当然のことだけど、教員免許を取るためには教育実習をしなければならない。 うちの学校では、受け入れ先の学校は自分たちで探させる。 数人分くらいは受け入れ先を確保しているみたいだけど、それは本当に最後の最後の手段で、基本的には自分の母校なんかに頼むわけだ。 ……で、僕は断られた。来年度は教育実習生を受け入れる予定はないとか言われて。 凹んだ。 その後も近所の学校を中心に方々を探し回ったのだが、色よい返事は受けられなかった。 いよいよもって、大学側に頭を下げ、数少ない枠を使わせてもらわなければ、という段階になって、既に枠は全て埋まっていた。 ダブりの僕に優先的に枠が回ってくるはずもなく、ここまでカリキュラムを消化しておきながら教員への道は諦めなければならないのか、と一時絶望的な気分になった。 しかし、捨てる神あれば拾う神あり。 なんと、以前仕事をさせてもらった高宮さん――某超大手企業の会長さん――がそんな僕の噂をどこからか(本当どこからだ? 爺ちゃんか?)聞きつけ、受け入れ先を世話してくれたのだ。 もう感謝感激である。またオカルト関係で困ったらなんでも言ってください、なにができるかわからないけどっ! とお礼を言い、その日は今では大学院に進んでいる田中と高橋の両名と一緒に呑みに行った。 まあ、実習先の学校名を言った途端、 『それ超お嬢様校じゃねぇかっ! てめぇの血は何色だぁぁぁあ!!』 とか、 『お、俺も教職課程取っとくんだったぁ!』 とか、謂れのない恨み言も言われたが、それは置いておこう。 ていうかお前らね。意外と気ぃ使うんだぞ。生徒が女の子ばっかりだと、もう色々と。 ……そう、本日は実習一日目。 僕は一日に溜まった気疲れを抱えながら、指導教諭の安藤先生に命じられ、宿題の添削を行っていた。 「ごめんねぇ、全部頼んじゃって。もぉ、忙しくってねぇ」 と、そんなちょっと舌ったらずな喋り方をする安藤先生(二十六歳、女性、独身)は両手を合わせて頭を下げる。 ……や、僕は実習生な訳で、お世話になっている訳で、 「いえ、このくらい気にしないでください。他になにか仕事はありますか」 「ありがとぅ。本当、若い男の子っていいわねえ」 安藤先生は、やたら獲物を狙う感じの目で僕を見る。……や、怖いッスよ。僕、美人相手には基本的に警戒しか沸かないもんで。 「はは……それなら、杵島先生の方が若いですよ」 杵島裕次郎先生。僕と同じ教育実習生。 現役なので、僕より一つ年下。学歴は僕が上の下に対して、彼は上の上の上の超有名国立大学。顔はジャニーズ系のイケメン。実家は貿易をしている家で……金持ち。 無論のことだが、同じ若い教育実習生徒と言えど、生徒のキャーキャー度は杵島先生のが遥かに上。ていうか、僕ってば早速つっちーとかナメられたあだ名をつけられて、男とも思われてない。 しかも、性格もいいんだ。超ハイスペックな癖に、鼻にかけてないし優しいし。ちょっと話しただけで爽やかな匂いがして、引き篭もりの僕には毒だった。 休み時間に仲良くなって色々話したんだけど、彼女もいるんだってさ。一個年上の、とある華道の家元の娘さん。 携帯の写真見せてもらったら、大和撫子風の滅茶苦茶な美人だった。そりゃ、昔話にまでなった輝夜ほどじゃないけどさ。でも、優しげな雰囲気だった。 く、悔しくなんかないもんねっ! 「杵島先生はねぇ。こう、ちょっと上品過ぎて私はちょっとねえ」 「はあ、そういうもんですか」 「そういうものですよ。……だから、もっと自信を持った方がいいですよ、土樹先生」 先生、と呼ばれると、まだむず痒いものがある。 いや、塾ではよく呼ばれていたけどさ。なんかちょっと違うんだよねえ。 「さて、それじゃあ、次のお仕事に行きましょうか? 付いてきてもらえます?」 「あ、はい」 慌てて安藤先生に付いていく。 「頼みたいお仕事っていうのはですねぇ、部活の顧問なんですよ」 「顧問?」 「ええ。あ、勿論正式な顧問というわけではありませんよぉ? でも、教育実習生の人にはみんな、なんらかの部活に携わってもらうことにしているんです」 「なるほど」 確かに、そういう生徒との交流を実体験するのも重要な体験だろう。 問題は、ここが女子校だということで、生徒が女子しかいないということだけど……いや、同じ男である杵島先生も頑張っているんだ。僕も負けてはいられない。 悪いが、生徒に邪な思いを抱かないという点では、杵島先生には負けるつもりはない。ほら、なにせ僕ってば、女で痛い目にしか遭っていないからね! 「わかりました。それで、何部の顧問に?」 「私が兼任で受け持っている部活なんですけどぉ。英文学部です。土樹先生、私と同じ英語の教師ですから、できますよねえ?」 「い、いやできると思いますけど……それは、大学の学部の名前では?」 「いえ、そういう名前の部活ですよ」 なんじゃ、そりゃ。 まあでも、英語の文献なら、パチュリーに散々読まされたこともあって、なんとでもなるとは思うけど。……意外と魔導書の英語の写本って多いからな。 「珍しいですよねえ。ここだけの話、顧問の私もあんまりその部室には言ったことないんですよぉ。おっかないからぁ」 「ちょ、ちょっと待ってください。おっかない?」 この学校は、昨今の学級崩壊だとかキレる若者だとかとは無縁の品行方正な学校だ。もちろん、年頃の娘さんたちなので、多少姦しいことは否めないけど、それでもそこらの高校生よりずっと躾が出来ている生徒しかいない。 まあ、なにせお嬢様校だし。漫画かゲームの世界の学校だし。 それなのに、おっかない? もしかして、部活とは名ばかりの不良の溜まり場だったりするんだろうか。 「そのですねえ。おっかない、って言っても、ほら、あれですよぉ。お金持ちさんの考えることはよくわかりませんけどぉ。一部、オカルト……っていうんですか? ああいうのに嵌る生徒がいてですね」 「……はい?」 「英文学、っていうのは、いわゆる、そのぉ……魔導書、っていうんですか? そういうのを集めている倶楽部らしくて」 「魔導書……エノク書とかですか?」 とりあえず、最近読んだ有名どころを挙げてみる。 「???」 「……いや、忘れてください」 しかし、魔導書とな? ……素人が手を出したらヤバいのも、結構あるんだけどなあ。僕も素人に毛が生えた程度だけれども。 でも、ある意味僕にぴったりの部活かもしれぬ。 「通称『オカルト部』って言われているんです。気をつけてくださいねえ? そこの生徒さん、少数ですけど極めつけの変人ですからぁ」 「いや、先生が生徒を変人って……」 「あっと、これは忘れてください」 と、指を口に当てる安藤先生。その仕草は……まあ、男なら許さざるを得ないもので。 畜生、卑怯だなあ、美人って。 「あ、ここですぅ」 文化棟の二階の一室。その前に立った安藤先生はノックをして、『入るわよぉ』と声をかけた。 ……安藤先生から、僕を紹介してもらった。 『じゃ、私はまだ仕事があるからぁ。下校時間になったら職員室に戻ってきてねえ?』 と、その安藤先生は去り、 僕は、三人の女生徒の視線に晒され、どうしたもんかと悩んでいた。 「つっちー先生じゃない。ここの顧問になったの?」 「ああ、うん」 三人のうち一人。安藤先生の担当するクラス……つまりは、僕が今日、見学していたクラスの女子。ええと……二年の藤崎だ。 「……こんにちは。部長の西園寺です」 「こ、こんにちは」 んで、ちょっと無口キャラっぽいこの娘。……な、なんか苦手だ。 「あ、あのはじめまして」 「は、はじめ……まして?」 ハテナになったのは、仕方ないと思って欲しい。 最後の一人。残り二人と比べて、どうにも引っ込み思案というか地味というか、そんな感じの少女は…… 「た、高宮栞です。よろしくお願いします。土樹先生」 僕がこの学校に来ることになった原因である女の子。高宮栞嬢だった。 ……えー、高宮さん、自分の孫がいる学校に僕を送り込んだんだ。 「ふふ、つっちーせんせ。あなたはついているよー。何を隠そう、今日はこの英文学部の一大イベントの日だからねっ。あ、ポロリはないよ」 「いらない」 この芸風、どっかで似たような娘がいた気がするぞ。 とりあえず、冷たくあしらっておくのが吉だ。 「でも、一大イベント?」 「はい。これです」 西園寺が、鞄の中から一冊の本を大事そうに取り出す。 ……って、おいおい。 「レメゲトン……ラテン語版?」 「……ご存知で?」 なにやら西園寺が眼鏡をきらりんと輝かせて迫ってくる。……なんだ、このオタク臭。 「まあ、有名だし。ソロモン王の七十二柱の悪魔の召還と使役法の書かれた魔導書。だよな」 多分、オカルトマニアでなくても、ゲームや漫画で一度くらい名前を聞いたことがあるくらい有名な魔導書だ。 悪魔の召喚、使役って、またクリティカルにインパクト抜群の内容だし。 ただなあ、邦訳版は微妙に信頼ならない記述で、パチュリーから出された課題の一つに、こいつをラテン語で読むことがあったんだ。 ……丸一ヶ月かかった。 「しかし、ミーハーな」 「お詳しいですね。もしや、魔術に興味が?」 「興味……まあそうかな」 流石に、実践していますとは言えない。しかもやっているのが、ウィッチクラフト等に代表される『現実にありそうな』魔術ではなく、もろフィクションの世界ばりのRPG的魔法だなんて、鼻で笑われるのがオチだ。 「ほう、土樹教諭。参考までに、今までどのような魔導書を?」 「……えっとー」 でもなあ、僕が読んでいたのって、パチュリー自作の魔導書か、名前なんて知られていないような教本とか辞典がほとんどだから、言うほど読んでいないんだよね。 それでも、有名どころも何冊か目を通していたので、その名前を挙げる。 すると、西園寺は僕の手を握って、うんうんと頷いた。 「素晴らしい。貴方が顧問となってくれれば、この英文学部も安泰です」 「……いや、読んだことがあるだけだけど」 それこそ、レメゲトンに記されている悪魔の一匹だって、僕は召喚できない。……いや、載っている悪魔が大物ばかりなせいもあるけどさ。 「それでも十分です。まったく、学校側はなにもわかっていない。ことあるごとにもっと『まともな』本を読めと。これ以上有意義な書籍は他にないというのに」 や、それはどうだろう。 僕は正直、夏目漱石でも読んでいた方がよっぽど健全だと思うが。 「っていうか、普段は一体何を?」 「あたしは昨日までこれ読んでた」 藤崎が見せた本は……『恋する占い☆まじかるぐりもわぁる』なるなんとも形容しがたい本。 「藤崎。これは?」 「知らないの? 今女の子の間で大流行してる占い本だよー」 そんなんが流行するなんて世も末だ。 っていうか…… 「君……えっと、高宮? は、どういう本を……」 「あ、あの私はあんまり読んでいないんです」 「え?」 ふむ、別に部に入ってから興味を持つ、ということもありえるけど。 「ああ、彼女は私がスカウトしました」 「え?」 西園寺が得意げに語った。 「彼女、ここに入学する前……中学生の頃、本物の呪いをかけられたことがあるそうで。流石は元華族でもある高宮家。稀少な経験をなさっているわ」 「……呪い」 それって、もしかしてアレか。僕が解決した、あの呪いの一件か? 結局、犯人は高宮さん(老人)に埋められたか沈められたかしたんだろうなあ、という、あの事件か。 「えっと、それで? 呪いとやらを受けたから、君は彼女をここに連れてきたと」 「そうです」 西園寺は自信たっぷりに言い放った。 おーい、どうにかしてくれ、この女生徒。向こうで『まじかるぐりもわぁる』を見ながら恋のまじないをしている藤崎が、凄く善良な生徒に見えてきましたよ。 「えと、ここに入れば、そういう悪いことに効き目のあるおまじないを教えてくれるからって」 「ええ。彼女には私が特別に作ったアミュレット(魔よけ)を差し上げました」 アミュレット、ねえ。 その手の魔具作りは、森近さんが異様なまでに上手いんだけど。……僕もちょっと齧ってみたが、どうにも『モノ』を作る段階で上手くいかない。図画工作は苦手なんだよ。 「どんなの?」 「ええっと、これです」 高宮が首から提げていた巾着を取り出して、僕に見せる。 中からは加護のルーンが刻まれた白い石が出てきた。 ……のはいいんだけど、全然霊力篭ってないなあ。 「んー、っと。それじゃあ、僕からもこれをあげる」 「え?」 僕はいつも身に着けている守矢のお守りを取り出して、高宮の手に置く。 ……や、正直言って、このルーンの小石、まったく意味ないからね。西園寺の好意(か?)には悪いけど。 守矢神社のお守りは、全て神奈子さんが神力を付与しているので、個人の手作りアミュレットよりはずっと効果がある。 しかもこれは、魑魅魍魎と普段付き合っている僕用に日本酒三本で特別に作ってもらった超お守りとでも呼ぶべきものだ。ちゃちな呪いなんかは通用しない。 ……また前みたいなことがあっても面倒だしなあ。僕がここに来れたのも、彼女のお爺さんのおかげだし、このくらいはして罰は当たらないだろう。 「おっとー、つっちー先生、意外と手が早いねえ」 「……藤崎、それはどういうことかな?」 「だって、生徒に特別な贈り物だよ? 勘繰られても仕方ないんじゃないかなあ」 い、言われてみればっ。 で、でも、一度上げたものを『やっぱなし』って取り上げるのも、それはそれで居心地が悪いしっ。 「ま、内緒にしといてあげるよー。にゃに? ついでに二人の仲がうまくいくよう、おまじないしてあげよっか?」 例の『ぐりもわぁる』を取り出して、不気味な笑顔を浮かべる藤崎。 「い、いや、それは遠慮しとく」 「ちぇ〜、残念」 大体、その手のおまじない的なものって僕には効かないんだよなあ。良きにつけ、悪しきにつけ。 「では、始めましょう。土樹先生は、そこで見ていてください」 「ねー、西園寺先輩。本当にやるのー?」 「もちろんです。藤崎さん。そのために、こんなのも用意したのではないですか」 と、西園寺は床を指し示す。 ……気付かなかったけど、なんか黒い塗料で魔法陣が書いてある。 「召喚陣?」 「流石は先生。よくおわかりで」 見る限り、術式自体は……まあ、ところどころ怪しいところはあるけれど、ちゃんとしている。 彼女がこれをちゃんと理解しているのならば、あとは霊力を通し言霊を詠唱することで異界の生物を召喚できる……かもしれない。 ……危なくね? こ、これが一大イベントとやらか。まあレメゲトン見せられたときからもしかしたらとは思っていたけど。 「……なあ、高宮。これで何を召喚するのか、知っている?」 「あ、あの……。私、詳しいことは。その辺りは西園寺先輩が全部仕切っているので」 「西園寺?」 尋ねるが、準備に没頭している西園寺は気付かない。 なにやら香を炊いて煙を出している。 ……うーん、召喚系は実は通りいっぺんしか知らないんだけど、大体手順としては合ってるっぽい。 「さあ、始めますよ!」 「で? なにを召喚すんの?」 「とりあえず、無名の悪魔を。流石に、最初からソロモンの七十二柱を呼び出そうとは思いません」 っていうか、人間にはほぼ不可能の領域だから、それ。 まあ、どっちにしろうまくはいかないだろ。霊力を込める段階で躓くと思う。 「どんなのが出てくんのかなー、ドキドキするね」 「藤崎……悪魔だぞ、悪魔。楽しみにするようなものじゃないだろ」 「なんだよー、つっちー先生は楽しみじゃないの? 悪魔ってどんなのか、気になるじゃん」 とある紅い悪魔とよく会っているからどうでもいい。 しかし、悪魔召喚ねえ……。 仮にとは言え教員の立場としては止めるべきなんだろうけど……まあ、そこらの幽霊が雰囲気に引き寄せられるのがせいぜいだろう。 魔法円の中心に立ち、朗々とよく聞き取れない呪文を唱える西園寺の背中を眺めて、そう結論する。 「ん? どした、高宮」 「いえ、あの……少し怖くて」 いつの間にか僕の後ろに回っていた高宮に声をかけると、そんな答え。 ……まあ、確かに少しおどろおどろしい雰囲気ではあるな。 「平気平気。召喚なんて、そうそううまくいくもんじゃないって」 「で、でも。なんか嫌な感じなんです」 嫌な感じて。 ……うーん、そういう直感は僕にはないなあ。 なんて、思った数秒後。確かな霊力の流れを感じて、僕は驚愕の目で西園寺を見る。 「あ、あれ? ……ど、どうして!?」 さっきのルーンの小石を見る限り、霊力とかを込める技術は西園寺にはないはず。……でも、なんで魔法陣が動作してんだ!? 「あ」 魔法陣を書いた塗料に注目する。 黒くくすんでしまっていてわからなかったけど……もしかして―― 「おい、藤崎っ。あの魔法陣、何で書いた!?」 「あれ? あれは西園寺先輩が自分の血で。別にリストカットしたわけじゃないみたいだけど」 マズイ。血液は、魔術の素材としてはかなりポピュラーかつ、汎用性のあるものだ。 霊力も多少入っているので、それで書けば確かに霊力を込められなくとも、多少は力が循環してしまう。 それでも、魔法陣の意味を理解していないと、作動しないはずだけど……困ったことに、西園寺は正しく理解してしまっているらしい。ちゃんと魔術が完成する感触がある。 「おい、西園寺! やめ……」 パンッ! と、部室の棚に並べてあったビーカーや薬品の入った瓶、それに、蛍光灯が弾けとんだ。 幸いにも、それらの破片が高宮たちに降り注ぐことはなかったけど……でも、ヤバイ。 召喚の魔法陣。その三角形の部分のところに、新しい人影が現れている。 感じられる霊力からして、間違いなく本物の悪魔。 召喚……成功しちまったよ、オイ。 ガタガタと震える高宮が、僕の後ろで視線を伏せている。 「せ、成功ね。あなたの名前は?」 自分でもちょっとびっくりしている様子の西園寺が、その現れた悪魔に声をかける。 ここからだと、背中しか見えなくて、表情は見えないけど……次の言葉で、僕は凍りついた。 「五月蝿い。こんなところに呼びつけて……私は気分が悪い。どれ、お前を喰ろうてやろうか」 と、一歩西園寺へと足を踏み出す悪魔。 三角の魔法陣は、召喚した悪魔を外へ逃がさない役目もあるはずなのだけど、微かな抵抗もできず弾け飛んでしまう。 マズイ。 「え」 初めて西園寺の瞳に、恐怖の色が見えた。藤崎すら、呆然と様子を伺っている。 「火符!」 僕は、後先考えず飛んだ。持ち歩くのが癖になってしまっているスペルカードの一枚を発動させる。 西園寺に手を伸ばしかけていた悪魔に向けて、全力で―― 「な〜んて、冗談ですよ。これに懲りて、もう二度と悪魔召喚なんて……」 「『サラマンデルフレア』!――って、え!?」 「え?」 殺到する火球。 発動する直前に聞こえた台詞を反芻する暇もなく、炎は悪魔がいた辺りを埋め尽くした。 こっちを振り向いた悪魔の顔が、みょ〜に見覚えがあった気がするのは、気のせいであってくださいお願いします。 結論から言うと、それは気のせいでも見間違いでもなかった。 「……なんで、小悪魔さんがここに?」 召喚されたのは、パチュリーの使い魔的存在、通称小悪魔さん。 ……あれー? この人、幻想郷の人だよねえ。 「私はどちらかというと、霊体のほうが本質ですので。魔界から召喚される、という形でなら、たまに外にも呼び出されるんです」 肉体が本質であるお嬢様なんかにはできませんけどね、と付け加える小悪魔さん。 そっかー、そういえば、外の世界の幽霊とかも幻想郷に入ってきたりするしねえ。や、正確には三途の川の方だけど、幻想郷通るし。 「それで、魔界で休暇を楽しんでいると、いきなり目の前に稚拙な穴が出来たんですよ。無視しても良かったんですが、こういうのが増えたら煩わしいので警告に」 「……で、さっきの話ですか」 ……まあ、本気で喰おうとしたわけじゃないみたいでよかった。 「それじゃ、良也さん。知り合いなんでしたら、二度としないよう言い含めてくださいね。中には、本当に食べちゃう悪魔(ひと)もいるので」 「了解」 僕の後ろで呆然としている女の子たちを、小悪魔さんはちょっと厳しい目で射抜いてから、去っていった。 ……悪魔社会も色々あるんだなあ。 「あ、そうそう」 と、思ったら、帰りの穴から顔だけ出して、小悪魔さんが付け加えた。 「次来ても、お茶はありませんので。あしからず」 「ええ!?」 そりゃ服焦がしちゃったけどさ! ぐう〜、仕方がない。お菓子持ってってご機嫌を取るか。 また後ほど、と小悪魔さんが今度こそ去って、どうしたものかと三人娘を振り返った。 「あ、あの、つっちー先生?」 「ああ、藤崎。なんだ?」 「その、つっちー先生って……」 ふむ、と悩む。 今のはちょっとした手品です、とか幻です、とか言い張るのは難しい。 僕が放った火の玉は、すぐ消し止めたとは言えばっちり床に焦げ目を作っちゃったし。 ……まあ、秘密にしてもらえるなら、いいだろう。 「実は、僕は教育実習生でもあるが、魔法使いでもあるのだ。トップシークレットなので、他言無用で頼む」 別に僕はいいんだけど、あんまり広めすぎるとスキマがぎゃーぎゃーうるさいので。 「ほ、ほほほ本当ですか!?」 「一応本当」 目をあからさまに輝かせる西園寺をどうどうと抑える。 「スゲー! 凄いよ、つっちー先生!」 「それでもつっちーなのな……」 いいけどさ。 しかし……やれやれ。やっぱり手品と言い切ったほうが良かったかな。 「高宮も、頼むから誰にも言わないでくれ……高宮?」 興奮する西園寺と藤崎。その後ろで、高宮はなぜか頭に人差し指を当て、なにかを思い悩んでいた。 ……なんだ? 「あの……もしかしてですけど、土樹先生って、前私が呪いをかけられたときに助けてくれた、あの魔法使いさんですか?」 ――あ、そういえば、魔法使いだって、朦朧としてた高宮に話したっけ? 隠しても仕方ない、か。 「まあ、一応……」 驚きの声を上げる高宮。 ……さてはて、面倒なことになりそうだ。 教育実習期間中は、これ以外にも色々と事件があったのだけれども……。 あんまり思い出したくないので、それはまた別の話ってことで。 | ||
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