない桜を咲かせようと東奔西走したらしき妖夢は、なんかショックを受けているっぽかった。

「でも、幻想郷中の春を集めても、結局満開にはならなかったじゃない。あれ以上となると面倒臭いわ。良也も見たくないって言っているし」
「そりゃ、私も二度も三度もやりたくないですけどね……」
「あらあら、リクエストなら仕方が無いわね。今度は夏を集めましょう、夏を。そうしたら、庭にプールを作って南の島のバカンス風味よ。ああ、もちろん庭のプールを作るのは庭師の役目よね?」
「やめてくださいっ。また松とかを育て直すのに何年かかると思っているんですか!」

 おー、振り回されとる振り回されとる。
 妖夢もいい加減、幽々子の軽口を軽く流せるようになりゃいいのに、いつも生真面目に受け取るからからかわれるんだ。

 って、あ。茶がなくなった。

「妖夢妖夢。お茶のおかわりが欲しい」
「私も欲しいわ。妖夢、お願いね」
「幽々子様、夏の件は!?」
「あらあら、妖夢。貴方はまた霊夢と喧嘩でもしたいのかしら? してもいいけど、私を巻き込まないでね」

 しませんっ、と怒ったように言って、妖夢は僕と幽々子の湯のみを取ってお盆に乗せ、台所に向かう。
 その後姿を見送る幽々子は、実に愉快そうに笑っていた。

 やれやれ。

「からかうのはいいけど、あんまり怒らせんなって」
「貴方が庇ってあげればいいじゃない」
「ムキになる妖夢は可愛いから止めない。でもやめとけ」

 矛盾してる? してねーーーよ。自分がやると仕返しされるからやらないが、幽々子がやるのを見るのは楽しい。ただ、あんまりやりすぎるのも可哀想だなあ、という葛藤である。

「あら」
「んがっ……なにをする」

 頬を抓られた。痛くはないが、何の真似だ。

「女性と二人きりの時に、他の女を可愛いとか言うのは良くないわ」
「何の話だ!?」

 ついさっきまで三人だったじゃねぇか!

「従者は普通こういう時はカウントしないから」
「心を読むな」
「読んでないわ。貴方がわかりやすいだけ」

 何度も何度も何度も言われている気がするが、そこまでわかりやすくないだろ。どう考えてもお前らが心を読んでるor洞察力が変態じみてるだけだと思うぞ。

「大体、こういう時って、どういう時だよ……」
「逢瀬?」
「ふざけろ」
「なら、それらしいことでもしてみましょうか」

 は? と声を上げると、なんか耳を引っ張られた。抵抗する間もなくそのまま倒れさせられ、

 ぽすん、と頭がなんか柔らかいものに受け止められた。

「んな!? ななななな!」
「あ、こら。動いちゃ駄目よ」

 こ、これは俗にいう膝枕の体勢なのでは? っていうか、頭が抑えられて身動きとれねーーー!!

「ちょ、離せ!?」
「嫌」

 軽く指先で押されているだけだというのに、なんか上半身が起こせない!? なんだ、幽々子のやつ体術まで修めてんのか!? 指一本で完全に動きが封じられてんですけど!

 じたばたしても、逃げられやしない。いっそ飛んで……とちらりとそんな考えが頭を掠めた瞬間、幽々子が袖からスペルカードを取り出した。
 ……ぐぅ。

「あら、やっと大人しくなったわね」
「うっさい。何の真似だこれは」

 もはや抵抗は無意味。そう悟って暴れるのをやめると、幽々子の抑える手が離された。今のうち――! なんて思った途端、指で抑えられるんだから、どうしようもねえ。

「何の真似と言われても。さっき言ったとおり、逢瀬らしくしているだけだけど?」
「いつから僕とお前は逢瀬を重ねる仲になったんだ……」
「あら、つれないわね」

 くすくすと笑う幽々子。……なんだろう、なんの前振りだろう。

「まあ、本音を言うとね。昔、妖夢がやってたのを見て面白そうだと思ったから」
「昔?」
「ほら、貴方がここに住んでいた頃……」
「……あったなー」

 言われて思い出した。
 確か、妖夢に弾幕ごっこの練習に付き合ってもらって、そんで撃墜された僕を妖夢が膝枕で介抱してくれたんだった。

 ……あん時のと比べると、今度のは随分柔らかい。勿論、太ってるってわけじゃない。んなこと冗談でも口にしたらその瞬間きっと殺される。
 妖夢と違って成人女性であることと、後はまあ筋肉の付き具体の違いだろうか。

「思った以上に楽しいわねこれ」
「……なにが?」
「ほらほら」

 なんか頭を撫でられる。つーか、子供扱いすんじゃねえ。

「やめろって」
「それはもっとして欲しいという意味ね?」
「フリじゃないから!」

 するなよ、と言われたことは絶対にやってしまう芸人かお前はっ。
 しかし、僕が抗議しようがしまいが、幽々子はしたいようにする。なんか優しい手つきで撫でられて、いい加減抵抗するのも面倒になってきた。

 されるがままにされているうちに、なんとなく落ち着いてくる。

「……っていうか、ねむ」

 そーいや昨日は夜更かししたんだっけか。

「あら、構わないわ。眠りなさいな」
「……阿…呆か。妖夢が、お茶……持ってくるだろ」
「妖夢なら、さっきからそこで出待ちを」

 はあ?
 と、目線だけを向けてみると、確かに妖夢らしき足が見えた。

 ……ああ、自分の主人と客がこんな体勢なら出にくいだろうな、そりゃ……そうだ。

 本来なら、恥ずかしくて無理矢理にでも起きるシチュエーションだが、なんか本格的に眠気が襲ってきたことと、妙に収まりが良いのとで、僕はそのまま眠ってしまうのだった。
































 ……多分、これは夢だ。ふわふわした感覚ながら、朧気にそう自覚する
 なんか、デカイ桜が伸びている。そう、本当に大きな桜。確かあれは……西行妖。寝る前に話していたような気がなんとなくする。

 最初は枯れ木のようだった西行妖は、次々に花を付けていく。まるで早送りしているように花弁は開いていき……見る間に、満開になった。

 綺麗だな、と思う暇もなく、満開になったその桜の下に誰かが立っているのが見えた。

『……幽々子?』

 その後姿は、衣装は昔風なものの、西行寺幽々子に違いない。彼女はちらりとだけこちらに視線を向けると、そのまま背中を向けてどこかに歩いていく。
 別にだからどうだというわけでもないのだが……なんとなく、そのまま行かせるのは不吉なイメージがあった。

『ちょ、っと』

 しかし、夢だからか上手く声が出ない。制止の声も出ない。しかしそのまま見送ること出来なくて、僕は全身に力を込めた。気合だ、気合があれば夢でも大声を出せる。
 夢になにをムキになっているのだ、と夢であることを自覚している僕は思うが、その一方でどうにも放っておけないのも事実。

 気合。そう、腹の底に力を込め、声を――

「ちょっと待ったらんかい!」

 ぶも!? な、なんか顔に柔らかいのがふにょっと!?

「あらあら、いきなり起きたと思ったらなに?」
「む……幽々子か?」
「はいはい、ちょっと元の所に戻りなさい」

 額を押されて、なんか枕っぽいのが後頭部に当たる。
 っていうか……

「……あー、そういや、そうだっけ」

 夢を自覚していたせいか、すぐに寝る前のことも思い出す。そうそう、幽々子に膝枕されて、妙に寝心地が良かったもんだから寝入って……はて、そうするともしかして、

「なに?」

 幽々子が僕を見下ろす。……んが、その顔は良く見えない。なぜならば、幽々子の顔と僕の顔の間には、ふくよかな胸が突き出していたりなんかしちゃったりしているからして!
 寝る前は顔を横向けにしていたから気づかなかったけど、この位置とても恥ずかしくねえ? っていうか、もしかしてさっき顔に当たったのって!?

「でも、女性の胸に顔をうずめるのはあまり褒められた趣味じゃないわよ?」
「んが――!」

 キャー、痴漢じゃん。で、でもでも、決してわざとではありませんよ?

「……悪い」
「別に減るものでもないからいいけど。なんならもう一度やって見る?」
「遠慮しとく」

 そりゃ男としてやりたくないわけではないが、わざわざ地雷原に突っ込む趣味は僕にはない。

「そう。やっぱり小さいほうが好きなのね」
「やっぱりってなんだ!? やっぱりって!」
「え? だって、貴方小さい子には妙に優しいじゃない。私や紫にはぞんざいなくせに」
「……それは子供に対する当たり前の態度だっつーの。大体、お前らは普通に普段の言動が悪い。なにをいきなり人聞きの悪いことを言うかと思えば……僕は普通に成熟した女性が好きです」

 ロリの気はない……決して無い、と思うんですよ? 胸もまあ、ないよりはある方が。

「あら、ありがとう」
「………………」

 なにを勘違いしたかお礼を言ってくる幽々子に、僕は沈黙で答える。確かに幽々子は見た目は割と大人っぽいのだが、どーにもこうにも精神面が……子供っぽいかと思いきや、むしろ老成している感があったりして。

「っていうか、いい加減起きるぞ」

 身体を起こすと、今度は邪魔されなかった。変な体勢で寝て身体がおかしくなっているかと思いきや、今までにないほどすっきり快調な感じ。
 ……むむむ、幽々子め、あなどれん。

「って、今何時だ?」

 感覚からして、随分長い時間寝入っていたような、と思って腕時計を見る。冥界は、太陽とか登らないんで、時間がわかりづらいんだよなあ。

「……はい?」

 はて、気のせいか。午後十時を指しているように見える。確か、茶を飲んでたのが三時過ぎくらいだったような?

「幽々子……」
「なに?」
「どうして起こしてくれなかったんだよ! 今日の博麗神社の晩飯、僕が作る予定だったのに!」

 がーーー! また霊夢に嫌味言われる!

「ああ、それなら妖夢を使いにやったから大丈夫よ。良也は今日はこっちに泊まらせるって」
「……手回しいいな」
「ついでに、妖夢に霊夢のご飯を作ってやるよう言っておいたから。さて、私たちも遅めの夕飯にしましょうか」

 は? 幽々子って、まだ食ってないの……って、そりゃそうか。ずっと僕に膝枕してりゃそりゃ食えな――いやいや、まさか幽々子に限ってそんな馬鹿な。

「幽々子も食ってないのか?」
「ええ。貴方がなかなか起きないから」
「……なんか今日変じゃね? 晩飯もほかって僕に構うなんて」

 普段の幽々子からでは考えられない所業である。

「そりゃ、逢瀬で殿方を放っておく女なんていないわ」
「……逢瀬逢瀬って、なんか今日は妙にそのネタにこだわるな」

 確か、寝る前にもその話は振っていた。幽々子と白玉楼で会うことを逢瀬と呼ぶのは、とう考えても違うだろう。他の妖怪の住処によく言ってる僕は、さながらハーレム野郎なのか? いやいやいやいや。ありえんて。

「そうねえ」

 うーん、と幽々子は少し悩む仕草を見せて、

「ちょっとその気になったから、じゃ駄目かしら?」
「はえ?」
「さて、夕飯よ、夕飯」

 真意を問い返す暇もなく、幽々子は食堂の方に向かう。
 ……へ? なに、どーゆー意味? その気って……どの気? この木なんの木気になる木……じゃねー!

「いかん、混乱しとる……」
「良也? 食べないんだったら私が二人分食べるわよ」

 そう声が聞こえ、僕のお腹がぐぅ、と鳴る。

「待て待て待て!」

 ひとまず疑問は置いておいて、僕は夕飯を食いっぱぐれたら敵わんと幽々子を追いかけるのだった。







































「……絶対におかしい」

 僕は、白玉楼に泊まるときいつも利用する部屋で腕を組んで考え込んでいた。

 おかしいことはいくつもある。
 まず、博麗神社に行ったという妖夢が帰ってこない。あの娘が、寄り道をするとも思えないし、幽々子を長い間放っておくとも思えない。
 そして、先程の夕飯の席。幽々子が僕のおかずを奪うどころか、妖夢がいないからって甲斐甲斐しく茶碗に飯をよそってくれた。しかも、夕飯のメニューは『すっぽん』。妖夢、どっから持ってきたんだ……
 更に更に、普段は風呂は家主の幽々子が真っ先に入るのだが、何故か今日は順番を僕に譲ってくれた。そして、何故か脱衣所で服を脱ぎかけの幽々子とばったり。僕が今日、たまたまカラスの行水でなかったら、そのまま入ってきたような気がする。
 とどめとばかりに、風呂上りに遅くなってもいいから帰ろうと思ったら、今日に限って幽霊が空を埋め尽くさんばかりの勢いで集まってて、到底突破して帰れそうになかった、と。

 とまあ、こんな感じで、色々とおかしなことが勃発しているのだ。
 なんとなく外堀が丁寧に埋められていっているような、そんな予感。というか、もしかして――

「いやいやいやいやいやいや」

 ぶるんぶるんと首を振る。いやいや、偶然だ。偶然。もしくは単に幽々子が僕をからかっているだけだ。いかん、修行が足りない。

 寝よう、寝ちまおう。幽々子の膝枕で随分長いこと眠っていたが、気合を入れれば寝れる。
 照明用の幽霊を部屋の外に追いだして(いや、明るいんだよ意外と)、僕は布団を被った。

 ……でも、昼から夜までずっと寝てたせいで、当然のように眠気は訪れない。何度も寝返りを打ち、ごろごろ転がりながら眠くなるのを待つ。
 こんな風に時間を過ごしていると、余計なことばかり考えてしまう。

 もし仮に……だ。まさかそんなことはないだろうが、幽々子が僕を誘っているとして……なんで? 理由が見えない。単に興味本位とか……じゃないと思うんだけど。もしくは、

「いかんいかん」

 寝よう。余計なことを考えると、余計に目が冴えてしまう。
 そうだ、羊だ。羊を数えるのだ。羊がいっぴ――

「良也、入るわよ」

 き!?!?!?!

 ぎくり、と身体が強張る。聞き覚えのある声と共に、すう、と障子が開けられるた。
 この声……間違えるはずもない。幽々子だ。ランプか何かのように従えている幽霊が、部屋をぼうっと照らす。

 ど、どうすんべや。

「ちょっと、もう寝ちゃったの?」

 そうだ。寝たふりだ。既に僕は寝ている。そう、このままじっとしていれば、何事もなかったかのように明日の朝が――

「せっかく取っておきのお酒を持ってきたっていうのに」
「そういうことは早く言え」

 ぐ、と身体を起こした。
 ハハハ……なんだ、寝酒に付き合えって、それだけの話かー

「やっぱり狸寝入りだったのね」
「ぐ……」

 やっぱりというか、なんというか……通じていなかったらしい。くすくすと笑う幽々子は風呂上りらしく、髪の毛がしっとりと肌に張り付いてる。ついでに寝間着らしき純白の浴衣は……ちょっと待て。

「帯をちゃんと締めろ!」
「今日は暑いのよねぇ」
「冷ましゃいいんだろ!? ええい」

 周りの温度を少しだけ下げ、更に風の魔法で扇風機だ! どうだ、これでもう暑いとは言わせん。

「まあ、いい塩梅ね。便利だわ」
「そりゃどうも……。いいから、さっさと浴衣を直せって」
「嫌」

 一言で返された。文句を重ねようとすると、問答無用で盃が押し付けられ、幽々子の持ってきた一升瓶から透明な液体が注がれる。

「む……」
「はい、乾杯」

 自分の方はさっさと手酌で満杯にして、幽々子はやや強引に器同士を当てる。……む、う。

「ええい」

 気にするとからかわれそうだ。僕は酒を一気に飲み干すことで、なんとか誤魔化す。なんか、アルコールとは別の理由で顔が赤くなっている気がする。
 ……って、この酒うめぇ。

「……おかわり」
「はいはい」

 二杯目。つまみもないので、ペースを落とさないとすぐに酔いが回る。次は気を付けながら、ちびちびと呑んだ。
 こっそりと、幽々子の様子を伺う。幽々子も酒をじっくり味わいながら呑んでいた。時々浴衣の裾を直すのはなんだ、どーゆー意図だコラ。

「ふう〜〜〜〜」
「……ほれ、もう一杯」
「いや、それより一ついいかしら?」
「なんだ?」

 空になった盃に注いでやろうと酒を構えていると、幽々子が流し目を送りながらからかうような口調で言った。

「ここまであからさまな据え膳があるのに、食べないのは男としてどうかと思うわよ?」
「……男の方にも食べない自由があってしかるべきだと思うが」
「そうかもしれないけど、我ながら美味しいと思うわ」

 ちらちらと肌を見せつけんな。大丈夫だから、多分すごく美味いんだろうなあ、ってのはそんな主張しなくてもわかってるから。
 でもねえ。

「適当にからかってるだけならやめてくれよ。タチ悪ぃぞ」
「まあ、信用されてないわね」

 むしろ、少しでも信用されているとでも思っていたのか。

「なんの気紛れだ?」
「酷いわ。私はもうずいぶん長い間亡霊のまま。従者はいたけど……でも、隣に立つ誰かがいて欲しいと思うのはいけないこと?」
「……いかにももっともらしそうな理由だが、絶対嘘だろ。その言葉を信用してもらいたいんだったらもう少し表情を何とかしろ」

 なんかすごくイキイキしてる。さあ、どう反応するのかしら、と待ち構えているかのようなその表情でそんな台詞を言われても、額面通り受け取れるわけがない。
 これが照れ隠しとかだったら、僕の未熟な観察眼じゃ見抜けやしないが。

「ふふ……バレちゃった」
「はいはい。で? なんで?」
「さあ、どうしてでしょうねえ。自分でも忘れちゃったわ」
「……おい」
「自分の気持ちなんて一番ままならないものだもの。いつの間にか欲しくなっていた。それだけ」

 どうも、こっちは本音っぽい。……まー、そんなものかも知れない。
 それはそれで、実に光栄なことではあるんだが、僕の方はどうなんだろう。

「駄目かしら?」
「いや、駄目っつーかなんつーか」

 今まで、そういう関係なんて想像すらしたことのない相手だ。そりゃ勿論嫌いじゃないし、むしろ友人としては胸を張って好きだと言えるが、しかしこういう関係は想定していたのと違うというかだね。

「その、幽々子はいい友人だとは思うけど……」
「ふむ……面倒臭いわね」

 は? と問い返す暇もなく、僕は布団に押し倒されていた。手が抑えられ、身動きがとれない。正面に見える幽々子の瞳は、淫靡に輝いている。

「ちょ――!? これ男女逆!」
「あら、逆でも私は一向に構わないわよ。でも、出来ないでしょう?」

 そうだけどさあ!
 っていうか、ここまで散々搦め手で来といて最後の最後でこれかい!?

「ちょっと、離――んぐっ!?」

 声を上げようとしたらキスで塞がれた。それも、ちょこんと唇を当てるようなライトな奴じゃない。思い切り舌が――って、これ僕のファーストキスなんですけどおおおおぉぉーーーー!?

 レモン味なんてロマンチックなもんじゃなく、至極肉感的な味がする。
 なにやら脳髄がとろけるような快楽が全身を走りぬけ……最後に考えたまともな思考は『もうどうにでもなーれ』だった。


































「ただいま戻りましたー。幽々子様、すみません。すぐに朝食の支度を――あれ? 幽々子様、もう起きていらっしゃるんですか。珍しいですね」
「ええ。昨夜は随分遅く寝たんだけど、逆にすっきり目が覚めたわ」
「はあ……亡霊の幽々子様に言うことじゃないかと思いますが、夜更かしはしないほうがいいですよ」
「文句なら良也に言って頂戴。最初は愚図ってたくせに、意外と根性見せるんだから……」

 はい? なんのことですか幽々子様ー、という妖夢の声が遠くに聞こえる。

 もう……朝か。よろよろと部屋の隅に放り出してある服を取り上げ着込む。

「はあ〜〜〜。結局、色香に迷ったってことになる……のか?」

 とんだ初体験である。なんて考えると、昨夜の出来事が不意に蘇ってきて顔が赤くなってしまう。
 と、とりあえず、顔洗ってすっきりしよう……。

 廊下に出てしばらく歩くと、台所に向かう途中らしき妖夢とばったり出会った。

「あれ? おはようございます、良也さん。結局泊まったんですね」
「あ、ああ。そういう妖夢は博麗神社に泊まったのか?」
「ええ、まあ。幽々子様が、今夜は大切な行事があるから、席を外してくれ、と。野宿も嫌だったので、夕飯の代わりに泊めてもらいました」

 『大切な行事』ねえ……。言い得て妙というか、なんというか。

「良也、起きたの。おはよう」
「う、おはよう」

 後ろから幽々子が来やがった! どうやって反応すればいいんだ。というか、僕と幽々子の関係は結局友人のままでいいのか、それとも恋人的な何かになったってことでいいのか!? 誰か教えてくれ!
 えーと、その、僕としてはー。ただの友人として見続けるのは無理っつーか。

「ああ、丁度いいわ。妖夢、今日の朝の味噌汁はシジミにして頂戴。こういう時は亜鉛を取ればいいって紫に教えてもらったから」
「シジミ、ですか? 構いませんけど……あえん? 二日酔いではなく?」
「あら、どうだったかしら……まあ、シジミは好きだからどちらでもいいけど」

 えっらい適当な話である。
 しかし……妖夢に昨日のことは話す気ないのか? 僕としてはありがた……いや、どうだろう? 妖夢にはちゃんと話さないといけない気がするんだけど。

 トコトコと首を傾げながら歩いて行く妖夢の後ろ姿を見送って、食事の時にでも話そうか、と少し悩む。
 で、そんな悩みを見透かしたかのように、幽々子が話しかけてきた。

「ねえ、良也。変なところで真面目な貴方のことだから、随分昨日のこと気にしているのかも知れないけど。私としては、これからがどうだっていいのよ」
「……は?」
「貴方が昨日のことが間違いだと思うのならこれまでどおり友人でもいいし、私は昨日のことは忘れる。ただ、ちゃんとこれからもここに来て欲しいって、それだけ」

 ……あー、うん。それは、まあ。

「言われんでも来るけど……じゃあなんで昨日は、あんなことを」

 いや、我ながら、昨日のアレを機に白玉楼に来る気なくしていた可能性もありますよ?

「我慢できなかったから」
「しろよ、我慢」
「嫌よ。私は、自分の欲求には素直に生きることにしているの」

 ……そういやあ、幽々子ってば食欲に睡眠欲は好き勝手取ってるよな。飯は人一倍食べるし、寝たい時に寝てる。
 そして、人間の欲求ってのは大きく三つあるからして、なるほど、そう考えればあの強引さにも納得っつーか。

「肉体がない私は、肉の欲を忘れるとすぐに人間らしさがなくなっちゃうからねえ」
「……今とってつけた理由だろそれ」
「なんのことやら」

 すっとぼける幽々子。ぜってーそんな大層な理由はない。単なる性格に違いない。

「……はあ。まあ、白玉楼にはこれまでどおり来る。ウザいと思っても遅いぞ」
「あらあら……死なない人間のくせに、よくもまあ冥界に顔を出せたこと。歓迎するわ」
「矛盾って言葉があってだな……」

 まあ、言っても仕方あるまい。

 ……さて、次の土産はなにがいいかね。



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