「ん、あ〜〜、一週間、お疲れ様ですー」

 金曜の定例ミーテが終わった後。僕の指導教諭である安藤先生は、そんな風にねぎらいの言葉をかけてくれた。

「はい。お疲れ様です。この一週間、ありがとうございました」
「と、言ってもまだあと一週間続きますからねぇ。土日は英気を養って、また来週も頑張りましょう〜」
「はい」

 ……と、言ってはくれるものの、土日も気の休まる暇ないだろう。ちゃんと準備もしないといけないし。
 やれやれ、それでも今夜くらいは気を抜こうかな。

「あ、杵島先生。お疲れ様です」
「ああ、土樹先生。どうも」

 ぺこり、と頭を下げてくる好青年は、僕と同じ教育実習生の杵島先生。
 今年度のこの学園の教育実習生は僕と彼の二人だけだ。

 まだ何人か残っている先生方もいるが、僕たちの仕事はこれで終了。連れ立って、校門へと歩き始める。

「土樹先生、調子はどうですか?」
「僕ですか? いやあ、やっぱり慣れないことばっかりで。大変です」
「ははは……でも、随分生徒に懐かれているようじゃないですか」

 杵島先生の何気ない言葉に、僕は内心ため息を零す。

 初日の、悪魔召喚事件以降、オカルト部での僕の立場は、なんつーか……変な方向に行っている。

 部長であり、生粋のオカルトマニアっぽい西園寺からは『弟子にしてくれー』と毎日せっつかれている。僕はまだそんな位階にない、と言い訳すると、じゃあ師匠を紹介してくれ、ときた。
 幻想郷に連れて行くのはどう考えても無理なので、適当に誤魔化す日々が続いている。

 そして、高宮……。僕にこの学園を紹介してくれた、高宮さんのお孫さんは、なんというか、僕が以前彼女を助けた魔法使いだと知って、あからさまな信頼を寄せるようになっていた。なにがどうというわけではなく、言動の端々がなんかそんな感じなのだ。
 ……うーん、別にそれ自体は嫌じゃないんだけど、あんまり特定の生徒と仲良くしすぎると、その、単位がもらえないかも。

 安藤先生の担当クラスであり、一番接することの多い藤崎が『スゲースゲー』だけで済ませてくれたのが唯一の救いか。

「……はは」
「ど、どうかしましたか。なにか僕、気に障るようなことでも?」
「そんなことないですよ。それより、杵島先生こそ、生徒に大人気じゃないですか。聞きましたよ。既に三人の生徒からラブレターをもらったとか」
「こういうのをもらっても、困るんですけどねえ」

 曖昧な笑顔で困惑を示す杵島先生だけど、まあこの先生に年下の女子高生が憧れを抱くのはわからんでもない。
 顔よし、性格よし、運動、頭脳ももれなく高水準にまとまっておりしかも金持ち。

 お前はどこの小学生が考えた最強キャラだ、と聞きたくなるようなハイスペックさは、もう嫉妬とかそーゆー次元を超越して、ブラウン管の向こうの人間を見ている感じ。

「それに、こんなのは僕が若い男で、見慣れていないからでしょう。この高校の生徒は、ほとんどがいいところのお嬢様ですから」
「……ふーん」

 わかってねえ。わかってねえよ、このイケメンが。
 言っておくが、僕にはラブレターどころか、群がってくる女子なんて某オカルト女だけだからね。休み時間のたび、二桁の女生徒に囲まれている杵島先生にはこの格差社会がわかっていない。

 ……まあ、面倒臭そうだけどな。この人の立場も。

「はあ〜、しかし、なんだかんだで慣れない事をしたせいで疲れましたよ。そうだ、杵島先生。よければ、この後これいきません?」

 くい、とコップを傾ける仕草をする。
 すると、杵島先生はちょっと目を輝かせた。

「お、いいですね。土樹先生はイケるクチですか?」
「けっこう、イケるほうです。友人にうわばみが沢山いましてね。釣られるうちに強くなりました」

 ……あの鬼や天狗のペースを間近で見ていると、どうしても、ね。行き過ぎてアル中で死んだこともあったけど、お陰で強くもなった。

「へえ。ところで、どんなお酒が好きですか?」
「日本酒かなあ。あんまり同意してくれる人がいないんですけどね」
「そうですかっ! 僕も好きですよ。大学の友達は、カクテルとか、甘いのが好きな人が多いですけど」
「いやあ、最初に覚えた酒が日本酒なんで」
「うちも、父が好きですから」

 笑みを交わす。
 ……あー、なんか普通の人だよなあ、スペックが高いだけで。

 僕の大学の友達といえばロリコンとフィギュアマニアというどうしようもない連中なんだけど。

「じゃあ、どうします? この近くだと……駅前なら沢山お店がありますけど」
「そうですねー。まあ、あまり近所だと、生徒に見つかる可能性も……」

 と、どの店に行くかの相談をしていると、校門のところに車が停めてあることに気付いた。
 リムジン……って言えばいいのか、あれ?

「……生徒の出迎えですかね?」
「いや、でももう下校時間はとっくに過ぎていますし」

 この学校。お嬢様学校というだけあって、車で送り迎えする率はかなり高い。
 でも、時間が時間だし……

 まあ、気にしても仕方がない。その車の脇を通って、駅に向かおうとすると、

「良也さん。こちらです」
「へ?」

 急に名前を呼ばれ、振り向いてみると……リムジンの窓から、高宮さんが顔を見せていた。

「……高宮さん? えっと、どうしてここに?」
「貴方を待っていたんですよ。ささ、乗ってください」
「え? いや、その。僕はこれから、こっちの杵島先生と飲みに……」

 ちょいと戸惑って、そんな風に杵島先生の方を向くと、こちらも驚いた顔をしていた。

「あ、あれ? 高宮会長じゃないですか。お久しぶりです」
「ん? おお、裕次郎君か。いや、久しぶりだ。元気そうだね」
「は、はあ。それで、何故高宮会長がここに? 土樹先生とお知り合いで?」

 ふむ、と高宮さんは悩むそぶりをみせ、何事かを車内の人に伝える。

 ……リムジンの扉が自動で開いた。

「まあ、乗りなさい。良也さんも、お二人で飲みに行くというのでしたら、丁度良い。私も誘おうと思っていたんですよ」

 へ?






















 まあ、断るのもなんなので、促されるままリムジンに乗り、あれよあれよという間に案内されたのは……

「き、緊張するんですが」
「楽にしてください。ここは私の行き着けなので、多少は融通が利きます」

 と、仰る高宮さん。

 で、でもさあ。明らかに一見様お断りといった風情の超高級料亭に案内された一大学生に、この状況で緊張するなという方が無理だ。

 実家が金持ちで、平然としている杵島先生が羨ましい。高宮さんとも顔見知りのようだし。
 理由を聞いてみると、パーティーで知り合っているとか。なんだこの世界の違う人達は。

「……杵島先生はこういうとこ、慣れていそうですね」
「そんな。普段僕が行くのは、大抵チェーン店ですよ。実家のお金は、あくまで実家のお金なので。学費と家賃は出してもらっていますけど、生活費はバイトして稼いでいます」

 ま、まぶしい。なんだこのいい人は。

「それより、土樹先生こそ。高宮会長とお知り合いなんですか?」
「あー、まあ。ちょっとした成り行きから、ですね」

 なんて説明したら良いんだ。お孫さんが呪われたのを解決した縁で、そのあと実習先も世話してもらいましたー、とでも言えば良いのか?

「裕次郎君の家も名家だ。呪術の類は、対策をしているだろう?」
「ちょ、高宮会長? それは、あまり一般には流さないことになっているのでは?」

 慌てた様子で杵島先生。

 ……そっかー。お偉いさんの間では、そういう力って割と普通なのね。でも、確かにこの科学全盛の時代、あんまり広めることでもないだろうな。

 基本的に科学の方が便利だし。

「だから、良也さんは一般人ではない。現代では希少な、本物の霊能力者――それも、凄腕だ。以前、私の孫が呪いをかけられたとき、幾人もの霊能者が失敗する中……良也さんに解決してもらった」
「や、ですから凄腕とかじゃないですってば」

 なにやら、この前から妙な勘違いをされているんだよなあ。
 なんでも、僕が呪い返しをしたあの術師って、業界では割と上の方に名を連ねている奴だったらしい。

 ……んー、まあ、呪いとかとは僕相性良いしね。

「へえ!」

 杵島先生が感嘆するが、そんなんじゃないっすよー。いやいや、マジで。そんな、凄腕とかだったら、死んだりしないしねー。

「土樹先生、凄いんですね」
「いや、別にそんなわけじゃあ……」
「どんな術が使えるんです?」

 きらきらと、まるで子供のような目をしてからに。

 ん……まあ、僕が幻想郷に行く前に、リアル陰陽師とかに会ったら、多分こんな感じでキラキラしていただろうし……まあいいか。

「どんなというと……えっとですね。僕がメインで使うのは、ゲーム……ドラ○エとかの魔法みたいなので」
「げ、ゲームですか?」
「はい。ほら、こんな感じで」

 火の玉とかは危ないので、小さな風の塊を作ってみせる。
 無論、風なので見えやしないけど、空気の流れみたいなのはわかるだろう。

「わぷ!?」
「あ、すみません。で、今のは小さな突風を生み出しただけですけど、その気になれば……普通の木くらいなら切り倒せるカマイタチも作れますよ」
「ほ、本当にゲームの魔法使いみたいですね」

 だよねえ。
 呪術とかは、比較的、『現実に魔法があったらこんな感じだよね』ってイメージに合致しているけど、こんな漫画やゲームもどきの魔法は、現実に想像しにくい部類だと思う。

 あ、空飛べるのもそうか。

「あと、火と水と土と。あと空飛べるし、霊力を弾にして撃てます」
「へえ、へえ!」

 ますます目を輝かせる杵島先生。
 まあねえ、どこのビックリ人間だ、僕。

「その、積もる話もあるでしょうけど、あまりおおっぴらに騒がない方が」
「そ、そうですね」

 高宮さんに窘められ、調子に乗ったことを反省する。

 と、ほぼ同時に襖が開き、仲居さんが銚子とお猪口を三つ。あと、お通しらしき料理を持ってきた。……あぶねー。

「お待たせしました」

 僕が良く行く居酒屋のバイト店員とは明らかに違った洗練された仕草で、配膳が行われる。

 それを当然のように受け取る高宮さんと……杵島先生。いや、杵島先生。あんたチェーン店しか行かないとか言ってたくせに、慣れてますよねやっぱり。

 仲居さんからの酌を恐々受け取る僕とは、なんか違うぞ。

「それじゃあ、乾杯」
「乾杯」

 二人と杯を交わす。

 ぐい、と中の液体を一口呑み、

「……う、美味い」

 あまりの美味さに感動した。
 ……え? なに? これ日本酒だよな。すげぇ美味い。前に天子んところで呑んだ天界の酒もかなりのものだったけど、それに匹敵する美味さだ。

 そっか。人類の醸造技術は、もう天界にも届いているってことなのか。

「いい酒ですね……」
「そうでしょう。私の大好きな銘柄ですから」

 とっておきの玩具を自慢する子供のように、高宮さんが笑う。
 ……あー、いいお爺さんだな。うちの爺ちゃんとは大違いだ。なんとかしてくれ、あの武術バカな爺ちゃんを。

「って、そういえば、こんなの高いんじゃあ」
「なにを言っているんですか。私が誘ったんだから、当然私の奢りですよ。以前の、栞の件の礼も、まだまだ済んだとは思っていないんですから」
「……そ、そうですか? それなら遠慮なく」
「遠慮なんて、若い者がするものじゃありません。ほら、裕次郎君も、今日は沢山呑もう」
「は、はい」

 高宮さんの酌を、恐る恐る受ける杵島先生。
 ……あー、高宮さん、財界の大物だもんなあ。僕には遠い遠い世界の話なので、まったくどうでもいいんだけど。

「っていうか、高宮さん。前から言おうと思っていましたけど、僕にそんな丁寧に話さなくても良いですよ。その、僕としても居心地悪いんで」
「ああ、そうですね……初対面のときの気分のままでした」

 高宮さんは言って、少しだけ表情を変える。

「じゃあ、これからは普通の若者に対する言葉遣いをさせてもらうよ」
「……はい。その方が、助かります」

 内心、ほっとする。……いやあ、こんな年配の人にああいう風に話しかけられるのは、ちょっと緊張するもんでね。

「……ああ、そうだ。私も言い忘れていたことがあった」
「え?」

 高宮さんは苦笑して、居住まいを正す。

「改めて良也さん、あの時はありがとう。君のお陰で、栞は助かった。これから、なにか困ったことがあれば、なんでも相談して欲しい」
「い、いえ。一応、あれが仕事だったんで。それに、今回、あの学校を紹介してもらっただけでも十分……」
「でも、君は正式な退魔師ではない。と、すると、あれは君の好意みたいなものだろう? ……それに、人一人の命と、ただ学校を紹介しただけと、まだまだ釣り合っていないと思うんだけどね」

 それはそうなんだけどね。……まあ、お金持ちに貸しを作っておくのも悪くはない、か。手を借りる事態なんて、ない方が良いけどね。

「さて、じゃあ、今日は飲み明かそうか。この料亭は酒だけでなく、料理も絶品なんだ。是非味わっていってくれ」

 その言葉とほぼ同時に運ばれてきた料理の数々。

 美味い。確かに美味かったけど……これはどうやって作るのかな、今度の宴会で試してみよう、とか思う僕は、そろそろ本格的にパシリ根性が身に付いて来たのかもしれない。















 次の週。
 泥酔状態でお互い肩を抱きながら繁華街に消えていった教育実習生+謎のお爺さんの噂が、校内に蔓延していた。

 ……チクショウ、誰が見ていたんだ?



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