玲於奈の住んでいるさざなみ寮。美味しい料理を作る管理人さんと、ちょっと……いや、かなりの変わり者な人たちの住む場所。
 多分、その変わり者の中に、ウチの妹も含まれるんだろうなあ。

 ……いや、それはいいのだ。

 とにかく、そんな場所ではあるが、いいところであることは、三、四度ほどの訪問でよくわかった。
 ……で、あるなら、別に僕がそんな頻繁に覗きになど行かなくても、玲於奈はうまいことやっていくだろう。

 多少、心配していた僕とて、もうそうそう何度も押しかけるつもりはない。女子寮に男が出入りするのも、あまり好ましくないしな。

「……って、思っていたんだけどなあ」

 低空飛行で山を越えながら、僕はため息をつく。

 ……実は、前にさざなみ寮に行ったとき、携帯電話を忘れていってしまったのだ。
 普段、あんまり使わないけど、なければないでやっぱり困る。

 ジグザグ飛行で密集する木々を躱しながら、寮に向かう。

 と、そろそろ着くかな、というところでふと大きな霊力を感じた。

「……なんだなんだ?」

 妖怪かなにかか? と思うほど、あからさまに強力な霊力。そんなのを感じ取れる妙な感覚も、もう慣れたものだ。
 もし本当に妖怪だったらどうしようかなあ、と悩みながら、こっそり霊力を感じる場所の様子を伺った。

「神気、発勝」

 ……あ、耕介さんと神咲さんだ。
 二人とも、なんか刀を構えて……って、刀がちょっと光ってる?

「神咲一灯流、真威・楓陣刃っ!」

 耕介さんが刀を振ると、光の帯が放たれ、神咲さんはそれを光っている刀で受ける。僕にはわかる。耕介さんが放ったあれは、ここまで圧力が来るくらい強力な霊弾だ。

 その、まともに受けたら人一人くらい吹っ飛ばしてしまうような威力の光の束を、神咲さんは両手でしっかりと構えた刀で受け止める。

「はぁっ!」

 神咲さんは一瞬押されたが、一息、気合を入れるとその霊力の塊を振り払った。
 ……しーん、と二人が技を放った体勢のまま、互いを見つめる。

「つえー」

 思わず、本音がこぼれてしまう。
 数と射程なら、僕の使う霊弾の方が上だろうけど、威力では比べ物にならない。

 霊弾が弾幕としないとあんまり意味がないショットガンみたいなのに対して、耕介さんのあれはまさしく一撃必殺の大砲だ。

「……良也くん?」
「あ、すみません。鍛錬の邪魔をしちゃったみたいで」

 最初は喧嘩か? と思ったけど、二人の間に険悪な雰囲気はない。冷静に考えれば訓練だろう。

「はは……」
「耕介さん。今日はここまでにしましょう」

 言って、神咲さんは張り詰めた空気を緩め、刀を鞘に収める。ええっと、あれはこの前教えてもらった霊剣の……ああ、御架月? で、耕介さんのが十六夜、か。

「いやしかし、すごい威力ですねえ」
「恥ずかしいところを見られちゃったな。あれでも、薫のに比べれば全然大したことないんだよ」

 照れくさそうに耕介さんが頬をかく。
 いや、でもあれだけの威力なら……あっちの妖怪相手でも、かなり渡り合える気がする。

「それに、十六夜さんの力を借りないと、まだまだだしね」
「へえ。そんなことも出来るんですか」

 霊剣スゲー。
 ああ、僕も一本くらい剣が欲しいなあ。格好良さ優先で。香霖堂で適当な奴をパクってこようかな。

「でも、僕のよりずっと威力高いし、羨ましいですよ。どうにも、僕は大出力が向いていないみたいで」

 霊力自体はけっこうなものだそうだが、スペルカードでも使わないと、普通の霊弾以上の威力が出せない。霊弾は大体僕の全力パンチくらいの威力だから……妖怪にはあんまり意味がないんだよなあ。
 まあ、『魔法』っていう形を与えてやれば、それなりだけど。

「……出来るんですか?」
「ん? 出来るよ。ほれ」

 神咲さんがちょっと興味が出たように聞いてきたので、十個ほど霊弾を作る。
 手近にあった太い木に、それを投げつけた。

「はっ!」

 ダァン! と着弾音。
 ちょっとだけ巻き上がった煙が晴れると……表面の皮が剥がれ、少し傷ついていた。まあ、こんなもんか。

「へえ、魔法使いって、そういうこともできるんだ」
「っていうか、空飛ぶのと弾幕撃つのは魔法使いじゃなくても基本です」
「……それは、おれの感覚だと基本じゃないと思う」

 そうかなあ? 幻想郷じゃ、妖怪どころか妖精でも使う、極基本的なことなのだが。
 ああ、でも確かに、普通の人間にとっては基本じゃないか。僕も昔はそんなこと出来るなんて思ってなかったし……いかん、どうも幻想郷に行く前の自分のことが思い出せなくなりつつある。

「って、耕介さんもあんな凄いの撃ってたじゃないですか」
「おれが楓陣刃覚えるのにはけっこうかかったしなあ」

 へえ。外の世界のその手の技術ってよくわからないけど、耕介さんは天然で使えたわけじゃないんだ、あれ。

「霊気を飛ばす技は、色々な流派にありますが。土樹さんはどちらで修行を?」
「……え? 霊弾のこと? あれは……いっぺん死にかけたら、使えるようになってた」

 ほらほら、幻想郷に行く羽目になったエピソードは話したよね。……まあ、大分端折ってたから、どういう風に僕がこういう力を手に入れたとかは、わかんなかったかもしれないけど。

「し、死にかけたら、ですか」
「まあ。知り合いの妖怪に言わせれば、ありがちなパターンらしいけど。っていうか、周り全部使えてたから、修行とか要るとは思わなかった」

 いいけどね、別に。ありがちとか、ちょっと凹んだけど。

「なんというのか……幻想郷という場所は、本当に変なところみたいですね」
「……いやあ、ここんちの寮も人のことは言えないと思う」

 多分ね。


























 誰だ。さざなみ寮が変なところだというところに、『多分』とか付けたやつは。

「……うわぁい、大惨状」

 それは、修行を終えた耕介さん、神咲さんとともに、さざなみ寮に来た直後の話だった。
 なんか憔悴した感じの真雪さんが二階から降りてきて、丁度リビングに向かっていた僕達とばったり遭遇し……その、なんだ。

 その真雪さんの格好が……うーん、端的に言うと、婦女子にあるまじき姿だったとだけ言っておく。

 いやぁ、目の保養になった……じゃなくて。

 それを見た神咲さんが、注意をして、その注意を適当に受け流した真雪さんが神咲さんにセクハラを敢行し……キレた神咲さんが、持っていた御架月で真雪さんに切りかかった。

「はい、回想してもわけわかめです」

 ぎぃんっ! ぎぃんっ! と鋭い金属音。どっから持ってきたのか、金属バットを真雪さんは剣のように構えて、真剣の神咲さんと渡り合っている。
 ……っていうか、あんなの斬りつけたら御架月刃毀れしない?

「耕介さん、止めなくても良いんですか?」
「いやあ、流石にあの中に飛び込むのは、命の危険があるなあ」

 割とのんびりと観察している耕介さんの様子から、この本気っぽい斬り合いが割と日常茶飯事だということがわかる。……えー、どっちも当たり所が悪かったら死ぬんだけど。

「大丈夫。あの二人の腕前は凄いからね。今までも、ああやって喧嘩して、大きな怪我をしたことはないから」
「……今までになくても、今日この瞬間にする可能性は?」

 僕が冷静に突っ込むと、耕介さんは困ったように苦笑いをした。……まあ、確かに、僕の目から見てもあの二人の腕前は卓越しているってわかるから、あながち嘘じゃないんだろうけど。でも、不測の事態ってあると思うんだ。

「まあ、大丈夫だろ。いざとなったら十六夜さんもいるし」
「十六夜さん?」

 少し疑問に思って尋ねると、僅かに露出した刀身から『にゅっ』と、金髪美人の顔が出て来て、

「わたくし、多少ですが治癒術を心得ていますので」
「へえ」

 なるほど……それなら、まあ安心なのかな?

 僕はその手の回復系の魔法はさっぱりだけど。なにせほら、僕の場合、死んでも生き返れるから……

「あ、決着がついたか」

 見ると、御架月を取り落とした神咲さんが悔しそうに、そして金属バットを掲げた真雪さんが嬉しそうにしている。
 ……やれやれ。ある意味、仲が良いのかもしれない。ああいう危ないことはやめておいたほうが良いと思うけど、弾幕ごっこのことを考えると、どっちもどっちなんだよなあ。
 もしかして、最近の女子の間ではああいうちょっと危険な遊びが流行っているのかもしれない。僕、流行には疎いからねえ。

「……いやいや、ありえんて」

 セルフツッコミ。あんな、一歩間違えれば大怪我する遊びが流行するような世の中って、それって絶対世紀末救世主とか必要な世界だろ。

「や〜れやれ、わたしゃ体力ないんだから疲れさせんなっつーの。……耕介ー、ビール! それとつまみ作って」
「昼間からお酒ですか、真雪さん」

 と、喧嘩に負けた神咲さんが、窘めるように言う。

「しゃーねーじゃんよー。わたしは、徹夜で原稿上げてたんだから。それともなにか? 徹夜で締め切りと戦っていたわたしは、祝杯を上げることも出来ないのか?」

 締め切り? 原稿? はて、真雪さんは、同人誌でも書いているのだろうか? 女性というとBL系の……ありそう。

「はあ……わかりましたよ」
「耕介さん。あまり甘やかしては」
「ま、ま。昨日は知佳ともども大変だったみたいだからいいじゃない」
「それはそうですけど……」

 と、耕介さんはいそいそと台所に向かう。神咲さんはどこか納得がいっていない風だったが、耕介さんの言うことには逆らわないらしい。
 ……餌付け?

「ありそー」
「こら、青年。なにか妙なことを考えなかったか?」
「とんでもない」

 僕って考えていることが表情に出やすいのかなあ? なんでこう、すぐバレるんだ。

「ところで真雪さん。真雪さんって、同人誌かなにか書いているんですか?」
「あん?」
「どーじん?」

 真雪さんが怪訝そうにするが、すぐに自分の言ったことを思い出したのか、首を振った。
 ……わかっていない様子の神咲さんには、詳細は教えない方が良いんだろうな。

「ああ、いや、同人じゃない。一応、商業誌」

 マジかっ!? それは凄い。もしかしたらマイナーな雑誌なのかもしれないけれど、それでも商業誌に載るってのは半端じゃない。
 こんな身近……でもないけど、知り合いに漫画家がいたんだ。

 あ、でも。

「その、もしかして、雑誌名とか聞いたらいけません? ほら、年齢制限があったり……」

 そういう描写のあるのBLは、流石に守備範囲外だ。

「んなの、知佳に手伝わせるわけないだろ」

 ごつんっ! と、金属バットで小突かれた。
 ……痛い。

「ペンネーム・草薙まゆこ……でわかるか? 玲於奈ちゃんの話じゃ、お前さんは漫画とか詳しいらしいけど」
「草薙……って、『夜の国』とかの!?」
「お、知っているか」

 そりゃ、知っている。少女漫画はそれほど詳しくはないけれど、男友達の中でも評価の高い作者だ。特に、僕は『夜の国』シリーズは大好きなのだ。ちゃんと単行本は本棚に揃っている。

「ええと、あわわ!? さ、サイン!? あ、いや。いつも楽しく読ませてもらっていますっ」
「サインくらいはかまわないけど……へえ、読んでくれているんだ。ありがとう」

 チィ! 色紙がねえ!

「でさ、どんなところが面白い?」
「え? ええっと……」

 なんとか落ち着きを取り戻して、素直な感想を言う。……うう、緊張する。

「ふーん、逆に気に入らないところとかは?」
「いやあ、別に」
「……兄妹揃って、いいとこしか言わないんだな。わたしとしては、駄目なところを教えてくれた方が助かるんだが」

 ああ、そういえば玲於奈も、僕の本棚の少女漫画には目を通していたっけ? っていうか、草薙まゆこのは、僕が大学に行った後、自分で揃えていたような。
 ……教えてくれてもよかったんじゃないか?

「と、とにかく。これからも頑張ってくださいね」
「おー、あんがと」

 気分は小姓って感じで、真雪さんに付いて行く。どうやら、リビングに向かうようだ。
 神咲さんは自分の部屋に戻るようで、二階に上がっていった。

「あ、真雪さん。簡単ですけど、つまみ作っておきました。追加も今作っているんで」
「お、早いね。良い仕事してる」

 真雪さんは、嬉々としてテーブルに着き、赤い辛そうな炒め物を一口。そして、テーブルで汗を書いていた缶ビールのプルタブをプシュッ! と開け、グビグビと呑む。

「っくぅ〜、一仕事終えた後のこれはたまんないなあ」
「グビッ」

 あ、喉が鳴ってしまった。物欲しそうな視線に気付いたのか、真雪さんがこっちを見てくる。

「ん? 君もイケる口か?」
「え、ええ、まあ」

 ちらちらと、僕の視線は真雪さんの持つビールと、美味そうな炒め物に行っている。
 い、いかん、いかん。今日の僕の目的は、半ば忘れいたけど携帯電話を回収すること。よそんちでばかすか飲み食いするわけには……。

「一緒に呑む?」
「喜んでっ!」

 だというのに、僕は一瞬で頷いていた。
 ……わ、我ながら意思よえぇ〜。











「うっわ、なにこれ!?」
「お〜〜、玲於奈。部活ごくろーさーん」
「お兄ちゃん!? なにしてんの!?」
「酒盛り。真雪さんに誘われて。ねー?」
「なー?」
「真雪さんも!? こ、耕介さん、そんな淡々とつまみを作ってないで注意してくださいよっ」
「いやあ、この二人、実に美味しそうに食べてくれるんで、おれとしても作りがいが……。自分が呑めないのはつらいけど」
「あ、そうだ。玲於奈、真雪さんがあの草薙まゆこだって、なんで教えてくれなかったんだよ」
「そ、そんなの教える必要もないでしょ!? っていうか、なに呑んだくれてんのよ、この馬鹿兄!」
「いたぁ!? い、今腹を殴るな……逆流するだろ!?」
「さっ・さ・と・か・え・り・な・さ・い〜〜」
「ギブギブ! 締め技はやめれーー」


 ……専門は空手と護身道の癖に、妙に的確な締め技を使ってくる玲於奈に、僕は膝を屈することになった。
 もう少し兄を敬え。



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