それは、月村家で諸々を話した次の日のこと。 昼下がり、客足の鈍る時間帯を狙って翠屋にやって来た僕は、休憩に入ろうとした高町さんを捕まえて、昨日のことを相談していた。 いや、一人で悩んでいてもドツボに嵌りそうだったのだ。耕介という手段もあったが、ここは高町さんの方が適任だ。恭也が月村家に婿入りしたから、高町さんにとって義理の娘と言えなくもないし。 「……なんだ、深刻な顔で『相談があるんですけど』なんて言うから何事かと思ったら」 「なんだとはなんですか。僕、すげぇ真剣に悩んでいるんですよ」 一体、僕とすずかちゃんの間にどれほどの歳の差があると思っているのか。 僕、あの子との接し方間違えてしまったかなあ、と悩んでいる僕に対し、高町さんのこの言いようときたら! 「と、言ってもな。すずかちゃんも、もう高校生だ。分別の付く歳だし、それでも言うんだから真剣な気持ちなんだろう?」 「いや、別にそこを疑っているわけじゃ……。じゃあ、高町さん。例えばなのはちゃんが同じようなことになったらどう思いますか?」 「うーん……」 流石に高町さんも難しい顔になる。 「彼氏ができたら素直に祝福するつもりだったが、相手がお前か」 「そうです」 手塩にかけ育てた娘が、こんなOSSANと付き合うなど、家族としては認めがたいことではないだろうか。 認めないどころか押せ押せな恭也と忍の若夫婦に説教の一つでもくれてやって欲しい。 「……確かにちょっと複雑だが。しかし、それでも自分の子供の決めたことなら、尊重してやりたいかな」 「ちょっと!?」 忍といい恭也といい高町さんといい、なんだこのおおらかさは!? 変なのは僕なのか!? 「しかし、確かに寿命的に、一緒にいられる時間が少ないってのはあるな。……いや、俺も孫が出来たし、最近そういうのが気になってきてな」 「あ、いや。それは置いといてくれません?」 そこを争点にされると、僕はすごく困る。 不老不死というのも、意外と厄介だな……まさかこんなことで実感することになるとは思わなんだが。 「こう、もっと社会的なー、とか。ほら、僕教師で、すずかちゃん教え子だし」 「少女漫画やドラマでもよくあるじゃないか」 「アンタその顔で少女漫画なんて読んでんのか」 「か、顔は関係ないだろ。暇な時、なのはのを少し読んでるだけだ」 ていうか、それはフィクションだから許されるんであって、現実でやったら社会的に死ぬよ! 「というかお前、問題なのは年齢差だけか」 「そりゃそうでしょ……もし僕が高校生か、大学生当時なら諸手を上げて喜んでましたよ」 幻想郷の、美少女(失笑)な連中とは違う、正統派の女の子。 そんな子と付き合う機会があれば、当時の僕なら三顧の礼を持って迎えていたに違いない。 が、現実として僕は既にいい年こいた大人であり……間違っても、はい喜んで―、と受け入れる訳にはいかない。 「まあでも、実のところ、そんなに心配はしていないですけどね。……もう少し成長すれば、もっといい男見つけるでしょ。それまで、少し距離を置けばいいかな、と」 高町さんと話していて、少し冷静さを取り戻せた。 ……うん、そうだ。元々そうするつもりだったじゃないか。とりあえず、成人するまでは、ということですずかちゃんも納得してくれたし、その頃には僕のことなんて忘れてるに違いない。 と、そういう極めて常識的なことを言った僕に、高町さんが複雑な表情になる。 「なんだ。……まあ俺は第三者だし、あまりお前の方針に口出しする気はないが」 「はい?」 「あの年頃の女の子を、あまり舐めないほうがいいぞ」 なんか、物凄く実感の篭った声だった。 「な、なんですか、一体」 「美沙斗や美由希、なのはのことを見てきた俺が言うんだ。間違いないぞ」 なのはちゃんはともかく、前者二人は例外中の例外だろ。高校生時点で実戦覚悟完了な剣術家と、普通の女子高生を一緒にしないで欲しい。 とか考えていると、翠屋のドアベルが軽やかに鳴る。 客か。と何気なく見ると、 「あれ、なのはちゃん。いらっしゃい。お友達と?」 「はい。速水さん、席あります?」 「大丈夫大丈夫。ちょっと待ってねー」 アルバイトの顔見知りとにこやかに挨拶するあの子は、紛うことなき翠屋の跡継ぎ。 ――そして、その後ろには当然のようにT&Hエレメンツのメンバーが!? 「あれ? 良也さん」 即座に隠れようとした僕に、店に入ったすずかちゃんが速攻で気付く。 ……おかしい。僕と高町さんの座っている席は、店の端の方だぞ。なんでノータイムで見つけられるんだ。 『俺、そろそろ仕事に戻らないと。ゆっくりしていけよ』 ……そんな血も涙もない言葉を残して、高町さんは去ってしまった。 帰ろうにも、残念なことにまだポットの紅茶は半分残ってるし、シュークリーム二つとショートケーキも余ってる。流石にこれをそのままにして帰るのは逃亡した感バリバリだし、食べ物を粗末にするのは僕の主義に反する。 「……で、あの。他にも空いてる席はあるんだけど、なんでここに座るんだ、お前ら」 「まあまあ、いいじゃない、土樹先生」 「そうそう。良さん、固い事言わない」 んで、僕の座っていたテーブル席に強引にやって来た連中に向けて文句を言うと、中学時代から髪の毛を肩の辺りで切り揃えたバニングスと、小学生時代から容姿がちっとも変わらないアリシアがニヤニヤ笑いながらなだめてきた。 「にゃはは……ごめんね、良也さん」 これまた中学時代から髪型をサイドポニーに変えたなのはちゃんも笑っている。 ……しかし、すずかちゃんを僕の隣に座らせたのは、なにかの意図が感じられて仕方がない。 「それで」 ぐい、と対面に座ったバニングスが、声を潜めて話しかけてくる。 「すずか。土樹先生に告白して、結果はどうだったの?」 こいつら、薄々気付いていたが、すずかちゃんと僕とのこと、バッチリ知っているらしい。 しかし、それを僕の目の前で聞く辺り、いい根性してんな…… 「うーん、うまくいったのは半分、かな」 『おおー』 ハモんな。 「なになに、どーゆーこと?」 「ど、どこまでいったの……?」 アリシアとフェイトの姉妹が興味津々に尋ねている。 「あのね……」 「……そういうことは、ちゃんと学校卒業して、成人してから考える、って言ったんだよ」 すずかちゃんにこのまま話させたら、こう……なんというのか、嘘は言わないだろうが、解釈の余地のある言い方をしそうだったので、僕はすずかちゃんの言葉を遮ってきっぱりと言った。 「えー」 「えー、じゃないよ。バニングス」 あからさまな不満の声を上げるバニングスに、僕は冷めかけている紅茶を一口飲んで言った。 「なんか、これ色んな人に何度も言ってる気がするけど……僕は教師で、お前らは生徒。そんで、確かに僕は若く見られるけど、二十以上年離れてんだぞ」 「愛があれば歳の差なんて!」 「それが通用するのは、せめて成人してからだ」 アリシアの主張に駄目出しをする。 「もう、土樹先生ったら。固いわねえ。すずか、大変よこれ」 「うん。でも、諦める気はないから」 「昔から好きだって言ってたもんねえ。ま、あたし達は応援してるから、がんばんなさいよ」 昔から知ってんのかい。 はあ……ホント、最近の若い子の考えることはわからん。 「すずか。こう、アタックよ、アタック。抉り込むように」 「煽るなよ……言っとくけど、学校内では本当にやめてくれよ? クビになるから」 実を言うと、休みの日でも特定の女生徒と仲良くしているところを見られると、少し厄介なことになるのだが、まあそれは今更である。昔はブレイブデュエルの遠征の引率とかしてたし。 しかし、校内は本当にヤバい。バニングスとアリシアに自重は期待できないし、フェイトはこれでむっつりだからこれまた制止はしてくれないだろう。すずかちゃん本人も、大人しそうに見えて意外とアグレッシブだし…… 「……なのはちゃん、ストッパー役任せた」 「ええ!?」 無茶振りに、なのはちゃんが驚く。 「大丈夫ですよ。別に、学校ではなにもしませんし。良也さんの立場を悪くしたいわけじゃないですから」 「うん、そうなんだけどね。火のないところに煙は立たないっていうか……」 すずかちゃんの言葉を信じる他ないのだが、しかし、例え悪気がなくても、女子校というのはそういうのを嗅ぎつけるのが上手い奴が無駄にいるからなあ。 ……すずかちゃんの卒業まで、僕職場にいられるんだろうか。 とまあ、そんな懸念は幸いな事に杞憂だったようで。 海聖高等学校での教師生活は、穏やかに過ぎていった。 「はあ……しっかし、ラノベも増えてきたな、この学校」 搬入された新刊を前に、僕は溜息をつく。 図書委員会を任されている僕は、各クラスから集った図書委員たちと一緒に、今月の新刊の整理をしていた。 学校の図書室なのだから、大半は真面目な本なのだが、ライトノベルの割合が一定以上あるのはいかがなものなのだろうか。 「仕方ありませんよ。みんなからのリクエストが圧倒的ですし」 「そうだけどさあ」 図書委員の一人……すずかちゃんが、苦笑しながらアンケートボックスを指差す。 実際、ラノベを入れ始めてから図書室の利用率が相当上がったそうなので、一概に否定はできない。国語の先生は、とりあえず沢山の文章に慣れるのは悪いことじゃない、とも言っていたし。 「……やっぱり納得いかない。僕が高校生の頃にこんなんがあったら、図書室に通いつめてたぞ」 「もう、土樹先生ったら」 クスクスと、すずかちゃんが上品な笑い声を上げ、つられて他の委員達も笑う。 「ま、さっさとやっちゃうか。みんなも早く帰りたいだろうし」 『はーい』 うちの学校は、書籍に割り振られる予算が多い。 月一での新刊の整理作業は、それなりの仕事だった。 まあでも、全員ではないとはいえ、図書委員も十人以上いる。カウンターの当番以外の全員でかかれば、一時間くらいだ。 ラベルを貼り、ICタグを付け、図書室のデータベースに登録し、ジャンル別五十音別に書架に並べる。 「終わり、っと。みんなお疲れ様」 最後の本を本棚に収めて、みんなにねぎらいの声をかける。 「土樹先生、新刊借りていきますねー」 「いいけど、期限はちゃんと守れよ。新刊は、二日以内」 「わかってますって」 図書委員の特権として、新刊をすぐに借りていけることが挙げられる。 生徒の一人が貸出カードを取り出すと、我も我もと図書委員が新刊を手に取る。なんだかんだで、やはり本好きが集まっているのだ。 「あー、っと。カウンター当番の二人も、今日はもう帰っていいぞ。早く本読みたいだろ?」 「いいんですか?」 「残りの受付と戸締まりは僕がやっとくから」 貸出の受付をしながらも、ちゃっかりと自分たちが借りる分の新刊を確保していた二人に笑いかけて、僕はカウンターに回る。 まあ、生徒の持ってるカード番号と本の番号をパソコンに登録するだけの簡単な仕事だ。もう放課後も遅いし、大した仕事はないだろう。 「じゃ、お願いします。月村さん、帰ろ」 すずかちゃんのクラスメイトの一人が彼女を誘うが、すずかちゃんはゆっくりと首を振った。 「ごめんね、赤木さん。私、こっちの本もちょっと読みたいから、土樹先生と一緒にちょっと残ろうかなって」 「そっか。それじゃ、また明日ねー」 誘いを断られた女生徒は、その言葉になんの疑念も抱かずに手を振って図書室を出て行く。 他の図書委員も、借りた本を読むためか、急ぎ足で下校していった。 ……そうして、図書室には二人だけが残される。 一応、今日も図書室は開放されているのだが、図書委員がバタバタ作業している中、長居する生徒もおらず、図書室はしんと静まり返っていた。 「それじゃ、月村――」 「はい、『良也さん』。カウンター入りましょうか」 「……はいよ、了解。すずかちゃん」 二人っきりになったと同時に、気安い呼び方に変えたすずかちゃんが、笑顔でそう話しかけてくる。 僕は、仕方ないなあ、という気持ちになりながら、図書室のカウンターに腰を下ろした。 「なに読んでるんだ?」 「小説です。ドイツの」 「……原書じゃん。んなもんも入荷してたんだ」 「選択授業の第二外国語でドイツ語選んでる人も多いですから」 「すずかちゃんはトライリンガルだっけ」 月村家とその親族一同のルーツは、欧州の、現在で言うドイツ周辺にあるそうな。 そのため、すずかちゃんだけでなく、忍や綺堂さんもドイツ語と、ついでに英語が話せる。 「はい。里帰りしたときくらいしか使わないから、だいぶ錆びついちゃってますけど」 「小説読めるくらいなんだろ? 充分だって」 「そういう良也さんは、何か国語いけるんでしたっけ?」 辞書片手に色んな魔導書を翻訳してきたから、何気に僕は言語については色んなのを齧ってる。 流石に歴史上の全ての言語を網羅しているんじゃないかと思われるパチュリーほどではないが…… えーと、英語は勿論オーケー。大学の時の授業でやったので、すずかちゃんと同じくドイツ語も片言はイケる。後、話す方は自信が全然ないが、中国語――つーか漢文とラテン語と古ギリシャ語と神代文字は魔法使いの教養としてまあ一応。 「……ちゃんと出来るのは、日本語合わせて五つか、六つくらいかな。話すのは全然だけど」 「へー」 そんな世間話をしていても、いまだ誰も訪れない。 なんとなく、言葉も途切れて、ペラペラとページを捲る音だけが響く。 しかし、やはり幼い頃からの付き合い故か……別に、なにも話さないでいても、特に居心地が悪いというわけではない。むしろ、なんとなく落ち着く。 遠くから、運動部の練習の掛け声が聞こえる。 夕日が図書館を照らし上げ、なんとなく物哀しい雰囲気だ。 本を読む気分でもないので、本を読んでる彼女の横顔をぼけー、と眺めつつ、時間が過ぎていった。 やがて、すずかちゃんはぱたんと本を閉じて、 「誰も来ませんね」 「そうだねえ」 なにも考えずに返事をする。 「良也さん」 「なに?」 図書室のカウンターの下。何気なく垂らしていた僕の手を、すずかちゃんがきゅっと握る。 「……だからなにさ?」 「えへへ」 振り解くのもためらわれて好きにさせていると、すずかちゃんは花開くような笑顔を浮かべる。 ……差し込んだ夕日の光の加減か、一瞬だけドキッとした。 いやいや、待て待て……ドキドキしちゃアカンだろ、僕。このくらいで、子供じゃあるまいし。 んで、結局閉館の時間まで、ずっと手をつなぎっぱなしで、こっ恥ずかしい時間を過ごし。 帰りは流されるままに月村家に招待され、そのまま夕飯までよばれてしまった。 ……ま、まあ、断る理由も特になかったし。も、問題ないよな? 僕が穏やかな教師生活を送れているのは、すずかちゃんがちゃんと周りに人がいない時にしか寄ってこないからだ、などという現実からは、一旦目を逸らしておこう…… また、ある日のこと。 今日も今日とて、割り当てられた月村家の客室の机でファリンの部品の整備をする。 そして、これも結構前から恒例になっているのだが……なぜか、すずかちゃんが、部屋に備えられているベッドに腰掛けて、飽きもせずにこっちを見ているのだった。 ベッドは僕の座っている机の背後にあるから見えないが、超視線を感じる。物理的にバシバシと背中を叩かれている気分だ。 「……あの、すずかちゃん?」 「なんですか?」 振り向くと、パジャマ姿のすずかちゃんが小首を傾げている。 風呂上がりで少し湿った髪の毛が、なんか色っぽい。 ……この子、ここ最近、攻めの姿勢が激しすぎる。 「えーと、その、湯冷めするだろ。部屋に戻って、もう寝たら?」 だがしかし。 僕も自制心を知らない子供ではない。可愛いな、とは普通に思うが、だからって我を忘れて襲いかかったり色香に迷ったりはしない。 極めて紳士的に、そんな提案をした。 「まだ眠くないです。でも、そうですね。じゃ、ちょっと失礼して」 急なお客が来ても良いように、この部屋の布団もノエルさんが定期的に干しているから清潔だ。 ……だからって、男と二人っきりの状態で、ベッドに潜り込んでしまうのはどうなのか。ちょっと奥さん、オタクの娘さん、どうなってんスか。ていうか、マジで忍の仕込みじゃないだろうな、これ。 「はあ……もう。早いところ終わらせるから、ちょっと待ってて」 「はぁい」 これは、このままガンとして動かないつもりだ。 夜更かしはよくないし、僕もとっとと終わらせることにしよう。もう三十分もあれば充分だ。 そうして集中していたのが良かったのか、思いの外作業は早く進み、 「っと、出来た」 最後に布で丁寧に磨いて、全ての工程が完了した。 ふう、と一つ息を吐いて、後ろを振り向く。 「すずかちゃ……」 「……すぅ」 振り向くと、睡魔に勝てなかったのか、ベッドに入ったまますずかちゃんが可愛らしい寝息を立てていた。 はあ、と溜息をついて、僕は立ち上がり、ベッドに近付いた。 「ったく。寝癖付くぞ……」 くしゃ、とすずかちゃんの頭を撫でる。 そうすると、『んん』とくすぐったそうにすずかちゃんは身じろぎをする。 起きる気配はないので、じーっと、彼女のことを見つめた。 「はあ……」 こうして見てるとつくづく思うが……この子も奇特な子である。 こんだけ可愛いんだから、放っておいても引く手数多だろうに、どうして僕なんかに言い寄るかね。 そりゃあ、すずかちゃんの生まれた時からの付き合いだし、慕ってくれているなとは思っていたが、まさかそこに恋愛的なものが混じっているなど、ついぞ気付かなかった。 良く家に来るおじさんとか、そういうポジションだと思っていたのに。 それも、ごっこ遊びの延長などではない。寝間着で部屋に来るなんて、色仕掛けのつもりだろうか。 ……まあ、居眠りしてしまう辺り、可愛らしい策謀だが。 「ん!」 ごろん、とすずかちゃんが寝返りを打ち、布団が捲れる。 パジャマも少しはだけており、このままだと体が冷えてしまう。 「寝相悪いなあ」 微笑ましい気持ちになり、布団をかけ直し、ぽんぽんする。 「おやすみ」 くぁ、と欠伸をしながら、僕は部屋を静かに退室するのだった。 「ちぇ」 なにか声が聞こえた気もするが、空耳だろう。 更にいくらかの時が過ぎて。 ……突然だが、夜の一族には発情期というものがある。 なんで吸血種にんなもんがあるのか、小一時間問い詰めたいが、あるものはあるのだ。 個人差もあるが、人によっては日常生活を送ることすら困難なほど盛ってしまうらしい。 ……忍なんかは割と『重い』方らしく、あいつの発情期の後は恭也が面白いくらいげっそりしてる。子供が生まれてからはマシになったみたいだが。 さて、部外者である僕がそんな時期があることをなぜ知っているのかというと、該当の時期に月村家を訪れないようにするためだ。まあ、たまに周期通り来ない時もあったりしてばったり遭遇し、そんなときはちょっと気まずいのだが、 『これ』は明らかに作為的なものを感じる。 「すずかちゃん……図ったな?」 ぽー、と湯だったような顔で、僕にしなだれかかってくるすずかちゃんに、僕は我ながら引き攣った顔でツッコミを入れた。 場所は月村家のテラス。恭也と忍、その子供である雫ちゃんは、親子水入らずで外食に行っている。 ノエルさんとファリンのメイドコンビは事前に命令でもされたのか姿を一向に見せないし、この屋敷にいる大量のにゃんこ共は遠巻きに見守るばかりで近付いてこない。 『前に約束した通り、お夕飯をご馳走します』 などとすずかちゃんに電話で誘われて、のこのこやって来た僕が悪いのだろうか。なんか電話口の声がいつもと違うことには気付いていたが、スルーしてしまった報いだろうか。 夕飯の席に恭也忍夫妻がいないことにまずはハテナ顔になり、ご飯のあとにテラスでお茶でも、と言われて来てみればこれだ。 つーか、この子、最近本当に突っ走り過ぎ! 「良也さんが悪いんですよ……?」 「な、なにが? 僕が何をしたっていうんだ!?」 ぎゅ、とすずかちゃんが抱きついてきて、首に甘噛みしてくる。あ、ちょっとだけ血吸ってる。 つ、突き飛ばすわけにもいかんし、どうすりゃいいんだ。 そうして硬直していると、すずかちゃんが口を尖らせて、言った。 「なにもしてくれないからです」 「するかい!? 成人まで待つって約束は!?」 「……良也さんの方からなら、セーフですよね」 アウト! それは明確にアウト! ただ、僕も普段ならノーを貫き通す自信があるのだが……発情期の夜の一族の色香は、正直クラクラする。 人間が小癪な手練手管を弄するのとはわけが違う、生態的な誘惑の業。表情も、仕草も、体臭も、なにもかも、男を籠絡するために本能が働かせている。 すずかちゃんは『軽い』方なはずなのだが、これはわざと流されてるな? 「ちょ、すずかちゃん、離れ……」 「嫌です」 ぎゃー!? 割と本気でヤバい! こうなったらちょっと気が咎めるが力尽くで……アカン、すずかちゃんの目が赤くなってる。夜の一族の力を発揮された場合、僕程度の膂力じゃ振り解けん。 し、しかし、こんな状況に安易に流される僕とでも思うたか!? 「? ……なんですか?」 呪文を唱える。 童話の眠り姫でもお馴染み、眠りの魔法だ。 お伽噺のように何年も眠らせるようなものじゃない。つーかむしろ、意志が強い場合、一般人でも抵抗できるような弱い効果しかない。 でも、発情期で思考力の弱まったすずかちゃん相手なら……という目論見は通じたようで、すずかちゃんのまぶたが段々と下がっていく。 「あ……」 僕を抱き締める腕の力も徐々に弱くなっていき、カクンと足から力が抜けたところで体を支えた。 「ふう〜〜」 ふっ、大人を舐めるなよ。 ………………ヤバかった。 「とうとう良也も年貢の納め時か〜、って思ってたのに」 「賭けは俺の勝ちだな、忍」 「ちぇっ。恭也、業突く張り」 「お前ら、賭けんな。止めろ」 「他人の色事は楽しいからねえ。……いいじゃん、別に。気にしてるの、良也だけだよ?」 なんかもう、流されるままになったほうが楽な気がするが……しかし、僕にも譲れない一線があるのだ。 流石にあのアプローチはない。というわけで、後日丁寧に叱りつけた。 「すみません、発情期で、ちょっと判断力が落ちてて……」 あ、これは本当っぽい。 『軽い』とは言っても、それなりに影響はあるらしいし。 「別に、私は構いませんでしたけど」 「……これからは気をつけてくれよ」 付け加えられた一言は聞かなかったことにして、最後に小言を言ってお説教は終わりにすることにする。 ……でも、その言葉にすずかちゃんは困った顔になった。 「その、難しいかもしれません」 「おいおい」 流石に、毎回アレをされると、緋緋色金より硬いと巷で噂の僕の理性にも罅が入りかねんのだが。 ここは更に厳しく言っておかないと…… 「あの、夜の一族の発情期はですね。普通の動物のとは違って……その、感情にすごく左右されて。簡単に言うと、好きな人がいるとすごくなるんです。 良也さんに告白した前後から、その……私もちょっと重めに」 マジですか。 ……つーか、面と向かって言われると、やっぱり恥ずい。 「な、なら。その間はこの家に近付かないように気をつける」 「……学校で会っちゃいます」 「いや、まさか学校でそんな真似はすずかちゃんもしないだろ?」 「そのつもりですけど……その、今回のでわかりましたけど、本当に馬鹿になっちゃうので。自信ないです」 オーノー。 ……一応、発情期を抑える薬なんかも夜の一族にはあるらしいのだが、体の生理的な働きを無理に抑えるのは副作用とかあって良くないらしいし。 「お姉ちゃんも学校で恭也さんと……あ、これは秘密です」 「……あの二人、学生時代なにやってたんだ」 「だから、秘密ですってば」 妹分、弟分の知りたくもない秘密を知ってしまった気がする。真面目な顔して、恭也の奴…… 「で、でも、すずかちゃんは大丈夫だよな?」 「頑張ります」 そこは、頑張らなくても大丈夫にしようよ。 「と、とりあえず、紅茶でもどうですか?」 「……もらう」 誤魔化すようにわらったすずかちゃんが、紅茶をカップに注いでくれる。 ……あんなこともあったが、普段はいい子なんだよなあ。だから、なおさら始末に負えないんだが。 忍の言う通り、年貢の納め時が着々と近付いているような気がしてならない。すぐに他の男を見つけるかと思っていたのに、すずかちゃん一向にそんな気配を見せないし。 と、そんな風に考えて見つめていたせいか、すずかちゃんが何事かと尋ねてくる。 「なんでしょう?」 「なんでもない」 まあ、年貢を納めるのも悪くないか……などと思い始めている時点で、この子の策略に嵌っている気がする。 「すずかちゃんさあ」 「はい」 なんでもない、と言った直後だが、一応、念のため確認しておこう。 「……もう一度念押ししとくけど。僕はもう四十で、教師で、ついでに魔法使いっていう得体の知れない男だぞ。やめといたほうがいいと思うんだけど」 「それだったら私だって、世間様から見たら怪物の、夜の一族ですよ」 こんな可愛い怪物がいてたまるか。 ……いや、ごめん、沢山いたわ。某幻想郷とかに。 「……はあ。頑固だな」 「はい、ちょっと自分でも思います。どうぞ、紅茶です」 差し出されたカップを受け取り、一口飲む。 まあ、きっかけなんてものはなんにもなかったが。……少しだけ決心がついた。 「まあ……前々からの約束通り、やっぱりちゃんと大人になってからだな」 手を伸ばして、頬に触れる。 すずかちゃんがびっくりしたように、顔を硬直させた後、愛おしそうにその手に自分の手を重ねた。 「もう。ちょっとくらい前倒しでもいいじゃないですか」 「夜の一族って、寿命長いんだろ。それから考えれば、少しの間なんだから」 これまた個人差もあるらしいが、百年くらいじゃ老けもしないらしい。 「……だったらなおさらですよ。一緒にいれる時間、短いじゃないですか。良也さん、四十ですよね」 そう言えば、綺堂さんから少しだけ聞いたことがある。 夜の一族でも、人間と恋仲になることは珍しくはないけど、やっぱり寿命については色々とハードルが高いらしい。彼らの寿命からすると一緒にいれる時間は短く、それだけに僅かな逢瀬の時間を大切にするんだとか。 しかし……あれ? 言ってなかったっけ? ……そうだ、そのうちバラして驚かせようって考えて、そのままだった。 「ああ、それなら大丈夫。僕、不老不死だから」 「はい?」 憂いを帯びていたすずかちゃんの表情がぽかんとなる。 「そっかー、そういえば言ってなかったな。ごめんごめん」 「は、いや。え? ちょっと意味がわからなかったんですけど」 「あー、まあ、寿命とか、そこら辺は気にしなくてもいいってこと。僕の同類、千歳超えてるし」 平安時代の人間が、普通に竹林で焼き鳥やってるからなあ。 「……ま、僕は時間は無駄に沢山あるから、焦んなくてもいいよ」 すずかちゃんが急いでいた理由がわかった気がする。 僕はあやすように言って、残りの紅茶を飲み干すのだった。 なお、それ以後もすずかちゃんの攻勢は特に収まったりはしなかった。 「それはそれ、これはこれですよね」 「……いい笑顔だなあ、おい」 彼女の成人のその日まで耐え切った自分を、僕は自分で褒めてやりたい。 |
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