悠人達が旅立っていくらかの時が過ぎ、
 夕飯を食べ終えた友希は、自室にて『求め』の欠片で作られたペンダントを眺めながら、物思いに耽っていた。

「……まだ、忘れてないよな?」
『はい。他の皆さんも、名前は出しませんでしたが、覚えているでしょう』

 友希の中に、まだ悠人やアセリアの存在は残っている。
 時深とのふとした会話で知ったが、悠人らの存在がファンタスマゴリアから消え去るのは、彼らが上位永遠神剣の眠る場所――その入口をくぐった瞬間らしい。

 もしかして、悠人達はとっくにその扉をくぐっていて、何らかの偶然により彼らの記憶が消えていないのでは、という安易な考えが頭をもたげてくるが、苦笑してその妄想を追い出す。

 しかし、それはそうとして、ここまで時間がかかるのは少々不味い。なんといっても、唯一の味方エターナルである時深がいないのだ。
 行きにこれだけ時間がかかっているとなると、帰ってくるのにも同じだけの時間がかかるだろう。その間に、テムオリン達が攻めて来ないとも限らない。

 時深の予知によれば、その可能性はないとのことだが――エターナルが相手だと、彼女の予知が覆されることも稀にあるらしい。
 どれだけ時深という戦力に依存していたのかがよく分かるが、現実問題、彼女なしで敵のエターナルと相見えることになると勝ち目は非常に薄かった。

 せめて友希達が即応できるよう、スピリット隊がニーハスに常駐することも考えたが、普段と違う動きをすればそれだけ相手側に時深の不在を察知されやすくなる。現地のスピリットに頑張ってもらい、友希達はいよいよ後がない場合にのみ出撃することとなっていた。

 いつ呼び出しがかかるか、精神的な重圧が襲いかかってくる。
 もしかしたら、今にもエターナルが攻めてきて、テムオリンやタキオスと戦うことになるかもしれない。いや、他にもロウエターナルが数名いるということだった。……そのうちの、たった一人が出張ってきただけで、ラキオスは壊滅の危機だ。
 いや、たとえ眷属であるミニオンだけであろうとも、時深のような実力者がいなければニーハスの防衛網は致命的な損害を受ける。そうした場合、友希達がおっとり刀で駆けつけたところで、立て直しは困難だ。
 あるいは、ラキオスに反旗を翻すスピリットの発生も懸念される。ほとんどのスピリットがラキオスに下ったとはいえ、スピリットの制約が解かれた今、不満を持ったスピリットがテロを起こす可能性は決して低くはない。
 勿論、スピリットだけでなく人間の反乱者も忘れてはならない。大陸が統一されて間もないこの時期、王座の簒奪を狙う輩は山のようにいる。

 いくつもの悪い想像が脳裏をよぎる。
 それらを友希は一つ一つ吟味し――そして、頭から追い出した。

「……眠くないし、本でも読むか」
『ですね』

 どんな事態が起こるにせよ、あるいは起こらないにせよ、今気を揉んだところで益体も無いことだ。友希の出来ることは、何かが起こった時に適切に対応すること。何が起きても問題ないよう備えはするが、張り詰めていても疲れるだけである。
 そういう心構え。戦争において、潰れずに長く戦うための方法を、友希は既に体得していた。

 本を読むべく、机の上に出していた『求め』のペンダントをしまうために手を伸ばし、




 ――ふと、猛烈な違和感に襲われた。




「…………あ?」

 手を伸ばした先。触れたのは永遠神剣第四位『求め』の欠片で作られたペンダント。それを摘み上げて、友希は胡乱な目付きでそれを見つめる。

「? なんで僕」

 こんなもん机の上に出してるんだ?

 友希はそんな疑問を抱き、ペンダントを目の前に持ってくる。しげしげと眺めると、余計に違和感が募った。

『『束ね』? お前、久し振りに僕を操ったりしたか?』
『いや、変な言いがかりつけないでください。それ、私が契約する前の話でしょう。契約者の行動を止めるのは私の流儀ではありませんし、大体今の主の精神力を抑えるのは私には無理ですよ』
『だよ、なあ?』

 友希はちゃんとこれを取り出した経緯を覚えている。夕飯の終わった後、自室に戻り、これからのことを色々考えるため――何故か自分は、机の引き出しにしまってあるこのペンダントを取り出したのだ。
 気紛れ、と言えば、気紛れなのだが、不思議な事にここ何日か、事あるごとにこの『求め』の……サーギオスで、瞬が友希達の目の前で破壊した、"所有者不在"の神剣の欠片で作ったペンダントを取り出していた覚えがある。

 覚えはあるのだが……どうして自分がそんなことをしたのかがわからない。自分がこのペンダントを眺める動機はない、と思う。

『別に、アクセサリに興味があるわけじゃないんだけどなあ。本当、今更だけど、なんでだ?』
『敵エターナルの精神攻撃とかですかね?』
『……流石に、そんなことされたらわかるだろ。意味不明だし』

 瞬が"どこかで確保"し、これ見よがしに友希達の目の前で破壊した四神剣の一本。
 残った欠片をペンダントにして、エトランジェがそれぞれお守りとして持とうと言い出したのは、そういえば誰だったか。

「ま、いいか」

 それほど思い入れもない品を、こんなに眺めていたというのは自分でも不可解である。不可解ではあるが、特別考慮するべき事柄でもない。

 友希は、『求め』のペンダントを丁寧に――これまた自分でも不思議なほど丁寧に扱って、机の引き出しにしまいこみ、途中まで読み進めていたファンタズマゴリアの小説を手に取る。
 栞を差し挟んだページを開き、文字を追い、

「……え?」

 ぽた、と、一滴の雫が頬を伝って落ち、ページに染みこんだ。
 自分でも理由のわからない涙。そして、ふと気付くと無意識に胸元をぎゅぅ、と掴んでいた。

 なぜかはわからない。悲しい夢を見たはずなのに、その内容が思い出せない時のような、そんな悲嘆。そして、忘れた夢はもう二度と思い出せることはない。脳裏によぎった誰かの人影の曖昧なイメージは、するりと手から零れ落ちる。

「…………」

 パタン、と本を閉じた。
 よくわからないが、本を読むという気分でもない。

 レスティーナの計らいにより手に入ったアカスク――蒸留酒を取り出す。

『主? 酒は……』
『いざとなったら、酔いは醒ませるだろ。悪いけど、少しだけ、な』

 瓶に口を付け、ウイスキーのような酒を嚥下する。
 何故か、無性に誰かに会いたかった。




























 理由の分からない寂寥感に襲われたその翌日。時深が、ラキオス城に帰ってきた。
 城の一室で仕事をしていた友希に、彼女は帰還の挨拶をしに来てくれたのだ。

「おかえりなさい、時深さん」
「ええ、ただいま帰りました。行きは少々時間がかかりましたけどね。帰りは私だけでしたので、時間操作を用いて急ぎました」

 ん? と、友希は時深の言葉にちょっとした疑問を覚えたが、それが言葉になる前に時深が続けて口を開いた。

「ご迷惑をおかけしましたが、その甲斐あって援軍のアテはつきそうです。近日中に二人のエターナルが応援に駆けつけてくれるでしょう」
「それは心強いです。どんな人なんでしょうか?」
「そうですね……実は、新米なんですが、この世界で戦うにはこれ以上ない人選の二人です。男性と女性が一人ずつ。永遠神剣については……さて、見てのお楽しみ、ということにしておきましょう」
「そうですか。じゃ、実際に会うのを楽しみにしときます」

 新米と言うが、エターナルであるのならそれだけで大きな戦力だ。ただでさえロウエターナルの数は多い。対抗できるエターナルがいないと、勝負にすらならない。

「訓練の方も……順調のようですね」

 剣聖たるミュラーの指導と、惜しみなくつぎ込まれるエーテルによって、友希を始め全員の実力は大きく向上している。
 ここに来るまですれ違ったスピリットたちの様子から、彼女たちの神剣がこの短期間で見てわかるほど強大になっていることに時深は気付いていた。

「ええ。そろそろ次の模擬戦辺りで時深さんから一本取りたいって、みんな頑張ってますよ。レゾナンスの魔法も、もう大分慣れました」
「それは怖いですね。私も気を引き締めて臨みましょう」
「はい。……あ、エスペリア、お帰り。ありがとう」

 時深のためにお茶を淹れに行っていたエスペリアが戻ってくる。
 時深に茶を勧め、そのまま仕事の休憩がてら、エスペリアも交えていくつかの雑談を交わした。

 とりとめもない話を続けるうち、時深の出生についての話となる。

「へえ、それじゃ、時深さんは平安時代の方なんですか」
「ええ。当時の都は魑魅魍魎が跋扈していまして。そのような人に害なすものを滅する御役目に就いていました」

 まさか、自分のいた世界にそんな妖怪みたいなのがいるとは思っていなかった友希は、少々のカルチャーショックを受ける。
 そんな危険物のいない平和な時代に生まれてよかった、と思うとともに、いや今の状況も大差ない……というか、魑魅魍魎より余程ありえない状況だと気付いて溜息をついた。

 いちいち興味深そうに相槌を打っていたエスペリアが、その会話に疑問を呈する。

「ヘイアン……とはなんでしょうか、トモキさま?」
「ああ。うちの国の暦だよ。こっちも聖ヨト歴何年っていうだろ? 僕の住んでいた国だと……王様が変わる事に暦が変わるんだ。僕が来た時は平成で、時深さんがエターナルになる前に生きてたのが平安」

 正確に言うと、王という表現は不適切であるが、エスペリアにとってわかりやすいように説明する。

「成る程。それは違う文化ですね……ヘイアンとは何代前の王様なのでしょう?」
「え? 何代って……」

 日本史はそれほど詳しくないし、その手の勉強から離れてもう大分経ってしまっている。正確に何代前というのはわからない。しかし、平安時代が何年かというと、

「えっと、確か『泣くようぐいす平安京』だから、差し引き千……」
「友希さん」
「はい?」

 友希の知る時代から何年前か計算しようとして、時深に遮られた。

「一応、断っておきますが、時間の流れは世界毎に違います。そのため、私は確かに平安の生まれですが、私の主観で流れた時間は友希さんの想像する時間とはまた違いますよ」
「は、はあ。わかりました」

 口調こそ丁寧だが、有無を言わせない雰囲気だった。

 友希は気絶していたため知らないが、テムオリンと対峙した時の時深の様子――年のことを言われてキレていた――を見ていたエスペリアは、『ああ』と納得する。

「トキミさまはお綺麗なんですから、そんなに気にせずとも」
「う、そうですかね? 敵どころか仲間にもからかわれるんで、ちょっと過剰反応してしまって」
「そうなのですか? そう聞くと、意外とエターナルというのも身近に感じますね」
「そうですね。所詮、強い剣を手に入れただけで、我々の殆どは元々普通の人間ですから。実は、文明のあるところに行く時は、おみやげを頼まれてることもよくありまして」
「どのようなものでしょうか? お手伝いできれば……」

 友希はよくわからないものの、なにか自分が地雷を回避したような気がして、妙に安堵する。

「……ところで、友希さん」
「はい?」

 女性同士の話に口を挟むまいと、友希はエスペリアの淹れてくれたハーブティを味わっていたが、しばらくすると時深が話しかけてきた。
 今までの何処かリラックスした雰囲気とは少し違う。

「その、今付けているペンダントですけど」
「ああ、これですか? ほら、『求め』の欠片で作ったやつですよ」
「そういえば、作っていましたね。今日、何故付けているのか、ちょっと不思議でした。昨日までは付けていなかったでしょう?」

 エスペリアに言われても、友希も何故付ける気になったのか、いまいちわからない。理由のない衝動。昨夜味わった気持ちと同じだ。
 壊れても困るので、訓練では付けていないが、それ以外ではなるべく身に付けるようにしようと思った。

「……そうですね。大切にしてください。中々似合っていますよ。……人さんも」
「時深さん? ええと、このペンダントがなにか?」

 最後の呟きが聞き取れず、尋ねてみたが、時深は居住まいを正して。

「いえ、なんでもありません。それより、私はそろそろお暇しようと思います」
「え? ああ、はい。わかりました。その、時深さんはこれからどうされるんですか?」
「今日は休ませて頂く予定です。明後日辺り、ミニオンが攻めてくる気配があるので、前線に出ますが……」

 時深の予定を聞き、友希は少し考えこむ。

「……それだったら、そろそろ実戦でレゾナンスの運用を確かめたいと思うんですが」

 あの魔法が作戦の要だ。訓練で地力も向上しているが、それらは余録であり、レゾナンス状態で普段通り戦えるようにするのが肝である。
 今やスピリットたちも慣れており、ほぼ全力を振るえる状態になっている。ミュラーや他の訓練士との打ち合わせでも、そもそも実戦経験を積むべきではという話は上がっていた。

「そうですね……丁度良い頃合いでしょう。明後日は少し急ですが、その次あたりの防衛から参加するよう、検討してみてください」
「はい。エスペリア。書類の方も、その方向で処理するよう調整しよう。陛下や作戦部には僕から話して、打ち合わせしとくから」
「了解しました」

 部屋から退室する時深を見送るべく、友希も立ち上がる。

「じゃあ時深さん。お疲れでしょうし、ゆっくり休んでください」
「ええ」

 時深が去っていく。
 しかし、これで援軍の目処も立った。いよいよ最終決戦が近付いていることを否応なく自覚させられる。

「よし。いい休憩になったし、もうひと踏ん張りしようか」
「はい」

 エスペリアとともに、再び書類との格闘に戻る。

 かつて誰かが同じように仕事をしていたことは、もう二人は覚えてはいない。

 友希の胸元で、『求め』の欠片が光を反射してキラリと光った。




前へ 戻る 補足へ 次へ