「生中もう一杯。あと、ナンコツの唐揚げとシーザーサラダ」

 居酒屋の店員さんを呼び止め、注文をする。

 教育実習を終えて、大学へのレポート等も提出し、やっと時間が出来た週末。
 僕は、疲れやストレスを吹っ飛ばすため、チェーンの居酒屋へ呑みに繰り出していた。

 明日は幻想郷に行く予定だから、あっちで呑んでもいいんだけど……たまにはこういうところで呑むのもいい。
 向こうで大勢の美少女に囲まれて呑むのは……うん、楽しくはあるんだけど、なかなか気が休まることがない。大勢集まると、たまに喧嘩も始まっちゃったりして。何故か僕が仲裁役になることも多いし。

 それに、高宮さんから栞ちゃん救出の謝礼金として、結構な額をもらっちゃったしな。別にそんなつもりじゃなかったんだけど、くれるというなら貰う。んで、お金に余裕が出来たら、外で呑むのだ。

 ちょっと前に頼んだユッケと鶏の唐揚げに舌鼓を打っていると、隣に誰かが座った。

「すみません。こちらに生中と刺身の盛り合わせ。あ、あとこの国産牛肉のタタキというのを頂けるかしら」

 うわ、高いの頼むなあ。刺身盛り合わせって、一人で食うのか?

 と、ちょっと興味を持って、そっと隣を伺うと、

「ブッ!」
「汚いわねえ。あ、すみません。布巾を貸していただけるかしら?」

 僕が吹いた麦酒を、店員から受け取った布巾で拭き取る……スキマ。

 慌てて周りを見るが、金髪ゴスロリの美人がチェーンの居酒屋に呑みに来ているというのに、周りで騒ぐ人どころか、注目している人すらいない。
 ……なんだ? スキマが妖しげな術で幻惑しているのか?

「していないわ。単に私がここの常連というだけ」
「いや、心を読むな――って、常連!?」
「おかしいかしら?」

 おかしいもなにも、おかしいだろ!
 いや、落ち着け、僕。こいつは、うちの大学の食堂にも何食わぬ顔でやって来たことがある。居酒屋に顔を見せても……おかしくはない、おかしくはない……はずねぇだろっ。

「嘘だな?」
「あら、ばれちゃった」
「こいつは……」

 別に、困るというほどのことじゃないが……。折角、一人で安らかに呑んでいたというのに。

「ああ、ありがとう。良也、乾杯しましょうか」

 店員に礼を言いながら、生中のジョッキを受け取り、スキマがそんな提案をしてくる。

「……いいけど」

 特に裏があるわけではなさそうだ。
 素直に、半分ほどになったジョッキを、スキマのそれとぶつける。

 スキマは、ジョッキに艶かしい唇を付け、グッグッ、と飲み下していく。大きく動く喉が、なんとなく色っぽかった。
 ……って、おいおい、相手はスキマだぞ。落ち着け、僕。

「……酔っているんだな」
「なに?」

 唇に付いた泡をちろりと舐め取ったスキマが、何もかも分かっていそうな目でこちらに疑問をぶつけてくる。
 『なんでもない』と、僕は答えて、残った麦酒を飲み干した。

「店員さん、生中もう一杯」
「貴方は日本酒が好みだと思っていたのだけど」
「うーん、ここの日本酒は……微妙」
「そうなの? じゃあ、私も今日は麦酒にしておこうかしら」

 『日本酒』と頼んで出てくる安いのは言うまでもなく、少しだけ揃っている地酒も管理が悪いのか不味くはないけど美味いとも言い難い。それに、つまみのメニューも、麦酒向けが多いんだよな。
 なので、こういうところに来た時は、僕は大抵麦酒だ。チェーンでも、良い日本酒を呑ませるところはあるけどね。

「お、ナンコツとサラダ来た」

 ちょっと前に頼んだメニューが届く。ついでに、おかわりの生中も来た。
 つまみの皿を、店員さんは当然のように僕とスキマの間のスペース――要するに、二人ともが箸を伸ばせるように置いてくれた。

「あら、ご馳走様」
「……いいけど」

 どうぞ、とスキマに言うと、遠慮なくスキマは食べていく。
 負けじと、僕も箸を伸ばし、麦酒も呑む。

「あら、私の注文の品も来たわね」

 言葉どおり、刺身と牛タタキがやって来た。それも、同じように置かれ、結構なスペースを取る。
 ……あ、美味そうだ。

「もらってもいいか?」
「いいわよ。最初からそのつもりだったもの」

 スキマのありがたい言葉に、遠慮なく頂く。
 まあ、会計は一緒にして、ワリカンかな……と、思っていたら、

「それに、今日は全部貴方持ちでしょ? どうぞ、たんと食べなさいな」
「って、ちょっと待て!?」

 周りに人もいるので控えめに、しかし断固としたツッコミを入れた。いつ、僕が奢ることになった?

「なによ、嫌なの? ケチねえ。そんなんじゃ、女の子にモテないわよ」
「妖怪にモテたいと思ったことはない――こともないが、お前にはモテなくていい」
「差別よ、それは。こんな美人と一緒に呑めるのに、お金くらい出したらどう?」

 美人であることは否定しないが、しかし綺麗なバラには棘があるというか毒入りというか、そんな感じ?

「貴方のお爺さんの若い頃なら、そりゃもう喜んで財布を出したでしょうに」
「……そこには触れないで上げて欲しい」
「嫌よ」

 可哀相な爺ちゃん。幸多からんことを祈る。

「それに、貴方今日は沢山お金を持っているんでしょう? 知っているわよ。財布の中には……」
「金額まで言わんでも良い」

 沢山お金を持っていても、奢ってもいい奴と奢りたくない奴がいるんだよ。スキマは、間違いなく後者。
 それに、コイツ絶対僕より金持っているだろ。いや、金持ちっぽいところを見たことがあるわけじゃないけど、キャラ的に。

「それで? 確か陰陽師と一戦やらかしたんだったわね。しかも、銃で撃たれて一回死んで見せたりして」

 と、そこでスキマの声のトーンが少しだけ落ちた。……なんか嫌な予感がする。
 っていうか、何故そんなに詳しい? 見てたのか?

「別に、退魔師のアルバイトをするくらいでどうこうは言わないわ。数は少ないし、表沙汰になっていないけど、そういう連中はいるんだし。
 でも、少しだけ注意して欲しいの。貴方から幻想郷の存在がよからぬ連中に漏れたら、面白くない事態になるかもしれない」
「……あそこの連中をどうこうできる人間がいるとは思えないが」
「それは、自分の種族を過小評価しすぎね。群れになった人間に勝てる妖怪なんて存在しないわ」

 そうなんだろうか? でも、ありえない仮定だけど、もし核爆弾とか使われたら……いや、レミリアとか萃香とかスキマの能力なら余裕で無力化できないか?

「で、それを釘刺しに来たのか」
「ついでにね。メインは、貴方にたかること」
「おい」

 真面目な話じゃなかったのか?

「もっと高級店に、行こうと思えば行けるんだろうに。なぜ態々僕にたかる?」
「馬鹿ねえ。奢ってもらうご飯は、この世で一番美味しいのよ? あ、すみません、豆乳鍋を二人前下さい」

 どこの世界の理論だ。っていうか、コイツ、やっぱり相当外の世界慣れしているな……居酒屋での注文の仕方が堂に入っている。

「……まあ、そんなに意識する必要はないけどね。外の資料とかは殆ど処分したけど、口伝とか、御伽噺程度なら幻想郷の存在は知れているから」
「そうなのか」
「当然、裏の世界の、またごく一部だけど……。あら、この豆乳鍋、お肌にいいみたいよ?」
「とりあえず、お前は真面目な話をしたいのか、ただ呑みたいだけなのか、どっちだ」
「どっちもよ。あら、空じゃない。生中二つ、頼みましょうか?」

 本当、嫌になるほど手馴れているな……。服がちょっとアレなところと、染めたのではありえない見事な金髪を除けば、普通に外の世界の人間――それも美人――と言って通用する。無論、黙っていればの話だが。

「それで? これから、外では退魔師としてやっていくの?」
「さあ……正直、考えていないなあ。当面の目標は、教員の採用試験だし……」
「ふぅん。でも、そっちの仕事も受けるんでしょう?」
「わかんね」

 刺身――サーモンを口に運び、麦酒で流し込む。刺身はサーモンが美味いよねえ。鯛もハマチも好きだけど。

「ま、幻想郷の件には気をつけつつなら好きにしたらいいわ。いえ、幻想郷は新規住人は随時受け付けているから、大丈夫そうな人なら話しても構わないわよ?」
「本当、僕はどうすればいいんだよ」

 バラすなと言ったり話せと言ったり。……まあ、幻想郷の害にならなければいいんだろうけど。信用できる人なら話しても構わない……そう解釈すればいいのかね。

 って、あっ。

「スキマ! マグロ、僕一切れも食べてないんだぞ」
「こういうのは早い者勝ちよ」
「僕の奢りなんだろ?」
「あら、奢ってくれるのかしら?」

 い、いけしゃあしゃあと。

 顔が引き攣るが……また頼めばいいか。
























 スキマとサシで呑むという、中々に珍しいシチュエーションに、なんか酒が進んだ。
 スキマの注文するタイミングが絶妙だったのだ。なんだかんだで、あの後生中を五、六杯は空けた。

 僕の奢りだっていう言質を取った後、スキマは高いつまみばっかり注文したし……嫌がらせだな、絶対。

「ほら、立てる?」
「あ〜、大丈夫。思ったほど酔っていない」

 伝票を取り、立ち上がる。
 財布は……ああ、尻ポケットか。

 少し歪んだ視界の中で、紙幣を数える――っと、

「あっれー? 土樹さんじゃないスか」
「ん?」

 名前を呼ばれて、胡乱な目で振り返る。

 振り向くと、後ろに五、六人の大学生の集団がいた。その先頭に立っている、茶髪の明るそうな顔には見覚えがある。

「神田くん」

 ゼミの後輩の神田くんだ。ええっと……ゼミのなら僕も誘われているはずだから、別のなんかの集まりか?

「飲み会?」
「はい。サークルの連中で飲みに行こうかって……土樹さんは?」
「僕?」

 ―――――はっ!!?

 嫌な予感がして、振り向くと、スキマがニヤリと笑っていた気がした。

「さ、『良也』。行きましょうか」

 と、腕を組んで僕を引っ張るスキマ。
 い、今の『良也』には、普段では絶対にありえないなんか甘い響きが含まれていたぞ?

「か、彼女っスか。美人ですねーー」

 心底、そう思っている声色で、神田くんが言う。

「ま、待った! それは誤かっ……ぐふっ!?」

 ひ、肘が脇腹に!?

「ありがとう。良也、ちょっと酔っちゃったみたいだから……私たちはこれで失礼しますね」
「は、はい」

 スキマの、百戦練磨っぽい流し目に、神田くん以下彼のサークルの面々は固まってしまった。

 それから、ずるずるとなすがままに引き摺られていく僕。

 後ろでは『マジスゲー美人だったよなー』とかなんとか呑気な会話が聞こえる。

「やったわね。ちょっとした優越感を味わえるわよ?」
「……欝だ」

 絶対面白がっている。
 こいつとデキているなんて、思われたくないのにー。

「ほらほら、会計しなさいな」
「……へいへい」

 まあ……なんだかんだで、一緒に呑むのはそれなりに楽しかったし。まあ、いいか。



戻る?