「いらっしゃいませ」

 と、軽快なカウベルの音と、妙に凄みのある子供の声に迎えられた僕は『あー』と声を漏らす。

「その、一人なんだけど」
「はい。お煙草は吸われますか?」
「吸わない」

 ではこちらへ、と案内してくれるお子様。
 ……黒髪の、なんか凛々しい感じの子供だけど、こんな年でバイトか? むう……労働基準法違反では?

 そう思いはしたものの、なにか重大な事情があるのかもしれない。気にしないことにして、僕は案内された席に着いた。

「じゃ、ランチのパスタセット。飲み物は紅茶、ホットで。あー、あと大盛りね」

 入る前に既に決めていたメニューを告げると、子供はうん、と一つ頷いて注文を復唱した。
 その姿は堂に入ったもので、彼が接客に慣れていることがわかる。

「わかりました。少々お待ちください」

 かーさん、注文ー、と例の彼が厨房に向けて声をかけるのが聞こえる。
 ……そうか、家の手伝いなのか。

 先ほどの彼とは別の人が運んでくれたお冷を口に運び、僕は歩きすぎで疲れた足を揉む。

 今日は、玲於奈が住んでいるここ、海鳴市の散策だ。
 普段、出歩かない僕がこんなことをしているのには、勿論理由が……別にない。

 たまには正規のルート……要するに電車とバスを乗り継いでの道を覚えようと、そっちを使ってさざなみ寮に向かっていたのだが、折角なので街を歩こうと、こういう具合だ。
 玲於奈がこっちに引っ越して大分経った今も、僕はたまにさざなみ寮に様子を見に行っている。

 友達もたくさん出来たようで、もう流石に心配することもないかなぁ……と、思うけれど、やっぱり不安は残る。寮に行くと出してもらえる耕介さんの御飯はおいしいし。
 うむむ……玲於奈、太ったりしないよな。御飯美味しいけど。

「……けっこう流行ってるな」

 歩いているうちに結構な時間になったので、適当な食べ物屋を探して入ったこの喫茶店『翠屋』だが、僕が入ってから数分と経たない内に全ての席が埋まってしまった。
 偶然にも、当たりを引いたようだけど……お客さんは殆ど女の子で、ちょっと居心地が悪い。入り口に近い席だから、なおさら。

 ……それに、一人で四人席を使っちゃってるしね。いや、カウンターが空いていなかったんだよ。

「……申し訳ありません。ただいま満席となっておりまして、しばらくお待ちいただけますか」
「え〜、そうなの。困ったなあ。理恵ちゃん、どうする?」

 う。既に、あぶれた人が出てきちゃったか。
 そうなると、ますます肩身が狭くなるじゃないか。ゆっくりするつもりだったけど、早めに食事は済ませて……

 と、何気なく入り口のところに目をやると、なにやら見知った顔と目が合った。

「あれ?」

 えーと、あの娘は……そう、さざなみ寮の不思議っ子その一。仁村妹の知佳ちゃんだ。美緒ちゃんの知佳ぼーというネーミングをふざけて真似したら、さんじゃなくてもいいからー知佳ぼーは止めてくださいー、と言われたから良く覚えている。
 ちなみに、それ以後彼女のことはちゃん付けで呼んでいた。

 なにやら、友達らしき女の子と一緒にいるけど……

「こんにちはー、土樹さん」
「こんにちは」

 軽く手を上げて答える。

「お知り合いですか? それなら相席をお願いしてもよろしいでしょうか?」

 あくまで丁寧に頼むウェイターの少年。
 そーだな……知佳ちゃんの後ろにも、二組ほど来ているみたいだし、

「僕は構いませんよ。知佳ちゃんさえよければ」
「はい。お願いします。……あ、理恵ちゃんもそれでいい?」
「え、あ。はい。いいですよ」

 ちょっと驚き気味の、知佳ちゃん曰く理恵ちゃん。

 ……ふーん、なんかお嬢様って感じの子だなあ。

「それじゃあ、わたし、レディースセットを」
「私も同じものをお願いしますわ」

 僕にはちょっと量が物足りないセット品を二人して頼む。
 ……女の子って、燃費いいよなあ。食費もきっと安いんだろう。羨ましい。

「それでは、ごゆっくり」

 と、ウェイターの彼が去り、僕は顔見知りの女の子と、まったく見知らぬ女の子と、視線を交わす。
 ……ど、どうしよう。石のごとく沈黙して、二人のおしゃべりの邪魔はしない方がいいのかな? それとも、むしろなにか話しかけるべき?

 ……へ、へるぷみー。

「はじめまして。佐伯理恵と申します。知佳ちゃんの友達ですわ」
「あ、ああ。はい。土樹良也です。……えーと、知佳ちゃんとは、うちの妹が一緒の寮に入っているっていう縁で」
「土樹……ということは、玲於奈ちゃんのお兄様ですの?」
「知っているんですか……ええ、まあ。不肖の兄です」

 自分のことを不肖とか言うのもどうなんだろう。

「とっても可愛い子ですよね」
「……外面はいいんですけどね。実は、あれで兄に暴力を振るう猛獣なんで、気をつけてください」

 私、高校生当時、玲於奈に何回もボコボコにされましたがなにか?

「まあ、ふふふ」
「ははは……」

 な、なんか不思議な子だ。年上の得体の知れない男に気楽に話しかけるあたりもそうだけど、なんというか雰囲気が……

「でも、土樹さんどうしてここに? いつもなら山を越……」

 僕が咄嗟に指を口に当てると、あっ、と小さな声を上げて、知佳さんが口を噤む。
 ……いや、ほら。こんな人の耳がいっぱいあるところで、それはね。

「まあ、たまには普通のルートもね。覚えておきたかったし、そのついでに街を歩いて……ここに着いた」
「へえ〜。それは運が良いですね。このお店、とても美味しくて評判なんですよ」
「うん、それはよくわかる」

 人の入りだけでも相当なものだ。いまや、店の外にはちょっとした行列まで出来ているし。

「何を隠そう、玲於奈ちゃんもここのシュークリームは大好物で」
「ほう。それなら寮の皆さんへのお土産もかねて、買って行こうか」

 玲於奈の奴は、まだ僕が様子見に行くと恥ずかしがって怒るからな……食べ物で怒りを静めるのは悪い手じゃない。それに、僕も甘党だしね。

「優しいお兄様ですのね」
「や、それはなんか恥ずかしいから却下。佐伯さん、これは玲於奈の餌付け用と理解して欲しい」
「そうなんですかー」

 まったく信じていませんねこのお嬢様。……まあいい。妙な誤解をされている気がするけど、別にわざわざ訂正するほどのことでもないし。

「ランチセット、お待たせしました」

 お、来た来た。
 大皿にこんもりと盛られた大盛りのパスタとドリンク、あとはサラダの付いたこのセットは、このボリュームで六百五十円というお得セットだ。

「えっと、じゃあお先に、頂きます」
「どうぞー」

 女の子二人に監視されている、というちょっと微妙な空気の中。
 僕は昼食を開始した。

 ……んん? 凄く美味いぞこのパスタ。






















 さて、食べ終わったし、あんまり仲良しそうな二人の邪魔をするのもなんだ、ということで、先に席を立つことにした。

「じゃ、僕は先に行くよ。二人ともゆっくりして」
「あ、はい。さようなら」

 さて、さざなみ寮に向かうか、とポケットにしまってあるさざなみ寮までの道順を書いたメモを取り出そうとして……

「あ、あれ?」

 ない? ちょっ、どこにいった?

 体中のポケットと鞄を探り、結論。
 ……落とした?

「しまった……」
「ど、どうしたんですか?」
「……さざなみ寮までの道を書いてたメモをなくした」

 心配して聞いてくる知佳ちゃんに、ぼそっと答える。あな情けなや。物を落とすなんて小学生か僕は。

「ありゃりゃ」
「……仕方ない。飛んでいくか」

 他の人に聞こえないよう、小さな声で呟く。
 そうだな……どっかの光の妖精みたいな完璧な光学迷彩とはいかないけれど、微妙に風景を誤魔化す程度ならなんとかなる。そうして、上空何百メートルか行けば、気付かれる心配もないだろう。

「ちょ、ちょっと。それは危ないですよ」
「……気付かれるかな?

 うーん、確かに不安があるのは確かなんだよねえ。
 ……って、現在進行形で住んでいる子がいるじゃないか。なにボケてんだ、僕。

「知佳ちゃん。ごめんだけど、寮までの道を教えてくれないかな」
「はあ……」

 僕の短絡的な発想に呆れたのか、ちょっとだけ疲れた感じの知佳ちゃんが、さざなみ寮までの道順を話しだす。

 ……えっと、あのバス停で……乗り換えて……ふむ。

「よし、覚えた。ありがとう」
「大丈夫ですか? けっこう似たようなバス停の名前があったりするんですけど」
「なぁに、いざとなったら上があるからさ」

 知佳ちゃんが苦笑する。……確か彼女も飛べるはずなのに、普段は飛んでいないんだろうか。

「知佳ちゃん? 話を聞くに、土樹さんも知佳ちゃんと同じなんですの?」

 そんな、僕と知佳ちゃんの会話に、佐伯さんが突っ込みを入れてくる。

「え、ええと」

 どうしたものか、と僕の方に視線を寄越してくる知佳ちゃん。

 って、彼女には話しているのか。自分が超能力者ってこと。
 いやまあ、そっち系を知っているんだったら、僕としては別に隠すつもりもない。だから、そんな困った顔しなくてもいいって。

「同じじゃないよ。僕は魔法使い。超能力っぽいのも使えなくはないけどね」
「ファンタジックですわね」

 ですよねー。
 今でも時々、この現実社会と自分の存在にギャップを感じることがある今日この頃ですよ、うん。さざなみ寮の人達と知り合って、そういう存在が自分だけじゃないってことがわかったから、少しは気が楽だけど。

「では、今度会ったら、魔法を見せてくださいね」
「今見せてもいいけど」
「つ、土樹さん、土樹さん! 人目がっ」

 なぁに、そんな派手な魔法じゃなくてもいい。火とか水とかなら、あからさまにおかしいけれど、ちょっと風を起こすくらいなら周りに気付かれやしないだろう。
 そう、風。……風? ……えーと。

「なんですか? 下のほうを向いて」
「や、な、なんでもない!」

 思わず、二人はスカートだよなあ、なんて思いついちゃって、ついつい、ね?
 だ、駄目だよ、僕。そんなエロスな真似! いや、気がついてみれば、確かに外の世界だとパンチラし放題だよねえ、って頭をチラっと掠めたけど!

 キョトンとしている二人に、慌てて手を振って誤魔化す。

「いや、やっぱりまた今度にしよう。じゃあ、知佳ちゃん、佐伯さん。さようなら」
「はい、さようなら」
「そのお土産のシュークリーム、美緒ちゃんにわたしの分まで取らないよう言っておいてくださいね」

 そうして、二人に別れを告げ、バス停に向か――

「ご、ごめん。バス停の名前、もう一回確認してもいい?」

 ハタ、と気付いて再び尋ねる僕に、二人はちょっと困った顔になった。























 妹からの鮮烈なパンチを食らう。

「いって! な、なにすんだ、玲於奈!」
「なにすんだ、じゃないわよ! なに知佳さんと理恵さんに迷惑かけているのっ」

 兄に対して容赦ない暴力を振るう玲於奈を、アハハー、と笑いながら見ている知佳ちゃんと佐伯さん。

 ……いや、二度目にバス停の名前を聞いたとき、どうも僕がちゃんと辿り着けるか不安になったらしく、付いてきてくれたのだ。
 今日は遊ぶ予定だったというのに、案内してくれた二人に僕がしきりにお礼を言っていると、

『いえいえー。私は知佳ちゃんと一緒なら、どこでも楽しめますから』

 と、佐伯さんは笑って許してくれた。知佳ちゃんも似たような感じだ。

 ……だというのに、この妹はそれが気に食わないらしい。

「くっそ! いい加減にしろ玲於奈!」

 ぐわー、と手を上げて玲於奈を威嚇する。

「ふん、なによお兄ちゃん。その格好は」

 ……う、完璧ナメられている。
 確かに、今まで喧嘩となると、ロクに反撃してこなかったからなあ。

「ふふふ……魔法使いに師事しているこの兄を舐めるなよ。佐伯さん、先ほど約束した魔法、ここで見せてあげます」

 やや芝居がかった台詞とともに、僕は呪文を唱える。
 ……いや、別に呪文なんてこのくらいの魔法じゃ必要ないんだけど、こっちのがそれっぽいしね?

 あっちの女の子二人も、ワクワクして見ているし。

「わあ、私、魔法って初めてですわ」
「普通そうだと思うよ、理恵ちゃん」

 我が魔道の真髄、見せてくれるわー!

「てい」

 ぴゅ〜〜、と僕の指先から水が飛んだ。

「冷たっ!? な、なにこれ」
「水の魔法。温度を下げているから、冷たいだろう」

 必殺・コールドウォータースプレッド。またの名を冷たい水鉄砲である。
 ホットウォータースプレッドと双璧をなす、我が地味な嫌がらせ魔法……

「舐めてんの!?」

 バキィ、と玲於奈の本気気味の拳を受け、膝が落ちる。

 いや、だって……まさか妹に対して、家くらいなら焼き尽くせる火の玉とか、一トンを越える重さの岩弾とか出すわけにはいかないじゃん。

 今のこれは、佐伯さんに対するデモンストレーションだし……

「クスクス」

 あ、笑ってる。
 ……ならいいや。



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