「ふんふふーん」

 僕は鼻歌を歌いながら、博麗神社からも、里からも微妙に離れた、小さな森にやってきていた。

 魔法の森ほどのアクロバティックな生態はしていない、極普通の森……つーか、林。脇には紅魔館のある辺りの湖から流れてきた小川があり、さらさらと流れる水の音が心地良い。

 こんないいシチュエーションではあるが、微妙にどこの妖怪の縄張りにもなっておらず、ぽっかりとした空白地帯となっている。

「んーと……あったあった。荒らされてないな」

 川のほとりにある、大きな岩。
 てっぺんが平らで、寝っ転がれるほどの大きさのここは、僕のちょっとした秘密の場所である。ゆっくりと呑みたい時に確保してるところだ。

 勿論、こんな野外で一人呑むとなれば、危険も大きい。しかし、そこはバッチリ対策を取ってある。

 周囲に配置した魔除けのルーン。地面に埋めた退魔のお札。風水に従った配置で清らかな霊気が集まるようにしてるし、後は隠密の結界も張ってる。後はまあ、適当な結界やら加護やらお呪いやらを適当に。
 割とゴッチャゴチャだが、その時勉強してたやつを適当に投入しただけだから仕方ない。時間を掛けたお陰で、低級の妖怪くらいなら近付けない出来になっているはずだ。……はずだ。

 近付ける奴は、そもそもどう対策しても意味が無いので考えないことにする。そういう奴が、『なんか人間が小癪なことしてるわね』ってぶっ壊してなくてよかった。

 要は、秘密基地なのである。

 こういう、ちょっとした拠点を、僕は幻想郷中に、大体五つか六つくらい持っていた。
 ……三つ作るうちに二つは壊されるから、お気に入りの場所以外は結構忘れているが。

 誰かの縄張りでもない限り、土地の所有権が極めて曖昧な幻想郷だから出来ることである。
 実はこの前、クラウンピースの奴にこの秘密基地のどれかを紹介してやろうかとも思ったのだが、妖精除けの呪いは念入りに施しているので、居心地が悪いだろうからやめた。

「よっと」

 『倉庫』にしまってある座布団を取り出し、岩の上に敷く。どっかと腰を下ろし、続けて日本酒の一升瓶と、切子の酒器一揃いを取り出した。

「……氷符」

 今日の夜は、ちょいと蒸し暑い。
 勿論、僕は自分の周囲の気温を下げて快適温度にしているのだが、まあ季節感も大事である。雪冷えまで酒を冷やしてやれば、いい感じで呑めるだろう。

 つまみは……適当に、昼飯の残りとか、霊夢が漬けた漬物とかを弁当箱に詰めて持ってきた。今日のは結構良いお酒なので、ツマミは脇役だ。

 同じく氷の魔法で冷やした切子の徳利に酒を注ぐ。

「乾杯」

 誰ともなく呟き、盃を掲げ、

「ほい、乾杯」

 ……絶対に誰もいなかったはずなのに、それに応える声があった。

 何も知らなかった頃の僕なら『ぎゃぁ』とでも叫んでいただろうが、今更この程度の不意打ちで叫び声は上げない。少しびっくりしたが、聞き覚えのある声にため息をつく余裕すらあった。

「……萃香。お前、いつからつけてやがった?」
「おや、つけるとは人聞きの悪い。なんとなーく、一人でいい酒を呑もうとしている気配があったから、こうしてご相伴に預かりに来ただけさ」

 いい酒を呑もうとしている気配ってなんだ。
 もしかして、僕、傍目からはそんなにウキウキに見えたのか?

「っていうか、一応ここ、妖怪避けの結界張ってんだけど」
「ん? ああ、なんか薄っぺらいのがあるねえ。こんなもんこうだ」

 萃香がその場で右足を一踏みすると、僕が丹精込めて作った結界は紙切れのように千切れ飛ぶ。

「こ、この野郎。あっさりと」
「良也が作ったにしちゃあまあまあだったけど、流石に鬼に通用する程じゃないね」

 まあそりゃ、真性の鬼なんて妖怪の中でもハイエンドの奴に通じるなんて、僕も思っちゃいなかった。

 でも、わざわざ破ることないだろうに!

「結界もない危ない外で酒なんて呑めるか! 僕は自分の部屋に帰る!」

 と、言うわけで意趣返しにどっかの探偵ものの被害者っぽく叫んで、酒を『倉庫』にしまう。さて、マジで帰るか。

「あー! 待った待った! わかった! この呑みについちゃあ私が守ってやっから!」
「本当だな? 破ったら嘘ついたとみなすぞ」
「当たり前だろ。人間と違って、約束は守る」
「じゃ、もし僕が酔い潰れたら、目が覚めるまで頼む」
「え〜。そこまでは面倒だけど……まあいいよ」

 不承不承だが、萃香は頷いた。

 一応これで安全は確保されたわけだが……

「はあ〜」

 あっさりとかき消された結界に、僕は深くため息をつく。いや、いつかは壊れるものだと思っていたので、それほどショックはないが、目の前でやられると凹むんだよ。

 ……ま、旨い酒を呑むんだ。忘れよう。

「言っとくけど、お前は味見だけだぞ。一瓶しかないんだから」
「か〜〜っ、ケチくさいなぁ。まあ良いさ。量の方は私の伊吹瓢で受け持とう」
「……今日は馬鹿呑みする気なかったのに」

 無限に酒が出てくる瓢箪なんぞ持ち出されたら、僕という人間は間違いなく二日酔いになるまで呑む。僕はそこまで自制心の強い男ではないのだ。え? 知ってた?

「ほれ、萃香」
「おう。よく冷えてて、気持ちいいねぇ」

 氷の魔法でキンキンにしている盃を渡してやる。
 僕も、この酒器を買った時にセットで付いてきたもう一つの盃を『倉庫』から取り出し、萃香の酌を受けた。

「んじゃ、乾杯」
「かんぱーい」

 そうして、もう何度目かになる、鬼との酒宴が始まった。
























 まあ、僕はこれでも、萃香とは割と長い付き合いだ。
 怒らせるとかなりアカン枠だが、普段は気風がよく、なんでか知らんけど割と萃香内の僕の評価は普通の人間より割と高い方らしく、こうしてサシで呑むのも珍しい話じゃない。

 馬鹿話しながら痛飲したり、萃香の昔話なんぞを拝聴しながら深酒になったり、とりあえず飲み食いに集中して鯨飲したりと、パターンは色々とある。

 ……が、なんか今日は雰囲気が違った。

「ところでさぁ、良也」
「あン?」

 結局七割形呑まれてしまった一升瓶の最後の一滴を盃にみみっちく注いでいると、とっくに伊吹瓢の酒の方にシフトしていた萃香が、思い出したように言った。

「お前さん、将来の身の振り方って考えてんの?」
「は?」

 二重の意味で僕はびっくりである。
 そんな、モラトリアムな学生ではあるまいし、就職して何年も経ってから言われたってのが一つ。
 もう一つは、それを聞いたのが他ならぬ萃香ということである。

「来年の話をすると、何が笑うんだっけか」
「そりゃ鬼さ。未来なんてわからないものを、あれこれ予想なんて馬鹿みたいだからね。でも、将来はこうなりたい、って展望を笑うこたぁしないよ」

 なにが違うんだろう。いや、違うか? うん、違うな。

「つってもなあ……まあ、昇進して校長とかになりたいとはあんま思わないし。とりあえず、もうちょい勉強して、うまく教えられるようになって。……ああ、後、さっさと金貯めて家買おうかなー」

 ……やべぇ、モラトリアムな学生を笑えないほど将来像ふわっふわだ。
 あと、将来と言えば一般的に大きな転機の結婚だが……予定は聞くな。酔っているし。予定だけに。

「そりゃ外の話だろ。私が言ってるのは、その後の話さ」
「その後?」
「今の外の世界は、寿命のない人間なんかがいつまでもいられないんだろ」

 まあ、そうである。
 だから、適当な所で死を偽装して、幻想郷に引っ込もっかなー、ってのが、僕のプランなんだが。

「その時になったら、今みたいに幻想郷の住人だか客人だかわからない、中途半端な立ち位置にゃいられんだろ。こっちに根を下ろして、さてアンタはどっちに付く?」
「どっちって、何と何があるんだよ」

 そりゃお前、と萃香は伊吹瓢を豪快に煽って、自らを親指で指す。

「妖怪(こっち)か」

 次いで、あらぬ方向……いや、あっちは里の方角だったか。そちらに指を向け、

「人間(あっち)か、さ」

 神妙な問いかけ。
 しかし、僕の回答はとっくに決まっている。

「そりゃお前、人間側に付くに決まってんだろ。何言ってんだお前は」

 くれ、と僕は萃香から伊吹瓢を受け取り、盃に入れるのも面倒で、萃香と同じように煽る。

「ほう、そうかね。でも、人を外れたやつが人の間で暮らすってのは面倒だよ。うちら側に付きゃいいのに」
「いや、普通に妖怪も里にいるぞ。慧音さんとか名士の一人だし」
「最初っから人外が入ってるやつと、人から転がり落ちたやつはまた違うさ」

 そんなもんかねえ。でも確かに、僕の知ってる人間(笑)とか、人間から超人になった人とかは里にはいないな、そういえば。

「んー、まあ、そこまで言うなら里で暮らすかは要検討だけど。でも、僕はどうやっても、妖怪の側には行けないなあ」

 いや、本当。なぜ萃香がこんなことを言い始めたのかは分からないが、僕は妖怪ほど自由に生きられるとは思えない。
 そういう生き方に、憧れがないとは言わないけどさ。

 大体、妖怪って基本的に人食うじゃん。無理っすわ。

「どうだろうね。私の見立てだと、アンタは案外簡単に転びそうな気がするけどね」
「一体、僕のどこを見てそう思った」

 これでも清廉潔白な人間を自負しているというのに。
 そりゃ、少々普通の人とは違う力を持っているが、そう、こう、心だ、心。

「んー、色々あるな。まず、良也の友達って妖怪のほうが多いだろ」
「そ、そうだけど」

 さ、里にも友達はいるよ?

「後、蓬莱人って私の中では妖怪カテゴリーだし」

 ひ、否定はしきれないけどさ。妹紅とか、あれもう自分を人間だと思っていないフシがあるし。

「で、いくら生き返られるからって、人間ってのは普通、自分を虫みたいに殺せる人間じゃない相手に、いけしゃあしゃあと友達ヅラはできないよ」
「いけしゃあしゃあととはなんだ」
「安心しな。むしろそういう反応がかえって面白いからって、それなりに付き合いできてんだから」

 ええ……

「まあ、そういう体質的なとこと、精神的なとこと。どっちもひっくるめて……妖怪って扱いになっても、おかしくないなって思ったわけだ」
「いきなり言われてもなあ……」
「良也は人として生きてきた時間のほうがまだ全然長いからピンと来ないかもだけどね。時間を置けば、多分あんたはこっちに来れるよ」

 そう萃香は締めた。で、返せと僕の手の中に伊吹瓢を引ったくり、機嫌良く呑み始める。

「…………」

 まぁ、うん。……うん、一理あるところもあるが、逆に言えば一理しかない。

 そりゃ、将来の僕がどう思うかなんてわからないが、今、現時点では萃香の言葉は笑い話だ。実際にどちらかを選べるとしても、妖怪側に行きたいとは思わない。
 そう伝えると、萃香はふーん、と肩を竦め、少し笑って、

「そうかい。ま、そっちはそっちで面白いからいいさ」
「面白い……か?」
「そりゃそうだよ。人側に付くってことは、つまり遠慮なく喧嘩売れるわけだろ? まあ、五十年も経てばもうちょい戦い甲斐も出るだろ」
「売るなよ! 買わないよ!」
「じゃあ略奪だ。里の外に居を構えるなら、遠慮なく毟れる」

 くっくっく、と萃香は鬼らしい笑いを浮かべ、ほれ、と伊吹瓢を差し出してくる。
 遠慮なく酌を受け、僕は口火を切った。

「じゃあ、里の中に家買うからいいよ」
「どうだろうねえ。最近、里の人口もちょっとずつ増えてるみたいだし、良也がこっちに来る頃に空き家があるかな?」
「長屋でもいいし、いっそ開拓してもいいし」
「ふーん。開拓して増えた領土って、里の中にカウントすんのかな。しなくてもいい気がするなー。要は妖怪の領域に人間が侵攻してくるわけだろ?」
「しろよ!」

 あっはっは、と萃香は笑う。つーかこいつ、さっきから笑いっぱなしだ。機嫌がいい、のか?

 ああいや、そうか。
 来年の話をすると鬼が笑う……なら、楽しく馬鹿話したい時は、こうして将来のことを話すのが鬼達の流儀なのかもしれない。

 っていうかこの考え正しければつまり、さっきのは酒の肴にからかわれた、のか?

「萃香。お前、さっきまでの話、どこまで本気だったんだ?」
「ん? さて、どこまでだと思う?」

 どこまでだろう。
 こいつは嘘はつかないやつだが、酒の席での冗談くらいは口にするし。

 ……うん。

「一から十まで適当言ってたと思う」
「ははは! じゃあそういうことでいいんじゃないかい? さて、もっと呑め、良也」

 いつの間にか空になっていた酒盃に、萃香が酒を注ぐ。

 程よく酒が周り、僕は萃香の真意なんぞどーでもよくなりつつ、更に酒を煽るのだった。



















「あったまいてー」

 次の日。
 案の定、夜中まで呑んで、翌日は二日酔いになった。目が覚めたら、周囲に漂っていた霧がすぐさま晴れたので、多分あれは霧化した萃香だったんだろう。
 流石に、約束は守ると豪語するだけあって、目覚めまできっちり守ってくれていたらしい。

「んー」

 ガンガンと痛む頭。
 そんな頭で、僕はちょいと昨日の萃香との話を思い出す。

「あー、どうすっかねえ」

 別に妖怪がどうとかはまったく考慮するつもりはないが。
 うーん、将来の住居か……自分の家って憧れるんだよなあ。

「ちょっと、考えてみるかあ」

 ま、急ぐ話でもなし。
 僕は頭の片隅に、ちょっとした計画を立てつつ、フラフラと帰途につくのだった。



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