「――――!!」
 死んだ、と思った。
 目の前には、時速八十キロは出ている車。
 運転席を見ると、こっくりこっくり舟を漕いでいる男がいる。
 この期に及んで、そんなところを見る余裕がある自分を内心笑いながら……

 僕は、撥ねられた。








 ……そして、目が覚める。
「知らない天井だ……」
 既に懐かしいネタとなっている名台詞を呟く。
 しかし、確かに知らない天井ではあるが、予想と違って病院のものではなさそうだ。どこか和風っぽい。

 ていうか、もしかしてここは病院じゃないと見せかけて病院なんじゃないだろうか。
 自分が気絶する寸前のことは良く覚えている。あのタイミング、どう考えてもかわせない。そもそも、車体が自分の身体にぶつかる衝撃を覚えている。
 建物が和風なのは……ほら、最近流行の癒し系とか?

「目が覚めましたか?」
 ふと、そんな呼びかける声に振り向いた。

「水です」
「あ、ああ、どうも」
 差し出された水差しを受け取る。
 だが、僕の視線はいきなり現れた少女に釘付けだ。

 恐らく、年のころ十五歳前後。きりりとした意志の強そうな瞳と髪に結んだリボンが印象的な美少女だった。
 ――そして、腰には時代劇の侍が携えるような日本刀が二本。

 ちゃんばらごっこが趣味なのかな?
 そんなひどく間抜けな感想を抱いた。

「えっと、ここはどこ、かな? 君は?」
「私は魂魄妖夢と申します。そして、ここは……」
 少し迷う素振りを見せた妖夢――ちゃん、だが意を決したように、
「白玉楼。冥界にある、西行寺家のお屋敷です」

 ……………

「……オーケー。すこし整理してみようか」
 白玉楼とか西行寺とか、そこら辺はまぁ一旦置いておこう。
 しかし、冥界と来た。
 明快とか明解とか、そういう聞き違いである事を期待したいが、どうも文脈的にありそうにもない。今気付いたが、妖夢ちゃんの後ろにでっかい人魂がふよふよ浮かんでるし。

「…………」

 む、気付いたら無性に気になってきた。
 手を伸ばしたらすぐ届く位置。僕はふらふらと惹かれるように手を伸ばして、
「きゃあ!?」
「冷たっ!?」
 あまりの冷たさに、思わず手を引っ込めた。
 そして、今までの冷静な態度を投げ飛ばし、妖夢ちゃんは可愛らしい悲鳴を上げて、腰の刀を引き抜く――って!
「うおぉぉぅうっ!?」
 殆ど転がるようにして後ろに飛ぶ。布団から上半身だけ起こした状態で、よくもまあこんな動きが出来るものだと我ながら感心した。
 あれだ。火事場の馬鹿力とか、そういうのに違いない。

「はっ、す、すみません!」
 妖夢ちゃんがすぐさま謝ってくる。
 抜き打ちの軌道上にあった布団は見事に切り裂かれている。……真剣だよ、おい。

「い、いや、いい、けど。剣を収めてくれると、うれしい、ですよ?」
 下手な事を言うとまた斬りかかられるという恐怖から、なんか口調が勝手に丁寧語になる。心臓はバクバクと早鐘を打ち、背中には冷たい汗が滝のように流れている。
「その、これは私の半身ですので。触らないで頂きたいのですが」
「そ、そうなの? それはごめんなさい」
「いえ、知らなかったのですから、構いません」

 なんとなく妙な空気が流れる。
 しかし、あれが彼女の一部、か。と、いうことは、僕はこんな可愛い女の子の身体に触れたわけで。
 うわ〜、なんか変な気持ちに







 …………なるわけがないな、うん。
 彼女からしたら恥ずかしいことかもしれないが、正直僕は全然嬉しくない。斬りかかられ損だ。

 しかし、この人魂が彼女の半身だって説明に、なんの違和感も感じていない自分がちょっと怖い。
 いや、ここは冥界らしいし、ありなんだろうけどさ。

「あ、目が覚めたら幽々子様が連れて来い、と仰っていたので、付いてきてもらえますか?」
「幽々子様?」
「私の主で、この白玉楼の主でもあります」

 ふむ。冥界にある屋敷の主様、か。
 …………なんか怖い想像になってきたぞ。

「あ、その」
「ん? なに、妖夢ちゃん」
「よ、妖夢ちゃん……
 いや、その。私の名前はお教えしたのですから、貴方のお名前も聞かせてもらいたいのですが」
 ああ、道理である。

「僕は土樹。土樹良也。ごくごく平凡な大学生だ」

















 さて、結論から言うと、この白玉楼の当主は、妖夢ちゃんに負けず劣らずの美人だった。
 名を西行寺幽々子。
 こんなすごい屋敷の主というわりには、せいぜい僕とタメ……いや、普通に年下にしか見えない。

「まぁまぁ。おまんじゅうでもどうぞ」
「あ、これはどうも」

 勧められたまんじゅうを一口。そして、妖夢ちゃんが煎れてくれたお茶で流す。
 さらりとした上等な和菓子の甘みが、絶妙な温度で煎れられたお茶で洗い流され、えもいわれぬ美味を演出する。
 思わず、ほぅと息もつこうというものだ。

「……馴染んでますね、速攻で」
「そうねぇ。最近の外の人間は、ずいぶんと適応力があること」
「あの人が少々規格外な気もしますが……」

 む、なにやら西行寺さんと妖夢ちゃんの主従コンビがなにやらひそひそと話している。
 どうやら、僕に関することらしい。

 ま、割り込むのもなんだ。
 僕は勝手に急須から二杯目のお茶を注ぎ、飲む。
 ……うまい。

「ところで、良也、だったわね」
「あ、はいはい。なんですか、西行寺さん」
 突然西行寺さんに呼ばれ、慌てて残ったお茶を飲み干す。
 西行寺さんは、さっきまでののんぽりとした雰囲気がなくなり、少し真剣な表情だ。

「もう妖夢に聞いていると思うけど。ここは死者が集う場所です」
「そう、ですか」

 つまり、僕死亡確定。
 さすがに、ショックがないと言えば嘘になる。
 父さんや母さんは悲しむだろうし、今までさんざん迷惑をかけてなんのお返しもしていない。
 もう会えないであろう友達の顔が、次々と浮かんでは消えていく。

 それに、予約していたゲームが明後日届くはずだったし、今月はいつも読んでいるコミックの最新刊が……あぁ、あとあのアニメも半分くらいしか見てないや。

「まぁ、仕方ない、ですね。これから僕はどうなるんですか? やっぱり、閻魔様に天国行きか地獄行きか決められるとか?
 あぁ、そういえば、三途の川っての見てみたかったのに、結局見てないな」

 む、なにやら二人が呆気にとられていらっしゃる。

「閻魔様に会いたいなら案内してあげるけど……。
 実は、貴方の身体はまだ生きていますよ」
「え?」
「今の貴方は、いわゆる生霊というものです。
 普通、生霊というものは現世に留まるものだけど、貴方の魂はずいぶんと早とちりが得意みたい。死んだと錯覚して、冥界にまで来てしまっている。
 こんなことは、初めてですわ」

 言っていることはよくわからないが、つまり、

「えっと。つまり、僕は実は死んでないってことですか?」
「さぁ……」
「さぁ、って」
「わからないものはわからないわ。貴方の身体は確かに生きているけど、その魂は死んでいる状態となにも変わらない。ただ、死者を管理する連中は、貴方の身体が死んでいないから、審判にはかけない。だけれども、こうして冥界に来てしまっている。
 どう? これで、貴方は自分自身が生きている、と断言できて?」

 それは、また。

「微妙、ですね」
「微妙ね」

 僕は一人、むぅ、と唸る。

「まぁ、いいわ。
 貴方みたいな珍しいお客様を追い出すようなことはしないから、しばらくここに逗留しなさい。
 妖夢。外の世界の人間はここのことはよくわからないでしょう。色々教えてあげて」
「畏まりました」

 え、っと。
 よくわからないが、ここにいていい、ってこと?
 いいのか? 仮にも年頃の女の子が、男と一つ屋根の下で。

 しかし、他に頼るべきあてがないのも事実。
 好意に甘えることにした。

「よろしく、妖夢ちゃん」
「ま、また……。それはやめてください!」
「それ???」
「ちゃん付けです! 呼び捨てで構いませんから!」

 ……ふむ。どうやら妖夢ちゃ――妖夢的にはちゃん付けはNGらしい。

「わかった。妖夢、って呼ぶことにする」

 やっと落ち着いたのか、妖夢はうんと一つ頷く。

「あら、それいいわね。良也、私も西行寺さん、なんて他人行儀な呼び方しないで、幽々子って呼んでくれるかしら?」
「はぁ、構いませんが。
 ……って、じゃあ、口調もタメのほうがいいかな。よろしく、幽々子」

 今までは相手が当主だというから遠慮していたが、こっちの方が僕としても楽だ。


 こうして僕はしばらく白玉楼で厄介になることとなったのだ。



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