麦酒の大瓶を、目の前でつまみのピーナッツをハムスターみたく食べている小さな女性に向ける。

「月詠先生。どーぞ」
「あ、ありがとうですー」

 見た目小学生のこの人は、中身が非常にオッサン臭い。
 ジョッキ一杯に注がれた麦酒を、半ばまで一気して、ぷはぁ、と酒臭い息を吐く。

「土樹先生もー」
「はいはい」

 月詠先生からの酌を受け、僕も麦酒を煽った。

「しかし、夏休みだっていうのに、大変ですねえ、月詠先生は。今日も一日中補習だったんでしょ?」
「いやあ、そうでもないです。結構楽しいものですよ」

 そんなもんか、と僕は頷いて、ちゃぶ台に並んだ野菜炒めを頬張る。
 ……む、月詠先生が作ったこれ、美味いな。ちと味が濃くて、ご飯のおかずというより完璧酒のつまみだけど。

「記録術(かいはつ)とかは、僕は専門外ですけどねえ。あんなので、どうして超能力が使えるようになるんだか……」
「まあ、英語教師の土樹先生には、理解しがたい世界かもしれませんね。自分だけの現実(パーソナルリアリティ)は、結局のところそれぞれの能力者にしか理解できないものですし」

 そんなもんなのかー、と僕は頷く。

 ここ、学園都市に僕が来て……もう、丸二年くらいか。存在は知っていたものの、この学校に僕が赴任することになるなんて、想像していなかった。
 超能力、なんてのが当たり前に開発されているという学校……胡散臭すぎて、誘いが来た時はどうしたものかと真剣に悩んだものだ。

 結局、待遇の良さに引かれて来たんだけど、こうやって呑み友達も出来たし、来てよかったと思う。
 ここの科学技術のキチ○イじみた進歩っぷりには、未だ慣れないが……大体、掃除用ロボットを開発するくらいなら、メイドロボを作れ、まず。

「しかし、補習が楽しいって……あれですか、先生お気に入りの上条がいるからですか?」
「ち、ちちち違いますー!」

 なにやら顔を赤くして、必死に否定する月詠先生。や〜れやれ……教師と生徒が、という以前に、上条が彼女に手ぇ出したらロリコンだよなあ。なにかが間違っているが、間違いには気付かない振りをしてあげる。

 一応、僕の教え子の一人でもあるのだけど、英語の壊滅的な成績に、僕は『お前は一生鎖国していろ』と、大変ありがたい言葉を贈った。……いや、マジで語学に向かないやつっているんだって。

「しかし、あれも変なヤツですよね。えっと、幻想殺し(イマジンブレイカー)でしたっけ」

 超中二臭い名前の能力。あらゆる異能をかき消す……という謳い文句だけど、今のところ事実らしい。

「ええ。いくつかの能力をぶつけて試してみました。……上条ちゃんが無能力扱いされるのは、私納得いっていないんですけどねー」
「まあ、強度(レベル)は、計測した値によって割り振られますから。あいつの能力は、科学じゃまだ証明できないってだけでしょう」

 彼の能力については話に聞いただけだけど、聞く限り科学じゃなくて、僕に近い気がする。……大体、開発する前からあの能力はあったらしいから、天然なのは間違いない。

 『異能の力を無効にする程度』の能力ってところだろうか。幻想郷じゃ、きっと無敵臭いな。

「ですー」
「さてっと。麦酒もう一本いかがですか?」

 見ると、麦酒の瓶が空になっていた。まだまだ夜はこれからである。

「はい」
「んじゃ、取って来ま――」

 ピンポンピンポーン、と呼び鈴が鳴った。

 ……来客? こんな時間に?

「月詠先生?」
「どうせ新聞かなんかですよ、きっと」

 いや、こんな時間にはさすがに新聞の勧誘は来ないと思う。
 やれやれ……出るか、と足を玄関に向けると、同時にぐしゃあ! と玄関の扉が振動した。

「〜〜〜〜っっ!?」

 あ、すげえ痛そうな声が……扉蹴ったのか?

「対新聞屋さん用に、ドアだけ頑丈にしているんですよねー」
「……金かかったでしょう」
「ですけど、これで休み中、新聞屋さんに煩わせされないので、快適無敵です」

 そんなもんかねー。僕だったら普通に居留守使っちゃうけど……

 と、思っていたら、続いてガンガンガンと扉をノックする音。

「はいはいはーい、今開けますよー」
「い、いや待った月詠先生! こんな時間に、こんな乱暴に尋ねてくる客なんて――」

 ぜってぇアブねえ、と僕は止めようとしたが、月詠先生はさっさと玄関を開けてしまう。

 こうなったら、僕が月詠先生を守るしかない。幻想郷の並み居る妖怪から逃走できるこの僕を、そこらの貧弱な坊やだと思ってもらっては困……

「あれ? 上条ちゃん。新聞屋さんのアルバイトを始めたんですか?」

 と、思ってたら来てたのは先ほどの噂の当人、上条当麻だった。なんだ、噂をすればなんとやらなのか?

「シスター背負って勧誘する新聞屋がどこにいる? ちょっと色々困っているんで入りますね先生。はいごめんよー」
「ちょちょちょちょーっと!?」

 ……なんて、強引に入ってくる上条。よく見ると、背中に青い顔をした女の子を背負っている。
 ――犯罪の匂い?

「上条。その女の子はなんだ?」
「土樹先生? なんでここに」
「月詠先生とは飲み友達でね。最近金欠だから、家で飲んでる。……で? その子は? 外国人みたいだけど、未成年略取? 今なら間に合う。先生も弁護してやるから警備員(アンチスキル)に……」

 と、半分くらい冗談交じりで言っていると、見る間に上条は不機嫌になっていく。
 ……うわ、マジに取るなよ。お前がそんな人間じゃないってくらいは、わかっているからさ。

「先生」
「ん?」
「俺が今背中に抱えているのを見て、同じギャグが言えるか?」

 ……抱えているのって、女の子――いや待て。
 純白のシスター服だと思ったけど……よく見ると、赤黒い染みが付いて……血?

「お、おい!? 怪我しているじゃないか!」
「なんで、とりあえず中に入らせてください」
「か、上条ちゃん、待ってください!」

 少々ドタバタしながら、部屋に入る。上条は、シスターちゃんをうつぶせに寝かせた。……どうやら、背中に傷があるらしい。

「救急車だな。少し待ってろ」

 携帯電話を取り出す。学園都市の病院は、優秀だ。外の病院では助からない傷でも、ここならば助かる可能性が高い。

「――出血に伴い、血液中にある生命力(マナ)が流出しつつあります」

 ……ギクン、とその場の全員が少女の顔を見た。

 見るからに生気を失い、横倒しになったままの顔。しかし、目と口調だけが、完璧なまでに冷静さを保っていた。

「――警告、第二章第六節。出血による生命力の流出が一定量を超えたため、強制的に『自動書記(ヨハネのペン)』で……」

 ……意識の混濁? 今から救急車を呼んでも間に合わないかもしれない、と思い、僕は懐からお守りを取り出す。
 科学の街で、こんな手はあんまり使いたくないんだけど……非常事態だ。

「これから私の指示に従って――?」
「ちょっとゴメンよ」

 未だ、冷静な口調で語っている少女の言葉をさえぎって、お守りを首にかける。守矢神社の『病気平癒守』だ。これなら、多少出血は抑えられる。
 ……あとは。

「傷口見せて」

 回復魔法は、自分が不老不死なせいであまり習熟していない。でも、生傷は多い生活だったので、応急処置くらいなら出来なくはない。

「服、捲るぞ」

 破れている服を捲って……月詠先生が、ひぃ、と声を上げた。

 ……自分の傷なら見慣れているけど、これは、キツいかも。

「……く」

 溢れるような血の匂いと、陰惨な傷口に、少し吐き気を覚える。
 それでも、なんとか平常を保って、傷口に魔法をかけた。……これだけ深い傷なら、本当に気休めにしかならない。早いところ病院に……

「驚きました。貴方は魔術師ですか」
「……え?」
「この学園都市に魔術師とは。貴方も私を狙っているのですか?」

 意味が分からない。でも、確かに僕は魔術師――の端くれと言える。それがなんでこの子に分かるのかが分からないが……

「違うのですね。……これは僥倖。しかし、貴方の回復魔術ではこの傷を癒すことは不可能です。今から私の言う手順を繰り返していただけませんか?」

 冷たい言葉。何故だか逆らえないものを感じて……僕は、こくこくと頷く。

「な、なあ、インデックスう。俺に出来ることは……」
「ありません。貴方に出来ることは、ここから立ち去ることです」

 そこまで言うことは……と、思ったが、上条は悔しそうに右手をぎゅっと握って、黙って出て行く。
 ……ああ、幻想殺し(イマジンブレイカー)、か。

「先生。よろしくお願いします」

 そして、玄関に消える直前、僕にそう言ってきた。

「了解」

 はっきり言って、状況がさっぱりわからない。でも、傷ついた女の子をそのまま放っておけるほど、僕は人でなしではなかった。

「え? え?」

 ……まあ、僕以上に状況がわかっていないと思われる月詠先生にも、丁重に出て行ってもらったほうがいいかもしれない。
























「……んで、上条。説明はしてもらえるんだろうな」

 治療が終わり、一先ずインデックスという名前の少女を寝かしつけたところで、僕は上条と向き合った。
 月詠先生には、彼女の傍についていてもらっている。

「えっと……」
「どういう関係?」
「い、妹です。最近見つかった義理の……」

 ざけんな、とばかりに、上条の頭を叩いた。
 外国の女の子。しかも魔術関係の人間……が親戚にいるなんて、流石にないだろ。

「いたっ!? つ、土樹先生、体罰すっと教育委員会が来ますよ!?」
「連れて来い。その前に、中学生くらいの女の子を怪我させた極悪人として、お前がしょっ引かれる」

 ぐう、と黙る上条。

 やがて、ぽつり、ぽつりと事態の経緯を話し始めた。

 朝起きると、ベランダに布団よろしくシスターが干されていたこと。彼女の『歩く教会』というシスター服を自分の手で無効化したこと(ここで何故か上条が赤くなった)、補習を終えて帰ってきたら少女が血の海に沈んでいたこと、そして、少女を狙う魔術師を辛くも撃退して、ここにやって来た、と。

「……ルーン使い? へえ、そっち系はあんまり知らないなあ」
「先生。俺からも聞いていいですか。先生も、その、魔術師なんですか?」
「ん? そうだよ。ついこの間、師匠から見習い卒業の太鼓判を押してもらえたところ」

 卒業試験と称した小悪魔さん+パチュリーとのガチ勝負は、死亡回数二桁越えたなあ……ふふ。

「じゃ、じゃあ、先生もインデックスを狙って……」
「ない。超偶然だ。僕は別に、魔術結社とかに所属しているわけじゃないし、その十万何千冊だかの魔導書にも興味ない」

 パチュリーの図書館の魔導書も、まだ十分の一も読めていないのだ。読みたければ、あそこに行けば良い。

「まあ、そういう事情なら、僕も協力するよ。あんな子を怪我させるような連中が、うちの生徒にも手を出したらと思うとぞっとする」

 どんだけ役に立つかわからないけど。

 ……しかし、この学園都市のセキュリティを抜けてくる魔術師かあ。ぞっとしないねえ。

「上条ちゃん? あの子が目を覚ましましたよ」
「あ、はい」

 月詠先生がやって来て、そう告げる。

「あ、じゃあ」
「おう、行ってこい」

 慌てて、上条がインデックスの元へ向かう。
 やれやれ……青春? 青春なのか?

「上条ちゃんも、困った子です」
「いや、まったく」

 インデックスは、まあまだまだ僕の守備範囲外ではあるが、それでもかなり可愛い子だった。あんな子とフラグ……うーむ、魔術師とガチ勝負したり、苦労はしているんだろうけど、許すまじ。
 大体、お前には月詠先生がいるだろうが、とツッコミたくなる。

「でも、なんだったんですかねー? 土樹先生がお人形遊びしたら、あの子の怪我が治っちゃって……」
「まあ、世の中には不思議なこともあるってことで」

 半笑いで誤魔化す。

 あれはお人形遊びなどじゃなくて、極めて高度な『魔術』だ。あまりに高度すぎて、僕は本当に彼女の言うことを繰り返すことしか出来なかった。
 類感魔術の一種だろう、とは予測が付いたが、それを構成する理論についてはまるでお手上げ。

 恐るべきは、僕が全く理解していなかったのに、魔術がきちんと発動した事実。さっきの上条の話で、彼女には魔力がないという話だったが……それでも、彼女は確かに、狙われる理由があると、実感した。

「ふふ……まあ、聞きません。上条ちゃんも、まだ話すつもりはないみたいですしねー」
「すみません」

 謝る。

 ……しっかし、妙なことになったもんだ。

 なんて、思っていると、月詠先生の部屋から、上条の悲鳴が聞こえてきた。

「な、なんだ?」
「上条ちゃん!?」

 慌てて、僕と月詠先生は、部屋に飛び込む。

 ……んで、そこにいたのは、インデックスに両耳を捕まれ、頭に噛み付かれている色男(リア充)の姿。

「先生! 先生タスケテー!」
「ガブガブガブ!」

 ……好きにしろよ、もう。





























 ……上条が、あの女の子を保護して三日。
 とりあえず、例の魔術師とやらが襲ってくるということもなく、表面上は平穏な毎日が続いていた。

 月詠先生の部屋で、彼女は匿われている。まあ、お人好しな人だ。

「……ふう」

 だけど、僕は上条みたく、彼女に付きっ切り、というわけにはいかない。
 夏休みとは言え、教師には仕事がある。大人ってのは、忙しいものだ……なんて言い訳にもならない。

 僕に出来るのは、頑張って早めに終わらせることくらいだ。警備員(アンチスキル)に相談できない以上、あの二人を守れる『大人』は、僕しかいない。

「……ま、上条がいればなんとかなるかな」

 幻想殺し(イマジンブレイカー)は、対魔術師戦においてはかなりのジョーカーだ。炎のルーン使いを撃退したという話からしても、多少のことなら大丈夫だろう。
 一応、携帯番号も教えていることだし……

「っと」

 ブブブ、とマナーモードにしてある携帯電話が揺れる。

「……上条?」

 発信者は、今まさに思い浮かべていた男子生徒。いや〜な予感を感じながら出る。

『先生!』
「ど、どうした上条?」

 凄く慌てた様子。……もしかしてー、

『魔術師だ! 銭湯に行く途中、魔術師が襲って――』

 ぶつり、と通話が途切れる。
 ……うわぁい、大丈夫と思った瞬間に、緊急事態発生ですか?

「あれ? 土樹先生、どうしたんです?」
「あ、僕ちょっと用事が出来ちゃって……すみません、午後有給でお願いします」

 同僚の先生にそれだけ告げて、僕は走り出す。
 ……いや、本当、夏休みでよかった。



























 場所を上条から聞けていたのは不幸中の幸いだった。
 月詠先生の家から最寄の銭湯……というと、大体分かる。

 学校からそれほど離れていなかったこともあり、特急で駆けつけることが出来た。

 ――でも、遅かったようだった。既に、上条は血だらけで、馬鹿見たいに長い日本刀を携えた女に、追い詰められていた。

 しかし、様子がおかしい。あの間合いなら、あの女魔術師はとっくに上条を殺れているはずなのに、話をしている。
 激昂したように叫ぶ上条と、それにいらつきながらも返す女魔術師。

 ……僕から見ると、どちらかというと女の方が気圧されているように見えた。

「あ……っと」

 どうにも、声がかけ辛い雰囲気で、戸惑ってしまう。少なくとも、魔術師は、上条を殺すつもりはなさそうだった。
 ……状況が掴めない。

「ぅっせえんだよ、ド素人が!」

 やがて、女魔術師がブチ切れたようで、一気に上条にまくし立て始めた。

 ……どうも、こちらにも気付かないほど、頭に血が上っているらしい。
 やがて、言いたいことを言い切った女魔術師が、上条を蹴り飛ばし…・

「そこまでだ!」

 出を伺っていたみたいで体裁が悪いなあ、と思いつつも、さらに上条に飛び掛ろうとした女魔術師を弾幕で牽制する。

「なっ!?」

 そこでやっと僕の存在に気付いた女魔術師は、迫り来る霊弾を軽やかに躱して、一旦距離をとる。

「さて……なにやら、複雑な事情がありそうだけど、あんまりうちの生徒を苛めないでくれ」
「つ、土樹先生」
「悪い、遅れた」

 いや、実はもうちょっと前に来ていたんだけどね。でも、危険な雰囲気はなかったからさ。

「――っ、インデックスを治した魔術師ですか」
「まあ、そうかな」
「その一点については、貴方に感謝します。礼はしましょう。ですから、私たちに彼女を保護させてはくれませんか」

 保護?

「あんな怪我をさせておいて、随分虫のいい話だね」
「あれは不可抗力です。私も、怪我をさせるつもりはありませんでした」
「どうだか。生徒じゃないって言っても、あんな女の子を得体の知れない魔術師に連れて行かせられないな」
「……貴方は、悪い魔術師ではないようですね。ならなおさらです。彼女を助けるためにも、保護をさせてください。私に魔法名を名乗らせないで」

 ……どうも、本気で言っているらしい。

「なあ、上条。僕は、どうにも彼女が『悪い』魔術師には見えないんだけど」
「あ、ああ。インデックスの、親友、なんだってさ」

 ぉぅ、予想の斜め上。

 どういうことなのかを問いただす前に、上条が女魔術師に噛み付いた。

「親友なんだったらな! もっとインデックスのことを考えろよっ。なんで襲うんだよ! 忘れているなら、また一から友達になりゃいいじゃねえか!」
「知ったようなことを! 私達だって頑張ったんですよ。でも、駄目だった!」

 喧々囂々と罵りあう二人。っていうか、熱いな、上条。
 でも、途中から来た僕には、訳の分からない会話だ。彼女がインデックスの友人、っていうのは本当らしいが……

「……すみません、事情のさっぱり見えていない僕に、誰か説明を」
「なら、僕から説明しよう」

 へ?

「な、なに、君?」
「そこの神裂と同じ『魔術師』さ。魔術師ステイル・マグヌス。おっと、『必要悪の教会(ネセサリウス)』の、ね」

 ……うーん、ゴメン。『必要悪の教会(ネセサリウス)』ってのが、なんなのかわからない。
 まあ、魔術結社かなんかだろう。

 しかし、赤髪に目元にバーコードの刺青、咥えタバコ……神父風の衣装だが、これで教会の神父を主張するつもりじゃあないだろうな。

「――ステイル! 貴方はインデックスの監視をしているのでは」
「そこの高校生に、未知の魔術師まで出てきたんだ。君なら大丈夫だろうが、念には念を、さ」

 女魔術師――神裂に、ステイルは答える。

「いや、説明してくれるんだろ?」
「おっと、そうだそうだ。『彼女』を助けてくれたんだ。その礼はしないとね」

 そうだろう? と、神裂に視線を向けるステイル。神裂の方は、まだ上条に隔意があるみたいだったが、なんとか矛を収めてくれたらしい。

 ……まあ、殺し合いをしないで済むなら、それに越したことはない。

 僕が聞く姿勢に入ったのを見て、ステイルは説明を始めた。

 上条から聞いていた、苛烈な魔術師という印象はなく、インデックスのことを語る彼は、すごく優しい雰囲気をまとっていた。……いや、外見からして、アウトなのは間違いないのだが。まあ、よほどインデックスを大切に思っていることはわかった。

 ……んで、

「話は、わかった」

 彼が語り聞かせてくれた内容は、驚きの話だった。
 完全記憶能力。脳の八十五パーセントを占める魔導書の知識、そして一年ごとの記憶のフォーマット……

 それが、十万三千冊を抱えるインデックスの事情……らしいが。

「けど、ちょっと待った。凄い違和感があるんだけど」
「うん? なんだい」

 不思議そうに、ステイルが聞いてくる。

 完全記憶能力、と聞いた時から、僕は一人の知り合いを思い浮かべていた。
 稗田阿求ちゃん。確か、彼女も同じ力……求聞持の能力を持っていたけど、

「……やっぱりおかしいな。僕の知り合いにも、完全記憶能力を持っている子がいるけど……彼女、体は弱いけど、もうすぐ成人するぞ?」

 ――しん、と僕の言葉に、三人が一斉に静まり返った。

 おかしい話だ。完全記憶能力を持った人間は、一年で十五パーセントの容量を使ってしまう? 脳がパンクしたら死ぬ? それが本当なら、阿求ちゃんは十年と生きていられなかったはず。

「……おい、どういうことだ?」
「え、いや、でもしかし……」

 神裂が言いよどむが、上条は断固とした口調で、言い切った。

「嘘、なんだな?」
「………………」
「はは、考えてみりゃあ、当たり前の話だ。禁書目録なんて残酷なシステムを考えた連中が、逃走したときの備えもしてないなんて、ないよなあ?」

 ぐっ、と拳を握り締める上条。

「おい、どうするんだ?」
「それ、は……」
「これを聞いて、まだインデックスの記憶を消すなんて言うつもりか!? 助けたかったんだろ、ハッピーエンドが欲しかったんだろ!? それが現実になるんだ、躊躇っている場合かお前ら!」

 ……だから、熱いんだよ、上条。もう少し頭冷やしてくれ。

「ふん。まだ、事実と決まったわけじゃない」
「お前……」

 ステイルの言葉に、上条が激昂しかかるが、

「だから、確認しに行く。幸い、インデックスに『処置』をするまでまだ三日もある。……確認して、もしその魔術師の言うことが事実なら」

 ぎゅう、と拳を握ったステイルは、期待に打ち震えているような、今にも駆け出しそうな、そんな雰囲気を纏っていた。

「論じるまでもない。僕は彼女を助ける。それだけだ」




























「……で、なんっじゃこりゃあああーーーー!?」

 僕は泣きそうになりながら、上条の後ろに隠れる。

 ……結論から言うと、僕の予想したとおり、インデックスの記憶がどうとかいう話は、嘘だったらしい。
 口腔内に仕掛けられた小さな呪印。それがインデックスの脳を蝕む呪いであり、なら俺が、と上条が右手の幻想殺し(イマジンブレイカー)を、えいや、と嫌がるインデックスの口に突っ込んだのだが、

「なにあれ、なにあれ!?」

 次の瞬間、インデックスが豹変して、なんか変な魔法陣を使った攻撃を放ってきたのだ。

「あれは……竜王の殺息(ドラゴンブレス)!? そ、それにあの子が魔術を使えるなんて……」
「魔理沙のマスタースパーク並なんですけどー!」

 泣きが入りながら、上条ガンバレー、と心の中でエールを送る。
 いや、しかしすげぇな、上条の幻想殺し(イマジンブレイカー)。あれだけの威力の光線を防ぎきって……

「右手の処理がおっつかねえ! 早いトコなんとかしてくれ!」

 げっ!?

「Salvare000!」

 神裂が、ラテン語を叫ぶ。……魔法名、か。幻想郷じゃ名乗る文化がないので、僕にはない。魔術儀式でも、真名を使う。

「はあ!」

 神裂が、腕を振ると、インデックスの足元の畳が切り裂かれ、彼女の放っていた竜王の殺息(ドラゴンブレス)が、まるで剣を振り上げるように上空へと傾く。
 切り裂かれた壁や天井は、燃えたり、壊れてたりすることもなく、光の羽となって『消滅』した。

 ……やべぇ威力だ。

 まるで、天を貫くようなドリ……もとい、光線。もしかして、大気圏を突破してるかもしれない。

「……って、やば!」

 首を傾けるインデックス。同時に、今度は振り下ろされる『剣』。

「Fortis931! ――魔女狩りの王(イノケンティウス)!」

 咥えタバコの赤髪神父が、ルーンのカードをばら撒き、炎の巨人を生み出す。

 まるで以前、全人類の緋想天をモロに体で受け止めた僕のように、巨人はその身を盾にして僕たちを守った。

「行け! 能力者!」
「言われなくても――」

 走り始めようとした上条をインデックスの目が捕らえる。

「……現状、最も難度の高い敵兵『上条当麻』の破壊を最優先します」

 マズッ……

 と、思うのと、駆け出すのがほぼ同時だった。
 インデックスが、竜王の殺息(ドラゴンブレス)とは別の魔術……光の弾を上条に向けて放ち、防ぎきれないと悟った僕は、自分の体を盾にした。

「ぐっが――!」
「先生!?」
「行け、上条!」

 我ながら似合わないことしてんなあ、と思いながらも、上条を促す。……死ぬ、かも。

 だけど、その甲斐はあったようだった。パキィン、と何かが弾けるような音と、どさ、とインデックスの体が崩れ落ちる音。

 赤に染まった視界に、インデックスを抱きとめる上条がいる。

「やれやれ……」

 終わったか、と思う寸前、体が凍りついた。

 ひらり、ひらりと、光の羽が、二人の頭上に落ちてくる。

「く――!」

 ぎゅん、と世界が加速する。

 刹那の間だけ、自分の周りの時間の流れが速くなり、光の羽の落ちる速度が遅くなる。

 ダメージで足はまともに動かないが、生憎飛ぶのに足は要らない。
 全力で飛行し、上条とインデックスに体当たりをして、

「うがっ!?」

 見えないが……どうやら、光の羽を後頭部に受けたらしい。

 ……ゆっくりと、意識が遠くなっていく。
 ああ……死ぬな、これ。

「先生!?」

 上条……んな、心配しなくても、いいけど。


























 ――まあ、その後も色々あった。

 生き返った僕に、上条だけでなく魔術師二人もビビったり、壊れたアパートについて、月詠先生に説明したり。

 インデックスはというと、『首輪』が外れたのをいいことに、上条んちに居座ることにしたらしい。顔をひくつかせていたステイルが見ものだった。多分、僕の顔も引き攣っていただろう。

 なにか、上条ハーレムの構築に一役買っただけという気がしなくもないが……まあ、いいか。
 やれやれ、金輪際、こんなのはゴメンだ。














 とか思っていたが、この後、上条を中心とした騒動に、僕は否応なく巻き込まれることになってしまった。
 それはまだいいのだけど、着々と築き上げられていく上条ハーレムを他所に、僕にはヒロインの一人も出来なかった。……何かが間違っている。



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