バレンタイン。 聖ヴァレンティヌスに由来する行事であり、日本では女の子が男の子に甘いチョコレートと共に愛を伝える日として知られている。 まあ、義理チョコやら友チョコやらの派生はあれど、総じてこう、ピンク色の空気が蔓延する日だ。二週間後に迫ったバレンタインに向け、外の世界のお店ではバレンタインコーナーなんぞが設置され、普段は見かけない可愛らしいチョコレートが店頭に並んでいたりする。 ――つまり、僕にとってはどーでもいい日である。 学生時代からバレンタインでチョコをくれるのは母さんと妹くらい。後はゲームのバレンタインイベントをやって無聊を慰める日々だった。職場じゃ、互いに気を使わせるだけだからだって、こういうプレゼント系の行事は自粛の雰囲気だし。 なんだって? 教え子の女子高生からチョコのプレゼント? ……そんなファンタジー、あるわけねぇだろ。 しかし、僕は開眼した。名付けて、 「外の世界でチョコがもらえないなら幻想郷にバレンタインを広めればいいじゃない作戦――!」 「長い上に捻りがありませんね……」 この壮大な計画を語って聞かせた相手は呆れ顔だが、しかし侮るなかれ。外の世界では僕の女友達はそう多くはないが、幻想郷では別だ。年齢や性格に目を瞑ると、知り合った美女美少女は五十人を優に超える。 これだけの知り合いがいれば、一人や二人、義理チョコをくれる奴がいてもおかしくはない――! とまあ、元々はほんの軽い思いつきだったのだが、話していると段々熱が入ってしまった。あれ、おかしいな。僕、潜在意識ではチョコ欲しい病に罹ってたのか? まあいい。 「というわけで、射命丸。宣伝に協力して欲しい」 「……いや、私としてはいいですけどね。ネタとしては面白いですし」 折り入って話がある、と来てもらった射命丸は、メモを取りながらうーんと唸り、この完璧な計画にケチを付け始めた。 「……でも、多分その知り合いに含まれているであろう私に言わせると、貴方の知り合いで素直にチョコ渡してくれそうな人っていますかね?」 「い、いるよ」 ほら、こう、僕的に安心して接することが出来る組……美鈴とか妖夢とか慧音さんとか聖さんとか……あれ? 五十人以上いると豪語したはずなのに、どう計算しても渡してくれそうなの十人に届かないぞ? い、いや逆に考えよう。ゼロよりはマシだ、ゼロよりは。 それに、もしかしたら思わぬ相手がくれるかもしれん。例えば、そこの縁側で我関せずと茶を啜ってる霊夢とか。 「なんで貴重な甘味を他人にあげないといけないのかしら」 「……僕、まだなにも言ってないんだが」 「え? 私にくれるかどうか聞こうとしてたでしょ」 ぬ、ぬう。博麗の巫女の勘は侮れんな。 なら、このことを記事にしてくれる射命丸は、 「勿論、私に期待はしていませんよね」 「……わかってたよ畜生!」 別に僕だからというわけではなく、射命丸はイベントは煽っても自分は参加しない組だ。 「ま、丁度次の新聞の記事に困っていましたし、記事にはさせていただきますよ。それでは」 射命丸が翼を翻し、飛び立っていく。 あの様子なら、来週来るまでには新聞を発行してくれるだろう。 ふふ……身内以外からの初のチョコ、楽しみかもしれない。 目論見通り、翌週にはバレンタインディについて書かれた文々。新聞が発刊されていた。 僕は人里で菓子屋を広げる片手間、一昨日に届いていたという新聞を広げて読んでみる。 バレンタインの記事は、一面を使って記載されており、射命丸の軽妙な文章でその経緯や行事の内容が書かれていた。 『恋人や夫に、または想い人に。甘い気持ちを甘いチョコレイトに込めて送ってみてはいかがでしょう』 中々に女心をくすぐる文章である。僕女心とかよくわかんないけど。 なお、勿論義理チョコの存在もしっかりと紹介されており、本命チョコとの違いを強調している。 これならば、普通の友人にも気楽な気持ちで贈ることが出来るだろう。 勿論、この新聞一つで幻想郷中に流行するとは思わないが、僕も地道に布教する予定だ。なにせ、日本のバレンタインは製菓業界の販促により今のカタチとなったのだから。同じことが、幻想郷のお菓子屋さんをやってる僕に出来ないわけがない。 クックック……勝った。 「あの、いいですか」 「はいはい、いらっしゃい」 新聞を読んでいると、お客さんが来る。女の子だ。 「板チョコを三つください」 「はいはい」 見ると、彼女の手には文々。新聞が。 ……早速、宣伝の効果があったらしい。 よし、この調子なら、僕の目論見通りになる。 会計を済ませながら、僕は内心ほくそ笑んだ。 っと、次のお客さんが来た。その後ろには二人連れ、五人連れ、更にその後ろには……あれ? ――僕は些か恋する乙女とやらのパワーを侮っていたらしい。 まず、前提として、この幻想郷にカカオは存在しない。 つまり、チョコレートの入手先は、土樹菓子店のみとなる。 今回のバレンタイン販促計画のため、今日はチョコ菓子を多めに仕入れてきた。 しかし、しかしである。 「ちょっと! チョコってもうないの!?」 「さっきの子、二つ買ってったわよね!」 「彼に贈るためのチョコレイトが……土樹さん? 隠すとためになりませんよ」 里の妙齢の女性たちに囲まれて、嬉しいなー。あっはっは…… チョコレートを買い求めて集まった三十人からの女性に囲まれ、僕は半分泣きが入り始めていた。 「え、えーと……すみません、本当にもう、今日はからっけつです! 次はたんまり仕入れてくるので、ご勘弁を!」 声を張り上げて説明する。 それが伝わったのか、それともまだバレンタインまで日はあるからか。少しずつ集まったお客さん達は散っていき、ようやく菓子店の片付けに入ることが出来た。 「まいった……」 どないしたもんだろう。 と、悩んでいると、上空でばさっと音がして、目の前に人影が降り立った。 「どうやら大繁盛だったようですね、土樹さん」 「射命丸か……ちょっと、僕の予想以上の反応だったよ」 「ええ。やはりこういうイベントは楽しまないと損ですからねえ。私も、記事を書いた身として鼻が高いです」 「明らかに、文々。新聞の部数以上に人が集まってたんだけど」 「そりゃそうですよ。口コミとか、回し読みとかもあるんですから」 ちょっと奥さんこの新聞見ました外の世界にはバレンタインなるものがあって好きな男性にチョコを贈るそうですよへえそれは知らなかったわうちの娘にも教えてあげましょう。 ……こんな感じで噂が広まった様子が容易に想像できる。 「……何個くらい用意すればいいと思う?」 「さあ。多分、妖怪も一部はノるでしょうし、何個必要かは私にもちょっとわかりかねます」 「チョコレートじゃなくて饅頭とか贈るよう、改変できないかな。実際、バレンタインって必ずしも贈るのはチョコだけじゃないんだよ。他のお菓子とか、普通にプレゼントとか、メッセージカードとか」 「反響が大きい記事なので、追加で書くのは構いませんが……やはり、最初に出た情報ってのは強いですからね。チョコレイトを欲しがる人の方が多いんじゃないですかね」 幻想郷では饅頭でも贈るよう、なんとか噂を操作しないといけない。ほら、あんこもチョコも黒くて甘いものって意味じゃ似てるし同じようなもんだろ。実際、スーパーのバレンタインコーナーでも見たことあるし。 ああ、それをするとなると、里の菓子屋さんにも話を通さないと。売上が伸びるとなれば、そう嫌な顔もされないだろう。 「なにか、適当な思いつきで余計な苦労を背負い込んだ気がする……」 バレインタインにプレゼント貰えたら嬉しいなー、という軽い気持ちだったのに。 「ご愁傷さまです。私としては良い記事のネタをもらってありがとうってところですかね。ではでは、先程の追加の原稿を書かないと行けないので、これにて」 射命丸が去っていく。 はあ……次来る時は、たくさん仕入れておかないと。 現実問題、安い板チョコでも百円弱はする。 僕一人で幻想郷の女性の需要を賄いきることは財布的に不可能だ。 そんなわけで用意したのが駄菓子屋の定番。五円硬貨をモチーフにした、値段も同じ五円のチョコ菓子。 こいつを百枚単位で買ってきた。チョコ菓子の大袋の中身を小売しようかとも思ったが、こっちのほうがなにかと都合が良いのだ。 明日に迫ったバレンタインに向けて、土樹菓子店は大々的にこいつを売り出している。 「え? 小さい? いやいや、勘違いしないでください。これ、外の世界の五円の通貨をモチーフにして……用は、恋のご縁がありますようにって語呂合わせですよ」 こういう縁起を幻想郷の人たちは大切にする。 射命丸の予想通り、別の菓子を贈る旨の記事が出てもチョコを欲しがる人間が多かったのだが、なんとかこれで一段落できそうだ。 少数だけ準備したちょっとお高いチョコレートは、これは一世一代の告白をする女の子用ってことで、取り置いている。 「先生、どうも」 「お、東風谷か」 よう、と手を上げて挨拶をする。 「射命丸さんに聞きましたよ。先生が火付け役になって、こっちでもバレンタインを流行らせようとしているらしいですね」 「まあな。東風谷もどうだ、これ」 見せると、東風谷は苦笑して、 「じゃ、適当に二十枚程ください。お世話になった人にでも配ります」 「毎度あり」 よし、これでチョコくれる人一人ゲットだ。 多分、僕は東風谷的に『お世話になった人』に分類されるだろ。されるよね? 実は別にどうでもいい人だったー、ってオチになったりしないよね? じー、と東風谷を見つめるが、ハテナ顔をして去っていった。 ふっ、まあいい。次だ、次。 「お、妖夢じゃないか」 「ああ、良也さん」 「買い物ついでにチョコでもどうだ?」 「ああ、今噂の……贈る人もいないんですが」 くい、くい、とアピールしてみる。……気付いてもらえなかった。アピールがささやかすぎたか? 「まあ、話の種に、五枚ほど頂いていきましょうか。幽々子様もチョコはお好きですし」 「毎度ー」 僕のこと、忘れてないよね? とりあえず、妖夢の背中を見送り、次の客の対応へ。 「おう、良也。またうまそうなもん置いているじゃないか」 「魔理沙か……」 こいつはもらう方な気がする。男前だし。 「バレンタインねえ。外の世界の行事も変なもんだな」 「そんなに変か?」 「好きって伝えたいんなら、こんなかたっ苦しいことしなくても、さっさと言えばいいじゃないか」 「……そうかい」 まあ、魔理沙はこういう機会でもないと思いを告げられない人とは違うよな。 「ま、折角だしちょっともらおうか。適当に包んでくれ」 「はいよ」 魔理沙が去り、また次のお客。 ……なんか知り合いが連続するな。 「針妙丸か」 「よう、良也! お菓子買いに来たぞー!」 ともすれば見失ってしまいそうな小さな身体をお椀に詰めて、ふよふよと浮いてやってきたのは針妙丸だ。 「うん? 今日はなんか黒いお菓子が多いなー」 「チョコレートだ。そっちの立て看板を見てくれ」 初見の人にも知ってもらえるよう、菓子店のスペースの脇に立て看板を立て、文々。新聞を貼り付けているのだ。 「ほほー、ばれんたいん?」 「そうだ。針妙丸は好きな男とか……いないよな」 「うん」 わかってた。 「まあ、友達とかに義理チョコでも配れば?」 「そうだなー。それに、自分で食べるにもちょうどいいサイズだし」 ああ、文字通り五円玉サイズだしな。針妙丸にとっては、食いやすいサイズだろう。 「じゃ、少しもらうかなー」 「お椀に入れりゃいいか?」 「それでお願い。あ、お金も入ってるから」 針妙丸のお椀に五円チョコを数枚入れ、代金をいただく。 「そんじゃね」 「はいはい。今後共ご贔屓に」 ふむ、結構好評だな。色恋に縁のなさそうな面子も普通に何枚か買っている。 サイズと値段的に手が出しやすいのかね? これは、今後も普通にラインナップに加えてもいいかもしれん。 等と算段を立てつつも、手と口はちゃんとお客さんの相手をする。 結局、その日の客足が途絶えることはなく、翌日に迫ったバレンタイン当日を控えて、僕は博麗神社に帰るのであった。 「……おかしい」 翌日。博麗神社の縁側で茶を啜りながら、チョコを持ってきてくれる女性客の訪問を待っていた僕は、一向に誰もやってこない状況に一人呟いた。 「どしたの、良也さん」 「いや、今日バレンタインだろ」 「ああ、そういえば今日だっけ? 里の方ではエライ盛り上がってたわね。で、それが?」 そんな他人事みたいに……霊夢とて年頃の少女なのだから、少しくらい興味を示せばいいものを。 まあ、それは今はいい。 「いや、昨日は、僕の知り合いもたくさんチョコ買っていってくれたんだよ」 あの後も、知り合いの人妖が何人もやってきて、それぞれ購入していったのだ。 「うん、それで?」 「……こう言うと浅ましいって思われるかもしんないけどさ、一人くらい、僕にくれる人がいてもいいんじゃないかなー、と思ってたんだよ。もちろん義理でいいからさ」 もしかして、僕のいる場所がわからなかったりするんだろうか。確かに色々と出かけることも多いが、大体は博麗神社を中心に動いているんだけど。 なんて悩んでいると、霊夢は苦悩するように頭を抑えて、 「…………はぁ〜〜」 「おい、なんだその溜息」 「まさか気付いてなかったとは。変な計画立て始めてた時から思ってたけど……。あのね、良也さん」 まるで聞き分けのない子供に言い聞かせるような口調で、霊夢がのたまった。 「普通に考えて頂戴ね? 普通、露店で買ったチョコを、その露店の店長に贈るかしら。なんかおかしくない? 構造的に」 「……ん?」 僕→チョコ売る、お金もらう 相手→僕にチョコ渡す ……あれ、これ成立したら、お金しか移動してなくね? 「い、いや、こういうのは気持ちだし」 「じゃ、ちょっとやってみましょうか。良也さん、昨日チョコ売れ残ったって言ってたでしょ」 「ああ。まあ十枚もないんで、後で食おうかと」 「それ一枚売って。はい」 小銭を渡される。ポケットに入ってた五円チョコ渡す。 「はい、良也さん。バレンタインのチョコ」 霊夢は受け取ったチョコをそのまま僕に返す。 「……これ、嬉しい?」 「あんま嬉しくない……」 あ、あれ、おかしいな……身内以外からの初めてのチョコレートだというのに、全く沸き立つ感情がないぞ? 半分やけになって霊夢から渡されたチョコを食らう。 そして、手元に残るのは霊夢からもらった代金の小銭のみ。 「あ、今のはお試しだから、それは返してね」 小銭もなくなった。 ……虚しすぎて涙が出そうだ。 「ほら、他の奴が良也さんに贈らないのもわかるでしょう?」 「やる前にわからなかった自分が嫌だ……」 なんか、とても無為なことをした気がしてならない。 「でも、新しい行事を作ったのはいいことよ。別の宗教の聖人が由来なのは気に喰わないけどね」 「そうか……」 霊夢が慰めてくれたが、僕は徒労でずっしりと肩が重くなるのであった。 そうして、僕のバレンタインは、幻想郷に新たな定番行事を提供しただけで終わった。 まあ、翌年は別の、幻想郷でも手に入るお菓子で代用する噂を広めることに成功し、何人かから義理で和菓子なんぞをもらったので、この年の失敗については忘れることにしよう。 | ||
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