さくらと付き合うようになって、約半年が過ぎた。 とは言っても、僕はまだまだ新米の教師としての仕事で残業続き、さくらはさくらで、大学生は真面目にやるとそれなりに忙しいらしい。 大学生って忙しいモンだったんだなあ、などと、事故で一年留年して単位には余裕のあった僕なんかは思うのだが……履修している全ての講義で優の評価を取ってるさくらは、確かに色々と忙しそうだ。 閑話休題。 ともあれ、そんな風にお互い忙しいので、休日くらいしか会うことは出来ない。 土曜は朝っぱらから海鳴市に飛ぶ日常だった。 「や、おはよう、さくら。ごめん、待たせた?」 「おはようございます。着いたの、ついさっきです」 待ち合わせ場所の海鳴駅前に到着すると、既にさくらは待っていた。 いかんなあ、『待った?』→『待ってない』……この流れは、男女が逆だろ。 なんとなくバツが悪くてそう謝ってみると、さくらは手を振った。 「それは仕方ないじゃないですか。良也さん、海鳴に毎週来るの、大変でしょう?」 「いやー、実は山の中飛ぶのは割と気持ち良かったりする」 外で飛ぶ事自体、あんまりないしね。 なお、このくらいの会話は、別に誰かに聞かれても大したことはないのでいつも気にしていない。どうせ与太話として、聞いた人もすぐ忘れるだろうし。 「へえー。でも、確かに気持ち良さそうですね」 「さくらは飛べないんだっけ」 「遊はできるみたいですけどね」 あー、氷村なあ。 夜の一族の中でも、特に吸血種としての側面の強いさくらの兄は、なんと蝙蝠に変身したりできるらしい。その形態なら空も飛べるだろうな、そりゃ。なお、そこまで血の濃いのは、もう現代には殆ど残っていないとか。 つーか、この前さくらの彼氏として、一族の集まりに連れてかれたんだが、みんな割と普通の人達だった。美形が多かったくらいか。 そもそも、夜の一族って、吸血種という割には大分人間寄りだから、それもむべなるかな。なにせ血は吸うものの、普通の人より死ににくくて腕力が強い――プラス、純血に近い人が多少の特殊能力を使える程度で、普通に寿命とか大怪我とかで死ぬらしいし。 性格的にも、氷村みたいなタカ派は現代ではめっきり減って、ハト派が一族の大半を占めているんだとか。 「あー、でも、そういえばありがとね。前の集まりじゃ、部外者なのになんか色々飲み食いさせてもらっちゃって」 「みんな面白がって食べ物やお酒を勧めてましたからね……」 夜の一族の寿命は長い。 そのため、こう、見た目は若くてもおじいちゃんおばあちゃん気質な人が多かったというか……別に変な意味ではなく、一族の中でも年若いさくらの連れてきた恋人ってことで、可愛がられてしまった。 なまじ、グラスに酒が入ってるとついつい呑んじゃう気質なせいか、勧められるがままにぱかぱか呑んじゃったし。 一応、さくらの親戚に下手なところは見せられないと、醜態はさらさなかった。……と、思う。 「遊は複雑な顔してましたけど」 「はは……」 なお、流石に大人になったのか、周りに一族のいる前で仕掛けるほど向こう見ずじゃないのか。彼は僕を見て苦虫を噛み潰したような顔になったものの、視線を合わせないようにしていただけだった。 「実は、結構うちの一族で有名なんですよ、良也さんは」 は? 「え、なにそれ。初耳」 「遊の一件は、噂程度には広まってますし。後、忍がですね、割と良也さんの名前出してて」 忍のやつが? 「……わかった。悪口だろう」 「どうでしょうか」 ふふ、とさくらが笑顔を零す。 ……なんだろう、この釈然としない感じ。 「さ、今日はどうしましょうか。そういえば、割引券持ってるんで、カラオケにでも行きます?」 「あー、いいな、それ。歌うの、悪くない」 朝は料金安いしね。 「カラオケ代くらいはわたし出しますからね?」 あ、先に釘刺された。 いや、やっぱりバイトと小遣い程度しか収入のないさくらに対し、僕はこう、一応社会人なわけで。今までのデートでは大体僕がお金出してたのだが、さくらはそっちの方が居心地が悪いらしい。 要はこうだ……支払いは任せろーバリバリやめて! ……もう古いか、このネタ。 ――なんだよ。いいじゃないか、年下の彼女にちょっと経済力のある所見せるくらい。 彼女、実家がお金持ちだから、僕程度の背伸びはお見通しかも知れないが、少しくらいは甲斐性があるってアピールしたい。 さもしいプライドであることは認める。 「じゃ、行きましょう」 「んー」 歩き始めると、さくらが腕を絡めてくる。 最初はこれだけでドギマギしたものだが、流石に半年も付き合っているのだ。このくらいで照れはしない。 「良也さん、腕組むといつも顔真っ赤にしますね」 「……なんのことかな」 「そういうことにしといてあげますね」 ……手玉に取られてねーか、僕。 カラオケで二時間程歌った後、ランチ。食休みにその辺をぶらぶら散歩して、さくらの希望で八神堂という古本屋で本を物色し、紳士服売り場に寄ってさくらに新しいネクタイを見立ててもらったり、翠屋で高町さんの好奇の視線に耐えながらおしゃべりに花を咲かせてみたり。 ……楽しい時間というのはすぐに過ぎてしまう。 気が付くと、もう日はとっぷりと暮れてしまっていて、もう別れなければいけない時間だった。人気の少ない公園を散歩しながら、さくらが申し訳無さそうに頭を下げてくる。 「すみません。月曜に提出のレポートがあって、今日は夜は……」 「いや、いいよ。全然。学生さんは学業が本分なんだから」 いや、この後一杯呑んだりとか、その他諸々とか、行きたくないわけじゃないんだが、流石に勉強を滞らせてまで付き合わせるほど僕も身勝手ではない。 「む」 「あれ? なんで抓られてんだろう、僕」 全然痛くはないが、さくらが僕の腕を抓ってきた。なお、彼女が夜の一族&人狼の力を全開にすれば、肉を引き千切ることも簡単なので、これは本当に不満を示すためだけのポーズであった。 だが、全然理由がわからん。今の僕の対応に、なにか間違いがあっただろうか。 「……そこは冗談でも、まだ一緒にいたいって言って欲しいです」 拗ねたようにさくらがそう呟く。 ……なんだこのかわいい生き物。 「うん、すごく一緒にいたい」 「はい、わたしも」 気が高まって、ぎゅ、とちょっとドギマギしながらさくらを抱きしめる。 やわらけー。なんでこう、女の子っていい匂いするんだろう。……いかん、頭が茹だってきた。 だ、駄目だ駄目だ。ここで感情のままに振る舞って、さくらを失望させるわけにはいかん。 「そ、そうだ、さくら。今日、血、飲んでないだろ? 要る?」 「あ……はい」 くい、と胸元を開けて首筋を見せると、コクンとさくらは頷いた。 ええーと、ウェットティッシュは用意してあったよな。レミリアやフランドールに対してならその辺まったく気にしないのだが、さくらに上げる時は汗でぬるっとしてるとか思われたら嫌だし、ちゃんと常備してある。 「……どうぞ」 「はい」 さくらが僕の首に口をつけ、ぷつ、と彼女の牙が僕の肌を貫く。 こくん、こくん、と一口一口味わうようにさくらが血を吸い上げている。 血の抜ける虚脱感と、それを大きく上回る快楽に、思わずさくらを抱きしめる腕の力が強くなってしまった。 「ん」 それに合わせて、さくらの方の腕の力も強くなる。 ぎゅう、と抱きしめられ、僕はとてつもない幸福に―― ……浸ると同時に、傍目からはカップルがいきなり公園でおっ始めたように見えるんだろうなあ、という現実に気付いて、ちょいちょい、と意識を逸らす系の魔法を使う。 さくらってば意外と大胆で、最近この手の魔法に無闇に習熟してきた感のある僕である。だって、友達(耕介とか)に見られて噂とかされると恥ずかしいし。 ……これが若者のデフォで、単に僕がヘタレだという可能性もあるが、多分それはないだろ。……ないよな? 「んく、……ぷは」 最後まで一滴も零さずに上品な吸血を済ませたさくらは、名残惜しそうに口を離す。 「はあ、飲み過ぎちゃいました。ご馳走様です」 「いや、いいよ別に」 レミリアとかに比べたら大したことないし。 あっちは名前にスカーレットと付くほど血を零しまくるから、直接吸われた場合、八割貧血、残り二割失血死なんだもんなあ。 なお、あまりにも血を無駄にするもんだから、『MOTTAINAI! MOOOOOTTAAAAINAAAAAAI!』と外国人風に怒りを露わにして煽ってみたこともあるが、そん時は軽く殺されかけた。 「……元気ですね。相川先輩はけっこう辛そうだったんですけど」 「あ、流石に他の男の名前出されたら、僕もムカつく」 いや、相川くんはいい子だよ? うちの妹も懐いてたし。 しかし、それはそれ、これはこれというかね? 彼の血を吸ってたのは知ってるが、でも今言われるとちょっと凹む。 「ふふ、いつも他の吸血鬼の名前を出されますから。お返しです」 「……そんなにあいつの名前出してたっけ?」 「ええ。あいつより丁寧だとか、零しまくるからムカつくとか、妹も最近遠慮がないんだとか」 やっべえ。僕、そんなこと言ってたか。……今後、あの姉妹のことはなるべく口に出さないようにしよう。 「あ、そういえば噛み痕は……」 「もうなくなった」 「……ですよね」 元々夜の一族の唾液には止血効果もあるそうだが、僕に限ってはそれより傷の治りの方が早いのであまり意味はなかったりする。 またウェットティッシュで首筋を拭いて、乱れた服をちょいと整える。 「さ、今度こそ、今夜はお別れです。ありがとうございました」 「ああいや、こっちこそ。……って、駅までは一緒に行こう」 「それもそうですね」 日の沈んだ公園は人通りも少ないし、駅まではちょっと距離がある。まさか、血を補充した直後のさくらの身を脅かせるような、達人の域に入った変態が早々いるとは思えないが、万が一ということがある。特のこの海鳴の地では、その万が一が起こる可能性は否定しきれない。 というか、純粋に僕が最後まで彼女と一緒にいたいというわけなので、僕とさくらは連れ立って駅まで歩いて行くことにした。 ……しかし、やっぱ手を組むのは慣れんな。恥ずい。 「というわけだ」 「……お前、羨ましいなあ。可愛い彼女がいて」 帰り道。駅からバスで人気のない場所まで移動し、飛んで帰る途中。さざなみ寮にちょいと寄り道し、僕は耕介とダベっていた。 事前に電話で確認を取ると、耕介は丁度夕飯の片付けが完了したところだったらしく、歓迎してくれた。 なお、ついでにうちの妹を見ると、さくらと同じレポートにかかりきりだった。スポーツ推薦で大学に入った身ながら、やはり成績が下降線をたどると不味いらしく、ヒーコラ言ってるようだ。 明らかな『邪魔すんな』オーラを出す玲於奈に追い出されて、僕は耕介の部屋で軽くチューハイで乾杯しつつ、なんか成り行きからさくらとのデートの話になったのだが、 「……いや待て。割と自慢げに話してしまった僕が言うのもなんだが、お前に他所の男を羨ましがる資格はないぞ」 この男の感想がこれである。 いや、もしこれが別の友人――今は共に大学院を出て働いている高橋と田中辺りだったら、その言は実に正しいし、場合によっては嫉妬に狂った二人によって僕は亡き者にされているかもしれないが、耕介が言うのは絶対におかしい。 「俺が?」 「いや、耕介。お前、職業は?」 「お前もよく知っている通り、ここんちの管理人だが」 女子寮の管理人。しかも、オールいい子でびじ――訂正。うちの妹を除いて、みんな良い子で美人だというのに、この男のこの態度と来たら! しかも、玲於奈情報によると、このでかいにーちゃんは大層おモテになるらしく、寮生のうち何人かは確実にホの字らしい。 「……このリアルギャルゲー野郎が」 「ひ、ひどい言い草だな。というか、お前も人のこと言えないだろ」 「なにおう?」 なにを言ってんだ、耕介は。 さくらという確変がなければ永遠に――いや比喩じゃなく、多分地球が滅びるその日まで――彼女いない歴イコール年齢だったであろう僕が、どうして言ってはいけないのか。 「俺も、お前や寮生の子に勧められたりして、少しはその手のゲームのことは知ってるが……主人公が特殊な力を持っているなんて、ありがちじゃないか」 「霊剣使いに言われたかねぇよ!?」 「いや、お前の能力は絶対におかしい! 俺のは伝統芸能だ!」 酒も入っているせいか、僕と耕介はやいのやいの言い合い、 「……あたしに言わせりゃ、どっちもどっちだ。つーかウルセェ。静かにしろ、殺すぞ」 通りがかりの真雪さん(締め切りが近いのか目が座ってる)が、ドスの効いた声でそんなことを言い、僕と耕介は平謝りすることしか出来なかった。 翌週。 先週取り掛かっていたレポートは無事終わり、今週出た課題も全て完了したというさくらは、土曜の夕方に僕んちまで来た。 いつもは僕が海鳴まで行っているのだが、たまには、ということで割と強引にさくらが主張したのだ。 「けっこう綺麗にしていますね。意外」 「そうか?」 僕のマンションの部屋に一歩踏み入れたさくらの感想がこれである。 ……ふう、よかった。事前に掃除しておいて。 少々どころではなく散らかっていたので、今朝から掃除を始め――やっべ、間に合わねえ! となり、途中一・五倍の時間加速(この加速率なら一時間はイケる)まで駆使してギリギリ間に合ったのだ。 その甲斐はあったようで、なによりである。 「あ、意外。一人暮らし向けのマンションなのに、キッチンは広いんですね」 「結構自炊するから。そこはちょっとこだわったんだ」 「へえ」 「ま、電車で疲れただろ? ちょっと待ってて。紅茶でも淹れるから」 駅まで迎えに行った帰りのスーパーで食材を購入しておいたので、さくらの土産のワインと一緒に冷蔵庫に収めながらそう伝える。 「はい。あ、部屋、入ってみてもいいですか?」 「いいけど、くれぐれもベッドの下とかは漁らないように」 「ふふ、どうしましょうか」 冗談めかして言ってみると、さくらも承知したもので悪戯っぽく笑った。 まあ、僕は電子データ派なので、その手の本は持ってないからもし家捜しされても安心なんだけどな! なお、エロゲの類は現在僕の空間倉庫に格納しているため、さくらの目に触れる心配はない。まさかこんな使い方することになるとは思わなかったが。 まあ、本棚に趣味の漫画とかラノベとかはあるけど……流石に、そこまで隠すのもなあ。というか、僕がオタだってことは、さくらも知ってるし、今更である。 「っと」 どんな風に観察してんだろうか、と考えているうちに、火にかけた薬缶が沸騰した。 後は、それなりに奮発した茶葉を二人分、ティーポットに投入し、熱湯をおもむろに注ぎ…… と、この辺の手順は、もうだいたい手が覚えている。僕も慣れたもんだ。 「お待たせ」 「あ、いえ」 さくらは、ベッドの端に腰掛け、大人しく待っていた。 「ごめん、狭くてな。一人暮らしってこんなもんで。……っと、座布団がたしか押入れに」 「ああ、いえ。お構いなく」 こたつテーブルにカップを置いて、押し入れを探す。 座椅子が一つあるが、これじゃ二人は座れん。 「はい」 「じゃあ、失礼して」 座布団、干しておけばよかったなぁ、と若干後悔しつつ、さくらに渡す。 「あ、紅茶、いただきますね」 「ああうん、どうぞ」 慣れた仕草でさくらがティーカップを手に取り、一口飲む。『美味しい』と、お世辞かもしれないが、にっこり笑った。 「うちまでどうだった? 電車で移動だと、結構遠かっただろ?」 「はい。毎週良也さんが来てるから、割と近いのかなあ、って思ってたんですけど、乗り換えとかあって意外と時間かかりますね」 うん。僕も何度か電車使って海鳴まで行ったが、あまり使いたい手段ではない。 「まあ、空飛べるとね。色々と便利なんだよ。山越えると、あまり時間かかんないし」 「わたしも練習したらできますか?」 「出来ると思うよ? 知り合いの巫女が言ってたけど、人間は飛べるようにできてるらしいから」 いや、お前ちょっと人体の構造勉強して来い、と言いたくなったが、原理はわからんけど飛べている僕が言っても説得力がないのでなにも言わなかった。 「そ、そうなんですか?」 「そう。でも、女の子が空飛ぶなら、ちゃんとスカートの中見えないように技を磨かないと」 「技って」 幻想郷の連中ってあんな空ぽんぽん飛んでるくせに、何故か肝心要のところは見えないからなあ。 幻想郷女子の嗜みとして、そのための技が伝わっているに違いないと僕は睨んでいるのだが。 「……なんか大変そうだからやめておきます」 「そうでもないけど。僕、三十分くらいで飛べるようになったし、飛ぶだけならコツさえ掴めば簡単簡単」 そう、確かスキマに上空ン千メートルに放り出されて、落下中に覚醒したんだった。いやあ、懐かしい。 ……今更ながら、当時は生霊だったとは言え、もしあのまま落ちてたらどうなってたんだろう。幽霊だから大丈夫だったのか、幽霊とは言え生きていたんだからそのままおっ死んでいたんだろうか。 いや、蓬莱人になるまでの間、他にもあれやこれや。 ……僕、割と人生綱渡りだったんだな。若かったとは言え、思い出してみると酷い無茶をしていた気がする。 まあ、昔のことだし、いっか。 「ま、まあそんなわけで。飛びたいっていうのなら、力になるけど」 「いえ、本当にいいんですよ」 ふむ、そっか。 ……しかし、改めて考えると、どうしてさくらは今日うちに来たんだろう。 まあ、特に理由なんかなく、なんとなくなのかもしれないけど、ちょいと気になる。さくらにしては珍しく強く主張したし。 「あの、いいですか。良也さん」 「うん」 と、考えていたら、さくらの方から切り出してきた。多分、これからが今日来た本題だ。 「その、さっきの話みたいに、今まで断片的には聞いてましたけど、詳しくは聞いたことがなかったんで。……良也さんの知ってる世界、っていうのを、教えて欲しくって」 「……あー」 幻想郷のこと。 確かに、時々レミリアの名前とかちょっとしたエピソードなんかは出していたが、詳細に説明した記憶はない。 「もしかして、内緒なのかな……って思って、今まではあえて聞きませんでしたけど。良也さんにとって、すごく大きな話みたいだから、できればその……聞いてみたいです」 「あー、いや。ごめん。気を使わせて。別に全然――ってわけじゃないけど、一切口外するなとかいう話じゃないから大丈夫」 うん。あの、僕の人生が奈落の底へと叩き込まれた――あるいは、第二宇宙速度で地球の重力圏を突破したかのような幻想郷での話。 嫌なことや気に喰わないこと、納得いかないことも多々あるが、それでも大切だと断言できる場所。 ――改めて言われて見ると、僕としてもさくらに知っておいてもらいたい。 「じゃ、どこから話そうかな……少し、長い話になるけど」 「全然構いません」 そっか。それで、今日はお泊りセットまで持ってきたのか。 いや、ごめん。邪なことしか考えていませんでした。……本当、ごめんなさい。 大学生の頃、生霊となり冥界に行ったこと。 そこに繋がっていた幻想郷に行ったこと。 生き返ってからも、なぜか結界を越えられたから、ちょくちょく通ってること。 巻き込まれた異変。覚えた魔法。なんか勝手に増えていく交友関係。 割と饒舌に喋ってしまい、途中で僕の腹が鳴ったため、ご飯タイムを挟み、今は余ったおかずでワインを傾けながら、ぐだぐだと連中との日常を話す。 さくらはいちいち驚き、目を輝かせ、どんな人達なんですか、と尋ねられた。 「あー、ちょっと待って」 宴会の時に射命丸のやつが撮った集合写真が手元に一枚あるので、それを見せることにする。 さくらはしばらくそれを凝視した後、 「……あの、良也さん」 「ん? どうした。なんか聞きたいことでも?」 「この写真……見る限り、女の子しかいないように見えるんですが、どういうことですか?」 ああ、そういえば。交友関係が広がった、って話の時に、特に性別については言及していなかったかもしれない。 「あー、そのことね。なんでか、向こうの人外は女が多くて……いや、男の妖怪もいるんだけど、知り合い少ないんだよねえ」 弾幕ごっことかで外を飛び回る女子連中に比べて、シャイなのだろうか。あんまり、幻想郷で表を歩いている所を見たことがない。 「いえ、そうではなく」 「え?」 「……この中の誰かと、昔付き合っていたとか。そういうこと、ありませんよね?」 ――しん、と沈黙が降りた。 え? いや、さくらなんつった? 付き合う? 誰が、誰と? 僕が? こいつらの誰かと……? ふーん……いやいや、ねえよ。 「それはない」 「だって、可愛い人ばかりじゃないですか」 「……真に遺憾ながら、それは認めざるをえないけど。でも、絶対にありえへんて」 さっきまでさくらはなにを聞いていたのだ。こいつらは、中身はヤバい連中だということは訥々と言い聞かせたというのに。例え見た目は可愛いからどうだというのだ。見た目も中身も可愛いさくらの爪の垢でも煎じて飲ませてやりたいくらいなのに。 「……本当ですよね? わたし、良也さんを誰にも渡すつもりはありませんからね?」 「本当だって」 独占欲を発揮してくる恋人に、かわいいなー、と呑気な感想を抱く。 しかし、さくらも心配症である。『誰にも渡さない』、なんて情の厚い彼女らしいが、流石にそれは杞憂にも程がある。 「大体、まかり間違ってこいつらが色恋に興味を持ったとして、僕なんか眼中に入れないって」 「そうですか? でも、こっちの巫女さんとは随分親しいみたいですけど」 ……ああ、そういやこんときは霊夢がしこたま酔って、ものすっげ絡まれたんだっけ。嬉しそうに僕の口に一升瓶を捩じ込む紅白の姿が、写真の隅に写っている。 いや、これ仲良くは見えないだろ。 「……普通、ちょっとでもそういう気のある男に、アルハラはしないと思います」 「それに、写真が粗くて見難いですけど、こっちの人はテレビでも見たことのない美人さんですし」 いや、輝夜は確かに美貌で平安の貴族を手玉に取りまくった魔性の女だけど…… 「良也さんが誘惑されて、ふらふらしないか、ちょっと心配です」 「失敬な」 僕の鋼の理性をなんだと思っているのか。 ちょっと視線が行くくらいはあるかもしれないが、具体的な行動に移すことなど僕には絶対にできん。 さくらの言うように向こうから誘惑されても、悲鳴を上げながら逃げる自信があるぞ、僕は。っていうか、そもそも連中が誘惑なんてするわけが……いや、しかし妖怪は基本欲望に素直だからな。貞操? ナニソレ? 的な妖怪だと、三大欲求の一つである性欲には割と素直に従いそう。 ……い、いや僕が対象になることなんてないよな、うん。 「本当ですか? 浮気したら、泣いちゃいますよ」 「……大丈夫、泣かせるつもりはないってば」 うーむ、しかしさくらは随分疑っている様子。 ……まあ、仕方ないか。僕の交友関係、海鳴のしか知らないもんな、さくらは。 急に沢山の女友達がいると知って、不安になったのだろう。仮に立場が逆で、さくらに僕の知らない男友達が沢山いたとしたら、僕も動揺しまくっているはずだ。 「しかし、そんなに心配だったら、今度案内しようか」 「え? できるんですか?」 「いや、あんま自信はないけど。さくらも一応、こっちの常識からは少し外れているから、イケるんじゃないかな……」 ただの想像だが。 ……まあ、いざとなったら、スキマ辺りに賄賂を積めばなんとかしてくれるかもしれん。あるいは、博麗大結界なら霊夢か? 買収するならスキマの何十倍も楽だろうが、あいつ博麗大結界の仕組みとかちゃんと知ってるのかなあ。 「まあ、駄目元で、今度外の博麗神社に行ってみよう。駄目だったら、まあ、ちょっと変わったピクニックデートってことで」 「はい。じゃ、お弁当でも作っていきましょうか」 「ああ、いいなあ。じゃ、電車じゃちょっと遠回りになるから、こう、お姫様抱っこ的に僕が抱えて飛ぶプランで」 「ちょ、ええ?」 なお、さくらが幻想郷の地に足を踏み入れたかどうかは…… まあ、想像にお任せする。 |
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