「……ん、むう」 ピピピ、と五月蝿い目覚まし時計をやや乱暴に叩いて、僕は体をむくりと起こした。 時計の針は七時を指している。大学生時代とは比べものにならないくらいの早起きっぷりだ。 流石に、就職して今までの自堕落な生活は少しだけ改めた。平日に呑むのは二合まで。夜は遅くても午前一時前には寝て、朝七時起き。 睡眠時間が二時間〜十五時間という不定期さだった一昔前に比べると、真人間と言ってもいいだろう。ほら、なにせ僕は単なるサラリーマンではない。生徒の規範となるべき教師なのだー 「……んにゃ」 てな感じで、気を張ってみても眠いものは眠い。危うくそのまま二度寝してしまいそうになるが、気合を入れて起きた。パソコンの電源だけ入れて台所へ。 半分寝ぼけながら、冷蔵庫を漁る。納豆と漬物を取り出し、前日にタイマーをオンにしておいたご飯を茶碗によそう。味噌汁はインスタントだが、一人分作ると余らせちゃうからこれでいいのだ。 「いただきます」 ご飯に納豆に白菜の浅漬けに味噌汁。正しく日本人の朝食だ。贅沢を言えばアジの開きとかお浸しとかが欲しいところなのだが、朝っぱらから手の込んだ物を作る程気力はない。幻想郷程時間に余裕があるわけじゃないし。 なので、急いでご飯をかきこんで身だしなみを整え、昨日のうちにアイロンをかけたシャツに袖を通す。 まだ、七時十五分。まだ、出かけるのに少々時間はある。 起動したパソコンでニュースと天気予報、あとは適当にブログをチェック。……の、辺りでいい時間になった。 ネクタイを締め、スーツを着こみ、財布と鍵……っとっとっと、 「忘れるとこだった」 そうだそうだ。昨日、新しいスペルカード作ってたんだった。パソコンデスクの隅に纏めてある名刺大の紙の束を、数枚定期入れに入れる。電車はあまり使わないので、これは完全にスペルカードケースみたいになってた。 うむ、これで万が一外で妖怪が襲いかかってきても、逃げることくらいはできる。 最後に忘れ物がないかを確認して、玄関に向かった。 行ってきますを言う人はいるはずもない。社会人にはなったものの、結婚などまだまだ現実味のない話だ。施錠をしっかりして、マンション横手の自転車置き場に置いてある自転車に乗る。勤め先の学校まで、マンションからチャリで十五分ほど。普段、運動不足の僕には、丁度いい朝の準備運動だった。 「おはようございまーす」 「はい、おはようー」 元気のいい声を上げる女子高生たちを見送る。今日は、門の前に立つ日だ。 ……つーか、元気いいね、うちの生徒ら。やっぱあれか、若さか? 朝っぱらから、なんでこんなテンション高いんだろう。 「ういっす、つっちーせんせ」 お、この声は我がオカルト部――もとい、英文学部部長、藤崎じゃないか。 「ああ、藤崎。おは……って、おいこら」 振り向いてみると、案の定藤崎がいた。それはいい、それはいいんだが…… 「焼きそばパン食べながら登校するんじゃない!」 一応、校則で買い食いは禁止されてんだぞっ。 「んぐ……いいじゃんいいじゃん。寝坊してなんにも食べられなかったんだからさー。それに、パン食べながら登校したら、運命の出会いがあるらしいし」 「何年前の漫画だ……。大体、ああいうのは食パンが相場だろ。焼きそばパンは……って、歯に青のり付いてるぞ」 「ありゃ」 藤崎は恥ずかしそうに口を閉じ、舌をもごもごさせる。 「取れた?」 「取れたけど……運命の出会いとやらは諦めろ、お前」 運命どころか、ただのギャグにしかならない。 「ひっどいなあ。女の子の夢を」 「なら、男の子の夢を壊すような真似をするんじゃない。つーか、さっさと教室へ行け」 しっし、と藤崎を追い払う。遅刻ではないが、後数分で遅刻組の仲間入りだ。 「はいはい、わかりましたよボス」 「……とか言いながら牛乳パックをちゅーちゅー吸うなっ」 「カルシウムカルシウムー」 コンビニの袋をくるくる回しながら、藤崎が玄関に歩いていく。……なんでこう、ああなんだろう。それとも、最近の若いものってこんな感じか? むう、ゆとり世代? でも、僕も一応ゆとり世代に片足突っ込んでるんだけど。 ……いや、他の生徒の様子を見る限り、あれは藤崎特有のナニカだな。 「っと、はい、ここまでー。お前ら遅刻な」 藤崎を見送ってしばらく。予鈴が鳴ったので、今まさに門を潜ろうとした生徒を通せんぼする。 「ええー!」 「そんなー」 「せんせ、見逃して?」 「はいはい。クラスと名前な?」 一応、この学校はお嬢様校に分類されるが、それでも遅刻者は毎日数人は出る。ちなみに、藤崎の奴はいつもぎりぎりに来るのだが、決して遅刻だけはしない。要領のいい奴だ。 ぶーぶー文句を言ってくる生徒たちをあしらいながら、クラスと名前をメモしてく。まあ、遅刻のペナルティはさほど重くない。回数を重ねすぎると、内申にちょこっと影響するだけだ。罰当番なんてのもない。 そのくらいは甘んじて受けてもらうとして、さてそろそろ僕も戻らないといけないな。 午前中は、二つの授業を受け持った。 ……んで、そのうちの一つのクラスは僕にとってちょっと憂鬱な時間だったり。 「土樹先生」 「……なんだ、天海」 そう、今年英文学部に新しく入部した天海千裕のクラスである。 『紅き火花(スカーレットスパーク)』とか言う名前の超能力が使えるというちょっと頭が痛くなる生徒だが、とりあえずそれ以外は普通……ふ、つう? の生徒だ。いや、やっぱ普通じゃないか。この前、僕が火を出したのを見て、やたら反抗してくるようになったし。 「質問なんですが。『我が内に眠る業火よ、敵を討て』を英訳すればどうなりますか?」 「お前がなにを言っているのか分からない」 ちなみに、特徴はちょっと中二病なところだ。超能力よりもこっちの方が面倒臭い。 「ふう……英語の教師だというのに、この程度も出来ないなんて」 「いやいや、英訳出来ないって意味じゃないからな!?」 「なら、なにが分からないんでしょうか?」 本気で分からない様子で首を傾げる天海。……いや、わかるよ、わかる。多分、詠唱的ななにかだろう? そりゃわかるが、なぜわざわざ英語に直す。 聞きたくはないが、聞いてみた。 「だって、その方が格好良いですから」 「……………………なるほど。よくわかった、お前馬鹿だろう」 教師にあるまじき台詞だとわかっちゃいるが、言わないではいられなかった。これを言ってクビになるなら、甘んじて受けよう。 「なっ、失礼な。ちょっと魔法が使えるからって!」 「ばっ……!」 んな大声で言うな! 口を抑えるのは間に合わなかったけど……ふう、どうやら聞いていた奴はいないらしい。 勘弁しろよ……。使えるのは事実だけど、こんなの普通の人に言っても馬鹿にされて終わりだろうが。いや、実演すりゃいい話だが、その場合、間違いなく普通の生活は送れなくなる。 「……もう少し小さい声でな」 幸い、休み時間なのでこちらに注目している人間はいない。 「で、なんでそんな変な詠唱もどきなんぞ使おうと思ったんだ。超能力って普通、言霊とか関係ないはずだけど」 「くっ、言霊とかまた知った風な口を」 「……いや、お前の怒りのポイントがわからん」 知った風、じゃなくてそれなりに知ってるからね。これでも、三年くらい本物の魔女のところで修行したからね。 「それで、なんでか教えてくれよ」 「そりゃ、呪文を唱えた方が強くなりそうですから」 ……真面目に馬鹿なのか、それともある意味天才なのか。 確かに、超能力を使う上でテンションを上げるのは大事だ。魔術的に意味のある言葉じゃなくても、詠唱で気分が盛り上がって威力が高まることもある、と思う。それを感覚でわかっているんだろう。 「ところで、土樹先生はその言霊とやらを使って魔法を使うんですか?」 「しない。僕はその手の病気は高校に上がったときに完治したし、普段はほら、呪符? みたいなの使ってるから」 これはこれで格好つけという気もするが、幻想郷ではごく平凡なアイテムなのだ。いちゃもんを付けてもいいけど、連中を敵に回すから止めておいたほうがいいぞー。 「うーん、符ですか。陰陽師とか? それも格好良いですけど……私としてはやっぱり英語の呪文とかに憧れますね」 「……なんで? 詠唱ってムズいぞ。音韻とかちょっとズレただけで意味変わっちゃうし。外国語ならなおさら」 「だって、その方が「いや、わかった。わかったからちょっと黙れ」 先ほどと同じことを言おうとする天海を遮った。ふう、しかし、どうしたもんか。 僕はこの前、天海のこともあって、ちょっと発火能力(パイロキネシス)について調べてみた。 僕も、ライター代わり程度なら使えるごく簡単な超能力の一種だが、専門の発火能力者ってのは色々と不安定な存在らしい。人体発火現象とか有名だ。あれは、発火能力者の能力が暴走した結果という事例もある。火ってのは、けっこう扱いの難しい力なのだった。 ……ん、まあ天海のは僕のに毛が生えた程度の発火能力(笑)だから、心配するこたぁないとは思うのだが、思春期ってその手の能力が成長する時期だしねえ。気をつけて損をするってことはないだろう。 つーわけで、威力を上げるのはなんとか諦めさせる方向で。学校が火事にでもなったら洒落にならん。そうなったら僕は責任を取って鎮火に全力を尽くさないといけないだろう。 「……とりあえず、放課後な。部活でなんか教えてやるから。頼むから授業中に火ぃ出すなよ」 「失礼ですね。常識くらいわきまえています」 どの口が言うのか。 ツッコむのも面倒になって、僕はとっとと退散することにした。 「……あー、ぬくい」 この学校は、昼休みは屋上が開放されている。緑の少ない都内に少しでも潤いを、と屋上には花壇が備えられていた。なんでも、園芸部の活動の場でもあるそうな。 春らしい陽気が続くここ最近は、昼食を取る生徒で賑わう。 僕もそれに倣って、購買でミックスサンドとコロッケパン、あと野菜ジュースを買い込んで、のんびりと昼ご飯を取っていた。 ベンチは余裕があるって程じゃないけど、大体いつも座れるくらいには数が揃ってる。……教師ってことで、隣に誰かが座ることもなく、ベンチ一つ独占しているのが心苦しいのだが。 あー、広畑先生でも誘えばよかった。 ……いや、駄目だな。愛妻弁当を自慢されるのが目に見えている。 「先生、隣、いいですか?」 「どーぞ」 声をかけられ、渡りに舟と相手を確認もせずに了解する。 ……って、ん? 「あれ、高宮?」 「はい。こんにちは、先生」 「お前一人? 友達とかは……」 我が部の良心にして、僕とはなにかと縁のある彼女、高宮栞は、ぼっちではなかったはずだが。 「今日はみんな、部活の友達とかと一緒してるらしくて、あぶれちゃったんです」 「へえ、そりゃまたなんとも、間の悪い」 高宮のクラスは、一応授業を受け持っているので少しは知っている。高宮は確か、クラスでも五、六人の仲の良い友達がいたと思うんだが。 「……ん? あれ、高宮の友達じゃなかったっけ?」 「え、あ、いえ、その。別の人と一緒みたいで……」 屋上の入り口の辺りに、こちらを見てる女子のグループを発見した。あのうちの一人は、見覚えのある高宮の友達なんだけど……つーか、あのグループがそのまま高宮のクラスの友達グループだったような? あ、一人がぐっ、と親指立ててる。 「???」 「わわわ。と、ところで先生。先生はいつもパンなんですか?」 「あー、まあ、食堂と半々ってところかな。気が向いたときは、前の日の晩ご飯のおかず詰めて持ってくるけど」 要するに、気分次第だ。 「へえ、自分でお弁当作ってくるんですか」 「いや、ほんとたいしたことないけどな。週一回、あるかないかくらいだし」 本当にご飯とおかずを適当に積めるだけで、見た目も栄養バランスも考えられた他の先生方の持ってくる愛妻(愛妻だっ)弁当には到底敵わない。 「それでも凄いと思いますけど」 「食費は浮くけど、そんだけだって」 「ああ、男の人ですもんね。パンだけじゃ足りなかったり」 「それはあるかも」 まだ腹二分目くらいで、ミックスサンドを食べきってしまった。正直、もう一個くらいパン買っときゃよかった、と後悔中。 むう……どうするか。財布に小銭は……あったな。 「じゃ、じゃあ、私のお弁当、少し食べます?」 「んにゃ、いいよ。高宮こそ足りないだろ」 「いえ、私あまり食べない方なので」 流石女の子。下手したら手のひらに収まりかねない小さな弁当箱だけで、よく足りるもんだ。 たまたま見た僕と同じ購買組の藤崎は、並み居る敵を押しのけて惣菜パン五個くらい確保してたけど。あと牛乳を。 「んー、やっぱ悪いから、本当にいいや」 「そうですか……。あ、そうだ。良ければ今度、私がお弁当――」 「でも、足りないのは本当だから、パンもう一個買って来る。高宮も、知らない人がいてもあっちのグループに入れてもらったらどうだ? じゃな」 なにか高宮が声を出してたけど、すごい小声だったので多分独り言だろう。 さて、なに買おうかな。売れ残ってそうなのだと……ああ、あんぱんだ。あんぱんが食いたい。餡とバターの入ったあんバタが美味いんだよ。 なんて考えながら、屋上の出入口に向かうと、例の高宮の友達がいるグループに、なんか罵倒された。女子高生に罵倒される……ごく一部の人間には羨ましがられそうだが、生憎僕はマゾではないので、戸惑うだけだ。どこの誰だ、こんなのがご褒美とか言う人種は。 「……しかし、なぜ?」 首をひねりながら屋上を後にする。生徒にそこまで嫌われちゃいないと思ってたのになぁ……とか落ち込みながら、僕は とぼとぼと購買に向かうのだった。 ちなみに、何故か人気商品のフルーツサンドが余ってた。 超テンション上がった。 | ||
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