「玲於奈ー、まだかー?」

 と、僕は妹の住む部屋の前で問いかける。

「まだまだっ! もう、お兄ちゃんはちょっと下で待ってて!」

 怒鳴り返してくる妹に、肩を竦める。

 季節は夏。僕たち学生にとっては、一年で一番長い休みの真っ最中。
 僕はともかくとして、玲於奈の方は部活があるため、帰省するのはお盆の前後一週間程度のみ。

 ……んで、一人で新幹線に乗ることを心配した我が親が、僕に玲於奈の付き添いをするように命じたのだった。

「……平気だっつーのに」

 日本の交通網は大変親切である。最悪、駅員さんに尋ねれば、心配など不要だ。
 でもまあ、ついでと言えばついでなので、僕は引き受けたのだった。

「んじゃあ、下のリビングで待っているぞー」

 しかし、女の子ってのはどうしてこう準備に時間がかかるんだろう。
 荷物は昨日のうちにまとめたらしいが、服とか選ぶのに大分迷っている様子の玲於奈に思いを馳せる。

 ……まあ、昔はアクセサリにも服にも、まったく興味を示さなかったあいつが、変われば変わるもんだ。
 高校生になったせいか、それとも一人暮らし――いや、違うな。同年代の女の子と一緒に暮らし始めたせいか。

 そして、センスは我が妹ながらゼロの玲於奈に、ファッションのイロハを叩き込んだのは多分……

「あれ? 良也くん、まだ出ていなかったんや?」
「椎名さん。いや、うちの妹が、随分服装に時間をかけてて」

 この、関西弁の美人さんなんだろう。
 午後からの便に乗って帰省するという椎名さんは、部屋着だというのに妙に綺麗な格好で笑いかけてきてくれた。

「なんや、お兄ちゃんと一緒やからキメてるんやな、玲於奈ちゃん」
「いや、椎名さん。それ、兄に対する態度と違う」

 残念ながら、実家にいる間も今も、実妹モノだけは避けてきたのだ。悪いが、玲於奈がその気になっても僕は応えられない。
 ……絶対にありえないだろうけど。

「あはは、冗談や、冗談」
「大体、男になんて興味ないんじゃないですか、あいつ?」
「あ、それは誤解やで。女の子は日々成長しとるんやから」

 どうだろうなあ。少なくとも、身長と胸は中一くらいの頃から成長していないように思えるが。
 武道家の癖に、身長低いのがコンプレックスらしいし。

「なんかやーらしいこと考えとるやろ」
「なにを馬鹿な」
「ほんまに?」
「……妹の話から、どこをどうしたらいやらしい方向に話を持っていけるのか、そっちを聞きたいんですが」

 あははー、と笑う椎名さんと、なんとなく連れ立ってリビングに向かう。
 ここんちは、いつも掃除が行き届いているから、廊下を歩くだけでもなんとなく爽やかな気分だ。

 そして、リビング……珍しいことに、誰もいない。
 ああ、もう実家に帰ってる人もいるらしいしな……

「そういえばなー、良也くん」
「なに?」

 椎名さんが冷蔵庫から麦茶のポットを取り出し、コップを二つ……ああ、僕の分か。

「その、椎名さん、ってゆーのやめてくれへん? ほら、良也くんのほうが年上やし、うちは『良也くん』って呼んどるし」
「それは玲於奈とややこしいからじゃあ」

 年上っちゃあ年上だけど、ここまで背が伸びきってしまうと全然気にならないんだよね。いや、僕の場合、蓬莱の薬のせいで肉体年齢は二十歳で止まっているから変でもないし。

「ええからええから。ほら、呼んでみて」
「え、えっと……ゆうひ、さん?」
「さんはいらへんよ」
「……ゆうひ」

 オッケーや、と笑顔を見せる椎……ゆうひから、麦茶の入ったコップを受け取る。
 ……なんだろうね、このフレンドリー娘。

「そういえば、こっち来てから妙に玲於奈が服装とかに拘るようになっているように見えるけど……あれって、ゆうひのせいか?」
「あ〜、そうやね。前、一緒に服とか買いに行ったし」

 呼び方を変えたので、意図して口調も変えて尋ねると、ゆうひは頷いた。

「あの子、え〜素材しとるけど、全然そういうの興味なかったからなあ」
「それはよくわかる」
「可愛い女の子が、綺麗な格好しとったら、ええもんや。あはは、単にうちの趣味やけどな」

 ……まあ、うちの妹は、本当に僕が血が繋がっているのかと思いたくなるような顔ではある。あれで、もう少し性格の方をなんとかすれば、モテるかもしれない。かも、しれない。

「そういう良也くんは服にお金かけへんの? あんまり気にしてないみたいやけど」
「まあ、服は安けりゃいいって主義だから……」

 なので、今来ている服も近所のちょっと大きいスーパーで安売りしていたシャツとジーパンだ。趣味にはお金をかけるけど、それ以外には超ケチなのである。
 服装にお金をかけるという感覚が、イマイチ僕にはわからない。

「耕介くんもそんな感じやねー。男の子ってのはやっぱりそうなんやろか」
「たまに、気にしているやつもいるけど……まあ、大体そうかと」

 僕の友達だと、高橋とか、服には金をかけているほうだ。そんなもんに金をかけるくらいなら、少しは性癖の方をなんとかした方が良いと思うのだが、言っても無駄だろうなあ。
 まあ、そいつくらいで、他にファッションを気にかけている奴は……いないな。単に類友なだけかもしれないけど。

「でも、夏服は安いからな。何着か買ったよ」
「安売り?」
「安売り」

 言っておくが、ブランドなんてひとっつもわかんないぞ。

「ま、ええんやないの? ……いやー、しっかし暑いなあ。エアコン、もうちょっと強うしよ」

 軽く汗を書いているゆうひが、テーブルの上に置いてあったエアコンのリモコンを取る。
 ……そーか、今日はそんなに暑いのか。そういえば、この夏一番の暑さだって天気予報で言っていたっけ?

「あー、ゆうひ。ちょっとサービスしてやろう」
「なになに?」

 能力の範囲を広げる。今日は調子が良いから……十メートルはいけるか。

「って、涼しっ!? なにこれ、いきなり異様に涼しくなったんやけど」
「ちょっとした特技。自分の周りの温度を弄れます」
「って、そういえば魔法使いってゆっとったっけ」
「魔法とは関係ない能力なんだけどねー」

 それでも、エアコンよりは実は効率が良かったり。

「はあ、便利なもんやね」
「おかげで、夏冬は快適に過ごしている」
「ずっこい」
「羨ましいか」

 あっはっは、と笑った。

「お兄ちゃんお待たせー……って、ゆうひさん、エアコンきつすぎない?」
「あ、これはちゃうで。玲於奈ちゃんのお兄さんのせいや。なんや、魔法とは違う特技やって」
「……お兄ちゃん?」

 ジロリ、と何故か玲於奈に睨まれた。
 ……なんでやねん。あ、関西弁移った。
























 リビングで、僕は何故か妹に真正面から睨まれていた。
 ……本当になんで?

「お兄ちゃん。答えて」
「なにを?」
「だから、この変な特技のことよ。まだわたしに隠していることがあったの?」

 ……あー、能力のことは伏せていたっけ。名前が格好悪いから。
 でも、別に正面から尋ねられて、誤魔化すほどでもない。

「あー、それは僕の能力で……」
「能力って? 魔法とは違うの?」
「なんというか……魔法ってのは、覚えることが出来れば誰でも使えるけど、そういうのじゃない固有技能っつーか」

 説明が面倒くさい。とりあえず、能力がなんなのか、ってのは置いておこう。

「とりあえず、技術じゃないってことだけ覚えてくれ」
「わかったわ」
「僕の知り合いだと……時間を操ったり、境界を操ったり、狂気を操ったりか」
「じ、時間?」

 びっくりしている様子の玲於奈。
 そうだよねえ、あんなDI○様ばりのメイドがいるなんて、普通は想像がつかない。

「とりあえずそれは忘れてくれ。そんで、僕の能力は……」
「能力は?」

 ええい、そっちの関西娘もワクワクして聞いているんじゃない! 余計に言い辛くなるだろうが。

「その、『自分だけの世界に引き篭もる程度』の能力なんだけど」
「……なんですって?」
「だから、『自分だけの世界に引き篭もる程度』の能力」

 そう、と玲於奈は呟いて、次いで僕の胸に水平チョップを喰らわせた。

「わけがわからないわよ!」
「玲於奈ちゃん、ナイスツッコミや!」

 いや、これはツッコミじゃなくて手刀……

 しかし、兄の威厳(なんてものがあるのかわからないが)を失墜させるわけにはいかない。なんとか気合で耐え忍び、説明の続きに入った。

「文、句な、ら……名前を付けたスキマに言ってくれ……」

 あ、やっぱ痛い。

「スキマ? 誰、それ」
「前、お盆に実家に来ただろ。変なゴスロリ服を着た、年齢不詳の女」

 我ながら命知らずな弁をしていると自覚はあるが、気にしない。きっと、次に幻想郷に行った時、タライを落とされそうな気がするが、今は忘れよう。

「あ! あのお兄ちゃんが小さい子に手を出しているって教えてくれた!」
「あれは嘘だっつっただろ馬鹿!」

 いらんことまで思い出すな!

「あの幼女は鬼で……呑み友達だ」
「呑み? 鬼?」
「気にするな」

 自分で言ってて『納得できないだろうなあ』って思ったくらいだから。

「とにかく、変な名前なのは気にするな、僕も名前変えたいと思ったけど、定着しちゃったんだから」

 今更変えても、しっくり来ない。

「う、うん、わかった」
「……それで、なにが出来るのかと言うとだ」

 ……はて、なんと言ったものやら。

「まず……温度を調節できるな。あと、見えない壁みたいなのが張れるな。そんで、空間をちょいと曲げたり、範囲内のものを知覚できたり、他の奴の能力が効かなかったりと」

 割とカオスなラインナップである。

「よ、よくわからないけど」
「わからないままでいいぞ。僕もよくわからん」
「……お兄ちゃんがこんな不思議生物だったなんて」
「不思議言うな」

 あと、不老不死だってことは、流石に刺激が強すぎるから、また十年後くらいに打ち明けよう……。

「なんや、色々隠し玉があるようやね」
「隠すほどのことでもないけどさ」

 そう、こんなん隠すほどのことでもない。多少、変なことが出来ても、向こうの連中にはてんで敵わないんだから。

「いやいやー、もしかしたら良也くんはヒーローかなんかか?」
「笑える冗談だぞ、それ」

 魔理沙辺りだ。ヒーローは。

「ま、それはええけど……二人とも、新幹線の時間はええの?」

 ……あ。

「げっ、マズ。バスの時間何時だっけ?」
「も、もう過ぎてる! 次の便だと間に合わないよ!」
「ち、仕方ない。僕が抱えてバス追いかけて飛んでやるから、背中に乗……」

 嫌よっ! と、玲於奈のツッコミ(手刀)が入った。今度のは、予想していたので防御した。
 ……まあ、流石にバス停まで行ったらバレバレか。

「……まあ、大人しく、次の新幹線に乗るか。指定席はダメになっちゃうけど」
「ほんなら、一緒に行こか?」
「そうですね」

 やれやれ……。指定席代、無駄になっちゃったか。

「あれ? まだ出てなかったの、玲於奈ちゃん」
「耕介さん」
「いえ、ちょっとお兄ちゃんの尋問をしていたら、時間過ぎちゃって」

 僕のせいかよ。

 リビングに入ってきた耕介さんとアイコンタクトをして、僕の無実を訴える。

「へえ。じゃあ後で真雪さんに車を借りて、一緒に送って行ってあげるよ」

 あ、無視された。

「はい。お願いします。……お兄ちゃんは走ってってね」
「勘弁」
「体力ないんだから」

 こっから駅まで何キロあると思ってんだ。体力のお化けのお前と一緒にするんじゃない。

「耕介さん、運転よろしくお願いします。僕も一応、免許は持っているんですけどペーパーで」
「ああ、任せてくれ。良也くん」

 お任せします、と笑って言う。
 そこへ、礼の関西娘が割って入ってきた。

「ちょっとタンマや」
「なんだ、ゆうひ?」
「どうした、ゆうひ」

 と、玲於奈が怪訝な顔になった。

「……いつからゆうひさんのことを呼び捨てるようになったの?」
「さっき」
「そう、それや」

 訥々と、ゆうひは語り始めた。

「耕介くんと良也くん、二人とも同年代やろ?」
「まあ」
「そうかな?」

 僕より二十センチは高い位置にある目と、視線を絡ませる。……改めて見てもでかい。

「もうちょい仲良うしたらええやん」
「……いや、別に仲が悪いというわけじゃないと思うけど」
「おれも別に……」

 つまり、呼び方か? 確かに僕はさん付けして、耕介さんは僕を『くん』と呼んでいるが。
 でも、まだ学生の僕に対して、耕介さんは社会に出て働いているわけで。加えて僕の肉体年齢は二十歳……しかも割と童顔に見られる方だし。

 別に、気にしちゃいないんだけどな。

「じゃ、じゃあ。耕介?」
「良也……?」

 ああ、なんかしっくりこない!

「そのうち慣れるんやない?」
「そうかなあ……まあ、よろしく。耕介」
「ああ、よろしく」

 なんとなく、二人して照れるのだった。










 ちなみに。
 お盆の帰りに玲於奈をさざなみ寮に送り届けた後、実家土産の酒を真雪さんと愛さんを交えた四人で飲み明かし、僕と耕介はすっかり仲良しになってしまった。

 ……酒の力は偉大だ。



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