それは、いつものようにパチュリーの図書館で勉強していたときのことである。 パチュリーの方は、なにやら実験中らしく、妖しげな薬品を混ぜたりしてる。風系の魔法で薬品の臭いはダイレクトに外に換気しているらしいけど、一体なんの薬品を使っているんだろうか。 僕が文句を言うまでは臭いは垂れ流しだったが、えらい刺激臭だったのだが。 「……ま、いいか」 あの病弱なパチュリーが大丈夫なんだから、吸っただけで身体がどうこうなるような毒物じゃないはずだ。 ……多分。もしかしたら、自分だけ解毒剤を予め服用しているとか……いや、そういうことはない、はず。 「あ、良也さん。お茶、おかわりはいかがですか?」 「ああ、小悪魔さん。ありがとうございます。頂きます」 本を一冊読み終わる、その丁度良いタイミングで、小悪魔さんがポットと茶請けのクッキーを持ってきてくれる。 この図書館では、彼女の紅茶と茶請けが一番の楽しみだ。これがあるのとないのとでは、勉強の効率が五割は違ってくる。 「しかし、パチュリーも精が出ますねえ。あれ、なにやっているんですか?」 「さあ……。パチュリー様のやっているレベルのこととなると、私にもなにがなにやらさっぱり」 小悪魔さんでもか。 悪魔かつこの図書館の司書というだけあって、小悪魔さんの魔道の知識は凄まじいの一言なんだけどな。無論、まだ学び始めて二、三年の駆け出し魔法使いである僕なんか足元にも及ばない。 「ん? パチュリーこっちに来ますよ。休憩なんじゃないですか?」 「あ、じゃあクッキーをもっと持ってこないと」 お盆を胸に抱えて飛ぼうとする小悪魔さんを、パチュリーが制した。 「必要ないわ、小悪魔。別に、お茶を飲みに来たわけじゃないから」 「なんだ、じゃあどうしたんだ? なにか僕が手伝えることでもあるのか?」 一応、弟子と言う立場の僕は、実験なんかの手伝いをやらされることがある。 手伝いと言うよりは、実際に見て勉強しろ、ということらしいのだが。実際出来る作業は、実験器具を手渡ししたり、次に使う素材を準備したりと、雑事レベルのことでしかない。後は、パチュリーの実験を見学させてもらっている。 「まあ、手伝いと言えば手伝いかしらね」 「ああ、じゃあちょっと待ってろ。手を洗って、白衣着てくるから……」 「いらないわ。ちょっと材料を提供してもらうだけだから」 ……材料? はて、なんだろう。また魔法の森にキノコやらハーブやらを取ってくることになるんだろうか。 「良也、ちょっと貴方の精液を寄越しなさい」 ………………………………はい? 「今なんと?」 「貴方の精液を寄越しなさい。ほら、これに入れて」 ぐい、とビーカーを押し付けられる。 えーと、せいえき……せいえきねえ。適当な変換が見当たらないな…… 「図書館には、確か春画もあったはず。適当に探して、その辺の物陰で済ませてきて。……ああ、フランには見つかっちゃ駄目よ? あの娘、その辺はまだ本当に子供なんだから」 「で、ででで、出来るかぁっ!!」 なにを言い出しているのかなこの魔女は!? 「ん? 何故? とっとと済ませてきなさいな」 「阿呆! 大体、なんでそんなのが必要なんだよ!?」 「勉強していないのかしら? 例えば、ホムンクルスの生成にも使われるくらい、人間の精液は重要な素材よ。……いえ、人間の体液や組織は、大抵なんらかの素材に使えるわ」 「知っているけれどもっ!」 でも、だからって今までそういうの要求してきたことないじゃん! 血液くらいならまだしも、いきなりそんなハードル高いのやれるかっ! 「あの、パチュリー様。察するに、良也さんは照れているのではないかと」 小悪魔さんナイスフォロー! 「……ああ。そういえば、貴方はまだ実年齢も二十歳そこそこだったわね」 それにしたって、初心だけど、と余計な一言を加えるパチュリー。うっさい、僕はどうせ、どうせ…… 「でも、必要なのよね……。適当な男のでも別に問題はないけど」 「じゃあ、そうしてくれ。ていうか、今まではどうしていたんだ」 「小悪魔に頼んで、ね」 「頼んでどうした!?」 まさか、使い魔であることをいいことに、小悪魔さんにいかがわしいことをさせているんじゃないだろうな!? 里の男をえんやこらと……そんなうらやまけしからん。 「魔界の友達にはサキュバスもいますから。その人から分けてもらっていました」 「……あ、そうですか」 安心したような、残念なような。……いや、安心だよ、安心。 「別に私が適当に見繕ってもいいんですけど、本職の方がやっぱりいいですしね」 「へ、へえ」 や、やめやめ。余計な妄想はカットだ、カット。 「でも、やっぱり霊的に優れた人間の方が良いのよね。サキュバスは、基本的にそこら辺は選り好みしないから」 「……だからって、僕のはやめろ」 「そんなのに心当たりはないわよ。それに、丁度近くにいるんだから、わざわざ遠くのを探すのは非効率的だわ。……でも、そうね」 ふむ、と少しパチュリーは悩んで、仕方ない、とため息をついた。 「わかったわ。いくら弟子とは言え、何の対価もなしに体液をせしめようとするのは良くなかったわね」 「……わかってくれたか」 「ええ、私が直々に採取するわ」 ………………………………………………………………いやいや。 「逃げようとしない。今日の実験には、どうしても必要なんだから。霊力を豊富に含んでいれば、成功率も上がるの」 「やーーーっ! 離せーーっ!!」 「大体、男なら喜ぶところよ、ここ。ほら、とっとと脱ぐ。……ああ、小悪魔。一応、フランが来ないようにだけ気をつけて」 「わかりました」 なんで小悪魔さんまで平然としているの!? 清純派じゃないのか! 僕の期待を裏切ったなー! 「なんだかんだで、抵抗しないのね」 「いや待てっ。魔法で拘束しておいて、その言い草はおかしいっ!」 「そういえば、貴方童貞だったわよね? ……ちょっと楽しんでも良いかしら?」 「楽し――!? なにを!?」 含み笑いで答えるパチュリー。……イヤーン。なにそのウブなねんねじゃあるまいし、って笑顔。僕はウブなねんねだっつーの! 「待て! とりあえず待て! いや、ちょっと小悪魔さん止めてお願い……って、行かないでぇぇぇ!!」 あ゛っーーーーーー! 「うう……」 いかん、途中から僕も、なんか雰囲気に流されるままになっていた気がする。かなり最初の方で拘束は解かれていたのに、リードされるままに……お、思い出すな。元気になる。 「なかなか生きがいいじゃない。協力感謝するわ」 き、気にしないぞ。後ろでなんか、ビーカーに白いのを入れているパチュリーなんて、気にしないぞ。 とりあえず、服の乱れを直す。……背中を向けているから分からないが、パチュリーも同じく服を治しているようだった。 で、お互いなんとか普段通りになって向き直った。 「……なあ、パチュリー」 「そこでストップ。こんなことで、いい気になられても困るからね。貴方と私の関係は、今までどおり師弟よ? 勘違いしないように」 ……はあ。気楽と言えば、気楽だけど……なんか、寂しいなあ。 「まあ、私のぬくもりが忘れられないと言うのなら、そう言いなさい。気分が乗れば相手をしてあげるから。無論、今回みたいに対価として精液は頂くけど。魔法使いの精液はいい素材だから」 「言うか!」 言わないよっ、きっと、多分……いや、月一回くらいなら……だから駄目だって僕。 「さて、これで実験の続きに入れるわね」 「……なー、パチュリー」 「はあ、精液保存したら、お風呂に入らなきゃ」 無視かよ。 はいはい、気にするなってことね。 ……無理だっつーの。 「あれー、良也、来てたの?」 「あら、こんにちは、良也」 ……えらいタイミングで吸血鬼姉妹が来た。 後ろに咲夜さんと一緒に小悪魔さんも控えているところを見ると、ちゃんと終わるのを待ってから通したんだろうけど……いやいや、そう考えると小悪魔さんは見てたのか? ……気にしないことにしよう。 「あれ? なんか変な匂いがする」 ギク。 ふ、フランドール、気にするな、と念波を送る。そういえば、吸血鬼の感覚ってかなり鋭いはず……つーことは、 「そう? ……本当ね。っていうか、これは」 「薬品の匂いだっ! パチュリーにも困ったもんだな!」 レミリアの台詞を遮って、言い訳の言葉を並べる。我ながら不自然すぎる。 「……へえ」 ……あ、やっぱりレミリアさんには誤魔化しは利きませんか。なに、そのニヤニヤ笑い。 「良也、ちょっと貴方の血、頂くわよ」 「……待て。今日は駄目」 「いいじゃない。どうせ、いつかわかるんだから」 駄目だって言っているのに、なぜに吸血鬼の腕力で押さえつけるかなこいつ!? 「カプ」 「ぎゃっ!」 首筋に噛み付かれた。 ごっきゅごっきゅ、と力強く血液を嚥下する音がする。と、同時に体中から熱と力が抜けていくのを感じた。 「ふう……美味しい」 「……あの、レミリア?」 「フラン、貴方も味わって見なさい。今日の良也は、一味違うわよ」 一味違うって文字通りの意味だな!? 「え? うん。頂きます」 「フランドールも素直に従うなっ!」 あ、吸われる。 ……時に、僕は何度もリアルに死んでいる。そういう人間にだけ見えるのかは分からないが、このラインを踏み越えたら死ぬなあ、ってのが見えるようになってきた。 そして、今日の吸血量はそのラインを順調に乗り越えようとしていた。あと一歩進めば死ぬ。 「………………やめてぇ」 「あ、あれ? 良也? 美味しすぎて、私吸いすぎた?」 オロオロして、吸血を止めるフラン。た、助かった。かなりギリギリだけど。 「今日の味は、今までで一番だったわよ。……咲夜、礼代わりに、夕飯をたくさん用意してあげて」 「ええ、鉄分中心に、たくさん食べていただきますわ」 ……助かる。死んでも生き返るって言っても、なくなった体組織を補うのは難しいし疲れるから。 「それにしても、良也。……おめでとう」 「なにがおめでとうか」 「だって貴方、パチェと……」 「それ以上言うな!」 はいはい、と肩を竦めるレミリア。言わなかったのは、絶対ここにフランドールがいるからだ。いなかったら、絶対最後まで言っていた。 子供だからなあ、フランドール……。 「ま、折角良也の血も美味しくなったことだし、お祝いね。咲夜、豪華にね」 「かしこまりました」 はあ、欝だ。欝なはず……なんだけどなあ。 「なに?」 「……なんでも」 ふいに目の合ったパチュリーから、視線を逸らした。……貧血になっていなければ、多分顔は赤くなっていただろう。 次の週も、懲りずにパチュリーの図書館に来た。 一応、念のためこの前のことをパチュリーがどう思っているかを確認したかったのだけど……『あら、いらっしゃい』と、本から視線を上げないままのいつも通りの挨拶。 声色も、仕草もなにもかもが前と変わらず……結局、僕はなにを聞くことも出来ず、すごすごと自分用のテーブルに向かった。 「……はあ」 気にするな、と先週パチュリーは言ったが、本人はその言葉通りまったくもって気にしていないようだ。 いや、もしかしたらあれはポーカーフェイスで内心動揺しまくり……はないな。パチュリーのあの性格からして。魔法の実験なんかに必要となったら、貞操とかそういうのは余裕でぶん投げてしまいそうだ。 一般的な貞操観念を持つ僕は、気にしないではいられない。……素直にラッキーだった、と思えれば苦労はないんだろうけど。でも、こういう時、変に真面目な自分は損をしていると思う。 「……はあ」 ほけー、と少し離れたテーブルで、真剣な表情でページを捲っているパチュリーを眺める。 整った横顔はどこか人形めいた印象を受ける。本を読んでいるときは視線とページを捲る指以外全然動かないから余計にだ。 肌が見えている部分は顔と手くらいだけど、普段出歩かないパチュリーは、ちょっと病的なくらいに白い。ゆったりした服に隠れたその下も同じように白かったなあ、と考えが及んで、僕は慌てて横に向けていた視線を正面に戻した。 ――小悪魔さんがいた。 「うわっ!?」 小さく悲鳴を上げる。小悪魔さんは心外とばかりに肩をすくめた。 「随分と長い間無視してくれましたね。せっかく持ってきたお茶が冷めてしまいました」 「そ、そうですか。すみません」 「お茶を入れに行く前から、ページも一つも進んでいないようですし……そんなにパチュリー様に見惚れていましたか」 ……そういえば、魔法書を読んでいたんだった。手元には、開いたままの本。無論、開いたその時点から一ページたりとも進んでいない。 うわぁ……今週は大学の方もまったく集中出来なかったけど、やはりパチュリーが近くにいると集中出来ないどころの騒ぎじゃないらしい。 「……お恥ずかしい」 「恥ずかしくはないと思いますよ? むしろ可愛いと思います。変にスレているよりは」 「そんなこと言われても、ちっとも嬉しくないんですが」 苦笑しながら、お茶を渡してくれる小悪魔さん。……本当に、けっこうな時間、僕を観察していたようで、お茶はぬるかった。 「パチュリーは、どういうつもりなんでしょうねえ」 ぬるいお茶が、むしろ緊張を解してくれたようで、そんなことを口走っていた。 パチュリーには聞こえないよう、小さな声で。 「そうですね」 小悪魔さんも気を使ってくれて、声を潜めてくれた。 「どういうつもりもなにも、精液が必要だっただけじゃないでしょうか」 「……はあ。やっぱり?」 「やっぱりというか、当たり前のことかと」 そ〜〜〜なんだよな。僕がこんなにも思い悩んでいるというのに、その元凶かつ我が師匠のパチュリーは、本当に必要だったから採取(なんて言い方だ)しただけなのだ。 だから、さっきから僕が堂々巡りで悩んでいるわけで。悩まないで済む性格を手に入れたい今日この頃なわけですよ。 「でも、それだけじゃないかもしれませんね」 ふと、小悪魔さんの口元に、どこか悪戯めいたものが宿った。……気のせいか? 「それだけじゃない、って?」 「パチュリー様だって、良也さんが動揺するってことくらいわかっていたはずです。その上でやったんですから。それに、なんだかんだで楽しもうとしていたじゃないですか」 「……ああ」 童貞だから云々とか言っていたな。でも、あれは単に僕をからかっていただけじゃないのか。 「ですから、私情も入っているんじゃないですか? 要するに、好きってことです。大体、ヤって精液を採取するにしろ、霊力持ちの男子というだけなら探せばいくらでもいますし」 「手近で、霊力持ちの男って僕くらいしかいないから手頃だったんじゃ。本人もそう言っていたし」 「それはきっと照れ隠しです」 言い切った!? 「……どう考えても、そういうのをするタイプには見えませんが」 「それはカムフラージュですよ。いっそ、直接聞いてはどうでしょう? パチュリー様は、良也さんの言葉を待っているはずです」 「そ、そうですかね?」 「ええ、きっと」 そう言われると、そんな気もしてきた。 ええい、どうせうじうじ悩んでいるだけ無駄なんだ。色々とすっきりさせるためにも、パチュリーとちょっと話しておこう。 「ありがとうございます、小悪魔さん。なんか僕、悩みすぎていたみたいです」 「ええ。頑張ってきて下さい」 よし、いっちょやったるか。 「なにを馬鹿な事を言っているのかしら」 『パチュリー、もしかして僕に惚れてたりなんかする?』と聞いた答えがこれである。救いも何も無いというか、ハナから予想出来たことではある。冷静になってみると、小悪魔さんに乗せられた。 「やっぱ違うか」 「ええ。この前も言ったでしょ。あれくらいで調子に乗られても困るって」 「……はあ」 まあ、そんなことはありえないと思ってはいた。 それに、パチュリーがもしそう思っていたとして……僕はどうするつもりだったんだ? わからん。『僕も好きだ』と言っていたか、それともさらに混乱の渦の陥るか、はたまた逃げるか。 というか、一体全体どうしたいんだ僕は。誰か教えてくれ。 ……まあでも、はっきり違うと言われたんだから、気にすることはない。うん。 「それにしても、ここまで貴方が気にするとは予想外だったわ」 「悪かったな、純情で」 「純情というか、初めての相手だからでしょ?」 「お前は色々直球過ぎる」 「妖怪に恥じらいを求められてもね」 別にあってもいいじゃないか。というか、あって欲しい。切実に。 「……大体、初めてじゃなくても気にするよ」 「そんなによかった? 身体には、そんなに自信はないんだけど」 「だから、そーゆーことではなく」 よかったけれども。あ、いや違う。今のナシ。 「まあ、でもさ」 「ええと、しつこい男を袖にする方法は」 「調べるなっ!」 本棚に視線をやったパチュリーにツッコむ。 「冗談よ」 「……どこまでがだ」 「別に、しつこいのは嫌いじゃないからね。しつこさがないのは、魔法使いじゃないわ。度が過ぎれば身を滅ぼすけど」 「それは魔法の話だよな」 「両方よ」 なにがどう両方なんだろう……。 「……う、ごほっ」 「って、おい、パチュリー」 咳き込んだ。……そりゃそうか。こんだけ喋ればな。普段は喘息もあって無口な方なのに、妙に饒舌だったから。 「小悪魔さ――」 薬を持ってきてもらうため声をかけようとしたら、パチュリーに肩を抑えられた。 「……平気よ。少し待ってれば治るわ」 「いや、でもな」 「いいから。けふっ」 そう強く言われたら、無理に呼ぶことも出来ない。小悪魔さんを呼ぶのをやめて、腰を下ろした。 発作は軽いものだったらしく、本人の言うとおり少ししたらすぐに収まった。 「落ち着いたか」 「……まあ。面倒かけたわね」 「なにもしてないけど」 しかし、心配だ。喘息って、パチュリーのことがあったからちょっと調べたんだけど、重度のものになると発作で死に至ることもあるらしい。 そりゃ妖怪で魔法の達人であるパチュリーのことだから、普通の人間と同じ尺度で考えるのは間違っているかもしれないけど……でも、体自体は普通の人間より弱いしな。 「喘息、大変だな」 「大変ではあるけど、生まれつきだからね。これとの付き合い方も心得ているから、心配はいらないわ」 「なら、いいんだけど」 僕は病気とかにはほとんど縁がないから、なんだか申し訳ない気もする。たまに風邪をひく程度で、虫歯も重い病気もアレルギーもない。健康さは、僕の数少ない取り柄だ。 「ええと、なんの話だったか……。そうそう、なんだかんだで、この前のこと僕は気にしているけど、パチュリーがどうとも思っていないならいいんだ。僕も、すぐには無理だけど、気にしないようにするから」 「そう」 「だから、これからまた精……が、必要なら別の奴を用立ててくれ」 惜しいと思わないでもないが、やはり僕は気軽に受け入れることは出来ない。……と、そこで、パチュリーが一枚の紙を取り出した。 「なにこれ」 「この前の実験の結果。うまくいったわ。また必要になったらよろしくね」 「……はい? いやあの、僕はついさっき、必要なら別の奴でと言ったばかりなんだが」 「たまには身体を動かすのも悪くないわ」 ……あのー、僕の意見をちゃんと聞いて欲しいんだけど。 「……はあ。なあ、パチュリー。お前は一体、僕のことをどう思っているんだ」 「だから、弟子でしょ?」 「弟子か、これ?」 「なに、そんなに私に好きになって欲しいの?」 うーん……こんなビジネスライクというか、必要だからするみたいな話よりは、そっちの方が幾分僕としては助かるというか、嬉しい。 「でも、私相手に惚れた腫れたの話するのは、五十年早いわね。そしたら考えてあげるわ」 「それ、ずっと前にも言われた気がするな」 「そうだったわね」 ったく。……とりあえず、僕はパチュリーに男と認められるには、あと五十年かかるらしい。 あれ? この前は、百年って言っていなかったっけ? しかも、あの時は抱く抱かないの話だったような。……あれ? ……なんてことがあったのは、確か二十年くらい前だったか。 もう僕は外では生活していない。たまに買い出しその他の用事で出ることはあっても、それくらいだ。 んで、今は本格的に魔法使いとしてパチュリーの元で研鑽を積む日々だった。 「なー、パチュリー」 「なに?」 一緒に研究する機会も増えてきたので、昔より大分近くなったテーブル。小さい声でも、今ではパチュリーに届く。 「あのさ、僕もそろそろいい年だしさ」 「若造がなにを言っているのかしら」 ……そりゃン百歳と比べられたらそうだけど。 「それで、だ。お前の言っていた期限も来たことだし」 最初は百年だった。 次に言われたのは五十年。三十年、十年、五年、一年と段々短くなっていき。 『あと一年くらいしたら考えてあげる』と言われたのが、丁度一年前の今日だった。 「まあ、今更と言えば今更なんだが」 まあ、やれ精液だの、魔力を寄越せだの、儀式の一環だのと色々な理由で身体を重ねた。 パチュリーにとっては、純粋に必要性にかられて、というのはわかっているが……でも、好きでもない女性をそう何度も抱けるほど僕の方は器用ではない。 ……認めるのは癪だったが。だって、向こうがなんとも思っていないのはわかっていたもんねー。 「付き合って――って、いざ言うとなんか恥ずかしいな……」 今まで女の子と付き合ったことなんてないから、仕方のない話なのだ! ……四十路を超えた男が、なんとも情けない。 「要するに、恋人、伴侶、パートナー……そういう関係になるのを検討して欲しいと」 「そ、そうそう」 「遠慮するわ」 …………はい? 「マジですか」 「本当よ。考えると言った手前、一秒だけ考えてあげたわ。検討した結果、却下」 「早いなオイ!?」 えー、少しはパチュリーの方も、憎からず思ってくれていると思っていたのに。自惚れでしたか、そうですか。 ……二十代の頃なら、これだけで落ち込んでいたところだな。いや、今も落ち込んでるけど、昔ほどは……ごめんなさい、強がりです。 「……そうか」 「そう。話はそれだけ」 「……そんだけ」 一世一代の勇気を振り絞って言ったのに。 ……はあ〜〜〜 なんて、落ち込んでいると、パチュリーが意地悪く含み笑いを漏らすのが聞こえた。 「む、そんなに振られ男の落ち込みっぷりが面白いか」 「まあね」 「……そこはせめて否定してくれ」 「まあ、ここまで予想通りの反応だと、ね」 「僕の気持ちなんてバレバレでしたか」 いや、分からない方がおかしいとは思うが! 分かっているなら少しはさあ……同じ振るにしても思いやり的なアレが欲しかった。 「まあ、当初の予定通り、百年――残り八十年は必要ね。私と並び立ちたいなら、最低でもそれくらいは修行を積んでもらわないと」 「……え?」 予想外のその言葉に、僕は思わず聞き返した。 「なに?」 「……えっと、八十年ってのはなんでせう?」 「そのくらい魔法使いとして研鑽を積んで、私に匹敵……とは言わないでも、魔法使いとして一端になったら、結婚でも何でも構わないってこと。まさか、本当に百年もかかるとは思わなかったけど。貴方、本当に才能ないわね」 そ、それじゃあ、ちゃんと一人前になれば、オーケーってこと? 「は、」 「ん?」 「八十年もいらん。残り三……いや、二十年だ」 修行を積んで、二十年と少し。最近になってようやく、魔法というものがどのくらい奥が深いのか、それを理解しつつある段階だ。 ここから、さらに胸を張って一人前と言えるようになるには、ここまでかけた期間の、さらに二倍、三倍の時間が必要だろう。パチュリーの見立ては、大体正しいと思われる。 しかし、そういうことならば。そういうことなら、その時間を短縮するために、僕はなんでもしよう。 「そう。大きく出たわね。楽しみにしているわ」 「……本当に楽しみにしてる?」 「本当」 少しだけ、パチュリーは笑顔をみせてくれた。 ……うん、よし。頑張ろう。 「じゃあ、それまでは今まで通り、私の弟子兼愛人で」 「ちょっと待てオイ!?」 愛人ってなんだ、愛人って!? 「情夫の方がいい?」 「余計に悪くなっている! 言葉のイメージ的に! 弟子でいい、ただの弟子で」 「師匠に懸想する弟子ねえ」 「いいだろ、別に」 尊敬と愛情なんて似たようなものだ。異論は認める。 「じゃ、そんなレッテルが嫌なら、早く一人前になることね」 「……はいはい」 畜生。 ちょっと顔を引き攣らせて、読みかけの魔法書を読み始める。 ただ、本を読むだけでは、一人前には程遠い。独自の理論も組み立てていく必要がある。 さて、どうしようか。 ――モチベーションが、今までになく高まっていくのを感じた。 |
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