よくわかんないけど、ぼくは病気らしい。
 おいしゃさまはすぐに治る、って言っていたけど、そもそも別に体が悪いとは思わない。

 そうきに発見出来たから、痛みもないし、ちゃんとかんちするよ、とか言われたけど、僕がびょーきだったなんてよくわからなかった。でも、お母さんとお父さんはすごくおどろいていたから、もしかしたら本当に病気だったのかも知れない。

 それで、入院させられた。
 ちょっぴりだけど、学校の勉強をしなくてもいいのはうれしかった。でも、ともだちと遊べないのはつまらない。最初は病院がおもしろくていろいろ探検したけど、すぐに飽きてしまった。

 ずっと入院してたら、ヨーヨーの腕もおちそうだったから、たいくつしないように、お母さんにたのんで自分のハイパーヨーヨーを持ってきてもらった。
 ……でも、すぐにこれにも飽きた

 やっぱり、競争する相手がいないとつまらない。いくらおもしろいおもちゃでも、一人だとおもしろくないことに僕は気付いた。

 だれか、遊び相手がいないか探した。
 おなじ病室のおじいちゃんはおもしろい話をしてくれるけど、一日のほとんどは寝ているし、ベッドから出ることもできないらしい。
 近所の病室にも、あまり元気な人はいない。病院だから、とーぜんだと思うけど。

 それでも、僕はあきらめられなくて、行っちゃいけないって言われた別の階に向かった。

 ナースさんからかくれながら、ひとつひとつ病室を覗いていく。

 そんで、三つめ。広い部屋に、一つだけのベッドが置いてある病室で、僕とおなじくらいの年の男の子と、ちょっと年下くらいの女の子が、なかよしそうに話しているのを見つけた。

「あ」
「誰だ!」

 ようやく見つけた遊び相手に声をかけようとすると、男の子のほうがすごい声を出した。

「秋月くん? どうしたの……あれ? お客様?」
「こ、こんにちは」
「こんにちは」

 大きな声を出されておどろいたけど、あいさつはちゃんとする。女の子の方は、ていねいにおじぎをしながらあいさつを返してくれる。
 ……男の子の方は、なにか怖い目で僕を見ていた。

「え、えっと。こんにちは?」
「誰だ」
「ぼ、僕、御剣友希」
「なにをしに来た。ここは僕の病室だぞ。お前なんか知らない」

 かたい声。学校のみんなとはぜんぜん違う感じに、僕はすこしびっくりする。
 で、でも、せっかくみつけた遊び相手だし! それに、病院のベッドにいるくせに、すごく元気そうだし!

「あの、僕、入院してて。それで、一人はたいくつだから……いっしょに遊ばない?」
「断る。僕は今、佳織と話をしているんだ」

 あっさりと断られてしまった。
 佳織? ちゃんは、もしかしてこの男の子のガールフレンドなんだろうか。小学生のくせに、そんな女の子がいるなんて。クラスメイトの淳くんもそうだけど、みんなにからかわれるのがいやじゃないんだろうか。

「だめだよ、秋月くん。せっかく友達が遊びに来てくれたのに」
「佳織、僕はあいつなんか知らない。友達なんかじゃないんだから、気にすることはないよ」
「でも、遊びたい、って言ってたよ」
「だからね……」

 さっきまでとはぜんぜん違う態度で、佳織ちゃんに話しかける男の子。
 うーん、どうしようか。

「じゃあ、佳織ちゃんでいいや。僕と遊ばない?」
「え?」
「駄目だ! なにを言っているんだ!」
「だって、君、遊んでくれないんだもん」

 怒っている男の子に女の子は優しく話しかけた。

「ね、秋月くん。三人で、一緒にあそぼ?」
「……佳織がそう言うなら」

 しぶしぶ、って感じで、男の子がうなずいた。やっぱり、男は女の子にはさからえないんだろう。うん。おかあさんの言っていたとおりだ。

「よし! じゃあ君の名前を教えてよ」
「……秋月。秋月瞬だ」
「じゃあ、瞬くんだ」

 うちの学校では、みんな名前で呼び合っている。

「なれなれしい」
「いいじゃん。じゃ、なにして遊ぼうか。僕、ハイパーヨーヨー持ってるけど」

 ポケットに入れてたヨーヨーを引っ張り出す。

「あ、クラスの男の子たちがよく遊んでるやつだ」
「ふふ……僕は、学校でも一番くらいの腕前なんだよ」
「すごいねー」

 佳織ちゃんの言葉に、ちょっと得意になる。
 ……でも、入院してからあんまり練習していないから、もしかしたら順位は落ちちゃっているかも知れないけど、だまっておこう。

「はいぱー、よーよー? なんだそれは」
「え!? 瞬くん知らないの? だっせ」

 僕のクラスだと、男の子はみんな持っているおもちゃなのに。

「だ、ダサいってなんだ! 僕は、そんな下らない玩具で遊ぶほど暇じゃないんだ!」
「言ったな! じゃあ、やってみろよ。ぜーーったい、面白いから」
「誰が――!」

 瞬くんが怖い顔になると、佳織ちゃんが悲しそうな顔になった。

「う、佳織。そんな顔しないでくれ」
「な、なかよく、仲良くできないの?」

 あ、佳織ちゃん、ちょっと涙出てる。

「泣ーかしたー」
「くっ。か、佳織、喧嘩なんかしないから、泣き止んでくれ」
「本当に?」
「あ、ああ」

 うなずく瞬くん。……よし、

「じゃ、ヨーヨー教えてやるから、やってみろよ」
「……どうやるんだ?」

 ちらちらと、佳織ちゃんのことを気にしながら、瞬くんが聞いてくる。

「えっと、まずはね」

 僕は自分のヨーヨーをわたして、一から瞬くんに、ヨーヨーのことを教えてあげるのだった。






























「ん、む」

 ピピピピピ、と甲高い音を鳴らす目覚まし時計を、目も開けずに手を動かして見つけ、乱暴に叩いて黙らせる。
 基本的に朝が弱い友希は、そのまま十分ほど微睡みを楽しんで、

 もう一度鳴り出した目覚まし時計を、今度こそ完全に停止させて、身体を起こした。

「ふぁ……」

 大きく欠伸をしてから、ベッドから抜け出す。
 寝ぼけ眼で、部屋に置いてある鏡の前に立ち、寝癖をやや乱暴に直す。あまり頑固でない髪質は、こういう時に助かっていた。それなりに整ったのを確認した友希は一つ頷き、ハンガーに掛けてある学生服を手に取る。

 着替えをしながら、友希は先程の夢を思い返す。

(――また、懐かしい夢見たなあ)

 まだ幼かった頃。毎日が輝いていた頃の記憶。
 あの時出会った二人とは、小学校が違ったせいでそれ以後会わなかったのだが、なんの因果か中学から編入した浅見ヶ丘学園で再会したのだった。

 昔のような関係、とはいかなかったが。

「はあ」

 重い溜息をついて、友希は階下に降りる。

 当然のように、誰もいないリビング。友希も慣れたもので、トースターに食パンを突っ込み、その間に目玉焼きと、レタスを千切ったのを用意する。
 彼の父と母は、彼が高校に上がると同時に海外に転勤してしまった。同じ職場の夫婦でアメリカに……友希は最後まで付いて行こうかどうか迷っていたが、結局今更英語で日常会話など無理だと思い、日本に残った。幸い、持ち家だったので狭いマンションに押し込められることもなかった。

 今では、それなりに家事もこなせるようになり、一人暮らしを満喫している。

「っと、急がないと遅刻か」

 リビングに到着するなり付けっぱなしにしていたテレビの時刻は、そろそろ走って行かないとと危ない時間を示していた。
 ベッドで微睡む十分少々がなければ、普通に間に合っていたのだろうが、あの時間は友希にとって至福の時間だ。駄目だ駄目だと毎日思っているのだが、中々止めることが出来ない。

 トーストを四口で片付け、目玉焼きとレタスを同時時に掻き込み、皿を流しに入れる。
 洗面台に直行し、おざなりに歯磨と洗顔を済ませて、ぺったんこの鞄を手に友希は家を飛び出した。

「っとっと」

 施錠を忘れてた。一人暮らしをするに当たって、防犯だけはしっかりするよう、両親から仰せつかっているのだ。忘れるわけにはいかない。

「じゃ、行ってきます」

 誰ともなしに声をかけて、友希は学園に向けて走り始めた。



















 友希は焦っていた。今日に限って、道中にある信号の全てが赤で、だいぶ時間を食ってしまった。
 浅見ヶ丘学園の遅刻のペナルティはけっこうキツいのだ。一人暮らしを始めて、ここまでギリギリなのは友希は初めてだった。

 携帯を開いて時刻を確認し、本格的に時間が残されていないことを確認する。……確認する時間も惜しかったかと、携帯を閉じてから後悔した。

「くっそ! 間に合え!」

 あまり鍛えている方ではないので、どうしてもスピードは上がらない。これ以上上げたら、五十メートルと持たずにバテて走れなくなってしまう。
 そんな風に急いでいると、前の方に見覚えのある集団が、同じく走っているのを見つけた。

「あれって」

 遅刻常連の高嶺悠人たちだと、その後姿から判断する。というか、あんなに特徴的な集団を間違えるのは、なかなかに難しい。

 学園へ続く坂を、友希のクラスメイトである高嶺悠人、碧光陰、岬今日子と……そして、悠人に背負われて、悠人の妹であり、友希の幼馴染でもある佳織が走っていた。

「なんだありゃ……」

 僅かにスピードを上げて、四人に追いつく。
 普段なら、体格のいい悠人や光陰、そして陸上部の今日子に追いつくことなんて出来ないが……悠人が佳織を背負って走っている今なら、簡単に追いつけた。

「はっ、はっ……よっ! おはよう」
「ん、お、御剣か。おはよう」

 寺の息子だという光陰が、余裕のある様子で挨拶を返す。友希は息切れしながらだというのに、元気なものだった。

「御剣、おはよ」
「ああ。岬」

 流石は陸上部というか、女子なのにこの長い坂を苦も無く軽やかに走る今日子とも挨拶を交わした。

「おはようございます。御剣先輩」
「おはよう、佳織ちゃん」

 今朝、夢に見た女の子。
 高嶺佳織。

 友希と出会った小さな頃とあまり変わらない、優しげな容貌と声。友希に対する呼び方は変わってしまったが、それでも彼にとっては大切な友達だった。
 彼女が浅見ヶ丘学園の中等部に上がってきて、また昔のように三人で遊べるかな、と友希は思っていたが……しかしそれは、叶うことはなかった。

 その原因であるもう一人の幼馴染のことを思い出しつつ、友希は佳織を背負っている男に目を向ける。

「……んで、大丈夫か、高嶺。だいぶキツそうだけど」
「こ! のぐらい、平、気……だ」

 佳織の義兄、高嶺悠人が、強がりの言葉を口にして、走った。

 確かに悠人は光陰ほどじゃないにしろ体格がいいし、体力もありそうであったが……佳織を背負ってこの坂を駆け登るのは明らかに無茶が過ぎていた。

「なんで、佳織ちゃん背負ってるんだ?」

 悠人のように誰かをも背負っているわけではないとは言え、喋りながら走るのは友希もキツイ。

「いや、まあー、佳織ちゃんが走ってこの坂を登ったら間違いなく遅刻だからな」
「……ならもっと早く出りゃいいのに」

 光陰のぼやきに、自分のことを棚上げして友希が言うと、佳織は我が意を得たり、という感じで、自分が乗っている悠人に説教を始めた。

「ほら、御剣先輩もこう言ってる。お兄ちゃん、ちゃんと明日からは起きてね」
「うっ……ど、努力はする!」

 それは、政治家の『前向きに善処します』と同レベルで信用ならない台詞だった。
 悠人の気持ちが大いに分かってしまう友希は、思わず心の中で同意してしまう。

「ほら、校門見えてきた! アンタたち、ラストスパートよ!」

 今日子が発破をかけ、友希と光陰はスピードをあげる。一拍遅れて、悠人が必死の形相でスパートをかけた。
 校門を抜け、高等部の友希たちと中等部の佳織は校舎が違うので中庭のところで別れて。最後の難関、階段登りに挑む。

 そしてその苦労の甲斐もあり――彼らは全員、無事に遅刻を免れることが出来たのだった。





















 授業が終わった。
 お昼はどうしよう、と悩みながら、友希は教室を後にする。一応、朝と夜は自分で作るが、流石に弁当を作るほど朝は余裕が無いので、昼ご飯は学園の食堂か購買で済ませるのが常だった。

 いつもなら、何人かの友達と一緒に行く友希だったが、今日に限って知り合い関係は全員、別の友達と一緒に行ってしまったので今は一人だ。

(……ま、一人なら食堂の席も確保しやすいだろ)

 なんて呑気に構えながら、食堂で食べることに決定。日替わりにするか、それともカレーにするか、はたまた麺類にするか、と悩みながら教室を出る。
 と、ふと見覚えのある男の姿を見かけた。

「瞬」

 整った容貌に、細身に見えて鍛えられた身体。そして勉強においても光陰と首位を争い、実家は地元の名士で金持ち。
 常に顔面に貼り付いた酷薄な笑みとキナ臭い噂さえなければ、女子に大いにモテているであろうその男は、友希と佳織の共通の幼馴染である秋月瞬だ。

「……なんだ、友希か。何の用だ?」
「いや、別に。最近話してなかったからさ……。一人なんだったら、これから一緒に昼でもどうだ?」
「生憎、僕は忙しいんだ。これから佳織を説得しに行かなくちゃいけない」

 にべもなく断られる。

 ……この学校に来て友希と再会した瞬は、昔とは変わっていた。
 基本的なところ変わっていない。佳織のことが大切で、それ以外のことはどうでもいいと思っている。基本的に佳織以外の人間に対しては辛く当たる。それが秋月瞬という男だった。
 それは変わっていないけど、それでも昔はもう少し棘が少なかったと友希は思う。

 親がこの学園に多額のお金を出資しているということもあって、瞬は学園の生徒でも有名人だ。しかし、聞く噂はどれも正直、良いものではない。
 ……もしかしたら、まともに話しかけるのは、友希くらいなのかも知れなかった。

「佳織ちゃんを説得……って、またアレか。高嶺のことか?」
「そうだ。佳織はあいつが現れるまで幸せだったんだ。佳織を不幸にしておいて、のうのうと佳織の側にいる。佳織は優しいから、あいつが疫病神だってことに気がついていないだけだ。目を覚まさせてあげないと」

 鬼気迫る様子で独り言のように呟く瞬。

 友希は、悠人と佳織の間になにがあったのか、よく知らない。
 しかし、義理の兄妹で、佳織の実の両親に悠人が引き取られた、ということはなんとはなしに聞いている。そして、今現在、その両親がいないことは事実だった。

 なにがあったのかは知らないが、それは不幸な事故だろう、と友希は思っている。
 しかし、悠人が災厄を持ってくる疫病神だと、瞬は本気で信じこんでしまっていた。悠人に佳織を取られたように感じているのも確かだが、同じくらい佳織が不幸になることを本気で心配している。
 だからこそ、タチが悪い。瞬は100パーセント自分が正義だと思い込んでしまっているのだ。

「……やめとけって。また佳織ちゃんに嫌がられるだけだ」
「それはあいつに騙されているからさ! 目を覚ませば、僕の言うことが正しいってわかってくれるはずだ」

 確信に満ちた声。友希から見た高嶺兄妹は、本当に仲の良い――義理ってことを考えればちょっと危ないくらいに――兄妹だったが、瞬にはそう思えないらしい。

「さあ、どけ。邪魔するなら、お前でも容赦しないぞ」
「邪魔なんてしない。でも、落ち着いて行けよ。佳織ちゃんのこととなると、お前すぐ興奮するから」

 病院にいた頃だけで、佳織とのことが原因で瞬と喧嘩になったのは数知れない。変わってしまったとはいえ、そんな瞬の性格は一応把握していた。

「僕はいつでも落ち着いている」
「……そうか? 前、佳織ちゃんを無理に引っ張っていこうとしただろ。あれ、下手したら怪我してたぞ」
「ふん、僕が佳織を傷つけるようなことをするはずがないだろう」
「そうだろうけど、事故ってのもあるだろ」

 佳織を傷つけない。確かに、それだけは絶対だ。友希が出会った時から今まで、秋月瞬という男は、佳織を傷つけるようなことだけは絶対に出来ない奴だった。

 ただ、身体には傷つけなくても、心の傷には無頓着だ。
 兄である悠人と引き離されることを、佳織がとても悲しんでいることには、どうやっても気付かないのだった。

 忠告したのに、すでに興奮気味に歩いていく瞬を、友希は止めることも出来ずに見送る。

「はあ」

 あまり食欲がなくなってしまった。しかし、食べないと午後の授業が乗り切れない。
 食堂で、うどんとか軽いものでも食べようと、歩き始める。

 と、

「あれ……高嶺?」

 中等部へ続く渡り廊下を、先程まで話題に上っていた悠人が歩いているのを見つける。

 悠人が中等部へ行く用事……十中八九、佳織のところだろう。そして、ついさっき、瞬が同じくそちらに向かった。
 このタイミングだと、まず間違いなく鉢合わせになる。

「! なんで、あいつらは!」

 こう、計ったようにぶつかるのか!

 舌打ちしながら、友希は踵を返す。
 あの二人が顔を合わせると、ロクなことにならない。特に、佳織が一緒だともうどうしようもない。

 何が出来るかはわからない。でも、気付いておきながら放っておくことも出来なくて、友希は慌てて、中等部へと向かった。





















「佳織に何の用だ、瞬!」

 友希が慌てて中等部の校舎に駆けつけると、案の定、悠人と瞬が睨み合っていた。
 佳織は、悠人の後ろで少し怯えた様子をみせている。
 一触即発の空気に、中等部の生徒たちは恐恐と成り行きを見守っている。

「そんなこと、お前に言う必要はないだろう。僕と佳織の間に入ってくるなよ。邪魔なんだよ、お前」
「邪魔なのはお前だ!」
「ふん……。さあ、佳織、こっちにおいで。少し話があるんだ。そんな、悠人のことなんて気にしないで。さあ」

 悠人を無視して、佳織のところに向かう瞬。その眼前に、悠人が立ちはだかった。

「どけよ」
「お前がどけっ。佳織をお前のような奴に近付けさせるわけにはいかない!」

 大きな声を上げる悠人。その声に、佳織もビクッ、と怯えていた。

(……くっそ、あいつらは)

 どちらも、佳織を怖がらせている。そして自分が正しいと信じている。
 この場合、瞬に非があることは間違いないが、悠人も瞬と相対すると頭に血が上りやすいのも確かだった。

「おい! なにやってんだ、止めろよ!」

 慌てて、友希は二人の間に体を入れた。

「ッ、友希。追いかけてきたのか。暇なやつだな、お前も」
「……御剣」

 二人共、右の拳を握っている。瞬の方は、何かを握りこんでいるのも見えた。

 まさか、こんなところで喧嘩をするつもりだったのか? と、友希の背筋が寒くなる。止めに入らなかったら流血沙汰になっていたかも知れない。そうすると、学園にコネのある瞬はともかく、悠人の方は停学は確実だ。

 邪魔な友希を、瞬がぐい、と押しのける。

「どけよ友希。僕は佳織に用があるんだ」
「……瞬、今日はやめとけよ。こんなところで騒ぎを起こしたら、佳織ちゃんだって困る。ね?」

 こんな状態になっている瞬を止めるのは、友希では無理だった。佳織に水を向けると、彼女はおずおずと悠人の背中から姿を見せ、言った。

「は、はい。その、すみません、秋月先輩。今日は、帰っていただけませんか」

 秋月先輩。昔は、秋月くん、と呼んでいた佳織は、いつの間にかそう呼び始めていた。

「でもね、佳織……」
「ほら、瞬。行こうぜ」

 佳織に直接言われたからか、瞬は少し逡巡して、

「佳織、僕はいつでも待っているよ。そんな奴のところ、早く抜け出して、僕のところに来るんだ」
「瞬!」
「ああ、わかったよ。佳織に言われちゃ仕方がない。今日はお前に付き合ってやる」

 いつもの、やたら偉そうな態度で、友希と一緒に歩き始める瞬。
 友希が少しだけ後ろを振り向いてみると、拳を少し緩めた悠人が、後悔の表情を浮かべながら、視線だけで謝っていた。

(気にすんな)

 友希も、目線だけでそう伝える。
 お腹が痛くなるような緊張感が薄れて、なんとか友希は深呼吸をする余裕が出来た。

「昼、まだだろ、瞬。さっきも誘ったけど、飯行かないか?」
「結構だ。僕は昼食は取らない主義なんだ」
「ジュースくらい奢ってやるからさ。少し話でもしようぜ」
「……ふん、お前が『奢ってやる』だって? 僕を馬鹿にしてるのか」
「馬鹿になんかしてない。ほら、今から行くと、丁度食堂も空いている時間だ」

 先程の『今日は付き合ってやる』という言葉に嘘はないのか、瞬は友希と共に食堂までやって来た。

(さて、佳織ちゃんに対する態度について、少し注意したいけど……)

 絶対、聞く耳持たないだろうな、と話す前から諦めが入る友希であった。




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