今日、僕は月村家を訪れていた。
 僕が部品の修理をしたファリンの初起動が今日なのだ。

 月村さんちのお父さんとお母さんはお医者さん――つい先日生まれた忍の妹の様子を見るため、産婦人科に行っている。
 ってことで、今日集まったのは僕と忍、ノエルさんと、綺堂さんの四人だった。

「それじゃ、始めるね」

 忍はそう宣言して、メンテナンスベッドに横たわっているファリンの起動ボタンを押す。
 キュィィ、と少しだけ彼女の内部から機械音がして、やがて収まる。

 ゆっくりとファリンが目を覚まし、

「……おはようございます。忍お嬢様」
「おはよう、ファリン。さ、立ち上がってみて。バランサの調子はどう?」

 ゆっくりとファリンがベッドから身を起こし、おっかなびっくり地面に足をつける。
 最初は立ち姿も安定しなかったが、数分もするとしっかりとした足取りで忍の工房を歩くようになった。

「大丈夫みたいね」
「はい! うわー、初めて歩きますけど、動くのって楽しいんですねっ」

 ファリンが朗らかに笑う。
 そうしてはしゃいだのがいけなかったのか、ファリンが床に放置してあった工具箱に蹴っ躓き、

「って、わぁ!?」

 見事なまでにすっ転んだ。
 いっそ芸術的なまでの転び具合。足元がお留守ですよ、と言いたいところだ。

 ……あと、スカートめくれてちょっとパンツ見えた。

「コホン……良也さん?」
「き、綺堂さん。なんでしょう?」
「……あまり、忍に悪影響を与えるようなことはやめてくださいね?」

 おうふ……鼻の下を伸ばしているのを見られたか。いや、でも、ちょっとラッキーと思うくらいは仕方ないことじゃないだろうか。……うん、仕方ない仕方ない。

「もう」
「は、はは……。忍。テストはもういいだろ? ファリンの歓迎会始めよう」

 忍の自動人形は味覚もあれば食事も取れる。
 ファリン初起動記念ということで、ノエルさんが腕を振るった料理が厨房にはすでにスタンバイしているのだ。

「うん。ほら、ファリン。行こう」
「あ、はい! うわー、歓迎会ですか。ありがとうございます!」

 ……さて、今日は呑み過ぎないよう気をつけないとな。




















 メイドとはいえ、今日の主賓はファリンである。
 これから一緒に暮らす忍やノエルさんと交流を深めつつ、彼女は大いに楽しんでいるようだった。

 そんな微笑ましい主従を見ながら、僕は綺堂さんと酒を酌み交わしていた。

「とりあえず、これで一段落、ですかね」
「そうだねえ。あ、綺堂さん、どうぞもう一杯」

 綺堂さん本人が持ち込んだワインを、彼女に注ぐ。

「ありがとうございます。良也さんも、どうぞ」
「うん。……はあ、しかし、良いワインだねこれ」

 僕はワインの味はイマイチわからないが、そんな僕でもすごく美味しいということだけはわかる。
 あまり癖のない、呑みやすい味。どっちかというと、甘口かな。

「うちの一族、ヨーロッパにワイナリー持っていますので。よく送られてくるんですよ。気に入っていただけたならなによりです」

 おおう……やはり金持ち一族は違う。

「でも、ファリン、初日からよく動いてますね。ノエルは最初はほとんど動けなくて、忍は手探りで修理していましたけど」

 らしい。僕もちょっと聞いている。でも、そのノエルさんの実働データから取れたノウハウがあったから、上手くいったんだろう。

「まあ、僕が修理したところは、ちょっと不安だけどね……。定期的にメンテは必要だと思うし」
「遊のことといい、本当に良也さんにはお世話になって……」
「あー、そんな奴もいましたねえ」

 人の妹の血を無理矢理吸ったあの糞野郎のことを久し振りに思い出した。
 あの後仕返しとか警戒していたのだけれども、結局何事も無かった。綺堂さんが一族に根回ししたおかげかね。

 ……思い出したらむかっ腹が立ってきた。忘れよう、うん。

「それに、忍のことも」
「? 忍のことって?」

 はて、確かにファリンの件では協力したが、それ以外で忍のことで感謝される覚えはないのだけど。

「前からは考えられないくらい明るくなりました。多分、良也さんのおかげって部分も、たくさんあると思います」
「そうなのかなー」

 ファリンに対して、嬉しそうに生まれてきた妹のことを話す忍を見る。
 確かに、初めて会った頃はあんな表情は見れなかった。

「……僕、なにかしたっけ」
「いっぱい遊んでたじゃないですか」

 忍のやつはゲーム好きで。
 ふと僕の持ってるやつと同じ格ゲーを持っていたから、当時忍とのコミュニケーションに苦慮していた僕は、対戦を申し込んだ。

 んで、ほぼ互角の戦績となり。小学生相手に負けてられるかー! と大人げなくも熱中してしまい。

 ――以来、忍とはよくゲームで遊ぶ仲だったりする。

 なお、忍がこの年にして恋愛シミュレーションゲーム(女性向け)にハマっているのは、僕の影響ではない。多分。
 ……もちろん、全年齢対象ですよ?

「うーん、どうかなあ。元々忍は根は明るいやつだと思うけど」
「ふふ」

 笑われてしまった。
 ……しかし、いつも思うが、綺堂さん美少女だよなあ。笑うと、可愛すぎてちょっとドキドキするぞ。

 うー、いかんいかん。妹の同級生相手に、なにを考えとるんだ僕は。

「それでも、ありがとうございます」
「はあ、どうも」

 照れ臭くなって、ワインを飲み干す。
 まだ呑み始めていくらも経っていないのに、既に一本目は空。二本目を開ける。

 綺堂さんよく呑むなあ。

「あ、そうだ。綺堂さん、お酒に血は混ぜないんですか?」
「ええ? なんですか、それ」
「いや、僕の知り合いの吸血鬼は、ワインに血を混ぜたカクテルをよく呑んでるから、綺堂さんも呑むのかなあって」

 ブラッドワインとそのまんまなネーミングを付けられたそのカクテルは、ワインと血を二:一で混ぜて軽くステアするだけのお手軽レシピである。
 レミリアが言うには、予め採血する人間にベースと同じワインを呑ませてから混ぜるのが通なのだとか。
 嫌な通もあったもんである。

「ええと、わたし、あまり血は飲まない方なんで。と言うか、そんな悪趣味なことをやる人は一族では聞いたことないです」
「あ、やっぱり綺堂さんから見ても悪趣味なんですね」

 レミリアは吸血鬼として当然の嗜みよとか言ってたが、やっぱり同じ吸血種からしてもあまり褒められた飲み方じゃないんだよなあ。

「……前から気になっていたんですけど、その良也さんの知り合いだっていう吸血鬼さん。どういう人なんですか」
「え? 写真あるけど、見る?」

 確か、一度写メ撮ったことがある。
 ええと、あったあった。

「こいつ」
「……子供じゃないですか」

 偉そうなポーズを取っているレミリアを見せると、綺堂さんが素直な感想を漏らす。

「いやー、見た目はそうなんだけど、こいつ五百年は生きてるらしいよ」
「ごひゃっ!?」

 なお、僕の知っている妖怪の中では、これでも割と若い方だったり。

「わたしのおじいさまも二百歳近いそうですが、桁違いですね」
「あと、僕の知り合いには本当にこいつと桁が違う奴がごろごろいるんだけど」

 計算するまでもないだろうに、綺堂さんが十、百、千と数えて絶句する。
 ……永琳さん辺りの年は、万で効くかなあ?

「……長生きですね」

 それ以外、言えることがなかったらしい。

「うん。……しかし、こいつには良く血吸われててさあ。いつか仕返ししたい、とは思ってるんだけどね」

 パチン、と二つ折りの携帯電話を閉じながら、僕は愚痴った。

「血、ですか」
「首筋から噛み付かれるならまだいいんだけど、こう、手首をずばー! と切られてぶしゅーっ、て血が噴き出るのは、ちょっと嫌なんだよね」
「ちょ、ちょっと……?」

 いやあ、嫌は嫌だけど、もう慣れたし……

「……綺堂さんも飲んでみる?」
「え、いや……えっと……いいんですか?」

 じー、と綺堂さんの目が僕の首筋に向かう。

「いいよ」
「でも、恥ずかしいですし」

 チラッ、チラッと、綺堂さんは忍と自動人形二人を見る。
 ……そりゃ恥ずかしいだろうけど、なんか誤解があるような。

「……綺堂さん、腕からでどうでしょう」
「……あっ、そうですよね」

 いや、吸血鬼のお作法的に首からの吸血が正しいのかもしれないが、そっちはかなり密着しないとできない。
 まさか、そんなことを人前で出来るはずもなく、僕は長袖を捲り上げて、綺堂さんに前腕を差し出す。

「それじゃ、失礼しまして……」
「どーぞ」

 かぷ、と綺堂さんの牙が僕の腕を貫く。
 うぐ……レミリアやフランドールで慣れてるけど、やっぱ吸血されるのって、微妙に気持ちいい。

 つーか、何気なく提案しちゃったけど、これは不味い。レミリアとフランドールの二人は幼女だったからどーとも思わなかったが、綺堂さんにされると、この心地良さが……こう、妙な感じに――

「あれ、さくら。良也から吸ってるの」
「ぷはっ……ええ。吸ってもいいって、言ってもらったから」
「それなら、いつもみたいに採血してから飲めばよかったのに。うちに注射器あるよ」

 ……そういやそうだ。
 何故僕は腕を差し出したのか。いや、うん。綺堂さんが首筋見てたから、直接吸いたいのかなあ、って思っただけなんだけど。

 今更だが、ちょっと恥ずかしいぞ。

「し、忍も飲むか?」
「……欲しいけど、良也お酒呑んでるでしょ。アルコール」
「あ、そ、そうか」

 血中のアルコールなんてたかが知れてるだろうが、小学生にアルコールはあまり褒められたもんじゃないよな。
 あー、もう。混乱してるな。

「すみません。良也さん」
「あ、いや、別に」

 なんか、綺堂さんも少しドギマギしてるようだった。
 僕もそれに釣られて、どうにも冷静になれない。

「変なの」

 ぼそっ、と忍が呟く。

 そのまま、その日は綺堂さんと、どうにも妙な空気で過ごすのだった。

























 綺堂さんは現在、海鳴大学の学生である。
 ついでに、うちの妹もスポーツ推薦で同じ大学に滑り込んでいた。

 高校の三年を通して同じクラスであり、大学も学部は違うものの同じである二人は、吸血事件があった以降も親密な付き合いを続けているらしく、一人の兄としては妹にしっかりした友人がいてくれることに感謝しっぱなしなのだが、

「……玲於奈。僕と綺堂さんがどうかしたか」

 綺堂さんと妙な空気になった日の翌週。
 『さくらのことで話したいんだけど、時間取れる?』なんていうメールで妹に呼び出され、まあ耕介と遊びがてらとさざなみ寮にやって来て、むう、と玲於奈に睨まれながら過ごすこと十分経過。

 いい加減、口火を切らない玲於奈を不審に思い、僕から聞いてみる。

「……さくらも、なんでこんな人に」
「意味がわからない」
「先週。お兄ちゃん、忍ちゃんのとこでパーティーしたんでしょ」

 うん、と頷く。

 僕が月村家の自動人形製作に協力していることについては、玲於奈も知っている。
 あと、実はノエルさんの戦闘モーションプログラムの開発に、玲於奈を始め風芽丘護身道部メンバーが一枚噛んでいるとかなんとか。
 忍の別荘に相川くんとかあの辺と一緒に遊びに行ったことがあるらしく、意外な繋がりにびっくりした覚えがある。

 ……でも、年頃の男女が保護者もなく旅行だなんて、お兄ちゃんちょっぴり物申したかったのは秘密だ。なお、両親の許可はもらっていたらしい。

 閑話休題。

「で、それがどうかしたか?」
「それ自体はいいことだと思うんだけど……そこで、さくらに血、吸われたらしいじゃない」
「まあ、なんとなく成り行きで」
「……成り行きで吸わせるんだ」
「そんなもんだ」

 そ、そんなもんなの? と妹はこの海鳴市の特異点、さざなみ寮の住人であるくせに、妙に常識人的な反応を示す。
 吸血鬼が血を吸うのはごく当然のことで、だったらなんとなく話の流れがそうなるのもおかしくはない……よな?

「と、とにかく、それもいいの」
「話が見えない。要点を言え、要点を」
「ええとね……で、今週のさくら、ちょっと様子が変で。問い質したら、お兄ちゃんの名前が出て来て」

 変……? どう変だったんだろう。

「それで、詳しく聞いてみたらさっき言ったこと聞いて。話し方が、その……それで、これはもしかしてって……ああもう! さくら泣かせたら承知しないんだからね!? そんだけ!」

 ……ええー?
 いや、そんなまさか……ええー?

 玲於奈の言わんとするところを察し、僕は思い切りハテナ顔になる。

 僕も木石というわけではない。そりゃ、もしそれが本当ならもちろん嬉しいんだが、
 ……あんな美少女に好意を寄せられるなど、僕の人生において起こり得ていいことなんだろうか? なにかとんでもない落とし穴がありそうでちょっと怖くなる。

「……玲於奈の勘違いとかじゃなくて?」
「わたしもあんまり恋愛とか詳しいわけじゃないけどさ。……でも、多分あれはそうだよ」

 む、むう。いくら玲於奈とは言え、一応乙女。多分、僕よりはその手の話に敏感なはずで……

「あんまりおせっかいもアレだけどさ。お兄ちゃん、仕事してて、さくらとあんまり会うこともないでしょ。早めに言っといた方がいいかなって」
「……それは、そうだけど」

 まだ僕は社会人としては新米。覚えることも多く、この前のようにちゃんとした用事がなければ、海鳴市にまで足を伸ばすこともない。
 ファリンが完成を見た以上、これまでほど頻繁には忍のところに行くこともないだろうし。

「お兄ちゃんの方は、どうなの?」
「……そうだなあ」

 忍んところに通うようになって、綺堂さんとはよく話すようになった。基本、僕が行くときには綺堂さんも月村家を訪れているので、作業や打ち合わせが終わると、良く一緒にお茶を飲んだりしていた。
 ……綺麗な子、可愛い子であることも確かなのだが、話していると、優しい子であることもよくわかった。

 好きか嫌いかで言うともちろん好きだ。
 ――ああ、いや。うん……我ながら現金なものだが、ちょっと意識すると、なんか顔が赤くなっていく気がする。

「……お兄ちゃん、午後も暇だよね?」
「なぜにそうも断言するのかは知らんが……暇だ」

 僕の休日に入る予定なんぞ、幻想郷で宴会するくらいである。それ以外の理由で予定が入ることはほぼない。

「わかった。ちょっと待ってて」

 ぴっぴ、と玲於奈が携帯を操作し、どこかへ電話を……待て、この話の流れからして!?

「……あ、さくら? うん、おはよう。今電話大丈夫? うん、うん。で、実は、今お兄ちゃんが寮の方に来ててさ」

 電話口から、綺堂さんの裏返った声が聞こえた。相当びっくりした模様。

「あー、えっとねー。もしさくらが良ければなんだけど、休日に予定の一つもない寂しいお兄ちゃんに、ちょっと付き合ってあげてくれないかなーってね」

 ……玲於奈は、昔からは考えられない話術で綺堂さんを言い包め、なにやら約束を取り付けたようだった。

「はい、午後一時に海鳴駅前で待ち合わせね」
「……玲於奈。お前、変わったな」

 昔は武道一直線で、お世辞にもこういう段取りができるような奴じゃなかったのに。

「ふふん、わたしも、ちょっとは成長してるんだからね」
「……ま、今は感謝しとく」

 少々強引な手法だったが、こうでもしないと確かに綺堂さんとの接点は作れなかっただろう。
 さて……折角の妹のセッティングである。頑張るとするか。





























 ……頑張ろう、とは思っても、既にさざなみ寮に来た時点で服はまるきりいつもの普段着であり。
 待ち合わせ場所にやって来たおめかしした綺堂さんの姿に、こらアカン、とあまりの場違いさにいたたまれない気持ちになった。

 いや、まあ僕が着飾ったところで焼け石に水だし、そもそもお洒落着なんてものは一着たりとも持っていないのだが、それでもこれはない。せめて仕事で着てくスーツならそれなりに金はかかって……

 なんて悩むのももう遅い、綺堂さんは既に現場に到着してて、こっちを見つけてる。

「こんにちは、良也さん」
「あ、ああ、うん……綺堂さん。ごめんね、玲於奈が変なこと言って」
「いえ。良也さんとお話、してみたかったですし」

 そ、そっか。それはよかった。

「ええと、それじゃあ、とりあえずどこか喫茶店にでも入りましょうか」

 あまりぼーっと突っ立っているのもなんなので、そう提案する。

「それなら翠屋はどうですか? 最近出た新作シュークリーム、美味しいんです」
「ああ、キャラメルクリームね。確かにあれは美味しかったなあ」
「あ、もう食べたんですか? つい数日前に販売したばかりのものなんですけど」

 と、綺堂さんは疑問に思っているようだった。
 ていうか、別にどうということはなく、

「いや、翠屋のマスターとはちょっとした知り合いで。試食させてもらったんですよ」
「そうだったんですか」

 ……いや、今気付いたが、女の子連れで翠屋に行くと、高町さんちの士郎さんにからかわれないだろうか。
 ありそう。

「――綺堂さん、ちょっと翠屋は遠いですし、近場で済ませませんか」
「え……ああ、そうですね」

 綺堂さんもデート? で知り合いの店を使うことのリスクに思い当たったのか、ふんわり笑って、『それじゃ、こっちへ』と案内してくれる。
 流石地元の人。他にもいい店を知っているらしい。

 ……しかし、綺堂さん、ふっつ〜だな。慌ててる僕がみっともなく思えるほど、いつも通りだ。
 玲於奈との電話では慌ててたように思えたが、気のせいだったかな。

「ここです。ちょっぴりお値段は張りますけど、美味しいんですよ」
「へえ〜」

 ビルの隙間に隠れるようにひっそり建っているシックな喫茶店に案内された。
 表に出ている品書きは、確かにそれなりの値段だったけど、僕も勤め始めてそれなりのお給料を頂いているので特に躊躇いを覚えるほどでもない。

 店内は、西欧を意識した上品なつくり。店員さんの接客も良い感じだ。

 奥まったテーブルのところに案内され、注文をすることにする。さっき表のメニュー見て気になってたんだ。

「綺堂さん、注文は大丈夫?」
「はい。ミルクティーと苺トルテのセットをお願いします」
「あ、僕も一緒で。紅茶はストレートで」

 偶然にも、同じメニューに目を付けていたらしい。
 目が合って、なんとなく笑みが溢れる。

「美味しそうでしたもんね」
「ええ」

 あー、なんか肩の力が抜けた。
 うん、玲於奈のおせっかいから始まったデートだが、折角だから楽しもう。幸いにも、お相手はこれ以上は到底望めない子だし。

「そういえば、ファリンの様子はどう? まだ勤め始めたばかりだけど」
「ちょっとドジですけど、明るくていい子ですよ。忍の妹……すずかって名前になったんですけど、その子の世話はとても上手で」
「あ、名前決まったんだ」

 きっと忍は猫っかわいがりしてることだろう。すごく楽しみにしてたしなあ。

「でも、ドジっ子かあ。なんでだろう、調整ミスったかな……」

 誰も聞いていないことを確認して、そう呟く。
 起動直後に転んだ時からもしかしてとは思っていたが、まさか僕がコア部品を弄ったせいで、僕の影響を受けたか? 魔術的にはありえそう……
 自動人形の個性がどこから来るのか、忍もわかっていないっぽいし……

「いえ、些細なことですよ。義姉さんも義兄さんも仕事人間で、月村の家はちょっと暗い雰囲気があったんですけど……すずかとファリンのお陰で、吹っ飛んだみたいです」
「へえ」

 あー、確かに、今では僕に悪戯を仕掛けてくる茶目っ気さえ出す忍だが、出会った当初はツンケンしてたしな。あれはご家庭の事情だったか。

「これからはきっと、いい方向に行きますよ」
「うん、そうだったらいいな。……っと、トルテ来たよ」

 お待たせしました、と渋い外見のウェイターさんが紅茶と苺のトルテをテーブルに置く。

「あ、美味しそう」
「ですね。じゃ、いただきましょうか」

 世間話を続けながら、紅茶とケーキに舌鼓を打つ。

 紅茶のおかわりを飲み干す頃には、僕と綺堂さんはすっかりいつものペースに戻っていた。

「それじゃ、そろそろ行きましょうか」
「うん」

 ひょい、と伝票を取り上げる。

「あ、いくらでしたっけ?」
「いや、今日は僕持ちってことで」
「そんな、悪いですよ」

 うーむ、そう言われてもなあ。
 この男女平等の時代。女の子だから、って言うわけではないが、なんてったって年下で学生である。年上で、社会人が奢らなくてどうするというのだ。

「この前ワインを頂いたし」
「あれは貰い物で、わたしが買ったわけじゃ」
「いいからいいから」

 そう押し切って会計を済ませる。

「もう。……ありがとうございます」
「うん。じゃ、これからどうしようか」

 いや、まったくノープランですみません。女の子と出かけることなんてこっちじゃまるで経験ないので、こういう時どうすりゃいいのか僕にはまるっきり見当がつかない。

「そうですね。ちょっと歩きましょうか」
「う、うん」

 あな情けなや。しかし、綺堂さんに従ってすごすごと歩き始める僕。

「……そういえば、玲於奈とかと遊ぶ時はどうしてるの?」
「そうですね。さっきみたいに喫茶店でおしゃべりしたり、映画を見に行ったり。よくゲームセンターにも誘われます」
「あいつ、ゲームするんだ」

 漫画はよく読んでたけど、あんまりゲームは好きじゃなかったような。

「音ゲー、って言うんですか? ああいう体を動かすのが好きらしいです。この前なんて、パンチングマシーンの記録を塗り替えてました」
「……相変わらず、あのちっこい体のどこにそんなパワーがあるんだ、あいつは。ちなみに、綺堂さんは?」
「わたしはどちらかというと、見てばかりで」

 あー、そんな感じではある。

「それで、綺堂さん……」
「あ、そうだ」

 ん?

「なに?」
「そろそろ……その、綺堂さんっていうの、やめませんか? 名前でいいですよ」
「そ、そう?」
「はい」

 い、意外に、踏み込んでくるなあ。

「じゃ、じゃあ、さくら?」
「はい」

 うお、勢い、呼び捨てにしてしまったが、普通に了承された。なんかぐっと距離が縮まった気がする! 名前を呼び捨てているだけなのに! つーか、幻想郷だと大抵の連中は呼び捨てなのに、なんなんだろうね、この違い!

 ……ていうか、なんか物理的にもちょっと距離が近くなってない?
 少し、袖が触れ合っているような。

「あ、臨海公園行きましょうか。この時期、潮風が気持ち良いんですよ」
「りょ、了解」

 アカン、なにか翻弄されている気がして仕方がない。もちろん嫌なわけでは、ないのだが……






























 綺堂さ……いや、さくらの言う通り、海鳴臨海公園は潮の匂いを含んだ涼しい風が吹いていて、なんとなく落ち着いた。

 意外なことに、人通りはそれほど多くはなく、ベンチを丸々一つ確保できた。

「ここ、猫多いね」
「海鳴自体、猫が多い土地柄ですけどね」

 近寄ってきた野良猫を膝に乗せて、さくらがふんわり微笑む。

 ……マジ可愛いな、この子。

「よく慣れてるなあ」
「わたし、動物には割と好かれる方で。人狼の血の影響かな、とも思うんですけど」

 イヌ科とネコ科でそう簡単に友情が成立するのだろうか……

「ふーん。それはちょっと羨ましいかも」
「いいことばかりじゃないですけどね。やっぱり、わたしたちみたいな存在を忌避する人はいますから」

 実感の篭った言葉だった。
 以前、氷村が言っていたように、迫害を受けた歴史も実際あるんだろう。

「わたしなんか、特に……隠していますけど、狼の耳と尻尾がありますから。見た目ですぐにバレちゃうんで、子供の頃はすごく気を使ってました」
「ああ、そういえばそっか」
「良也さんは、なんとも思わないんですね」

 ……いや、いまさらなあ。

「犬耳、うさ耳、猫耳、鴉に雀に虫の羽、鬼の角に……そういう、オプションを付けた奴なら、両手に余るくらい心当たりがあるから……」
「あ、相変わらずですね。本当、どういう知り合いですか」
「……どういう知り合いなんだろう。友達、ではあるんだけど」

 改めて聞かれると、回答に困る。

「と、とりあえず、それは置いときましょう」
「な、なんかごめん」

 すげぇ勢いで話の腰を折ってしまった気がする。

「それに、親族のある人が言ってました。嫌ってくるような連中はどうでもいいけど、仲良くなった人がみんな先に死んじゃうのはつらい、って」
「……ああ、そうか」

 そうだな。
 僕も今はいいけど、多分、五十年もすればそういう出来事に直面するんだろう。

「きっと、つらいよな」
「はい」

 幻想郷の『寿命? なにそれ美味しいの?』的な人外共はひとまず置いとくとして。
 例えば耕介や高町さん、例えば職場の同僚。そして、玲於奈や……少し先の話になるが、きっとさくらの死も僕は見届けることになるんだろう。

 蓬莱人の先輩である妹紅が言うような退屈に殺されるようなことは、僕に限ってないと断言できるが、知り合った人が死ぬ所を見るのはきっと堪える。
 ……気張らないとな。

 今の今まで不老不死の意味について深く考えることはなかったが、長い寿命と普通の感性(ここ重要)を持つさくらの言葉に、色々と思うところが出来た。

「良也さん」
「……ん? なに?」

 そう考えていた僕に、さくらが話しかけてくる。
 潤んだ目。赤く染まった頬。そしてきゅっ、と結ばれた口元。

 ……ああ、きっと彼女が言う言葉になんとなく当たりが付いて、僕は心臓を高鳴らせながら次の言葉を待った。

「きっと、私と良也さんはいつまでも一緒にはいられません」
「……うん」
「だけど、わたしはあなたが好きだから……例え短い時間でも、一緒に過ごしたい、って思います。受け入れて、くれますか?」

 真っ直ぐに視線をぶつけられる。

 正直、重い。この子が求めているのは、ただの恋人ではない。さくらは、ずっと、ずっと先までを考えている。
 社会的にはまだまだ若造である僕に、背負いきれるのかわからない。

 ……でも、溢れ出てくる『嬉しい』って気持ちに嘘はなくて。
 ここで応えれらないような自分は真っ平御免であった。

「気の利いた返しは、できないけど。……よろしくお願い、さくら」
「……ありがとう、ございます」

 嬉し涙だろう。つ、と垂れた涙を拭ってやり、

「うん。僕は例え死に別れても、ずっとさくらのことを忘れないから……」

 と、僕は我ながらカッコつけ過ぎの台詞を吐き、

「え?」
「え?」

 さくらの間抜けな声に、思わず同じような声を上げて返してしまった。

 ……あ、あれ? 僕、なにか間違えた? こんな決め台詞が似合わないのは自覚してるけど、まさかそんなに滑ってしまったか?

「あの、良也さん。わたし、寿命は数百年あるんです」
「うん、知ってる」
「良也さんは人間で……」
「うん。そうだけど、実は不老不死」

 ぽかーん、と先程までの甘酸っぱくも切ない空気が、なんか木っ端微塵に壊れる音を聞いた気がした。






























 海鳴駅前のとあるダイニングバーの個室席。
 拗ねたような目で、ウィスキーのロックをちびちび呑んでいるさくらに、僕は冷や汗を流す。

「あの、ゴメンって。そういえば言ってなかったよ」
「……もういいです。色々悩んでたのに」
「いや、その悩みはなくなったわけじゃなくて、僕の方に移ってきただけのような」

 そう、寿命の差という問題。長短は逆転したけれど、根本的な解決にはなりませんよね?
 もちろん、僕は男として、そんな弱みはあまり見せるつもりはないのだが。

「どうしてそんなことになったんですか?」
「うーん、説明すると長くなるけどね。簡単に言うと、昔話で不老不死の薬って色々あるだろ? その一つを、知り合いから貰ってさ」
「も、貰った……」

 絶句しているさくら。……いや、うん。僕も改めて口にすると、おかしいところ満載だな、と気付いた。

「はあ。本当、良也さんはわたしの知らないところがいっぱいあるんですね」
「もちろん。でも、それはお互い様だろ? 時間はあるんだから、ゆっくり話していけばいいと思ってる。心配しなくても、そんな驚くような秘密はもうないよ」
「……どうしてでしょう。もっと驚かされるような気がしてなりません」

 そっかなー。

 ……まあいいや。

「それも含めて、これから、な」
「はい。これからずっと」

 そう言葉を交わして、僕とさくらはチンッ、とグラスを交わし合った。



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