ふーむ。 「……寒い」 この前来た時より薄着だったのが災いした。慌てて周囲の温度を上げて暖を取る。 頭上には満天の星々とまん丸の月。眼下には雲と街の灯り。 ここは上空ン千メートルの上空。ちなみに幻想郷ではない。外の世界だ。 何故僕がここにいるか……それは、空を飛べる生き物にとって、地上にずっといるのは意外とストレスが溜まるからに他ならない。 いや、実際じれったいんだよ。普段はそこまで気にならないけど、遠くに移動するときとかに地面を歩くのが非常に億劫になる。時々、周りの目とか気にせず思いっきり飛んで移動したい、という欲求に駆られるのだ。 と、言うわけで、僕はこうしてたまに、人目を忍んで夜空の散歩と洒落こんでいるのだった。ここまで上空に来れば、まず見つからない。今日みたいに雲の多い日はなおさらだ。 ただ、時間帯はどうしても夜間になってしまうのが不満といえば不満だ。まあ、まさか真昼間から飛んで、『空飛ぶ男を見た奴ちょっと来い』みたいなオカルト板辺りでスレが立てられて数レスしかつかずネットのジャンクと成り果てるようなネタを提供するわけにはいかないし。 離陸と着陸については注意する必要があるけど、光符の応用で風景を誤魔化すくらいは出来る(ちなみに、ある程度近付くと不自然すぎてバレバレだったり)ので、今までは騒ぎになったことはない。 「あー、いい月だ」 そして、今日の目的は満月だ。丁度いい明かりの月だっつーのに、雲で隠れてたから、こっちから見に来たのだ。 すう、と月明かりの下を音もなく移動する。 遮るものが何もない空の散歩は気持ちがいい。上下左右前後とひとしきり好き勝手に飛び回り、それでも視線は上に固定。優しい光を受けて、何だかウキウキする。ふっ、こんなのでわくわくするとは、僕もまだまだ子供だな。 あー、しかし、贅沢を言えばこの月を肴に呑みたいところだ。でも、もしうっかり酒瓶でも落としてしまっては大惨事なので、今日は我慢するしかない。あ、海の上まで行けばいいか? 「あー、酒呑みてえ」 「あら、いいわねえ」 ギクン、と思いっきりビビる。 なんだ、誰だ。この誰もいないはずの空中で話しかけてくる奴は。飛行機やヘリなら音するし…… いやいやいや、僕よ。このパターンはいい加減慣れようぜ。 「……っていうか、お前しかいないよな」 「はぁい、良也。いい夜ね」 振り向いてみると……案の定、胡散臭い笑顔を浮かべた八雲の紫さんが空中に開いた隙間に腰掛けていた。 「なんでこんなところに?」 「それはこちらの台詞でもあるのだけれど。貴方、こんなところでなにやっているの?」 「いや、月見……」 ほれほれ、と上に見える見事な満月を指さす。 「なら、私もそんなところよ」 「ならってなんだ、ならって」 「さて、お酒が呑みたいんだったわね。丁度私も呑みたくなったことだし、一緒にどうかしら」 隙間からのぞく亜空間的なナニカからは相変わらず不気味な目玉や道路標識や理解したら発狂しそうな変なのが覗いており……その中に手を突っ込んだスキマは、純米大吟醸とラベルの張られた一升瓶を取り出す。 「どう?」 「……いただくけどな」 急に、どうしたんだか。 警戒心を解いてはいけないと思いつつ、心は既に酒の方に行っている。 スキマが同じく隙間の中(ややこしい)から盃を取り出して放り投げてくる。 「おわっとっ!? 投げんなっ」 「落としちゃ駄目よ」 ったく、手を滑らせたらどうするつもりだったんだ……まあ、こいつがいるならなんとでも出来そうではあるが。でも、スキマの場合、仮に落として人間が死んだりしても屁とも思っていなさそうだし…… 「と、っと」 まあ、僕が落とさなければいいだけの話だ。スキマからの酌を受けて、こちらも酌を返す。 「はい、この綺麗な月に乾杯」 「……うい」 こつん、と盃をぶつけ合う。 そうして、月夜の空で、変な飲み会が始まった。 手を滑らせてはいけない、と気をつけながら呑み、スキマをちらりと見る。 ……こやつの表情を僕が読むことなど不可能もいいところだが、月明かりでよく見えるスキマの表情はなんか楽しそうだった。 「なに?」 「いや、なんでもないけど」 さて、なにか話そうか。黙ってても仕方あるまい。 ……うーん、 「ああ、そういえばスキマ。前から聞きたかったんだけど。というか、何回か聞いたような気もするけど」 「改まってなにかしら」 「お前って、いつも僕を見張ってたりしないか?」 どう考えても、こいつの現れるタイミングはおかしい。普通に家に訪れるくらいならまだ分かる(僕はこいつに住所を教えていないが)が、何故にこんな突飛なところにいる僕のところにピンポイントで出現できるのか。 「誰が好き好んでそんな暇なことを。そんなことはしていないわよ」 「いや、今日ここに来たこととか、どう言い訳する気だ」 「たまたま空の散歩をしていたら貴方がいただけ」 どんな天文学的確率だよ。もしかして運命の赤い糸とかで繋がっているのか? そんなんが繋がっているとか、想像するだけで照れ隠しとかじゃなく本気で怖いんだが。 「なるほど、よくわかった」 「それは重畳」 「お前、嘘を隠す気ゼロだろ」 「まあ、見張っていないのは本当よ。貴方が変なことしてるところを見たりするのも嫌だし」 変なことって何だ。してないよ、んなこと。僕はごくごく当たり前の生活しか送っていないってば。 ――いや、世の中の男は誰でもしてるって! 「まあ、貴方の私生活はいいとして」 「……本当に見張ってないんだろうな」 「あら、心外ね。貴方が本当の意味でおかしなことをしなかったら、見張っていないということにしてあげるわ」 「おい!?」 もうちょっと言葉に責任を持ってくれよ! ……やめよう、どれだけ聞いても、こいつが本当のことを言うとは思えん。というか、本当のことかそうでないか判断が出来ない以上、どっちにしても同じことだ。 熱くなった頭を冷ますように、冷酒を煽る。 「ふぅ」 「はい、おかわり」 「ぉう」 すかさずスキマが差し出した酌を受ける。 「で、本当の意味でおかしなことってなんだ?」 ふと、さっきのフレーズが気になった。 「さあねえ……」 くぴ、とスキマは酒を一口舐めるように呑み、僕を舐めるような視線で見てきた。 ……な、なんだよ? 「例えば、今日のこれだって十分おかしなことなんだけどね」 「これ?」 はて、酒呑むくらいいつもしているが。 「こっちの人間は、普通こんな高くまで飛べないでしょう」 「う゛……それか」 「それよ。今までバレなかったのか不思議なくらい」 ……つっても、月一回くらいしか飛ばないんだけど。 「で、でも気を付けてるぞ。ちゃんと姿消ししてるし」 「……あれで隠しているつもりだったの? 透明っぽかったけど、景色歪みまくりだったじゃない」 「やっぱり見張ってるだろお前」 大体、僕はサニーみたいに完全に姿を消したりは出来ないっつーの。大体、出来るようになったらなったで、邪なことに使わないでいる自信は流石の僕にもないので、むしろ使えないほうが良いと思う次第である。 「……ん、まあ、そこはどうでもいいけど」 「どうでもよくないからな」 「私がどうでもいい、と言ったらどうでもいいの。『そうだな』と返しなさい」 「……そうだな」 なに、この屈辱。でも言わなかったらどうせ痛い目に遭うんだろうなあ。 「そういう、こちらの人間に出来ないようなことは止めた方がいいわよ。まだこちらで生きる気があるなら」 「いやいや、僕みたいなのも多分他にもいるだろ」 まさか外の世界で自力で空を飛べる人間が僕だけということはあるまい。いつぞやの呪い屋も、飛ぶことには驚いていたけど、他にも出来る人間がいるのを知っている口ぶりだったし。 「そりゃ、飛べる人間はそれなりにいるでしょうけど……こんな高さまで来れるのはその中でも少数派よ?」 「いや、そうか?」 だって、僕に出来るんだぜ? 霊夢たちだって、聖さんとこの宝船追いかけるときバンバン雲の上まで飛んでたし。 納得いかない風の僕に、スキマは更に聞いてきた。 「……貴方、今酸素どうしてる?」 「酸素?」 はて? なにをおかしなことを。確かにここまでの高度なら空気薄いだろうが、 「まあ、適当に」 意外とふぁじぃな僕の能力が、なんかうまいことやっているっぽいんだよね。 他にも、風魔法で気流を操って酸素濃度上げるとか、方法はあるし。 む、確かにそう考えると、割と僕ってスゴいのかもな。 「自覚なさい。貴方、割とこちら側の存在になってるんだから」 「そんなもんかねー」 今まで何度か言われているが、本当、まったく実感がないのだ。 幻想郷に行く前後で変わったことといえば、変な能力を持ったことと、交友関係が増えたことくらい。それ以外は、自分でも驚くくらい変わっていない。 ……それ以外ってのは変か。特に交友関係の人外魔境っぷりはそれなりに自慢の種に出来るかもしれん。 「そうしていつまで現実と幻想の間をふらふら行ったり来たりしていられるかしらね」 「とりあえず日本人の平均寿命まではこの路線で頑張りたいと思っている」 それ以降は……それ以降もこっちの生活を完全に捨てるのは考えられないなあ。 「まあ、もし正体がバレて魔女狩りみたく責め立てられて、半べそかきながら逃げてきても幻想郷は受け入れてあげるわ」 「……嫌な予言をするな」 刺しても炎で炙っても死なない人間……確かに一昔前なら化物扱い間違いなしなのだが、そもそもそんなことバレるような物騒な生活はしとらんわい。 「さて、おかわりでも」 「……いや、流石にこんな高さでこれ以上は」 殆どスキマが空けたのだが、一升瓶が空になってる。二本目を隙間から取り出そうとしたのを止めて、お開きにしようとする。明日も仕事があるのだ。 「なんだ、残念」 「つーわけで、僕は帰る」 ……さて、人気のないところを探さないといけないな。 「ありがたいんだけど……何故お前まで一緒に歩く?」 離陸よりいつも着陸のほうが気を使うのだが、今日はスキマがその『境界を操る程度』の能力でフォローしてくれたため、すぐに地上に辿り着けた。 ……それはいいんだが、何故かスキマの奴が僕と一緒に歩いているのだ。とっとと帰れ。 「なんでって……向こうの駅から帰るからだけど?」 「電車で帰るのか!?」 電車とか必要ねーだろ。いや、スキマは電車も使うことは使うが、スペルカードで召喚して相手を轢き殺す物騒な用途にしか使わないじゃんかっ。 「なに、私が帰っちゃ悪いの? 駅前のラブホにでも誘うつもりかしら」 「いやいやいやいや」 ないない。 「あらそう。それじゃ、私はこれで失礼するわ」 「……ああ、それじゃあ」 あ、本当に駅に入って行きやがった。 ……わからん奴だ。僕もとっとと帰ろう。 んで、翌日のことである。 放課後、部活に顔を出した僕は、いきなり部員全員の注目を浴びた。 「な……んだ? おい、藤崎、なんだ。僕がどうかしたか?」 うちの部員、藤崎、天海……そして、高宮。三者三様の表情だが、特に藤崎の笑顔は、すっげー嫌な予感と知り合いの誰かを彷彿とさせた。誰だ、誰に似ているんだ、これ。 「せんせー、これこれ」 と、藤崎が見せたのは携帯電話。……一応、校則では禁止されているんだが、まあ、有名無実の規則である。 「なんだ、どうした?」 部屋に入った直後だが、確か三人はその携帯に注目していたような。 藤崎が、携帯の液晶を僕の方に向け…… 「ぶっ!?」 そこに写っていた僕とスキマのツーショットの写真に、僕は思わず吹き出した。 「な、なんで……?」 「いや、あたし昨日駅前のコンビニにおやつ買いに行ってさー。そしたら、つっちーせんせが金髪美女と二人で歩いてるじゃん。これは写メっとかないとと思って」 そ、そして部員全員に公開、と。 「先生、誰ですか、この妙に格好いい服の人」 「……あれを格好良いとか言っちゃうんだ、お前。着たいのか?」 「なっ!? 悪いですか!」 天海の肩の抜ける台詞に力なく突っ込む。 まあ、こいつはいいや。 問題は…… 「た、高宮?」 なんか髪の毛で顔が半分隠れてて見た目ホラーな高宮である。 ほ、ほら髪型が乱れてるから直したらどうだ? 「誰ですか、先生」 「え、いや、なんつーか……知り合い」 「ただの知り合いって割には、やけに仲良さそうだったけどね!」 と、写メを見せてくる藤崎。 ……ぉぉう、スキマの能力で地上に現れた直後の瞬間をバッチリ撮られてる。一緒に隙間の中に飛び込んだ都合上、身体がけっこう近付いているんだが、断じて僕は嬉しくなんてなかった。 「いや、これはな……」 「誰ですか?」 高宮が重ねて聞いてくる。 そんな訳はないのに、まるで真冬のような寒気を感じた。 スキマが僕にとってただの友人……いや、知り合い……むしろ天敵であることを理解してもらうにはけっこう長い時間がかかった。 ……もしかしてスキマ流の嫌がらせか、これ。 | ||
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