「こんにちはー、と」

 玄関から中に呼びかけてみるが、返事がない。
 神子さんの道場。仙人の住処というだけあって、清らかな気に満たされているが、反面人の気配に乏しい。

 この前霊廟で会った連中で全員だというのなら、建物の広さに対して人数が少なすぎるので、この気配の少なさも納得ではあるが。掃除とか大変だろうに、なんでこんな広い道場にしたんだか。
 まあ、仙人は人里でヒーロー的な扱いなので、もしかすると数年もすると弟子でいっぱいになるかもしれない。そうすると、人と妖怪の勢力は大きく人側に傾くだろうが、今がもう既に妖怪優勢すぎるのでようやくまともな均衡が取れる様になるとも言える。

「……入っちゃいますよー?」

 若干気が引けたが、布都さんによると少なくとも神子さんはいるそうなので、少々気が引けながら上がることにする。一応、布都さんには許可はもらっていた。
 今後妖夢や東風谷のような犠牲者が出ないように神子さんにも一言言う。僕は、そんな悲壮な決意を抱いているのだ。

 え? なに? 東風谷は明らかに自分から堕ちているだろうって?
 なんのことかわからんな。東風谷早苗ちゃんは昔から変わらずいい子ですよー。ハハハハ、……ハハ……ハ……自分を誤魔化すのも大変だァ。

「もしもし」

 しかし、やっぱり広い。外から見たよりずっと。
 やっぱ異界だからだろうか? 道場の中身も弄ってるんだろうな。

 それでも、僕の勘も捨てたものではないのか、しばらく歩いていると神子さんの気配を見つける。あの人は、王者の気質っつーか、霊力っつーか、そんなものを持っているため、気配が派手なのだ。

 それらしき扉の前に立ち、こんこんとノックをする。

「? 誰でしょうか」
「あの。こんにちは。良也です。ちょいと仙界にお邪魔したので挨拶でもと」
「ほう。自力でここに辿り着くとは。君も仙人の素質が……」
「あんたらそればっかだな!」

 思わず突っ込む。
 そう言えば、妖夢が言うには、主に彼女を洗脳したのは布都さんと神子さんだった。

「そればっか? はて、なんのことかわかりかねますが、まあ入ってください」
「……失礼します」

 は〜、なんか部屋に入る前からどっと疲れた。

 んで、部屋に入ってみると、中は書斎っぽかった。ところ狭しと本や巻物、珍しいところで竹簡なんてのまであったりして、神子さんは中央のテーブルに正座し、書き物をしている。
 ……ん、あれ? 神子さんはなにやら本を書き写しているようだが、元の本の装丁が妙に現代的なような?

「どうも、お久し振りです良也」
「はい」

 挨拶をしながらも、神子さんの筆は止まらない。頭と手が別の生き物のように、顔は僕に対してちゃんと応対しながら、手は淀みなく動く。
 流石は十人の声を同時に聞き分けたという豊聡耳皇子。この程度の並列作業などお手のものらしい。

「いつか礼に行こうと思っていましたが、君の方から来てくれましたか。
 君のおかげで、寺の連中とは友好、とまではいかずともお互いの不干渉を約定できました。ありがとうございます」
「は、はあ」

 ちなみに、この間も手は止まっていない。写本しているはずだが、どうやってんだろう。視線も落とさずに。
 と、そこでピタリと神子さんの筆が止まる。

「おっと、私としたことが。客にお茶も出さずに、失礼しました。どうにも、昔執務をしていた頃の癖が」
「そんな風に仕事をしていたんですか」

 そりゃ超人だ。部下の報告なんかを聞きながらも、書類仕事の手は止めなかったのだろう。ことによると、その部下の報告も何人分も同時に聞いていた可能性がある。

「ええ。ところで、お茶は何が良いですか? 一応、人里に出向き色々と揃えてきましたが」
「いえ、そんな気を使ってもらわなくても」
「そういうわけにも。まあ、任せてください。生前は、こういうことは自分でやることがなかったので、結構好きなんですよ」

 と、反論する暇もなく、神子さんは立ち上がり『少し待っていてください』と言って部屋から出ていく。

「うーん」

 待っている間、手持ち無沙汰だ。
 これが普通に女の子の部屋ならば、こう色々とドッキドキで待つ時間など気にならないのだが、ここまで実用性一辺倒の部屋だとそんな気分になるわけもない。

 そこらの本でも、と適当に本棚にある書簡の一つを開いてみるが、昔の書体なんでまるで読めん。
 古代の魔導書もたまに読むけど、昔の日本のやつは守備範囲外だ。

「っと、そういえば」

 さっき、神子さんが写していたのはなにかね。
 と、興味をひかれて、机の上を見ると……へ?

「きょ、教科書、か?」

 それは、まごう事無き日本史の教科書であった。






























「お待たせしました」
「あ。どうもありがとうございます」
「いえ、これくらいは」

 お盆に茶器を乗せて戻ってきた神子さん。聖徳太子手ずから淹れてくれたお茶。……考えてみたら、超貴重な体験をしてるのかもしれない。

「どうぞ」
「どうも」

 湯呑みに茶を注いでもらい受け取る。
 神子さんの時代に緑茶なんてのがあったのかは知らないが、うまいこと淹れたようで、いい匂いだった。

 ずず、と啜ると熱すぎずぬるすぎない絶妙な温度の緑茶だ。
 ちなみに、僕や霊夢はもうちょっと熱めが好み。勿論、そんなことは口には出さない。

「ふう、美味いッス」
「それはよかった。あ、こちら茶菓子です」
「いただきます」

 これは、里の店の煎餅だ。これがお茶に合うんだよね。
 ありがたく、いただくことにする。

 しかし、まだ復活して日も浅いだろうに、随分馴染んでいるようだった。

「ああ、ところで神子さん。ちょっと聞きたいんですけど」
「なんでしょう?」
「その教科書って……」

 さっき見つけた日本史の教科書について聞いてみる。『ああ』と神子さんは頷いて、答えた。

「先日、弟子入り志願してきた早苗さんが持ってきたものです。『これに載っている人ですよねっ』などと見せてくれました」
「へえ」
「当時、女というだけで政に参加できなかったので、対外的には男として振る舞っていましたがね。まさか、本当に男として伝わっているとは思いませんでした」
「そりゃそうですよね……」

 あれ? ってことは、

「あの肖像画は一体……」

 旧一万円札の図柄にもなっていた、歴史教科書でお馴染みの聖徳太子像は一体どこから出てきたんだ? 僕は英語教師であって歴史の教師ではないので、出典がどこかは知らんけど。

「後世の画家が勝手に描いたものでは? 私は、あんなものを残してはいませんよ」
「うーわー……」

 なんという。歴史など所詮そんなものなのかもしれない。ことによると、三国志の武将が本当に女だったという可能性も否めなくなってきた。

「まあでも、それ以外は概ね間違ってはいません。私が仏教を広めたと、ちゃんと伝わっていましたし」

 しれっと、仙人として復活した人が言う。

「それで、自分のことを書いている本に興味を持って写しているんですか」
「いえ、そういうわけでは。私がいなくなった後、この日本という国がどのような道を歩んだのか。仮にも過去にこの国を統治していた身として知っておきたかったのです。
 思うところがないわけではありませんが、この時代まで国が存続し、今の民はおおむね豊かに暮らしているようで安心しました」

 そう当たり前のように言う神子さんは、外見は少女でも、やはり教科書に残るほどの偉人の風格を持っていた。

「出来れば、もう少し最近の情勢について詳しく知りたいのですが、早苗さんも知らないようで」
「……ああ、じゃあ僕から話しましょうか?」

 東風谷は、幻想郷に移り住んでもう数年経つ。記憶が薄れていても仕方が無いし、当時女子高生な東風谷が、そこまで世の中のことを気にしていたとは思えない。別に馬鹿にしているわけではなく、政治とか、経済とか、そういうのを実感として感じられるのは、やっぱり社会に出てからだと思うのだ。

 まあ、僕とて教職で、世間の荒波に揉まれたとは言いがたいが、一応アンテナは高くするよう心がけている。

 僕ごときが聖徳王へ奏上する事実に気後れしつつ、僕は近代以降の日本のことについて、できるだけ私見を交えずに話し始めるのだった。



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