僕が海聖高等学校に転勤して、六年少々が過ぎた。 転勤直後から正式稼働したブレイブデュエルは、何度ものアップデートを経て、現在では海外のプレイヤーとも自由に対戦出来るようになっている。世界的な人気を博しているため、その総本山であるグランツ研のあるこの海鳴市もいくらかの発展を見せた。 なお、同時に海鳴市は強豪プレイヤーが集うことでも知られており、去年行われた第一回世界大会ではT&Hエレメンツ(もうエレメンタリースクールは卒業しているが)が見事優勝を果たした。 しかし、そんなチームも今は一時解散状態となっている。別に喧嘩別れしたり、ブレイブデュエルに飽きたというわけではなく――メンバー最年長のアリシアが、今年度大学受験となっているからだ。 「大丈夫かねぇ」 季節は夏真っ盛り。 昼下がりの喫茶翠屋の窓際の席にて注文を待ちながら、僕はふとそんなことを考えた。 進路に悩んでいるということはチラっと聞いたが、どうするにしろ学力はあって損はないので、アリシアは今は予備校の夏期講習に出ているはずだ。 頑張れー、と夏休み前に最後に会った時にエールを送ったが、それ以降は会う機会がなかった。 「……ま、平気か」 僕は三年生の担当ではないが、二年時にアリシアの担任教師だったので、成績は大体把握している。 試験では学年一桁順位を確保しているし、全国模試でも中々の位置につけていた。余程上を見なければどこを受験しても合格できるはずだ。 ま、勿論他の受験生も当然レベルを上げているので、サボったりしなければの話だが、アリシアに関しては心配無用である。 他の、去年担任したみんなは大丈夫だろうか、と考えていると、丁度注文したショートケーキと紅茶のセットが届く。 「先生、ゆっくりどうぞー」 「おう、ありがとう」 バイトをしている海聖高校生に礼をして、ケーキを食べようとすると店の入り口のベルが鳴った。 ――噂をすればなんとやら、というのか。やって来たのはアリシアと、もう二人――同じ海聖高校の生徒だった。 「あ、アリシア先輩、伊藤先輩、宮田先輩。いらっしゃい」 「来たよー。ありがと」 なお、一緒にいる伊藤紗栄子と宮田由実も去年担任したクラスの生徒なので、当然僕も知っていた。アリシアとは仲良し同士で確か同じ予備校に通っていたはずだ。 「えーと、でも、ちょっと待って下さいね。今ちょっと満席で……あ」 先程メニューを持ってきてくれたバイト生徒が、テーブル席を一人で占領している僕に視線を向ける。 それに合わせてアリシアも僕に気付いた。 「あ、良さん。じゃ、相席するねー。さっちゃんとゆーちゃんもいい?」 「良さん……って、つっちー先生?」 「私は別にいいけど。つっちー先生ならうるさいこと言わないだろうし」 で、当然のように相席するべくアリシアがやって来る。伊藤と宮田も別に異論はないらしく軽く手を上げて挨拶をしながら歩いてきた。 しかし……相変わらず、同級生との身長差がヒデェな、アリシア。小学校の時から同学年でもかなり小さい方だったが、その頃から殆ど身長が伸びていないせいで、標準的な身長の他二人とは三十センチ近く差がある。 「やっほ、良さん。隣失礼するねー」 「よう、アリシア。伊藤と宮田も。予備校帰りか?」 「あ、そです。頭使ったんで、甘いもの食べたくて。失礼しまーす」 「つっちー先生、どもー」 対面に伊藤と宮田が座り、テーブルにあるメニューを取り出し広げた。 「アリシアちゃん、何食べるー?」 「うーん、私はショートケーキ……を食べたいと思ってたんだけど、やっぱシュークリーム! ミルクティーセットで!」 「私はフルーツタルトにしようかな。珈琲で」 「で、私は……うん、アリシアちゃんと同じシュークリームにしよっと。すみませーん」 伊藤が手を上げて店員さんを呼び、注文を済ませる。 その間にも、僕は届いたショートケーキをウマウマと食べ、紅茶を飲む。とっとと食べて席を明け渡そう。こいつらも、僕がいないほうが気兼ねしないだろうし。 「良さ〜ん」 「んー?」 と、そこでなにやらアリシアが甘えるような声を出す。……あ、こいつめ、さっきショートケーキが云々とか言っていたが、もしかして。 「私、今日ショートケーキの気分だったんだー」 「……ほう、それで」 「一口頂戴?」 やはりか。僕が教師だってこと忘れてねぇか、こいつ。 ――まー、小学校の頃から何くれと縁があり、ブレイブデュエルやその他を通じて仲良くなっているので、確かに距離は近いっちゃあ近いんだが。 ったく。 「ちょ、アリシアちゃん。一応、先生にそんな……」 「はあ〜〜……ほら」 自分で取る気はないらしく、あーんと小さく口を開けているアリシアに、一口分のケーキを突っ込んでやる。 ケーキが運ばれるとアリシアは口を閉じ、僕はするりとフォークを引き抜いた。 「失……礼、で……」 「はい?」 うーむ、一口分とは言え少なくなったな。追加でもう一個いくか? ……って、なんか伊藤と宮田がびっくりしてる。なんだ? 「あれ? 良さん、上の苺はー?」 「やらん。あ、すみません。チーズケーキ一つ追加でー」 ちぇ、とか言ってるアリシアだが、ケーキの上に乗った苺はショートケーキの命とも言うべきものである。これをくれてやるなんぞ考えられん。 「あ、そうそう。ちょっと良さんに相談したいんだ。進路について」 「僕に聞くより、進路指導の月城先生とか担任の佐々木先生に相談した方がいいんじゃないか?」 「やー、流石に他の先生にはぶっちゃけた話はできないからさ」 「お前……いや、いいけどさ。僕がアドバイスしたとか他の先生に言うなよ。信用されないのかって思われるぞ」 大丈夫大丈夫、とアリシアは言って、鞄から進路関係の本といくつかの大学のパンフを取り出す。 「あ、ゆーちゃん。ゆーちゃんが持ってた進路の本貸して欲しいな。……? ゆーちゃーん?」 おろ? 対面の二人、まーだ固まってる。 「ゆーちゃんてば」 「え、あっ、本ね。うん、わかった……」 なんだろう、と思いながらアリシアが広げた資料を見る。僕の前にはケーキセットが広がっているので、必然的にアリシアの前に広げられたものを覗きこむ形となる。アリシアの髪のシャンプーの匂いと少しの汗の匂いが鼻をつく。 「私将来はT&H継ぐつもりだから、やっぱ経済学部とか経営学部かなーと思ってるんだけど、そうすると、こことか、こことか……」 「海鳴大も経営学部があるぞ。あそこなら結構レベル高いし、うちの学校は推薦枠あるし。アリシアなら取れるんじゃないか?」 「うーん、そうだね。それもいいかも……。あ、でももうお店のことは大体わかってるし、いっそ大学行かないで高卒で手伝いをしようかなーとかも考えているんだよね」 「駄目。それはやめとけ」 「あー、やっぱりかー。他の先生もママもリニスもクロノもみんなそう言うんだ」 「やりたいこと、大学で他に見つかるかもしれないだろ。それに例えばの話、将来T&Hになにかあった場合、高卒と大卒じゃ取れる選択肢も違うぞ。なにかの理由で行けないならともかく、行けるなら行っとけ」 「あ! うちが潰れるっていうの!?」 「こら、ほっぺたぐりぐりすんなっ。例えばっつったろ!」 つついてくる指を掴み、手を降ろさせる。 「ったく。ああ、こっちの大学はどうだ? アリシアの偏差値ギリギリだけど、ネームバリューもあるし、うちの進学実績にもなる。キャンパスも新しくていい感じみたいだぞ」 「あー、進学実績とか、仕事入ってる」 「いや、実際いい学校なんだよ」 「でも、そこはパスかな〜。うちから通えないし」 「一人暮らしは嫌なのか?」 「あー、それより友達とかと離れるのが嫌かな」 「友達も進学で県外に行く奴も多いだろ?」 「でも、少なくとも良さんはずっとここだよね?」 む? まあ、僕はもう海鳴市に骨を埋めるつもり――いや、死なないから埋められねぇ、骨。 いやとにかく。確かに、僕はここを離れる予定はない。 「あー、まぁな。今更転職もしないし」 「だったら、ここから通える範囲にするよ」 「そうか」 まあ、自分の学力で行ける範囲でなるべくいいところに行ったほうがいいと僕は思うが、人との縁も大切だ。僕の名前が出ることに少々照れくさくもあるが、そう言うならば尊重しよう。 「少しは喜んだらー?」 「はいはい、ありがとう」 丁度いい位置にあるアリシアの頭を撫でる。どこかふわふわしてる髪の毛の手触りはやたらと良い。そしてその感触に、むふー、とアリシアはご満悦の様子である。 普通、他人に頭触られるのなんて嫌がるもんだと思うのだが、アリシアは小学校の頃からこう言うスキンシップが好きな奴だ。 「お待たせしましたー」 「おー、来た来た。良さん、またあとでね」 注文した品が届き、アリシアがテーブルの資料類を片付ける。 「ん〜〜、やっぱりここのシュークリームは美味しい〜〜」 パクリ、とアリシアが一口食べ、世にも幸せそうな顔になる。僕も、追加で届いたチーズケーキを攻略にかかり…… 「あれ、どうしたのさっちゃん、ゆーちゃん? 食べないの?」 はっ、とした二人は、何故か慌ててフォークを手に取る。……なんだろう、ぼーっとして。勉強疲れか? (……ねえ、アリシアちゃんとつっちー先生って) (いや、まさか……。でも、確かに、ちょっと仲良すぎな気が……) (まさかアリシアちゃんに先を越されるとは) (でも、つっちー先生か〜。アリシアちゃん、おじさん趣味?) (って、今、つっちー先生って何歳? 見た目若いけど……二十五くらい?) (いや、それがさ……もうすぐ四十なんだとか……) (嘘!?) ひそひそ話をしている二人だが、なんか聞こえてしまった。 「ん? なーに、良さん」 「なんでもない」 シュークリームに夢中なアリシアは気付かなかった模様。 はて……と、今までの行動を思い返すと、確かに先程までのやりとりは、誰かに見られたらあらぬ誤解を受けかねないすごく危うい行為だったことに気がついた。 うーむ。アリシアって基本的に仲良い人にくっつきたがるんで、こんくらい普段からよくやってることなんだけどなあ。しかし、アリシアとこんな感じでじゃれるのは大体がT&Hエレメンツの面々と一緒の時で、そん時はみんな笑って流すからまったく意識してなかった。 ……いや、うん。これはちょっと失敗したか。。 「伊藤、宮田。誤解してるみたいだけど、そういう関係じゃないから気にしないでくれ」 と、内緒話をしていた二人に話す。 「あ、はい」 「あはは、そうですよねー」 愛想笑いで誤魔化す二人。 アリシアは一人ハテナ顔だったが、しかしアリシアがその辺を察して距離を取られても寂しいので、僕も笑って誤魔化しておいた。 ……いや、考えてみると、別にさっきの話を聞いてもアリシアが態度を変えるとは思えんな。余計な心配だったか。 さて、海聖高校では、受験生向けに本来の授業後の補習を秋から実施している。 受験対策ということで、補習とは言っても基本は各自が持ち込んだ参考書を元に勉強する形となる。図書館や家でやるのと変わらないと思うかもしれないが、各教科担当の教師が付くため、わからないところはすぐに質問できるし、程々の緊張感で勉強も捗る。また、時間があれば各生徒向けのミニ授業も実施する。 これの担当教師は学年に関係なく、持ち回りでやるので僕も参加するのだが、 「アリシア。お前毎回参加してるらしいな。塾とか行かないのか?」 「えー、だって月謝がもったいないし。夏はまあ、こんな感じの補習がなかったし、全国模試とか受けられたしで予備校行ったけど」 「……ま、成績上げてるみたいだから心配してないけどさ」 僕の担当の補修後。参加したアリシアと共にT&Hに向かう。 僕は普通に遊びに、アリシアは今は流石に手伝いはさせてもらえていないが、やっぱり様子が気になるのだという。 「あ、そうだ。良さん。今日教えてもらった例文なんだけどさ」 「うん? なんだ」 和訳の問題について、アリシアの質問に答える。 アリシアは見た目と名前通り外国人で、英語も話せることは話せる。しかし、もうずっと日本暮らしで錆び付いており、また日本のお受験の回答は普段使いの言葉とは幾分違っているために、他の生徒と同じように苦労しているようだ。 しかし、今は夕方。人通りも多く、低い位置にいるアリシアの声は聞こえにくい。問題の箇所を聞いてくるアリシアの声をよく聞くために耳を近付ける。 「え? もう一回頼む。車の音がうるさくて聞こえん」 「だからー」 アリシアが手の平で輪を作り、僕の耳に向けて話しかける。なんとか聞き取れたので、答えと考え方のコツを教えてあげた。 「ふんふん……なるほど」 「そこ、よく詰まる所だけど、出題率も高いから抑えておいて損はないぞ」 「後、いくつか聞きたいのがあるんだけど」 と、話しているうちにT&Hに辿り着く。 「あー、また後でな。ていうか、明日別の先生に聞けばいいんじゃないか?」 「えー、気になって眠れないよ!」 また大げさな。 「あー、じゃあ僕、今日ここで夕飯済ませるつもりだったから。ちょっと早いけど先に飯にして、フードコートで少し教えてやるよ」 「あ、やた。言ってみるもんだねぇ」 「この。業務時間外に教えてやるんだから、もうちょっと感謝しろー」 「へへー」 僕が小突く振りをすると、大仰にアリシアがお辞儀をする。うむ、と僕は鷹揚に頷いた。 「あ、今日は確かカレー大盛り無料フェアやってるよ」 「知ってるよ。僕がどんだけここ通ってると思ってるんだ」 T&Hのフードコートでは毎週金曜はカレーの日なのだ。 「そっか。ていうか良さん、ここでご飯済ませるの、最近多くない?」 「あー、若いころみたいに外食し過ぎて懐が痛むってことがなくなってきたからなあ」 一応、お給料も上がっていて相変わらず独身なので、まあまあ貯金は余ってる。 「もう、栄養偏るよ。私が作りに行ってあげよっか?」 「アリシアって料理出来たっけ?」 「出来るよー。小さい頃からリニスの手伝いもしてるもん」 まあ機会があったらなー、と返事をしておく。 そうしてフードコートに上がり、予定通りカレーの大盛りに半熟卵をトッピングし、サイドのサラダも購入してテーブルに陣取る。 対面に座るアリシアは、ジュース片手に参考書を広げていた。 「良さん、ここは?」 「ん、そこは……」 んぐ、とカレーを飲み込んで回答を導くヒントを上げる。すぐにアリシアは『あっ』と別の本を捲り、うん、と納得したように頷いた。 「あら?」 そ、そんな風にちょっとお行儀の悪い講義をしていると、ふと知った顔がフードコートに現れた。 その人はアリシアを見つけるなり、小走りにこちらにやって来るた。 「あ、ママ。ただいま」 「おかえり〜、アリシアー」 アリシアの母親のプレシアさんだ。アリシアに軽くハグをして頬を寄せる。 この人、昔っからこうだ。娘大好き、娘命な人で、海外の人らしく多少オーバーにそれを表す癖がある。 もう付き合いも長く、僕も慣れっこだが。 そうしてひとしきりアリシアを構うと、すっくと立ち上がりキリッとした顔で僕に挨拶をしてくれた。 「こんにちは、土樹さん。アリシアに勉強を教えていただいているんですか?」 「こんにちは、プレシアさん。ええ、まあそんなところです。少しわからないところがあるらしくて」 こうして挨拶してくれるところだけ見ると、出来る女性という感じなのだが……ギャップがヒデェ。 「あ、そうだ。良さん、この後ついでに数学も教えてもらっていい?」 「いや、一応わかるけどな。英語教師に聞くなよ」 学生時代の塾のバイトでは一通りの教科教えていたし、今もまあ多少なりとも教科書に目を通すくらいはしている。本当に難しいところは無理だが、通り一遍なら教えられた。 「あはは、ありがと」 「……教えるとは言ってないのに。ああ、わかったよ。ちょっとだけな。ブレイブデュエルやってくつもりなんだから」 「あ、少しくらいなら私も一緒にやりたい。タッグ戦やろー」 右腕を掲げるアリシアに、はいはい、と適当に相槌を打つ。まあ、そのくらいの息抜きはいいか。 僕が頷くことはわかっていたようで、アリシアはニヤッと笑う。僕も同じように返した。 ……あ、でも親の前で勉強サボり発言は……と、プレシアさんに視線をやると、 「………………」 「あれ、どうしましたプレシアさん」 なにやらプレシアさんが僕とアリシアをじーっと見ていた。 はて……なんだろう。 「あ、いえ、なんでもないわ プレシアさんは僕を見て言い淀み、言葉を切った。 訳がわからん。 「あれ、アリシアちゃんと良也さんだ」 と、また顔見知り。T&Hエレメンツのメンバーだ。散々対戦をやってきた後なのか、みんな少し汗をかいているものの、充実した疲労を見せている。 「じゃ、私は仕事に戻るわ。勉強、頑張ってね」 「うん!」 プレシアさんが名残惜しそうに席を離れ、T&Hエレメンツとすれ違いざまフェイトにハグして去って行く。娘分を補給して元気百倍という感じだった。 「アリシアちゃん、お勉強?」 「まあね。なのは達は対戦?」 「うん。今日も沢山の人が挑戦してきてくれて楽しかったよ」 「私も頑張ったよ」 「なのはもフェイトもいいなあ。私も早く受験終わらせて暴れたい〜!」 ここ最近の受験勉強であまりプレイしていないアリシアが唸る。 ……ふむ、いまのうちに滞りがちだったカレーの攻略を進めるか。 「土樹先生、またカレー食べてる」 「良也さん、それ好きですね」 小学生の頃と比べて色々とおっきくなったバニングスとすずかちゃんが呆れたように言う。その成長を少しはアリシアに分けてやって欲しい。 「……いいじゃないか、ここのカレーは美味しいんだから」 「いいけどね。でも、アリシアと一緒?」 「今日、補習で教えてな。僕も今日は対戦してくつもりだったから、一緒に来た。んで、勉強教えてくれってせがまれて」 予期せぬ残業というところである。 「あはは……。でも、良也さん、いいんですか?」 すずかちゃんが主語なしで聞いてくる。 ……あー、まあ、言いたいことはわからんでもないが、 「いいも悪いも、就業時間外だろうと、教師が生徒に勉強を教えることにやましいことがあるわけないじゃないか」 「へえ」 バニングスが僕の返事にニマニマと笑う。 「……言いたいことがあるなら言ってみろ、バニングス」 「べっつにー」 くそう、なにかからかわれている気がする。 「でも、アリシアちゃんもお受験かあ。私も再来年は頑張らないと」 「あ、なのはちゃん。別に今から頑張っても全然早くないぞ。今からなら偏差値もだいぶ上げられるだろうし。一緒に勉強してくか?」 「う゛……ええと、それはまた今度でー」 まあ、まだまだ遊びのほうが優先か。とは言っても、成績優秀だし。 「ちょっとー、良さん。なのはに浮気ー?」 「……なにが浮気なんだろうか」 言いがかりも甚だしい。 「ほら、次この問題ー」 「ええい、自分で考えてから聞け」 なのはちゃんに水を向けたことに拗ねたのか、アリシアが参考書の適当な問題を出して聞いてくる。でも、最初から答えを教えても身にならないので、僕はきっぱり断ってカレーを貪った。 「ほら、食ったらタッグ戦やるんだろ? ちゃっちゃとやれって」 「うー、わかった」 そのやりとりに、なのはちゃんたちもクスクスと笑う。 ……さて、困ったもんだ。 結局、僕とアリシアとタッグへの対戦希望が多すぎて、ほんの数戦して切り上げるつもりが、十回以上対戦することになってしまった。 世界大会優勝チームの一員であるアリシアは知名度も人気も凄いし、一応個人戦なら世界ランキング百位内に入ってる僕も知っている人にはそこそこ知られている。 次から次へとやって来るチャレンジ精神旺盛なデュエリストたちを、アリシアと共に片っ端から叩きのめした。……んで、最後になのはちゃんとフェイトがエントリーしてきて、N&Fコンビネーションで吹っ飛ばされた。 「あはは! 楽しかったー!」 「というか、あの二人は反則だろ……」 現在、勝ち抜き戦と言わんばかりに僕らの代わりに残ったなのはちゃんとフェイトのコンビが、並み居るデュエリスト相手に無双している。 個人の世界ランキング十位内かつ、コンビ戦なら最強の呼び声も高い二人だ。相手のデュエリストランクに応じてハンデのリミッターもかけているのだが、それでもちっとも負ける感じがしない。 負けはしたものの、勝負の熱が収まらない僕とアリシアは、観客席に陣取って続く対戦を観戦していた。 「……しかし、アリシア」 「んー?」 「フェイトの真・ソニックフォーム。姉として衣装変更を勧めてやってくれないか?」 ブレイブデュエルの対戦の様子を写している大型モニターでは、殆ど目に止まらないようなスピードで戦場を縦横無尽に飛び回るフェイトの姿がある。 なお、今の対戦者はかなり強く、フェイトは高速戦特化形態の真・ソニックフォームに換装しているのだが、 「……正直、そろそろ目のやり場に困るぞ」 換装後の衣装というのが、レオタードに近い黒い衣装とニーハイソックス、金属製の篭手と靴、というなんとも扇情的なものなのだ。体のラインは丸出しだわ、レオタードの切れ込みが深くて太ももどころか腰まで露出しているわで、もう身体的には大人になっているフェイトがアレだと、良からぬ妄想をする輩が出ないとも限らな……いや、多分出てる。 真の付かない頃のソニックフォームはよかったんだ。……いや、衣装の過激さは今と大差ないけど、フェイトが子供だったし。 「良さ〜ん?」 「な、なんだよ」 「うちのフェイトを変な目で見る悪い目玉はこれか、これか〜〜!」 手の平で顔面を抑えられて、視界を遮られる。って、うお、寄りかかってくんな! 「ええい、やめれ! 僕が変な目で見ているわけじゃないって!」 「ほんと〜?」 疑わしそうにジト目でこちらを見てくるアリシア。 「……あのな。僕が何年高校の先生やってると思ってんだ。いくら成長してても、高校生相手に変なことは考えないっての」 いや、教師が淫行で逮捕されるニュースが連日流される今日このごろ、世間様への説得力はないかもしれんが、そういう輩と一緒にされても困る。 「まあそっか。良さん、そういう目で私達見たことないしね」 「よーわかるな」 「そりゃわかるよ。女の子だもん」 そういうもんか。……そういうもんかな。 まあ、普通ならいくら慣れても、男が若い女の子相手に邪なことを一切、まるっきり、ちっとも考えないというのは不可能だろうが……彼女達に関しては昔から交友があるため、特にブレーキが掛かるのだ。赤ちゃんの頃から知ってるなのはちゃんとすずかちゃんなんかはもう、憚りながら父性愛的なものしかない。 まあそれも、いつまで続くやら。みんな大人になりつつあるしなあ。僕って、体に引っ張られて感性が若いままだし。 っと、ああ。折角衣装の話が出たんだし、あのことも言っとこう。 「ついでにアリシアも。バニーコスはいい加減自重するように」 「えー?」 「えー、じゃありません。女の子だって言うなら、あんまり無闇に肌を見せないの」 古風な考えかもしれんが、前々からアリシアが司会をするときに着るバニー衣装には物申したかったのだ。 どーもテスタロッサ家の皆さんはその辺無頓着で困る。母親のプレシアさんからして、デュエル時の衣装は色々とほっぽり出しているからな…… 「うーん。ま、いっか。今は司会休止中だし、復帰する時、新しい衣装作ってもらおっと」 「そうしろそうしろ」 「じゃ、良さん。どんな衣装がいい?」 は? 「何故僕に聞く」 「常連客の意見は大切だよー」 いや、確かに常連も常連。開店以来、顔を出さなさい週はなかったと思うが。 「あー、アリシアはなに着ても可愛いから、別に何でもいいんじゃないか」 「良さん、今面倒臭いって思ったでしょ?」 「……僕に服のことなんぞ聞くんじゃない」 そっちは完全に門外漢である。 「普段着る服じゃなくて、お店の司会用の衣装なんだから。そういうのなら、色々と良さんも思いつくんじゃない? ほら、良さんの好きなアニメのやつとか」 「じゃ、僕メイド派だからそれで」 「メイド服? ご主人様ー、とか呼ばれたいの?」 ……やっべ、今のご主人様発言、誰かに聞かれてないだろうな。聞かれていたら、僕の教師生命がジ・エンドなんだが。 大丈夫か。みんな観戦に夢中だ。 「ま、まあ、その話はまた今度な」 「あ、じゃあ復帰する時お願い。衣装のカタログとか用意しとくよ」 ……社交辞令の『また今度』発言を滅茶苦茶本気で取られてしまった。 「ま、いっか」 復帰、というと、多分アリシアの進路が確定してから。来年の春、か。……ちょっと、楽しみにしておこう。 秋が過ぎ、冬が来て。 海鳴大学の経営学部に推薦枠で受験したアリシアは、大方の予想通り危なげなく一足先に合格を勝ち取った。 それでも、他の同級生が頑張っている中、一人遊ぶ気にはなれなかったらしく、きっと将来も役立つだろうと外国語の勉強に力を入れていた。ブレイブデュエルの海外対戦の時も役立つし。 「……んで、なんで僕が教えてんだ」 「良さんは色んな国の言語喋れるって、すずかに聞いて」 「駅前留学にでも行けよっ」 「だって、タダだし」 この時期になると三年生は自由登校となっており、アリシアのように推薦やAO試験で一足早く合格を決めた生徒は基本的に学校には来ない。 少し寂しい物を感じつつ、帰りにT&Hに寄ってみると、フードコートの空きテーブルでドイツ語のテキストを開いているアリシアがいたのだ。そして、なし崩し的に教えることになった。 「というか、流石にこれは教師の仕事範囲外だぞ……」 「じゃあ、なにか払おうか」 「生徒に金もらうわけにはいかんだろ」 まあ別に、僕としても教えるのは全然構わない。アリシアと一緒にいるのは楽しいし。勿論、金など差し出されても突っ返すつもりだ。 ただ、こうして一つ文句くらいは言っておかないとなあ、という、どーでもいい反論なのだ。多分、っていうか間違いなくアリシアも、僕がそう思ってることはわかってる。 「別にお金じゃなくても。例えば、なにかして欲しいこととか」 「して欲しいことねえ」 ……………… 「ないな」 「ないの?」 「ないない。今、して欲しいことはない」 いやホント。 「今はないの? じゃ、思いついたら言ってね」 「思いついたらなー」 さて……テキストで勉強もいいけど、ドイツ語覚えるんだったら、ドイツ映画を見るのもいいかもしれない。 適当に借りて見てみるよう勧めてみるか。 「そういえば良さん、もうすぐ卒業式だねえ」 「あー、そうだな」 もう後一ヶ月もしないうちに、海聖高校では卒業式が行われる予定だ。来週、国公立の前期試験が終わった後に予行演習もある。 「なんだかんだで、三年間……じゃないか。小学校の頃から色々お世話してもらってありがと」 「なんだよ、また改まって。海鳴大なら引っ越すわけでもないし、まだまだ顔突き合わせることもあるだろ?」 「そうなんだけどさ。まあ、けじめっていうか。……うーん、高校も卒業だし、これからは良さんに一方的にお世話になるだけっていうのは卒業かなあ、って」 「おい」 僕は、トントン、とドイツ語のテキストを叩く。 「まだ卒業してないもん」 「こやつめ、ハハハ」 まあ、言わんとすることは分かった。 大学生なんて世間からするとまだまだ子供ではあるが、ある一つの節目ではある。高校とは比べ物にならないくらい規則は緩く、つまりある程度自分の責任で行動出来るようになる。 「ふーん。そういうことなら、僕もアリシアをまるきり子供扱いするのをやめるべき、かな」 「そうだよ」 「そっか」 なんとなく視線を絡ませる。 なにかを訴えるようなアリシアの目は……うん、まあ……多分、そういうことなんだろうなあ、と気付いてはいた。 「……ああ、そうだ。この後、またタッグ戦やるか」 「あ、いいよ」 そういうことで、着々と、近付きつつある日を予感しながら、その日の話は終わった。 三月一日。春の訪れを感じさせる穏やかな陽気の日。 アリシア達三年生は、無事卒業式の日を迎えることが出来た。 今年度は、三年生は全員、この時期に無事に進路が決まっている。国公立の後期試験を受ける生徒もいるが、滑り止めの大学は受かっているそうなので、教師一同胸を撫で下ろしていた。 卒業式では、明日以降の生活への不安と希望、そして高校を離れることの寂寥に溢れる生徒の顔が見れて、僕としても感慨深い。 僕もそれなりのキャリアになってきたが、何度やっても卒業式はいいものだ。 そうして、式は無事に終了し。 職員室の窓からグラウンドで友達と思い思いに話している卒業生を眺めていると、ふと携帯が振動した。 メールだ。開いてみると、アリシアから。 絵文字で飾られているが、要は『裏庭に来てね』というのが用件。 呼び出されるかも、という予感はしていたが……メールかよ。風情がねえ。それとも、紙の手紙はもはや……というか、とっくに時代遅れなのだろうか。 まあ、今日は二年担当の僕は式典に参加するためだけに来たので、もう仕事も終わりである。鞄を持って、卒業生に囲まれている三年の先生方に『お疲れ様です』と挨拶をして職員室を出た。 靴を履き、校舎を一旦出てから裏側に回り込む。 海聖の裏庭は、実はちょっと狭い。表側を広く取っているため、こっちにあるのは用務員さんの使う倉庫くらいなのだ。 んで、そんな場所だから人気はない。……一人を除いて。 「やっほ、良さん。来てくれてありがと」 「おーう」 一人佇んでいたアリシアに、ひらひらと手を振る。 しかし、学校では一応『つっちー先生』と呼ぶのに、外での呼び方ってことは……まあ、今更か。 「早かったけど、お仕事は大丈夫だった?」 「平気。今日、僕は特にやることなかったからな」 そうなんだ、とアリシアは頷く。 「そっちこそ、プレシアさんは?」 「今、別のママ友さんとお話中。ちょっと言って抜け出してきた」 そ、そうなのか。まあ、あのプレシアさんが、娘の卒業式に参加しないわけがないと思っていたが。 ……プレシアさんもバッチリ把握してね? この状況。 「ま、あまり時間かけるのもなんだし」 ててて、とアリシアが近付いて来る。 「良さん」 で、くいくい、と指を振って呼ばれた。 「んー?」 顔を近付ける。 と、アリシアは飛びつくように僕の首に手を回し、 「ん!」 触れるだけのキスをしてきた。近付いた顔は見慣れたもののはずだったのに、僕が見たことないほど女の子だった。 ……………………はあ。 「アリシア」 「え? なに?」 こいつ、あっけらかんと。 「……せめて、校門出てからにしてくれ。僕の教師人生が終わる」 「だから、ちゃんと人目に付かないところにしたじゃない。外の方が見られる可能性高いと思うけど」 「そうだけどさ。大体、今日じゃないと駄目だった?」 「駄目ー。私、こう見えてもせっかちなんだから」 こう見えても……って、見たまんまな気がするが。 「あ……それとも、嫌だった?」 しおらしく聞いてるけど、これは僕の返事など予想がついてるって顔だ。 ……まあ、なんとなくわかってた。 アリシアが高校に上がったくらいから『あれ?』と思い始めて。二年生でアリシアの担任をした時にほぼ確信に至った。 で、三年になってから、段々態度があからさまになってきて……まあ、卒業まで待ったのはアリシアにしては上出来だろう。 んで、恐らく、僕が気付いていることをアリシアも気付いていた。距離を確かめるように、この三年間、徐々に外堀を埋められてきた感がある。 「……ま、これからよろしく」 「うんっ!」 満面の笑顔。 いつも笑顔のこの子は、側にいて楽しくて。 ――まあ、ちょっとどころじゃなく不安があるが、隣にいてくれるなら、それはとても嬉しいことだった。 |
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