ラキオス城の一室。
 スピリット隊隊長の執務室として割り当てられた部屋で、友希はエスペリアを秘書として書類と格闘をしていた。

「エスペリア。ここのところ、少し教えてもらえないか?」
「はい。……ああ、臨時に支給されるエーテルの受領書ですね。添付の書類はエーテルを用いる訓練の計画書になります。それで、この書式は……」

 成る程、と友希はいちいち頷き、内容を確認する。
 エスペリアが気を利かせて持ってきてくれた過去に決済された書類と見比べ、齟齬がないことを確認して決済印を押す。

 決済済みの書類をエスペリアに渡すと、彼女は部屋の前に控えていた伝令係の兵に渡し、該当の書類は迅速に関係部署に運ばれる。そして、友希は次なる書類に向かう、と。

「……疲れた」
「もう後残り僅かです。これらを決済したら、本日の業務は終了ですから、頑張ってください」

 聞くものを落ち着かせる綺麗な声色で、エスペリアが励ましの声をかけてくれた。

 ふぅ、と一つ深呼吸をして、友希は次の書類に目を通し始める。

 ――スピリット隊の隊長職を引き継いでなにが変わったかって、この机仕事の増加が一番大きな変化である。
 副隊長の時はこの手の仕事は悠人任せだった。なにせ、補佐ならば仕事に精通したエスペリアの方がよほど優秀だったのだ。
 しかし、今思えば、副隊長時代に多少なりとも手伝っていれば、今のこの苦労は少ないものだったかもしれない。そう考えると、少々後悔してしまう。

「悠人、よくこんだけの量をやってたな」
「いえ、今は対エターナル戦に向けて少々特別な体制となっていますので、いつもより忙しいですね」

 そうは言っても、エターナル戦の要となる友希に過度の負担が掛かってはいけないと、本当にスピリット隊隊長の決済が必要な書類以外は回ってきてはいない。それも、内容については基本的に文官がすべて整えており、友希は確認して判子を押すだけの状態だ。

 そこまでするなら、もう自分と関わらないところで全部回してくれよ、と友希は思ったりしているが、これにも意味がある。担当の人間が不正――例えば、スピリット隊へ支給されるエーテルのちょろまかし等を行えなくするためだったり、現場の事を一番知っている人間が確認することで無駄を防いだり。

「……でも、やっぱり僕たちは、今は訓練の方を優先するべきだと思うんだけど」
「ミュラーさまも、訓練をやり過ぎても逆効果になるだけだと仰っていたではないですか」
「いや、まあ、そうだけど……」

 つい先日配属された訓練士、剣聖ミュラー・セフィス。
 彼女の指導は確かなもので、この僅かな期間にエトランジェもスピリットもメキメキと実力を上げている。友希も、日々成長しているという確かな実感があった。
 その彼女が決めた訓練スケジュールは、本人曰く『やや詰め込み過ぎだが、一月以内に決戦があることを想定したギリギリの内容』とのことである。これ以上やっても害になるだけ、と自主練も止められた。というか、意気は買うが指導者のいない自主練なんて効率が悪いから今はするなとまで言われた。

「……トモキさま。手が止まっております」
「あ、はい」

 まあ、そんなわけで。
 友希が書類を片付けることに、なんの支障もないわけである。

 細かい字を見続けて疲れた目を解して、続きに取り掛かった。

 そうして、三十分程。ようやくすべての仕事を片付けた友希は、執務机から立ち上がり、うーん、と伸びをする。

「お疲れ様でした。お茶を淹れてまいりましたので、どうぞ」
「ああ。ありがとう、エスペリア」

 丁度いいタイミングで、湯気を上げるティーカップをお盆に乗せたエスペリアが戻ってきた。
 友希が最後の書類を片付けている途中に退室していたのだが、書類の内容に集中して気付かなかった。

「お、クッキーまである」
「城の厨房に、お茶を淹れさせて欲しいとお願いしたら、コックの方が気を利かせてくださいました」

 ラキオス王国、特に女王のお膝元である王都においては、スピリットやエトランジェに対する感情はレスティーナが王位に就いてから急速に好転している。
 こういったちょっとしたことにも、それが表れていた。

 クッキーを一つ口に放り込み、練り込んであるドライフルーツの素朴な甘さを楽しんだ後、ティーカップを手に取る。
 香りを楽しんだ後、少し冷ましてから一口飲み、

「……美味い。やっぱエスペリアはお茶淹れるの上手いな」
「ありがとうございます」

 友希の反応を確認してから、エスペリアも笑みを浮かべて自分のお茶に口を付けた。

 仕事の後の和やかな空気で、ちょっとしたお茶会となる。

「これはユートさまにも好評なお茶なんですよ。ただ、今日はお城の厨房の葉を使わせていただきましたけど、本当は私が育てた葉を味わっていただきたかったですね」

 お茶を淹れることに関しては、エスペリアはスピリット隊でも一番の名人である。また、第一宿舎の庭で茶葉も育てているということは、悠人から聞いていた。
 普段は謙虚な態度を崩さないエスペリアだが、お茶のことについては自信があるのか、その口振りはちょっと自慢げだ。

 へえ、と友希は感心しながら相槌を打つ。

「悠人か。今頃、時深さんから色々聞いている頃かな」
「そうですね……」

 悠人の身体も回復した。もう待てないとばかりに、悠人は友希達の訓練に付き合っていた時深に、訓練が終わるなり詰め寄ったのだ。時深も断ることなく、落ち着いて話ができる場所に二人は向かった。
 エターナルのことや、その代償のこと。それを知って、彼がどのような選択をするのか……誰もが気になっているが、口を挟むことは誰もしないだろう。それをしていいのは、佳織とアセリアだけだ。

 スピリットの中ではアセリアの次に悠人に近しかったエスペリアは、顔を曇らせる。スピリット隊はみんな、戦いを忘れて佳織と共に帰って欲しいと考えているが、彼女は特に強く思っている。
 しかし、近かっただけに、悠人の選択も当然想像が付いていた。

 まずったな、と友希は頬を掻く。仕事に没頭して忘れていたことを思い出させてしまった。

「……なあ、エスペリア。ちょっとお願いがあるんだけど」
「あ……はい? なんでしょうか」

 顔を上げ、エスペリアがなんでもないように返事をする。表情に翳りがあるが、努めて気にせず、友希はかねてから考えていたことを口を出した。

「いや、大したことじゃないんだけどさ。エスペリア、ハーブとか育ててるんだろ? 戦争が終わって落ち着いたらでいいんだけど、僕にそういう菜園の作り方、教えてもらっていいか?」

 かなり照れながらも、そう頼んでみる。
 友希の頼みに、エスペリアは目をパチクリとさせた。

「え、ええと。そのくらいは構いませんけど、トモキさまは園芸に興味が?」
「まあ、ね。エスペリアなら知ってるかもしれないけど、ゼフィが、さ」

 今となっては懐かしい記憶。
 サルドバルトのスピリット隊の乏しい食糧事情を少しでも改善するため、家庭菜園を作っていた。そこで取れた野菜やお茶に出来るハーブ等は、あの無味乾燥な食事情のサルドバルト時代には本当にありがたかった。

 自分でもやってみたい、とは前々から思っていたが、何分、未熟なエトランジェであり、他に覚えることやすることが多くて出来なかったのだ。しかし、エターナルとの戦いが終われば、そういった余暇に使える時間も増える。

「そう言えば、彼女も作っているという話でしたね」

 かつては龍の魂同盟で結ばれた同盟国同士であったラキオスとサルドバルトは、合同訓練などでそれなりにスピリット間の交流もあった。
 こういうことを話す位には、彼女達は仲が良かったのだ。

「わかりました。不肖の身ですが、私にお任せください」

 同じ趣味が出来るのが嬉しいのか、それとも悠人のことについて友希が気遣ったことに気付いたのか。エスペリアは笑って、トン、と胸を叩く。
 そんな仕草をすると、お姉さん気質でどちらかというと綺麗と表現するべき容貌のエスペリアが妙に可愛く見えて、友希は苦笑いをこぼした。

 こんな娘が側にいて、しかもあれこれと世話を焼いてもらって、よくぞ悠人は耐えられたものだ。もしも自分が悠人の立場ならベタ惚れしてる。
 まあ、仮定の話だ。友希の立場は悠人とは全然違う。彼女が補佐をしてくれて嬉しいし、好ましい女性だとも思うが、恋人になりたいとは思わない。

 お茶の残りを飲み干して、友希は立ち上がった。

「ご馳走様」
「お粗末様です。片付けはやっておきますので、トモキさまはお休みになられてください」
「じゃあ、お願いするよ。それじゃ、お疲れ様」

 エスペリアの言葉に甘える事にして、友希は執務室を後にした。



































 さて、帰ろうかと思ったものの、城を出た辺りで悠人のことがどうしても気になり始めた。エターナルのことを聞き、どう反応するのか。
 彼の考えに口を挟むことはしないつもりだが、様子を見に行くくらいはいいだろうと、第一宿舎に向けて足を向ける。

「うーん、やっぱこっちはちょっと小さいな」

 第二宿舎は二十人は余裕で住める広さを誇るが、第一宿舎は五、六人が住めば一杯一杯の広さだ。おかげで、こちらに住んでいるのは悠人の他、アセリア、佳織、エスペリア、オルファリル、ウルカのみとなっている。

 他の面子はともかく、なぜウルカがこちらに住むことになったかというと、オルファリルの我儘だった。どうしてもウルカと近くにいたかったらしい。そしてウルカも、困り顔ながらもその提案を受け入れた。
 二人の不思議な繋がりについては気になる所だが、特別却下する理由もなく、ウルカはこちらに住まう事になったのだ。

「お邪魔します」

 一応ノックをして、宿舎に足を踏み入れる。いつもながら、この忙しい時期にもエスペリアの掃除は行き渡っているらしく、埃ひとつ落ちていない。
 感心しながら悠人の部屋に向かうと、丁度彼の部屋のドアが開いた。

「それでは悠人さん、失礼します。……あ、あら?」
「どうも、時深さん」

 どうやら、二人の話し合いが終わったところだったらしい。
 訓練が終わってから今まで話し込んでいたとすると、随分と長話だったようだが、まあエターナルについてすべて聞き出そうとすればこのくらいはかかるだろうと特に友希は疑問には思わなかった。

「ど、どうも、友希さん。悠人さんに御用ですか?」
「ああ、まあ。今日はもう上りなんで、ちょっと世間話でも、と。……どうかしたんですか?」

 時深はなにやら挙動不審だった。服の乱れが気になるのか、襟や袴の結び目をチェックしている。そして、なぜか頬が僅かに上気し、汗ばんでいた。訓練の時、どれだけ激しく戦闘をしても息も乱さない彼女にしては珍しい。

「いえ! なんでもありません。悠人さん? 友希さんがいらっしゃいましたよ」
「わ、わかった!」

 時深の呼びかけに、部屋の中の悠人が返事をする。どこか二人共、慌てた声だった。……なんだというのだろう。

「……それでは、私はこれで」
「?」

 そそくさと去っていく時深を見送る。時深は廊下の突き当りを左に曲がった。あちらは浴場の方向なので、まだ日も沈んでいないのに風呂に入るのだろうかと、友希は首を傾げた。

 なにかおかしいなあ、という疑問もあるが、二人がなにか良からぬことを企んでいるわけでもないだろう。気にせず、悠人の部屋をノックする。

「悠人? 入るぞ」
「あ、ああ。どうぞ」

 悠人の部屋に入る。
 ベッドのところに悠人が腰掛けているのだが、キョロキョロとどこか落ち着かない様子だった。エターナルのことを聞いて動揺……とはちょっと違う。

 いよいよ違和感が激しくなってきた友希は、決定的なことに気がついた。
 部屋に篭る臭いだ。僅かに生臭く、本能を刺激するこの臭い。汗と、その他諸々の、その……所謂、夜の営みの臭い。

「……おい、悠人。おい。お前、まさか」
「な、なんだ? 俺と時深は……なにも。そう、なにもなかったぞ」

 この男、わかってはいたが嘘が下手だ。誤魔化しているつもりか、これで。

 じー、と友希が睨んでいると、悠人は目に見えてわかるほどの脂汗を流し始め、顔を引き攣らせ……ついには、潔く頭を下げた。

「頼む。みんなには内緒にしてくれ」
「……いいけど。また、なんで」

 悠人が不貞を働くことなど想像すらしていなかった友希は、あまりの急展開に思わず尋ねた。

「必要なことだったんだ」
「必要て」
「いやその。時深が言うには、上位永遠神剣の存在する場所に行くには、時深を抱かないといけないとか」
「…………」

 と、いうことは悠人はエターナルになる決意をしたのだろうか。
 重要な事を聞いたはずなのだが、まさかこんな場面で知ることになるとは思わなかった。というか、なんだ、その意味不明な条件は。

「その、まだエターナルになるって決めたわけじゃないんだけどさ」
「おまっ!? ええ!?」
「だって、みんなの記憶からなくなるって話、後出しされたんだよ!」
「それ、一番重要なトコだろ!?」

 なぜ時深は致す前にそのことを教えなかったのか。
 色々と疑問だが、男女の仲のことだ。色々あるんだろう、多分。と、友希は思考を放棄した。

 アセリアへの対応については難しいが、友希は知らぬ存ぜぬを貫くべきだろう。彼女がこれを知った時どんな反応をするのか、読めなさすぎて怖い。藪をつついて蛇を出す趣味は友希にはなかった。

「……な、なんかどっと疲れた。いいよ、どうするにしても、自分で決めてくれ」

 その言葉は、我ながらぶっきらぼうだと思った。

「そ、そうか?」
「そうだよ。どっちにしろ、僕はお前の選択を尊重する」

 こんなこと、直接言うつもりはまったくなかったのだが、どうにも話がズレてしまった感がある。

「……もう、地球への門が開くまであまり日もないしな。じゃ、今日は帰るよ」
「用があったんじゃないのか?」
「いや、ちょっと雑談でも、と思ったんだけど、そんな気分じゃなくなった」
「な、なんかごめん」

 謝る悠人。
 友希は嘆息して、それにしても、と考えた。

 この男、異様にモテる。アセリア、エスペリア、ヘリオン、そして時深。加えて、恋愛感情ではないだろうが、スピリットの年少組には総じて懐かれている。
 そして、友希が気付いていないだけで、今日子はかつては微妙な感情を抱いていたし、麗しの女王陛下は城下に繰り出した際に彼とデートらしきものをしていたりする。

『主も、このくらいの甲斐性が欲しいものです』

 物語。特に恋愛事に目がない『束ね』が口を出してくる。
 これまではただ否定するだけだったが、時間も経ち、友希の考えも少し変わっていた。

『今んとこ、僕はいいよ。少なくとも、戦いが終わるまで、そんなこと考える余裕もない』
『……少し、前向きになりましたかね』

 ゼフィのことは今でも愛している。
 しかし、これから先。誰かに絶対に心を惹かれないと言い切ることは友希には出来ない。

 こんなことを知ったらゼフィは怒るだろうか、それとも喜んでくれるのだろうか。

 悠人の部屋から出て、第二宿舎に帰る途中、友希はそんなとりとめのないことを考えていた。



















 次の日。

 模擬戦における時深の動きが妙に悪いと、スピリット隊の面々は不思議に思ったが、事情を嫌々ながら知ってしまった友希としては、げんなりとするしかなかったのであった。




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