瞬との戦いが始まった。
 初撃を全力で打合せた『求め』と『誓い』は、互いに弾かれたように吹き飛ぶ。

 しかし、すぐに体勢を立て直したもののバランスを崩した悠人に比べ、瞬は余裕そうに着地する。

「はっ、悠人! お前如きが僕と『誓い』に勝とうなんて土台無理なんだよっ!」

 力の差を確信した瞬が笑いを堪えられないような表情で叫ぶ。瞬の歓喜の感情に応えるように、『誓い』がますます禍々しいオーラを発した。

 悠人の方も、互いの実力差については実感していた。『求め』を握る手が痺れ、先程感じた圧力がチリチリと全身を撫でる感じがする。
 しかし、不安は一切ない。悠人が吹き飛ばされるのに合わせ、アセリアとセリアが同時に飛び出していた。

 『束ね』の魔法コネクトによる意思疎通の恩恵により、互いを一切邪魔しない軌道で二人のブルースピリットが飛ぶ。

「死ねよ、『求め』の走狗共がぁ!」
「ハァァァッ!!」

 その鬱陶しい蠅を、瞬は無造作に打ち払おうとして『誓い』を一振りし、対峙したセリアが全力の一撃で持って迎撃する。
 ガヅン! と、金属同士が衝突する激しい音が鳴り響き、同時にセリアが為す術なく皇帝の間の壁に叩き付けられた。

 しかし、全力とは程遠い、撫でるような一撃を放った瞬はと言うと、思い通りとはいかないその結果に歯噛みする。
 相当強力なスピリットでも、先程の『誓い』の攻撃から生き残ることは不可能なはずだった。永遠神剣ごと一刀両断に叩き伏せられ、無様な死体を晒す。そのはずだったのに、先程のブルースピリットは大きなダメージを負ったものの、まだ戦闘が出来る状態で生き残っている。

 そのことに気を取られている隙に、セリアと同時に突撃したアセリアの攻撃が走っていた。

「ヤァァア!」

 瞬が展開したオーラフォトンバリアによって難なくその攻撃は受け止められるが、アセリアは怯むことなく二度、三度とバリアに対して斬撃を加える。四度目、ウイングハイロゥの加速を十分加えた攻撃により、バリアにピシリと亀裂が入った。

「五月蝿いんだよ!」
「させません〜」

 その頃には、足の遅いハリオンとニムントールが瞬のもとに辿り着いており、アセリアを打ち払おうとした瞬の攻撃を二人がかりでガードする。
 ハリオンのシールドは破られたものの、重ねるように展開されたニムントールのシールドによって瞬の攻撃は受け止められていた。

「ィヤァッ!」

 防御を二人に任せたアセリアが、今度は遠心力を十分に乗せた横薙ぎで持って瞬を攻撃する。青く光るマナを宿らせたアセリアの『存在』が瞬の展開したバリアを切り裂き、大幅に威力を減じながらも瞬の体に届く。

 届いた威力は、本当に儚い。辛うじて瞬の服に傷を付けた程度だが、瞬のプライドに与えたダメージは深刻だった。

「このスピリット風情が!」

 赤いオーラフォトンが爆発するように放たれ、近付いていた三人のスピリットを吹き飛ばす。しかし、寸前で察知していた三人は後ろに自ら飛んでおり、全員生き残っていた。

「まずはお前らから八つ裂きに――ッ!?」

 『求め』の前に自分にかかってきたスピリットを殺そうと一歩を踏み出す瞬に、三種類の形を取る炎が殺到した。
 瞬の表面を守るオーラフォトンによって遮断されるが、防ぎきれない熱量に瞬は顔を顰める。

 見ると、ラキオス軍のレッドの三人が同時に魔法を放っていた。

「パパ!」
「おう! 光陰、友希!」
「わかってら!」
「行くぞ!」

 そうして、本命の三人が動き出す。それに合わせるように、既に残りのスピリット達も二人一組で動き始めていた。

 これが対『誓い』戦におけるラキオスの作戦である。
 瞬と『誓い』が、ともすれば『求め』をも大きく越える力を持つことは想像が付いていた。ラキオスの最精鋭である彼女達でも、普通に戦っては足手まといになる。事実、マロリガン攻防戦において、エトランジェである光陰と今日子との最終決戦に参加出来たのはエトランジェである悠人と友希、そしてスピリットではアセリアだけだった。

 しかし、今は違う。
 マロリガンを占拠し、かつてない規模のマナを獲得したラキオスは、対エトランジェ戦に帯同するメンバーに大量のエーテルを与えた。それによる著しい地力の向上と、更に従来のスリーマンセルにおける一人分の役割を二人、あるいは三人一組で実現する戦術の実践。
 友希のコネクトがなければ実現は到底不可能な戦術だったが、この戦い方を実施した場合、ラキオススピリット隊プラス友希の戦力は、全力の悠人相手に勝率四割を誇るまでとなった。

 機動力に溢れるファーレーン、ヘリオンコンビとネリー、シアーコンビの間断のない攻撃に晒され、今や瞬は少し遅れて接近する悠人達に対する警戒がおろそかだ。

「瞬ンンンン!」

 三人のエトランジェが攻撃する寸前、それまで瞬を攻め立てていたスピリットは即座に離れ、悠人、光陰、友希の全力攻撃が三方向から瞬を襲う。
 スピリット四人の攻撃により削られていたバリアは一瞬の抵抗もできず破壊され、それぞれの永遠神剣が瞬の体に突き刺さり、

「舐、め……るなよ、この塵共ぉぉぉォォォッ!」

 深い、明らかな深手を受けたにも関わらず、そんな傷は知ったことかと言わんばかりに闇雲に『誓い』を振り回した瞬に、三人は後退を余儀なくされた。

 ふぅ、ふぅ、と荒く息をつく瞬。傷口より命に関わる量の血が溢れてマナに昇華していたが、目は今だ爛々と輝いている。
 重傷の身でもいささかも衰えていない戦意のままに瞬は一歩を踏みだそうとして、ロクに力が入らないことに気付いた。

 苛立ちを隠せない様子で、瞬は吠える。

「『誓い』よ! もっと力を寄越せ、もっとだ! 悠人を、『求め』を前にして、ここで死ぬつもりか!?」

 『求め』、という名前に『誓い』が反応し、赤黒いオーラが噴出する。それは瞬の体を包み込み、怪我を強制的に癒していった。

「う、グォォオオオオオ!!」

 時間を巻き戻したかのような急速な回復に、瞬が身悶えをして叫びを上げる。瞬の体に過剰に注ぎ込まれたオーラフォトンが、怪我を治癒するだけでなく、瞬という器が決壊しかねない勢いで力を充溢させていく。
 本来であれば、訓練士による監督の元、少しずつ広げていくべき力の器を、過剰なオーラフォトンによって押し広げようとしているのだ。

「ぐっ……!? 『求め』よっ!」

 暴風のように巻き起こる力に、悠人は背筋に冷たいものを感じて『求め』に声をかけた。
 悠人も、今まで自分の分を超えた力を発揮することを『求め』によって強制されたことがある。しかし、今の瞬のように壊れかねない状態に陥ったことはない。

 それは、『誓い』がこの戦いを最終決戦と見て、最悪契約者が潰れても構わないと思っているということと――そして、今瞬に注がれている力がどれほど常軌を逸しているのかをまざまざと証明している。

「今日子!」
「あいよっ!」

 ここまで後方で待機していた今日子が悠人の声に応えて『空虚』を掲げる。
 待機している間に十分に練った雷のオーラフォトンが煌き、悠人のオーラフォトンと共に瞬の力と鬩ぎ合うように膨れ上がった。

「「マナよ、我が求めに応じよ!」」

 イメージを固めるための詠唱が二人から同時に漏れる。今、瞬は『誓い』の力を受け止めるのに手一杯で、詠唱の邪魔をするような余裕はない。ラキオスの最大火力をぶつけるのは今しかなかった。

「一条の光となり、彼の者を貫けぇ!」
「小さき雷となりて、敵を打て!」

 同時に完成する魔法。そして、放つ直前、

「マナよ、僕に従い敵をぶち殺せ!」

 二人の半分以下の時間で瞬の足元に魔法陣が展開される。そんな短時間で作られた魔法陣なのに、その描画に僅かな歪みもない。

 形作られる力は、悠人のものと似通っている。しかし、集まるオーラフォトンから想像される威力は、一軍を灰塵と化す悠人の魔法も遥かに及ばない。

「――っ、全員伏せろッッッ!!!」

 光陰が咄嗟に叫ぶのとほぼ同時に、エトランジェ三人の最大魔法が放たれる。

「オーラフォトンビィィーーームッ!」
「ライトニングブラスト!」
「オォォォラフォトンッ、レイッ!!」

 二つと一つの魔法がぶつかり合い、皇帝の間を破壊の力で満たした。

























「――はっ!? っづ」

 友希は意識を取り戻し、上半身を起こす。びきり、と全身が痛みを訴えるが、意識から無理矢理外して状況を確認する。

 サーギオスの誇る皇帝の間は半壊。床はめくり上がり、天井が崩れて瓦礫の山ができている。壁もいたるところが崩壊しており、廃墟の様相を呈していた。

 そして、部屋の中央では二人の影が剣を打ち交わしている。

「ハハハッ、悠人ォ! お前はもう終わりだ!」
「ぐっ」

 瞬と悠人。あの魔法の衝突を受けて、あの二人だけが戦う力を残していたらしい。

「頼みの綱の仲間とやらも、もういない! どうだ悠人! どうだ『求め』! 所詮、僕と『誓い』に歯向かおうなんて馬鹿なことだったって、ようやく気付いたか!?」
「うる、さい! 俺達はまだ負けちゃいない!」

 二人が剣を振るうたび、赤と青の光の軌跡が乱舞し、爆発めいた衝突が巻き起こる。
 しかし、明らかに青の光が弱い。ケダモノめいた『誓い』の暴虐に、『求め』は抗いきれていない。

「僕も――くぅ」
『主、今は回復に努めてください! 悠人さんに加勢する力は今の主にはありません』
「わかったよ!」

 『束ね』への返事は心の中で思うだけでいいのだが、焦りから勝手に口から言葉が出た。

「なんだ、友希。お前は生き残ってたのか。はは! そこで大人しくしていたら、見逃してやってもいいぞ?」
「今のお前に見逃してもらうなんてまっぴらだ! 悠人、少し待ってろ! すぐに加勢する!」

 強がりのように叫んで、友希は意識を集中した。
 この特異点とも言える城の豊富なマナを吸収し、傷を癒していく。しかし、先程の魔法の余波で辺りのマナの分布が滅茶苦茶になっており、効率が上がらない。

 今のうちに、と友希は『束ね』を通じて周囲の永遠神剣の気配を探る。

『……全員、気絶しているようですが、誰も死んではいません』
『よし』

 安堵する。
 瞬のあのオーラフォトンレイという魔法が直接炸裂すればスピリットの生存は絶望的だったが、悠人と今日子の魔法がうまく相殺してくれたらしい。
 友希より強い今日子と光陰がまだ目覚めていないのは、今日子はライトニングブラストを放ったため防御が遅れ、光陰の方は他のスピリットを庇うように盾を展開していたからだろう。

 全員が生き残っているのは幸運だが、今やまともに戦えるのは悠人のみ。その悠人も、お互い消耗しているとはいえ瞬に勝つのは不可能だ。このままでは、友希が立ち上がり戦線復帰する前に勝負が決してしまう。
 ――いや、

「悠人! 受け取れ!」

 まだ体はまともに動いてくれないが、魔法を使うのならこの状態でも支障はない。
 体内のマナをかき集め、悠人へ供与のオーラを飛ばす。

「サプライ!」

 友希から悠人にオーラフォトンの流れが出来る。
 悠人のパワーとスピードが友希のオーラにより数段階向上し、圧倒されていた戦況が五分に盛り返す。

「サンキュ、友希!」
「ふん、お前らがせせこましく協力したところで――この僕に! 勝てるわけがないだろうがッッ!」

 苛立ちを込めて瞬が叫ぶと、『誓い』に一際強い光が宿る。
 瞬の力は無尽蔵なのか、そう錯覚するほど強い一撃が繰り出され、『求め』で受け止めること成功したはずの悠人は崩壊した壁際まで吹き飛ばされた。

「ぐはっ!?」

 悠人の動きが止まる。致命的な隙。瞬の表情が笑みの形に歪み、止めを刺すべく『誓い』を腰だめに構えて突進し、

「させるかぁぁぁああああああっ!!」

 痛みもマナの不足も全て無視して、横合いから友希が瞬に全力で体当たりを敢行した。
 『求め』を砕くチャンスに狂喜に陥っていた瞬はそれに気付けず、友希と揉み合うようになって転倒する。

「友希、さっきから邪魔なんだよ!」

 ガッ、と友希の側頭部に衝撃が走る。
 『誓い』の柄頭で強打されたと気付いたのは吹き飛ばされてからだ。

 すぐに立ち上がろうとした友希は、瞬がすぐ側に立っている事に気付いた。『求め』を優先するかと思ったが、まずは邪魔者を排除するつもりらしい。

「たかがお前なんかが! 僕の! 邪魔をするなんて! 身の程を知れ!!」

 ガッ、ゴッ、と、瞬が二度、三度と友希を蹴り上げる。
 口の中が血の鉄臭い臭いでいっぱいになり、肋骨が纏めてへし折れる感触がする。『束ね』の身体強化でも誤魔化しきれない痛みが脳を刺すようだった。

 しかし、横目で見える悠人は、この間に体勢を立て直し『求め』を支えに立ち上がっていた。

 ――なら、このくらい安いものだ。

「『誓い』、五月蝿いぞ! 悠人の奴はこいつを黙らせてからだ!」
「がはっ……」

 耐え切れず吐き出した血が、瞬の服の裾を汚す。すぐにマナに昇華するものの、瞬は不快そうな顔になった。

「ふん、良いザマだ。後は永遠神剣を砕いてやれば、もう僕に逆らおうなんて気はなくなるだろう?」

 瞬が『誓い』を振り上げる。
 狙っているのは、友希の持つ『束ね』だ。

 この状況で『束ね』を失ったら、もう絶対に友希は立ち上がれない。永遠神剣を持たずともファンタズマゴリアでは地球人は普通の人間よりも相当頑強だが、それでも生き残れない可能性も高い。

「くっ、やめ……」
「じゃあな。精々後悔しろ!」

 瞬は友希の言葉を切って捨て、『誓い』を振り下ろそうとし、

「やめてぇえええええええええええ!!」

 ――瞬間、この場では有り得ない叫び声が、その場の全員の動きを止めた。




























「佳……織……?」

 突如現れた妹に、悠人は呆然と呟く。
 一刻も早く会いたかった妹。しかし、駆け寄って抱きしめてやることも出来ない。悠人が近くにいると、『誓い』に飲み込まれた瞬が、例え佳織がいても襲いかかってくるかもしれない。そんな危惧をしていた。

「佳織……!?」

 呆気に取られたのは瞬も同じだ。城の奥深く、この皇帝の間よりもずっと堅牢な作りをしている部屋に避難しているよう言い聞かせていたのに、どうしてここにいるのか。
 護衛のスピリットはなにをやっている、と、佳織の後ろに控えているウルカを見付け、その瞬間に瞬は激高する。

「おい、貴様ァッ! スピリット、お前なにをしている!? 佳織をこんなところに連れてくるなんて、殺されたいのか!!」

 瞬の怒声にウルカは竦むこともなく、沈黙で持って返した。もういい殺す、と瞬は決めて、友希も放り出して歩み寄ろうとしたところ、その前に佳織が一歩を踏み出す。

「秋月先輩。ウルカさんには私がお願いして連れてきてもらったんです。それより……少し、お話いいでしょうか」

 きゅっ、と口を固く結び、手を胸の前で握りしめて瞬を正面から見据える佳織には、常にはない決意が伺えた。
 どうしてここに現れたのかわからないが、なにも知らない友希にも、佳織が本当に自分の意志でここにやって来たことがわかる。

「……あのね、佳織。ここは危ないんだ。さあ、怪我をしないうちに、部屋に戻っておくれ」
「秋月先輩。私はお話があると言いました」

 佳織が、瞬の提案を突っぱねる。これまでここまで強く、そして決然とした佳織を見たことのない瞬が僅かに怯む。

「……それに、大丈夫です。もう殆ど戦いは終わっているんでしょう? 危なくなんて、ないじゃないですか」

 それは、そうだった。
 もう、戦いが始まった頃のように大きな破壊をもたらす力は、瞬を除き誰にも残っていない。
 可能性があるとすれば『求め』が限界を超えて力を発揮した場合だが、佳織を巻き込む危険がある以上、それは悠人が絶対に許さない。

「あ、ああそうさ! ほら、見てくれあいつらの姿を! 僕が勝ったんだ! 正しい者には勝利がもたらされるのさ! これで佳織もわかってくれただろう?」

 いつもとは違う佳織の様子に戸惑っていた瞬だが、気を取り直して自らの戦果を誇った。
 満身創痍の兄や友希、瓦礫に埋もれるようにして気絶している光陰や今日子やラキオスのスピリットの姿に佳織は少しだけ表情を歪ませるが、しかし強い瞳は揺らがない。

「……どうかお願いです、秋月先輩。これで戦争をやめて、お兄ちゃんやみんなを殺さないでください」
「なにを言っているんだい、佳織! それは何度も説明しただろう!?」

 今更の話に、瞬が少し苛立ちを混じらせて言う。しかし、その回答は予想出来ていたようで、佳織は続きを話した。

「このまま戦争を終わらせてくれたら……『秋月先輩』になら、私は付いて行っても構いません。でも、『誓い』に支配されるのは、嫌です」
「なにを言って……」

 瞬が続きを言う前に、佳織はポケットから『それ』を取り出して、自分の首に当てた。
 きらり、と光を反射して鋭く輝く細長い金属の固まり。一瞬、友希はそれがなんなのかわからなかった。それほど、友希の知る佳織には似合わない品だった。

「そうしてもらえなければ……私はここで死にます」
「なっ――っ!?」

 その場の全員が息を呑む。
 佳織が手が白くなるほど強く握りしめていたのは、無骨で幅広のナイフだった。切れ味は確かなものらしく、少し触れただけで佳織の首筋から一筋の血が流れている。

 そして、彼女の口から放たれた『死ぬ』の言葉。決して嘘では出せない本気の声色がした。

「か、佳織……なにをやっているんだい? そんな武器は下ろして……」
「近付かないで!」

 佳織の鋭い声に、瞬はビクッと怯んで足を止めた。

「近付いたり、ウルカさんをけしかけたりしたら、その瞬間に私は自分の首を掻き切ります」

 瞬とサーギオスのスピリットであるウルカ、その両方を視界に捉えて、佳織は言った。
 ウルカが佳織に協力しようとしても、瞬に命令されれば当然その命令を優先する。しかし、ウルカは気が付くと佳織からかなり距離を取っていた。ウルカが止めるより佳織が既に自分の首に当てたナイフを引く方が早い。そんな距離を取ったのは――恐らく、これも事前にウルカと打ち合わせていたのだろう。
 そもそも、あのような実用的なナイフを手に入れることも、ウルカの協力なしでは不可能なはずだ。

「……秋月先輩。どうかお兄ちゃんたちを見逃して、『誓い』を捨ててください。そうしてくれれば、ウルカさんがこのお城から私と一緒に連れ出してくれる約束になってます。その後は、どこか静かな場所で暮らせたら、と思っています」

 ――それをされると、今のラキオスに追う術はない。ラキオスから佳織を誘拐した手腕からして、城の外の包囲網も逃げることに徹したウルカなら突破できるだろう。なにせ、ウルカを止めうるラキオス側の実力者の殆どはこの皇帝の間で気絶しているのだ。

「お兄ちゃん、御剣先輩。ごめんなさい。助けてくれようとしていたのに、私、こんなことしか思いつかなくて」

 佳織が謝るが、自らの首に突きつけたナイフを離す気配はない。

 これは、自分の命を人質にした脅迫だ。
 佳織にとっても、一番はラキオスが勝つことだった。しかし、今の瞬の鬼気迫る様子からして、兄らが負ける想像もどうしても捨て切れなかった。
 その時のための策。自分を瞬に差し出して、ラキオスのみんなを見逃してもらうという、一見すると無謀な試み。

 しかし、瞬に対しては効果は覿面だった。圧倒的な優勢にあるはずの瞬が行くことも引くことも出来ず懊悩している。

「なんでだっ!? なぜ佳織はそんなことをするんだ! 僕が勝ったんだぞ!? ここに来て、佳織は僕に負けろって言うのか!?」
「……秋月先輩。私、勝ったりだとか負けたりだとか、そんなことで人を選んだりしません」

 自らの価値観を根底から揺るがす発言を、当の佳織からされて瞬は動揺する。

「そもそも――秋月先輩にとって、勝ちってなんですか? 先輩は、私が側にいればそれでいい、って言ってくれたじゃないですか。……私も、それでいいんですっ!」

 開き直り、あるいはここに来て肝が座ったのか。
 佳織は真っ直ぐ瞬を見据えて、言葉を発した。

 ――悠人が一番好きであることは、佳織の中で今でも変わっていない。
 でも、監禁されていたとはいえ、佳織と会うときの瞬は学校にいた時と変わらない素だった。傲慢で兄のことを口汚く罵るけれども、自分には確かに優しいし、友希のことを語る時はどこか悪友に対するような親しみを含んでいた。
 そんな瞬とは、一緒にいてもいいと思う。

 もしかしたら。都合の良い妄想だと自分でもわかっているが、戦争が終わっていつか情勢が落ち着いた後、瞬と悠人達が共に話せる未来が来るかもしれない。

「ぼ、僕は……悠人を、『求め』を殺して……それで、佳織を手に入れて」
「お兄ちゃんを殺したら、私は手に入りません」

 ぐっ、とナイフを少しだけ深く切り込む。一歩間違えれば、大きな血管を切ってしまい、そのまま失血死しかねないが、今の佳織はそのようなことは気にしなかった。
 悠人も友希も光陰も今日子も、ラキオスだけでなく、大陸中のスピリットも。みんな血を流して、この戦争を戦っている。自分だけが流血を厭うのは卑怯だと思う。

「お願いします、秋月先輩」
「あ……あ。ぼ、僕は、僕は……」

 カタカタと、『誓い』を持つ瞬の手が震える。凄まじい葛藤が彼の中で繰り広げられ、しかし、傍で聞いていた友希は瞬が選ぶであろう選択肢はとっくに予想が付いていた。

「僕は、佳織を……佳織を!」

 そう。秋月瞬が佳織を差し置いて悠人や友希の打倒を選択することは有り得ない。
 佳織に傷一つ付くことすら許さないこの男が、佳織の死が天秤に掛けられて選ぶ答えはそれしかない。

 そう、だから、

「なっ、『誓い』!?」

 ――ここで、瞬と『誓い』は、決定的なまでに乖離する。

「ぐがぁぁああああ!? 『誓い』ィ! 何のつもりだ!!?」

 『誓い』が瞬の体を侵食していく。余程ここまで瞬との一体化が進んでいたのか、その侵食のスピードは悠人に対する『求め』の比ではない。絡みつくようなオーラフォトンが瞬の全身を覆い、瞬の瞳に赤い光が灯る。その目は、もはや正気の色を宿していなかった。

 ぎらりと輝く眼光が、目を見開いて瞬の様子を見ていた佳織に向けられる。

「この小娘がッ! 先に貴様を殺しておくべきだった!」

 怒りに呑まれた声は、瞬の口から発せられたが、それはもはや瞬のものではない。
 いつかの、今日子が『空虚』に乗っ取られていた時のように、『誓い』が瞬の声帯を使って言葉を出しているに過ぎない。

 怒りの声を上げた瞬が神剣を振りかざし、佳織に向かって突進する。

「カオリ殿!」

 そこで、ここまで沈黙を保っていたサーギオス最強の兵が動き出した。

 その身に代えても佳織を守れ。そう瞬から命令されたウルカは、佳織の『策』には乗ったが、断じて『誓い』に佳織を斬られることを容認したわけではない。そして、命令の撤回を受けた覚えはない。例えサーギオスの最高権力者相手であろうと、佳織を脅かすのなら許さない!

「邪魔ダ!!」
「チィ!?」

 しかし、彼我の実力差は絶望的だった。
 全身全霊を込めて、辛うじて一刀目は受け流す。

「ハァ!」

 攻撃の後、瞬の体が流れた隙に、必殺の間合いでウルカが刺突を繰り出すが、何気なく皮膚表面に展開されているオーラフォトンの膜すら突破できない。
 瞬が二撃目を放つべく剣を少し引く。剣術は拙く、隙だらけ。瞬が二回剣を振るう間に、都合五回、ウルカは剣を叩き込む。
 しかし、瞬は全く意に介さない。

「どけぇ!」
「ガッ!?」

 ただの力任せの剣が恐ろしく早い。避けきれないウルカは神剣を盾にして受け止めるが、そのまま吹き飛ばされる。ビキリ、と嫌な音を立てて、ウルカの神剣『拘束』に大きな罅が入った。

「死――」
「させるかよ!」

 そうしてウルカが決死で稼いだ時間で、悠人が瞬と佳織の間に割って入った。もはやオーラの光も弱々しい『求め』を構え、

「馬鹿が!」

 その光景は、友希にはスローモーションに見えた。

 佳織を守ろうと悠人が構えた『求め』。『誓い』そのものとなって、狂笑を放ちながら瞬は剣を振るい、

 ……もはや、ほとんどの力を吐き出していた『求め』は、『誓い』の攻撃により、根本から折れ飛んだ。

































「なっ!?」

 悠人が驚愕の声を上げる。
 神剣の加護をなくし、急激に常人に戻っていく体。抑えていた痛みと疲労が噴出するが、そのようなことは今はどうでもいい。

 『求め』が、折れた。今まで散々叩き折ってきたスピリット達の神剣と同じように。

「は、はははは! いささか呆気無い幕切れだったが、まあいい。来い、『求め』! 私が勝者だ!」

 『求め』の刀身がバラバラに砕け、破片が瞬の元に集まっていく。
 それとともに、ただでさえ出鱈目なオーラフォトンが、更に膨れ上がっていく。

 あまりの力に当てられ、気絶していたみんなが一人、また一人と目を覚ます。

「〜〜っ、おい、なんだありゃ!?」

 目覚めた光陰が全身の傷を無視して叫ぶが、その思いは誰も同じだった。

 集まった『求め』の破片が『誓い』と同色に染まる。そして、本来の『誓い』はその形状を徐々に変え、肥大した質量が瞬の腕を包み……いや、あれは腕と永遠神剣とが一体となりつつある。

「素晴らしい! 素晴らしい力だ!」

 哄笑を上げる瞬。
 その様子に、今までの経緯は知らないみんなも、彼が永遠神剣に乗っ取られてしまったことは察する。
 しかし、やはり今『誓い』に起きている現象を説明できるものはいない。……たった一本を除いて。

『主! 主の友人の神剣は、上位神剣に覚醒しようとしています!』

 数多の世界を巡り、物語を収集してきた『束ね』だけは、この現象に心当たりがあった。
 彼女が見たことがあるのはより下位の神剣のことだったが、複数の永遠神剣が他の神剣と一つとなり、より上位の神剣になる。そのようなことがあることは知っていた。

 イメージで伝えられた情報に、友希が驚く暇もなく、『束ね』は叫んだ。

『合体が済んでいないうちに斬ってください! 手が付けられなくなりますよ!』

 ぞっ、として思い出されるのは、あの黒い剣士タキオスと、その主人であるテムオリンの二人。
 第三位以上の神剣を持つあの二人の力は、まさに常軌を逸していた。第四位と第五位の神剣が一つとなった時の力は、恐らくあれに匹敵する。

 全員が万全の状態ならまだしも、この状態では逃げることすら困難だ。

「くっそ……」

 まだ散々痛めつけられた体の再生は完全ではない。しかし、ラキオス勢で今一番力を残しているのは友希だ。他のみんなは目を覚ましたばかりで、全身の傷は動けないほど。
 痛む体を引き摺るようにして起こし、全開でオーラフォトンを高める。

「ほう、貴様か。我、『世界』の慣らしには力不足だが――グッ……!?」

 融合途中にも関わらず、余裕たっぷりでこちらを向いた瞬が、唐突に動きを止める。
 周囲に浮遊する『求め』の破片が無茶苦茶に暴れだし、瞬の腕と『誓い』の融合部分から夥しい血が流れる。

「ぐあぁぁ、ギ、ギャァァァア!! キィ、サマァ! なんの、つもりだ……!?」

 瞬が頭を抱え、『誓い』を地面に打ち付ける。もがき苦しむ瞬は血涙を流し始め、瞳に宿っていた赤い光が片目だけなくなる。

「決まって、いる……! 『誓い』、例え……お前で、あっても。佳織を傷つける奴は、僕の、敵だッッッ!」

 そして、震える口から発せられた言葉は、秋月瞬のものだった。

「僕が貴様と契約したのは、佳織を手に入れるためだ! 『求め』も、そのために邪魔だから排除することにしたっ! でも、事もあろうに貴様は、僕を良いように操って佳織を殺そうとした!」

 『誓い』が無茶苦茶に振り回される。砕けろと言わんばかりに瞬はあちこちの建材に『誓い』を叩きつけるが、その程度では今の『誓い』に僅かな傷すらつかない。

『ゆ、融合途中で精神支配が甘くなったところで、自我を取り戻したようです』

 今日子と違って外部からの働きかけもない状態で、永遠神剣に完全に支配された状態から脱した。方向性はともかくとして、凄まじい意志の力だった。
 『誓い』が佳織を殺害しようとしたことが瞬を激怒させ、僅かな緩みを突破口にこうして体の制御を取り戻させたのだ。

「『誓い』、お前は死ねえぇぇぇええええええ!!」

 しかし、傍から見ても長続きはしない。
 どれだけ瞬が『誓い』を砕こうとしても、それこそ『誓い』自身の力を借りない限りそれは不可能だ。

 そして、瞬の抵抗により完成は遅れているが、『誓い』は徐々に『求め』との融合を完成させながら宿主の体を侵食している。この短時間で、『誓い』を壁にぶつけることもできなくなっていた。

「あ、秋月先輩……」
「近付いちゃ駄目だ佳織!」

 あまりに凄絶な様子に、思わず佳織は駆け寄ろうとするが、当の瞬から静止される。

「こいつは、あわよくば僕を動かして佳織を殺そうとしてる。そうすれば、僕の抵抗の意思を挫けると思ってるんだ」

 そして、それは事実だった。

 瞬は佳織を見て、そしてその佳織の肩を抑える悠人を忌々しそうに睨んで、目を閉じる。
 悩むのは一秒もなかった。

 暴れだしそうな衝動を抑えて、瞬は友希の方を見た。

「……友希! お前、なにをグズグズしているんだ、このノロマが!」
「あ……え?」
「とっとと『誓い』を斬るんだよ! お前しか出来ないだろうが、馬鹿が!」

 瞬の様子に逡巡していた友希を一喝する。

「でも、お前……! お前も、斬っちまうかもしれないぞ!?」

 口とは裏腹に、『誓い』は友希の方には差し出されない。今、瞬の体の中では、体の主導権争いが行われている。強大な『誓い』の意志に抗っている瞬も相当な自我の持ち主だが、それでも佳織に斬りかからないようその場に留まるだけで精一杯だった。

 『誓い』は瞬の腕と融合している。そして、近付いた時点で『誓い』は瞬が抵抗しようとも迎撃に入るだろう。そんな中、瞬の体を避けて『誓い』だけを砕くような器用な真似は、友希には難しい。実現しようとしたら、恐らくその隙を突かれて返り討ちに遭う。

「はあ? 本当にお前は馬鹿だな。僕とお前は敵同士なんだ。僕ごと斬ればいいじゃないか」

 勿論、この戦いに臨む際、友希もその覚悟はしていた。助けられなければ、瞬を殺すことは折り込み済みだ。
 でも、今は瞬は神剣の支配から抜け出そうとしているじゃないか。頑張れば、助けられるんじゃないか。そんな思いが、友希の足を止める。

「お前、そんな簡単に――!」
「佳織を害そうとするなら、それがたとえ僕自身だろうが、僕の敵だ!」

 友希の言葉に、瞬の怒声が重ねられる。

「自分でやれれば楽なんだが、『誓い』のせいでそうもいかない。だから、お前に任せてやるって言ってるんだ」
「…………」

 あの瞬がここまで言うのだ。恐らく、本当に自分ではどうしようもないのだろう。
 でも、と友希は可能性を探ってしまう。例えば、自分より技量の高い光陰の回復を待って……

「友希…………、頼む」

 その言葉を聞いて、友希は悩みを全て捨てた。
 手に持つ『束ね』が、友希の意志に呼応してオーラフォトンを輝かせる。生命維持に必要な分まで回して戦いのための力とする。
 巨大な光剣となった『束ね』を肩越しに構え、瞬に向けて一直線に飛んだ。

(あの瞬が――)

 頼む、と、そう言われた。

 当然、初めてのことだ。
 そして、あの瞬がそんなことを言う以上、本当にどうしようもなく、そしてやらなければ佳織が犠牲になることなのだ。それ以外のことで、あの男がこんな弱音を見せるわけがない。

 あの傲岸不遜な友人をそこまで追い詰めた『誓い』に友希は怒りを燃やしながら、近付いて来る瞬の顔を見た。
 ――相変わらずの不敵な笑顔だ。ことここに至っても、まるで変わりがない。

 『誓い』が接近する友希を斬るべく動くが、それは致命的に遅い。

 それも当然。永遠神剣とは、使い手と一つになってこそ真の力を発揮する。一つになるどころか、完全に反目しあっている今では、例え『誓い』と言えども十分な力は発揮できない。
 第一、瞬が全力で邪魔をしているのだ。二人と一本対一本。負ける道理がない。

「『誓い』ィィィィ!」

 叫び、『束ね』を振り下ろす。
 中途半端なことはできなかった。



 ……『束ね』の刀身が『誓い』を砕き、そして瞬の肉を叩き切る感触を、友希は涙をこらえて受け止めた。




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