「……あれ? ここって」 パチュリーの図書館でスペルカードを書いていたが、ふと呪文の意味を忘れてしまった。 勉強机の隅には数冊本が置いてあるが、確かこの中には該当の記述はなかったはず。 パチュリーに聞けば一発で教えてくれるだろうが、僕が大学の図書館で借りてきた植物の本を真剣な眼で見ているため、邪魔はしたくない。 さて、そうなると、ここの図書館の司書ともいえるあの娘に頼むか。 「小悪魔さん。ちょいといいですかね」 「はい?」 丁度よく彼女が通りかかったので呼び止めた。 「なんでしょう?」 「えーと、『四大精霊理論第一章』って本が欲しいんだけど」 「はい。少々お待ちください」 快く了解してくれた小悪魔さんは、整理するために運んでいた本数十冊を、どん、と床に置き、きょろきょろした。 おおよその位置はわかっているのか、その視線は一つの本棚に向いており、しばらくして小悪魔さんはその本棚に飛びついた。 「はい、これですね」 「ありがとう」 そして、パチュリーのように本を投げることもなく、手渡ししてくれる。 にっこり笑うその笑顔は、どう考えても悪魔という名前に似合わない。 というか、小悪魔って名前なのか? と聞いたことがあるが、もちろん本来の名前は別にあるらしい。 しかし、彼女のような低級の悪魔にとって、真の名を知られるのはリスクが高いので小悪魔としているとのこと。 「あ、良也さん。お茶でも淹れましょうか?」 「いいの? じゃあ、頼もうかな」 「はい。パチュリー様は?」 パチュリーは、小悪魔さんの問いに手をひらひらさせて答える。 横着な仕草だが、長年の付き合いの小悪魔さんにはそれで充分だったらしい。一つ頷くと、図書館に備え付けの給湯室に飛んでいった。 「良也」 「ん? どうした、パチュリー」 「いえ。小悪魔に本を探させていたみたいだったから、どこか詰まったのかと思って」 「……ちょっとした確認。風の制御式を一つ忘れたから」 「どれ?」 と、パチュリーが飛んできた。 別に気にすることもないのに、割とまめな先生である。 「あ、これ返しておくわね。なかなか興味深かったわ」 「早いな、読むの」 「次々に増えていくこの図書館の本を呼んでいくには、この程度の速読は必須スキルよ」 いや、そうかもしれないけどね。 しかしこれだけ分厚い本を、たかが三十分足らずで…… 「外の世界の本は珍しいから、ついつい熟読してしまったわ」 「熟読!?」 早すぎる。 「それで、どこかしら?」 「え? あの、この呪文。どことどこに掛かってくるんだっけかなぁ、って」 説明しながら、小悪魔さんに取ってもらった本を捲る。 該当の箇所を確認して、実際のスペルカードと見比べる。 ……あ、ここの呪文、上方に配置した方が効率いいな。 「へぇ。少しはわかってきたんじゃない?」 「なんのことだ」 「この呪文は確かに、色々な使い方がある呪文でね。ここが気になるってことは、少しは魔法の構造がわかってきたってことよ」 『すると、そろそろいいかしら』なんて、パチュリーは気になることを言う。 「なんだ? 僕は一体なにをさせられるんだ?」 「試験、かしらね。合格すれば、見習いの称号を上げてもいいわ」 「……僕って見習いですらなかったんだ」 「当たり前よ。魔法の秘奥は、入り口すらそう簡単に辿り着けるものじゃないの」 いいけどね別に。称号が欲しくて習い始めたわけじゃないんだし。 「見習いになったら、今みたいに定期的に通う必要はないわ。自分で必要だと思ったら来たらいいし、別に魔法を捨てても構わない」 「……どういうこと?」 「最初に教えたでしょう?」 出来の悪い生徒に、パチュリーは指を立てて説明する。 「一番いけないのは中途半端に覚えること。すぐ歪みが出るからね。ある程度自分で歩けるようになれば、別に絶対に師匠が必要なわけじゃないわ。 ま、より高みを目指したいなら師匠を続けるのも吝かじゃないけどね」 「そうだっけ。そういえば、そんなこと言ってたな」 ちょっとでも齧った以上、ひとり立ちできるまでは絶対にここに通うこと、なんて最初に約束させられたのだ。 そういえば、そのとき、こんな説明を受けた覚えがある。 「パチュリー様。良也さん。お茶の用意が出来ましたよ」 「そして良也。貴方が受けるべき試験は……」 小悪魔さんが戻ってきたが、パチュリーは構わず続ける。 「小悪魔と試合をして、一撃入れることよ」 『は?』 僕と小悪魔さんの反応が、間抜けに一致した。 「な、なんでこんなことになっているんでしょう?」 「多分、連中の趣味です」 なにやら小悪魔さんと弾幕ごっこをやることになった。 ……のは、百歩譲っていいとして、なぜにレミリアとパチュリーと咲夜さんは下で見物モード? 『貴方が魔法を覚えるきっかけは、強くなるためでしょう? じゃあ、実際に強くなったかどうか確かめるのが一番じゃない』 パチュリーの、試験に関する説明がコレ。 いや、でもね。じゃあ、どうしてレミリアまで呼ぶのかって問題がね。 『別に、小悪魔に勝てとは言わないわ。絶対無理だから。でも、一撃くらいは頑張って入れて頂戴』 小悪魔さんも困惑している模様。 しかし、そんな小悪魔さんに、パチュリーが声をかける。 「小悪魔。手加減は無用よ。怪我をしても私が治すから」 「怪我すること前提かよっ!」 パチュリーが風に乗せて届けた言葉の内容は、微妙に聞き捨てならなかった。 「あら、小悪魔は『悪魔』よ? ちょっと魔法を齧っただけの人間が、一撃入れるだけでも大変だと思うけど?」 「……言ったな。小悪魔さん、どうか手加減抜きでお願いします」 「は、はあ」 力はないけど、ここまで言われて大人しく引き下がるほど、僕は大人ではない。 窮鼠猫を噛むって言葉もある。 せめて、一撃を見事に入れて『合格!』と言わせて見せる! 「じゃあ、はじめなさい」 パチュリーの合図とともに、僕は先手必勝とばかりに霊弾を撃ちまくった。 霊力のほうも、魔法を習うと同時に鍛えていたので、ここに来る以前よりずっと密度も威力も高い弾幕だ。 ゴメンね小悪魔さん。恨むなら、こんな試験方法を選んだパチュリーを……って!? 「うぉぉおう!?」 反撃に撃たれた小悪魔さんの弾幕を紙一重で避ける。 当然のように、こっちの弾幕は掠りすらしていない。 「つ、強えー」 普段は大人しい人なのでついつい侮ってしまっていたが、とんでもない。強すぎる。 かろうじて今は躱しているが、いつ捉えられるかわかったものではない。 「あらあら。危なかったわねぇ、今のは」 「むしろ当たって血が出れば、合法的に血液がいただけるのだけど」 「あらあら、いけませんよ。お嬢様。傷を負った箇所からの血なんて。ばい菌が入っているかもしれません」 言いたい放題だなぁ、下の連中! 「風符!」 もう出し惜しみはなし。いつもポケットに一組入れてある符のうち、一枚を取り出す。 「『シルフィウインド』!」 名を宣言するとともに、大気があらぬ方向に捻じ曲げられる。 密度の高い空気が刃となり、敵を切り刻む『シルフィウインド』。ちなみに、切り刻むと言っても、一つ一つの刃は薄皮一枚を一センチくらいきるのが精一杯。 ……しかし、それらが無数に襲い掛かるのだ。殺傷力は低いかもしれないが、避けにくさでは四枚の中で一番。 それを、 「ふっ!」 小悪魔さんは、弾幕による相殺、という形で防いでしまった。 「くっ、火符……」 「無駄ですっ!」 続くスペルカードを取り出そうとした一瞬、小悪魔さんの弾が僕の腹部にめり込む。 「っごふっ!?」 手加減はしてくれているようだが、肺から酸素が飛び出る。 呼吸が出来なければ、集中力も当然落ちる。 僕は高度を落とし、 「あ、大丈夫ですかッ!?」 「……えーと」 お人よしだなぁ、この人。 ちょっと浮遊術で落ちたフリしただけなのに。 「えーと、ごめんなさい」 そしてそれは、僕の作戦通り。悪いなぁ、と思いつつも、小悪魔さんがこっちにやってきたところで、スペルカード発動。 「水符『アクアウンディネ』」 大気中に存在する水分が集結し、いくつかの水弾を作る。 水の属性は『変化』が得意だ。僅か百度の温度差で、気体液体固体へ自在に変化する水は、容易に変幻自在の軌道を描く。 「いけっ!」 命令とともに、水弾が奔る。 慌てて小悪魔さんは防ごうとするが、それは予測済み。 複雑な軌道を描く水弾は盾を迂回する。 「くっ!?」 「甘い!」 こういう台詞、言ってみたかった! 盾を躱して迫る水弾を、小悪魔さんは弾き、 「っけぇ!」 一つだけ、思念誘導で静止させていた水弾をGOして、彼女の顔面に当てることに成功した。 「……一撃は一撃だろう?」 「一撃ではあるけど、なに、あの水鉄砲?」 試験は僕の合格。 ……のはずだったんだが、パチュリーから物言いが付いた。レミリアのほうは、呆れて部屋に帰ってしまった。 「あ、あはは」 小悪魔さんが、まったく無傷の顔を見せて、頬をかく。 ……そう。あの水弾は、本当に水鉄砲のすごいバージョンくらいの威力しかなかった。 変化を旨とする水は、しかし攻撃にはあまり向いていない属性なのだ。 「あんなので、どうやって戦う気?」 「戦う必要はない。怯ませたところで逃げられれば御の字だ」 胸を張って言うと、パチュリーはため息をつく。 「まあ、それが人間だけど……。いいわ。うまく魔法は制御できるみたいだし、見習いにしてあげても」 「お、ありがと」 「でも、もうしばらくはここに通いなさい。……補習授業よ」 イマイチどころかイマサンくらい納得いっていないパチュリーからの命令に、素直に頷いた。 まあ、もう少し学びたいことがあるのも確か。それは、見習い魔法使いとなっても変わらない。 立ち並ぶ本段。ここにはどんな知識が眠っているのだろう? なんて珍しい感慨を抱き、僕は早速、新しい本を一冊パチュリーに見繕ってもらうのだった。 | ||
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