夏休みが終わり、夏の猛烈な暑さも収まりつつある今日このごろ。
 オカルト的なアイテムが満載の英文学部部室で、いつも通りの藤崎、高宮、天海の三人組と僕は、静かに読書をしていた。

 意外に思えるが、これが割と普段の英文学部の姿だ。今、"実践派"が一年の天海しかいないこともあって、もう卒業した西園寺がいた頃に比べるとこの部はずっと大人しくなっている。今は、ちょっとオカルトグッズとそれ系の蔵書が無闇に充実しているちょっと変わった部活動の範囲に収まっていた。
 来年は、部員増を目指さないと……藤崎が卒業したら、部員が二人だけになっちゃう。

「ふむ、ふむ……成る程」
「天海ー。お前、ラテン語読めないだろ。大人しくこっちの英訳版でも読んでなさい。まだしも勉強になるから」

 訳知り顔で部室においてあったラテン語の魔導書を本棚から取り出した天海にツッコミを入れる。

「む、嫌です。私はこれを読みます」
「なんで」
「だって、ラテン語の方が格好いいから!」

 救えねえ。
 どこぞの錬金術を武装した漫画の主人公のようなことをのたまう天海に、僕は肩がどっと重くなる。

 ちなみに、言いはしないが、その魔導書。誤訳だらけで魔導書としては役に立たないぞーっと。
 まあ、それっぽい文字を眺めているだけでテンションが上がる天海には丁度いいのかもしれないけどさ。

「あ、そだ。そういえば、来週体育祭だね」
「ん? ああ。そういえば、そうだったな」

 藤崎がふと思い出した様に顔を上げてみんなに話しかける。
 そうそう、つい昨日の朝礼でも言ってたな。前日には設営の準備で忙しいんだろうなあ。

「藤崎先輩は赤組ですか? 白組ですか?」
「ん、あたし赤。高宮ちゃんは?」
「私も赤です。当日はよろしくお願いしますね」
「はいよー。ちなみに天海ちゃんは?」
「私は白です」

 へえ、と藤崎が好戦的な笑みを浮かべる。

「じゃ、ライバルだね。負けないかんねー」
「ふっ、いくら先輩とはいえ、勝負の世界は非常なもの。このパイロキネシスト天海千裕、全力を持って迎え撃ちましょう」
「くう、エスパーガールか、手強そうだ!」

 お前ら、いちいち芝居がかった言葉遣いして、疲れへんの?
 なにやら気炎を上げつつ不敵に笑い合う藤崎と天海に、僕はそんな感想を抱く。

「天海、ちなみに発火能力を体育祭でどう生かすつもりだ?」

 気になったので聞いてみる。いや、簡単な制御のコツくらいは僕が教えたんだけど、こいつの発火能力、多少成長してもちょっとした花火が精々なんだけど。

「こう……足元を爆破してですね、その勢いでダッシュをする予定です」
「靴燃えるだろそれ……」

 自分の火炎には耐性があるはずだから、火傷はしないにしてもだ。

「大体、周りには隠すんだろ? なぜなら……」
「はっ、そうでした。その方が神秘的でミステリアスですもんね」
「はいはい、神秘的神秘的」

 下手に本物だと知れて騒ぎになったりするのは面倒臭いので、こいつがこんな妙な美学を持っているのは助かる。

「ちなみに、高宮はどんな競技に出るんだ?」
「私ですか? ええと、運動はちょっと苦手で……全体参加のもの以外は、ムカデ競争とパン食い競走に出るくらいです」
「……そういやあったな、パン食い競走」

 僕の母校ではなかった競技だったので、印象深い。やってみたいが、学生限定なんだよねこれ。

「ちなみに、なにを隠そうあたしは運動が大得意なんで、たくさん出る予定」
「うん、なんとなくそんな気がした」

 自慢げに胸を張る藤崎をはいはいと流す。こいつ、こんな部活に入っているくせに、時々運動部の連中に混じって走ってるからな……

「天海は?」
「まあ、私は普通です」

 そっかー。しかし、見事に三者三様に分かれたな……。
 ちなみに、勉強においてはこの順序が見事に逆転するのはご愛嬌である。

「ちなみに、そういうせんせはどうすんの?」
「教師だしなあ。当日は、色んな雑用をやることになると思う。職員対抗リレーにはアンカーで出るけどな」
「へえ! 足速いの?」
「いや、普通。年配の人が多いから、教師の中では速いけど」

 これでもピッチピチの一年生教員である。職員室にいる他の先生方は、若くても二十代後半。そして、体育系の先生は三十代からの人ばかりなので――必然的に、僕はかなり速い方に分類されることになる。

「へえ、でも、つっちーせんせは魔法使いなんだから、足も速いんじゃないの?」
「……お前の中で魔法使いは一体どんな存在なんだ」

 まあ、そういう肉体派の魔法使いもフィクションではよく見かけるけどね。
 でも、我が師匠であるパチュリーはあの通りの身体の弱さだし、アリスも妖怪の中では非力な方だ。基本的に、古き良き魔法使いは身体的には貧弱だ。
 ……元気が服を着てカッ飛んでいる魔理沙と、仏教系肉体強化魔法使いの聖さんは、多分どっちかというと例外。

「大体、そういうのは競技じゃ使わないっつーの」

 さりとて、僕も多少の肉体強化くらいは出来る。正確には測ったことはないが、多分、人間離れした速さを、出そうと思えば出せるだろう。
 更に、調子のいい時は最大3.2倍、調子の悪い時で2.7倍くらいの相対速度を得られる時間加速を用いれば、まあ、世界記録を余裕でブッチしたタイムを叩き出せることは想像に難くない。

 だからなんだという話だが。僕の素の足の速さは、平均ちょい上が限界で、こういう競技会でそんな面妖な力を使うつもりはない。大体、正当に鍛えている人に失礼だろう。あんまり騒がれたりするのも面倒だし。ちなみに、後者が本音。

「まあ、とりあえず、当日は怪我しないようにな」

 そう言って、この日はお茶を濁すのだった。























 さて、そんな会話をした翌週。

 早いもので、慌ただしい準備や予行演習も終え、とうとう体育祭当日がやってきた。
 ……ていうか、疲れた。先輩方め、いくら僕が若造で一番下っ端だからって扱き使いすぎだっつーの。準備では遠慮することなく、ちょっと身体強化してハードルやら綱引き用のロープやらを運んでいたら、意外と力持ちだって騒がれてこれでもかと使い倒された。
 くっ、これで教頭先生からジュース奢って貰っていなければ拗ねていたところだ。

「お願いできるかな」
「あ、はい。……どうぞー」

 そして、本番当日である今日は、僕は校門のところで受付をしていた。

 この高校の体育祭は、一応一般公開をしている。ただ、腐っても(実は、腐女子が多いんだよね)女子高でありお嬢様校。不埒な輩が押しかけてきては一大事と、生徒に配布される招待用のカードを持っている人しか入場は認めていない。
 ってなわけで、受付としてカードの確認をやっているわけだ。

「よろしく頼む」
「はいー……って、あ、高宮さん」
「やあ、おはよう。精が出るね」

 もうすぐ開会なので入場者が徐々に少なくなりだした辺りで、高宮の祖父である高宮誠司さんがいらっしゃった。後ろには、高宮の両親らしき二人もいる。

「お養父さん? お知り合いですか」
「以前話しただろう。土樹良也くんだ」
「ああ、栞の恩人で、部活の顧問だという。はじめまして、栞の父の高宮龍一です」

 高宮の父である紳士が、折り目正しく挨拶をしてくれる。『ど、どうも』とちょっと緊張する僕。

「妻の奏です。娘がお世話になりまして……あ、今もお世話になっているのかしら」
「いえ、良い生徒さんで、僕も助かっています」

 はは、教師の返事ってこんな感じ?
 ……が、外部の人とあんまり会わないから、わっかんねえ! これだから教師は世間知らずだとか言われるんだよ!

「……はい。カード確認できました。ようこそ」
「ありがとう」
「先生も頑張ってください」
「栞ちゃんのことも今後共よろしくお願いしますねー」

 はーい、とひらひらと手を振って見送る。

 次の人は……暫く来ないかー。

 ぼけー、としていると、開会式が始まったらしく、遠くで入場行進の音楽が聞こえる。
 ……開会式が終わって、交代の生徒が来るまでは僕一人なんだよね。

「……がんばれ〜負けんな〜力の限り生きてやれ〜」

 遠くで聞こえる祭りの音が妙に寂しさを誘って、僕はそんな独り言で自分を慰めるのだった。



























 さて、受付を交代した後も、新任の教員の仕事は目白押しだ。

 競技の道具の入れ替え、列整理、審判……
 無論、生徒たちも手伝ってくれはするのだが、女子高なだけに、道具の入れ替えは文字通りの意味で荷が重い。ここでチンタラしているとプログラムの進行に影響が出るので、僕が張り切るしかなかった。

 今も、障害物競争で使用した平均台をニ個、まとめて肩に担いで運んでいる。

「うおっと」

 うむむ、重さは問題ないけど、バランスを取るのが大変だぞ、これ。

 それでも、えっちらおっちらと道具類をまとめて置いてある場所に運び入れ、ぐい、と背中を伸ばす。

「ふう……。次の往復はー……必要ないかな」

 もう大分片付いていた。
 一応、これで午前の仕事は終わり。残りのプログラムは道具とか必要のない競技だし、列整理のシフトも入ってない。

 尻ポケットに入れてある、自分の仕事の予定を書き込んだプログラム表を確認し、うん、と一つ頷く。
 次は一年生の綱引き、その次が午前最後のプログラムである二年生のクラス対抗リレー……か。

 二年生の集団は、既に入場門のところでスタンバっている。教職員用の観戦席に向かう途中、その集団の近くを通り過ぎ、

「あ、先生」
「んお? ああ、高宮」

 列の外側に待機していた高宮に呼び止められた。
 プログラム表から顔を上げると、赤組の証である赤帽を被り学校指定の体操服を着た高宮が、体育座りで待機していた。
 よう、と手を上げて近付く。

「次、出番か。頑張れよー」
「はい! 見ててください」

 いや、普通に見るけどさ。なしてそんなに気合入ってんの。
 高宮の様子にちょっと引いていると、その隣に座っているお調子者で有名な生徒が手を上げて言った。

「土樹先生ー、あたしたち勝ったら、ジュースでも奢ってー」
「……そういうのは担任の吉田先生に言ってくれ」

 確かに、君達の英語は担当しているが、その全部のクラスの生徒にジュース奢ったら僕の財布がとっても辛いことになりますよ。

「ちぇー」
「まあ、高宮とか、英文学部の連中には、奢ってもいいかな……」

 小声で呟く。聞こえないように言ったつもりだったのだが、その生徒は耳聡く聞きつけぶーぶーとブーイング。

「あー、贔屓だ、贔屓」
「お、おい。頼むからやめろ」

 特定の生徒を特別扱いすると困ったことになるんだって! いや、ジュース奢るくらいは黙認されるけど、今日は保護者も来ているんだからさぁ!
 僕が顔を引き攣らせていると、そのブーイング生徒は高宮の背中をぱん、と叩き、

「ま、良かったじゃない、しおりん。土樹先生がジュース奢ってくれるってさ」
「は、はい!」

 ええー、また予想外の気合の入り方? いや、お嬢様の癖に、ジュースの一本でとは。お手軽な子だなぁ。

「んじゃ、僕は他の先生達と一緒に見てるから」

 手を振って別れて、観戦席へ。
 ブルーシートに靴を脱いで上がる。

「お。土樹先生、お疲れ様」
「広畑先生。どうも」

 僕が副担任をしているクラスの担任にして、三十歳の男性教諭である広畑先生が、労いの言葉をかけてくれる。
 何気に、男の教師としては一番年が近いし、職員室の席も近いので、なにかとお世話になっている人だ。

「ふう」
「はは、やっぱりあんだけ運んだら疲れたろ。鍛えてないようで、意外と力強いんだなあ。若さかねえ」
「まあそんなところです」

 魔力を体に通していたのは内緒である。

「あれ、土樹くんじゃないか」

 と、広畑先生と話していると、聞き覚えのある声が僕を呼んだ。

「ああ、どうも。高宮さん」

 息子夫婦と観戦に来ている高宮さんだ。
 保護者席と職員席は隣り合っていて、その丁度境界辺りに腰を下ろしているので、こういう偶然もある。
 受付をした高宮の両親も軽く会釈をしてくれた。

「そうだ。ご存知だとは思いますが、高宮……ええ、と栞ちゃん、次のリレーに出ますよ。第二レーンで、確か十一番走者だったはずです」

 全員、高宮性だった。僕は少し迷ってから、ちゃん付けで呼ぶことにする。一教師が娘をちゃん付けにしていることに、高宮のご両親は……よかった、別に気を悪くしているわけではないようだ。
 そんな僕の恐れも知らず、高宮さんは嬉々として、

「ああ、勿論知っている。ほら、龍一さんにお願いして、ビデオも買ってね。はは、年甲斐もないな」

 と、脇に置いてあったハンディカメラを取り上げ見せてくる。

 う、カメラなんぞは詳しくはないが、明らかに高級品だ。流石、財閥の一族。
 ってか、考えてみると、うちの学校の保護者っつーからには、集まっている人たちの一割くらいは日本の政財界の重鎮なんだよな。
 流石に高宮財閥に匹敵する家柄は一年生にあと一人いるだけだそうだが(担当してないのでよく知らない)、そう考えてみればたまにテレビやニュースで見る顔がちらほらと。

「そうだ。良也くんはお昼はどうするんだ?」
「え? 今日は食堂も営業していませんし、コンビニか何かで済ませようと思っていますけど」
「それなら丁度いい。よければ一緒に食べないかい? 奏、大丈夫か?」
「はい。余ったらお夕飯にすればいいかな、って思って、たくさん作ってきました」

 ぽんぽん、と高宮母はボストンバッグを叩く。ちらっと見えるお重は、確かに四人で食べるにはキツそうな量だ。

 ああいや、しかし……いいのかな?
 ちら、と助けを求めるように広畑先生に視線を向ける。

「いいんじゃないか。別に。ねえ?」
「ああ。保護者の方と交流するのも悪くない」

 と、広畑先生が隣に座る年配の人にも確認をとると、別段問題ないらしく、鷹揚に頷かれてしまった。

 ……まあ、そうなると、断る理由はないわけで、

「ええと、それじゃあ、ご一緒させてください。あ、今日は弁当を食べるためのスペースとして食堂が開放されていますから、食べるならそこがいいと思います」
「そうか。その辺りは、お任せしようかな」
「ええ。よろしくお願います、土樹先生」

 高宮父もそう言って頷く。

 さて……お昼がちょっと楽しみになってきたぞ?

























 お昼は、一人に抜かれはしたものの、必死で走りきった高宮を中心に、和やかな空気の中で食べた。
 用意されたお重は、量こそ多いもののみんな庶民的な料理ばかり。『たくさん食べてください』という高宮母の言葉に遠慮するのもなんだ、と僕はたくさん食べた。特に鰆の照り焼きが美味かったなあ。
 流石に一人暮らしだと、ああいう料理は中々作る機会がない。今度、幻想郷の宴会ででも作ってみるかな。

 んで、腹も膨れ、午後の競技も順調に消化。

 僕が赤組のアンカーを務める職員対抗リレーでは、それまで築き上げてきたリードを何とか守りきり、フィニッシュを飾った。
 その甲斐あって、体育祭は赤組の勝利に終わり、閉会式。

 お昼の礼を言いがてら、高宮さん一家を見送って、片付け。
 と、午後はちょいとスケジュールが過密だったため、怒涛のように過ぎていった。正直、ヘバった。

 そして、その労働の甲斐あってか。今まさに、教職員一同による、体育祭お疲れ様の飲み会が開かれようとしていた。

「え〜、今年も大怪我する生徒もなく、無事体育祭を終える事ができました。来月からは文化祭の準備が始まります。そちらも頑張って行きましょう」

 グラスを持ち、挨拶をする校長先生。
 この校長先生は、挨拶は簡潔にしてくれるからいい。

 もう二言、三言だけ重ねて、大きくグラスを掲げた。

「では、乾杯!」
『かんぱーい!』

 僕も大きく声を張り上げ、次いでビールをグビグビ飲む。
 いやー、今日は暑かったから、冷たいビールが美味い!

「っと、土樹先生、早いなあ。どうぞ」
「これはどうも、上泉先生」

 隣に座る女教師から酌を受けて、すぐにまた半分程を一気に呑む。うむむ、これはピッチャー三、四杯は呑み干すペースかも知れん。

「ふう、美味い」
「土樹先生、見た目の割に呑むね」
「まあ、好きですから」

 はは、と上泉先生に笑いかける。

「にしても、今日はやられたよ。私、これでもまだまだ現役だと思ってたんだけどなあ」

 ……そう、上泉先生は僕と職員対抗リレーのアンカーで競い合った先生なのだ。
 三十代前半の女教師。既婚者で、一児の母という上泉先生は、昔は陸上の短距離選手だったらしい。

 美人、という感じではないが、きっぷの良い性格と面倒見の良さで生徒からの人気は非常に高い。

「はは、まあ、こっちが先行していましたし。勝たせてもらいました」
「全然差を詰められなかったけどね」

 まあ、逃げ足だけは無闇に鍛えられていますから! とは言えないな。

「でも、お陰で明日は筋肉痛になりそうですよ」
「運動不足ね。どう? たまにはうちの部活に混じって練習する?」
「上泉先生のって、陸上でしたよね。……いえ、それは遠慮させてください。運動は苦手なんですよ」
「でも、今は若いからいいけど、運動不足でお酒が好きってなると、十年後は太るよ〜?」

 ちら、と上泉先生は周囲の何人かの男の先生方を見渡す。控えめに言って、恰幅の良い人が多いので、皆さんそそくさと視線を逸らしていた。
 この前の健康診断では、色々とヤバい人も多かったみたいだしなあ。……僕? 健康は僕の数少ない取り柄です。

「はは……多分大丈夫です。昔っから、あんま太らない体質なんですよ」
「そうやって油断しているとメタボとか怖いよ。……うーん、まあその時になってもそんなこと言ってたら、無理矢理走らせるか。覚悟しといてよ」

 うわあ、こええ。
 よし、少しは健康に気を付けることにしよう。蓬莱人って極端に体型が変わったりしないそうだけど。

「じゃ、私は他の先生方に酌でもしてくるわ。じゃーね」
「はーい」

 ひらひらを上泉先生を見送って、僕は逆隣の先生に話しかける。

 今日は楽しい酒になりそうだ。








 なお、翌日。二日酔いと筋肉痛のダブルコンボで、体育祭の代休は一日中寝るハメになるのだった。



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