僕と妖夢が付き合うようになったあの宴会以降。

 僕は幻想郷に来るたび、冥界へ足を運ぶようになった。
 ……うん、まあけっこう前からそんな感じではあったのだが、目的が明確になったというか。

 ついでに、博麗神社じゃなくて、白玉楼の方に泊まることにした。流石に、特定の相手がいる状態で、別の女の子んちに泊まるなんて真似は僕に出来なかったので。
 ……いくら付き合ってても、頻繁に寝泊まりすることが社会倫理的にどうなのか、という点は無視する。

 映姫にバレると煩そうだが、なに、バレなければいいんだよ、バレなければ。

 そんな感じに現実逃避していると、耳がもどかしい感じになって、思わず頭が動いた。

「良也さん、あまり動かないでください」
「んなこと言われても、くすぐったい」

 そして今は、妖夢に膝枕なんぞされつつ、耳掃除……うーん、

「……なんで!?」
「はい?」
「いや、どうして僕がこんな態勢に?」

 正直、すっげ恥ずかしいんだけどー! 二人きりならまだしも、ほら、幽々子が見てる!

「だって、良也さんの耳、すごく汚かったので」
「……うん、なら僕に耳かきだけ貸してくれればいいのに」
「自分でするのが苦手だと言ったのは良也さんでしょう」
「いや、そうなんだけどねっ!」

 そこで、『なら、私がして差し上げます』とか言うのは予想外でしたよっ!? あまりの提案に、僕の頭は空っぽになって、ただ言われるままに寝そべるしかなかったわ!

「見せつけてくれるわね」
「いや、あのな幽々子……」

 いかん、幽々子の奴、すごく面白そうな目になってる。これは下手しなくても、今度の宴会で大暴露されて連中の酒の肴になってしまうことうけあいだ。
 くっ、なんとか、なんとか回避しないと! この前の宴会でからかわれ倒して、もうこりごりだっつーのに!

「? なんのことですか、幽々子様」
「なにって、膝枕よ、膝枕。いきなりそんなことするなんて、妖夢も意外とやるわね」
「はあ……なにを仰るかと思えば。耳掃除くらい、たまに幽々子様にもして差し上げているでしょう」

 ……亡霊に耳垢って溜まるもんなの? まあ、幽々子は色んな意味で普通の亡霊じゃないから驚くほどのことでもないかもしれんが。

 あと、妖夢。膝枕を女の子が女の子にするのと、男にするのでは、だいぶ意味が違うからな?

「ふ〜〜〜ん」
「……なんだよ」

 幽々子の視線が僕をロックオンする。うわ、次なんて言うつもりだ、こいつ。

「ねえ、良也」
「だから、なんだ」
「確かに、私もたまに膝枕してもらってるんだけどね」

 だーかーらー! それがどうしたんだっつーの。そんなことで嫉妬するほど狭量じゃないよ、僕。その相手が男だったりしたらその限りではないが。

「だから知っているんだけどね……いい匂いでしょう?」
「におっ……〜〜〜!?」

 ぎゃぁ! なるべく意識の外にやっていたというのに、幽々子が言うもんだからすごい気になり始めた!
 心臓がドクドク言い始めてる! ヤバ……ヤバイっ。なにがかは分からんが、とにかくヤバい!

「よ、妖夢! もういいから!」
「? 匂いがどうかしましたか。汗は流しているので、臭くはないと思うんですが」

 逆だぁっ! いい匂いがするから、困るんだよっ。つーか、別に汗の匂いでもいいよ! いや、僕なに言ってんだ混乱してる。匂いフェチじゃなかったはずだぞ。

「と、とにかく……もういいから」
「あ、まだ半分も終わって……って、急に立ち上がると」

 慌てて立ち上がろうとする。……まだ、妖夢が耳かきを僕の耳に突っ込んでいる最中だったのに。
 当然の帰結として、耳かきの先端が僕の耳の奥に突き刺さり、

「ぐわぁぁっぁ!?」

 激しい痛みに、僕は転がった。

 くっ……呑気にくすくす笑いやがって。幽々子のヤロウ……




















「ふふふ」
「……いつまで笑ってるんだよ」

 夕食の席。
 さっきの事件から今まで、幽々子は笑いっぱなしだった。

「だって、おかしかったんだもの。貴方、もう少し煽り耐性を付けたほうがいいんじゃない?」
「煽り耐性って、お前そんな言葉どこで……いや、言わなくていい。大体分かるから」

 スキマか。というか、スキマ以外有り得ないな。
 ……しかし、僕以外にネタが通じる相手がいないのに、なんでそんな言葉を教えているんだろう。

「お待たせしました。本日は、良也さんのリクエストで肉じゃがです」
「お、来た来た」

 炊飯係の妖夢が、僕が頼んだ肉じゃががてんこ盛りになった大皿を運んできてくれる。
 大きめのちゃぶ台には、すでに茶碗と汁椀が伏せられている。それを手に取り、妖夢は一つ一つご飯と味噌汁をよそっていった。

「はい、良也さん」
「おーう」

 大盛りによそわれた茶碗を受け取る。
 ……うむ。妖夢は、こういう仕草がよく似合っている。個人的には、剣を振り回している妖夢も『らしい』と思うのだが、出来ればこっちの姿をもっと見たいもんだ。

「ちょっと妖夢。私のご飯が良也より少ないわよ」
「え? あ、はい。すいません」

 と、幽々子が文句を言っていた。

 ……そうか? 僕的には、ほぼ同じくらいだと思うんだが。あと、どうせおかわりするだろうに。

「まったく。いくら好き合っていても、良也を主人より贔屓するのはどうなのかしら。ねえ?」
「……そこで僕に同意を求めるな」

 僕としては、大いに贔屓してもらいたいところなんだが。
 ちなみに、妖夢の方は『好き合っ!?』って、なんか真っ赤になってた。

 なんだろーねー。この子、膝枕とかは余裕のくせに、どうしてこう恥ずかしがるポイントが違うんだろう。

 まあ、膝枕なんか、生霊の時にもしてもらった覚えあるし、意外と恥ずかしい行為じゃないのかもしれない。なら、僕だけが恥ずかしがるより、そこにつけこ……げふげふ、好意に甘えて堪能するのが男の道か。

 ……駄目だ。シミュレーションする限り、絶対に恥ずかしさに耐えられそうにない。

「良也さん?」
「あ、いや、なんでもない」
「なにぼーっとしているんだか。じゃあ、頂きましょう」

 幽々子が手を合わせるのに合わせて、僕と妖夢も手を合わせる。
 いただきます、と同時に言って、夕飯を食べ始めた。

「ん、美味しい」
「それはよかったです」

 肉じゃがを口に運んで、感想を言うと、妖夢が嬉しそうにする。
 いや、決してお世辞なんかじゃない。実際、煮込み具合が丁度良いし、出汁の味も僕の好きな味加減だ。思わず配膳された分を全部食べてしまって、大皿からおかわりを取る。

「たくさん食べてくださいね」
「うん」

 味噌汁もいつもの味……要するに美味いってことだ。後は、妖夢が手ずから漬けたという京菜漬けもいいアクセントになっている。

「あ、妖夢。ご飯おかわ……「妖夢。おかわりをちょうだい」

 ご飯もさっさとなくなってしまったので、茶碗を差し出そうとすると……幽々子に言葉を被せられた。

「え、はい。ええと……」

 妖夢はちょっと迷った後、結局幽々子の茶碗を先に取り、ご飯をよそった。
 その後、ちょっと慌てて僕の方にもご飯を入れてくれる。

「ふふん」
「……なんだ、その勝ち誇った顔は」
「いえいえ。ちょっとね」

 くっ、こいつ僕をからかってなにが面白いんだ!

「……妖夢、味噌汁くれ」
「あ、はい」

 しかし、甘い。妖夢が幽々子のご飯をよそっている間に、僕は味噌汁を飲み干したのだ。こっちのおかわりは僕が先だ!

「ふっ」
「あらあら、そのくらいで勝ち誇るなんて、案内可愛いところあるわね」

 っ! ええい、わかってるよ、子供っぽいことくらい! っていうか、先に仕掛けてきたのお前の方だろうが。

「ええと、その。出来れば、食事はゆっくりと」
「……う、はい」

 妖夢に注意され、僕はうなだれるように頷いた。

 ……はあ、なにやってんだろ。僕。

























「ふう。良也、お風呂空いたわよ」
「おー……ぅ」

 居間で妖夢とお茶を飲みながらまったりしていると、湯上りの幽々子が顔を見せた。
 基本的に風呂の順番は、家主の幽々子が最初で、次に一応客である僕。最後に妖夢となっている。

 ……だから、湯上りの幽々子を見るのなんて、割と頻繁にあるわけ、なのだが。

「なに?」
「……なんでも」

 風呂上りの幽々子が着ているのは浴衣だ。いや、まあそれはいいんだが、帯はもうちょっとしっかり締めた方がいいんじゃないかなー。ほら、霊夢あたりとは比べ物にならないほど膨らんだ胸の谷間が、割と丸見え。

「このくらいで、初心ね。貴方、本当に成人した男?」
「……なんのことを言っているかわからん」
「そう? 妖夢、貴方の恋人が、私のことをいやらしい目で見ているわよ」

 言うなっ!

「……良也さん?」
「い、いや、誤解だ。妖夢。そんな、幽々子の風呂上り姿なんて、そんな大したこと……」
「酷い言い草ねえ。私にも、一応女としてのプライドがあるんだけれど」

 なんか、背中にくっついてきたんだけど! ええい、離れろ! ……とは言えない悲しい男のサガよ!

「良也さん……」
「あああああ! いやいや、ほら、本当、なんとも思ってないから! 幽々子、いい加減離れろ!」

 妖夢がちょっと悲しそうにした瞬間、僕は弾けるように幽々子から距離を取る。

「あらあら」
「ほ、ほら、妖夢。僕はなんにも変なことなんて考えてないぞー」
「あ、はい……」

 本当に信じてくれたのかはわからないが、妖夢はコクリと頷いた。

 それを見て、場を引っかき回した元凶の幽々子は、いきなり真面目な顔になって妖夢に話しかけた。

「妖夢。良也のこと、しっかり捕まえていないと駄目よ。このくらいで動揺するなんて、ちゃんと手綱を握れていない証拠」
「はあ……」

 幽々子の言うことも分からなくはないが、しかしそれって暗に僕を尻に敷けって言ってる?

「大体、良也は妖夢のことを好きになったくらいなんだから、未成熟な方が好きなのは明白。それが私に目移りするってことは、貴方達まだ契っていないんでしょう?」
「え、は、いえ、その……は、はぃ」

 今にも消えそうな声で、肯定する妖夢だけど……言わなくていいのに!
 っていうか、

「おい、幽々子。誰がロリコン趣味だって?」
「そこまでは言っていないわ。ただ、妖夢の身体の成長度合いは、人間で言うと十――」
「それ以上言うな!」

 わかってるから! まだ成長し切っていないことくらい!
 でも、別に妖夢がちっちゃいから好きなわけじゃないぞー。成長しても、今と変わらず好きだぞ―。

「ふ、二人共。あまり、本人を前に、そういうことは言わないで欲しいのですが」
「あら、ごめんなさい」
「う……悪い」

 いや、僕が悪いのか?

「ま、私がしろとかするなとか言えないけど。でも、情欲は男女の仲を結びつける一番シンプルで強いものよ。貴方達、どちらも固いから、変なことですれ違ったりしないようにね」

 なんか、おちゃらけた雰囲気だったけど、最後の忠告は割と真摯だったように思う。
 見るからにそういうのが苦手そうな妖夢とは、そういうのあまり焦るつもりはなかったんだけど……それも、遠慮し過ぎだったか?

「あ、良也?」
「ん?」
「貴方、固いわよね? まだ若いんだし」

 と、言う幽々子の視線は、僕の下半身を見つめていたりして――

「何の話だ!?」
「わかっているんじゃない」

 捻りの効いたセクハラだな、おい!?

 なんのことか分かっていない様子の妖夢は、キョトンとしている。
 う……やっぱ、まだそーゆーのは早い気がする。

「まあ、丁度いい機会だし……手始めに、二人で一緒にお風呂にでも入ってくれば?」

 白玉楼の湯船は広い。銭湯顔負けの広さだ。いつも、湯を沸かすのが大変なんじゃないかな、と思うのだが、意外となんとかなっているらしい。
 それはそうと……

「……手始め、って割にはハードル高くないか?」
「そうかしら? 最近の若者なら、このくらい当たり前じゃない?」

 当たり前じゃない。断じて当たり前じゃない。……当たり前じゃない、よな? 我ながら、そっちにはとんと疎くて。

「え、えっと。一緒に湯船に浸かるのは、ちょっと恥ずかしいです」
「だ、だよな」

 しまった、ちょっと期待した顔をしていたかも。

「でも、お背中を流すくらいなら喜んで」
「……へ?」

 喜んで、とか言われちゃったよ、オイ。
























 広い湯船にたっぷりのお湯がたくわえられた白玉楼の浴場。
 木で出来た風呂イスに腰掛けて、僕は緊張しながら妖夢を待っていた。

 ちゃんと、腰に巻いたタオルが緩んでいないか、二度、三度と確認する。

 ……うう〜、なんでこんなことに。
 って、考えるまでもないな、幽々子のせいだ。

 しかし、妖夢だって、膝枕の件もそうだが、根が体育会系なもんだから『ッス! お背中お流しするっス!』ってノリで簡単に受け入れちゃったしなあ。ここで、一応男女だってことを気にしてくれれば、僕も気楽なのに。

 ……でも、緊張しながらも、嬉しくはあるんだよね。この辺、複雑。

 なんて考えていると、ガラッ、と浴場の入り口が開いた。

「良也さん、失礼します」
「お、おう!」

 一瞬、背中がびくってなったのは、気付かれなかった……だろうな?

 ちら、と後ろを見てみると、予想通り別に裸ってわけじゃない。いつもの服の、上は袖を捲り上げて、下のスカートは少しだけたくし上げている。
 ここで、バスタオル一枚とかで来られたら、もしかしたら僕は往年のお色気漫画のごとく鼻血を吹いていたかもしれん。いや、リアルであんなことになっている人間、見たことないけど。

「それじゃ、お湯かけますね」
「あ、ああ」
「よ、っと」

 湯船のお湯を桶に取って、ゆっくりと背中にかけてくれる。
 熱めのお湯の熱が、じんわりと背中に広がり、筋肉が解れていくのがわかる。一緒に、緊張も少しだけ解れた。

「じゃ、背中洗いますよ」
「どんとこい」

 妖夢は、石鹸とヘチマのタワシを手に、まずは泡立てる。
 そして、おもむろにヘチマを僕の背中に当て、がっしがっしと勢い良く洗い始めた。

「幽々子様よりずっと背中が広いので、洗いがいがあります」
「そうか。まあ、そりゃ一応男だから」
「そうですね」

 しばらく、一生懸命に妖夢が僕の背中を洗うのに任せる。
 はあ〜〜、なんとか落ち着いてきた。

 よし、っと。

「そういえば、今晩の肉じゃが、美味しかった。また作ってくれな」
「はい。次作るときは、もっと美味しくなるように頑張ります」
「はは、今でも十分美味いけど」

 お世辞じゃない。実際、妖夢の料理の腕は大したものだった。庭師が本業なのに、大食いな主人に毎日作らされているからか、こっちで一本立ちできそうな勢いで。
 それに、ここのところやたら上手くなっている気がする。

「そうですか? でも……その、好きな人には、もっと美味しいのを食べてもらいたいので」
「――えっと、僕に?」
「はい。えっと、幽々子様は、少し味より量なところがあってですね! ですから、今まではそれほど味に拘ってなかったというか!」

 ちょっと不意打ちだった。
 言い訳を重ねる妖夢に、顔を向けてなくてよかったと思う。多分、僕の顔は真っ赤だ。多分、妖夢もそうだろうけど、確認はしなくてもいいと思った。

 でも、そっか。美味いものを、ね。うん、今はそれくらいが、僕と妖夢には丁度いいのかもしれない。

 剣の修行に付き合って、一緒にお茶飲んで、ご飯食べて、背中流してもらって……い、いやいや、最後のは日課に入れない。うん。たまに、たまーにね。
 まぁ、とにかく、そんな風に過ごして……幽々子の言う『そういうの』は、それからでもいいだろう。

 さて、僕はなにをお返しすればいいかな。……そうだな、妖夢の次の休みの日にでもデートに誘うか。太陽の畑でピクニックとか、いいかも知れない。
 誰の目もなければ、妖夢に膝枕をおねだりしてみてもいいだろう。うん。

「よし。なあ、妖夢……」
「は、はい!」

 あ、なんかさっきのをまだ恥ずかしがっている。声が上擦って……背中を洗う手も、かなり乱暴に……って、

「ちょ、待った!」

 腰に巻いてるタオルのとこまで、ヘチマが! なんか結び目が解けそうにな――

「え?」
「あ゛」

 慌てて手で抑えようとしたが、もはや手遅れ。
 妖夢の持つヘチマは見事タオルをズラし……





 ……あとは説明したくない。
 ただ、その日以降、やたら僕も妖夢も、そっちのことを意識してしまうことになった。

 ……あれー?



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