以前のフランとの一件からしばらく。 幻想郷における、僕の生活はちょっとした変化を見せていた。 フランの呼び方を、せがまれて変えたのもその一つ。 それ以外も大した変化ではない。今まで博麗神社で寝泊りしていたのが、紅魔館に変わっただけだ。 「……そう、それだけ、それだけ」 割り当てられた個室のベッドで目覚めて、僕はそう自己暗示をかける。 う、うん。パチュリーのところで魔法の勉強をするにも都合が良いし、部屋数も多い。二十四時間メイドが詰めているだけあって生活に不便はないし、かなり贅沢な環境だ。 うん。変化はそれくらいだよ。うん。 「混乱しているな……」 そもそも始まりはだ。 フランが僕のことを……その、なんだ。なんて言えば良いのか。まあ、うん、憧れのお兄さん的に見るようになったことだ。 だからつって、僕が態度を変える事はけっこう難しい。 前、殆ど誤魔化しのような感じで光源氏計画だー! とか言ってしまったが、まだまだフランは僕にとっては手のかかる子供だ。 ……うん、見た目の年齢がせめてあと三つほど上になったら……って、待て! 三つ? それでもせいぜい中一くらいだろう。何を血迷っている、僕。 ね、寝起きで混乱しているのかな? ハハ、きっとそうだ。 「んにゃ……ぉはよう、良也」 「……おはよう、フラン。そしてお前は自分の部屋に帰れ」 その混乱の元凶。 眠る前には間違いなくいなかったはずの小さな影を腕から引き剥がし、僕は上半身を起こした。 「ん……まだ寝る」 「あー、寝てくれ寝てくれ。僕は顔洗ってくるから」 起き上がろうとして、しかしフランは僕の服の袖を握ったまま全然離してくれない。 これが本当にただの子供の握力だったら簡単に外れるが、そこは吸血鬼。割と本気で振りほどこうとしてもビクともしない。 「いかないで〜」 「ぎゃぁ!? 手首を握るなぁ!?」 痛い、痛い! 折れる、折れるからホネ! なんて、やいのやいの言っていると、がちゃりと部屋の扉が開いた。 現れたのは、この屋敷を実質一人で切り盛りしている、パーフェクト・メイドさんだ。 「良也様。お早う御座います。朝食の準備は整っております。良也様は和食か洋食かどちらがよろしいでしょうか?」 この状況。どう言い訳しても、僕がフランを自室に連れ込んだようにしか見えない。どんな風に言い繕っても、言い訳にすらならんだろう。 僕は死を覚悟した。 ……と、言うのに、いつまで経ってもナイフが飛んでこない。 「あの、咲夜さん?」 「昨夜はお楽しみでしたね。私が楽しんだわけではなく」 駄洒落!? 意外とお茶目な……ってか、違うって! 「ちょっ!? 咲夜さんそれ誤解! 誤解だって! こいつがいつのまにかベッドに入り込んで――」 「そのような言い訳をなさらずとも。良也様と妹様の仲は、幻想郷中の噂ですから」 「噂!? そんな超トップシークレットを、一体どこのどいつが漏らしたんだ!?」 っていうか、そんな仲じゃないんだって! あくまで、僕としては兄と妹的な……とかこの前言ったらフランに泣かれて、姉が『シヌカ?』的視線を向けてきたな、うん。 ええい、それはいい。それはいいんだ。とにかく、どういう噂になってどうやって広まった!? 「一昨日の朝刊です」 「……新聞という時点で凄く嫌な予感がするんですが」 「そう仰るなら止めませんが、見ておいた方が良いかと。なにかと」 その不穏な物言いに、新聞を見たくない気持ちが大きくなる。でも、放っておいたらなにか致命的なものを見過ごす気がして、仕方なく咲夜さんから新聞紙を受け取った。 ……案の定、文々。新聞である。あのパパラッチ、いつかシメる。僕一人ならばともかく、今の僕には言うことを聞いてくれる力強い味方(現在、僕の手を抱えておネム)がいるのだ。 まだフランが左手を離さないので読みにくいけど、なんとか片手だけで紙面を読む。 「……ええと、『紅魔館の最終兵器妹と、巷で噂の外来人の熱愛発覚!? 実姉が語る二人の馴れ初め』」 シークレットどころか身内からだだ漏れだった! 「レミリアァァァァ!!」 「お嬢様はまだご就寝中です」 「叩き起こしてきてください!」 「残念ながら、いかに良也様のご命令であろうとも、お嬢様の機嫌を損ねるような真似は致しかねます」 くっ、フランが『こう』なってから、今までにも増して僕に対して馬鹿丁寧な対応になってきた咲夜さんだが、流石に主人の意に沿わないことはできないか。 仕方ない、僕が直接起こして……寝起きの不機嫌なレミリアに二、三回殺されるわけですね、分かります。 くっ、いや、フランと一緒ならなんとかなるか!? 「……むぅ、良也、ちょっとうるさい」 「はいぐえぇ!?」 ぜ、全身でしがみついてきやがった! 今から窒息しますと言わんばかりに顔を僕の胸に押し付けてきて……あ、いかん。僕もちょっと苦しい。死ぬほどではないけど、確かに大声は出せない。 「まだお休みなさるのですね。それでは、また後ほど」 「さ、咲夜さん。助けて……」 「先ほども申しましたように、私はお嬢様方の機嫌を損ねることはできませんので」 くっくっく、と忍び笑いを漏らす咲夜さん。……い、意外と性格悪いな、この人。 「それでは。失礼いたします」 「あ、待ってー」 助けを求めるも、あえなく扉が閉められる。 残されたのは、僕とフランのみ。ぎゅー、と相変わらずだっこちゃん人形のようにしがみついてくるフランドールから逃れられず…… 「二度寝するか……」 とりあえず、安易な道に僕は逃れるのだった。 「で、レミリア。あの文々。新聞の記事はどういうつもりだよ」 レミリアのティータイムに付き合いながら、今朝の新聞の件について文句を言う。 「あの? どれかしら」 「僕とフランが……その、なんか微妙な関係になっているって、あれだ」 「熱愛発覚、ね」 熱愛じゃねえよ。 とか否定したら、フラン悲しむだろうしなあ。今は図書館で本を読んでいるはずだが、こういう時の僕の間の悪さは折り紙付きだ。たまたま戻ってきて聞かれでもしたら、目も当てられない。 お兄さんは小さい子が泣くところを見るのは好きではないのです。とりあえず、ツッコミは入れない。 「別に、ただの牽制よ」 「……牽制だ?」 「まあ、十中八九心配ないとは思うけど」 ふう、とレミリアが小馬鹿にしたように僕を見る。……ああ、大体わかった。 「貴方、色んなところに顔が利くじゃない。それこそ、神連中から地底の連中まで。あいつらも全部女。妙なちょっかいかけられでもしたら、フランが悲しむじゃない」 「そういうことか」 「まあ、貴方も分かっている通り、念のため以上のことではないけどね」 ああ、分かっているよ。悲しいくらいに。 客観的に見て、周り全部が女。男は……まあ、僕一人といっても良い状況。そんな環境でも、僕は恋人どころか誰かとそう言う空気になったことすらない。 つまり、男として見られてないってことだ。まあ、だからこそ仲良くもなれたんだから、良し悪しだけど。 「それはいいから。咲夜から聞いたわよ。今朝、フランと同衾していたんだって? したの?」 人差し指と中指の間に親指を差し込んで、力強いジェスチャーを送ってくるレミリア。 顔がひきつるのを、確かに認識した。 「……なんもねえよ。後で聞いてみたら、単に寝ぼけて僕の部屋に来ただけだってさ」 「なんだ、つまらない」 「いや、なんかあったら困るだろ」 「いいえ、全然?」 キョトンと、本当に『何も困ることはないですよ何言ってんのこいつ』みたいな返事をするレミリア。……いや、姉としてそれはどうだろう。 「いや、生生しい話になるが、どう見ても成長足りんだろ」 「平気よ。私達は人間じゃないんだから。容姿、体型も人間の子供とは微妙に違うでしょう?」 そりゃ、まあな。 九割方は普通の子供だけど、どうにも大人っぽいところもあったりしてアンバランスだったりする。 こんな例えはどうかと思うが、二次元のロリキャラチックだ。 「子は成せないでしょうけど、一つの繋がりとしてアリだと思うわよ?」 「……とりあえず、もう少し成長してからで一つ」 僕の理性というか常識というか人間としての尊厳のために。 「チッ、臆病者め」 「ここで突撃する勇気は、勇気でも蛮勇でもなくて、反社会的ななにかだ」 「既に人間の領域を逸脱している者がよく言うわ。社会なんて関係ないじゃない」 「……逸脱してたっけ?」 「してないと思っていたの? それはそれで、貴方の常識をやらを疑わざるを得ないわね」 ……えー? 僕、まだ末席ではあるけど人類の端くれですよ。 ギリギリ崖っぷちなあんたのところのメイドと一緒にしないでくれ。あと、人類背水の陣だぜっ、な某魔法使いや、指先だけで引っかかっている巫女とも一緒にしないで欲しい。あ、崖っぷちまであと数歩の巫女がいたな、山の上に。 「やれやれ。そうまでして人間でいるのは、強いのか弱いのか。よくわからないわね」 「いや、弱いだろ。まだ小悪魔さんに一勝も上げれてないぞ」 「……いつも話の腰を折る。もしかして狙っているのかしら?」 レミリアはそれ以上話を深めるつもりはないらしく、意味もなくカップの中身を混ぜる。 「咲夜ー。おかわり」 「はい、ただいま」 「咲夜さん、僕にも」 「かしこまりました」 咲夜さんに頼むと、ほぼ一瞬でティーポットの中身が淹れ立ての紅茶に変わる。 ……どうにも、咲夜さんが家事モードのときは、僕も時間が止まっていることを認識できない。彼女曰く、『時間を止めているか、時間に止まっているかの違いですわ』らしいが、よくわかんない。 まあ、ノータイムで美味しいお茶が飲めるなら、もちろん文句などない。僕は香りを楽しんでからお茶を口に運…… ズゥーン、とまるでどでかいハンマーで殴りつけたかのような重い衝撃が、紅魔館に響き渡った。 「……レミリア。お前の妹だぞ」 「貴方の恋人よ」 「恋人違う。まだ違う」 「あら、『まだ』……ね?」 「言葉の綾だ」 「それはフランでは不満だとでも言うつもりかしら?」 違う。そうじゃないから、その爪を引っ込めろ。 「最近は暴走はなくなったと思ったのだけど」 「……いえ、お嬢様。暴走ではないようです。また、あの魔法使いが忍び込んだようで」 す、と咲夜さんが紅魔館の数少ない窓から玄関の方を観察してから言った。 美鈴……またやられたのか。しかも今回はまったく他の人に気付かれもせずに。……哀れな。 「とりあえず、魔理沙との弾幕ごっこだって言うのなら問題はないわね。……埃が落ちてお茶が台無し。咲夜、新しいのを」 「はい」 また、一瞬でお茶が新しいのになった。……便利だなあ。 「っと、それはそうと、僕ちょいと様子見てくるわ」 「あら、心配?」 「どっちかっつーと、この状況じゃ心配するべきは魔理沙だけど」 無論、魔理沙も心配などする必要のない輩である。 ……まあ、見物というと語弊があるが、フランが頑張ってるところを見たい、じゃ駄目かね? これって、アウト? セーフ? ロリ的に。 「今日は負けないんだから!」 「おおっと! マジで調子いいな!?」 あー、やってるやってる。相当離れてるのに、凄い衝撃が届く。あの二人のレベルに追いつけるのは、果たして何百年後だろうか。 「いきなり使わせてもらうぜ! 恋符……」 「させないっ! 禁忌『フォーオブアカインド』」 魔理沙がマスタースパークを放つ寸前、フランが四つに分身し、散開する。 ……ああ、魔理沙のアレは威力は大きいが、立て続けに何発も撃てるようなのじゃない。四つに分かれれば、たとえ一人落とされても戦える、か。 戦術として打倒かどうかは僕には判断つかないが、考えて戦うようになっているな。 「げっ!」 マスタースパークを撃とうとした体勢で、魔理沙が思いとどまる。まあ、デタラメな体力を持つ吸血鬼相手に、効果が薄いのを分かってて使うのは明らかに間違いだろう。 「くっ」 「そこお!」 四つに分かれたフランが、好機と見て魔理沙を攻め立てる。 ああ、良い勝負だ。……よし、追い込め。 正直、喧嘩は好きではない。でも、自分を好きでいてくれる娘が良い調子なら、もちろんそれは嬉しい。 ってなわけで、声援を飛ばした。 「フラン、頑張れーっ」 「え!? 良也!」 あ゛。僕の方を振り向いて、分身四つ、全部硬直。顔が紅潮して、わたわたして、目前にいる魔理沙のことを一瞬忘れたようだった。 ……やべ。 「隙ありいいいいい!!」 「容赦ナシ!?」 くっ、間に合うか!? 僕は、懐からスペルカードを取りだす。……反則御免! 「雷符『エレキテルショック』!」 パリィ! と電撃が迸り、魔理沙へと一直線。 雷なだけあって、このスペルカードの速度は、他のとは比べ物にならない。魔法の雷は正確には自然のとは違うから真実雷速とはいかないけど……それでも、魔理沙が事を成す前に、その腕を痺れさせることに成功した。 「いてっ!?」 ちょいとした痛みと、電気が流れたことによるショックで腕がビクンと跳ねる。 ……距離があるとは言え、この威力は我ながら悲しい。 でも、フランの援護射撃には十分すぎた。 「いくよっ!」 「ちょ、待て! お前らそれズル――!」 興奮したフランに、制止の声など勿論届かず、魔理沙はあえなく撃沈した。 「ズル。卑怯者。割り込み禁止」 「悪かったよ……。正直、テンパってた」 墜落して包帯を巻いている(きっと既に治ってる)魔理沙からの非難の声を甘んじて受ける。 ……まあ、確かに、弾幕ごっこに横槍を入れた僕に全面的に非はある。言い訳をするつもりもない。 「ちぇー、フラン。お前の旦那はずっこいなあ」 「え、え!? 旦那!?」 「何言ってんだ、新聞見たぜ。もう子作りに励んでいるそうじゃないか。立派な夫婦だな、あっはっは」 ……は? 今なんつった? 「しっかし、良也も大概変態だなあ。ま、この幻想郷で常識がどうとは言わないがね」 「ちょ、魔理沙お前くぁwせdrftgyふじこlp」 「……落ち着けよ」 り、リアルでふじこしちゃったじゃないか! 落ち着けー、落ち着けー。 「……魔理沙クン。それは一体、どこの誰が言っていたのかね?」 「なんだ、違うのか? 文々。新聞に載ってたぜ。レミリアも太鼓判押してたし」 ぎゃあああああああああああ!! ど、道理で昨日人里に行ったとき、みんなの僕を見る目が微妙だと思ったら! 見出しだけ見て、読む気なくしたのが仇になった! ぶ、ぶぶぶぶぶぶっ殺す! 返り討ちに遭おうが、とりあえず反抗の意志だけは見せてやる! レミリア待ってろようおおおおおおおお! 「……なにやってるの、良也」 「と、とりあえず頭の中だけでレミリアに反抗してみた」 駆け出そうとした体勢で固まっている。……いやほら、吸血鬼ってこええじゃん。フランはともかく、姉の方は。 それにメイドも怖いね、メイド。萌え萌えなのは大人しいときだけで、ナイフとか取り出したらもう駄目。 「なにやら、不幸な行き違いがあるみたいだが、それはまあお前らで解決してくれ。ケチがついたから、私は帰るわ」 「……ああ、情報ありがとう。あとそれとなく僕はそんなことをしていないと皆さんに伝えておいて欲しい」 「一応、承った。何でも屋だしな、私。報酬はツケといてやるぜ」 「頼む」 任せとけー、と去っていく魔理沙の、なんと格好良いことよ。 それに比べ、レミリアめ。どうやってとっちめてくれようか。……真正面から行くのは無謀極まりないので、ここは搦め手で…… 「ねえ、良也?」 「ん? なんだ。僕はお前の姉に対する嫌がらせ百八式を構築中なんだが」 「子作り、ってなに?」 ブフゥッ!? 「汚いなあ。もう」 「ふ、ふふふ、フラン? それは気にしてはいけない。そういうのは、自然と覚えるものだ。そ、そうだ。咲夜さん……は駄目か。パチュリー……も駄目だ。美鈴……は、なんとなく偏ってる気がするし、小悪魔さんに聞け」 「こあに?」 うんうん、それがいい。悪魔だというのに、常識人な彼女なら、コウノトリとかキャベツ畑とか、うまいこと誤魔化してくれるに違いない。 「うーん、それより」 「そ、それより?」 頼むから、興味をなくしてくれ。そんなのは、まだ早い。早すぎるんだよ、フラン。 ……で、何故に懇願するように上目遣いをする? 「それより、良也が教えてくれる? 子作り」 ……とりあえず、僕は手近な柱に頭をガンガン叩きつけて、一回死んだ。 邪念よ、去れ。 あ、あともう一つ。 「レミリアァア! この新聞の記事はどういうことだ!?」 「あら、気付いたの」 しれ、っと言ってのけましたよこの吸血鬼! 「嘘じゃないわよ」 「嘘だろ! 絶対!」 記事には『良也は、こっちに来るごとにフランと子作りをしているわ』とある。 ありえん! 「吸血」 「……は?」 「だから、吸血。私達は吸血鬼で、血を吸って仲間を増やす。……立派に子作りじゃない? まあ、この場合、子になるのは貴方だけど」 ……オイ!? 「良也ー、それで、どうやるの子作りってー?」 「あら、フランも興味を持ったみたいね。良也、人間式を教えてあげたら?」 もういやあああああああああ!! |
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